書物蔵

古本オモシロガリズム

日本における火災保険地図の歴史およびその研究の歴史

たんとうしゃさんが数日まへ拙ブログにやってきて、地元紙の重要報道をおしへてくれたので、ちとおかへしにまとめでみたでし(o^∇^o)ノ
たまたま「火保図」と背に書いたファイルが出てきたんで、それを見ながら、雑索(cinii皓星社ndl大宅)と新聞DBで書誌検索したらなんとなくまとまったでちo(^-^)o
断片をあつめて、ある概念・事物の歴史をつくりなすのはオモシロいっち(≧∇≦)ノ
あ、ちなみに研究史をまとめたものハこれ以前には見あたらず、といふことは、いちおーこれが日本で最初の火保図研究史ですら(^-^;) 民間地図の歴史研究って、じつは意外とないんよ。
特にこの、火保図(かほず;ヨミは松島2003による)ってば、現用時代(大正末〜昭和30年)は、出版されなかった地図だからねぇ(゜〜゜ )
まづハ、文献年表を作ることで火保図の歴史をたどることはできやう、とて、実際に作ってみたっちヽ(o`・∀・´)ノ.+

日本における火災保険地図 関連文献年表

注:[米][英]はそれぞれ米国、英国での出来事 太字はわちきが入れた時代区分もどき 年代からはじまっとる項目は参考事項かわちきの見方 ( )内は著者名+刊行年など典拠情報 ※はわちきの注記

