shorebird 進化心理学中心の書評など

2017-01-18 Language, Cognition, and Human Nature その60

Language, Cognition, and Human Nature 第5論文 「自然言語と自然淘汰」 その22 07:41 Language, Cognition, and Human Nature 第5論文 「自然言語と自然淘汰」 その22を含むブックマーク


言語が進化産物かという議論,最後に系統的連続性の問題を議論する.

5.4 系統的連続性

  • ベイツ,グリーンフィールド,リーバーマンなどの論者は「もし言語が自然淘汰により進化したのなら,遺伝要素の99%を共有し,わずか5〜7百万年前に分岐したチンパンジーのような近縁種にその祖先形態が見られるはずだ」と主張する.同じように「(言語が進化産物なら)どのような生物学的能力も無から生じるわけではないのだから,ヒトに文法と連続するような非言語的な能力もあるはずだ」と主張する論者も存在する.
  • リーバーマンは運動プログラムは統語ルールの前適応だと主張し,ベイツとクリーンフィールドはコミュニケーションのための身振りが言語的なネーミングになっていったのだと示唆している,ベイツたちはこういっている:「私たちは生成文法で30年間主張されてきた強固な(言語についてヒトと近縁種にある)非連続性の主張を放棄すべきだ.私たちはヒトが他種と共有する心的な要素としての象徴と統語に(言語を)基礎づける方法を見つけなくてはならないのだ」
  • (これに関して)特定の実証的な主張が議論されている.セイデンバーグとペティートは類人猿の身振り能力のエビデンスをレビューし,「彼等には,実質的なヒト言語との類似も,それを獲得する過程についても見いだせない」と結論づけている.ペティートは手話獲得過程のリサーチの中で,非言語的ジェスチャーと手話名詞は,同じようなな身振りや見え方になっていたとしても全く異なるものだと主張している.ではこれらの主張はヒトと近縁類人猿の断絶を意味し,言語が進化産物であることを否定する根拠となるのだろうか?

  • 私たちはセイデンバーグとペティートの示したことについては説得力があると思っている.しかし私たちの「言語が進化産物である」という主張は,ヒトと近縁種の違いが連続的かどうかということに依存してはいない.
  • 私たちはむしろ「近縁種との間の連続性が進化産物かどうかの判定基準になる」という主張を否定する.もちろんヒトの言語は(他の複雑な適応産物と同じく)一晩で進化したりはしない.しかしだからといって,どのような淘汰産物についても現存近縁種に祖先形態を見つけることができる幸運が科学者たちに保証されているわけではないのだ.
  • 最初の祖先形態が顕現したのは,チンパンジーと分岐した後のアウステラロピテクス時代,あるいはそれより後だったのかもしれない.加えて,チンパンジーも分岐以降独自の進化を経ている.ヒト言語との相同物を持つ生物がすべて絶滅しているということはありうるのだ.
  • チンパンジーとの分岐以降に言語進化が生じたとしても)進化可能な時間は十分にある.アウストラロピテクスが最初の言語祖先形態を顕現させた種であれば3.5〜5百万年ぐらいはあっただろう.(化石に残るブローカ野の肥大具合から見て可能性は低いと思われるが)サピエンスになってからだとしても最低限数十万年はあったことになる.
  • またDNAデータを無視して結論を出すことは正当化できないだろう.ヒトとチンパンジーの間には40百万塩基対の違いがある.そして(初歩的なシンボル操作が残りの99%で可能であるとするなら)ユニバーサル文法を生みだすのにその10メガバイト*1では不足だという合理的な根拠はどこにもない.
  • 実際のところ単なる非共有遺伝要素の量よりも,デザインの違いの方がより注目されるべきだ.ヒトとチンパンジーの1%の差というのは異なる塩基対の割合を指している.しかし遺伝子というのは長い塩基配列であり,そのうち1つの塩基対が異なっていても当該遺伝子の全体的な機能が異なってくる可能性があるのだ.*2だから1%の塩基対が異なっていれば,(理論的には)すべての遺伝子機能が異なっている可能性がないわけではない.もちろんこんな極端なことはありそうもないが,いずれにせよ塩基対の割合で何かを結論づけるのは妥当な態度ではない.
  • 言語と非言語の神経メカニズムの連続性についていえば,私たちは,「生物学的」と名打った議論が相似と相同の初歩の区別すらできていないことに皮肉を感じずにはいられない.リーバーマンの「統語ルールは運動プログラムを書き換えたものに違いない.それは前適応だった.」という議論は良い例だ.その通りなのかもしれないが,それを信ずるべき理由はどこにもない.リーバーマンの挙げる根拠は,「運動プログラムは階層的に組織化され,逐次的に実行されており,統語ルールも同じだ.」ということだけだ.しかし「階層的な組織化」は多くの神経システムの特徴だし,私たちが「複雑」だと考える(生物,非生物を問わずに)すべてのシステムに見られるものだ.そして現実の時間の中で機能する組織体は,逐次的な実行を行う様々な知覚,運動,集権メカニズムを持つ必要があるだろう.階層性と逐次性は非常に有用なので,神経システムの中で何度も進化したと考えられている.単なる相似から真の相同を区別するには,何らかの非適応的な派生形質が共有されていることを確かめる必要がある.例えば文法の何らかの奇妙な癖が(相同性があると考える)別のシステムにもあるというようなことだ.
  • 統語ルールと運動プラグラムの間にそのような派生形質は見当たらないし,そもそも両者の非相似性は衝撃的なほど大きい.運動プログラムは距離のゲームであり,時間と空間に関しての連続量パラメータを必要とする.統語にはそのような量的パラメータは存在しない.
  • よりましな候補をあげるとするなら「トポロジーと対立する力の概念化」だろう.しかしそれはまた別の話になる.

