shorebird 進化心理学中心の書評など

2017-02-28 Language, Cognition, and Human Nature その69

Language, Cognition, and Human Nature 第6論文 「項構造の獲得」 その8 07:32 Language, Cognition, and Human Nature 第6論文 「項構造の獲得」 その8を含むブックマーク


ここまでにピンカーは所格転換と与格転換を用いて,項構造転換に見られるルールには広い制限と狭い制限があり,前者はユニバーサルな言語特性で子供は生得的に身につけているが,後者はそれぞれの言語特異的で子供は学習によって獲得していくのだということを説明した.最後に残った謎は,その獲得過程に関する問題だ.


6. なぜ子供は項構造について,間違いを犯し,そしてそのうち間違えなくなるのか.

  • この謎には最後のピースがある.
  • 私は子供が項構造を間違うのは狭いルールについてだけだと示唆した.子供は広い制限をまず間違えない.そして狭いルールについての間違いも実際には少ない.
  • ではそもそも子供はなぜ間違いを犯すのだろうか,これは学習可能性のパラドクスの1つなのだ.

  • ほとんどの子供の間違いには2つのソースがある.そしてこの2つともこれまで説明した心理学的メカニズムと整合的だ.
  • 1つ目のソースは,子供は動詞の意味を瞬間的に学習するわけではないということだ.(おそらくできないからだろう)理論によれば,大人も子供も,動詞の統語的項構造を,その語彙論的表出からリンクルールを経由して算出する.ということは,もし子供が動詞の意味論的表現について間違えたなら,それが学習が完全でなかったための遅延であっても,記憶容量の問題による一時的な間違いであっても,動詞の統語論についても間違って形成してしまうだろう.子供が動詞が多様な状況で使われるのを観察しながら動詞の意味をファインチューニングするなら,統語論は自動的に正しく形成されていくだろう.(例としてfillという動詞の意味をファインチューニングしながら獲得していく過程が解説される.子供は動詞の意味として状態変化より動作の様相に注目してしまう傾向があるので,それを修正していかなければならない.そしてその過程で様相にかかる意味論を持っていると間違った項構造に導かれる.しかしファインチューニングが進めば正しい項構造のみに収束する)
  • もう一つのソースは,なぜそんな間違いが派生するかの理論すら不要なものだ.それはそもそも間違いとは言えないものなのだ.おそらく子供は広い制限の中で時に冒険的に一般化を行ってみる.そして間違いだと知れば心的なエントリーを作らずにすぐにそれを棄却するということを行っているのだろう.これに関する証拠が2つある.
  • 1つは,子供はそれを時に破っているときでも狭い制限について理解している節があることだ.(子供がルール破りの文を発言しすぐに言い換える例,自分もそういう間違いを犯しているのに他の子供の発言を訂正する例がいくつか紹介されている)
  • さらに大人でも同じ現象が観察される.大人は,一時的によりコミュニケーションを円滑化するために,動詞に(広い制限内だが,狭い制限を超える)新しい項構造を適用することがある.しかしあとでこのような用例を見せられると,それを非文,あるいは疑問がある用例と判断するのだ.(いくつか採集例が載せられている)

  • 大人と子供な間の語彙のギャップや,会話に関する感受性の差から,一部の間違い(例:button me the rest)の方がより「子供らしい」感じを与える.しかしそれを除くと子供の間違いと大人の間違いは本質的に同じだ.
  • 文法性はあるかないかの二値的なものではない.転換可能動詞(狭い制限の内側)と不可能動詞(広い制限の外側)の間には,動詞が時にある項構造を許容し,時に許容しないようなグレーゾーンがあるのだ.

要するに,間違いには,時に間違った一般化をしてしまい,それが訂正されていくという現象と,まず試してみるという現象の両方があると言うことだろう.ある意味当たり前のようで,なぜここでこうこだわっているのかよくわからないが,おそらく発達心理学業界ではいろいろと問題になるところなのだろう.


