書物蔵

古本オモシロガリズム

絵草紙屋→絵葉書屋、貸本屋→雑誌回読会

森サンがいうように、やっぱりこれが、近代日本出版史の基本書なんだなぁ…

ちゃんと、近世から近代初頭にかけての重要な読書装置、貸本屋についてどの企業に注目すればいいか、これからわかるよ(´・ω・)ノ

今は全然無くなったが、明治時代までは町々に絵草紙屋というものが沢山あった。芝居や景色、時には時事的なものが、毒々しい色刷ではあったが、次々に店頭に貼り出されて、その前に立って喜び見るのは、子守っ児や子供ばかりでもなく、新版の絵が家庭の話題にもなった。絵草紙専門の店もあり、赤本講談本を並べて売った店もあり、その絵草紙の供給者が両国のあった大黒屋松本氏や、右の赤本屋仲間であった。この絵草紙屋が段々すたれて、本屋になったり、絵葉書屋になったりで、絵葉書も日露戦争前後から大いに流行し、星菫党や若い男女の石表示は、すべて絵葉書が媒体であった。絵葉書屋も煙草屋同様に、看板娘の美しい店が繁盛したが今は無くなり、銀座の上方屋位が唯一のものであろう。上方屋は昔から、芝居絵葉書屋としても、一流の高級店である。
 赤本屋の大華客たる貸本屋も、明治時代には沢山あって、横町の奥にもまで散在し、全国の都市でも、これを賤業として成り立っていた。小説、講談、落語類が主で、新しいところでは「不如帰」や浪六もの等の、紙表紙ものが多く、評判の高い小説は、布綴ものでも扱うようになった。華客は近処の隠居、おかみ、理髪床、髪結さん、待合、芸者屋、遊郭の花魁等で、いわば町の簡易図書館であった。(p.185)

ここで「高級」な貸本屋と「有名」な貸本屋がひとつづつ紹介される。
いろは屋「ここは相当高級なものまで仕入れてあったし」
牛込「丸清」「いつも別の小さい風呂敷包を手に持っていた。実はこれが曲者で、この小風呂敷の中は、春本春画ばかりで、特別のお客にだけ高い料金で借覧させた」
という。

 貸本屋が下火になるとともに、新たに起ったのが雑誌回読会であった。大震災前はさほど繁盛もしなかったが、震災後の本の枯渇時代に急に利用者が殖え、意外に大部数を仕入れるようになったので、小売書店がその防衛のために騒ぎ出し、発行者及び当時の五大取次店は、回読会には新刊雑誌を供給してはならぬという議決をした。その頃の書籍商組合は、出版屋と小売店との大合同であったから、数を以ては、国利点の勢力が