書評 「善と悪の生物学」

 
本書は,ストレスについての神経生理と行動の研究者で,アフリカで長年ヒヒの観察をしたことで知られるロバート・サポルスキーによるヒトの行動(特に暴力と攻撃と競争)についての一冊.進化生物学,脳神経科学,心理学の至近要因,究極要因の両方を含む広範な知見が簡潔に紹介され,著者自身の様々な考察が述べられている重厚な一般向け啓蒙書だ.サポルスキーは2001年に自伝的な回想録「A Primate's Memoir: A Neuroscientist's Unconventional Life Among the Baboons」を出しており(邦訳書は「サルなりに思い出すことなど」で2014年刊行),はちゃめちゃな東アフリカ体験をユーモアあふれる筆致で語っていてとても印象的な一冊だった.本書はかなり趣の異なる総説的な本ということになる.原題は「Behave: The Biology of Humans at Our Best and Worst」
 

序章

 
序章では本書が暴力,攻撃,競争の生物学を扱うものであること,その背後にある行動様式,衝動,個人と集団と国家の行為,どういう時にそれが悪になったり善になったりするのかを探るものであると説明される.
そして著者のスタンスは,攻撃や協力を理解するために生物学を用いるが,生物学だけには頼らないということだとし,さらに行動を「生物学的側面」と「心理学的」または「文化的」側面を区別するのは意味をなさないと考えているとする.また行動の様々な要因についてカテゴリー思考(脳神経科学,ホルモン,環境.遺伝,文化などの要因を区別して別に扱う思考法)を避けるために本書ではタイムスケールの短いものから長いものへと視野を広げていくアプローチをとると宣言している.
 

第1章 行動

 
第1章がいわば準備章になる.攻撃,暴力,利他などの用語の定義が分野によって異なること,攻撃や暴力の評価は状況に強く依存するために単純に善悪で分類できないし,すべきでもないことがコメントされている.
 

第2章 一秒前

 
第2章では行動に至る神経系の至近メカニズムが解説される.脳の構造モデルにマクリーンの三位一体脳モデルを基本的に採用しつつ,大脳辺縁系,扁桃体,前頭葉,中脳辺縁系/中脳皮質ドーパミン系がどのような役割を果たしているかが概説されている.
ここでは大脳辺縁系が情動の中心部位であり,前頭葉と相互作用すること,扁桃体が恐怖と不安(警戒警報)に強く関係すること,前頭葉が「正しい,かつより難しい行動をとらせる」機能を持ち,背外側前頭前野(dlPFC)が「より難しい方を選ぶ」意思決定に,腹内側前頭前野(vmPFC)が「その意思決定への情動の影響」に関係していること,中脳辺縁系が報酬系であることなどが強調されている.
 

第3章 数秒から数分前

 
第3章以降は第2章で解説された神経系のメカニズムのパラメータを決める様々な要因が時間スケール順で取り上げられる.
第3章は感覚刺激の解説となる.まず行動主義,動物行動学に少し触れたあと,感覚刺激,サブリミナルな刺激(扁桃体の活性化),内受容感覚が概説される.そこから言葉,集団への帰属,社会的文脈が無意識に与える影響の解説があり,さらに脳が感覚系の感度を選択的に変化させうることに触れ,行動に影響を与える多くの感覚刺激が無意識下であることが強調されている.
 

第4章 数時間から数日前

 
第4章ではホルモンの作用系が解説される.
まずテストステロンの作用について,たしかにテストステロンの投与や去勢により攻撃性は変わるが,それとは相関のない攻撃性があり,一般にテストステロンによって個人の攻撃性は予測できないことが説明される.そしてテストステロン(条件依存性が強く,基本的に地位の維持に必要な行動が促される)やオキシトシン(同じく条件依存性が強く,親子やカップルの絆形成,社会的情報を収集すること,さらに「他者」への裏切りを促す)の複雑で微妙な効果が詳しく説かれる.
続いてエストロゲン,プロゲステロン,それらが変換される神経ステロイドや関連ホルモンの作用の複雑な効果が解説される.ここでは2種類以上の物質の相対比が問題になること,メスの攻撃性の状況依存性(子殺しリスクに晒された場合,月経周期との関連など)が説明できることが詳しく取り上げられている.
最後にストレスと脳機能の関連が解説される.「闘争か逃走」反応,グルココルチコイドの作用,脳機能の速度と正確性のトレードオフとの関連,速度が優先された場合の衝動性・利己性の高まりなどが取り上げられている.本章ではホルモン系の作用が複雑で条件依存性が強いことが強調されている.
 

第5章 数日から数か月前

 
第5章のテーマは神経可塑性になる.
まず神経細胞がいかに「記憶」するのかから解説される.それはシナプス間の連絡の長期増強により,神経伝達物質とその受容体が関与する.ここではグルタミン酸などの化学物質や受容体の作用の詳細,ストレスと長期増強,長期抑制との関連(状況依存で複雑だが,基本的にはストレスで長期増強が抑圧され,衝動性が誘発されやすくなる),かつては新しくシナプス形成は起こらないとされていたが「活性依存のシナプス形成」があり長期増強と関連しているらしいことなどが解説されている.
続いて軸索の可塑性と再配線,成体脳でも新しいニューロンを作ることが発見されたこと*1,これらにより経験,健康,ホルモン変動が数ヶ月程度で脳領域の大きさを変えることもあることが解説され,脳の可塑性(人は変わるのだということ)が強調されている(ただしそれには良いことも悪いこともあること,可塑性には限界があることも指摘されている).
 

