shorebird 進化心理学中心の書評など

2016-06-24 書評 「深海生物テヅルモヅルの謎を追え!」

[] 「深海生物テヅルモヅルの謎を追え!」 22:01  「深海生物テヅルモヅルの謎を追え!」を含むブックマーク


東海大学出版部のフィールドの生物学シリーズの一冊.今回はクモヒトデ分類学者のリサーチ物語だ.題名は(おそらく売れ行きを考慮して)ややセンセーショナルな「深海生物テヅルモヅルの謎を追え!」となっているが,実際には著者がツルクモヒトデ屋になるまでの自伝付きの分類という営みにかかる地に足が着いたリサーチ物語だ.


著者は特に深い目的意識なく北大の生物学科に入学したが,そこで無脊椎動物学の分類を行う研究室の紹介に「珍しい生物を見たい」という忘れかけていた夢を強烈に喚起され,そのままその研究室に進学する.研究対象を選ぶに当たっては当初カッコイイ甲殻類や鋏角類をイメージしていたが,図鑑をめくるうちに堅い鱗とくねくねする柔らかさを兼ね備え,しかも自分が何も知らないことに魅力を感じてクモヒトデを希望する.


並行して分類学とはどんなことをするのか,クモヒトデとはどのような動物群か,標本とはどのように作るのかを解説しながら,基本文献のコピー集め,忍路へのサンプリング,そしてサンプルの種同定と話が進む.初めて種同定ができたときの状況はリアルで印象的だ.クモヒトデのようなすべての種が網羅的に図鑑に掲載されているわけではない動物群の種同定は,目の前のサンプルがどの属に属するかの見当がつかない初心者には大変難しい.図鑑だけでは歯が立たず,記載論文に当たって延々と悩むことになるのだ.そしてある日突然すべての記載がストンと一つの結論に収束する.このあたりはフィールドで図鑑と首っ引きになったことがある人にはよくわかるところだろう*1


そこから航海調査船での標本採集と師匠(藤田敏彦博士)との出会い,修士課程進学(北大にはクモヒトデ専門家がいないので師匠の属する科博と連携している東大の院に進むことになる.院入試の神懸かり状態成功談は傑作だ),学振DCの仕組みとそのための業績としての論文,論文材料を求めての苦労とから回り*2,一旦腹をくくって特定分類群(ツルクモヒトデ目の中のタコクモヒトデ科)について徹底的に極めてみることにしたこと,その結果あるサンプルが新種と思われることを見つけ,記載論文への道が開けたことと話が続く.

初めての論文作成については,その内容詳細,師匠の厳しく暖かい指導,膨大な更正,著者の自戒と反省が濃厚に書き込まれており,この自伝のハイライトともいえる部分になっている.そして結局学振DCには間に合わなかったが,論文を書き上げた著者にはある分類群についての全体像が見えるようになる.(著者はこれは「同定」から「分類」ができるようになったと表現している)そしてその結果フィールが以前にもまして楽しくなり,様々なサンプルも集まり,著者は研究者としてのキャリアを目指すようになる.


ここからは著者による海外博物館巡りの話が続く.分類学者としてツルクモヒトデ屋になるには原著記載論文を収集するだけではなく,そのタイプ標本自体を自分の目で調べておくことが非常に重要なのだ.初めての土地への旅情,分類屋たちとの交流の記述も面白いが,著名な分類学者が記載した現物に出会う喜び,記載だけではわからない様々な情報が脳にインプットされていく経験談は大変興味深く,読んでいて楽しいところだ.


こうしてサンプルが集まり,著者はツルクモヒトデ目の分類の整理に取り組む.大変な苦労の末に分子系統樹も作成し,これまでの分類を科レベルで改変し,分子系統樹を裏付けるミクロの形態特徴も明らかにする新分類を提唱する*3


そして博士論文が問題になる.単なる記載,分類提唱だけでは博士号論文としては物足りないということらしい.著者は四苦八苦の末,もう一度データを整理して,クモヒトデ類で腕が分岐するという形質は4回以上独立に進化している*4が,これは40メートルより浅い分布域でしか見られず,浅い分布域に関する何らかの適応形質である*5という考察を組み入れて博士号を取得する.最後に著者は最近の取り組みと併せて,分類学者として分類という営みの社会的価値については意識せざるを得ないが,それでも分類は楽しいのだと強く主張して本書を終えている.


本書はシリーズのお約束の自伝的リサーチ物語として楽しく書けている.周りから見るとやや地味な分類学のリアルがよくわかる.そして読み終えると,そのフィールドは野外フィールド(クモヒトデの場合は航海調査)だけでなくタイプ標本観察のための博物館巡りも重要であって,その意味でも「フィールドの生物学」なのだということがよくわかるという仕組みになっている.私としては枝分岐という大変興味深い形質の詳しい適応的意義も気になるところだ.今後さらに謎が解かれていくことを楽しみにしたい.

*1:バードウォッチングなら図鑑と見比べて割と簡単に同定することもできるが,それでも初心者にはなかなか難しい,そして見慣れない鳥について最初に自力で同定できたときは大変うれしいものだ.

*2:当時はやりの分子系統樹づくりに手を出してみたが,うまくいい系統樹を得ることができなかった

*3:これまで4科だったものを2上科,6亜科に再編.いくつかの分類群は亜科レベルで組み入れを替える

*4:これまで腕の分岐形質は近縁性を示すものと解釈されていたので,これ自体著者のリサーチによる発見ということになる

*5:逃避行動が素早くなり固着性の生物に絡んで捕食から逃れる必要性が減少したことと効率的な餌取得が関連すると考察されている

2016-06-20 Language, Cognition, and Human Nature その33

Language, Cognition, and Human Nature 第3論文 「ヒトの言語における規則と接続」 その4 07:04 Language, Cognition, and Human Nature 第3論文 「ヒトの言語における規則と接続」 その4を含むブックマーク


ルメルハートとマククレランドモデルが言語構築に失敗しているということについての証拠(承前)


