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古本オモシロガリズム

やっぱり志智はレファレンスのチャンピオン(守護神)

shomotsubugyo2007-01-22
伊藤昭治先生が大阪で「志智嘉九郎論」の講演会をやったみたいですの(・∀・)
日本図書館研究会研究例会(第239回)報告(2006.10.10)大阪市
 講演の記録文に「初めに,志智氏の経歴,彼の著作を示し,彼の教養の広さが紹介された。」とある(以下、引用は上記サイト報告文より)。
右画像はこのまえ買った『神戸市立図書館四十年史』(1950)より

詳細なbio-bibliographyを所望す

 まさしくこれが最重要。志智の詳細な著作リストはまだないのでは。レファレンス(サービス)の神様のために詳細なレファレンス(文献目録)をきぼーんじゃ。
 歴史はなによりもまず、史料収集とその批判がキホンのキ。
 たとえば、レファレンス・サービスを開始するキッカケとなったことについて、通説と若干ズレることを、さる本のある部分に志智本人が書いているワケだが、それはいままで館界の言説空間では忘れられている。
 ほかにも、この前、ようやくめずらしい志智の論集を入手して、彼は(リベラルな)保守だったことがわかったし。

でも志智と無関係な話が多すぎでは?

 ただ、伊藤氏の志智論に触れるたび思うのは、志智の過去の名声を、今の伊藤氏の意見にムリにむすびつけようとしているなぁ、ということ。あるいは、今の伊藤氏に都合がいいように志智の業績を修正しようとしているように、わちきにはみえる(すわ、これがホントの「修正主義」(・∀・))。
 たとえば記録文に「志智氏は現実を離れ図書館業務の理想的なあり方などを主張するタイプではなく」という、なんだかもってまわたヘンテコりんな修辞がついているのは、「現実を離れ図書館業務の理想的なあり方などを主張するタイプ」を、ほかならぬ伊藤氏が、独自に想定して、“志智はそんな空理・空論家と一見おなじにみえますが、ちがいますよ”と言いたいからなのではでは( -Д-)ノ
 そもそも志智自身にしてからが、「〔志智〕館長は空理空論ばかりをやっている」と悪口をい」われていたと証言しとりますが。『空論集』(1969)ってタイトルは、むしろ空論家といわれることを楽しんでいるのでは(σ・∀・)σ
 もちろん、むかしの志智が空論家だったかどうか、は実は伊藤先生にとって問題ではなくて、むしろ、「現実を離れ図書館業務の理想的なあり方などを主張するタイプ」が今の伊藤先生にとって存在するということでしょ。糸賀先生とか根本先生とか薬袋先生とかとか…*1

やっぱ主要な業績はレファレンス・サービス

 でも、フツーに考えて、貸出し<よりも>レファを一生懸命にやった志智は、糸賀・根本・薬袋先生方(なんども言うが、そんなにこの先生方が同じ主張をしているわけではない)の改革派の先行例と位置づけるのが自然。
 じつは、この自然さは伊藤氏もわかっている。
 ほっといたら、改革派の嚆矢として志智が位置づけられるのが自然と。
 だからこそこそ、“おなじレファ派でも、いまの人たちは<空論家>で、実務家だった志智とはちがう”という話を、だれも頼んでないのに出してきてしまうのだろうなぁ。
 でも、それは成立するのか疑問(・∀・)。
 だいたい志智自身が、自分は貸出派*2に(名指しせず隠微なかたちで)批判され心外だということを書いておるじゃありませんか。『りべる』(1986)に。
 貸出しの「後」じゃないとレファは伸張しない、というテーゼはまさしく『市民の図書館』の前川理論なわけで。それが正しいかどうかは措くとしても、志智は、貸出しとレファは相互に<無関係に>発展しうるといっているわけだから(『りべる』)、すくなくとも、志智の主張・実践は前川理論に反する(かせいぜい並立する)ってのは明々白々。
だからやっぱり、志智のレファ実践(1950s)は、の前川貸出実践(1960〜70s)とは対立・不連続なものと捉えるしかなくて、それ(志智レファ)は実はレファレンス(ツール)論の王様、長澤雅男御大の活動(1960s〜)ともビミョーにズレている。
ってのが、フツーに考えた日本図書館サービス史じゃありませんかね(ってだれも書いてないか)。

だからそれは別して批判すればいいのでは

発表者の伊藤氏は,「最近“ビジネス支援”に続いて“医療支援”もやろうなどという図書館も出てきているが,医療の専門家がいなくてこんなことが出来ると思っているのだろうか」との疑問を話題にされた。