第6章 青年期 「おれの前頭葉はどこだ?」

 
第6章と第7章のテーマは発達.第6章は特に青年期を取り扱う.
青年期には辺縁系と自律神経系と内分泌系はフル稼働しているのに前頭葉の配線はまだ完成していない*2.著者はここに青年期が,欲求不満で衝動的で手に負えなくて,時に無私無欲で時に自分勝手で,そして時に世界を変えるのかの理由があるとしている.そして青年期の前頭葉で起こる様々な変化を説明し,青年期の脳神経系が,社会的に未熟な振るまい,情動を強く感じること,リスクテイキング,新奇性探索傾向,強い帰属欲求とどうつながりがあるのかを解説する.そして青年期に暴力のピークがあるのはテストステロンのためではなく,成人に比べて自己管理能力や判断力が未熟であるからだとコメントしている.
 

第7章 ゆりかごへ,そして子宮に戻る

 
第7章では小児期,胎児期が取り扱われる.
ピアジェの発達段階理論(批判にも触れている),心の理論の発達を説明し,道徳性の発達を議論する.そこではコールバーグの道徳性発達理論,それへの批判,ミシェルのマシュマロ実験が紹介される.
続いて神経可塑性に影響を与える環境として小児期の逆境が取り上げられる.まず母親の役割(ボウルビィの愛着理論,ハーロウの代理母実験,サリヴァンのラットの実験)を検討し,小児期の逆境が,うつ,不安障害,認知機能低下,衝動制御の低下,(自分が親になった時の)逆境の再生産につながること(およびその至近メカニズムでわかっていること)を指摘する.ここで逆境の中でも暴力の目撃といじめを分けて検討すべきこと,その影響は逆境に屈服させられた回数と守ってくれる要因の数に依存することが指摘され,文化の影響として,子育てスタイル,仲間から受ける文化的影響,個人主義文化と集団主義文化が検討される.
ここではさらに子宮内での環境(特にホルモン被爆,母親が受けたストレス)の影響についても考察されている.
そして最後に,小児期に成人期の行動を直接決定するものはほとんどないが,小児期のすべてが成人の行動傾向を変化させるのであり,様々な至近メカニズムはそのことを知る手がかりになるのだとまとめている.ここでも強調点は複雑性と条件依存性になる.
 

第8章 受精卵まで戻る

 
第8章のテーマは遺伝.
まず遺伝子とは何かを初歩から解説する.タンパク質コード領域,非コード領域,その中の転写因子,スイッチをオンオフする環境条件の重要性,エピジェネティックス,エクソンとイントロン,転移遺伝因子(トランスポゾン)がまず説明される.
次に行動遺伝学の初歩が解説される.初期の双子研究とそれに対する批判と論争が要約され,結局交絡要因を完全に排除はできないが,それほどその影響は大きくなさそうだとまとめている.続いて遺伝率とは何か,遺伝子と環境の相互作用が説明される.
次に分子遺伝学を取り入れた最近のリサーチ結果が取り上げられる.セロトニン系,ドーパミン系,オキシトシン系,ステロイドホルモンなどに関連する様々な遺伝子と行動傾向の関連のリサーチ結果がきわめて複雑なことが紹介され,「候補」遺伝子探し(GWAS)により得られた知見と併せて,多くの行動形質には極めて多くの遺伝子がかかわること(ポリジーン),その1つ1つの遺伝子の影響は一般に非常に小さいこと,多くの行動形質は重なり合う遺伝子ネットワークがかかわっていること(非特異性),強い遺伝子と環境の相互作用があること,が強調され,最後に遺伝子は行動と大いに関係があるが,その効果は複雑で環境に大いに依存しているとまとめられている.
 

