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2018-01-10 書評 「モラルの起源」

[] 「モラルの起源」 23:04  「モラルの起源」を含むブックマーク


本書は社会心理学者亀田達也による「モラルの起源」と名打った一冊.このテーマについてはこれまでも様々な議論があり,私としても大変興味があるところでもあり,手に取った一冊ということになる.


冒頭では本書の書かれた経緯が記されている.それはここ十数年に渡り繰り返されてきた「教育学部や文学部などの文系の学問は社会の役には立っていないのではないか」という批判の流れが,ついに2015年6月に文科相から全国の国立大学に対して教育養成系学部,人文社会科学系学部について速やかな組織改革を求める公式通知が出されるという形になり,その中で「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換」に努めるように明示されたことが背景にある.著者はこの「反知性主義」的動きに反発を感じる一方,実際にここ30年で文学部の学問が随分痩せ細ってしまったとも感じずにはいられないと心情を吐露している.そして著者のこの動きに対する解答は実験社会科学の試みということになる.実験という共通の手法を通じることによって,経済学,心理学,政治学,生物学などの異なる分野の研究者が「ガチ」の議論を行って人間の行動や社会の振る舞いを解明していけるという展望だ.

本書は「モラルを巡る問題」に対してこういう構想を適用していこうという本になる.そしてその「モラルを巡る問題」の探求とは,人文科学が数千年にわたって積み重ねてきた「価値」や「倫理」という問題が自然科学の知識とどう関わっているのかを探る道でもあるのだ.


第1章 「適応」する心

導入で,適応の観点からヒトの心を考えることについて,人文科学系の諸学になお警戒感や嫌悪感が残っていることに触れ,しかしそれは人文系の学問と対立するものではないことを指摘している.なおそういうバイオフォビアが残っているというのは残念なことだ.

そこから自然淘汰と適応についての解説をおき,本書では生物進化的適応だけでなく,歴史時間・文化時間における適応,生活時間における適応も扱っていくことが説明される.またリサーチ方法としてのリバースエンジニアリングの考え方を解説し,グールドの適応主義批判に対して,それは有効な科学的発見の道具であるという回答も載せている.人文社会科学系の人々に読んでもらうためにはこのあたりの目配りも大切ということだろう.続いてヒトの心の進化の適応環境として「群れ生活」が重要であること,ダンバー数マキアベリ的知性仮説などが説明されている.


第2章 昆虫の社会性,ヒトの社会性

第2章は群れ生活への適応としてヒトの社会行動や心がどのような仕組みになっているかを扱う.本書の工夫は社会性昆虫であるハチとの違いから解説しているところだ.はっきりとそう書かれてはいないが,誤解に満ちたグループ淘汰理論からハチもヒトも超個体的な利他行動を進化させたと解説したE. O. ウィルソンの「私たちはどこから来て,どこへ行くのか」への反論としての位置づけもあるのだろう.

ハチやアリはヒトよりもはるかに強い血縁社会を作り,「集団的意思決定」を行う.これは個々の意見に対して人気が人気を呼ぶ社会的な増幅プロセス(「行動の同調」)を通じて合意を生みだす仕組みによっている.しかしこれだけでは決定が必ずしも合理的なものにはならない.これに加えて,合理的な決定を生みだすために「評価の独立性」(例えば巣の移転先の候補地について,ほかのハチの意見に同調して訪れても,自分が意見を表明するときには,実際に訪問して得た情報を元に独立して評価を行う)の仕組みも備えているのだ.

ではヒトの場合にはどうなっているのか.サルガニクの音楽のダウンロード回数に関する大規模な文化市場実験によると,ヒトは人気曲だとわかるとそれをダウンロードする傾向があり,人気(ダウンロード回数)が示されている場合と示されていない場合の曲の人気度はごく緩やかな相関しか持たない.つまり「行動の同調」はあるが,「評価の独立性」が弱いのだ.

亀田はこの差異の理由について社会の作り方の差だと解説している.より互いの血縁度が高いハチのコロニーにおいては,進化を通じてコロニーレベルでの合理的な解決に向かった性質(評価の独立性)が進化しやすいが,ヒトにおいてはそれほど集団内の血縁度が高くなく(それにより集団内の個体間コンフリクトが大きいために),むしろ「他者の意図を敏感に察知し,極めて戦略的に反応する(空気を読む)」動物に進化したのだというわけだ.亀田はこれをわかりやすく,「王様は裸だ」だと指摘しないことは集団レベルでは愚かでも個人レベルでは合理的なのだと説明している.


