shorebird 進化心理学中心の書評など

2018-01-19 書評 「オーストラリアの荒野によみがえる原始生命」

[] 「オーストラリアの荒野によみがえる原始生命」 23:08  「オーストラリアの荒野によみがえる原始生命」を含むブックマーク


本書は共立スマートセレクションシリーズの一冊.著者自身による最初期の生命にかかる微化石発見物語がその背景の地球史的な解説とともに語られている.


冒頭「はじめに」では「世界最古の化石」というテーマがいかにリサーチャーにとってフラストレイティングなのかが(愚痴とともに)語られる.最古の化石となると,当然25億年以上前の単細胞生物のそれになり,小さくてはっきりせず解釈は難しい.そして論文にすると「本当にそうなのか」という懐疑的なコメントが査読者から徹底的に浴びせかけられ,挙げ句の果てにリジェクトされるのだ.(著者はここで「その分野の大御所とその弟子ならいざ知らず」と書いていて,その不満の深さを示している)実際にネイチャーサイエンスに発表され教科書にも載せられた研究成果が10年後に激しく批判されることも稀ではないそうだ.そういう苦難の物語が語られるという予告というわけだ.


最初は基礎知識.地質区分,特に先カンブリアのそれ(冥王代,太古代,原生代),最古の岩石年代(40億年前).最古の生物化石と主張される年代(生命痕跡は37億年前,化石には35億年前と主張されるものがいくつかあるが論争になっている),それが産出する地域(太古代前期以前の岩石で,変性度の小さいものが産出するのは西オーストラリアのピルバラ地域と南アフリカのカープバール地域),当時の地球生命史の重大イベント;後期重爆撃(41億年前〜38億年前),その後の巨大隕石落下,光合成細菌の出現(シアノバクテリアの出現年代はなお特定されていないそうだ),そしてプレートテクトニクスの基礎が解説される.


次は最古の化石についての発見学説史.最初は1965年に19億年前の北米のガンフリント・チャート*1から多様な微化石が発見されたことから始まる.これにより先カンブリア時代のそれも非常に古い時代に化石があることがわかり研究者たちは一気に先走りをしてしまう.1970年代にはグリーンランドの38億年前のイスア緑石岩にイースト菌状の微化石発見という主張がなされるが,それは非生物起源の流体包有物ではないかという反論がなされ,(以前論争は続いているが)基本的には現在では懐疑的に扱われている.次はUCLAのショップによる1993年のピルバラ地域の35億年前のエイペクス・チャートにあるシアノバクテリアらしき化石の報告になる.これはサイエンスに掲載され,「世紀の大発見」とされた.しかし10年後.オクスフォードのプレイジャーが痛烈に反論し,大論争に発展し,現在も激しい論争が続いている.著者はこの論争は太古代微化石研究それ自体への懐疑を引き起こすものであったと評している.


ここから話はストロマトライトに移る.ストロマトライトが大量に見つかるようになるのは27億年前(これはシアノバクテリアが生じたことによる可能性が高い)からになる.これもピルバラ地域のスティルリー・プール層の34億年前の化石を巡って激しい論争があったが,2006年にアルウッドが7種の構造が異なる環境への応答として生じていることを示して生物起源であることが認められるようになった.さらに著者自身が同じピルバラ地域での緑色岩帯で34億年前の有機物の残るストロマトライト化石を発見する.


これで34億年前の生物化石の存在はほぼ決定的になった.ではさらに古いものはあるだろうか.著者は同じくピルバラ地域ノースポールにある35億年前の玄武岩を貫く無数のチャート層地層を紹介する.ここに見られる流体包有物にはメタンが含まれており,その同位体比が軽くメタン細菌硫酸還元菌の存在を示唆しており,バイオマットの存在も主張されている.このチャート層は(深海熱水反応によるものだという反対論もあるものの)生物起源と考えられるのだ.またここでは,生物の痕跡化石としては現在認められている最古のものとしてグリーンランドの37億年前の変成岩にあるグラファイトの不均質構造(生物起源の不均質有機物が変性を受けた結果と解釈できる)も紹介されている.


一旦最古の生物痕跡化石まで進んだところで,著者はここで基礎講座に戻る.生命の材料である元素の起源(ビッグバン超新星爆発),生体高分子の起源仮説(ミラー実験,層状粘土鉱物,隕石など),細胞の起源仮説(オパーリンのコアセルベート,深海熱水噴出孔起源仮説,及びそれへの批判),LUCA概念,生態系概念と35億年前の生態系仮説(窒素循環硫黄循環),光合成の進化(シアノバクテリアの出現年代を巡る論争)を解説し,最古の真核生物化石に進む.

現在多くの教科書で最古の真核生物化石と認められているのは1992年に発表された北米の21億年前のグリパニアになる.2011年にはアルバニが西アフリカ・ガボンで21億年前の多細胞生物的な化石を見いだしたと発表した(これについては反論もある).現在最も広く受け入れられている確実な最古の真核生物化石はシャボーの報告した16億年前のアクリタークになる.

ここでまた基礎講座に戻り,初期地球大気形成,海水温(30億年前には温室効果ガスにより現在よりかなり温かかったと考えられている)をまず説明,そこから縞状鉄鉱石の起源(38億年前〜19億年前にかけて形成されている,特に27億年前以降に多く見られる.18億年前以降は(7億年前あたりの一時期を除き)形成されていない.),24.5億年〜23億年前頃の大酸素事変,黒色頁岩モリブデン濃度から見る大気分析,古土壌などを採り上げて,過去の大気酸化的だったか還元的だったかがかなり丁寧に論じられている.過去の経緯はなかなか複雑だ.このあたりはシアノバクテリアの出現年代と絡んでこの分野でのホットトピックということらしい.