要約

  • ここで概説した理論は簡単にまとめられる.
  • 項構造の獲得にはパラドクスがある:言語には子供が利用している一般化がある.しかしその一般化には語彙的な例外があり,子供は過剰に一般化した際に親からの訂正を期待できない.
  • 私はこのパラドクスは以下のように解決できると主張する:話者は,一般化できる動詞かできない動詞か,あるいは一部のみできる動詞かについてのある種の意味論的形態的な基準を用いている.広い一般化原則は(決して破られることはなく)項構造転換の文法的な性質からもたらされる.項構造転換は,動詞の意味を微妙に変える語彙的意味論的な規則と,意味を統語論的項構造にマッピングするリンクルールの相互作用になる.
  • リンクルールはユニバーサルで,言語獲得の中で間違えられることはない.語彙的意味論的構造,あるいは意味の表出は,文法関連要素と固有の要素からなる.前者は一般化の狭い境界を作り,子供の間違いはこの境界を越えない.子供の間違いは一時的な動詞の意味の表出の間違いか,大人も間違うような一時的な文法の創作によるのだ.

ということで第6論文は終了だ.最後はユニバーサル文法とパラメータの調整という形に収まって,なかなかエレガントな論文だと思う.

2017-02-26 訳書情報「ドーキンス自伝 II」

訳書情報「ささやかな知のロウソク:ドーキンス自伝 II」 07:31 訳書情報「ささやかな知のロウソク:ドーキンス自伝 II」を含むブックマーク

以前私が書評したドーキンスの自伝の第二巻が,原著出版後1年半を経てようやく邦訳出版された.邦訳出版時期が特に遅いわけではないが,自伝の第一巻は原書出版後9ヶ月で邦訳がでていたので,今回は随分待たされたと感じる人も多いだろう.(なお本書はハードカバー出版後のタイムラグ1週間でKindle化されるようで喜ばしい.)原題の「Brief Candle in the Dark」は「暗闇の中の短いロウソク」というほどの意味だが,シェイクスピアのマクベスの台詞をカール・セーガンが科学について語るために引用したという経緯を受けたもので,なかなか日本語にうまく訳出するのは難しかっただろう.「ささやかの知のロウソク」はなかなか苦心の跡が見えるいい邦題だと思う.

第一巻は生い立ちから「利己的な遺伝子」の出版までを時系列に沿って描いたオーソドックスな自伝だったが,第二巻は,趣向を変えて,後半生についてテーマごとの想い出と逸話集のような体裁で書かれ,ジガバチのESSリサーチ,クリスマスレクチャー,「延長された表現型」以降の主張な著作の解説などが次々に語られている.そして最後に自分がこれまでに主張してきたことをテーマごとに解説する長い章を置いて締めくくっている.ファンにとっては必読書だ.

私の原書の書評http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20151027



原書

Brief Candle in the Dark: My Life in Science

Brief Candle in the Dark: My Life in Science


なぜか英国版のKindle版も出ていて価格設定が異なっている.いま見ると米国版のポイント込み1300円に対して,こちらはポイント還元が700ポイントついてポイント込みで650円ほどとお安くなっている.アマゾンの価格政策は謎だ.(2/26現在)

Brief Candle in the Dark: My Life in Science

Brief Candle in the Dark: My Life in Science



自伝第一巻原書.私の書評http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20131011 こちらは米国版Kindleの方が格安.現在ポイント込みで200円を切った価格設定になっている.(同じく2/26現在)

An Appetite for Wonder: The Making of a Scientist

An Appetite for Wonder: The Making of a Scientist


英国版.こちらはポイント還元込みで650円ほど.(同じく2/26現在)

An Appetite For Wonder: The Making of a Scientist

An Appetite For Wonder: The Making of a Scientist


同邦訳

2017-02-24 Language, Cognition, and Human Nature その68

Language, Cognition, and Human Nature 第6論文 「項構造の獲得」 その7 21:46 Language, Cognition, and Human Nature 第6論文 「項構造の獲得」 その7を含むブックマーク


ここまでピンカーは.所格転換,与格転換についての理論を提示してきた.では子供はそれをどのように獲得するのだろうか.ここは当然ながらユニバーサルな文法については生得的な知識,その中でのパラメータ設定は学習によって獲得という議論になることが期待される.