  • 前史
  • 1666 [英]ロンドン大火(伊東2006)
  • 1680 [英]フェニックス火災保険会社(Phoenix fire insurance company)近代最初の火災保険業(伊東2006)
  • 1792-1798 [英]リチャード・ホーウッド(Richard Horwood)フェ社のためロンドン火災保険地図を作成(伊東2006)
  • 1860s [米]米国で火災保険地図がつくられる(矢守1975)
  • late19c [米][英]Sanborn社(米)、Charles Goad社(英)が火保図を作成(伊東2006)
  • 大正
  • 1917 大日本聯合火災保険協会 設立(ネット情報)
  • 大正時代 国内最初期の火災保険地図(日経金融2004)
  • 昭和前期 火保図製作業者の発生と業務拡大
  • 1927 火災保険協会が「京都明細図」(火保図)を作る(1951年頃まで改訂を続ける)(京都新聞2010)
  • 1928.3.1 沼尻長治、「地図研究所」(渋谷区代官山町)を創立
  • 1928 大阪で「地籍社」創業。 桑原, 蓼軒 (1893-)‖クワバラ,リョウケンが火保図作成に従事(桑原『ウンテイイン』1962奥付)
  • 1933.1-1933.10 沼尻、台湾の10都市を「現場調査」(井沢1999)
  • 1939.1 地図研究所、港区麻布霞町に移転。「東洋都市測量製図社」と改称(井沢1999)
  • 1942 火災保険協会は日本損害保険協会(旧)に統合(ネット情報)
  • 1943 協会が損害保険統制会に(ネット情報)
  • 1944 沼尻、業務拡大、一方で憲兵隊による検閲や没収、「戦時改描」もどきの指示(井沢1999)
  • WW2終戦
  • 1951.1.17 東洋都市測量製図社の業務を引き継ぎ、「日本火保図株式会社」設立。(井沢1999)
  • 玉木一介「火災保険図」『保険界』7(5) p.28-29 (1954.5) ※未見 現用品としての説明か?
  • 1950s [米][英]このころまで英米火保図は現用(伊東2006)
  • 昭和30年 このころ、火保図は不要となる
  • 1956.9 日本火保図株式会社を発展的解消、「都市整図社」を設立。(井沢1999)
  • 1960s [米][英]これ以降、英米火保図は非現用に それでも英では1970sまで米では1990sまで作成される(伊東2006)
  • 保険辞典. 上巻 / 横尾登米雄. -- 保険研究所, 1961 ※p.114に「火災保険図」の項「戦前は、わが国の保険事業の規模等から、きめの細かい作業を必要とする関係で、業界全体の要請にこたえる専門業者があって、統一的な考え方で、一定区分に従った詳細な番地入り地図を作成し、利用に供していた。」
  • 1960s 明治百年ブームによる古書ブーム、古地図にも。ただし前近代の地図がメインの「古地図ブーム」http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20051112
  • 1970.8 都市整図社、地図販売店を開店。一般地図の販売とコピーサービス
  • 都市図の歴史. 世界編 / 矢守一彦. -- 講談社, 1975 ※サンボーン保険地図の紹介(数行のみ)
  • 火保図の再発見
  • 1981.11 千代田図書館が沼尻地図を知り、コピーを依頼。沼尻氏に区が感謝状(朝日1982) ※千代田の当時の担当は鈴木理生氏ではなかろうか
  • 「貴重な住宅地図,数千枚寄贈—製図会社社長が都内の図書館に戦前戦後の「街」一目で」『朝日新聞』1982.9.23  p.20 ※約3000枚。「大半は都内のものだが、地方都市や戦前の台湾、サハリン(当時の樺太)もある」という「「戦前の台湾、サハリンの住宅地図はこれ以外ないだろう」(千代田図書館)など関係者は喜びに包まれている」とも沼尻火保図につきて最も詳細な文献
  • 京橋図書館所蔵火災保険図目録:沼尻長治氏寄贈地図一覧』中央区京橋図書館郷土資料室編 同室 1983 14p 所蔵:京橋図書館 ※ちょっとフシギな序文あり。江戸博(1994)の文章が酷似
  • British fire insurance plans / Rowley, Gwyn. -- C.E. Goad, 1984 ※英国火保図の概説書。国内所蔵先不明
  • 1985 このころ、沼尻長治「秘伝夢之地図」を出版を計画か?(井沢1999)※所蔵先不明。出版されなかったものか?
  • 散発的な部分利用:火保図の利用・研究すすまず? なぜ?
  • 1990ごろ 京都府庁の倉庫から府立資料館へ「京都明細図」移管さる
  • 中央区沿革図集. 月島篇 / 東京都中央区京橋図書館. -- 東京都中央区京橋図書館, 1994.3 ※火保図凡例あり
  • ヤミ市模型の調査と展示 / ヤミ市調査団他企画・執筆 ; 東京都江戸東京博物館編集. -- 東京都江戸東京博物館, 1994. -- (東京都江戸東京博物館調査報告書 ; 第2集 . 常設展示製作に伴う調査報告 2 (大型模型 2) ; 2) ※「註 5 火災保険特殊地図は、株式会社都市整図社社長,沼尻長治氏の御厚意により寄贈を受けた現在は、「資料現地所蔵主義」の原則により、東京都の各市区でも該当する地図を保管している。」とある。<「資料現地所蔵主義」の原則>ってなんだろ( ・ o ・ ;) んなことば図書館学にはないのでは
  • 神田まちなみ沿革図集 / Kandaルネッサンス出版部. -- 久保工務店, 1996.9 ※鈴木理生氏、火保図を使用
  • Fire insurance maps : their history and applications / Diane L. Oswald ; pbk.. -- Lacewing Press, 1997 ※米国火保図の概説書。国内所蔵先不明
  • 井沢龍暢「沼尻長治の火災保険地図について」『災害の研究』30 p.49-56 (1999)※出所不明の資料、「〔都市整図社〕営業履歴書」、「「秘伝夢之地図」について」(沼尻長治1985.1)の2つがついている後者には火保図の作成法もあり。文体が独特だが、沼尻火保図の歴史についていちばん重要な文献。
  • 海外火保図が地理学へ応用され始める
  • 藤井正「新旧都市空間の形成と変化:アトランタ大都市圏の多角化を事例に」『地図と歴史空間』足利健亮先生追悼論文集編纂委員会 大明堂, 2000.8 ※サンボーンの火保図(1931)を1990年代と比較。火保図を用いた「数少ない研究事例」(寺阪2002)
  • 2001.8 ある人が目黒区の郷土資料館で火保図を閲覧。 www.ne.jp/asahi/tetsudo/miyata/yodan/yutenji/page01-p.html ※区立図書館から郷土資料館に移管が進んでいた?
  • 松島茂「空襲体験と図書館」『図書館雑誌』97(8) p.513-515(2003.8) ※「最近では戦災前後の地図の照会があったらまず火保図がどの職員の頭にも浮かぶ。それほど利用は頻繁にある。しかし、まささほど一般に知られていないことは残念だ」 沼尻を池尻に、都市整図社を製図と間違えて表記している。沼尻火保図に関する知識が薄れた? 火保図についてはあまり記述がない。
  • 火災保険図によるイスタンブル商業地域の景観変遷 / 寺阪 昭信. -- (西南アジア研究 (56), 22-44, 2002 ※「〔火保図は〕従来の都市研究にほとんど利用されてこなかった」(p,24)
  • 商業的ニーズが出現
  • 2003 土壌汚染対策法が施行。これがきっかけで工場跡地などで土壌汚染問題が表面化。土地の使用履歴(地歴)を文献調査するニーズが全国で急速に増大
  • 「明日を拓く(中)東京海上日動/トップ率先、本業で勝負(動き出す金融CSR)」『日経金融新聞』(2004/12/29) 3ページ ※地歴調査の新ビジネスについて。別系統の火保図現存か?
  • 2005 国会図書館による所蔵資料の紹介HPできる ※土井正造著『〔鎌倉市火災保険図〕』1:1,000 横浜 横浜火災保険図協会 1942.7 青写真 31×42cm 27枚などが紹介さる
  • 牛垣雄矢「昭和期における大縮尺地図としての火災保険特殊地図の特色とその利用」『歴史地理学』47(5) pp.1-16 (2005.12)
  • 伊東理「サンボーンの都市の『火災保険地図』(虫ぼし抄)」『関西大学図書館フォーラム』 (11) pp.30-34 (2006) ※ネット上にあり。英米火保図の概説史。マイクロ版サンボーン火保図の読み解き。
  • 河原典史「資料調査--火災保険地図の歴史地理学的活用 (プロジェクト 日本人の国際移動研究会 2006年度研究経過報告)」『立命館言語文化研究』18(4) p.145-147 (2007.3)
  • 小鍛冶恵;布施孝志;清水英範;内田弦「都市史研究への火災保険特殊地図の応用可能性:戦前・戦後の東京の街並調査に向けて」『日本写真測量学会学術講演会発表論文集』(2006) p.47-50 (2006.11) ※火保図をPCに取り込み地形図上に補正して展開する試み
  • 「戦前戦後の京くっきり 地図291枚、府立資料館で発見」『京都新聞』(2010.12.16) http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20101216000092 ※「京都市明細図」291枚発見。「大日本聯合火災保険協会」作成のもの。厚紙286枚(縦40×横55cm)縮尺1200分の1。
読むべき順番