第9章 数百年から数千年前

 
第9章のテーマは文化.
文化の定義や動物の文化にちょっと触れ,本書のテーマにとって興味深い点は人生経験(暴力の経験を含む),利用できる資源と特権,成功の機会などが文化によって大きく異なることだと指摘する. 
そこからまず「個人主義文化と集団主義文化の対比」が考察される.そこには脳活性の違いという生物学的な要素があり,道徳体系(集団主義文化では同調が道徳と重なり,功利主義的になりやすい)や感覚処理(集団主義文化ではより俯瞰的処理が優先する)に影響すること,この違いはなぜ生まれるのか(伝統的な生業に関連するのではないか),それが淘汰圧の違いを生んだ可能性(ドーパミン関連遺伝子についての知見が紹介されている),遊牧民とアメリカ南部と名誉の文化,名誉殺人が解説されている.
続いて「不平等文化と平等主義文化の対比」が考察される.狩猟採集時代の平等社会が,農業革命以降の不平等社会に移行してきた経緯を振り返り,格差は経済資本だけでなく社会的資本にもかかわり,両格差は相関すること,不平等な文化では思いやりが減少し,貧困層の健康が失われること*3,さらに犯罪や暴力の増加につながること*4,都市生活と第三者罰の奨励の関係,社会の多様性は暴力増加にも抑制にも働きうること*5などが解説されている.
また危機が生じた時どうなるか*6,宗教と暴力の関連(文化の価値観と関連し,最善の行動と最悪の行動を助長し,全体の状況は複雑),ヒトの本性は善か悪か(ピンカーの歴史的暴力減少の議論とそれについての批判,批判への反論が詳しく取り上げられている*7)について議論されている.
そして著者は最後に,前頭葉の成熟遅延は文化の規範を吸収するための遺伝プログラミングと考えることができること,文化の差は予想通りのところだけでなく予想できないようなところにも現れること,生態系が文化の差を作り出し,現在の人口の大半は中東の牧畜民の信念に大きく影響を受けていること,少なくともここ500年は暴力は減少してきたことを強調している.
 

第10章 行動の進化

 
第10章のテーマは進化になる.まず進化の初歩の解説がおかれている.自然淘汰,性淘汰.頻度依存淘汰,平衡淘汰,行動の進化がまず簡単に説かれ,そこから協力や利他の進化((ナイーブ)グループ淘汰の誤謬,血縁淘汰,緑ひげ効果,互恵利他,進化ゲーム理論,繰り返し囚人ジレンマとしっぺ返し)が解説される.さらに(霊長類の)配偶システムの差による行動傾向の違い,親子コンフリクト,父親の子育て投資を説明したあと,マルチレベル淘汰理論の登場とそれをめぐる論争が解説されている.ここで(私的には残念なことに)著者は論争や理論面には深入りせず,利他行動の進化を考えるには個体淘汰,血縁淘汰,互恵利他,マルチレベル淘汰の4本脚で考えてよいのではないかという折衷的な立場を表明している.
続いてこれらの進化理論からヒトが考察される.ヒトは一夫多妻傾向もある単婚性で,個体淘汰として男性間競争が最大の暴力要因であることが理解できること,血縁淘汰として身内びいきが理解でき,血縁淘汰の予測からの逸脱例の多くが血縁認識のエラーで説明できること,認識エラーによる行動はヒトを最悪の行動へ操作することが可能であることを意味すること,非血縁個人間の協力の多くが互恵的に理解できることが解説される.
ここで著者はグールドの断続平衡説,適応主義批判を取り上げている*8.断続平衡説については(それのパターンの主張のみとしてみるなら)遺伝子によってはそういう場合もあるとした上で,両論争ともイデオロギー的な側面を持ち,論争当事者の感情をかき立てたが,近年ではやや落ち着いたとまとめている.
 
そして前半のまとめとしていくつかの点が指摘されている.

  • 行動のメカニズムより,その状況と意味の方が興味深くて複雑だ.
  • 理解のためにはニューロン,ホルモン,発生,遺伝子のすべてを組み込むべきだ.
  • 問題となるテーマは「原因」ではなく,傾向,潜在力,脆弱性,相互作用,調節,偶然性,条件依存,循環,スパイラルなどだ.

 

第11章 <我々>対<彼ら>

 
前半では行動の様々な要因が複雑で条件依存的であることが強調された.第11章からは暴力の要因となる個別の条件や状況が考察されていく.第11章で取り上げられるのは内集団<我々>と外集団<彼ら>の認知的区別とその影響になる.
ヒトは内集団と外集団を最小限の手がかりで瞬時に区別し,外集団成員に対して迅速で無意識の偏見を抱くことがまず説明される.続いてこの仕組みが生み出す暗黒面が考察される.

  • 内集団と外集団の相対的ポジションが問題にされがちで,外集団の不幸を望み,不平等の容認につながりやすい.
  • 内集団全体への義務感と忠誠心が喚起され,不面目な内集団成員への厳罰を望む場合がある
  • 内集団成員に対しては基本的価値観の優秀さが誇張され,ポジティブな相互作用が生み出されやすくなるが,外集団成員に対しては脅威や偏見を持ちやすく(これには感情と認知の双方がかかわる)集団間の相互作用は競争的で攻撃的になりやすい.

続いて(これらの区別は他の霊長類にもあるが)ヒトにおいてはこの仕組みが特異的であることが指摘され,その詳細が考察される.

  • ヒトには複数の内集団カテゴリー,複数の外集団カテゴリーがあり,それらの相対的重要性は容易に入れ替わる.
  • 内集団カテゴリー内の相対的重要性を決める要因は親近度と能力の次元で説明できる.再分類により,突然<彼ら>だったものが<我々>になったりもする.これらの変化は意識的にも無意識的にも起こる.意識的認知レベルで重要なのは,視点取得,接触,個別化,階層構造がある.

最後にこうまとめられている.