5. 項構造のルールはどのように学ばれるのか

  • さて,これで私たちは,項構造転換に関してのルールについて幾分か理解できた.次は子供がどうやってこれを獲得し,何故時に誤るのかを考えることができる.
  • ある1つの言語には許される特定の項構造転換があるということ自体は,動詞を項構造とともに捉える子供にとって理解しやすいだろう.周りが話しているのを聞いていると,ある動詞が複数の項構造の元に現れることがわかる.問題はそのような転換が許される動詞と許されない動詞の区別をどうやって知るのかということだ.

  • ここで一般的な転換を制限する必要条件と十分条件(狭い制限)の2つのルールがあったことを思いだそう.

  • 必要条件は広い制限であり,例えば「容器所格構造は状態変化を表す」などのルールが該当する.
  • 子供はこれらの広い制限ルールを学習によって獲得するわけではないと考えることも可能だ.
  • 子供の言語獲得メカニズムによって,単一の統語ルールとして一般的転換ルール(動作主+動詞+内容物+onto/into+容器 → 動作主+動詞+容器+with+内容物)を身につけることは不可能なのかもしれない.
  • そうではなく,子供は語彙的意味論的ルールとしてどの項構造が許されるかを最初から定式化できるのかもしれない.つまり項構造を統語的なポジションにマッピングすることが「生得的な」言語獲得メカニズムとしてできるようになっているのかもしれない.そしてそれを示唆する証拠がいくつかある.

  1. 第1に,転換に関する広い制限(第1のルール)は言語間でかなり普遍的であり,おそらくユニバーサルだろう.リンクルール(第2のルール)もほぼユニバーサルのようだ.
  2. 第2に,子供は,自発的会話に置いて,意味論的広い制限に関する間違いをまず犯さない.子供は動詞に係る統語論的なアレンジによって偽の一般化に誘導されたりしないのだ.(観測されないエラーの例が列挙されている;* I followed the room with him.など)
  3. 第3に実験において子供は非常に幼いうちから広い制限に従う.年齢が上がっても変化はない.

要するに広い制限である2つのルールはユニバーサル文法の一部であり,子供は生得的にこれを理解しているということになる.ピンカーは続いて狭い制限に話を移す.


  • 子供が身につけるべきもう一つの種類の制限は,転換の十分条件である狭いサブクラスの制限(連続的接触と動きに関し,動作主が内容物を容器に向けて押して動かす動詞は所格転換が可能など)だ.これらの制限は言語間でユニバーサルでなく,学習により獲得されなければならない.
  • このような学習を説明するためには,狭いルールを構成する何十もあるサブクラスとそれに含まれる何百もの動詞の正確な意味論的な表出を見極める必要がある.「Learnability and Cognition」の第5章は,この動機付けのために書いたものだ.
  • キーになる発見は,動詞の意味表出は2つの種類の意味論的なシンボルを含んでいるということだ.
  • 1つ目は少数のユニバーサルで基礎的な概念セットで,因果,力,経路と場所のトポロジー,所有,対象物の粗い特徴(堅さ,拡張性,その方向,・・・)などだ.そしてこれらのシンボルは「原因」「移動」「行動」「所有」「経路」「様相」「方法」表面」「表面の特徴」「時間軸」などを含んでいる.
  • もう一つは特定の言語の特定の動詞に特有な概念セットで,膨大な数がある.そのシンボルには「歩行の際の特定の様相」とか「物質の中での特定の種類」とかが含まれる.
  • 例えばbutterという動詞は「何かバターのような物質で覆われるようにする」という意味を持つが,基礎的シンボルは「何かで覆われるようにする」を示し.特有シンボルは「バターのような」を示す.
  • 一般的には基礎的シンボルは「文法的に関連する」ように現れ,多様な言語の中で,ユニバーサルな少数の閉じた機能的な形態素にエンコード可能だ.(例えば代名詞,アスペクトに関する活用,使役形態素などがある)
  • そして重要なことに,項構造転換に関しては,統語的に凝集した動詞のサブクラスを明確に定義づけるような特徴があるのだ.
  • これが子供の学習に関する単純な理論を提供する.子供が非常に狭い形で転換を一般化するときには,この基礎的で文法的な部分と特定動詞特有な部分の対比について強く注目している.つまりこの基礎的文法的部分のみを使って一般化し,特有部分は可変だと処理するのだ.そうすることによって一般化を同じ狭いサブクラスの動詞のみに適用できるようになる.(throwの例文からkickに一般化するが,liftには一般化しないという例が具体的に説明されている:throwとkickは「物体に瞬間的な力を加え,その後はその物体に自律的な動きをさせる」という意味で同じサブクラスに属しているが,liftは属さない)子供はこのような狭いルールを1つずつ身につけるのだ.
  • 最後に,子供は音素的に似た動詞のクラスにこのような狭いルールを適用する傾向がある.(これにより英語ネイティブな動詞に二重目的語構文が取られやすいことが説明できる)