「連続性が現生生物間に見つからなければ適応ではない」というかなりお粗末な議論に対してピンカーの舌鋒は鋭い.リーバーマンへの指摘は痛烈だ.これらの論者の進化生物学についての不勉強には相当腹を立てていたのだろうと思わせるに十分だ.

現在言語の再帰性にかかる前適応産物として仮説化されているものには「道具作成などの際に行う物体操作」「心の理論」などがあるが,この25年前のピンカーの指摘である「非適応的な共有派生形質の存在」にまで踏み込んで議論されているのはあまり見かけない.そのような「非適応的共有派生形質の存在」が保証されているわけでないのは「現生近縁種との連続性」と同じで,なかなか実証は難しいということなのだろう.

*1:40百万塩基対の差のことを言っている.1塩基対の違いは塩基が4種類なので2ビット,これが40百万対あるので80メガビット,すなわち10メガバイトという計算かと思われる.

*2:ここでピンカーは,すべてのバイト情報について,それぞれそのうち1ビットだけ書き換えれば全体で12.5%が異なるにすぎないが,テキスト情報は100%異なることになるのと同じだと説明している.いかにもコンピュータが普及しつつある時期の表現だ.

2017-01-15 書評 「きずなと思いやりが日本をダメにする」

[] 「きずなと思いやりが日本をダメにする」 19:47  「きずなと思いやりが日本をダメにする」を含むブックマーク


本書は社会心理学者の山岸俊男と行動生態学者の長谷川眞理子の対談を本にしたものだ.それぞれの分野で日本を代表する研究者である二人が,「『ヒトとはどういうものか』についての知見が社会心理学や進化心理学のリサーチを通じてここ20年ぐらいで積み重ねられてきているのにもかかわらず,日本の政治や行政においてそれを生かしてよりよい社会を作ろうという動きがとぼしいこと」に憤慨している中で行われた対談というわけで,いろいろストレートな発言があって大変面白い.基本的には進化により形作られたヒトの本性を無視すべきではないということ,ヒトの行動は「心」次第でどうにでも変わる(山岸はこれを「心でっかち主義」と呼んでいる)のではなく周りの環境によるインセンティブに反応しているのだということを強調する内容になっている.

第1章 「心がけ」と「お説教」では社会は変わらない

冒頭「心でっかち主義」でお説教しても問題は解決しないと意気投合したところで最初に取り上げられているのは少子化の問題.

長谷川は簡単に生活史戦略を解説した後,ヒトが共同繁殖戦略を進化させたことを説明し,母性神話の虚偽性を強調する.また政治家や各種審議委員の人々は統計を見ずに,適当な「心」仮説*1を単なる思いつきででっち上げてエビデンスもないのにそれに固執すると憤慨する.このあたりは行政の審議委員に呼ばれることの多い長谷川の心の叫びだろう.二人の対話では,少子化は避妊が簡単になったことと女性側からみた投資配分の変更で説明でき,これを押しとどめるには「心に働きかけてもだめで,制度変更が必要だ」と話が進んでいく.