第3章 「利他性」を支える仕組み

では強い血縁社会を形成しないヒトはどのようにしてうまく社会を回しているのか.亀田は,これに対する人文社会科学の知恵は「王権や法の支配のような統治の仕組み,あるいは社会的な規範・道徳だ」(典型例はホッブスのリヴァイアサン)であると指摘する.

これに対して進化生物学はそのようなリヴァイアサンではない利他行動の説明として互恵的利他主義を発見し,それはヒトの社会でも同じ二者間の繰り返しのやりとりの中で観察できる(亀田は第一次世界大戦の塹壕戦におけるドイツ軍兵士とフランス軍兵士の共存的行動を例としてあげている)と指摘する.しかし多くの人々を含む相互依存的場面では互恵的利他はうまく働かず「共有地の悲劇」を生みだしてしまう.これは一般的に「社会的ジレンマ」と呼ばれる.

これを解決するひとつの方法は規範と罰になる.しかし規範と罰は常にうまく働くわけではない,どのような条件でうまくいくのかの考察が必要になる.亀田は考察にあたって「それは社会にとっていいから機能する」という集団錯誤の誤謬(亀田は特に解説していないが,これは進化生物学的ナイーブグループ淘汰の誤謬とパラレルになる)を戒め,問題は「制裁装置の維持」であり,それは高次のただ乗り問題であると指摘する.

ここで亀田は「罰あり公共財ゲーム」実験における被験者の行動パターンや「目の効果」を説明し,事実としてヒトの心には「ただ乗り者を罰したい」という動機(罰したいという感情をもち,罰することに報酬を感じる心)が装備されていることを示す.そしてこれは,(合理的にはあり得ない)罰がハッタリではなく実効性を持つことに資する.亀田は「社会関係をうまく築くには,緻密な合理計算ばかりではなく,むしろ自然に働く直感が重要な枠割りを果たす」と解説している.(特にそう断ってはいないが,これはフランクによるコミットメントとしての感情の機能ということだろう)

続いて亀田はヒトが見知らぬ他人にも親切にすること,それは評判を通じた間接互恵性で説明できること(ついつい見知らぬ人でも可哀想だと思う人は,短期的には損をしても長期的は社会の中で人に愛されて「選ばれて」いくのかもしれない)を解説する.さらに歴史・文化的時間においては市場メカニズムの中で「優秀な人」「能力の高い人」が選ばれるようになり,それは進化時間仕様の私達の心にストレスをもたらしている(だから「情に流される人情家」の話を見聞きするとほっとして温かい気持ちになる)のではないかと指摘している.ちょっと面白いところだ.


第4章 「共感」する心

冒頭で共感に関する検討が,現在様々な学問分野にまたがるホットな研究トピックになっていることを紹介し,ヒトの共感も「思いやり」だけではなく,身体模倣や情動の伝染を含む重層的なシステムであること,一部は動物とも共有されているらしいことが説明されている.

そこから身体模倣とミラーニューロンに軽く触れ,このような身体・神経レベルでの共振・同期が「他者の心を理解する」上でも重要な基準になっている可能性を指摘する.

さらに情動伝染に進み,それは親しい人の間で起きやすく,伝染の起きる自然な境界・範囲は仲間や血縁者であること,至近的にはオキシトシンが関与し,哺乳類の間に広く見られることを解説する.このような「情動的共感」は通常良いものと受け取られているが,内集団に限られ,情動に圧倒されるリスクも持つことを指摘する.このあたりはポール・ブルームの主張につながるものだろう.

続いて自他間で分離を保ったまま共感する「認知的共感」に進み.この2つの共感においては脳内の活性が異なること,身体の痛みについては情報的共感が起きやすく,社会的痛みについては認知的共感が起きやすいことを指摘する.社会的な問題に関しては私たちは「なぜ」と考え,関係する様々なプレーヤーの考えや気持ちを推論しようとする.亀田は,様々な実験を紹介しながら,内集団を越える利他性を発揮するにはこの「認知的共感」が重要だと主張している.


第5章 「正義」と「モラル」と私たち

亀田は「正義」「モラル」について,このような大上段に構えた言葉はしばしば私たちをシラケさせると述べるところから始めている.1つには,正義は個人を越えるのか,国境を越えるのか,あるいは価値相対主義を振り払えるのかという問題があり,もう1つには正義に名を借りた圧倒的な暴力の存在があるからだ.そしてここでは前者を考えていこうという.導入としては刺激的で面白い.