ここまでの基礎講座と学説史解説でようやく準備が整ったということになるだろう,ここから著者は自身による化石発見物語を語り出す.場所は何度も出てくる西オーストラリア,ピルバラ地域にあるゴールズワージー緑色岩帯になる.その地点の地質の特徴,推定される堆積環境などの解説の後,著者による探索の詳細が語られる.著者は1995年から6年間この地域を調査する.そして2001年に友人と2人でこの地域でサンプリングを行い,最後にこれ以上採ると重くなるからと逡巡しながら,友人に背中を押されて面白そうな黒色チャートを採集する.オーストラリアから岩石を送る際のドタバタ(化石の持ち出しについて厳しい制限がある)を経てその黒色チャートを日本に持ち帰り,薄片資料にして調べると,微細な炭質物がフィルムを形成しており,さらに数十µmもある紡錘状の構造物がいくつも見つかる.これは太古代の微生物化石に違いない.しかし当時まさにエイペクス・チャートの微化石を巡るショップとブレイジャーの大論争が勃発していた.発表のタイミングとしては最悪である.そこから著者による苦闘が始まる.つてのない中飛び込み同然でオーストラリアの地質学者に共同研究を申し込み,資料の年代の確定,自分なりの生物起源基準をまとめ(ここはかなり気合いの入った解説になっている),薄片の観察を続け(当初紡錘形に見えていたものが立体的には帽子のつばのような突起(フランジ)のついたレンズ状であり,その他の円形の構造物なども様々な角度から見た同一形状物体であることを突きとめる),生物起源の証拠(堆積岩であること,有機物炭素同位体比が軽いこと,同じタイプの構造物が多数見つかること,化石らしい不完全さが随所に見られること,構造に複雑さと精巧さがあること,コロニー様集合体があること)を積み上げる.この後も年代決定のための再調査(結局年代は30億年前という解釈に落ち着いた)を経て論文を書き上げるが,そこから様々な共同研究者たちとのやりとり,査読者(実は微化石懐疑派大御所のブレイジャーだった)の上から目線的な態度などの経緯を経て,ようやく論文は日の目を見る.

著者はその後のフォローアップ研究(化石塩酸−フッ化水素酸で分解して微化石のみを取り出して観察分析する)を続ける.そしてさらに34億年前の南アフリカの岩石からも似たようなレンズ状の微化石が発見されたこと,それをどう考えるべきか(広範囲に分布したコスモポリタン的生物の微化石の可能性が高い),その生物の生息環境推測,それは真核細胞なのか,どのような代謝を行っていたのか,フランジの機能は何か,など興味深いところについても現時点での大胆な推測と仮説を提示して本書を終えている.


本書は,太古代の微化石を発見してしまったリサーチャーが,様々な苦労をして,それを証拠立て,なんとか発表に漕ぎつけるという苦労物語が,裏話と愚痴満載で本音*2そのままに語られている本になる.そういう意味では読んでいてなかなか迫力のある本だった.また太古代の地質や生物代謝についての最近の知見の総説にもなっていて,このテーマに明るくない私にとってはいろいろ勉強になるところも多かった.また太古代の数億年にわたり地球規模で,同様なフランジのついたレンズ状の生物化石が見つかるというのには驚かされるし,大変興味深いところだ.全体の構成やつながりはあまりうまく裁けていないが,かえって著者の全力で書き殴った迫力も感じさせる.いろいろ読みどころがある本だと思う.

*1:コラムでチャートとは何かが解説されている.チャートは微細な石英が主成分の堆積岩を包括する名称で,珪藻や放散虫などの生物起源のものもあれば,化学的沈殿や蒸発沈殿などの非生物起源のものもあるそうだ

*2:学会で発表した後で,本人がそばにいると知らないとある著名な研究者が「あんなのは(仮説の提示と検証になってなく)サイエンスではない」と周りと話していて,いたく傷ついた著者は「しかし見つけてしまったものはしょうがないではないか」と魂の叫びを書きつけている.

2018-01-16 協力する種 その36

[] 協力する種 その36 20:15  協力する種 その36を含むブックマーク


第10章 社会化 その1

第10章では文化伝達の問題が扱われる.著者たちはまず,選好が遺伝的にある場合以外に文化的に獲得されることがあることを強調している.

  • カヴァリ=スフォルツァとフェルドマン,ボイドとリチャーソンは文化的伝達の古典的モデルを構築した.これらのモデルでは文化的伝達を遺伝的伝達と類似したものとして扱っている.この2つは時間とともに形質が複製されていくプロセスであるという点で似ているがさらに2つの類似点がある.
  • 第1に,それは生理的な反応も含むということだ.甘さへの嗜好は(そのような性質が適応的であり)遺伝的だと考えられる.これに対して例えばコメへの嗜好はより文化的なものだろう.そして両方とも脳内の同じ報酬部位を活性化させる.遺伝的嗜好の方がより深く本質的であるわけではない.甘いものを食べて吐き気をもたらす経験があればその嗜好は消失しうる.またアメリカ南部の文化の研究では文化的に獲得された形質が生理反応として実装されている.
  • 第2に,両方とも物質的資源の獲得に成功するほど複製されやすくなる.より多くの子を残すことが可能になるからだ.また文化的な伝達は物質的成功者が社会的地位を獲得してより模倣されやすくなるというプロセスも含んでいる.
  • 本書のここまでの議論では,利他的性質がなぜ頻度を増やせるのかについては(マルチレベル淘汰的に)集団間淘汰の力が働くこと,集団内淘汰を和らげるための制度が文化的に伝達されることで説明できるとしてきた.
  • 文化的な伝達はこれに加えて別の説明を可能にするかもしれない.(産業革命以前の世界で)農村から都会に移住しようとする,現代において子供を産み育てることを控えるなどの行動は,適応度的には不利だが文化的伝達により生じていると解釈できるだろう.同じように文化的伝達で(本来不利である)利他行動を説明できる可能性がある.本章はこれについて考察する.

