「神はなぜいるのか?」


神はなぜいるのか? (叢書コムニス 6)

神はなぜいるのか? (叢書コムニス 6)


本書は文化人類学パスカル・ボイヤー*1によるもので,宗教の様々な活動を認知科学進化心理学的に解説して見せたものである.原題は「Religion Explained」*2.「説明された宗教」ということで,本書は邦題のように「神」が「存在する」理由を説明しているわけではない.

本書の出版は2001年で,デネットドーキンスの一連の宗教に関する著書の先駆けとなっていて,これらの本でも好意的に引用されている.私としても機会あれば読みたいと思っていたので訳出されて大変ありがたかった.


さて,本書の内容であるが,基本の説明軸は,様々な宗教現象を現在のいろいろな科学的な知見からどのように説明できるのかという問題を扱っている.だから,そもそも神がいるのかどうかということは扱っていないし*3,宗教がよいものか,宗教と科学は両立しうるか,宗教の「呪文」は解いてあげるべきか*4,宗教はいま受けているリスペクトに値するものか*5,とかいう問題についてはふれないというスタンスを貫いている.また説明の次元は,まず認知科学を基本とした至近的なメカニズムを考察し,時に進化心理的な究極因にも踏み込んでいる.最終的な結論は進化で形作られた心にとってある種の概念が適合的で寄生的に成功するという説明が基本であるが,取り上げる宗教現象は多岐に及んでおり,かなりつっこんだところまで詳しく説明が試みられている.叙述としては淡々としており,スタンスともあわせて上品でクールな本だという印象だ.


少し詳しく紹介すると,最初はまず何故ヒトはおかしなことを信じるのだろうというつかみから始まる.そして進化により,心は特定の種類の宗教を持つことができる特殊なものになったのだという概観を示す.
そしてよくある宗教の説明である,1.物事に説明を与える,2.人に安らぎを与える,3.社会に秩序を与える,4.認知的な錯誤である,という4つについて論破していく.1から3については実際にそのような機能はないのではという問題と別に,仮にそれが真実だとしてもそれは人が宗教を信じられることの説明には不十分であり,進化的な説明が重要であると主張される.基本的にはミーム進化的な説明が必要だ(なお本書ではミームという用語はまったく使われていないが,本質的な主張はミーム論そのもののように思われる)と言うことで,非常に進化生物学的認識に親和的であることが示される.なお4.についてはある意味で正しいのだが,それだけでは何も説明していることにはならないと手厳しい.


そしてミーム的な概念を持つ媒体としての心には感染しやすいものがあることが重要だと示唆し,どのようなものが印象づけられやすいかの考察にはいる.ボイヤーによると印象づけられやすい概念のテンプレートにはいくつかの特徴がある.それはあるカテゴリーのものに何か特殊タグがつけられているもので,特に何かひとつ反直感的な情報があるものだ.そういうものは人の印象に残りやすい.
ではなぜ心はそうなっているのか.心は,進化の結果,領域特殊的な推論システムの集合体であり,そのほとんどは無意識になされるというデザインになっている.それには直感物理学,直感社会心理学,直感生物学などが含まれる.そして例えば,病気の感染リスクを評価する心と反直感的な概念が組み合わさると「穢れ」の概念に結びつく.つまり宗教的な概念は推論システムに特殊に働きかけるものだという主張である.


ここからはいろいろな宗教的な現象の各論である.


「神」
上述のような印象づけられやすい概念のうち超自然的存在で心を持つような概念は,社会的な心の推論システムと結びついてシリアスな信念に結びつきやすい.社会的相互作用の相手となるもので,多くの戦略的な情報を持っているものは非常に重要な問題相手になるのだ.このボイヤーの主張は,要するに「神」は社会的な心に寄生しやすいミームだということだろう.



「道徳」
まず道徳とは何かという問題から整理している.ルールと推論システム,感情の2つの要素があり,さらに文化的には多様だが,そのコアにはユニバーサルな直感的な道徳律があるのだ.このあたりはハウザーが詳しく論じているところだ.
そしてその進化的な基盤については利他性の進化についての概要が示される.ボイヤーはここでは特にコミットメントにかかる感情について強調している.
ではなぜこの道徳が神と結びつくのか.それは神が多くの戦略的な情報を持つ普遍的な関与者であり,災いという罰の手段を持つものであるために道徳の直感的な概念に適合的であるためだ.つまり「神」は道徳感情にも寄生しやすいミームだということだ.


「死」への関与
まず遺体は感染源であり何らかの処理が必要だ.またそれは対人関係に関する様々な推論システムを誘発するという非常に特殊な認知的な効果があり,超自然的なテンプレートに適合しやすい.それは「霊」に関しての関心が,どのようにそうなるのかにはなく,自分たちにどのような影響があるのかに絞られていることからもわかる.要するにこれも寄生しやすいミームだという説明だ.


