Inside Jokes 第8章 その2 

Inside Jokes: Using Humor to Reverse-Engineer the Mind (The MIT Press)

Inside Jokes: Using Humor to Reverse-Engineer the Mind (The MIT Press)


第8章 ユーモアと喜び(承前) 


さてここからハーレーたちはプロトタイプのユーモア現象を解説する.


D ジョークがわかる:スローモーションにおけるベイシックユーモア


ハーレーたちは自分たちの仮説の機能に沿ったユーモアを(スローモーションだと面白くないのだがといいながら)スローモーションで解説していく.


そしてプロトタイプのベイシックユーモアとは「一人称で,なんらかの自分の間違いにハッと気づく」ものだと指摘し,いくつか例をあげている.

  • サングラスを探し回った挙句頭の上にあるのに気づく.
  • エレベーターに乗って動いている間に携帯をいじっているつもりだったら,実は行き先ボタンを押していなかった
  • スタジアムでスポーツ観戦中に,リプレーを期待している自分に気づく.


これらはちょっと頬が緩んだりする感覚があるだろう.そして確かにそれぞれなんらかの無意識の信念に誤りが見つかる瞬間だ.ハーレーたちは,これらのベイシックユーモアは通常他人とコミュニケートしないが,することもあると指摘している.


またハーレーたちは,このようなベイシックユーモアの一種として「意図せざるだじゃれ」もあげている.


これらは文法や意味を巡って生じ,ユーモアとしては弱い.そしてある意味で解釈していたものがひっくり返るという構造をもったり,文法的な両義性があったりする.そして解釈が曖昧なままだとおかしくならない.意図せざるだじゃれは何らかの思い込みの間違いに気づく構造が前述の一人称ユーモアと同じだということだ.
そしてこの間違いに突然気づく構造が重要だとも指摘している.そしてこれができずにうまく笑えないだじゃれもあるとしている.



ハーレーたちはここで「聞き手の中に間違った信念が生まれ,それにはっと気づかされる」という形式のうまく笑えるジョークをたくさん示してその解説を行っている.基本的に最初に聞き手にどんな思い込みが生じてそれがどう間違いであったか気づくのかという解説になっている.なかなか傑作なジョーク集だ.いくつか紹介しよう.

  • 哲学者を玄関ポーチから追い出すにはどうしたらいいか.ピザの代金を払ってやればいいんだよ.
  • アイリッシュパブに立派な身なりの英国紳士が入ってくるが,彼の頭の上には緑のヒキガエルが乗っている.バーテンダー「いや,びっくりです.それをどこで手に入れたんですか」すると小さな声が「いやいや,それは最初はおしりのイボだったんだ・・・」
  • オーブンの中の二つのマフィンが会話している.「いや,ここは暑いわ」「こいつは驚いた,マフィンがしゃべってるぜ」


またベイシックユーモアには,この他に音楽ネタや物理ネタがあるとも指摘がある.
物理ネタの例としては「ビルディングが倒壊してくるが,地面でバウンスして元に戻る.」映像などがあげられている.



E 感情の干渉


参照ジョー

  • 夫婦が見ているテレビでは心理学の解説が延々と流れている.夫「まったくこれは馬鹿げた番組だ.幸せと悲しみという相反する感情を同時に引き起こす刺激なんかあるはずがないじゃないか」妻「あなたの友達の中ではあなたのペニスが一番大きいわ」


さてハーレーたちは,ここで前述の条件を満たしてもおかしくならない現象を説明する.それは間違いとわかった結果が悲劇的であれば面白くないという現象だ.これをネガティブな感情と干渉するものはおかしくないとして説明する.


まずユーモアとネガティブ感情について整理する.元となる間違いはネガティブであっても良い.

  • ユーモアには喜びがあるが,その元になる誤りにはむしろネガティブ価値がついていることが多い.だから悲劇と喜劇は同じコインの表裏だとも言われる.つまり自分の悲劇は他人にとっての喜劇になるのだ.


次に笑われるというコストについて整理する.このコストだけならユーモアにとって致命的にはならない.

  • 笑われた人にはコストがかかるがそれは社会的なもの.これをミニマイズするために(無意識でも)被害者自身が笑うことがある.ある意味で自信のディスプレーとも言える.しかしあまりに傷つくともはや笑えなくなる.


そしてユーモアの喜びの感情は他のネガティブな感情と干渉しうることを指摘する.間違いが実は悲劇的であれば,それについての感情がユーモアの喜びに干渉してしまうのだ.


しかしこれにも例外がある.これは視点を変えることにより操作できる.
たとえば「今となってはおかしいが,あのときはそれどころではなかった」というような場合だ.これは一人称視点から第三者視点への転換と言える.


ハーレーたちはこのような視点の転換によるユーモアの救出は物語,特に映画においてよく使われると指摘している.また関連するいくつかの視点も整理している.

  • 覗き見視点:共感のない第三者,どんな悲劇でも笑える.
  • 代理視点:共感のある第三者,悲劇が小さくないと笑えない
  • 心の底の視点:自分自身の一人称視点,自身の感情とデタッチしないと笑えない.このための方法の一つが回想モードにはいること


参照ジョー


ここまでがベイシックユーモアについての解説だ.ハーレーたちは第9章ではより高等なユーモアについて解説する.