  • 子供が動詞の構造の転換ルールの創造に関して意味論的に類似の動詞に限っていることについては証拠がいくつかある.
  1. 子供はまれにしか間違わない.基本的に保守的だ.
  2. 実験において,子供は二重目的語構文を創造するより,二重目的語構文になったことを聞いたことのある動詞に限る傾向が強い.受動態についても同様だ.
  3. 子供は二重目的語構文を動作に関する動詞に一般化しない傾向がある.両親の子供への発話においては動作にかかる動詞で二重目的語構文はまれにしか現れないからだと思われる.実験で,動作のある動詞の二重目的語構文を最初に多く提示すると,子どもは新規の動作に係る動詞について二重目的語構文を作りやすくなる.

狭い制限の方はなかなか難しい.ピンカーの主張としては,これらは基本的に個別の学習により獲得していくのだが,その中にも基礎的なシンボルが凝集したサブクラスを形成するというユニバーサルな特徴があり,子供は「そのようなサブクラス間では項構造転換が一般化できる」ということを生得的に知っているということになるのだろう.

2017-02-21 書評 「ルービンシュタイン ゲーム理論の力」

[] 「ルービンシュタイン ゲーム理論の力」 19:03  「ルービンシュタイン ゲーム理論の力」を含むブックマーク


本書は経済学者でゲーム理論家であるアリエル・ルービンシュタインによるゲーム理論をテーマにした本だ.理論の解説書でも単なるエッセイでもなく,ゲーム理論と社会の現実の問題の関係についての深い洞察を様々なお話を通じて緩やかに語る不思議な本になっている.原題は「Economic Fables」となっており,ゲーム理論の本質は一つの「寓話」であるととらえるべきだと著者の思いが込められている.*1


序章

冒頭は著者が会計士だった父親へ尊敬の念を抱いていたことを語り,しかしイスラエルで所属する大学が会計学の講座をもうけようとしたときには一人で抵抗したという思い出話から始まっている(著者は親の代に東欧からイスラエルに移住したユダヤ人だ.).これは経済学が簿記のような実務的な問題解決の学問ではないという著者の意見表明なのだ.著者は経済理論は「モデル」と呼ばれる「寓話」を通じて表明される「思想」であり,科学的に探求される「絶対的な真実」ではないと主張する.

ここから著者は様々なゲーム理論のモデルとその帰結を説明し,それが示唆する物語,しかしそれは前提に大きく依存することなどを具体的に語る.経済モデルは人生の理(ことわり)を探求するためのものだが,だからといって予測や助言にすぐ役立つものではない,というのが本書の大きなテーマになる.


第1章 合理性と非合理性

ちょっとした思い出話の後,経済学の前提である合理的経済人の仮定を扱う.ここではまずよく世間に誤解される微妙な部分「選好の意味(それは金銭的なものだけではない)」「あたかも何らかの最大化を行っているような行動(真の意思決定過程には興味がない)」「選好と幸福との関係には無関心」あたりを解説しする.なかなか微妙な部分がわかりやすく解説されている.

続いてカーネマンとトヴァルスキーが明らかにした非合理性の実例に話が進む.ここでは1970年代のイスラエルの政治状況の解説が面白い.ユダヤ人の権利をひたすら主張する強硬派のペギンと事実に基づき冷静な主張を行うラビンが登場するが,著者は最後に(心情的には全くペギンを支持できないが)両者の評価は難しいとコメントしている.また感情的な出来事に際しては自らも時に非合理的な心情に陥ることを告白している.

