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2011-09-11 書評 「肥満は進化の産物か?」

[] 「肥満は進化の産物か?」 09:19  「肥満は進化の産物か?」を含むブックマーク


本書は分子進化学者颯田葉子によるヒトの病気にかかる遺伝子および分子進化の様々な話題を扱った本である.化学同人によるDOJIN選書の一冊.


まず最初の3章をかけてDNA,分子進化,ヒトの進化を概説している.

第1章のDNA周りでは突然変異の詳細をやや詳しく取り扱って説明している.

第2章の分子進化においてはメンデルの法則を解説したあと,その突然変異がどう広がるかという観点から説明し,任意交配集団における(この用語自体は使っていないが)ハーディワインベルグ比を解説したあと,浮動の概念を扱い,その浮動へのバイアスという形で淘汰を位置づけている.最後に分子進化の中立説を解説し,最後に分子進化速度の推定も扱っている.ダーウィンも適応もあまり登場しないところがいかにも日本の分子進化学者らしい説明ぶりだ.*1

第3章のヒトの進化に関しては,分子からの系統分析と化石の話題を簡単に扱っている.


第4章からが個別の病気にかかるトピックということになる.第4章と第5章は遺伝子の傷を扱う.

第4章は壊血病と色覚変異.

霊長類がその食生活から不要になったビタミンCの合成能力を失ったことは有名だが,本書ではこれを中立的な進化だと説明し*2,さらにこの細かな合成経路の説明や哺乳類系統樹のどこで何度独立にビタミンC合成が失われているかを示している.

色覚については,まず哺乳類恐竜時代に4色覚から2色覚になったことをやはり中立進化だと説明している.*3

その後広鼻猿類(新世界ザル)では赤オプシンが突然変異を起こして緑オプシンになって多型になり,これが性染色体にあることからオスは2色覚,メスの一部が3色覚という状態になっていること.狭鼻猿類(旧世界ザルおよびヒトを含む類人猿)ではさらに遺伝子重複があり,全ての個体が3色覚となったことが説明されている.残念ながらこれが正の自然淘汰の結果であるかどうかについてはコメントがなく,緑オプシンへの変異が独立に2回生じたかどうかのみを扱っている(まだ遺伝子がリサーチされていないのでわからないというのが結論).

ここで狭鼻猿類の一種であるヒトについてはこのような進化の「代償」として色覚変異があるという説明がなされている.これは遺伝子重複由来の赤と緑の遺伝子が同じ染色体にありとてもよく似ているためにスリッページが起きやすく,キメラや緑オプシンの重複が生じていることを指している.ここはなかなか微妙なところのように思われる.確かにまずキメラのみで重複がない場合,赤,緑遺伝子はX染色体上にあるため男性にとってキメラ遺伝子があると本来より色調情報が減少して不利になるだろう.しかし女性にとってはこのキメラ遺伝子をヘテロで持つことによってより豊富な(特に緑の細かな色調がよりわかるという)色調情報を得られるだろう.さらに緑オプシンの重複があってその緑オプシンの片方がキメラなら男性でもこのような豊富な色覚が得られるのではないだろうか?なお緑オプシンの重複は62%ものヒトが持っているとされていてちょっとした驚きだ.


第5章は痛風

微生物甲殻類では老廃DNAプリン体)の分解は尿酸からアラントイン,アラントイネート,さらに尿素,そして最後にはアンモニア二酸化炭素まで分解して排出する.そして様々な動物群でこの分解酵素が様々に壊れている.類人猿鳥類,陸棲爬虫類では尿酸排出,多くの哺乳類,水棲爬虫類ではアラントイン,硬骨魚はアラントイネート,軟骨魚と両生類では尿素という具合だ.さらに類人猿でどの酵素がどう壊れているかを見ると大型類人猿とテナガザルでは異なる傷となっていて独立に壊れたことが推測される.