  • (扁桃体を破壊せずに)この二分法を行う傾向を「治す」ことはできないだろうし,そうすべきでもない(人生最良の瞬間は自分が<我々>の一部だと感じる時だ).そして<我々>と<彼ら>のいる世界で天使の側にいるためにはいくつかのやるべきことリストがある.それは,本質主義を疑う,合理性と思うことが正当化でありがちなことを肝に銘じる,より大きな共通の目標を優先する,視点取得する,個別化するということだ.

 

第12章 階層構造,服従,抵抗

 
第12章のテーマは階層.
動物にみられる順位性に触れてから,ヒト社会の階層構造の特異性が説明される.ダンバー数,複数の階層への所属,地位や階層構造への強い興味(社会性と共進化),順位が脳活性や内分泌に与える影響,どの階層に属するかとストレスの強さの関係が複雑であること*9,しかし社会経済的地位と健康の相関はかなりはっきりしていること,特にヒトに特異的なことは指導者が存在し,誰がそれになるかを(見た目などのあまり合理的と思えない(しばしば無意識下の)暗黙の基準で)人々が選ぶことなどが取り扱われている.
ここからまず「政治的指向」が考察される.

  • 社会的,経済的,環境的,国際政治的指向は同一方向を向く傾向(内的一貫性)があり,これは政治的イデオロギーがもっと広い基本的イデオロギーの側面の1つに過ぎないことを示唆している.
  • 右派は多義性に知的不快感を覚え直感的で,左派はより微妙な状況的原因説明を考える意欲が高い.実際に認知的負荷がかかったり,脅威が感じられるとヒトは保守的指向に傾く.
  • 政治的イデオロギーは知性や情動のスタイルの現れにすぎない.特に嫌悪に対する感度と嫌悪に対処する戦略が反映される.

続いて(暴力的指示への)「服従と同調」の問題が取り扱われる.

  • ヒトは指導者個人というより,権威という概念への服従を示す傾向がある.同調は集団に対する服従になる.
  • 同調や服従は動物の社会的学習に起源がある.罰を避けるだけでなく所属は安全なのだ.

ここでは有名なアッシュの同調実験.ミルグラムの服従実験,ジンバルドーの監獄実験が紹介され,これらをめぐる論争,いくつかの追試や再現の試みの状況が説明されている.著者は,明確で重要なことは「同調と服従の圧力があると正常な人たちが大方の予想よりはるかに高い確率で屈服して恐ろしいことをする」ということであり,そうなる状況を理解するのが重要だと指摘する.そして集団の性質(権威や正当性があるか),漸進的状況の有無(超えてはならない一線を引くのは難しい),免責的状況かどうか,被害者の性質(抽象的だと迎合しやすい),当人の性格・性別・属する文化,ストレス,代替策に気付けるかなどを吟味し,レジスタンスや英雄的行為は達成不可能ではないとまとめている.
 

第13章 道徳性と,正しい行動を理解し実行すること

 
第13章のテーマは道徳.
最初に認知的推論と直感のどちらかという問題が取り上げられ,具体例を織り交ぜながらそれぞれの議論が紹介される.そして両方の側面があり,しかもかなり重複しており,重要なのはどういう状況でどちらがより重視されるかということだとする.ここでグリーンのトロッコ問題を使ったdlPFCとvmPFCの議論が解説され,どちらが優先されるが,直接手をかけるか,意図的かどうかなどの状況に大きく依存することを説明する.
続いてその他の状況依存性が取り扱われる.自分の問題か他人の問題かという場合(使われる脳領域が変わり,自分には内的動機から,他人には外的行動から判断する傾向が現れる.そして一貫して自分に甘い),文化に依存しない普遍性(黄金律)と文化的特異性(協力と競争の文脈*10*11で多く現れる.特に反社会罰(利他者への罰)については文化により大きく異なる),牧畜と名誉の文化,恥の文化と罪の文化などが説明されている.
ここで道徳哲学が取り上げられ,義務論,帰結主義,徳倫理学の考え方がそれぞれ紹介される.さらに道徳的直感には学習の最終成果として自動的に処理される認知的な部分があること,グリーンによるモラルトライブズ間の悲劇(道徳律の違いによる対立)*12,利己的なずるや嘘をつく際の神経系の働きとそれに対抗して認知制御を働かせるにはどうすべきか(常に認知的に奮闘するのは難しく,自動性を用いた方が良い,その面からは徳倫理学の立場が推奨できる)が議論されている.
 

第14章 人の痛みを感じ,理解し,和らげる

 
第14章のテーマは共感.
まず動物の情動の伝染,痛みの共有,「仲直り行動」が扱われる.そこからヒトの情動伝染や思いやり行動が心の理論と視点取得より先立って発達することを指摘し,認知と感情の両方の要素が共感状態に貢献することが脳活性領域などから説明される.
ここでミラーニューロンをめぐる論争が詳しく紹介されている.著者は,最近この分野の大半の人々は大げさに騒がなくなっており,本書の関心事と関連があることが示されているわけではないとコメントしている.
続いて共感状態にあることと無私無欲に行動することの間に大きな隔たりがあること(ポール・ブルームの共感には暗黒面もあるという議論*13が参照されている)が解説される.ここではこのような問題に対して共感に対して「認知的」にアプローチすること(認知的制御)の難しさを指摘し,(前章に引き続いて)自動性を用いた方がよいとしている.
最後に善行の背景に利己的な要素があるかという問題が取り上げられている.人間関係への(直接互恵的)好影響,(メカニズム的な)心的報酬,評判を通じた(間接互恵的)利益などが議論されている.そしてどこまでも利他的な行為は稀であると考えられ,すべての善行の化けの皮をはがして偽善と断じるのは控えた方がよい(偽善であっても善行はあった方が良い)だろうとコメントしている.
 