ピンカーはモデルがうまくいかない本質的な理由としてここまでに分節,語形論,語幹のコピーという3つの点を挙げた.さらにピンカーの指摘は続く


語彙アイテム
  • 標準的な心理学理論では,「単語」は心的な辞書へのエントリーになっていて,それは実際の発音とは区別できるものだ.これは同音異義語を扱うために必要なのだ.極めて重要なことに同音異義語の動詞が異なる過去形を持つことがある.(例えばring/rangとwring/wrung)RMモデルではこれらは扱えない.
  • このことの最も自然な解釈は,過去形の形は動詞の音だけでなくその意味とも関連しているということだ.しかし驚くべきことに,意味と過去形の形の間には全く関連性が見つけられない.その形は意味とは関係なく,別にある動詞の語根がどのような記号で表されるかの依存しているのだ.(haveやgoは,特に前置詞との組み合わせにより多くの意味を持っているが,全て同じ過去形had, wentになる)この現象は語根が無意味な接頭辞と組み合わさったときにすら現れる.(forget/forgot, underestand/understood, overcome/overcameなど:そして語根の後半の発音が同じだけのsuccumbは*succameとはならない)そして同義語が同じ過去形を持つという傾向もない.(hit/hitとstrike/struck)つまり過去形の形の類似には意味の次元は無いということだ.
  • 「動詞」と「動詞の語根」の区別も心理的には重要だ.人々は broadcasted,joy-rided,grandstanded,high-sticked*1という過去形をbroadcast,joy-rode,grandstood,high-stuckなどという形より自然に感じる.科学的に探求しない記述的な文法好きにはこの現象は謎になる.これは不規則の過去形は動詞そのものではなく,動詞の語根に結びついているからなのだ.これらの動詞に対して話し手は(多くの場合無意識に)これらの動詞は名詞から派生したということを感じている.そして心的辞書の名詞の項目に「不規則過去形」がないため,このような動詞に対しては自動的に規則形の過去形を創り出すのだ.
  • これらの例が示しているのは言語にかかる心的過程は,伝統的には語形論と呼ばれる表象システムにセンシティブだということだ.この表象システムにおいては,音でも意味でもない語彙アイテム,語幹,接辞,語根と呼ばれるものの間に規則性を持つのだ,

規則動詞の過去形と不規則動詞の過去形

ピンカーは,RMモデルの革命的な部分について,それは規則形と不規則形を単一のネットワークで扱えたというところだと指摘する.実際にこれはコネクショニズムのアドバンテージを示すものとして当時最も頻繁に主張されるものだったそうだ.しかしこのアドバンテージは,もし人々が規則形と不規則型にクリアーカットな区別がないと感じるならアドバンテージになるということに過ぎないとピンカーは続ける.そしてピンカーは規則形と不規則形の間には質的な違いがあるとして以下のように主張する.

  1. 不規則動詞はいくつかの類似グループにまとめられる.このグループ分けは音韻的な類似によるものだ.(‘ blow/ blew’, ‘grow/ grew’, ‘throw/ threw’) (‘ take/ took’, ‘shake/ shook’) (‘ sting/ stung’, ‘fling/ flung’, ‘stick/ stuck’).これに対して規則動詞には音韻的な共通点はない.どのような音韻を持つ動詞も規則動詞になる.
  2. 不規則動詞の自然に感じられる程度,受け入れ可能程度はファジーだ.それは音韻類似グループの典型例にどのぐらい近いかに依存する.‘wept’, ‘knelt’, ‘rent’, ‘shod’は(特にアメリカ英語話者には)やや不自然に感じられる.極端なケース,例えば「Last night I forwent the pleasure of grading papers」「I don’t know how she bore it」は,ほとんどの話者にとって非常に奇妙に聞こえる.これに対して規則動詞は,音韻の種類によって受け入れ可能程度に濃淡が生じたりはしない.どの規則動詞の過去形も同じように自然に聞こえる.
  3. ある特定の型の不規則動詞になるための十分条件は存在しない.‘blow’ が‘ blew’ になっても‘flow’ は ‘flowed’ になる.‘ring’ が‘ rang’ になっても ‘string’ は ‘strung’ に,そして ‘bring’ は ‘brought’ になる.これに対して規則動詞になるための十分条件は,それが不規則動詞ではないということだ.そして規則動詞であればその過去形は完璧に予測できる.
  4. ほとんどの不規則動詞の変形方法は特定の構造を持つ動詞にのみ適用できるに過ぎない.(send/sentについて「dをtに変える」という記述が当てはまるためには,そもそも動詞の語尾がdである必要がある)規則動詞の変形方法はすべてのケースを記述できる.
  • これらの違いはわずかだが,全て同じ結論を指し示している.規則動詞と不規則動詞の間には心理的に重大な差があるのだ.規則動詞は1か0かの過程,あるいは規則を持ち,不規則動詞の存在によって不活性化されない限りすべてに適用される.不規則動詞は音韻類似のいくつかの記憶されたリストに基づいていて,ファジーなクラスを形成しているのだ.

日本語話者にはこのあたりの話はなかなかぴんとこない.日本語動詞の場合は不規則動詞は「来る」と「する」(「○○する」という膨大な動詞群を含むが基本的に活用や受け入れやすさは同一)だけで,特に音韻類似クラスターを作っているとは言えないし,受け入れ可能性に程度があるわけでもない.また実際forwentの例文がどういう風に奇妙なのかについて解説がないのはもどかしい.ネイティブでないとわからないというところだろうか.

*1:アイスホッケーの反則

2016-06-17 Language, Cognition, and Human Nature その32

Language, Cognition, and Human Nature 第3論文 「ヒトの言語における規則と接続」 その3 19:57 Language, Cognition, and Human Nature 第3論文 「ヒトの言語における規則と接続」 その3を含むブックマーク


ルメルハートとマククレランドによる過去形獲得モデルはシンボル操作規則の一般化を行わずに連合学習だけで規則に似た振る舞いが可能だと主張し,ある程度のデモに成功したため,一部の熱狂的な支持を集めている.しかしピンカーはこれに疑問を呈する.そして実証的な問題を挙げていく.


ルメルハートとマククレランドモデルが言語構築に失敗しているということについての証拠


なぜルメルハートとマククレランドのモデル(RMモデル)は注目を集めるのか.ピンカーはそれはこのモデルが言語学の伝統的な概念に対応するものを持っていないにもかかわらずうまく動いたからだろうと指摘する.しかしそれではうまくいくはずがないというのがここでピンカーが主張することだ.

  • このモデルは正式な言語学の概念(分節; segment,記号列; string,語幹; stem,接辞; affix,単語; word,語根; root,規則形; regular rule,不規則形; irregular exception)に対応するものを持っていない.
  • しかし標準的な心理言語学の理論では,これらの概念は単に便利だから使われているのではなく,言語の構造に関する事実を説明するために構築されたものだ.RMモデルはこれらの構築物をそれに代わるものもなしにそぎ落としているために,以下に挙げるような事実と整合性を持たなくなるはずだ.