文化について生理的な反応を特に問題視しているのはよくわからないところだ.文化的な刺激に対しても生理的な反応があるのは当たり前ではないだろうか.ともあれ本章では「マルチレベル淘汰における集団内淘汰を緩和する制度(食物分配など)の文化」以外の文化的な影響を見ていくことになる.


10.1 文化伝達

著者たちは本章における自分たちのスタンスを説明する.

  • ここでは行動を引き起こす「選好」あるいは「動機」の問題を文化伝達の観点から考察する.
  • また考察する際に「発達的可塑性」,その発達可塑性を用いた発達過程の「意図的な設計」を要因として考える.その上で「規範」が「内面化」される過程を分析する.

発達可塑性をことさらに強調するのは,環境に一切影響を受けない遺伝的形質がデフォルトであることが前提であるような書きぶりでやや違和感があるところだ.ヒトの行動傾向の多くは様々な条件や文脈に対して異なる反応を見せるだろう.ともあれ,ここで著者たちがとりあげたいのは,道徳を教え込むことにより規範が内面化されるという問題ということになる.


続いてこの「規範の内面化」の分析が説明される.

  • 規範の内面化は,ボイドとリチャーソン,カヴァリ=スフォルツァとフェルドマンによる文化伝達と多くの共通点を持つ.その要素は垂直伝達,斜行伝達(多数派同調),利得に基づく社会的学習になる.
  • 多数派同調は(喫煙習慣などにみられるように)個人の適応度も集団の適応度も下げる行動を広げることを可能にする.つまり利得が低い行動への淘汰圧を弱める作用を持ちうる.
  • 何故このような多数派同調が存在するのか.それは適応的な社会的学習戦略として進化したのかもしれない.あるいは既存の制度による計画的な社会化の結果その社会に流布している行動や信念が獲得されるのかもしれない.我々は経験的な理由から後者が重要だと考えている.

要するに,人々が子供に利他的なモラルを教え込むことが重要だと考えているということになる.するとでは何故教え込む内容は利他的であるのかが問題になる.

  • リンダ・カポラエルたち(1989)やハーバート・サイモン(1990)は,それは利他性が文化的に伝達される規範から切り離せない重要な要素であるから,つまり結局個人に利益をもたらすからだと提唱した.サイモンは利他性を動機づける規範は,個人に利益をもたらす規範と連結されているために利他性のコストが相殺され,進化可能になるのだと説明した.
  • 我々はこの議論には2つの問題があると考える.1つは規範を内面化する能力自体の進化がなぜ生じたかが説明される必要があること,もう1つは利他性と利己性の規範がなぜ不可分であるかが説明される必要があることだ.

ここから著者たちはこの2つの問題を解決するための見取り図を示す.

  • 10.2において,表現型モデルを用いて社会化のメカニズムで個人の適応度が減少する規範が維持されることを示す.
  • 10.3において内面化遺伝子の進化条件を吟味する.
  • 10.4,10.5において個人の適応度減少規範を10.2のモデルに組み込むとどうなるかをみる.
  • 10.6で,このような形で広がる個人の適応度を減少させる規範が集団全体の適応度を増加させることが多いことをマルチレベル淘汰から説明する.
  • 最後に10.7で規範社会化のための制度維持コスト(コストがあるのになぜそのような制度が進化したのか)を考察する.

著者たちは子供に道徳を教え込むことも文化伝達とマルチレベル淘汰で説明したいということのようだ.

2018-01-13 協力する種 その35

[] 協力する種 その35 19:33  協力する種 その35を含むブックマーク


第9章 強い互恵性の進化 その3


ここまでで著者たちは単純化したモデルで利他罰の進化を説明した.ここから前提条件をより現実に近づける形で拡張していく,その場合には前節で見たような解析的な結果は示せないのでシミュレーションによることになる.


9.2 現実的な人口動態における利他罰

著者たちは,前節のモデルについて,集団が1世代のみで解散させられる点,rについて,0と0.07という値を外生的に与えた点が不自然だとして,そこを拡張して吟味するとしている.彼等の拡張モデルの説明は以下の通り.

  • 遺伝的同類性はあらかじめ固定せずにモデル内部で内生的に決まる.
  • サイズの異なる多くの集団からなるメタポピュレーションを考える.メタポピュレーションは10万世代以上存続する.
  • 個別の集団は平均30人(繁殖可能な成人のみを考察),8人以上である限り存続する.集団の数と総人口は変化しない.各集団のサイズと人口構成は成員の誕生,死亡,移住によって変化する.(第1ラウンド以降に誕生,死亡,移住が生じる,新規加入メンバーの戦略は不明になるが,新規メンバーの罰行使者を加えると集団の行使者数が閾値を超える場合には新規行使者はqをかけてシグナルする)
  • 罰行使シグナルのコストはq,閾値τは6で固定する.
  • 1世代25ラウンド(各個人は1世代の中で2回配偶者を得て繁殖する.人口不変によりラウンドごとの死亡率は4%),集団数250,人口7500人,移住は新規誕生者のうち30%がランダムに他集団に移住する,協力行動のエラー率は3%,罰行使者は初期設定0から始める,遺伝子突然変異率0.001,突然変異で罰行使に変換する確率3%(7500人で100世代繰り返すと合計750人が突然変異体となり,うち22.5人が罰行使者となる).利得πは0〜1の範囲に収まるように線形変換して標準化し,πの淘汰係数を0.05とする.