第2章 サバンナが生み出した「心」

冒頭でマーガレットミードの「サモアの思春期」がでたらめだったエピソードを取り上げた後,進化心理学の初歩の解説がある.

そこから二人の対話は社会脳,ダンバー数,出アフリカと人類史をなぞっていく.ここからユニバーサルなヒトの本性の話になり,内集団びいき,眼の効果と話は進む*2.そして世間にある「日本人らしさ」は幻想であり,たとえばアメリカ人との違いは同じヒトの心が異なる条件に反応しているにすぎないという話題になる.日本人の謙譲の美徳とされるものは,クローズドな社会の中でつまはじきにされないための行動様式にすぎないということで二人の意見は一致して盛り上がっている.

第3章 「協力する脳」の秘密

前章の話題を引き継ぎ,結局ヒトはインセンティブに反応するのだという話が続く.そしてそのインセンティブがどのようなものであるかに大きく影響するのが「心の理論」ということになる.山岸はヒトの社会はお互いに心を読みあって安定状態にあるのだと解説する.なおここで面白いのは,リサーチによると,互いに読み合った結果,行動パターンがいったん安定状態に落ち着くと,その後はほとんどの場合にルール通りに自動的に行動が決まり,いちいち丹念に相手の心を読むわけではないという指摘だ.

もう一つ重要なのが「共感」ということになる.ここでは情動的共感と認知的共感の区別をした後,ヒトの行動は情動的共感に大きく影響を受けることが取り上げられている.山岸はここで,「しかし共感がないことが必ずしも反社会的なことにつながるわけではない」と指摘する.本当によい結果を得るためには冷静にストラテジックに決断すべきであって,そのときには情動的共感は抑えた方がよいと主張しているのだ.ここは最近読んだブルームの「Against Empathy」の主張と通じるところがあって興味深い.

続いて協力的知性,互恵的利他行動,裏切り検知の話題になる.4枚カード問題,ボームの「モラルの起源」における村八分罰にも触れながら進化心理学の様々な知見が解説されている.

第4章 「空気」と「いじめ」を研究する

このあたりから対談は総論から各論に移っていく.なぜ時に社会全体でおかしな方向に動いてしまうのか.それは個々の人間が「こう言ったら周りにどう思われるだろうか」を読み合って行動するからだ.山本七平はこれを「空気」と呼んだ*3.山本はこれを日本が第二次世界大戦に参戦した決定について考察しているが,似たようなことは世界中で生じている.山岸は,そういう状況を打破するのは簡単で,空気を読まない人が何人かいればいいのだと指摘している.

そして二人は,このような「空気を読む」ことがよく日本の文化伝統とされることに反発している.空気を読む方が有利というのは,ある環境条件下(共同体からつまはじきにされないことが死活的に重要など)での一種の安定均衡であって,社会のあり方によってドラスティックに別の均衡にシフトしうるのだ.

そして話は「いじめ」問題に移る.ここでは少なくとも小学校などで生じる子供のいじめは,ある意味子供が社会のあり方を手探りで学習する過程であって,「悪い心をお説教によって矯正する」ことによって根絶はできないし,監視と罰で強引に根絶しようとすること自体にも問題が生じうると議論している.二人はまず「チクったらさらにいじめられる」という状況をなくすような信頼される教師の存在が重要であり,より進化的に自然な「年齢にもっと幅を持たせたクラス」運営も試してみる価値があるだろうとコメントしている.

次は社会的ジレンマ.ルールを破った方が得をするというインセンティブ状況があると問題解決は非常に難しくなる.進化的には利他行動,共感性,そして直感的道徳でこの問題を解決してきたが,現代社会ではなかなかそれだけではうまくいかないということになる.二人の会話はハイトの6次元道徳に進み,実はその道徳には平等がないが,それはおそらく進化適応では採用されなかったのだろうと考察し,この話題は次章に持ち越される.

