「SuperFreakonomics」

SuperFreakonomics: Global Cooling, Patriotic Prostitutes, and Why Suicide Bombers Should Buy Life Insurance

SuperFreakonomics: Global Cooling, Patriotic Prostitutes, and Why Suicide Bombers Should Buy Life Insurance


レヴィットとダブナーのコンビによる「Freakonomics」(邦訳「ヤバい経済学」)の続編.(本書は「SuperFreakonomics」だから,訳書が出る際には,おそらく「超ヤバい経済学」という邦題になるのだろう)様々な現象について統計を応用してその裏側の真実を見てみようという趣旨の本だ.


さて,本書では最初に「この本には特定のテーマはないが,しいて言えば(前作と同じく)『人はインセンティブに反応する』ということだ」と前置きし,その上でいろいろな話題を取り上げていくと宣言している.というわけで序章のつかみはなかなか面白く,飲酒運転と飲酒ウォーキングを距離あたり比較すると,ウォーキングの方が危険だとか,インドで女性の地位向上にもっとも相関があるのはテレビの普及だとか,前世紀の馬の公害問題とその解決が当時まったく想像できなかったことなどが扱われている.


第1章は売春というビジネスについて.
様々な事実があげられていて面白い.たとえば前世紀と比べるとフェミニズムとフリーセックスにより需給は緩和し価格は低下していること,タブーによる価値が観察できること,以外とHIV感染率は低いのでコンドームを使わないプレミアムは安いこと,インターネット仲介が難しいので,現在でも「ひも」による仲介に価値があること,取り締まり側の警察上層部と警官の間にはエージェンシー問題があること(だから警官は時折売春婦からフリーサービスを受ける)などだ.

ここではフェミニズムの与えた現象についても議論されている.それまで就業機会が限られていたときには教師職は非常に優秀な女性の職場になっていたが,就業機会が増えたために教師の質は全般的に低下した可能性があること,フェミニズムの興隆にもかかわらず賃金ギャップが埋まらないのは男性と女性ではインセンティブが異なるからであることなどが扱われている.二番目の問題については「男性は金に弱く,女性は子供に弱い」と表現されていて,簡潔で面白い.このあたりはフェミニズムと進化心理の関係で議論されるところだが,納得できる結論だ.
なお著者たちは,では「女性のMBA取得はコストベネフィットから見て合理的ではないのか」という問題については,「それはより望ましい男性と知り合う機会をふやすことでペイしているだろう」とシニカルにコメントしている.


第2章はテロリズムにかかる話題を脈絡なく取り上げている.
テロリストは一般の人が想像するような貧しい家庭出身者が多いわけではない.実際のデータから見ると高等教育を受けたミドルクラスが多い.著者たちはテロリズムは協調行動が必要な政治活動であり,そのためにプロフィールはむしろ革命家に近いものになるのだろうとコメントしている.
大規模データマイニングでテロリストを抽出することができるかという問題も扱っている.これはテロリスト比率が低いためにフォルスポジティブが多く出てしまうという難しい問題を抱えている.銀行口座関連で得られた知見だと,貯蓄口座を持たない,生命保険に加入しないなどの項目がヒットするそうだ.現在かなりいい行動特性変数である程度絞り込めることが紹介されている(もちろん安全保障上その詳細は書かれていない.やむを得ないがちょっと残念だ)
データマイニング関連では,医師の評価システムについても触れられている.医師の治療評価と相関の高い項目はよい学校を出て,よい病院に勤めていることで,同僚の評価はあまり相関がないそうだ.ここでも難しい問題は医師が評価システムに合わせて自分のレコードを良くしようとするインセンティブを持つことだとコメントされている.


第3章はヒトの利他性について
ここでは有名なニューヨークのキティ事件*1をつかみに使った後,ヒトの利他性にかかる様々な話題を取り扱っている.
まず米国において1960年代に犯罪が増えたことについて,テレビ放送の開始がファクターとして重要であると指摘している.これは前作において1990年代に犯罪率が下がったことを中絶の自由化と関連づけていることと対をなしているようであるが,その至近的なメカニズムについてはあまりはっきりしていないし,日本などの経験からいってもやや納得感に欠けるものだ.
次にヒトの利他性にかかる社会心理学の多くのリサーチは実験解釈が甘いのではないかということを取り上げている.特に独裁者ゲームにおいて利他性が見られることについて,そもそもボランティアを買って出るような人は利他性について偏ったサンプルになっていること,実験として観察記録されていることを知っていると利他的に振る舞おうとする傾向があること,心理学実験というのは協力を強いる文化的な文脈があることなどから,解釈には慎重であるべきだと主張している.このことは前作でも少し触れられていたが,より詳しいものになっている.特に文脈依存でヒトの行動がきわめて可変であることはリストによる独裁者ゲームの4種類の実験でよく示されていて面白い.*2
またこの章の最後ではキティ事件の真相にも(警察にもメディアにも,あのようなセンセーショナルな取り上げ方をするインセンティブがあったことをほのめかしつつ)コメントしている.