9.3 強い互恵性の出現

ではシミュレーションの結果はどうだっただろうか.著者たちの説明を私なりに要約すると以下のようなものになる.

  • シミュレーションでは集団間の遺伝的差異が移住パターンや集団サイズの分布から生みだされた.パラメータを現実的な値の中でうまく選んで組み合わせると第6章で示したデータの平均値(r=0.08)を実現させることができる.これは前節のr=0.07を外生的に入れ込んだ解析の正当性を示すものだ.
  • τ=6で6000世代(15万ラウンド)シミュレートすると,初期値の罰行使者がほとんどいない状態から,2500世代を越えたところで罰行使者と非行使者が混在する状態への遷移が生じた.これは偶然,ほとんどの罰行使者が臨界上の集団(ちょうど7人の罰行使者がいる集団)にいたために生じたものだ.一旦この遷移が生じると罰行使者は0.4程度の頻度になり長期間存続できる.これはプライス則のグループ間淘汰の項βG・var(pj)((b-c)とグループ間分散の積)が正になったからだと解釈できる.
  • 罰行使者が閾値戦略を採らずに常に罰を与えるようにすると,行使者の高い集団があっても常に非行使戦略に侵入駆逐されることになるので,罰行使は進化できない.
  • 遷移が生じて協力が確立されるまでの罰は臨界点上の集団でのみ見いだされる.この場合には罰は利他的ではない(限界的な裏切りが集団内協力を崩壊させて結果的に不利益の方が大きくなるため).対照的に遷移が生じた後の罰行使者は臨界点より多くの罰行使者がいる集団にも所属しており,この場合には(非行使に転じた方が得になるという意味で)罰は利他的になる.
  • では行使者人数が閾値を超えた場合に非行使に転じて罰コストとシグナリングコストを回避する「機会主義」を加えるとどうなるか.機会主義は行使者人数が多いときに有利になるように思われるが,シミュレーションを行うと定着できない.非行使者ばかりの集団に機会主義は侵入して増えることができるが,そうすると罰行使者も増加する.一旦3者が混合すると,機会主義者は行使者に比べて協力崩壊の引き金を引くことが多くなり不利になる.
  • 以上の状況を避けるためのより複雑な機械主義戦略もあり得るだろう.機械主義者間で協力が可能なら彼等は高パフォーマンスを得ることができる.しかしその場合にはこの協力をいかにして保つかという深刻な2次のフリーライダー問題が生じる.

9.4 なぜ罰の連携は成功するのか

著者たちはこのシミュレーションの結果をこう解釈する.

  • 利他罰が高いレベルで安定するための鍵は「正の同類性」にある.ただしそれは遺伝的な相関ではなく,クオラムセンシング(自分と同類のものを認知的に感知すること)により遺伝型と表現型に相関が生じたことに起因している.つまり「協力を選択した個人の割合」という表現型の特性と「罰行使者遺伝子を持つ個人の割合」という遺伝子型の特性が集団間で強く相関できたことにある.
  • この遺伝子型と表現型の相関は罰行使者が行動を連携することでさらに促進される.
  • 罰がうまくいくためには,「誰が協力で誰が非協力か」「罰行使しそうなのは何人いそうか」というような情報が誠実にコミュニケートされなければならない.つまりこのシミュレーションでは「情報が私的である」場合の解決ができたわけではない.

  • 仮に利他罰という形質が文化的に伝達されているのならば(そして実際にはそうであろうが),より協力は安定する.シミュレーションでは全員が罰行使者である集団が,非行使者に乗っ取られて協力が崩壊するという現象が見られる.しかし文化伝達が頻度に依存していれば崩壊までの速度は低下するだろう.模倣における同調傾向が利他罰と共進化しうることを示したリサーチもある.

9.5 非集権的な社会秩序
  • 罰を説明するには,非協力者に罰を与える戦略が少数しかいない状況からいかにして増加しうるのかを説明しなければならない.本章では(後期洪積世の人類にあったような状況下で)罰行使するものの連携によって罰行使戦略の侵入と増加が可能になることを示した.
  • もしこうした道筋で協力が進化したなら,コスミデスやトゥービイが示したような裏切り者検知の認知能力がヒトにあっても驚くべきではない.
  • ヒトは,連携や謀略,致死的な武器により小さなコストで裏切り者を罰することができる.
  • また我々の結果は(多くの行動実験の結果に示される)「何故ヒトは公共財への貢献自体より,その非貢献者への罰の方により熱心なのか」という謎の説明を可能にする.

  • 我々のモデルは.第4章や第5章で説明した繰り返しゲームアプローチとは異なる.まず我々のモデルは狩猟採集社会の経験的事実と矛盾しない.またフォーク定理による説明と異なり,我々の提示する規範逸脱者への利他罰は現実世界で広く観察されている.
  • ただし我々のモデルは情報が公的であることを前提にしていることには注意が必要だ.この前提は自己利益追求の前提とは衝突する.
  • 小規模な祖先集団では私的情報を公的情報に変換するための(現代社会の司法システムのようなものとは異なる)方法が考案されたのだろう.ゴシップ,集団での話し合い,人前での食事などはその例だと考えられる.これはフリーライダーへの罰と足並みを揃えて発達してきた可能性がある.これは個人が正直であるということではなく,「正直である」という評判が価値ある資産であったことを背景にしているのだろう.