まず、ネット上にある伊藤2006で世界の全体の流れをおさえ、縮刷版などで朝日1982の記事を見、さらになんとかして井沢1999を見られれば火保図の全体像がいちばん手っ取り早くわかる。

参考になりそうなサイト

http://en.wikipedia.org/wiki/Sanborn_Maps

要チェック(未見)のもの

火災保険地図研究小史

上記年表を見て気づくことは。

前史

英国では近代火災保険の発祥にともない、18世紀には火災保険地図がつくられ、米国などにも19世紀に広まった。

大正

日本では大正年間に都市化が進んで全国で火災保険が売れるようになったようだ。海外と同様に火災保険の普及に伴い、おそらく大正末年ごろに最初の火保図が作られたようだ。

昭和前期

昭和になると、特に昭和2、3年に、火保図作成会社が相次いで設立された。火保図のニーズが高まったからといえよう。
主要都市に複数の火保図作成会社があり活動していたが、それらのうちのひとつ、沼尻長治の経営にかかる会社は外地へも進出した。昭和8年には台湾の諸都市を現地調査し火保図を作成している。この会社が昭和14年に「東洋」という言葉を含む新名称に改称されたのは図化範囲の拡大を反映させたものであったろう。沼尻は後の回想で、外地(樺太、台湾)での現場調査を苦労話として挙げている。
沼尻はまた、昭和19年憲兵隊に「戦時改描」もどきを強いられたことや、地図を押収されたこと、地方都市でスパイとして警察に尋問されたこと、印紙の貼付義務などを回顧している。
これはむしろ戦局が苛烈になればなるほど火保図のニーズが強くなったことを示唆しているように思える(戦災をうける可能性が高まるので)。
火保図がそもそも出版物扱いされていたのか否か(保険会社に渡す場合の複製(青焼き)が「出版」とみなされれば出版法の適用をうけ、内務省納本や検閲が発生する)、貼付せねばならなかった印紙が「統図番号」つきの印紙であったのかどうかなど、近代民間地図出版史上の疑問点は多々あれど、これらは皆、まだ研究が手付かずなので、不明である。

戦後

戦災復興期から火保図のニーズはあったようだ。沼尻は闇市での調査を回顧しているし、実際、1994年に戦後版の火保図闇市の再現に使用された。
火保図の転機は昭和30年前後に訪れる。保険料率の計算に別の方法が使われるようになり、火保図が不要になったのである。沼尻は「日本火保図(株)」という名称の会社を経営していたが、1956年により一般的な地図作成会社風に改名していおり、1961年の『保険辞典』でも、火保図の説明は過去の事物としてのものにみえる。今回京都で発見された火保図も、1951年ごろの改訂が最後であるようだ。
このころに現用品としての火保図の歴史は終ったといえよう。
一方で非元用品、史料としての火保図の価値について再評価する環境が整いはじめたのもこのころである。明治百年前後に古書ブームがおこり、古地図もまた収集対象としての価値がでてきたのである。
しかしながらこの古地図収集はもっぱら前近代のものが中心であった。ましてや広く出版されなかった火保図はほぼその存在を世間から忘れられてしまっていたといえよう。古地図がらみの基本書を昭和50年に矢守が書いた時に火保図は、米国にあったものとしてほんの数行ふれられているのみである。