また心理学や行動経済学の実験でよく行われる「少額の金銭的報酬をインセンティブとする」という実務とその金額の少額性を問題にする批判についてもコメントしていて面白い.著者は大きな金額が関わる問題だけが重要ではないし,そもそも被験者の選択は仮想的な報酬をイメージさせたときとほとんど変わらないのだから実際の報酬自体不要ではないか,さらにはなぜ哲学のように研究者の自己申告では満足できないのかとまでコメントしている.またここでは統計的な有意性の問題より研究者の信憑性の問題の方が重要であるとも指摘していて興味深い.

またここでは合理性の仮定の擁護に進化論を持ち出す論者についてもコメントがある.これは進化心理学的なきちんとした考察ではなく,ナイーブな「合理性がある方が有利だからそう進化したはず」という議論のようだ.著者は「非合理的な個人が本当に絶滅するかどうか明らかでないし,そもそも非合理的な個人がいなければ合理性が有利にならないのではないか」とコメントしているが,これも進化動態についてナイーブな議論だといわざるを得ず,いただけないところだ.

最後に著者は「結局私は合理的でありたいのか」という哲学的な問いを行っている.著者はそれはたどらない方がよい道であり,「(私は)合理的人間が打ち負かされるのを観察して喜びを得ている」とだけコメントするとしている.なかなか含蓄のあるところだ.


第2章 ゲーム理論:ビューティフルマインド

冒頭でナッシュの思い出が語られ,ゲーム理論ナッシュ均衡の概念について様々な逸話を交えた解説がなされる.相手の手を読み合っていけばどういう均衡点にたどり着くかというポイントがうまく描かれていて読みどころだ.

では現実世界でナッシュ均衡はどういう意味を持つのか.著者は「人々がそういう場面でどういう手を選ぶのかはわからない」とする.

ここで例に挙げられているのは「2人のプレーヤーがそれぞれ180ドルから300ドルの金額を選ぶ.低い方の金額をAとすると,より低い金額を選んだプレーヤーはA+5ドル,より高い金額を選んだプレーヤーはA-5ドルを受け取る」というゲームだ.(このほか最後通牒ゲーム,ナッシュ均衡が生じない形のゲームなども扱われている.)

このナッシュ均衡は180ドルになる.しかし実際に人々がプレーするとナッシュ均衡である180ドルを選ぶのは2割ほど,4割は最高額の300ドルを,2割が295〜299ドルという戦略的な金額を選ぶ(そして様々な国と地域で同じような傾向になる)そうだ.

著者は「他人を蹴落としてまで得をすることをいやがるような選好があれば300は最適になりうる」とコメントしている.あるいは純粋に金銭的な選好だけでも人々の選択の分布について推定(つまり人々がどの程度ナッシュ均衡からはずれた手を選ぶかという推定)があればナッシュ均衡以外の手が最適になりうると思われるが,著者はそこはコメントしていない.(著者は,最後通牒ゲームの50%オファーするという選択への解釈についても「公平さを選好にカウントすれば最適になる」というコメントを行って一貫しているが,やはり公平さに無関心でも「相手は自分が損になっても報復するだろう」と予想していれば最適になりうるだろう)

そして著者はゲーム理論の均衡が実務上の有用性には結びつかないことを力説している.ゲーム理論的状況での人々の行動にはパターンが見いだされるが,それは理論的分析とは弱い結びつきがあるだけなのだ.またチキンゲームや囚人のジレンマではゲーム理論的な分析通りの選択は世界を悪い方向に導くとコメントする.(このあたりはそれぞれのゲームの単純化した前提と現実の差異,そして先ほどと同じ人々の行動予測の問題でもあるという気がするところだ)

最後に著者はナッシュの逸話に戻り,ゲーム理論の面白さを,それは世界を考える方法に触れることであり,その中にビューティフルマインドを見いだせるのだと語っている.


第3章 ジャングルの物語と市場の物語

この章では「モデル」の寓話のとしての性格を際だたせるために2つの仮想的経済概論を提示している.片方は「ジャングルモデル」で財の分配は力によって決まり,片方は「市場モデル」で財の分配は自発的交換によって定まる.