そして「正義」について,いかに分配するかという問題を採り上げる.まず「功利主義」が,必ずしも私たちの直感に一致するわけではないことを指摘し,最後通告ゲームに進む.最後通告ゲームのプレーヤーの行動には文化差があり,それは分配規範は生業の形をはじめとする社会の生態学的な構造に依存するからだと考えられる.50:50というのは市場経済の文化的文脈の元で理解できるのだ.つまり,モラルは文化依存的である側面を持つ.亀田はさらにジェイコブズの「市場倫理と統治倫理」,松尾・巌佐の「商人道と武士道」,フェアによる「効用関数による分配規範のモデル化」などを解説する.

ここから亀田はロールズの「正義論」に進む.ロールズは功利主義に対して「無知のヴェール」を用いた思考実験により「マキシミン原理」を主張した.これをどう考えるべきか.フローリックとオッペンハイマーの無知のヴェールを実験的に再現しようとした実験結果によると,人々は必ずしもマキシミン原理のみには従わず,同時に社会全体の総利益も考慮した折衷的な分配を好む.しかしこれには「真に無知のヴェールを作り出せてはない」という批判がある.

そしてここからが本書の白眉である亀田自身の実験の紹介がある.無知のヴェールを実験的に実装するのは難しい.しかしロールズの議論の核心は無知のヴェールを用いて「分配の正義」の問題を「不確実性の元での意思決定」に変換したところにある.集団全体での分配がリスクヘッジ機能を持っているとするなら,進化的に考えてもこの2つの問題は心理的に共通の基盤を持っている可能性がある.そしてそれを調べるために,同一参加者に社会的分配課題(3人への分配の中で好ましいものを選ぶ,選択肢はマキシミン(ロールズ主義),ジニ係数最少(平等主義),総利得最大(功利主義)の3つ)とギャンブル課題(同様の数字を今度は確率1/3のくじとして提示)の両方に回答したもらい,その間の思考のプロセスを調べるという実験を行う.結果は「どちらの課題も参加者の大半がマキシミンを選ぶということはない(それぞれ47%,37%),双方の課題への選択は強く連動している」というものになった.しかし選択提示画面のどこを注視しているかを調べると,最不遇状態を(特に選択の最後の段階で)よく見ている.脳の活性データと合わせて考えると,被験者は「最不遇の立場をとってみた」と考えられる.人々は最終的に必ずロールズ的に選択するわけではないが,とりあえずそういう視点に立つという心が確かに実装されているのだ.

最後に亀田は,グリーンの「感情に基づく自動モードによりヒトのモラルは部族の中でうまく機能する(モラルは個人を越える)が,部族間の壁を越えられず,それを克服するには(モラルが国境を越えるには)熟考を用いた手動モードで功利主義を実践すべきだ」という考え方を紹介し,それに共感を示し,ヒトの心の共通基盤を実験的に探ることの重要性を強調して本書を終えている.


 

本書は「モラルの起源」として,ヒトの利他性の特徴,その進化的起源,それにより実装されている心があるはずであることを簡単に解説し,最後にその実装された共通基盤を実験的に実証するという取り組みを著者自身のリサーチを踏まえて紹介するという構成になっている.全般的な著述は明快でわかりやすい.実証の詳細はなかなか面白く,知的にもぴりっとアクセントの利いたいい読み物に仕上がっている.

なお理論的には二次のフリーライダー問題について「罰したい心が一旦広く実装されていれば維持される」点のみの解説に止まっていて,「そもそも最初にどうやって頻度を増やしたのか」という最も興味深いところはスルーされている.またこのような進化的に実装された仕組みが,(進化的に新奇な環境である)農業革命以降の社会でどこまで有効なのか,そして王権や法の支配のような仕組みとの関係はどうなっているのかについても触れていない.それは(新書の紙数には収まりきれず)別途補完して欲しいという趣旨なのだろう.その点を注意しながら読めば,初心者にもわかりやすい「モラルの起源」に関するコンパクトな副読本として広く推薦できる.


関連書籍


E. O. ウィルソンによる素晴らしい総説と誤解にもとずく理論的誤謬が入り交じった本.私の訳書情報はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20131101


同原書 私の書評http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20130823

The Social Conquest of Earth

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ポール・ブルームによる共感についての本.それにはネガティブな部分もあることが強調されている.私の書評は私の書評http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20170103

Against Empathy: The Case for Rational Compassion

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ジョシュア・グリーンによるモラルについての実に深い洞察が収められた一冊.私の書評http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20151005


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