第5章 なぜヒトは差別するのか

冒頭で山岸は「差別は偏見から生まれるとよくいわれるが違うと思う」と指摘する.そこで重要なのは「差別をした方が得だ」という状況があるかないかだというのだ.ここはいかにも山岸らしくて面白い.だから差別をなくすには「お説教」ではなくて制度デザインが重要になると力説する.そして競争的な資本主義社会こそが実は差別をなくすには最もいいデザインだと主張する.身分が固定した内向きの社会では差別した方が得になり,競争的であれば出自ではなく能力が問題になるからだ.

ここから日本社会,特にその雇用慣行の評価に話が進む.二人の評価では日本的雇用慣行は(統計的差別を含む)差別の固まりで,学歴差別,性差別,非正規雇用差別などをなくすには「お説教」ではなく制度デザインの変更しかないということになる.企業にとって「身内を守る」より,誰であれ有能な人を雇う方が得という状況を作るべきなのだ*4.そしてアファーマティブアクションはそれ自体で結果の平等を求めるというものではなく,まず扉をこじ開けて被差別者にも有能な人がいて雇った方が得だということを示すために重要だということになる.そして長期的には差別追放が繁栄の鍵になる.

第6章 日本人は変われるのか

すると繁栄のためにはグローバル化には抗すべきではないことになる.ここでは二人はムラ社会よりグローバル社会の方がいいと意見を一致させている.二人ともはっきり発言していろいろ面倒に巻き込まれてきたのだろうかと思わせられる.

ここからは様々な話題がどんどん取り上げられ,さながらジェットコースターのように進む.対談が盛り上がっていることをよく示しているところだ.面白かったトピックには以下のようなものがある.

  • 日米のドーパミン受容体遺伝子の頻度差異:これまではヒトの心はユニバーサルだとして対話が進んできたわけだが,実際には差があることが最近わかってきた.遺伝子を見ると,平均してアメリカ人の方が新奇性追求傾向があり,日本人の方がリスク回避的であるらしい.長谷川はそもそもヨーロッパからアメリカに移住しようという人々は新奇性追求傾向が高かったのだろうし,その後の社会の違いが遺伝子と文化の相互作用を起こした可能性もあるとコメントしている.とはいえそれは逆に言えば社会を変えれば日本人の傾向もすぐに変わるということにもなるだろうともフォローしている.
  • 今の日本では「思いやり」と「気配り」を美徳とする風潮が力を持ちすぎだ.あれは内向き社会で弾き飛ばされないための行動傾向でグローバル化の流れとは逆行する.
  • 日本的雇用関係が崩れ始めた原因の一つは団塊の世代だろう.このこぶになった人々に高給を払いきれなくなって雇用が流動化し始め,非正規雇用が増えた.この傾向が続くと採用は能力次第になり学歴主義が廃れ受験競争が緩和されるだろう.
  • グローバル化や雇用の流動化に反対する人々はそれを倫理問題として語りたがる.競争社会は「打算的だ」と感じられやすいのだろうが,それは間違いだ.グローバル化が進むほど差別は減り,社会は繁栄するのだ.非正規雇用をおそれる必要はない.
  • 産業化が進むと「ただ黙々と作業をする」仕事は減る.だからコミュ障恐怖症があるのだろう.

雇用慣行への影響は団塊の世代よりデフレ傾向が続いたことの方が大きそうな気もするし,経済のグローバル化は能力主義への傾向を強めるとしても移民問題についてはどう考えるのかという論点が語られていないところはやや不満だが,対談集なのだから,どんどん話題が流れ,多彩な視点が提示されていく様子を楽しむべきものなのだろう.

第7章 きずなや思いやりが日本をだめにする*5

最終章は山岸の興味深い発見の紹介から始まる.

  • 相互協調性には2種類あることがわかった.何かの問題について手に手を携え一緒に問題を解決しようというポジティブ相互協調性と,波風立てずにやっていくというネガティブ相互協調性だ.後者はいわゆる「空気を読む人」で,いつもびくびくしている.
  • 独立性にも2種類ある.「誰も私に構わないで」というネガティブインデペンデンスと「他者と積極的に関わり,自己主張に躊躇しない」ポジティブインデペンデンスだ.しかし本来ヒトは社会なしには生きていけないのでネガティブインデペンデンスは達成が難しい.独立独歩で生きるには他者との関わりは避けてはいられないのだ.
  • 日米比較をすると,ネガティブ協調性が日本に多く,ポジティブ協調性がアメリカに多い.独立性は,ネガティブタイプには差がないが,ポジティブタイプはアメリカに多い.要するに日本では他者との摩擦のコストが高いので,「自己主張をせず,関わりを避けようとする」傾向が強くなるのだろう.