第15章 象徴のための殺人

 
第15章で取り上げられるのは「ヒトはしばしば純粋なシンボルや概念のために暴力的になる」という問題だ.
まず「聖なるシンボル」をめぐる具体例として(1)宗教的に神聖なものに対する侮辱への暴力(エブド事件など)(2)軍隊の軍旗をめぐる激しい戦いなどが紹介され,これがヒト特異的であることが指摘される.
そしてシンボルを用いることの利点(言語の使用,特に隠喩)を挙げ,隠喩を処理する際の脳活性,隠喩を通じてシンボルが生理的嫌悪,そして道徳的嫌悪に結びつきうること,隠喩が隠喩に過ぎないことを知覚・記憶しにくいのは進化的に新奇だからであろうこと,しばしばシンボルが内集団と外集団の境界を決め,時に非人間化が生じること*14が取り上げられている.
そしてこの「聖なるシンボル」を平和のために使うことも可能なことが最後に指摘されている.あるグループにとっての「聖なるもの」は譲歩不可能なもので,深刻な争いの種になりがちだが,そこを謝罪とともに譲歩することが,逆に紛争の解決に役立つ可能性があるとして,北アイルランドや南アフリカの例が紹介されている.
 

第16章 生物学,刑事司法制度,そして(もちろん)自由意志

 
第16章のテーマは自由意思,そして本筋から少し離れて,現行刑事司法制度の問題点と抜本的改革案も扱われている.著者の立場はかなり極端に思えるが,頭の体操としては面白い.

  • 多くの人は「私たちは完璧な自由意思と自由意思ゼロの中間のどこかにいる.自由意思の存在は宇宙の物理法則と両立する」と考えており,それが現行刑事司法制度の基礎となっている(自由意思があるので意図された行動の責任が発生する.自由意思が弱められている場合には心神喪失や心身耗弱として責任の免除や軽減が認められる)
  • これは脳内に(物理法則から独立して動く)小人がいて身体を操縦している(そして常に完璧に自由に操縦できるわけではない)というイメージで表現できる.
  • マイケル・ガザニカは「自由意思は幻想だが,実際的な理由で私たちは自分の行動に責任がある」と述べている.これは社会的レベルで小人を認めているのだろう.私は「私たちの社会的世界も結局決定論的で唯物論的な脳の産物だ」と主張する.*15

ここから著者は,衝動的な行為と熟慮的判断,妄想や幻聴,行為の開始と中止,素質と努力などのトピックを扱い,様々な自由意思(小人)擁護論の問題点を指摘する.そしてモースによる強力な擁護論(神経科学による説明は相関を示しているだけであり,原因という意味での自由意思を反証できていない)に対して,(本書のこれまでの議論を元に)行動は多因的に決まるとして反論する.
そして刑罰は犯罪の予防,抑止目的(および犯罪者の治療目的)のものとして刑事司法制度を再構成し,報復感情をなくすことはできずとも克服すべきだと主張している.(ただし,最後には,自由意思がないとしてうまく人生を送る方法は想像もつかず,あえて小人の作り話を無害として扱い,真に理性的に考える力技の余力を残しておく必要があるのだろうともコメントしている*16
 

第17章 戦争と平和

 
第17章のテーマは,様々な暴力に向かう要因があるにもかかわらず,ヒトはそれらを克服できるのか,そして戦争と平和だ.
まず第9章でも取り上げたピンカーの「暴力の人類史」の歴史的暴力減少傾向の議論がもう一度取り上げられ,それに関する論争が紹介されている.著者はこの論争を丁寧に追いかけ,おおむねピンカーの議論に好意的だが,残虐性の比較について死者数を人口比で補正するだけでなく継続時間でも補正すべきだ(つまり単に1万人あたりの死者ではなく,1万人あたり1年あたりの死者数で比較すべきだ)と主張し,そうすれば2つの世界大戦がもっと上位(1位と3位)に入り,ルワンダ虐殺がリスト入り(7位)すると指摘する.そしてこれはピンカーのいう通り状況は改善しているが,最近では数少ない暴力的なヒトの影響が及ぶ範囲がはるかに広くなっていることを意味するとしている.そしてこの議論と本書のこれまでの議論を踏まえて,状況をさらに良くするためのヒントがいくつか提示されている.