  • 我々はここまで適応度最大化による説明を行ってきた.より至近的な説明を試みるなら,「恥」の感情により,将来の罰を避ける動機付けが行われているのかもしれない.このような社会的感情はこうした機能により進化したのだろう.これは次章以降で取り扱おう.

私の感想は以下の通り

  • シミュレーションの結果は以下のように考えることができるだろう
  • 非協力者のみの状態から始めて,ランダムな突然変異による罰行使がたまたま特定の集団に集積して臨界値に達すると,すべての個人が「罰行使者が集団に多ければ協力する」という前提からその集団に協力が生まれる.だからなぜ罰行使者が頻度を増やせるのかという問題については小集団について一定閾値に偶然達する場合があるからだという説明になっているのだろう.要するに集団内で罰行使者が多いと罰行使コストが下がるので,浮動により一旦閾値に達すれば後は協力による利益がついてくるということになる.
  • その時点ではこの罰行使は集団内で利己的に説明できる.その後さらに罰行使者が増えても罰行使者はすぐに縮小しない.これは集団間淘汰が正に効いている範囲で生じる.著者たちはこれをもっと強い互恵性の出現を説明できたとしている.しかし私の印象ではごく弱い集団間淘汰でカバーできるごく小さな連携罰コストについて限界的に説明できているだけにように思える.
  • そういう意味もあって,ここで著者たちはあまりマルチレベル淘汰による利他性の進化を強調はしていないのだろう.

  • この章の著者たちのポイントは,連携することにより罰のコストが非常に小さくなるというところにある.実際にうまく連携すれば罰のコストは小さいだろう.
  • もう1つ著者たちは正の同類性を強調している.ここでは協力と罰行使が「罰行使者が多い集団では協力が維持される」というメカニズムを通じて集団間で相関することを意味している.確かにこの場合に罰によるメリットは単なる血縁度を超えて罰行使者により向けられやすくなっている.ここはちょっと面白いところだ.

  • そしてこのシミュレーションの限界は前回コメントしたように前提の狭さにあるように思う.
  • 特に協力するかどうかは「罰を受けたかどうか」のみで決定する.これはかなり単純化した前提ではないかと思える.罰の効果が非常に大きい(村八分されると非常に厳しい)か,心理的に非常に大きなダメージを受ける(この場合なぜそういう性質があるのかについてさらに吟味が必要)ということが前提になっているということになるだろう.
  • そして一番気になるのは罰コストについて「報復リスク」をあまり考慮していないように思われることだ.謀殺や武器による罰に対して報復リスクがないと考えるのはあまりにもナイーブだろう.現実の世界は連携していれば大丈夫というほど甘くはない.少し想像しても,罰を受けそうな方は(その罰の効果が大きいならなんとかしてそれを避けようとし),臨界値近辺では報復リスクに耐えられそうにない一部の弱者に狙いをつけて強い報復を示唆し,連携を崩そうとするだろう.そしてそこからは様々なやりとりがあるだろう.いずれにせよ罰システムの進化を検討するなら報復リスクに対してより深い吟味が必要だろう.

  • 細かな点でいえば「裏切り者検知」は特にこのシナリオによらなくともいろいろな説明は可能だろうと思う.ここも我田引水的だ

2018-01-10 書評 「モラルの起源」

[] 「モラルの起源」 23:04  「モラルの起源」を含むブックマーク


本書は社会心理学者亀田達也による「モラルの起源」と名打った一冊.このテーマについてはこれまでも様々な議論があり,私としても大変興味があるところでもあり,手に取った一冊ということになる.


冒頭では本書の書かれた経緯が記されている.それはここ十数年に渡り繰り返されてきた「教育学部や文学部などの文系の学問は社会の役には立っていないのではないか」という批判の流れが,ついに2015年6月に文科相から全国の国立大学に対して教育養成系学部,人文社会科学系学部について速やかな組織改革を求める公式通知が出されるという形になり,その中で「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換」に努めるように明示されたことが背景にある.著者はこの「反知性主義」的動きに反発を感じる一方,実際にここ30年で文学部の学問が随分痩せ細ってしまったとも感じずにはいられないと心情を吐露している.そして著者のこの動きに対する解答は実験社会科学の試みということになる.実験という共通の手法を通じることによって,経済学,心理学,政治学,生物学などの異なる分野の研究者が「ガチ」の議論を行って人間の行動や社会の振る舞いを解明していけるという展望だ.

本書は「モラルを巡る問題」に対してこういう構想を適用していこうという本になる.そしてその「モラルを巡る問題」の探求とは,人文科学が数千年にわたって積み重ねてきた「価値」や「倫理」という問題が自然科学の知識とどう関わっているのかを探る道でもあるのだ.


第1章 「適応」する心

導入で,適応の観点からヒトの心を考えることについて,人文科学系の諸学になお警戒感や嫌悪感が残っていることに触れ,しかしそれは人文系の学問と対立するものではないことを指摘している.なおそういうバイオフォビアが残っているというのは残念なことだ.

そこから自然淘汰と適応についての解説をおき,本書では生物進化的適応だけでなく,歴史時間・文化時間における適応,生活時間における適応も扱っていくことが説明される.またリサーチ方法としてのリバースエンジニアリングの考え方を解説し,グールドの適応主義批判に対して,それは有効な科学的発見の道具であるという回答も載せている.人文社会科学系の人々に読んでもらうためにはこのあたりの目配りも大切ということだろう.続いてヒトの心の進化の適応環境として「群れ生活」が重要であること,ダンバー数マキアベリ的知性仮説などが説明されている.