これもなぁ… いまの前川御大の主張(『新版・図書館の発見』)のひきうつしで、志智の話とは関係ないのでは。
で、志智レファ論とは無関係の、この前川御大による○○支援批判は(それこそ図書館雑誌の書評で批判されちまったのだけど)、じつは結構いい線行っていると思っているのだよわちきは(・∀・)/(これについては別項予定)
で・も♥志智とは無関係。

貸出し大躍進の影にかくれたおかしみとかなしみ

〔JLA〕参考事務分科会の活動も活発で,まさに学会であり専門職集団であったという。

そなのか(゚〜゚ )。でも、参考事務分科会をもちあげればもちあげるほど、それがなくなった後の公共図書館界は、学識なく、専門性も低下した、ってことになっちゃうんですけど…
もちろん、たとえ学識なく低い専門性しかない運動であっても、運動として成功したことが大切、ってことであれば、それはそうですねと認めちゃいますが。
やっぱ、志智や参考事務分科会の末路*3を検すれば、戦後図書館運動の大躍進の影にかくれたおかしみとかなしみがわかるということがますますもって確信がもててきたーよ。

『全国公共図書館逐次刊行物総合目録』作成の提案も志智氏である。

そうそう、これこれ。これについては、べつに言わねばならんと思うておったところじゃ。(別項予定)

志智氏の人柄

人柄っちゅーか信条でいえば、「リベラル保守」ってとこでどーすか。県知事とも仲良かったみたいだし(『知事の難題』(1978)http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20050207/p3)。1970年代以降、館界は「左翼人士が多」(@西部邁)くなったんで、保守的図書館人ってのは想定しづらいわけなんだけど、志智とか有山とかはその例になるなぁと思う次第。日の丸も大切に思ってた。http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20050917/p1
でも、人柄が悪くても妥当な言説であれば、それは評価すべきではないのか学問上は。まあ、実際にそーゆー学者もいるんだが…*4 もちろん、実務者としてリーダーシップを発揮するには人徳がないと困るが。って部下が困るのじゃ(・∀・)(実は本人はあまり困らない。え?なぜかって?*5

でも… 関西でもレファの機運?

まあほとんど全部にモノイイをつけちまったわけだが、話をもどすと、この講演会、普段の例会より多数(29名)が集まったという。「最近の例会では群を抜く参加者の多さ」と。
これを、報告者は、1)伊藤先生自身の動員力とみているよーだけど、別の見方も2つできる。
2)志智カクロウの動員力
3)関西でもレファについてなんかやりたいという機運のあらわれ
2の流れはすでに前川御大らの批判(1980)で絶えていると思うから、3)か1)のどちらかですなぁ。3)が強いとすれば、やはり貸出し派にとって志智の復権は阻止すべきことですよ。

やっぱ実証が足りない…(それはわちき自身もね)

あといまOPACで確認したけど、「志智氏の身近で働いた伊藤昭治氏」は志智氏と24歳ほどトシが離れているということを指摘しておきたい。(志智, 嘉九郎 (1909-) 伊藤, 昭治 (1933-) )
わちきはまえ「日本レファレンス史のミッシングリンク」なんて駄文を書いたときには、もっと近いかと思ってしまっていたですわいわい。あの連載の結論部を修正せねばならんことですよ。
わかりやすく言うと、この件にかぎらず、業務上直接的な影響関係に入るにはもそっと年齢が近くないと*6

*1:ただ、イトガッチはだれよりも全国行脚しとるし、ミナイ先生は実務者上がりだし、根本先生は唯一、純粋講座派だけど、理想派ってより現実派・保守主義だし… なんだか悪口がサカサでは。悪口をいうんなら<この、体制派め>とか<現実主義者め>ってほうを推奨(・∀・)/ それにいつも思うんだけど、これらの改革派だって一枚岩ではないんだし、もし貸出し派がホントーにイデオロギー闘争をするんなら、反対派閥を切り崩(して味方を増や)すようにしなけりゃあ(゜〜゜) なんでわちきみたいな中間派(このウソほんと!(・∀・)/)を改革派へ追いやるような言説ばかり撒くのかの( = ゚ ω ゚ = )

*2:『図書館白書1980』編集・執筆:石井敦久保輝巳清水正三浪江虔,前川恒雄

*3:だいたいこの分科会の廃止は何年なのか?

*4:誰とはさすがに(^-^;) ここは言説空間なんでね(・∀・) おぬし、ドーシテも聞きたければ、酒でも飲むべぇか。

*5:『失敗の条件』(中公文庫)を読め。図書館の話は... 酒飲ませてくれたらねヒソヒソ(  ̄∀(・。・;) ナニナニ?

*6:もちろん共著などされたのは知ってるけど、「ここだけの話…」とか言う相手って、上下10歳以内ぐらいじゃないとむずかしいのでは。