  • 伝統的な集団間の暴力抑制戦略として移動(緊張を避ける),交易,文化があり,これは今日でも有効だ.
  • 文化の中で宗教が与える影響は複雑だ(様々なリサーチが紹介されている).宗教は内集団の社会性を強めるが,外集団への敵意を煽ることもある.
  • 集団間の緊張は接触により緩和することもあるが,集団間に格差があれば状況は悪化しうる.うまくいくのは共通の目標がある時だ.接触を介入するプログラムに効果はあるが多くは一時的にとどまる*17
  • 扇動家はしばしば外集団を非人間化して煽る.巧妙な煽りには共感を用いるもの*18もある.
  • 協力の進化にはいろいろな難問があり,パートナーの選択や罰のコストをどう乗り越えるかなどの不確定要素が多い.これには血縁淘汰,緑ひげ,間接互恵などの様々な理論的な枠組みがあり,ゲーム実験などによる実践的手段の探索も行われている.
  • 和解を制度化しようとするのはヒトだけだ.真実和解委員会(TRC)は複雑な仕組みだが役に立ってきた.TRCは反省や赦しではなくプラグマティックに「これは我々がやったことだ,二度としないと誓う」「わかった,裁判以外の報復はしない」と約束しあうものだ.
  • 謝罪がうまくいくかは状況に依存する*19.赦しも複雑だ.それは忘却ではなく,ある意味怒りと罰の放棄だ.認知的な評価変更が必要な場合もある.赦しで重要なことは,それは相手ではなく本人を憎悪から解放するということだ.
  • ほとんどの人には直接的な暴力を振るうこと(特に特定された個人に接近して殺害すること)について強い抑制がかかっている.
  • ヒトの社会的可塑性は極めて大きいと考えられる.個人が大きな社会的変化のきっかけになることも可能だ.そしてヒトは個人としても変わることができる(様々な例が示されている).
  • 集団間の敵対関係も変わりうる.協力が利益を生むなら,休戦は生じうる.そしてそれは儀式化を通じて制度化することもできる.

 

終章

 
最後に本書で強調したかったことが(これはあくまで平均的傾向だと断った上で)順不同でまとめられている.いくつか載せておこう.

  • 熟慮の上で悪の衝動を抑えることは素晴らしいが,その善行を習慣的に行うようにしておく方が効果的だ.
  • 脳には可塑性があり,子供時代の逆境は悪影響を持つ.しかし逆転させることも可能だ.
  • 脳と文化,認知と情動,遺伝子と環境は相互作用する.すべては状況次第であり,複雑だ.
  • 私たちは常に無意識下の刺激や情報,自分で感知できない内面の力に影響されている.
  • 私たちは暗黙のうちに世界を<我々>と<彼ら>に分割し,前者を好む.
  • 交渉で<彼ら>と和解することは可能だ.<彼ら>の聖なる価値を尊重することが平和を長続きさせることにつながる.

 
以上が本書の内容になる.前半でヒトの行動は様々な諸要因の非線形的な相互作用の結果,極めて条件依存的で複雑であることが強調され,後半ではそれを踏まえて具体的な状況が考察される.そして様々な状況の改善方法があり,希望はあるのだというのが結論として提示されている.その多くの考察はこれまでの様々な知見の紹介と著者のコメントという形をとっている.
著者独自の主張としては善人であるには判断を自動化した徳倫理学の立場が有用だろうというものや「聖なる価値」は和解において有用でありうるというものがあって面白いところだ.ただ本書の面白さは提示された特定の改善方法の有用性ではなく*20,複雑で状況依存的な問題にどうアプローチするかという知的格闘の部分にあるだろう.そして何より本書の価値は重厚な総説本として成立しているところだ.本書の様々な特定のテーマに興味があれば,本書を読むことにより周辺視野が大きく広がるだろう.ヒトの行動,特に暴力や競争に興味がある人には得がたい一冊ということになるだろう.
 
関連書籍
 
原書

 
 
サポルスキーの著書
 
最新著作.自由意思についての第16章の議論に関連する本のようだ 
自伝的エッセイ.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20140728/1406545744

同原書

 
行動やホルモンについての様々なエッセイが収録された一冊 
同原書 
ストレスについての本. 
同原書,こちらは第3版まで版が重ねられている

 

*1:これは過去最大の神経科学における革命とされ,それを発見したアルトマンがそれを否定するドグマに染まっていた大御所たちに排斥された経緯,その後多くの補強証拠が現れて認められていった経緯が詳しく書かれている

*2:著者はこれは進化的な選択であり,より多くの経験や学習の結果を反映させたうえで配線を完成させる方が多くの状況に対応できて適応的だったからだろうと推測している

*3:心理的ストレスの影響と公共財投資の減少(公共財投資の限界価値が富裕層にとって小さいのでそうなりやすい)の影響が示唆されている

*4:社会関係資本(信頼と協力)が減少することと公共財投資の減少の影響,転嫁的暴力の増加が示唆されている

*5:集団間接触の空間的状況に依存する

*6:短期的な危機は一般的に団結を高めるが,長期的な危機の影響は複雑

*7:著者の見解は狩猟採集民は天使ではなく殺人を行うことができたが,戦争の惨禍は農業革命以降だというものになる

*8:本書のテーマからみて取り上げる必要があったようには思えない.回顧的エッセイとして書きたくなったのだろうか

*9:順位が意味することが状況により様々であったり,当人の性格によって受け取り方が異なることが要因となる

*10:最後通牒ゲーム,独裁者ゲーム,罰あり公共財ゲームにおける振るまいが取り上げられている.例えば裏切り者に対する利他的な罰は,(1)市場が統合されている,(2)コミュニティの規模が大きい,(3)世界的宗教を信じる人の割合が多いほど多くなる