第2章 昆虫の社会性,ヒトの社会性

第2章は群れ生活への適応としてヒトの社会行動や心がどのような仕組みになっているかを扱う.本書の工夫は社会性昆虫であるハチとの違いから解説しているところだ.はっきりとそう書かれてはいないが,誤解に満ちたグループ淘汰理論からハチもヒトも超個体的な利他行動を進化させたと解説したE. O. ウィルソンの「私たちはどこから来て,どこへ行くのか」への反論としての位置づけもあるのだろう.

ハチやアリはヒトよりもはるかに強い血縁社会を作り,「集団的意思決定」を行う.これは個々の意見に対して人気が人気を呼ぶ社会的な増幅プロセス(「行動の同調」)を通じて合意を生みだす仕組みによっている.しかしこれだけでは決定が必ずしも合理的なものにはならない.これに加えて,合理的な決定を生みだすために「評価の独立性」(例えば巣の移転先の候補地について,ほかのハチの意見に同調して訪れても,自分が意見を表明するときには,実際に訪問して得た情報を元に独立して評価を行う)の仕組みも備えているのだ.

ではヒトの場合にはどうなっているのか.サルガニクの音楽のダウンロード回数に関する大規模な文化市場実験によると,ヒトは人気曲だとわかるとそれをダウンロードする傾向があり,人気(ダウンロード回数)が示されている場合と示されていない場合の曲の人気度はごく緩やかな相関しか持たない.つまり「行動の同調」はあるが,「評価の独立性」が弱いのだ.

亀田はこの差異の理由について社会の作り方の差だと解説している.より互いの血縁度が高いハチのコロニーにおいては,進化を通じてコロニーレベルでの合理的な解決に向かった性質(評価の独立性)が進化しやすいが,ヒトにおいてはそれほど集団内の血縁度が高くなく(それにより集団内の個体間コンフリクトが大きいために),むしろ「他者の意図を敏感に察知し,極めて戦略的に反応する(空気を読む)」動物に進化したのだというわけだ.亀田はこれをわかりやすく,「王様は裸だ」だと指摘しないことは集団レベルでは愚かでも個人レベルでは合理的なのだと説明している.


第3章 「利他性」を支える仕組み

では強い血縁社会を形成しないヒトはどのようにしてうまく社会を回しているのか.亀田は,これに対する人文社会科学の知恵は「王権や法の支配のような統治の仕組み,あるいは社会的な規範・道徳だ」(典型例はホッブスのリヴァイアサン)であると指摘する.

これに対して進化生物学はそのようなリヴァイアサンではない利他行動の説明として互恵的利他主義を発見し,それはヒトの社会でも同じ二者間の繰り返しのやりとりの中で観察できる(亀田は第一次世界大戦の塹壕戦におけるドイツ軍兵士とフランス軍兵士の共存的行動を例としてあげている)と指摘する.しかし多くの人々を含む相互依存的場面では互恵的利他はうまく働かず「共有地の悲劇」を生みだしてしまう.これは一般的に「社会的ジレンマ」と呼ばれる.

これを解決するひとつの方法は規範と罰になる.しかし規範と罰は常にうまく働くわけではない,どのような条件でうまくいくのかの考察が必要になる.亀田は考察にあたって「それは社会にとっていいから機能する」という集団錯誤の誤謬(亀田は特に解説していないが,これは進化生物学的ナイーブグループ淘汰の誤謬とパラレルになる)を戒め,問題は「制裁装置の維持」であり,それは高次のただ乗り問題であると指摘する.

ここで亀田は「罰あり公共財ゲーム」実験における被験者の行動パターンや「目の効果」を説明し,事実としてヒトの心には「ただ乗り者を罰したい」という動機(罰したいという感情をもち,罰することに報酬を感じる心)が装備されていることを示す.そしてこれは,(合理的にはあり得ない)罰がハッタリではなく実効性を持つことに資する.亀田は「社会関係をうまく築くには,緻密な合理計算ばかりではなく,むしろ自然に働く直感が重要な枠割りを果たす」と解説している.(特にそう断ってはいないが,これはフランクによるコミットメントとしての感情の機能ということだろう)

続いて亀田はヒトが見知らぬ他人にも親切にすること,それは評判を通じた間接互恵性で説明できること(ついつい見知らぬ人でも可哀想だと思う人は,短期的には損をしても長期的は社会の中で人に愛されて「選ばれて」いくのかもしれない)を解説する.さらに歴史・文化的時間においては市場メカニズムの中で「優秀な人」「能力の高い人」が選ばれるようになり,それは進化時間仕様の私達の心にストレスをもたらしている(だから「情に流される人情家」の話を見聞きするとほっとして温かい気持ちになる)のではないかと指摘している.ちょっと面白いところだ.


第4章 「共感」する心

冒頭で共感に関する検討が,現在様々な学問分野にまたがるホットな研究トピックになっていることを紹介し,ヒトの共感も「思いやり」だけではなく,身体模倣や情動の伝染を含む重層的なシステムであること,一部は動物とも共有されているらしいことが説明されている.

そこから身体模倣とミラーニューロンに軽く触れ,このような身体・神経レベルでの共振・同期が「他者の心を理解する」上でも重要な基準になっている可能性を指摘する.

さらに情動伝染に進み,それは親しい人の間で起きやすく,伝染の起きる自然な境界・範囲は仲間や血縁者であること,至近的にはオキシトシンが関与し,哺乳類の間に広く見られることを解説する.このような「情動的共感」は通常良いものと受け取られているが,内集団に限られ,情動に圧倒されるリスクも持つことを指摘する.このあたりはポール・ブルームの主張につながるものだろう.

