Nowak , Tarnita, E. O. Wilsonによる「The evolution of eusociality」 その38 <完>


Nowak MA, CE Tarnita, EO Wilson (2010). The evolution of eusociality. Nature 466: 1057-1062.


さて長々と37回に渡ってNowakたちの論文を紹介してきた.
最初に紹介し始めたときには5,6回で可能だと思っていたのだが,彼等の主張に本当の意味で反論するならその数理モデルを理解しなければならず,さらに前提となっている論争を紹介しなければ意味がとれない部分もあったりしてそこにも踏み込んだため非常に長い連載になってしまった.


最後に私の感想を(一部繰り返しもあるが)まとめておこう.


この論文は「真社会性起源にかかる血縁淘汰の重要性の否定」と「包括適応度理論への実務的・数理的批判」という基本的には別の内容のものが不器用に継ぎ合わされたものになっている.最後にそれが融合したような体裁を繕ってはいるが,内容を吟味するとそうはなっていない.
これはおそらくE. O. WilsonとMartin Nowakはそれぞれ別の誤解と怨念を持っていてそれが合成されたからなのだろう.私の感じるそれぞれの論点についての印象は以下の通り.


<真社会性の起源,および血縁淘汰仮説への攻撃について>

  • 本論文は真社会性の進化の「原因」は前適応や防衛可能な巣のようなものという生態要因で,血縁度ではない,血縁度は「結果」だという主張を行っている.これは生態要因こそが原因で血縁要因は原因ではないという主張で,基本的に両者を排他的に扱っている.
  • ハミルトンの3/4仮説は,血縁度「だけ」が真社会性の「原因」だと論じているわけではない.*1 基本的には女王が1回交尾の場合ワーカーと姉妹になる繁殖メスの血縁度が3/4と倍数体性物に比べて高いことが,膜翅目昆虫に真社会性が多いことを説明できるのではないかという内容だ.つまり同じ生態要因でも血縁度が高いために真社会性が進化しやすいことがあるといっているので,生態要因を無視しているわけではない.*2
  • だから本論文の血縁淘汰への攻撃はそもそも論点がずれていて批判になっていない.
  • 特に理解できないのは,もし本当に「血縁要因は原因でなく結果だ」という主張を行いたいのなら,最後のシミュレーションにおいて無性クローンのケース,半倍数体のケース,倍数体のケースでどのように進化条件が異なるのかを示すべきなのにそうしていないということだ.彼等は進化条件のうち自分たちの「標準自然淘汰理論」で重要としている繁殖率や死亡率についてほとんど示さずに分散確率の議論に終始している.これは,もしそこを示すと血縁要因も進化条件に効いていることが示されて都合が悪いということだとしか思えない.はっきり言って非常に姑息で不誠実な態度だろう.
  • さらに彼等は進化条件がハミルトン則から簡単に予測される数字そのままになるのを避けるために「コロニーが2個体になっても何ら利益がない」という極端に不自然な前提に固執している.これも姑息で不誠実なところだ.
  • 要するにNowakたち(そしてこの部分はおそらくWilson)は3/4仮説に不満があったとしても「真社会性の起源のリサーチについては(血縁要因だけでなく)生態要因も重要だ」といえばよかっただけなのだ.何故それが血縁淘汰や包括適応度理論の攻撃につながるのかは理解できない.*3おそらく何らかの誤解や怨念があるのだろう.根拠となる因果分析もないままに「血縁要因は原因ではなく結果だ」と言い張るのはナンセンスであり,単なる「信仰」以外の何者でもないだろう.
  • 生態要因に限っても,本論文の真社会性の起源の議論自体は非常に不十分で不満の残るものだ.まず「超個体」性という視点から物事が捉えられているために女王とワーカーのコンフリクトの問題がまったく考察されていない.彼等はハミルトンの業績の意味も行動生態学の基本もわかっていないのではないか.「防衛可能な巣のようなもの」とシミュレーション結果の関連は極端に不自然な前提条件による無理矢理のこじつけにしか見えない.

<包括適応度理論への実務面からの攻撃>

  • Nowakたちは.基本的に真社会性の起源について生態要因が重要だという主張を行っている.そして本論文では何故かそれを包括適応度理論の攻撃と結びつけようとしている.これを無理矢理結びつけようとする態度が,この論文を非常に読みにくく筋の悪いものにしている.
  • 攻撃は実務的なものと数理的なものに分かれている.
  • 実務的なものとしては,包括適応度理論の成功は3/4仮説が受け入れられたことによるものだが,倍数体性物にも真社会性生物がある以上この仮説は失敗しており,この理論自体に意味がないという主張と,過去何十年も真社会性の研究において生産性がなかったことを主張している.
  • これらの主張はどちらも公正を欠くものだ.倍数体性物にも真社会性があることは当初からわかっていた.生産性がなかったというのはNowakたち(おそらくWilson)の主観的判断だからそれはそういうことかもしれないが,Westたちの総説を読むとそのようには思えない.
  • いずれにしても包括適応度理論は真社会性の起源だけを説明するための理論ではない.局所配偶競争を始め膨大な包括適応度理論の成果があるのだ.仮に真社会性の起源において包括適応度理論があまり生産的でなかったからといってそのほかの膨大な成果を無視するのはまったく理解できない態度というほかはない.