*11:著者はこのような文化的な差異について,基本的には狩猟採集時代には血縁淘汰と互恵利他で公正が推進されており,見知らぬ他人との相互作用にもそれが用いられているというシナリオがあり,そこに文化的に特殊な向社会性が推奨されるとともに,原始的な直接互恵に頼る市場経済(常に対価を支払うことが基本になる)が発展したというシナリオを提示している

*12:この悲劇に対処するには,<我々>対<彼ら>の要素が強いので,直感に頼るのをできるだけ避けて熟慮の認知に頼った方がよいと示唆されている

*13:他人の痛みを感じることは基本的に苦痛であり,それを避けようとする場合がある.また内集団と外集団の区別が共感の強さに反映される

*14:ルワンダ虐殺事件とその際のフツ人グループによるツチ人の非人間化が例にあげられている

*15:私的にはデネットによる自由意思の議論も取り扱ってほしかったところだが,それは扱われていない

*16:だとすると著者とガザニカの立場はほぼ同じというような気もするところだ

*17:介入を受けて融和的になった人々が集団の一部に過ぎない場合には,しばしばその集団から裏切り者扱いされる.

*18:「彼らは赤ん坊を残虐に扱う」と吹聴し,赤ん坊への共感を利用して非人間化をすすめるような手法がある

*19:口先だけか,誰が謝っているのか,何について謝っているのか,謝ってどうするのか,謝罪を受ける側の気質はどうかなどで効果は大きく変わる

*20:改善方法も結局複雑で状況依存的なものにならざるを得ず,すっきりとしたものはないことになる

War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その63

 
14世紀が始まるころ,フランスはある種の黄金時代だったが,そこから崩壊する.
ターチンはこの基本メカニズムはマルサス過程だとするが,それだけでは崩壊から回復への遅れが説明できないとして,支配層のダイナミクスをより詳しくみることが必要だと説く.そして中世盛期の人口増加は一般市民を食料価格上昇と賃金低下による苦境に陥れたが,貴族層はむしろ利益を得たのだということを説明する.しかしそれはもちろん持続不可能だ.貴族層の幸運の終焉は利益を得た貴族層の人口が増えることにより始まる.
 

第8章 運命の車輪の逆側:栄光の13世紀から絶望の14世紀へ その7

 

  • 幸運の車輪は回転した.そして頂点にいた者たちは突然自分たちが厄災に向かって滑り落ちていくのに気付いた.貴族層の繁栄は彼らの人口を増やし,それはしばらくして彼らの収入を減少させたのだ.
  • 上流階級も13世紀の人口増加の一般的影響下にあった.彼らの人口は増え,そして経済的に好転したために人口増加率は一般大衆より大きかった.収入増加時代には,一部の上流階級は,土地を2人以上に相続させても上流の地位を保たせることができた.離れた場所にも領地を持つ貴族は,不便な土地を次男に相続させて中流貴族にすることもできた.

 
支配階層が,均分相続の場合,財産が分割されて没落していくというのは歴史では所々で見かける話だが,中世盛期のフランスでも生じたということになる.
 

  • 加えて,貴族領主階級というのは完全な固定階層ではない.そこに参入したり脱落したりする家系は常にあった.富裕な商人は資産の一部を領土に替える機会を逃したりはしなかった.十分な土地が得られれば,領地に移り,商業のような「卑しい」なりわいとのつながりを断ち切った.その後,金を払って王家から貴族の爵位を得るのは難しくはなかった.軍人や聖職者からの参入も可能だった.
  • 農民も,長期的な視野に立てば,貴族になれた.富裕な農家は土地を購入したり,借金の担保実行として土地を集めることができる.彼の息子は自身で耕作することをやめ,小作人を雇い,さらに富裕になることができる.孫は土地の一部を貸し出し,自身は領主の従者になることができる.従者は時に王家の軍に加わり,貧しい貴族の娘を娶ることができる.その息子は軍務を続け,他の貴族層と親しく交わり,貴族のように暮らす.このようなことが3世代も続けば,誰も彼らの家系が農民の出自であるとは思わなくなる.
  • 要するに,金を払って王家から爵位を得て貴族になるというのは常に可能だった.貴族の系図をでっち上げることも可能だった.貴族層に参入する方法はたくさんあったのだ.主要な条件は土地を十分に集積することだった.
  • そして貴族層から脱落する個人や家系も常にあった.貧しくなった貴族家系は,貴族に相応しい暮らしを続けることができなくなる.そして静かに自身で土地を耕作する農民階層に下っていく.しかしながら貴族繁栄の時代にはそのような脱落は稀だった.

