書物蔵

古本オモシロガリズム

フル本こそルフ本!`・ω・´)o:「納本刷」と流布本の関係

土曜深夜に読んだ古書通信、川島幸希論文のつづき。このまへの拙エントリでははしょっちゃった川島論文のすごいとこをズバリ古本ブロガーたる漁書日誌さんが指摘してゐる(σ・∀・)σ

川島幸希「『月に吠える』の論文」が出た
http://d.hatena.ne.jp/taqueshix/20150215/1424021760

削除命令されたあとの再製本はタイヘンだったか

本来の論点は『月に吠える』が何月何日に「納本」(法定納本)されたのかということなんだけど、それを想定する全体スケジュール上、「便宜削除」の指示がでて、再製本タイヘーンといってた萩原朔ちゃんの証言の真偽についても問題になっていた。
牧説は、削除してお知らせを挟んだだけだからさして大変ぢゃないし再製本ぢゃないよ、としていた。牧氏は帝国図書館本(法定納本の副本にあたる)のお知らせが、貼り付けられてなかったよといふのを理由にしている。
これに川島先生が、ぼく、40冊ほど『月に吠える』削除版を見たけど、どれもこれもお知らせが貼り付けられてたよ、だから再製本はタイヘンだったんだよ、ということを述べている。
んで、その40冊ほど『月に吠える』削除版を見る、っちゅーのがどんだけスゴイのかを漁書日誌さんが指摘しているといふワケ(´・ω・)ノ
まさに川島先生レベルの愛書家にしかできぬワザなり。

史料としての出版物:タテマヘ本としての法定納本本


画像はhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/907268から
出版史をやるのに、出版物そのものを参照する、見るのはもちろん基本なんだけど、史料としての法定納本――おおむね副本たる帝国図書館本、おおむね正本たる内務省委託本、特501*1、LC残置本――を使う時の注意点といふものが、じつはぜんぜん検討されてない。
だって近代日本書誌学、近代出版史はまだとば口なんですもの(σ・∀・)σ
きのふ喫茶タカノで、

書:正式の納本ったって、あんなの適当に内務省窓口で帳尻合わせして奥付の日付かへたりしてたんだからねぇ(*゜-゜)
A:正式ってより、建前でしょうあれは。言うなれば「タテマエ本」(*´д`)ノ
M:その正式ってーのハ、いはゆる「フィクション」ちゅーか、法制史でいふ「擬制」でせう。ハンコ押せば、日付かへられる( ^ - ^ )
書:さうさうo(^-^)o 朱肉持ってないと、窓口の吏員がイヤな顔して朱肉放り投げてよこすの(σ^〜^) それを書いてた太田真舟は実は二見和彦…(o・ω・o) 二見こそホンタウの証言者(σ・∀・)

なんちゅー会話をしたことぢゃった。

フル本こそルフ本:一次史料としてのフルホン

メディア史といふことであれバ、メディアの生産といふより受容の段階にむしろ焦点をあてねばならず、きちんとした――あれでも昨今の図書館業界ぢゃあ、さうなのよ――メタデータ(書誌)とセットで誰でも見られる国会本を使ふ時には、ありゃあ、ある種の見本――教師らへの納本を見本としてばら撒いていた頃、みほんをケンポン(献本につうず)とも読んでいたことが想起される――試作品だといふことを念頭に置くべきなのぢゃ。試作品と流布本は、じつはビミョーにちがくなる可能性が常にある。
かの(って南陀楼氏ぐらいしか知らんか)志水松太郎【画像】もかう言ってたでしょ(´・ω・)ノ

予定の納本日に遅れさうだとなると、納本用として、三部通り或は五部通りと、刷出しを別にして置いて貰って、工場の中から受取って製本さして、納本用を作って、納本する事もある。商品でないからどうでもよいと云ふわけのものではないが、多少汚れて居ったり、印刷が汚かったりしても差支へない。
『出版事業とその仕事の仕方』志水松太郎著、峯文莊 , 栗田書店 (発売) 1937.6 改訂増補第2版 pp.137-138