ここから二人は日本は和の国といわれるが,個人で生きていくにはリスキーで,いい子であることを強制される社会なのだと議論を発展させ,結局「摩擦を起こさないこと」がモラルになっていて,社会の活力が失われているのではないかと懸念を示す.

  • 「互いに思いやること」を良しとする社会は身内が足を引っ張り合う社会になりがちで,実際に高度成長期まではそういう重苦しい社会からの脱却が目指されていた.
  • しかし80年代ぐらいから「思いやり」がモラルになってきた.

山岸はそこから脱却するために「プレディクタブル」になることを勧めている.相手の心はわからないが,自分の行動を相手から予測されやすくすることはできる.自分の価値感や原則を明示して首尾一貫した行動をとることにより相手から信頼されるようになろうということだ.長谷川はこれに賛成し,多様性を認め,相互理解するためには「寄り添う」必要などどこにもなく,「私はあなたと違う」というところからコミュニケーションを始めて議論を深めるしかないとコメントする.

そして対談は,安心社会より信頼社会を目指すべきだし,お説教より制度構築だというテーマを繰り返して終わっている.

 

本書はあまりにも波長の合う二人が,昨今の「思いやり至上主義」と「すべての問題を『心』に働きかけて解決しよう」という風潮をコテンパンに批判する内容で,ヒトの本性や行動傾向についての深い理解を踏まえた内容は圧倒的に説得力があり,読んでいて爽快だ.

確かに狭い世界で互いの思いやりのみを強調する社会は「安心」かもしれないがどこまでも息苦しい.「思いやり」をモラルにして強制するなら,それは隣組による監視のある江戸時代やご近所や親戚に何かと気を使わざるを得ない昭和40年代までの日本社会につながる道になるのだろう.この「風通しの良いオープンな社会で互いに信頼しあう社会が望ましい」というのは山岸のライフワークのような主張だが,良き対談相手を得てそれがうまく表現できているように思う.私的には最近読んだブルームの「Against Empathy」の主張に重なるところもあり,非常に(認知的にも情感的にも)「共感」を持って読めた一冊になった.


関連書籍

ブルームによる,共感を社会の導く至高の善とすることを戒める本.本書の出版より少し前に刊行されたもの.私の書評http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20170103

Against Empathy: The Case for Rational Compassion

Against Empathy: The Case for Rational Compassion


山岸による信頼社会についての本.代表的なのはこの2冊だろう.

安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)

安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)

信頼の構造: こころと社会の進化ゲーム

信頼の構造: こころと社会の進化ゲーム


ボームによる狩猟採集社会におけるリーダーの暴虐に対する方策としての平等主義を扱った書物.私の書評http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20141228


山本七平による日本的な意思決定の欠陥についての本.

「空気」の研究

「空気」の研究

*1:1980年代に離婚率が下がったことをバブルにより経済的不満がなかったからだとか説明する態度.実際には世代ごとの離婚しやすさと人口動態で説明できる.

*2:ここで長谷川は「動物の社会の中でもヒトの社会が特殊なところは幻想の共有があるところだ」と指摘している

*3:ここで長谷川は最近の若い人たちが「空気の読めない人:KY」になることを極端に忌避することについて「あれは空気を読まなければというプレッシャーではなく,他人がKYである時にそれを指摘する事が空気を悪くするので指摘しにくい,そういう状況をいやがっている」と解釈していて面白い.本当にそういう複雑な話なのだろうか.

*4:オープンで競争的な市場,解雇の自由,転職市場の整備と政府による補助などがセットになる

*5:本書の書名はこの章題から採ったと思われるが,なぜ『や』を『と』に替えているのかはよくわからない

2017-01-12 Language, Cognition, and Human Nature その59

Language, Cognition, and Human Nature 第5論文 「自然言語と自然淘汰」 その21 21:58 Language, Cognition, and Human Nature 第5論文 「自然言語と自然淘汰」 その21を含むブックマーク


5.3.4 言語の社会的使用と進化加速

ピンカーは前節で,言語の再帰性のありそうな有用性としてプリマックたちがほのめかす狩猟における意図の伝達よりも社会的な文脈が重要だっただろうと指摘した.そして特に協力の場面が重要だったとして以下のように畳みかけている.