記号列と分節
  • 標準理論によると,単語の音韻的な表象は,分節(音素)の記号列を含み,それぞれの分節は,その分節の発声の様相(有声/無声,鼻音/口音,前舌/後舌など)に対応する特徴に分解することができることになる.
  • これに対してルメルハートとマククレランドは完全な「分散表象」を使っている.つまり単語はユニットのベクトルで表される単一の発音パターンを持つと扱っている.
  • これにより彼等のモデルには表象順序の問題が生じる.もしユニットがそれぞれの音の特徴に対応するなら,このモデルはaptとpatとtapを区別できないはずだ.この問題に対処するため彼等は3文字単位で冗長処理して前後の文脈を扱えるようにした.これにより例えばstayに対して「無声・無声・有声」「摩擦・閉鎖・低舌」という2つの特徴が活性化され,460ユニットからなるベクトルで入出力が表示されることになる.これにより英語の動詞のそれぞれのパターンを表示できる.
  • しかし人々がこのような文脈感受性を持つユニットを使っていないという十分な証拠がある.
  • 3文字単位のユニットはすべての言語学的な分節をエンコードできない.英語では可能でもほかの言語では無理なのだ.(いくつかの例があげられている.algalとalgalgalを峻別する言語例など)
  • この理論では人々が示す心理学的な傾向を説明できない.例えば,slitとsiltは英語話者には似たように聞こえ,実際にこのような語の置換(brid→bird, thrid→third)が歴史上生じている.
  • モデルからは言語に対する誤った予測が生まれる.例えばこの理論によるとabcという動詞に対してcbaという過去形を対応させることは容易なはずだ.(またその音素をアルファベット順の次の音素に変換する,あるいは特定の音素に別の特定の音素を対応させるなど)しかしそのような過去形変化を持つ言語はない.
  • 基本的な問題は,彼等のモデルでは同じユニットに「記号列を音素に分解すること」と「音素の順序」の両方の機能を持たせようとしているところなのだ.この2つの要求はコンフリクト関係にあるのだ.これは認知構造についてのよく知られた拘束の1つだ.
  • 実際の音素構造はよく研究され,音素特徴,分節(segment),音節(syllable),強勢(stress)とつながる構造は良く理解されている.これらを3文字ユニットのために捨て去ることは実証的な問題を引き起こすのだ.

語形論と音韻論
  • RMモデルは語幹の音韻特徴から過去形の音韻特徴まで1段階のマッピングで計算する.これによりこのモデルは規則と抽象的な表象にかかる多くの言語理論をすべて捨て去ることを可能にしている.
  • しかしこのマッピングは複数のレイヤーで構成されているという圧倒的な証拠がある.
  • walked, jogged, pattedの過去形の接尾辞の(発音)パターンを考えてみよう.これらは語幹の最後の音素に依存して変わる.これらは過去形だけではなく,過去分詞形,形容詞形(sabre-toothed, long-nosed)にも現れる,また別の接尾辞を持つ複数形(hawks, dogs, hoses)や所有格形(Pat’s, Fred’s, Goerge’s)にも同じ現象が現れる.さらに単語の中の連続する子音の発音パターンにも同じ現象がある.英語には無声子音が連続するケース(ax, act)と有声子音が連続するケース(adze)があるが,無声子音の後に有声子音が続くことあるいはその逆(例えば*acd, *agt)はない.
  • 誰にでもわかる説明は,この英語の過去形の発音パターン(t-d-ed)は過去形だけの問題ではないということだ.それは英語を英語らしくしているもっと広い発音規則の一環なのだ.(この音韻ルールはこういうものだ「単語の最後に子音が連続する場合にはそれは全部有声で発音されるか全部無声で発音されなければならない.そして連続する2つの子音が同じか似ている場合にはその間に母音を挿入する」)
  • モデルは単一のコンポーネントで処理するためにこの区別を無視しており,そのためにこの過去形のパターンが英語の一般規則から生じていることを把握できないのだ.

語幹と接辞
  • 言語過程は,語幹をわずかな修正だけでコピーしようとする傾向を持つ.walk/walkedが通常パターンで,go/wentは希なのだ.言語によっては語幹を2回コピーすること(reduplication:重複)がある.そのような言語では,例えばgoの過去形はgogoになる.
  • またある1つの接辞がいろいろな現れ方をする時にその同一性を保とうとする傾向もある.英語の過去形ではdとedが使われる.dに対してobとかizとかguが使われたりはしない.
  • ネットワークモデルの重要な特性の1つは,そのような純粋のコピー操作がモデルにはないということだ.あるセットと別のセットの間に調整可能な連結があるだけだ.そしてペアリングの一貫性だけがモデルの挙動に影響する.そのユニットが何を表しているかは影響しないのだ.(理論家にはあるユニットへのラベル付けが見えるが,モデル自身には見えない)だから言語マッピングにおいてコピー操作がよく見られることは(モデルでは)説明できない.ネットワークモデルは簡単に同一性のない別の記号列に入れ替えてしまうはずなのだ.

ピンカーの「連合学習モデルがうまくいかない理由」の指摘はなお続いている.

2016-06-14 書評 「文化進化論」

[] 「文化進化論19:44  「文化進化論」を含むブックマーク


本書は英国の文化進化の研究者アレックス・メスーディによる文化進化リサーチについての一般向けの解説書である.

文化を進化的に理解しようという試みはかなり古くからある.有名なところではドーキンスが「利己的な遺伝子」(1976)の中で(あくまで進化という現象が,遺伝子が自己複製子である生物進化に限られない例として)取り上げたミームの議論があるし,EOウィルソンも「Genes, Mind and Culture: The coevolutionary process」(未邦訳:1981)において文化と遺伝子の共進化について考察している.しかしこれらの取り組みはその後あまり花開くことなくしぼんでしまっているように見える.結局取り組み視点としては面白いのだが,あまり充実した結果が継続的に得られなかったということなのかもしれない.その中である程度成功している取り組みとしてはカヴァリ=スフォルツァとフェルドマン,およびボイドとリチャーソンによる理論的定式化があるということだろう.本書はこれらの定式化を数式を使わずに解説し,さらにこの基礎の上になされた応用リサーチ,さらに文化系統学的リサーチを総説しているものということになる.

私自身はミーム論の衰亡以降あまりこの文化進化論には深入りして勉強してこなかった.ボイドとリチャーソンについても,理論的定式化の部分はともかく,ヒトの利他的傾向を遺伝子と文化のグループ淘汰で説明しようとする部分があまりにスロッピーに思えて,やや遠ざけてきたところだ.そういう意味では本書の出版はもう一度俯瞰して文化進化を眺めてみるにはよい機会となってくれたといえるだろう.


