書物蔵

古本オモシロガリズム

ハツキン処分と削除処分を分けるポイントはナーニ?( ^ - ^ )

オタどんよりのご下問に奉答す

jyunku 2016/06/07 21:22 削除処分も発禁のうちと思ってしまっていたが、発売頒布禁止と削除処分は別か。しかし、実際どう違うのかなあ。どちらも、問題の箇所を削れば、新たに発行できるのは同じような。

今回の事例であきらかになったやうに、差押へをするてふ点では同じ枠組みでやっとるみたいね。
ならば、ハツキン処分も、削除処分も、実質的には同じではないか、との疑問。まことにごもっともなれど、おそらく、「不良個所」の提示が、必ずしも行政側の義務でないところがポイントになるのでは。
削除処分や、その行政処分でないヴァージョンの「任意削除」、あるひはまた、分割還付といった1冊の構成部分にダメ出しをする場合、その箇所、つまり不良個所が明示されねば改訂のしやうがない。
しかるに…
これは分割還付の手続きで明記されとんだけど、不良個所が1冊の全体にわたり多数だと、分割還付が行政に拒否される。もちろん不良個所の指摘もなされない。
ハツキンの場合も不良個所が1冊の全体にわたり多数(浅岡先生の推測では、長めのが3か所以上)だとハツキンになる。
んで、ハツキンのどこが不良個所かは、基本、出版者・著者には通知されないのである。
んでも途中から雑誌・新聞のバヤイ、どれどれの記事が安寧秩序違反、風俗壊乱違反かは明示されるやうになったんだけどね。ただこれも、あくまで行政側の任意で義務でない。

あと削除処分の根拠も「削除」という言葉は出てこないけど、出版法19条ではないのかなあ( ・◇・)?

行政処分としては、ハツキンも削除処分も同じ枠内でやってたみたいね。削除処分も根拠条文はおそらく出19だらうけど、はっきり書いたものを見たことがない(´・ω・)ノ これから要チェックぢゃo(^o^o)
かういった質問には、實務上より見たる出版法略義 / 成田總一郎 が最適なんだけど、いま探したら出てこない…(´・ω・`)

jyunku 2016/06/07 21:34 そうそう、北斗書院版では問題の広告文はないということでいいかしら。

うん、ないよ(=゚ω゚=) 切り取られてゐるよ。

数奇な運命をたどりたる『邪淫戒』:エロか聖典か

浜の真砂は尽きるとも世にエロの種は尽きまじ

とかや。
さてここに、本人的にはきはめてマジメに漢訳仏典を国訳・和訳しやうとした経験なる仏教者がをった。名を、キタガワ・チシヤウといふ。
大正末年、こんな翻訳本を出したのぢゃ。

四分律」(しぶんりつ)とは、4回にわけて述べられた仏教教団の戒律のこと。

大正15年の「一大情史、一大ロマンス」は削除ぢゃーo(^-^)o

ところが、これは出版社の宣伝か、はたまた北川本人の意図か、ちょっとエロ味をにほわせて売らうとしたといへるのではあるまいか。タイトルもさうだし――じつは中身もさう。比丘尼が性欲で悶へちゃふ話が満載――いまオクにあがってゐる内容見本でもそれっぽい。

これを縦断的に見れば男女情欲の深刻にして慨嘆す可き暴露であり、これを横断的に見れば情欲の豊熟せず自然に生れたる一大情史、一大ロマンスである。

と、いふことで、この本は、

削除処分

とあいなったのぢゃo(^-^)o

  • 北川智聖「問題は仏典の発売禁止/「邪淫戒」の一部削除に就いて(上)」『読売新聞』(1926.11.18朝刊)p.4

「去月二十七日突如その筋から発売頒布を差止められ、越えて翌二十八日に至り、同書二百九十九頁から三百二頁までの削除を命ぜられて漸く発売を許されることになりました。」

  • 北川智聖 「問題は仏典の発売禁止/「邪淫戒」の一部削除に就いて(下)」『』 (1926.11.19 朝刊 ) p.4

「然るに茲に小著小乗四分律抄訳の『邪淫戒』が一旦発売を差止められ、遂に内容の削除を命ぜられたといふことは、」

訳者の北川智聖(ちしょう)は、さかんに、これは仏教の経典であって、漢訳がOKなのに、和訳が削除だなんて理不尽だ、といふ主張を縷々述べてゐる。
ただこの本が削除処分になったことは、上記新聞記事や日本の古本屋の古本データからほぼ確かぢゃが、帝国図書館本にないし(どうも、当初から交付されなかったらしい――帝国図書館書名目録より)、筆禍大年表にも、福岡井吉の発禁年表にもでてこない(大正15年分のみ、両方の本が採録範囲であるのぢゃ)。
といふことから、削除処分を跡付けるのは、かなりむづいのぢゃ。

それから10年…

もう当局も忘れちゃったかな… と、実は北川智聖も思ったのであらうか、なんとまた、中身は同じマンマで―ただし、出版社はちがふ―ほぼ同じタイトルで、出版を試みたのぢゃった。それがこれ。