<包括適応度理論への数理面からの攻撃>

  • ここはおそらくNowakが中心となっている部分だ.そして数理的な攻撃は本論文の最終的な主張である「真社会性の起源における生態要因」の問題に何ら関わりがない.おそらく本論文の最後の結論は包括適応度理論を用いても同じように出せるだろう.
  • 数理的な議論は「包括適応度はわかりにくい」というものと「前提条件が狭い」という2点に要約される.
  • 「わかりにくい」という批判は,突き詰めると適応度を個体単位で計算するか戦略単位で計算するかという計算の視点の問題だ.確かに包括適応度計算は,ある個体の適応度成分のうちその戦略を行った結果のみを計算する形になり単純ではない.これに対しNowakたちの「標準自然淘汰理論」の形は個体単位で計算するために一見簡単そうに見える.しかし,実はその中では個体ごとに繁殖率や死亡率を計算しなければならず,そのためにはどの個体同士がどのような確率で相互作用するかがすべてわかっていなければならない.つまりこの計算は決して「わかりやすい」ものではない.要するに結局計算は包括適応度理論もNowakたちの理論も同じように複雑になる.これは相互作用のある行動の戦略の進化には相互作用を行う個体間の戦略共有確率が重要だという数理的な事実から生まれる必然的な結果だ.そしてどちらの計算方法がより直感的にわかりやすいかというのは感覚の問題だが,私から見れば,戦略の進化こそ知りたい問題であり,戦略単位で適応度を考える方がはるかにしっくり来るように思う.
  • 「前提条件」の問題.弱い淘汰条件と相加性は,解法の強力さとのトレードオフだ.Nowakたちはただ前提条件があることを非難しているだけで,物事の本質を踏まえた議論になっていない.また集団構造の議論は最初に指摘したハミルトンの70年代の拡張が理解できていないための誤解であると思われる.
  • そしてNowakたちのいう「標準自然淘汰理論」は多くの場合解析解を得ることができず,シミュレーションをひたすら行うことしかできないだろう.しかしシミュレーションでこうなりましたというだけでは,何故そうなのか,これをどう一般化できるのかについてはよくわからず,非常に非力ではないかと思われる.
  • そうすると実際に「標準自然淘汰理論」に意味があるのは,あまりありそうもない極端な淘汰圧や相加性が大きく崩れる状況のもとでゲームを有限個体間で行うとした場合だけだろう.その場合にはシミュレーションにより解析できる.そしてこのような「脆弱な前提条件」があるために包括適応度理論が無力になる具体的な実務例を彼等はあげていない.おそらく包括適応度理論による解析が進化動態の一次的近似としてうまく働く場合がほとんどだからだろう.またそのような場面が仮にあるとしても,それ以外の場面での包括適応度理論の有用性が揺らぐわけではないだろう.
  • さらに協力行動の進化以外の性比やコンフリクトの問題についてはNowakたちは何ら議論できていない.結局「標準自然淘汰理論」は「標準」という言葉とは真逆に,ごく特殊なごく限定された場面でのみ意味がある非力な便法に過ぎない.

全体を通じての感想は,これは誤解と怨念に基づく筋悪の論文だということだ.Wilsonの怨念がどこにあるのかは定かではないが,Nowakの怨念は共著論文をオックスフォードの学者たちに英国風sarcasm全開で木っ端みじんに批判された論争を通じてのものなのだろう.反論するのはいいとしてもこの筋悪振りはいただけない.社会生物学論争もグールドとレウォンティンのハーバードコンビによる筋悪の攻撃から始まったことも合わせて考えると,この奥にはエリート意識とアメリカ的な粗暴さが合わさったハーバードの宿痾があるのかもしれないとまで感じさせる.それにしても両方合わせて考えるとE. O. Wilsonの役回りの皮肉さをつくづく感じざるを得ない.
なお私的にはこの論文は包括適応度理論やマルチレベル淘汰について勉強し直すよい機会になった.フィッシャーやハミルトンの伝統を受け継ぐ英国の数理生物学者の洗練はやはりたいしたものだ.


<完>

*1:ハミルトン則の形を見てもわかるようにb, c(つまり生態要因)も利他行為の進化には効いてくる.だから,血縁度「だけ」が真社会性の「原因」だとは誰も主張していないとも言える.そういう意味ではこれはありもしないかかしを仕立ててぶん殴っている筋悪の議論のひとつだといえるだろう.

*2:3/4仮説はワーカーによる性比の操作があると,ワーカーと繁殖個体(オスメス)間の実質的な血縁度は倍数体性物と同じになるという問題がある.だから高度に発達した真社会性の維持についてはあまり妥当しない可能性がある.しかし真社会性の起源については引き続き効いてくる可能性はあるだろう.だから膜翅目昆虫に独立に真社会性が何度も進化していることの説明要因の1つとしては引き続き有効な仮説だと思う.

*3:3/4仮説は血縁淘汰・包括適応度理論を応用したひとつの個別問題にかかる仮説に過ぎず,仮にそれが成り立たないとしても一般理論である血縁淘汰や包括適応度理論が即否定されなければならないものではない.