いいなぁ「商品でないからどうでもよいと云ふわけのものではないが」って(´ω`*)モフー
おもはずホンネが出とるね(σ^〜^)
さういふものとして、法定納本本(志水の云ふ「納本刷」)を見る注意を欠かしてはならない。
ぢゃあ、読者に受容された流布本は、いったいどこにあるの? ちゅーことになる。そりゃあもちろん、日本全国津々浦々にある数千からの公共図書館大学図書館に残されとるものらがさうであるわけぢゃが、文学史的に重要な、ある種の尖った、記念碑的作品集ちゅーもんは、さういった図書館よりも、じつは愛書家が持っていることがおほい。今回の『月に吠える』などが良い例。もちろん、フルホンとしてそれらは平成27年の現在ただいまも、流通する(金を出せば買える)可能性があるわけで(´・ω・)ノ これは別に、数百万しさうな『月に吠える』にかぎらず、500円のフルホンだって同じことなのですハイ ウン(*-ω-)(-ω-*)ウン

ヒューリスティックなフルホン

以上は、仮説を確かめるためのフルホンの機能なのぢゃけど、漁書日誌さんはさらに、発見的といほうか、仮説より先にある史料としてのフルホンの機能に言及してゐる。

まずはこういうところに目が行ってしまうワタクシがビョーキなのかもしれないが、理屈ではあり得ないであろうが実際出て来てしまう古書、噂だけでだれも実見したことがない幽霊的古書など、古書の世界は予測不可能な深淵を抱えているといってもいい。おそらくそういう深淵に触れる可能性にこそ、古書の世界の魅力の一つがあるのだろう。
http://d.hatena.ne.jp/taqueshix/20150215/1424021760

印刷物、複製芸術もまた、史料なのである。なんでこんなもんがあるの?といったところから「気づき」をはじめるといふことに、もっとみな意識的であってよいだらう。牧氏も、伏字書き入れや伏字埋めの「正誤表」を古書市場から入手して、あゝかやうな受容もあるのか、とわかったやうに(先にフルホン、後で仮説)。けど、古本のヒューリスティックな機能は意外とこれからなのかもしれません。

付論:川島論文p.11最上段、三日前納本形骸化の件

出版法では3日まへに納本を差し出せ、と決まってをったけど、川島先生はそれが形骸化しとった可能性について言及しとる。いやサ、実は実際、形骸化しとったといふ証言がちゃんとある。

〜までの中に出版届と納本をして置かねばならぬ。即ち五日前とは中をマル三日置くの意味であるが、之は出版法に明記されて居る所であるけれども昭和八年頃まではそれ程厳格でもなくて、日付等がその形式を具備して居れば一日二日違っても小包で納本の中へ出版届を同封して送って置けばよかったものだった。ところが近頃思想取締の結果出版物の取締りも厳重になって、形式だけでは済まされないようになり、昭和九年春ごろより規則通り取扱ふやうになったために、違反に問はれて罰金を納めた出版社も少なくなかった。〜
(p.218。1935年初版だとp.172)

出版法の三日前てふが、実は、内務省の行政解釈では、ふつうに考えると4日前(志水松太郎にいはせると発行当日も数えて5日前)に本を持ってこい、といふことになってゐたのは、こりゃ大正の初めにはもうさうなってゐた(『出版警察山田一隆著、文明社、 1914)。
国民から見たら身勝手な解釈だけど、内務省の事務官から見たら、おれらの作業に三日間よこせ、ちゅーこと。でも法律の適用現場で些末なことは行政官のツゴーのいいやうに「行政解釈」でかたづけられちゃふからねぇ(゜〜゜ )
で。話を戻すと、「一日二日違っても小包で納本の中へ出版届を同封して送って置けば」いいや、と考えたと思しき行動を、日記に書いた人がいないかな〜と思ったら、恩地コウシロウといふ人(モチロン、本の世界では超有名人)が書いていた、といふわけぢゃo(^-^)o
昭和8年からの、運用厳格化については、このまへ教へられて読んだ『出版警察報』に、昭和8年の「検閲第一主義から執行第一主義へ」というフレーズがあったね。それに「罰金を納めた出版社」ちゅーのも、おなじ箇所で、これから見逃してた形式違反もこれからは司法処分にかけるよ〜、と宣言していたのとも符合しとるウン(*-ω-)(-ω-*)ウン

*1:国会図書館本の来歴につき、請求記号ごとにわかるのは、『国立国会図書館百科』(出版ニュース社、1988:訂正版1989)の「NDL請求記号一覧」p.79〜だけである、といってもいいだらう(特501はp.80に)。改訂版が望まれる。