ジャングル経済は楽しい頭の体操で,各プレーヤーに戦闘力と選好が与えられると初期分配から均衡分配にどのように導かれるかが解説されていて楽しい(市場モデルでは各プレーヤーの選好と初期価格がパラメータとして設定されると均衡分配が導かれる)

著者はここから「パレート最適」「外部性」などの概念を解説し,配分に与える影響は制度よりも選好の方が大きいとコメントする.なおこのジャングル経済は,「最も強い戦士が全ての財を独占する」という均衡にならないために「複数財の同時保有に制限がある」という前提がおかれている.この前提も制度に含めれば,著者のこのコメントには疑問もあるところだ.


第4章 経済学と語用論,そして7つの落とし穴

この章は学際領域がテーマになっている.そして語用論の経済学的な考察が始まる.

ポール・グライスに始まる語用論の初歩をまず解説してから,著者は「説得の場面における語用論」を考察する.著者の考察はゲームの場面に沿って展開されるが,要するに「互いに利害が一致していない場面での発話は相手の操作を目的としているはずだ」というドーキンスとクレブスによる進化生物学的シグナル理論に近いものになっていて面白い.

議論は例に挙げられているゲームと著者による読者の説得というメタ構造を巡り,制度設計問題に発展し,専門家の意見を引用する複雑なゲームを行うモデルを組み立て,選択問題試験への回答方法を考える.ここは著者が自由に発想を広げていて興味深い話題が満載だし,所々に読者をはっとさせる警句(落とし穴*2)を提示していて大変楽しい.


第5章 (ある種の)経済政策

子供の頃のユダヤ教や社会主義を巡る思い出話の後,著者は経済政策は「どのようなゲームを行うか」に似ていると主張する.それはプレーヤーとしての参加資格は誰にあるか(移民政策,外国人労働者政策のみならず,出生奨励政策や教育政策も含まれる.そして経済学では参加が望まれないプレーヤーにどうすればいいかという問題には対処できない.)どのような行動が許されるか(ありとあらゆる規制の問題)を定めるものなのだ.

またここではプレーヤーサイドにある厄介な問題にも触れている.非常に富裕な人たちがさらに成功自体や権力に魅せられてしまうと富が集中する.また資産について私的保有と公的保有をどう定めるかについては感情的な議論しかないと著者は指摘している.さらにプレーヤーの非合理性やゲームのルールの柔軟性も面白い問題を引き起こす.ゲームのルールの変更は利害の対立を生み政治問題化する.そして特にイスラエルについては国防にどこまで税金をつぎ込むかという問題も大きい.

著者は特に何らかの結論を出しているわけでもなく,ゲームの外側の様々な問題をエッセイ風に語っているだけだが,長年いろいろ考えていたことだけあって深さを感じるところだ.


 

本書は経済モデル,特にゲーム理論の本質について第一人者による洞察が語られていて内容的に深い.そしてそれを著者自身の人生経験,イスラエルの難しい政治状況,いかにもしゃれた数々のゲームの解析をちりばめながら語るという形で提示し,さらに語り口に独特の味があり,かなり抽象的なテーマにも関わらず読者を飽きさせない.

私としては合理的経済人の仮定の部分が興味深かった.ヒトの非合理性は損失回避などのバイアスを生み,様々な経済理論に影響を与えるはずだが,価格に対する取引の意思決定の問題においては合理的経済人の仮定は近似的にはほぼ成り立っていて全体的にそれほど大きな破綻をきたさない.しかしナッシュ均衡を選ぶかどうかという意思決定問題に対しては大きくずれてくるというのはなかなか面白いところだ.それはしばしば経験するゲーム状況においてナッシュ均衡を回避することに大きな適応度的なメリットがあったために様々な心理的な性質(その中には著者がいう公平などの道徳感情もあるし,それ以外にもコミットメントとしての感情などがあるだろう)が進化したということなのだろう.だから進化心理学的にも囚人ジレンマや最後通牒ゲームがよく問題になる背景ということになると思われる.

おそらく様々な読者がそれぞれの視点で興味深い論点を見いだせるだろう.ゲーム理論に興味がある読者には特に推薦できる深い書物だと思う.