第1章 文化的な種

最初は当然ながら定義から入っている.ここでの「文化」の定義は「模倣,教育,伝達,言語といった社会的な伝達機構を通じて他者から習得する情報」ということになる.行動を含めずに情報,自分で生みだしたものを含めずに他者から伝達されたものに絞っている.このあたりは定式化で扱いやすい形に工夫しているところなのだろう.

続いて文化の重要性が扱われる.われわれの行動に文化が大きな影響を与えていることは直感的に疑いないところだが,メスーディはきちんとエビデンスを並べる.ここではアメリカ人の市民の義務に関する感覚が移民元のヨーロッパの各国文化と相関を持っていること,最後通牒ゲームでの対応が文化圏によって異なることが示されている.このほか個人的学習だけ,遺伝子だけでは行動の違いを説明できないことなどが解説されている.

なおメスーディはここで進化心理学について,行動を遺伝子レベルの適応として説明しようとし,文化を軽視していると批判している.しかしこれは誤解だ.進化心理学は行動をすべて遺伝子で説明しようとしているのではなく,環境や文化の影響を当然認めている.行動を決定する際の心理メカニズムに文化に依存しないユニバーサルがあり,それが適応形質であると考えているだけだ.このあたりはよくある誤解とはいえ,学問の統合を提唱する割には関連分野についての学識の浅さが垣間見え,本書の残念な部分の1つだ.

第1章の最後ではこれまでの文化研究の問題点が列挙されている.以下のような感じだ.

  • 経済学者,認知心理学者,進化心理学者は人間の行動を文化の観点から説明することは無意味だとして取り組んでこなかった.また文化を静的な環境としか扱わず動的に捉えることをしない.
  • 文化人類学は民族誌学として出発したが,社会構成主義者の批判に萎縮して,定量化や仮説検証を捨て,主観的かつ質的な記述学問に退行した.
  • 文化を扱う社会科学の各分野(経済学,社会学,言語学,歴史学,心理学,人類学,考古学)は分断され,互いに矛盾する仮定を抱え,知見が共有されていない.

2番目3番目はそういうことだろうという感じだが,1番目については言い過ぎだろう.彼等は無意味だとしているのではなく,当面興味のあるテーマについては文化は静的な環境要因と近似的に仮定して問題ないと考えているということだし,また経済学,社会学,心理学が通常興味を持っているトピックについては「文化進化」が問題になるようなタイムフレームを考慮する必要があまりないということだと思う.


第2章 文化進化

第2章では「果たして文化は進化するのか」が扱われる.メスーディはダーウィンの議論に戻り進化の条件を変異,競争,継承(遺伝)として個別に吟味する.通常ダーウィン示した条件は,「個体変異があること」「変異のなかに遺伝性のあるものがあること」「そのような変異に生存や繁殖の差をもたらすものがあること」「生存や繁殖についての競争があること」の4つとされることが多いのでやや違和感がある.メスーディは自然淘汰による進化以外の現象も取り込むために,意識的に適応度について変異があることについて条件から外しているのだろう.しかしそのためダーウィンの明晰な議論がぼけてしまった印象は否めない.

  • 変異:明らかに文化は多様で,いろいろな変異がある
  • 競争:人間の記憶容量と時間は限られた資源であって,各文化はそれについて競争していると考えることができる.(不規則動詞や土器の模様などが例にとられている)
  • 継承(遺伝):文化は人から人と継承される.

そしてさらなる類似点として何点かを挙げている.

  • 適応形質が観察されること:文化にも累積的に改善がなされ見事に合目的的なデザインになっているものがある.
  • 適応はある目的に対して完全になるとは限らないこと:文化にも経路依存性により最適化がはばまれているものがある.(QWERTY配列が例にあげられている)
  • 収斂:類似した文化が独立に生じることがある.(文字が例にあげられている)

こう読んでくると,メスーディは文化進化を取り扱うに当たって「個別の文化進化が真に自然淘汰的か,意識的なデザインによるものか」についての厳密な吟味を不要と考えているらしいことがわかってくる.そしてこれに絡んで文化進化論者がよく巻き込まれるであろういくつかのテーマが次に扱われている.

  • 文化進化はダーウィン的かスペンサー的(必然的進歩)か:様々な文化が同じ段階を経て進歩していくという歴史的事実はない.文化の動態は「進歩」とは異なるし,そう扱うべきではない.本書では文化進化はダーウィン的なものとして取り扱う.
  • 文化進化はネオ・ダーウィン的(遺伝は粒子的な遺伝子により生じ,獲得形質は遺伝せず,変異はランダムに生じる)か:文化要素は必ずしも粒子的ではなく,時に融合する.(ただし巨視的にはそう見えるが,脳神経化学的な理解が進めば微視的には粒子的に説明できるのかもしれないと留保している).獲得形質継承があるか(あるいは文化進化はラマルク的か)については激烈な論争があるが,結局遺伝子型と表現型をどう考えるかということに帰着する.素直に外から観察される文化要素は表現型であるとし,「獲得された文化要素が次世代に継承されることがある」と考えれば,ラマルク的だと扱って差し支えない.また文化の変異が人々の意図に影響されることは間違いない.そういう意味で文化進化はネオ・ダーウィン的ではない.

本章の最後にメスーディはミクロとマクロの融合というテーマを取り扱っている.生物についてネオダーウィニズムの集団遺伝学理論が小進化と大進化についての考えを統一できたように,文化進化についても個人の行動を扱う心理学のようなミクロの議論と,社会全体の文化を扱う文化人類学や考古学のようなマクロの議論を統合すべきであり,文化進化論こそがそれを可能にするという主張だ.そしてどのようにそれが可能になるかは第3章以降で説明するということになる.


第3章 文化の小進化

ここではカヴァリ=スフォルツァとフェルドマン,およびボイドとリチャーソンによる文化進化の理論的定式化が解説される.結局いろいろな文化伝達があるのでバラエティに富んだメカニズムが定式化されている.基本的には垂直,水平,斜めの伝達があり,伝達には「1対1」と「1対多」形式があり,変異にはランダムなものとそうでないものがあり,粒子的な文化要素と融合的な文化要素があり,浮動と淘汰の両方があるという形になる.