  • 複雑な言語の社会的価値こそがヒトの進化において重要だっただろう.それは特に個人間の協力的な相互作用において価値が高かっただろう.ヒトはかなり早い時期から食糧や安全や子育てリソースや繁殖機会を得るために協力してきただろう.そういう場面での適応度への影響は非常に大きい.
  • まず囚人ジレンマ状況からの脱却という状況があっただろう.そしてそのためには裏切り戦略を用いるチーターに気づくことが重要だったはずだ.この問題を解決するためには,相手の識別・記憶と「もしそれで利益を得るならコストも負担しなければならない」という契約を結ぶ能力が重要だっただろう.これだけでも微妙な統語法の違いを表す言語的能力に高い需要があったあろう.例えば「いずれ肉を分けるから,その果物を渡して欲しい」と「かつて肉を分けたのだから,果物を渡すべきた」の違いは重要だ.
  • そしてそれは始まりに過ぎない.協力はチーターに既にコストを払ったと相手を騙す機会をもたらす,そしてそれを見破る能力とさらにうまく騙す能力のアームレースが生じる.進化的なアームレースが起こると進化は加速する.
  • つまり獲物を捕ったり果実を探すのではなく,同じような認知能力を持つ相手とのアームレースこそが素速い進化を引き起こすのだ.アームレースは敵対者間に限られない.男と女,兄弟間,親と子の間にも本質的なコンフリクトがあるのだ.
  • 認知的アームレースにおいて言語能力の重要性は明らかだ.どの文化でもヒトの相互作用は説得の試みと議論によって行われている.自分に有利なフレームでオファーする能力,そのような試みを見抜きカウンターの提案をする能力は交渉ごとにおいてはとてつもなく重要だっただろうし,それは今日においてもそうだ.またゴシップを通じて相手の欲望や負っている義務を知る能力も同じく重要だっただろう.それらはヒトのユニバーサルでもある.
  • 要するに,原初のヒトは,言語が,政治・経済・技術・家族・セックス・友情と精妙に結びつき,それぞれの繁殖成功のキーになるような世界に生きていたのだ.彼等が「俺,ターザン,お前,ジェーン」のようなレベルの文法世界に生きていたはずはないのだ.

結論に近づき,ピンカーは当時の最新の進化心理学の知見をこれでもかこれでもかと引用していて壮観だし,ある意味なつかしい.ちなみに引用されているのは,アクセルロッド,ハミルトン,コスミデス,メイナード=スミス,トリヴァース,トービィ,ドーキンス,アレクサンダー,ローズ,サイモンズ,デヴォア,トヴァルスキー,カーネマンといった面々になる.引用論文数はこの短い節で合計19編になっている.

2017-01-09 Language, Cognition, and Human Nature その58

Language, Cognition, and Human Nature 第5論文 「自然言語と自然淘汰」 その20 16:11 Language, Cognition, and Human Nature 第5論文 「自然言語と自然淘汰」 その20を含むブックマーク



5.3.3 文法的複雑性と社会相互作用
  • あまり評価されていないのは言語が可能にする社会的相互作用が狩猟採集生活において重要だったかどうかということだ.
  • ヒトは生存のために様々な協力的な努力を行う.アイザック(1983)は2百万年前のホモ・ハビリスにおいても非血縁者間での社会的な相互作用に頼った生活の証拠があると主張している.言語はそのような相互作用に深く組み込まれていただろう.そしてそのような相互作用は現在の私達の「先進的な」社会のものと質的に異なってはいなかっただろう.
  • コナー(1982)は次のように書いている

戦争は知られていない.グループ内の揉め事は話し合いによって解決される.それは時に一晩中,あるいは数日,さらに1週間かかることもある.

サン族と2年間暮らしたあと,私は,更新世のヒトの歴史(つまり我々が進化してきた3百万年の歴史ということになる)は,一つの果てしないマラソン的な論戦グループとしてあるのだと考えるようになった.草小屋で寝ているとたき火の周りで交わされるいつ果てるともないやり取りが聞こえる.

