「雪と氷の世界を旅して」


本書は東海大学出版部の「フィールドの生物学」シリーズの一冊.今回は氷河上の微生物の研究者の物語だ.

著者は動植物の観察やマウンテンバイクが好きな東洋大学生命科学部の学生だったが,自分が何をしたいかわからず,就活にも身が入らず,かといって同学の研究室は分子生物学周りのものが多く興味が持てずという悩ましい状況だった.そのときにネットで東京工大の幸島研究室のサイトを見て,世界中の氷の上の生物やイルカや熱帯の野生生物を研究していると知り,ここなら海外の山に登り氷河の上を歩けるかもしれないと「びびっと」来てメールでコンタクトを取り,そのまま東工大の院に進むことになる.

ここからは世界各地の氷河をめぐってアイスコアの中や氷河表面の微生物を調べる旅がひたすら描かれる.
著者は最初はアイスコア掘り出しの単純作業要員として,経験と実績を積むに従って微生物リサーチャーとして次々にいろいろな場所に足を運ぶことになる.旅の様子は異国情緒にあふれ,またなかなか大変なリサーチ作業の描写もあり,読んでいて楽しい.学術的な面では氷河の積み重なり方と年代推定の様子や雪氷微生物の詳細が興味深い.
著者はロシアの氷河のアイスコアの中から,酵母の存在を確認し,これが融氷時の水があるときに増殖していることを知る.そこから氷河表面の微生物にもリサーチ対象を広げていく.アラスカでは藻類が氷河を真っ赤に染め(著者はイチゴシロップをかけたかき氷に例えている*1),そこでは夜になるとコオリミミズが氷原の表面に這い出してくる*2.著者は貧栄養条件下で雪氷酵母の培養に成功し,分子系統を明らかにする.中国蘭州の氷河では氷河表面にシアノバクテリアが増殖して毛玉上の構造物(クリオコナイト粒)になり,太陽光を吸収して氷河の融解を促進している.グリーンランドでは何年か連続して観測を行う機会を得る.氷河によって微生物密度は大きく異なる.著者はこれは風で運ばれる鉱物粒子の種類と量によるのではないかと考えている.最後はもうすぐ消滅してしまうことが予想されている赤道直下のアフリカの氷河リサーチの様子が描かれている.著者はここでコケの無性芽の固まった「氷河ナゲット」を見つけて,その成因を考察する.

本書はこのシリーズの他の本ほど自伝的要素はなく,ストーリーに大きな謎解きがあるわけでもない.どちらかといえば淡々とリサーチの様子と世界各地の氷河旅情をエッセイ風に語る本だ.とはいえ,これまで全く知らなかった生物の生態がいろいろ書かれていて楽しいし,旅情部分も率直に書かれており好感がもてる.肩の力を抜いてのんびり読むのにいい本だと思う.

*1:このような藻類により赤く染まる雪原は日本にもあるそうだ.

*2:昼間は捕食者を避けて雪の下に潜っていると説明されている