興味深いのは,この枠組みでは進化の方向性は,「変異自体の方向性(誘導バイアス)」と「淘汰」という2つの力により決まることだ.そしてどのように淘汰がかかるか(つまりどのようなものに高い適応度があるのか)についても生物進化より広くなる.それはその文化要素の内容に魅力がある場合(内容バイアス),誰に教わるかによりより継承されやすくなる場合(モデルバイアス),さらにヒトの心理的傾向から頻度依存効果がかかる場合(同調バイアスなど)があるとされる.このようなモデルからわかることとして以下のような解説がある.

継承形式>
  • 基本的には水平文化伝達,誘導バイアス(ラマルク的な要素)があると素速く広がり(変化しやすくなり),同調バイアスがあると正の頻度依存効果がかかる.また垂直伝達が主要な文化要素は安定する.メスーディは宗教がこれに当たるとしている.
  • 文化要素が融合的なら,なぜすべて融合して一様化されないかが問題になる.カヴァリ=スフォルツァとフェルドマンの理論では文化要素は融合されることが基本になっているが,変異が生まれやすいこと,同調バイアスにより異なる集団で異なる文化が広まることでそれが防がれるというモデルになっている.
<変異>
  • 変異の現れ方に誘導バイアスがあると,淘汰とは異なる方向に進化しうる.ただ誘導バイアス自体が一様でなく,誘導方向自体に淘汰が効きうるのですべてそれに依存してしまうわけではない.
<淘汰>
  • 内容バイアス:淘汰による文化進化動態を考える上ではどのような内容がより魅力的かということが重要になる.既存の信念体系と矛盾せず,役に立ち,理解しやすいものが魅力的だということになる.広まりやすい文化要素と世代が変わらないと広がらない文化要素の違いはこのような分析により理解できるようになる.ここは実際のリサーチ(ハイブリッドコーンの普及は変異の誘導バイアスよりも内容バイアスによる淘汰によってうまく説明できる)も紹介されている.
  • 頻度依存バイアス:正の頻度依存(同調バイアス)と負の頻度依存のものがある.人が他人の意見に左右されることは社会心理学者がよく示してきている.ただし同調が生じている(より頻度が高いとより模倣する)のか単純な模倣のみなのかをテストするのは難しい.これは実際に生じた普及カーブから識別可能だ.同調バイアスがあると頻度が低い場合には内容バイアスによる淘汰に抵抗する力となる.
  • モデルバイアス:ボイドとリチャーソンはこれをモデル化して適応行動を習得する方法として,名声のあるモデルをより模倣することに利点があることを示している.(要するに名声者の一部の行動はその名声と関連しているということだろう)そして実際に人々にこのバイアスがあることも示されている.この淘汰過程は名声とその模倣される特徴のランナウェイを生みだしうる.

<浮動,拡散>

  • (淘汰ではなく)浮動によって文化進化が生じたかどうかは文化要素の頻度が冪乗分布をとっているかどうかで推測できる.陶器の模様,ポピュラーソング,犬種の流行などがこれに当てはまることが示されている.
  • 文化がある地域から別の地域に広がる場合には,ヒトの集団自体が移動する場合(デーム型拡散)と文化要素のみが広がる場合(文化的拡散)の2通りある.

なかなか複雑な数理的なモデルが数式なしにうまく説明されている.淘汰のところを読むとなぜメスーディが第2章で適応度について進化条件から外していたかがわかる.結局文化進化においては生物の自然淘汰のように変異自体が適応度に効いている場合以外にも,同調バイアスやモデルバイアスによる進化過程があって,それだけでは進化動態を説明できないということなのだろう.

メスーディは説明を避けているが,結局伝達や淘汰様式が多様なので,どのような文化が進化するかという予測は難しいだろう.特に適応度がその変異と無関係に決まるので,生物の進化理論のように適応形質をその特徴から数理的に記述できないことになり,そして浮動もランダムな過程ではないので数理的な処理が複雑になる.だから理論が実際に応用されるのは,実際に生じた文化進化がどの様式によるものだったかについて過去を振り返って調べるという部分に限られやすくなるのだろう(そしてこれだけパラメータが多いとほとんどどんな現象も後付けで説明可能になってしまうのではないかという印象だ).


第4章 文化の大進化1 考古学と人類学

ここでは文化進化のメカニズムから離れて,歴史的に生じた過去の文化進化経路を推測するという文化系統学がテーマとなる.

メスーディはまず系統学の基礎,最節約法を解説し,それを過去の文化進化過程の復元に応用する試みとして文化系統学を説明し,その代表的な取り組みとしてまず北米の尖頭器形状の推移についてのリサーチ,サブサハラの牧畜農耕文化とと相続慣行の推移の推定リサーチを紹介している.その上で,文化的パターンの分析についてのいくつかの論点を提示する.

  • 文化の推移は生物進化のようにツリー状になるのか:確かに文化要素は融合しうるので,文化進化はネットワーク状になり得る.しかし実際のリサーチによると分岐的になることが一般的であることが示されている.何故そうなのかについては「伝達分離メカニズム」(自民族中心主義など)が挙げられている.
  • 浮動をモデル化した文化多様性の分析:機能上の目的がない文化要素は浮動しやすいと考えられる.主として浮動により文化進化が生じるなら文化の継承が多い集団内では多様性が抑えられ,文化の継承の少ない集団間では多様になるというパターンが生まれるだろう.北米のウッドランド期(B.C.200-A.D.800)の陶器の模様のリサーチではこのモデルでうまく説明できたが,欧州の新石器時代の陶器の模様ではうまく説明できなかった.リサーチャーは後者においては反同調バイアスにより浮動モデルの予測より多様性が生まれたのだろうと考えている.
  • 同じく浮動のモデルによる集団の大きさについての分析:ハンドアックスの幅と長さにおける多様性を分析した結果は初期ホミニンの出アフリカ時のボトルネックモデルと整合的だった.

第5章 文化の大進化2 言語と歴史

まず言語の系統学的なリサーチが紹介されている.挙げられているのは,系統学を応用した言語系統樹の推定,インド=ヨーロッパ語族の起源の探求,言語の進化パターン,語彙の消滅と使用頻度の相関性の分析などだ.

  • 言語の進化は漸進的か断続平衡的か:バンツー語族,インド=ヨーロッパ語族,オーストロネシア語族について系統樹を前提にしたベイズ的な分析により分岐と分岐の間に生じた語彙変化の量を推定した結果,断続平衡的だという結果が得られているとしている.理由については分岐時に環境の変化が大きくなったり社会的なアイデンティティへの希求が生じやすいことが示唆されている.

また写本の系統学のリサーチとしてカンタベリー物語の写本の系統図の推定も取り上げられている.