北川智聖 譯著. 邪淫戒經 :. 北斗書院, 1936. 386p ;
call no.:183.8-Ki63ウ
表示印刷日昭11.5.10
納本日:?
内務省月別受理番号:420
帝図受入日:昭11.5.22(納本)
表示発行日:昭和11.5.20

そして、たった半年しかたってないのに、今度は、ちがふ訳者を立てて、ちがふ出版者からまた出したのぢゃ。

北川智聖 訳著. 邪淫戒 :. 日本仏教新聞社, 昭和11. 386p ;
call no.:特214-261
表示印刷日昭11.12.15 ※十二が半角扁平
納本日:?
内務省月別受理番号:833
帝図受入日:昭12.1.8(納本)
表示発行日:昭和11.12.20 ※十二が半角扁平
表紙:「削除済」押印(活字?色不明)

じつはこれ、著者がふえとる。中身、まったく同じなのに。
邪淫戒 : 新譯小乘四分律 / 眞繼義太郎著 ; 北川智聖譯著. -- 東京 : 日本佛教新聞社 , 1936.12. -- 2, 9, 386p ; 19cm. -- (BA73932840) ; http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA73932840
どういふこっちゃ?

岐阜市立図書館も最初は私立公共図書館ぢゃったΣ(゚◇゚;) 

オタどんが削除処分本『邪淫戒』について調べとったので、著者をさがすべく、昭和前期にでてゐた『仏教年鑑』巻末の人名鑑を見ていたのぢゃが、探しとる人物は出てこなかったに、オモシロな図書館人を発見すてすまったo(゚ー゚*o)(ノ*゚ー゚)ノ
いまググると、なんと、岐阜市立図書館を創った人らすぃ〜

沿革
1923年(大正12年)2月16日 - 北川弥三松が財団法人岐阜簡易図書館(同市加納永井町)を設立
1927年(昭和2年)6月 - 矢橋亮吉の援助を受け、同図書館分館(同市八ツ寺町、2階建)を建設。
1936年(昭和11年)12月 - 本館に児童室を増築
1945年(昭和20年)7月 - 戦災により分館が焼失
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%90%E9%98%9C%E5%B8%82%E7%AB%8B%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8

まとめると。

北川彌三松は1874年2月11日兵庫県生まれ。専門学校卒業後、すぐ鉄道省に入り35年間奉職。岐阜駅長となる。退職後、図書館事業を志し、1923年、財団法人・岐阜簡易図書館を開設。1927年、同館分館設置。1936年本館に児童室を増築。1937年ごろ岐阜県方面委員。

といったところ(´・ω・)ノ
いやぁしかし、岐阜市立図書館よ、おまへもかo(^-^)o

『仏教年鑑』巻末

北川弥三松 図書館を二ヶ所経営其他社会事業△電話三三八二△岐阜県稲葉郡加納町七三△明治七年二月十一日兵庫県生△趣味、仏教書閲覧△日蓮上人の崇拝者にして三十五年間鉄道省に奉職、退職後(八年間)専ら社会事業に従事し其の一部として図書館二ヶ所の経営をなし居れり。
仏教年鑑 昭和9年版 p.人事篇101(274/392)

北川弥三松 △図書館経営岐阜市ツ寺町一)(同市外加納町永井間町一)△電三三八二、三八三〇、振替ナゴヤ六八〇五△岐阜県稲葉郡加納町永井町一ノ七五△明治七年二月十一日兵庫県生△趣味、宗教書△鉄道省奉職三十五年、退職後専ら社会事業を従事す目下図書館二ヶ所経営閲覧料全部無料。其他社会事業数多。
仏教年鑑. 昭和10年版 p.人事篇94(273/406)

昭和11、12年版は10年版とほぼ同じ。

北川弥三松 日蓮△図書館二ヶ所経営、傍ら岐阜県方面委員△岐阜県稲葉郡加納町永井町一丁目七六△電三三八二△明治七・二・一一兵庫県生△趣味、仏書△専門学校を出て直ちに鉄道に奉職、在職すること三五年退職後、図書館事業を志し現在に至る、その傍専ら種々の社会事業に携はる。
仏教年鑑. 昭和13年版 p.人事篇112-113(274/408)

まるっきり意味のない議論

ある会社で、椅子の管理をしている。
椅子が10あり、そのうち3つのラベルの色は青、3つは赤、残り4つはラベルがない。
じつは椅子の管理については会社連合で取り決めがあり、各会社の都合のいいように管理してくれればよい、ということになっているので、その会社では、ラベルを貼ることにしていたのっであった。
ラベルのない4つの椅子について、これらは赤なのか青なのか、時給6、7千円の正社員が延々議論。
じつはこの会社、十数年程まえから本来業務で実績のない管理主義者が出世する慣例ができてしまい、本来庶務でしかない椅子の数勘定をすることを業務システムに入れてしまったのであった。
だから赤か青のどちらかにしないと椅子を一個も動かせない。
延々と、ラベルのない椅子について赤か青か議論がつづくといふわけ。