もし判事や弁護士をやっていることが仕事だというなら,クン族が一晩中離婚について議論しているのも立派な仕事だ.神経分析医や聖職者のやっていることが仕事なら,クン族の呪い医者が病人を直そうと何時間もかけているのもやはり仕事と呼べるだろう.

  • このような会話は,社会的に重要な情報(例えば時間,所有,信念,欲望,傾向,義務,真実,蓋然性,仮定,非現実性など)を伝えるために貴重なものだ.もう一度いうと,再帰性は過剰にパワフルなデヴァイスなどではないのだ.ある命題を命題の中に埋め込む(「彼はAを信じている」「彼女は彼がAを信じていると言った」など)能力は他者の意図にかかる信念を表現するときには本質的に必要になるのだ.
  • さらにコミュニケーターのグループが注目や同情を集めようと競っているときには,聞き手に注目させ,興味を抱かせ,説得する能力には価値がある.これは会話や論理の技術,そしてそれを可能にする実務的に関連する文法デヴァイスを発達させることを促すだろう.サイモンズ(1979)による,部族の酋長はしばしば演説の達人で多くの妻と子を持つという観察は言語能力がダーウィニアン的なメリットをもたらしえないという主張に対する素晴らしい反論になっているだろう.

ここでピンカーが強調しているのは,要するに実際に狩猟採集社会で交わされている果てしのない会話においては,再帰性を持つ文法が使いこなされているということだ.マストドン狩りのための戦術を話し合うようなことより,グループ内のありとあらゆる揉め事,揉め事になりそうなこと,それにどう対処すべきかを話し合う上では確かに再帰性は非常に重要だろう.そしてヒトは進化途上でグループの規模を大きくしていったのであり,社会的な会話における複雑な文法が言語が進化した過去においても重要性を増してきたことが容易に想像されるだろう.

2017-01-06 訳書情報 「なぜ・どうして種の数は増えるのか」

訳書情報 「なぜ・どうして種の数は増えるのか」 19:42 訳書情報 「なぜ・どうして種の数は増えるのか」を含むブックマーク


以前私が書評したPeterとRosemaryのGrant夫妻による「How and Why Species Multiply」が「なぜ・どうして種の数は増えるのか: ガラパゴスのダーウィンフィンチ」という邦題で邦訳出版されるようだ.(1月25日出版予定)

ガラパゴス諸島に生息するダーウィンフィンチはダーウィンがビーグル号に乗って訪れたときに採集してその名がついていることで有名だ.実はダーウィン自身は採集時にはそれが島ごとに別種になっていることに気づいていなかったことも最近ではよく知られている.「種の起源」でもガラパゴス鳥類はフィンチではなくマネシツグミの方がとりあげられているぐらいだ(第12章 地理的分布 ガラパゴス諸島の生物).しかしダーウィンフィンチの適応放散振りについてはデイヴィッド・ラックがリサーチして有名になった.そしてそれを受け継いでリサーチを続けているのがグラント夫妻になる.

このグラント夫妻のリサーチはジョナサン・ワイナーが「フィンチの嘴」で紹介し,短期間で環境変動に応じて自然淘汰が働いていることを突きとめる様子が生き生きと描かれている.しかしグラント夫妻のリサーチはそれだけではない.本書はリサーチャー自身の手になる2007年までの総まとめのような本であり,圧倒的に密度の濃いものだ.分布,生態,起源と系統樹をまず押さえ,種分岐については特に詳しく検討されていて重厚だ.特に交尾隔離については,オスのさえずりの刷り込み学習がキーになって交尾前隔離が生じているが(交尾後隔離はなく,遺伝的には完全に繁殖力のある子孫が生まれる),時に誤学習が生じて細々と交雑が生じていることが明らかになっていて面白い.その他島々の種子の分布から適応地形を直接推定して適応の様相を仮説検証するリサーチなども迫力がある.

邦訳にあたっては巌佐庸による監修がついていて安心だ.質の高い長期リサーチの重厚さを是非多くの読者に実感して欲しいと思う.


原書

私の原書の書評http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20091127

なおグラント夫妻の2009年京都賞受賞時の講演会の様子はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20091118 参照


関連書籍

The Beak of the Finch: A Story of Evolution in Our Time

The Beak of the Finch: A Story of Evolution in Our Time

ページビュー
3253479