次に歴史への応用として帝国の興亡を説明する微分方程式モデルが紹介されている.ただこれは進化学というより個体群生態学の応用であって,本書のテーマとはやや別のところにあるもののように思える.どうやらメスーディはこのモデルの中へ社会的結束要因を付け加えるべきであり,それはボイドとリチャーソンの文化グループ淘汰モデルの具体的応用と位置づけられるとして提示しているようだ.文化グループ淘汰モデルについては詳しい説明もなく,ややスロッピーな印象だ.

ここで歴史を単純なモデルで分析することについての批判が取り上げられている.「文化は複雑すぎて単純なモデルでは分析できない」「文化は独特で特別だ」という批判だが,フレームの単純化は問題理解のための有用な手法であること,文化にも一般化できる要素があり,それに注目することで理解が深まることを挙げて反論している.もっともな反論だろう.


第6章 進化の実験

ここまで扱った文化進化リサーチは理論的定式化と既に生じたパターンの分析だ.しかし文化進化リサーチにおいては実験も可能だというのが本章の主張だ.まず生物進化についてレンスキの大腸菌進化実験を解説してから,文化進化の実験例についていくつか紹介している.

  • 伝言ゲーム形式などにより被験者から別の被験者へ繰り返しある内容を伝えさせ,伝達の正確性と内容の関連を調べるもの.社会関連の話がより正確に伝達されやすい(ゴシップがよりうまく伝わる)という「社会脳仮説」と整合的な内容バイアス結果が得られている.また「最小限の反直感性を持つ概念」が生き残りやすいという結果(これは内容バイアスと誘導された変異の両方が効いている)も報告されている.
  • ごく限られた概念を扱う全く新しい「言語」を被験者に作らせて,被験者を入れ替えながら使用させるもの.何世代か経ると単純化が生じてエラー率が下がることなどが観測されている.
  • 複数のナッシュ均衡を持つゲーム(男女の争いゲーム)を被験者を入れ替えながら行って選ばれる均衡に文化的な継承があるかどうかを見るもの.いろいろな情報を与える形式を比較すると,被験者は過去の総履歴より直前の均衡に強く影響されることがわかった.
  • 写本を実際に作らせて写本データから系統樹が再構成されるかどうか調べるもの.結果うまく再現できた.
  • 被験者にコンピュータ内で矢じりの形状をデザインしてもらい,その際にその矢じりの効果を仮想狩猟シミュレーションにより評価したものを被験者にフィードバックするという実験において,誘導された変異的状況と名声バイアス的状況を対比させ,多数の被験者の作る矢じりの多様性にどう影響するかを調べるもの.予想通り名声バイアスがある状況下では矢じりの多様性は小さくなった.

いろいろな実験の様子は楽しい.メスーディはこのような実験について既存学問では得られない結果を生みだしうると評価している*1が,やや言い過ぎだろう.ここで挙げられている実験はかなり初歩的なもので,社会心理学などの既往知見を伝達形式にして裏付けているものだという印象だ.とはいえ,文化進化理論の様々な仮定や予想を検証できる手法として大きな意味があるのは間違いないところだ.


第7章  進化民族誌学

実験の次はフィールド観察になる.グラント夫妻のガラパゴスフィンチの長期リサーチを紹介し,現在の文化人類学が主観的な記述学問に堕していることをもう一度批判し,ここに統計的な手法を持ち込むべきだと主張し,そしていくつかの初期の試みを紹介している.

  • アカ族の文化継承に関する定量リサーチ:50の要素について誰に教わったか聞き取りリサーチしたもの.ほとんどの技術は垂直の文化伝達が優勢であるが,歌や踊りなどでは水平伝達も重要で,新しい狩猟技術(クロスボウなど)は別部落からの水平伝達が重要だった.
  • コンゴの食のタブーのリサーチ:聞き取りだけでなく,タブー食品の組み合わせの類似から伝達経路を推定した.聞き取りでは76%が親からと回答されたが,タブー食品のパターンを調べると,男系継承される先祖伝来タブー,母から継承される妊婦が避けるべき同質タブーの両方があることが見いだされた.また回答は垂直伝達について誇張されていることがわかった.
  • チマネ族の民族植物学知識のリサーチ:270人を対象にした大規模リサーチ.重回帰分析を用いて知識については斜めの伝達が,技術については縦の伝達が重要であることを見いだした.
  • 哲学者デイヴィッド・ハルによる分類学者の間での分岐論の広がりを調べたリサーチ:ハルの観察は「知識は主観的である」という社会構成主義者の主張には合致しなかった.ハルは,分類学者は自分たちの「概念の包括適応度」を高めるように行動している(つまり自分が分岐論を支持しているなら分岐論が優勢になるようにリサーチしたり出版発表を行っている)と結論づけた.メスーディはこれは文化グループ淘汰プロセスと見なせるとコメントしている.

メスーディは最後に.これまでのフィールドリサーチは伝達経路の部分に偏っているが今後はリサーチエリアがより広がるだろうと述べている.またフィールドリサーチにおいて現在の社会学は様々な現象をネットワーク理論で捉えようとしているが,この理論はネットワーク自体の誕生や変化を捉えることはできず,文化進化論との統合が望ましいとコメントしている.


第8章 進化経済学

本章は文化進化論を経済学に応用すべきだという主張をまとめたものになる.ただ全体に上滑っている印象だ.

まずネルソンとウィンターによる議論を紹介している.彼等は従来の経済学は合理的経済人の仮定と静的均衡にとらわれているが,もっとルーティン行動を重視し,動態に着目すべきだと主張した.メスーディはこのルーティン行動の伝達を考察することがこれまでの経済学にできなかった経済現象の理解に有効だとコメントし,ポラロイド社がデジタル技術に対応できなかったことを例にあげている.ここは納得できない説明だ.そもそもこの問題は経済学というより経営学の問題で,経営学ではポラロイド社と富士フイルム社の戦略意思決定の対比について様々な議論があるところだろう.そして分析に経済学理論を使うにしても,経済学の合理的経済人の仮定はすべての企業がデジタル技術に正しく対処できることを意味するわけではないだろう.

またメスーディは企業競争をグループ淘汰のフレームで,企業競争の場面における技術の進展を文化進化のフレームで捉えることができるだろうとコメントしている.なお実際の取り組みはこれからということなので,希望的な観測というところだろう.