第4章はエレガントな解決策とヒトの行動を変えることの難しさについて
この章で題材になっているのは,有名な産褥熱の原因*3についてのゼメルワイスの主張だ.医師の手を消毒することによって劇的に感染率を下げられるというのはいかにもエレガントな解決だが,実際に医師の行動はなかなか変わらなかったそうだ.著者たちはこの問題を「外部性」という概念から解説している.この外部性のために医師に手を消毒するインセンティブを強く持たせるのは難しい.現在でも医師に対する「手を消毒しよう」というキャンペーンは有用だし,そのときにインセンティブとして効くのは,10ドルのスターバックスのクーポンや,医師の手の平をスタンプしたところから培養した細菌叢を可視化した図のスクリーンセイバーだという話には考えさせられる.
もうひとつ本章で著者たちが挙げているのは自動車の子供用のカーシートの有効性だ.2歳以上の子供に対してカーシートは単なるシートベルトに対してほとんど有効性はないそうだ,(小さな怪我についてのみ少し有効性があると補足している)著者たちは,シートベルトを子供にもアジャストできるようにした方がはるかにエレガントだが,政府,自動車メーカーなど様々な関係者のインセンティブはそうなっていないのだろうと示唆している.


最終章は地球温暖化を扱っている.
ここは本書の出版直後からアメリカで結構議論になったようだ.著者たちがここで示唆しているのは,本当に温暖化が問題なら,現在提案されている様々な温暖化対策よりはるかに安いコストで温暖化を止めるエンジニアリング的な解決策*4があるのではないかということだ.
著者たちは,このような提案が受けないのは,「人が地球を汚した結果の温暖化の問題は人が悔い改めることによってなされるべきだ」という宗教的な感覚があるのではないかとほのめかしている.二酸化炭素を減らそうというのはこのような感情にはマッチするが,実際にはあまりにコストがかかる割に効果に疑問があるというのが本書で示唆されていることだ.*5
このエンジニアリングの実現可能性は私には判断できないが,確かに非常に重要で興味深い論点が提起されているように思われる.本書でも認めているように,この方法が可能だということになれば,「地球の気候は人が決めることができる」ということになり,それは「誰がどうやって決めるのだ」という政治的には極めて解決困難な問題を引き起こすことになるだろう.(ある意味これも「不都合な真実」になるのだろう)しかし片方で,読後感としてちょっとしたリリーフがあるのも確かだ.地球温暖化も科学技術によるエンジニアリングで解決できるなら,それは明日への希望を失わないでもいいという感覚を抱かせてくれるように思う.


というわけで,本書は取り上げる話題は前作よりワイドになっていて,なかなか痛快だ,しかしその反面,前作のようにレヴィット自身のリサーチの結果によるものは減り,ほかの人のリサーチを取材して解説するというものが多くなっている.そういう意味では生の迫力は前作より減っている.いずれにせよ,前作同様肩の凝らない楽しくて知的な読み物に仕上がっていると評価できるだろう.



関連書籍


前作

Freakonomics

Freakonomics


同邦訳

ヤバい経済学 [増補改訂版]

ヤバい経済学 [増補改訂版]

私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060517


賃金ギャップと両性間のインセンティブの差についての本

なぜ女は昇進を拒むのか――進化心理学が解く性差のパラドクス

なぜ女は昇進を拒むのか――進化心理学が解く性差のパラドクス

私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090713

*1:ニューヨークのクイーンズで,女性が路上で暴漢に数回にわたって襲われて死亡した事件.助けを求める叫び声を聞いていたはずの38人のアパートの住民が誰1人警察に通報しなかったとメディアで大きく報道された

*2:(1)通常バージョン「20ドルを自分と相手の間で分ける」では通常の結果(70%が分け与える.与える平均金額は5ドル)となる.(2)しかし与えるだけでなく「相手から1ドルを奪うことができる」というオプションを与えると,45%はゼロ回答,20%は1ドルを奪った.(3)さらに「自分だけでなく相手も20ドルもらっている.自分がもらった20ドルを分け与えてもいいし,相手から20ドルまで奪ってもいい」という前提では,10%の人しか与えず,逆に60%は奪った.そして40%の人は相手の20ドルを全部奪った.(4)この両方の20ドルが,単に与えられたものではなく何らかの仕事をした見返りであるという前提では,28%の人しか相手から奪わない.多くの人は与えも奪いもしない

*3:解剖後そのまま治療に当たった医師によって病原体が広がった

*4:例えば長いホースを成層圏まで伸ばして亜硫酸ガスを放出することによって数億ドル単位の支出で可能だと示唆されている

*5:ここでは,地産地消運動は食品加工産業を小規模分散化させるためにかえってエネルギー効率を下げる可能性があること,これまで大気汚染により地球全体の反射率が上がっていたものが,清浄化で反射率が下がって温暖化している可能性もあること,樹木を植えると反射率を下げてかえって温暖化に向かう可能性があること,ソーラーパネルも同じく全体の反射率を下げて温暖化に向かう可能性があることなどが示唆されている.またシミュレーション系の研究は研究費を得るため先行研究と矛盾しないようにパラメーターを操作するインセンティブがあることなども指摘している.このあたりは温暖化にかかる運動家にはかちんと来るところだろう.

iPadその後

本書はiPadiBooksで読んだものだ.本ブログでも何度か書いたが,タップ辞書は本当に素晴らしい.アノテーションができないのだけが不満だったが,先日のWWDCジョブズプレゼンテーションではアノテーション機能の追加がブックマーク機能の強化(ハイライトとブックマークを分別,一覧表示を可能に)などとともに発表されていた.またiPhone4のためのアプリにもiBooksが登場し,ブックマークやノートは機器間でシンクロできるようになる.バージョンアップしたiBooksアプリは今月後半に入手可能になるようで大変楽しみだ.