ではどうしてこのようになっているのだろうか.本書では霊長類のみについて解説する.まず,何故か霊長類酵素が壊れやすい配列になっていた*4ことをあげている.さらに霊長類では,キサンチン還元酵素の活性が低いために尿酸酸化酵素が壊れても血中尿酸値が上がりにくかったことを次にあげている.さらに腎臓でより尿酸を回収して抗酸化剤として使用していた(だからある程度の尿酸血中濃度の上昇は有利だった可能性がある)という事情もあげている.また残る謎として,尿酸酸化過程の下流にある酵素が機能を失っていないこと(おそらくDNA分解以外の何らかの多面的な機能があるのだろう)も指摘している.

本章の説明は,霊長類酵素遺伝子配列が壊れやすかった理由,キチンサン還元酵素の活性が低かった理由,抗酸化剤としての尿酸利用のメリットデメリットなどがよくわからず,すっきりまとまっているわけではない.しかし逆に様々な生理機能が交互に関連して複雑に絡み合っている様子をよく示している.おそらく何らかの単純な原因があってそれから連鎖的に生じた結果というよりも,その生物の生態により様々な淘汰圧がかかり浮動も合わせ複雑なネットワークに複雑な力がかかった結果なのだろう.

尿酸排出についての遺伝子から見た解説はあまり見かけないもので本章は本書の魅力のひとつだ.


第6章前半ではヒトの生活環境の変化に適応が追いつかない状況を取り扱う.具体的にはいわゆるメタボだ.

まず肥満に関していわゆる「倹約遺伝子仮説」を紹介している.遺伝学者らしく,これは単一の遺伝子というより代謝システムそのものの性質だと考えるべきだとコメントしている.次に高血圧に関しては,祖先環境で塩分が貴重だったことを指摘する.残念ながら,このような肥満や高血圧のなりやすさに関して何故ヒト集団が多型であるのかについては説明がない.


後半では細胞表面のシアル酸修飾糖鎖のうちグリコリル型の欠損が320万年前に生じたことが紹介され,ウィルスや細菌の感染抑止の効果のためではないか(つまり正の自然淘汰の結果である)と示唆されている.しかしここは納得感がない.感染抑止に役立つなら,そもそも何故ほかの生物にグルコリル型があるのかが説明されなければならない.その機能と感染抑止のトレードオフというのがありそうな話だが,何故320万年前という段階でそのメリットデメリットが逆転したのかがさらに問われなければならないだろう.


第7章ではヒト集団における多型の問題を扱う.

まず有名な乳糖不耐症と酪農文化の関係を紹介し,エイズへの耐性の多型を取り上げる.このエイズへの耐性遺伝子CCRデルタ32と呼ばれるものだが,その頻度や分布(ヨーロッパのみで頻度が高いが中立的浮動では16万年かかるほど頻度が高い)からみて何らかの正の淘汰がかかっているとし,天然痘への耐性がある可能性を指摘している.

マラリア耐性を次に取り上げたあと,最後に薬剤代謝の個人差の問題を紹介して本書は終わっている.


著者は本書を「進化医学」の本だとしているが,あくまで遺伝子にこだわった本であり,毒性の進化や感染症の症状の適応的な解釈などの問題は取り上げられていない.「医学」の本来の目的である臨床への応用という観点からは,関連する適応や淘汰に関しての記述が薄いことは気になるが,全体として遺伝子と分子進化からみたヒトの疾病のいくつかの側面を真面目に取り上げた実直な本だと評価できるだろう.

*1:分子進化の中立説の説明のところでは,分子進化は中立であり,かつ機能があるものについては保守性があると解説している.これは機能が絡むものについては淘汰が効いていて有害遺伝子は淘汰され,一部の中立的な変異(弱有害も含む)のみ固定するということであるのだが,淘汰とはいわずに,「進化の過程では起こりにくい」「保守性」という用語を使っている.中立説にかかるこだわりということかもしれないが,普通の読者にはわかりにくいだろう.

*2:しかし本当に合成能力を持っていることがコストにならなかったどうかについてはコメントがない.やや微妙なところであるような気もするところだ.

*3:ここでは夜の生活では色の情報が重要ではなかったとしている.しかし厳密には夜であっても色がわかればそれは有益だったろう.その時点で持っていた色覚の仕組みでは色情報を得るためには光量が不足し,有益な情報が得られなくなったと言うことだろう.

*4:具体的には相対的に生じやすいCT変換があると終止コドンになってしまうCGA配列が多かったと説明されている

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