関連書籍

原書

Economic Fables (English Edition)

Economic Fables (English Edition)

*1:そういう意味ではこの邦題の付け方はややずれているような気がするところだ

*2:多くは学際研究に巡る落とし穴だが,「研究者の利害に注意せよ」「実際のところ私たちは自分の取り組んでいることについてはっきりわかっていない」というものもあって面白い.

2017-02-18 Language, Cognition, and Human Nature その67

Language, Cognition, and Human Nature 第6論文 「項構造の獲得」 その6 19:18 Language, Cognition, and Human Nature 第6論文 「項構造の獲得」 その6を含むブックマーク


所格転換と同じく与格転換も2つのルールは必要条件に過ぎない.ピンカーのパラレルな説明は続く.


4 与格転換への理論拡張 その2

  • さらに,やはり所格転換と同じで,この理論だけではすべての現象を説明できない.所有の変化は与格転換の必要条件だが,十分条件ではないのだ.所有の変化を簡単に意味することができる動詞でも転換できないものがあるのだ.
  • giveとpassは転換可能だが,類似の意味を持つdonateとtransferは転換を許さない.同様な例は(tell, wright)と(shout, whisper, say),(throw, flip, kick, bring, take)と(pull, carry, lift),(make, build)と(create, design),(buy, get)と(choose, select)の間にもある.
  • この問題の解決も同じだ.話者は広いルールを直接適用していないが,狭いルールを身につけている.そしてこの狭いルールが特定の動詞群のみを所有の変化を可能にする意味を持ちうると決めているのだ.


  • 与える:give, pass, send, hand
  • 将来的な所有:offer, promise, bequeath, leave, refer
  • 自律的な動きを生じさせる:throw, toss, flip, kick, shoot
  • 付随動作の方向を示す:take, bring
  • コミュニケーションの内容/メッセージのタイプ:tell, show, ask, teach, write
  • 創造:bake, make, build, cook, sew, knit
  • 獲得:get, buy, find, steal, order, win
  • 上記に類似していても以下のような意味を持つ動詞は転換を許容しない
  • 付随動作の様相を示す:carry, pull, push, lift
  • 条件を満たしている/受けるに値する:credit, reward, entrust, honor, supply, furnish
  • しゃべり方の様相:shout, scream, murmur, whisper, yell
  • 選択:choose, pick, select, favor, indicate, prefer, designate
  • 与格の場合,狭いサブクラスの定義にかかる基準はもうひとつある.
  • 英語ネイティブな動詞(ラテン語などから派生したものではない英語に元々ある動詞で,通常単音節で構成される)はより転換しやすい:ネイティブとラテン語派生の動詞の対比は以下のようになる.

give vs. *donate

tell vs. *inform

throw vs. *propel

make vs. *create

get vs. *obtain

  • この2番目の基準は実験によって示されている.架空の動詞を作って二重目的語構文を作れるかどうか調べると,被験者は(大人も子供も)単音節動詞でより二重目的語構文を使用するのだ.

このピンカーの理論拡張編は所格転換と与格転換のパラレル性が見事に示されていて印象的だ.とはいえなぜ英語ネイティブ動詞とラテン語由来動詞で与格転換に関するサブクラスが変わってくるのだろうか.ピンカーはここでは解説してくれない.もともとの英語にあった特徴のはずはないから,何らかの歴史的なバイアスが固定化したということだろうか.日本語だと漢語や欧州諸語由来の「○○する」という動詞の方がより所格転換しやすいが,それとパラレルな現象なのだろうか.いろいろ興味が尽きないところだ.

またピンカーはこの論文においては動能交替や受動態について詳しく解説していないが,そこにもパラレルがあるようだ.

動能交替でいうと,「He cut the bread」だとパンは切断されるが,「He cut at the bread」では切断されていなくてもいいということになる.なお二重目的語構文と同じく,日本語には動能交替もないようだ(類似のものはあるのかもしれないが,私には思いつかない).「武蔵は小次郎を切った/武蔵は小次郎に切りつけた」のように異なる動詞を使って表すのが基本なのだろう.このあたりも英語の目的語の重みが関連するのだろうか.ここも興味深い.

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