次に合理的経済人の仮定に関して,最後通牒ゲームにおける人々の振る舞いを示し,現行の経済学を批判している.ここもよくある筋悪の批判だ.メスーディは第5章においては単純なモデルを使って複雑な現象を理解しようとする試みを擁護している.なぜ経済学も同じことをしているのだと考えられないのだろうか.基本的に合理的経済人の仮定は近似的には十分うまく当てはまり,モデルを単純化して解析を容易にするメリットを与えてくれるものだということだろう.批判するなら,それは近似的にも成り立っていないことを示し,さらに代替フレームを提示しなければフェアではないと思う.

さらにメスーディは最後通牒ゲームの人々を振る舞いを説明するものとしてボイドとリチャーソンの遺伝子と文化のグループ淘汰による利他性の議論のみをあげているが,ここも思いっきりスロッピーだ.最後通牒ゲームにおける人々の振る舞いは利他性を仮定しない形でも十分に説明可能であり(相手の反応の心理的傾向も考慮に入れた上で自己利益を最大化させていると考えることもできる),さらにヒトの利他性についてグループ淘汰を用いないで説明する方法も幾通りもある.このあたりはまさに恐れていた通りの残念さだ.またさらにこの文化的グループ淘汰理論の応用として,企業の拡大と収縮を従業員の利己性と利他性の文化伝達から説明するモデルも紹介している.しかし(メスーディによる紹介を読む限りでは)従業員に対してインセンティブをどう与えるかという制度デザインを無視しているような議論であり,説得力は感じられなかった.

メスーディは,本章の最後で「文化進化は従来の経済理論より正確に経済現象を説明する」と結論をおいているが,より理解するための単純化の前提が完全には正確ではないとあげつらっているだけで,文化進化を使ってより正確な経済現象の理解が得られている例を提供できているとはいえないと思う.文化進化を使って面白いことができるのは確かだろうが,他分野の理解も怪しい中で不必要な批判を行い,文化進化理論を誇大宣伝するこの態度はいただけない.


第9章 人間以外の種の文化

メスーディはここで一転してヒト以外の動物の文化を扱っている.多くの動物の社会的学習,さらに文化的伝統が観察されたことを紹介し,その上で蓄積された文化進化がヒト以外には見られないと指摘する.ではそれを分ける認知能力は何か.メスーディは過剰な模倣傾向,よい方法へ改善する意欲,教育などの議論を簡単に紹介している*2.ここは基本的には生物学の解説ということになるだろう.いずれにせよ文化進化はまだヒトにしか見られていないということだ.


第10章 社会科学の進化的統合に向けて

まず現状の社会科学の「深刻な」問題点が3つ挙げられている.(第1章の復習ということだが,少し中身が入れ替わっている.)

  • 多くの分野では定量的な手法を回避してきた結果,検証可能な予測を立てるのが困難になっている.
  • それを回避していない心理学,経済学は文化を無視して個人行動ばかりに注目している
  • 社会科学はいくつもの分野に分裂し.知見の交流がなく,互いに相容れない仮定に固執している

そしてこれは文化進化のリサーチによって統合できると主張する.その利点については以下のように整理している.

  • 文化伝承の数理モデル,系統学モデルによる検証可能な体系
  • 本質的に分析は静的ではなく動的なものになる
  • 学際的な研究が実際に取り組まれている

続いて文化進化と生物進化の(ややルーズな)分野対比図を示し,文化進化リサーチの空白エリアを今後の有望エリアとしていくつか挙げている,

  • 文化進化発生学:脳の情報がどのように行動,言葉,人工物,制度として現れるかを探索する
  • 神経ミーム学:分子レベルで文化情報がどのように脳内で蓄積,複製,伝達されるかを探索する(生物進化では分子遺伝学に当たるものを考えている.いわゆる「ミーム学」が含んでいる領域のごく一部ということになるだろう)

メスーディは最後にいくつかの未解決問題(何故ヒトだけに文化進化があるのか,大規模な協力社会を実現するものは何か)と文化進化リサーチの将来的なメリット(喫煙,飲酒などの悪習慣,模倣自殺を抑えるなどの方策が得られるかもしれない)を挙げて将来を展望して本書を終えている.


 

本書は様々なトピックについて文化進化リサーチの現在を教えてくれる充実した解説書だ.一部既存分野への浅い批判と誇大宣伝振りが目につくが,そこを注意すれば,文化進化リサーチの大きな体系(伝達様式の数理化と系統学の応用)とその中での実際のリサーチの進展の状況がわかりやすく示されている.(さらに本書には竹澤正哲によるさらに大きなフレームでの解説が収録されていてあわせて有益なまとめになっている)

リサーチが地道に進展し,学際的交流が増えて,社会科学各分野のフレームの共有が実現すればいろいろと有益なことも多いだろう.文化の変遷やその学際的なとらえ方に興味のある読者には興味深い本に仕上がっていると思う.



関連書籍


原書


ミーム論の行き詰りについてはこの本.


本書で扱われている理論的定式化に関する本

Culture and the Evolutionary Process

Culture and the Evolutionary Process


上記の著者たちによる一般向けの本


文化進化についての哲学的な整理についてはこの本が詳しい.遺伝子と文化の共進化,ミーム学のほか文化疫学モデルが整理されている.私の書評http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20150520


文化系統学についてはこの本.

文化系統学への招待―文化の進化パターンを探る

文化系統学への招待―文化の進化パターンを探る


ドーキンスのミームは「The Selfish Gene」に収録されている.「The Selfish Gene」も初版刊行40周年と言うことで,「40周年記念版」がつい先日刊行されたようだ.


EOウィルソンとラムズデンによる初期の取り組み.

*1ナッシュ均衡の文化伝承実験について,これは経済学の理論と衝突する結果が得られたものだと主張しているが,そうだろうか.経済学理論は総履歴を参照する戦略のみがこのゲームの合理解だといっているわけではないだろう.

*2:このほかに心の理論,記号的コミュニケーション,言語なども候補としてあげられている

2016-06-11 Language, Cognition, and Human Nature その31

Language, Cognition, and Human Nature 第3論文 「ヒトの言語における規則と接続」 その2 08:48 Language, Cognition, and Human Nature 第3論文 「ヒトの言語における規則と接続」 その2を含むブックマーク


ピンカーは背景説明から論文を始めている.問題の所在,注目を集めているある理論があることが冒頭で語られる.