続いて自他間で分離を保ったまま共感する「認知的共感」に進み.この2つの共感においては脳内の活性が異なること,身体の痛みについては情報的共感が起きやすく,社会的痛みについては認知的共感が起きやすいことを指摘する.社会的な問題に関しては私たちは「なぜ」と考え,関係する様々なプレーヤーの考えや気持ちを推論しようとする.亀田は,様々な実験を紹介しながら,内集団を越える利他性を発揮するにはこの「認知的共感」が重要だと主張している.


第5章 「正義」と「モラル」と私たち

亀田は「正義」「モラル」について,このような大上段に構えた言葉はしばしば私たちをシラケさせると述べるところから始めている.1つには,正義は個人を越えるのか,国境を越えるのか,あるいは価値相対主義を振り払えるのかという問題があり,もう1つには正義に名を借りた圧倒的な暴力の存在があるからだ.そしてここでは前者を考えていこうという.導入としては刺激的で面白い.

そして「正義」について,いかに分配するかという問題を採り上げる.まず「功利主義」が,必ずしも私たちの直感に一致するわけではないことを指摘し,最後通告ゲームに進む.最後通告ゲームのプレーヤーの行動には文化差があり,それは分配規範は生業の形をはじめとする社会の生態学的な構造に依存するからだと考えられる.50:50というのは市場経済の文化的文脈の元で理解できるのだ.つまり,モラルは文化依存的である側面を持つ.亀田はさらにジェイコブズの「市場倫理と統治倫理」,松尾・巌佐の「商人道と武士道」,フェアによる「効用関数による分配規範のモデル化」などを解説する.

ここから亀田はロールズの「正義論」に進む.ロールズは功利主義に対して「無知のヴェール」を用いた思考実験により「マキシミン原理」を主張した.これをどう考えるべきか.フローリックとオッペンハイマーの無知のヴェールを実験的に再現しようとした実験結果によると,人々は必ずしもマキシミン原理のみには従わず,同時に社会全体の総利益も考慮した折衷的な分配を好む.しかしこれには「真に無知のヴェールを作り出せてはない」という批判がある.

そしてここからが本書の白眉である亀田自身の実験の紹介がある.無知のヴェールを実験的に実装するのは難しい.しかしロールズの議論の核心は無知のヴェールを用いて「分配の正義」の問題を「不確実性の元での意思決定」に変換したところにある.集団全体での分配がリスクヘッジ機能を持っているとするなら,進化的に考えてもこの2つの問題は心理的に共通の基盤を持っている可能性がある.そしてそれを調べるために,同一参加者に社会的分配課題(3人への分配の中で好ましいものを選ぶ,選択肢はマキシミン(ロールズ主義),ジニ係数最少(平等主義),総利得最大(功利主義)の3つ)とギャンブル課題(同様の数字を今度は確率1/3のくじとして提示)の両方に回答したもらい,その間の思考のプロセスを調べるという実験を行う.結果は「どちらの課題も参加者の大半がマキシミンを選ぶということはない(それぞれ47%,37%),双方の課題への選択は強く連動している」というものになった.しかし選択提示画面のどこを注視しているかを調べると,最不遇状態を(特に選択の最後の段階で)よく見ている.脳の活性データと合わせて考えると,被験者は「最不遇の立場をとってみた」と考えられる.人々は最終的に必ずロールズ的に選択するわけではないが,とりあえずそういう視点に立つという心が確かに実装されているのだ.

最後に亀田は,グリーンの「感情に基づく自動モードによりヒトのモラルは部族の中でうまく機能する(モラルは個人を越える)が,部族間の壁を越えられず,それを克服するには(モラルが国境を越えるには)熟考を用いた手動モードで功利主義を実践すべきだ」という考え方を紹介し,それに共感を示し,ヒトの心の共通基盤を実験的に探ることの重要性を強調して本書を終えている.


 

本書は「モラルの起源」として,ヒトの利他性の特徴,その進化的起源,それにより実装されている心があるはずであることを簡単に解説し,最後にその実装された共通基盤を実験的に実証するという取り組みを著者自身のリサーチを踏まえて紹介するという構成になっている.全般的な著述は明快でわかりやすい.実証の詳細はなかなか面白く,知的にもぴりっとアクセントの利いたいい読み物に仕上がっている.

なお理論的には二次のフリーライダー問題について「罰したい心が一旦広く実装されていれば維持される」点のみの解説に止まっていて,「そもそも最初にどうやって頻度を増やしたのか」という最も興味深いところはスルーされている.またこのような進化的に実装された仕組みが,(進化的に新奇な環境である)農業革命以降の社会でどこまで有効なのか,そして王権や法の支配のような仕組みとの関係はどうなっているのかについても触れていない.それは(新書の紙数には収まりきれず)別途補完して欲しいという趣旨なのだろう.その点を注意しながら読めば,初心者にもわかりやすい「モラルの起源」に関するコンパクトな副読本として広く推薦できる.


関連書籍


E. O. ウィルソンによる素晴らしい総説と誤解にもとずく理論的誤謬が入り交じった本.私の訳書情報はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20131101


同原書 私の書評http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20130823

The Social Conquest of Earth

The Social Conquest of Earth


ポール・ブルームによる共感についての本.それにはネガティブな部分もあることが強調されている.私の書評は私の書評http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20170103

Against Empathy: The Case for Rational Compassion

Against Empathy: The Case for Rational Compassion


ジョシュア・グリーンによるモラルについての実に深い洞察が収められた一冊.私の書評http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20151005


同原書

2018-01-07 協力する種 その34

[] 協力する種 その34 10:23  協力する種 その34を含むブックマーク


第9章 強い互恵性の進化 その2


9.1 連携した罰 その2

著者たちは自分たちの連携罰モデルを概説し,その基本的な挙動を図示して説明した.ここでその図を再掲しておこう.