沼尻火保図の発見

そんな忘却状態は、千代田図書館が沼尻氏の火保図の存在を1981年に知ったことで変わった。朝日新聞で貴重な郷土史料として紹介され、火保図が「偶然資料」として無上の価値があることが公知のものとなったからである。
しかし、実際の利用は、わずかに一部の区が復刻地図帳に使った程度であまり進まなかった。図書館界で1970年代の貸出運動が大成功しすぎて郷土部門がおそろかになったこと、郷土資料館という機能重複をおこす機関が設置されるようになったことなどが理由として考えられるが、よくわからない。

新しい事態

事態がかわるのは2000年代に入ってからであろう。
生涯学習や自分史執筆の風がひろまり、個人が普通にゼンリンなどの「住宅地図」を使用するようになった。使用するようになれば、時代的に遡りたくなるのは自然のことである。2003年の法改正で不動産業者が商売として「地歴」を調べる必要性も生じ、土地や家屋の過去への調査ニーズは高まる一方であった。
一方で、PCやスキャナー、デジカメの技術革新により、個人が図版を手軽かつ安価に複製・応用できるようになった。
全国各地に埋もれていた火保図が、いままさに発掘されんとしているのだ。
とかとか(^-^;)

附1.町内地図、看板地図(ブリキ製ペンキ塗り)についての文献

「”町内地図”はわかりやすく(気流)」『読売新聞』(1960.1.18)p.3
「気流」という投書欄に載ったもの。投書者は(東京都大田区・学生バイト・加藤清次郎21)とある。

最近はたいていの町に地図がかかげられるようになって便利だが、困ることはその描き方が一定しておらず、

とある。これによれば、昭和30年代になって、都内では看板地図が普及したと考えてよいかしら。「町会あるいは業者が責任をもち」情報を更新せよ、とあるので、やはり専門?業者が設置していたことがわかる。

附2.とってもびっくりすることがわかった(×o×)

文献調査をする場合、基本的に、図書・雑誌・新聞の3本だてで考えるのだが。
一度、図書、雑誌(記事)でやったことがあり、それをまとめりゃあよかんべ、と、ついでにやった新聞記事調査でトンデモびっくりな結果が出た。
まあ、これを見てみ。

「明日を拓く(中)東京海上日動/トップ率先、本業で勝負(動き出す金融CSR)」『日経金融新聞』(2004/12/29) 3ページ
(前略)昨春〔2003年〕の土壌汚染対策法の施行を機に、企業の工場跡地などの土壌汚染問題が表面化しており、損保各社は土壌浄化費用保険や土壌浄化賠償責任保険などを販売している。
 東京海上日動の強みは保険契約の前に、傘下の東京海上日動リスクコンサルティング社が実施する簡易調査だ。土壌汚染調査はボーリング手法だと一千万円を超える場合もある。調査費用の問題に加えて、難題は上に建物がある場合。同社は大正・昭和初期の六百分の一の火災保険地図などを基に、古い化学工場や旧軍需工場などの“地歴データ”を克明に再現、電子データベース化した。
 これを使うと、多額の費用をかけなくても、おおまかな汚染の有無を推計できる。地歴に問題のありそうな土地だけ、詳細な調査をやればいいので手間も費用も削減できる。簡易調査への需要は今年だけで約千件、前年比五倍増の勢い。(後略)

どうじゃ(σ・∀・)
ん?(・ω・。) ようわからんってか。

同社は大正・昭和初期の六百分の一の火災保険地図などを基に

これぢゃ(σ・∀・)σ
わちきの記憶では、大正期の火災保険地図はまだ存在が確認されたことがない。ということは…。
さう! 東京海上日動さんがまた別系統の火保図を持っているといふこと! それも今まで発見された中では一番古いものを! すごいっち(o^∇^o)ノ
けど、これから先は本職の学者の責務だね(σ・∀・)σ
出でよ地図図書館学者!あるいは地図キュレータァ!
そして、いまはどこにあるかわからん、外地の火保図を召喚するのぢゃ!