導入

  • 神経科学の発見がヒトの知性を説明するのに役立つことを皆望んでいるだろう.しかしそれが1ステップで可能などとは誰も考えていない.神経科学認知科学はどこか中間にある認知アーキテクチャーの部分に収束していくのだろう.そこでは神経組織でなされる情報処理,それが基礎ブロックになる認知アルゴリズム,そしてそれによる知性的行動を特定するようなものだろう.
  • この中間レベルは補足しにくい.神経科学者は発火,活性化,抑制,可塑性などを調べ,認知科学者は規則,表象,シンボル操作を調べる.シンボル操作をコンピュータアルゴリズムにするのは簡単そうだが,どうすれはそれを神経組織に実装できるのかはよくわからない.
  • 中間レベルの理論は厳しい基準を超えなければならない.神経生理学,神経解剖学の知見に従い,その上で認知の基礎となるべき計算能力を持たなければならないのだ.

  • 近年ある理論がそれを成し遂げたと主張し,熱狂を生んでいる.コネクショニストモデル,あるいは並列分散処理モデルと呼ばれるものは,密に相互接続された巨大な数のユニット(ノード)のネットワークを用いた認知システムをモデル化したものだ.
  • ユニットは重み付けされた連結を通して信号を伝達する.あるユニットは入力の重み付けを足し合わせ計算し,非線形関数を経過させて(通常は閾値により0か1かという形で)出力を決める.学習は現状の出力と教育入力セットによる望ましい出力を比較し,重み付けの調整と閾値の調整という形で生じる.
  • これは純粋の神経組織モデルではないが,似ている部分もある.しかし学習メカニズムは似ていない,またこれまで知られている神経接続のトポロジーともかけ離れている.にもかかわらず支持者はこれを「頭脳スタイル」とか「頭脳メタファー」モデルと呼び,神経科学者の注目を集めている.
  • この注目あるいは熱狂の主要な理由は,モデルが規則を全く含んでいないにもかかわらず,規則を会得したかのような振る舞いをすることを示したことだ.それは神経生理学と認知理論の架け橋をなることをほのめかしているというわけだ.

  • 最も劇的で最も引用されている並列分散処理による規則を得たようなような振る舞いは,ルメルハートとマククレランドの「英語の過去形の獲得」モデルだ.
  • 英語の動詞の過去形には規則動詞の過去形と不規則動詞の過去形がある.幼児は早くから両方とも使えるようになるが,最初は過剰に規則化することもある.また幼稚園に通う頃には規則動詞の語尾にあわせた発音の変化をこなせるようになる.伝統的な解釈は子供は親の過去形を聞いてまず覚え,それから規則を抽出するというものだ.
  • ルメルハートとマククレランドのネットワークモデルは,全く規則を内包していないにもかかわらず子供と同じような振る舞いを見せた.そのモデルは,単語,規則動詞と不規則動詞,語根(root),語幹(stem),接辞などのカテゴリーを持たない.単純な2層のネットワークに,動詞の語根に対応した入力の際にオン,オフになるユニットのセットと,動詞の過去形に対応した出力の際にオン,オフになるユニットのセット,そしてすべての入力ユニットとすべての出力ユニットの連結を持つだけなのだ.学習の際にはネットワークは自分が出力した過去形と「教師」から示された過去形を比較し,その違いを減らすように連結の重みと閾値を調整する.
  • ルメルハートとマククレランドは,これは(言語学が過去25年間にわたってその可能性を放棄してきた)言語獲得の連合理論(associationist theories)の可能性を示すものだと示唆し,多くの学者が賛同している.これをより洗練させていけば神経科学認知科学の架け橋になれるだろうというのだ.

ここでピンカーはルメルハートとマククレランドのモデルがどうなっているかをボックス3.1として詳しく解説している.簡単に要約すると以下のようになる

BOX 3.1 ルメルハートとマククレランドのモデルはどう動くか

  • 動詞の語幹(の発音)をインプット,過去形(の発音)をアウトプットする2層レイヤーのネットワーク.各ノードはオンとオフの2値のみをとる.個別の語幹や過去形に対して複数のノードのオンオフの組み合わせが対応する.
  • 問題は語幹や過去形の要素は順序を持って提示されるが,ノードのオンオフの組み合わせは時間の次元が無いことだ.(つまりpitとtipを区別するのが難しくなる)
  • ルメルハートとマククレランドはこれに対処するために入出力を3文字語にする方策を採用している.具体的には単語区切りを#としたときに,このスキームではstripを {ip#, rip, str, tri, #st} と入出力する.(要するに順序情報を要素内に与えて再構成可能にするということらしい)
  • しかしこれは次の2つの理由でうまくいかない.
  • これで英語の動詞の語幹,過去形を構成するために入力に43000ノード,出力に43000ノードが必要になり,その間の連結は20億を超える.
  • モデルが興味深くなるためには,類似に基づく一般化学習が可能でなければならない.音韻規則は音素をそれ以上分析できないアトムとは扱わず,様々な音韻特徴を用いるが,このシステムではそれを扱えない.(例えば,規則動詞の過去形は動詞の最後が子音の場合にそれが無声かどうかでedの発音が変わるが,このシステムでは無声かどうかを示すことができない.)
  • ルメルハートとマククレランドはこれらの問題に対処するために,まず(ここでは議論しないある簡略化方策で)ノード数を460までに縮小し,さらに入出力レイヤーにそれぞれ綴りと発音についての変換規則を作る2層システムを実装した.
  • これで音韻入力を受けたノードの組み合わせがルールを示す連結(エンコードシステム)を通して次の語幹の特徴を示すノードの組み合わせに反映される.(出力時には特徴の組み合わせから連結(デコードシステム)を通して音韻を示す組み合わせに反映される)そしてこの入力特徴ノード群と出力の特徴ノード群の間にある連結ネットワークにおいて(実際の出力と望ましい出力の差を減少させるように)連合学習による重み付けと閾値が各ノードベースで調整されることになる.(これをパーセプトロン収束過程と呼んでいる)
  • このルメルハートとマククレランドのモデルは420動詞についてそれぞれ200訓練を行った(合計8万程度の試行)結果,正しい過去形を示すようになった.
  • エンコードシステムとデコードシステムは彼等のフォーカスではないが,実際には正しいエンコードデコードができるように注意深くデザインされている.(複雑な取り組みがかなり詳しく紹介されている)

ここからピンカーは,最近最も強力な言語にかかる並列分散処理モデルですら実証的にはうまくいかないという主張が相次いでいること,そのエビデンスは子供の言語の特徴,人々が文や単語について自然だと感じるかどうかについての規則性,モデルのシミュレーションそのものなど多岐にわたっていることを挙げ,その吟味は「連合ネットワークでヒトの規則にかかる知性を説明できる」という主張の是非にとり重要だと指摘し,エビデンスについてレビューしていくとしている.

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