「保全遺伝学入門」

保全遺伝学入門

保全遺伝学入門



2002年に出版されたFrankham, Ballou, Briscoeによる教科書「Introduction to Conservation Genetics」の邦訳である.非常にきちんとした教科書で,各章のまとめのあとに問題があり,巻末にはその答えが載せられている.巻末のグロッサリー,文献,索引も充実しており,これだけでもレファレンスとして使えるだろう.全751ページというヴォリューム,内容から言って税込み7560円はお買得だと思う.

学習者の立場から見てうれしいのは,飽きさせない作りだ.本の中に美しい絶滅危惧種のイラストがふんだんにちりばめられ,保全の具体例もふんだんにコラムとして紹介されており,無味乾燥になりがちな集団遺伝学的な学習に対して,保全の具体的な状況がわかりやすく紹介されている.


私自身はイラストに引かれて購入し,しばらくぶりに集団遺伝学の初歩を復習しようと思って読み始めたのだが,本書は集団遺伝学の易しい入門書としてもお勧めできる.初歩の遺伝学から一通り復習できた.また理論的なことはもちろんきちんと解説されていることに加え,各種遺伝的多様性調査方法の比較など実務的なポイントも押さえているところも優れていると思われる.


さて保全ということに関しての本書の主張は,実務的に絶滅危惧種保全しようとする場合にはその遺伝学的なケアは非常に重要だというものだ.特にまず近交弱勢の問題が深刻だ.ほとんどの生物種で一定以上近交係数が高まると適応度が半分以下に下がるというのは非常に重要な知見だろう.初期の保全努力ではここに無頓着な例もあったようだ.
続いて,遺伝的多様性が失われると将来の環境変動に対しての進化可能性が減少してしまうという問題が強調されている.これは量的遺伝を扱う集団遺伝学ならではの主張で説得力がある.いずれにせよ絶滅危惧種は集団規模が小さく集団が分断されていることが多いので遺伝的多様性の減少は重要な関心事項だ.きちんと集団の遺伝構成や系図を確認しながら注意深く交配をデザインすれば遺伝的多様性の減少はかなり防げるのだ.
面白いのは飼育環境への遺伝的適応が,野外に戻したときに大きな問題になるという主張だ.ショウジョウバエでの実験結果は50世代の飼育集団を野外に戻したときに大幅な適応度減少として現れており,衝撃的だ.大型動物ではどうしてもおとなしい動物が残ってしまうだろう.進化的に考えて興味深いところだ.
当然ながら何を保全するかと言うことで「種」問題にも1章さかれているが,本書ではあっさりと,これまで「生物学的種概念」が保全の現場に大きな影響を与えてきたが普遍的に受け入れられる種概念は存在しないと言い切っている.実務的に異系交配弱勢が生じるかどうか,適応的な遺伝分化を示しているかで管理単位を考えていくことが必要だというスタンスだ.プラグマティックで好感が持てる.


いろいろなトレードオフもあるが,現在の絶滅危惧種保全プロジェクトは遺伝的多様性をきちんと保つという観点からは集団サイズが小さい傾向にあることがわかる.本書では大まかに言って,近交弱性の問題を考えると個体数は500個体,環境適応能力のための遺伝的多様性の観点からは5000個体が望ましいと主張している.たしかにそうなのだろうが,全体の予算やリソースから言っても難しい問題だろう.


最後に「集団存続可能性解析」が紹介されていて,様々なプログラムの分析結果と実際の結果がかなり高い収束を示し,個別のパラメーターを動かしてシミュレートすればパラメーターが絶滅確率へ与える影響分析ができ,それが保全の実務に非常に役立つという解説が印象的だった.もちろん絶滅危惧種の生活史など各種パラメーターがわかっていないとうまくワークしないのだろうが,知識の蓄積の力を見るようで興味深い.


保全に興味を持つ方,集団遺伝学に興味のある方にはとてもよい教科書として推薦できる.