儀礼
何故このようなことに時間と資源を使うのだろうか.ボイヤーはこれを適応的に説明することは困難だとして詳しく説明している.ボイヤーは宗教的儀式が強迫観念症に類似していることを指摘し,社会集団自体を擬人化して捉えて,その属性に本質的な部分があるという直感から儀式の小道具が社会的な効果があると信じやすくなっていると説明.さらにその儀式に「神」が関係するかどうかはオプションだが,適合しやすいために結びつきやすくなっているのではないかと主張している.


ここまでの宗教現象の説明は一言で言って「進化したヒトの心に寄生するミーム」として様々な宗教現象を説明しようというもので,至近的にはかなりうまく説明できていると思う.


「異端排除の暴力」
ここでのボイヤーの説明はここまでとちょっと違っている.宗教は農業文明以降専門家を生み出し,政治に介入しブランドを確立でき社会的な結束を固めることができたもののみ淘汰を生き残ったのだというのが説明の骨子になる.つまり単に心に寄生したミームミームコンプレックスを作って自らの利益にかかる淘汰をくぐり抜けたために一定の特徴を持つようになったという説明だ.だから現在繁栄している宗教は政治的に権威を持ち,神聖なテキストや論理的な教義を持ち,宗徒の結束が高いのだ.
そしてボイヤーは原理主義は,このようなブランド宗教が現代文明に対して試みる必死の抵抗であると解説する.つまり現代社会は「ほかの生き方も可能」で「それもコストを払わなくても可能」だということを意味しているが,それこそこれまで成功してきた宗教の根幹を崩すものだからだ.原理主義の暴力を含めた様々な特徴は「離脱は高くつくのだ」ということを示したいのだと考えればうまく説明できると主張している.
前段は成功するミームコンプレックスとしての説明でわかりやすい.後段は興味深い仮説だが,なぜそのような抵抗が生じて,さらに大きな流れとなっているのか(そしてある程度成功しているか)を進化的に説明することには成功していないように思う.今後の課題というところだろう.


最終章はまとめ
具体的な様々な推論システムの説明とそこから無意識の解釈としての宗教的な概念が生まれてくる様を論じている.ポイントは宗教概念はまず仮説として提示され,その真偽を吟味されるのではなく,心の無意識の部分(様々な推論システムがそこにある状況を解釈していく)で解釈されてそこに現れるものだということだ.これにより,親と同じ宗教になりやすいこと,信じる人と信じない人があること,科学があるのにもかかわらず宗教的信念が興隆していることを説明できると主張し,最後に宗教は心に印象づけられるということを通じて淘汰されていることが強調されている.


全体としてボイヤーの主張は,デネットドーキンスの解釈に近い.宗教は適応そのものよりもその副産物として捉えられるべきもので,ミーム的な淘汰を受けているという解釈だ.そしてD. S. ウィルソンには賛成できない部分だろう.この本がデネットドーキンスの著作に先行していることから見てある程度の影響を与えているといってよい.細かなメカニズムの説明には少し違いも見られるが現在の進化的な宗教理解を切り開いた著作だと評価できる.


本書の進化的な説明については,通奏低音としてのスタンスは明確だが,実際の説明は至近的メカニズムに当てられた説明ほど詰められているという印象はない.もっとも個別の推論システムの進化的な説明を個別に始めるととてもこの分量には収まらないだろうからやむを得ないとは言える.ただミーム淘汰の部分はもう少しふくらませた方が読み応えがあっただろう.
しかし本書では個別の推論メカニズムがどう働いて,宗教的な概念に適合しやすいのかについて大変詳細に論じられている.込み入った議論も多くて読みやすいとは言えないが,そこを丁寧に論じているところが本書の魅力であり,価値だろう.そして個別の推論システムが進化の産物であること,ミーム淘汰があり得ることが納得できている読者にとっては十分な説明水準を満たしているだろう.そのような読者がじっくり読んで考えるにはふさわしい本だと思われる.



関連書籍


原書

Religion Explained: The Evolutionary Origins of Religious Thought

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ボイヤーと並んで進化的な宗教理解の先駆的業績として紹介されることの多いアトランの本,未読

In Gods We Trust: The Evolutionary Landscape of Religion (Evolution and Cognition Series)

In Gods We Trust: The Evolutionary Landscape of Religion (Evolution and Cognition Series)


本書を受けたデネットの本
基本的に宗教は副産物であり,これが人類にとってよいものかどうかは一義的に明らかでないのだからリサーチすべきだという主張.
私の書評はこちらhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20070218

Breaking the Spell: Religion as a Natural Phenomenon

Breaking the Spell: Religion as a Natural Phenomenon



そしてドーキンス本,私の書評はこちらhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20070221

The God Delusion

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神は妄想である―宗教との決別

神は妄想である―宗教との決別

*1:本人はフランス人であり,フランス語読みではボワイエになるが,英語圏で活動するときは本人自らボイヤーと名乗っているということでこの表記になったとあとがきにある

*2:これも英語版が先で,後に著者とは別の訳者によるフランス語版「Et l' Homme Créa les Dieux: Comment Expliquer la Religion」が出ているそうだ

*3:当然そのような仮定は不要だという暗黙の立場だ

*4:デネットの問題意識

*5:ドーキンスの問題意識