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さらに著者たちはこのモデルを拡張して一般化したときにどのようなパラメータがどのように挙動に影響を与えるかに話を広げる.著者たちは先ほどの罰の成功度に行使者数が与える影響を一般化し(ただし著者たちはそういう具合に明示的にことわっていないのでここはわかりにくい.訳書では訳注が入っているのでここで話が一般化していることがわかるが,原書を読む読者は大変だろう),さらにシグナリング戦略が可能なようにモデルを拡張し以下のように解説を行っている.

  • これまでの結果は(より一般的に拡張するとわかるように)2つのパラメータに決定的に依存している.
  • 1つは規模の経済の程度aである.(先ほどのモデル説明のときには罰行使メンバーの期待罰コストをk/np2としているが,ここでこれを一般化してk/npaと拡張している.)a=1だと規模の経済がなく(罰行使の成功度が人数に依存しなくなり),罰のコストの総量は非協力者の人数のみで決まる.aが大きくなると成功度に行使者人数が効いて来るために,行使者が増えると,行使者一人あたりのコストが小さくなる.これは連携罰の重要性を示している.

  • もうひとつは罰行使者がその意図を示す(シグナリング時の)コストqだ.
  • ここでシグナリングの際に嘘をつけるという嘘つき戦略をモデルに組み入れよう.嘘つき戦略者はシグナリング戦略時にコストqを支払い,行使者のように振る舞い,罰されることを回避する.つづくラウンドでは行使シグナル者がτ+1より多ければ協力する.しかし罰を行使せずに罰行使コストを回避する.以降のラウンドでは非行使戦略者と同じに振る舞う.嘘つき戦略が非行使戦略に変わって侵入可能かどうかは最初のラウンドのペイオフで決まるので,qが一定以上大きいと侵入できなくなる.

次の拡張は血縁度を上げるものだ.著者たちはこう解説する.

  • 前提を狩猟採集民で見られる程度の集団内血縁度r=0.07に変更すると,b=4cでは協力を含む安定均衡が唯一の安定均衡であるτの範囲が広がり,罰行使の初期頻度が0でも侵入可能になる範囲が増える.(境界値となる不安定均衡◯がより下に下がる形になる)
  • 血縁度が0より大きい場合の多型均衡では罰は利他的になりうる.

著者たちはこの結果をもって,bがある程度cより大きい場合τ1〜3程度の少数者が罰を加える形が祖先集団で進化しうることを示せたと考えているようだ.


グラフで示すと以下のようになる.

f:id:shorebird:20180104203638j:image

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(適当に描画しています)



別の拡張は頻度条件依存戦略を導入して行われている.

  • なぜこのモデルでは2次のフリーライダーの問題が生じないのだろうか.それをよく示すために「最初のラウンドでちょうどτ+1名がシグナルを発するなら協力し,しかし罰は行使しない」という条件依存協力戦略を導入しよう.
  • この戦略は最初のラウンドで罰を回避でき,それ以外は非行使者と同じになるので,非行使者のいる集団に侵入し取って代わることができる.
  • しかし彼等も(前提からいって)罰に反応し続ける.そして(行使者非行使者の間で協力が安定均衡になる条件下では)罰行使者が利益を得られるために,この頻度依存戦略者と罰行使者の安定均衡が成立する.ここに2次のフリーライダーは侵入できない.

この最後の部分の著者たちの説明は私にはよくわからない.それは彼等のいう「2次のフリーライダー」戦略が明示的に定義されていないためだ.通常2次のフリーライダーとは1次ステージでは協力するが,2次ステージで罰行使はしないという戦略を指す.これは著者たちのいう頻度依存協力者も含まれるように感じられる.だから「2次のフリーライダーは安定均衡には現れるが,罰行使戦略を駆逐はしない」ということを示しているようにしか思われない.


いずれにせよ著者たちはこうまとめている.

  • 我々のモデルを通じて,現実にあり得る状況下で,罰がポピュレーションに侵入可能であり,その後も高頻度の協力が安定的に達成されることが見いだされた.
  • この結果は「罰の決定は他の罰行使者の数に依存する」「罰行使者が多いほど罰コストが下がる」という前提条件に依存している.

私の感想は以下の通り.

  • 確かにこの前提条件下では,罰は進化しうることになる.
  • しかしこの前提条件は,協力するかどうかの意思決定は(全く遺伝的ではなく)罰の予想のみに応じて決まるとしている.そしてこの意思決定というのは,一度罰が下されると,後は協力に転じるという形で決まる.この予想は少し単純すぎるのではないかというのがまず気になる.
  • 次に罰行使かどうかは遺伝的に決まり,その発動条件は行使者人数のみに依存している.これはなかなか面白いところで,実際に大勢で1人を罰する方が効果的だろう.ただ,ここで気になるのはこの発動条件が集団中で同じ値に固定されていることだ.まず単純化したモデルということだろうが,実際にはτは個人によって異なり,それが進化的に収束していくかどうかを調べてみなければならないだろう.
  • 関連してここでは(おそらく単純化のために)罰コストは行使者人数のみで決まることになっている.実際には最大の罰コストは「報復リスク」であり,ここを分析しないと納得できる罰進化は示せていないのではないかと感じられる.
  • またここでいう第1ステージの協力はr=0のときには(著者自身もコメントしているように)利他行為ではなく,自分が有利になるために合理的に手を選んでいる行動ということになる.すると前章までのマルチレベル淘汰による利他性進化の議論とは断絶している.r=0.07では(血縁淘汰理論から当然予想されるように)個体レベルで利他行為となるが,ここをマルチレベル的に説明していないのも著述の流れとしてはすっきりしないところだと感じられる.
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