 
そして階級は完全に固定されていなかったというのがターチンの説明になる.とはいえ,階級が固定化されているかどうかという要因がクリオダイナミクスに果たす役割についてはあまり詳しい説明がない.貴族層から一定割合がドロップアウトしていくということは,貴族層の人口増加プレッシャーを緩和する要因になるはずであり,流入が生じれば人口増加プレッシャーを促進する.ネットの増減が問題ではないのだろうか.ここは趣旨がややわかりにくいところだ.
 

  • 結局,13世紀後半の貴族繁栄の経済トレンドは.領地の分断化,貴族層への新規参入,貴族層からの脱落現象を生んだのだ.一般大衆の人口増加が止まった時も貴族層の人口は増加を続けた.そして社会ピラミッドはトップヘビーになった.
  • 私たちはこのエリートの過剰増加が中世英国でも生じたことを,直属封臣(Tenants-in-chief :ノルマンコンクエストに由来を持つ国王の直属臣下である領主)の死にかかる審問記録(その地位の相続を認めるかどうかを審問するもので,その記録には土地からの収入などに加えて直系男子相続人の数が明記されている)から知ることができる.(1250〜1500年の何千もの審問記録を分析したリサーチが紹介されている:13世紀後半の男子相続人の平均数は1.48で,この50年間でこの階層の人数は倍増したと推定される.14世紀前半,一般人口が減少に転じたなか,この平均数は1.23で,この階層人口はなお40%増加したことが推定されるとしている).

 
この審問記録による検証のところは詳しくてなかなか面白い.

War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その62

 
14世紀が始まるころ,フランスはある種の黄金時代だったが,そこから崩壊する.ターチンはこれは基本的に人口増加によりマルサストラップに入り込んだところに黒死病のインパクトが加わったことから説明できるとする.しかし崩壊からの回復過程は単純なマルサス過程より遅れたのだと指摘する.そしてそれは支配階層のダイナミズムとそれが国家に与えた影響から説明できるとする.説明はまず崩壊過程の階層別にみた詳細から始まる.
 

第8章 運命の車輪の逆側:栄光の13世紀から絶望の14世紀へ その6

 

  • 中世フランスの支配階層とは誰か.農業社会,つまり生産の大半が穀物と家畜を育てることで構成されている社会では.土地こそが生産の最重要手段であり,富の主要な形態だった.土地の配分は権力の配分と強く相関していた.なぜなら富と権力は物理学における位置エネルギーと運動エネルギーのような関係にあるからだ.富あるいはそこからの収入は,影響力を購入したり家臣を雇うことにより,容易に権力に替えることができる.また政治的権力は土地獲得能力を高める(そしてそれは更なる権力の元となる)のだ.
  • フランスの権力階層の頂点には大領主;王を含む高位貴族と高位聖職者がいた.その下には上流騎士から騎士従者に至る様々な貴族がいた.これらの階層は6〜10万世帯からなり,フランス人口の2%程度を占めていた.またこの貴族層内部の貧富の差も大きかった.(100倍以上の差があったこと,最下層の貴族の収入だと一家4人が食っていけるかつかつだったことが解説されている)そして中世英国も似たような社会構造を持っていた,(詳しく解説がある)

 
ターチンのクリオダイナミクスでは支配階層の動向が重要な要因となる.このためまず支配階層がどういうものだったかが説明されていることになる.ここではlay lordsを王を含む高位貴族と訳しておいた.ターチンはここにthe king, dukes, counts, and barons(国王,公爵,伯爵,男爵)が含まれるとしている.なぜmarquesses(侯爵)やviscounts(子爵)が含まれていないのかはよくわからなかった(この時代だとmarquessはなお辺境伯であり,viscountsは副伯なのでcountsに含まれるということなのかもしれない).また高位聖職者(prelates)にはabbots, bishops, and archbishopsが含まれるとしている.それぞれ大修道院長,司教,大司教と訳されるらしい.
 

  • 中世盛期の人口増加は貧困化を招き,人口の大半にとって苦難の時期となった.しかし土地持ち貴族はおおむね13世紀の経済トレンドの中で利益を得た.彼らの主な生産物である穀物の価格は上昇し,コストである農場労働者の賃金は下落した.あるいは土地を暴騰した地代で誰かに貸すこともできた.さらに食品などの生活必需品の価格が大幅に上昇する中で,工作物の価格はそこまで上昇しなかった.これは工作物生産にかかる大きなコストが賃金だったからだ.
  • 貴族たちは突然自分たちがより富裕になったことに気付いた.彼らはそれを贅沢品や顕示消費に費やすようになった.この需要に反応し,商人は贅沢品を海外から輸入し,都市の起業家は都市に流れ込んだ貧困層の安い労働力を使って生産規模を拡大させた.この結果,13世紀には交易が拡大し,美術工芸品の価格が上昇し,都市化が進んだ.富裕な商人や起業家が都市で台頭した.ゴシック建築の一大ブームはこの経済トレンドの間接的な結果だ.大土地を領有する貴族と聖職者たちは贅沢消費に励み,ゴージャスなキリスト教教会が建てられた.
  • このようにして13世紀には2つの矛盾するトレンドが観察できる.片方で,人口プレッシャーが上昇し,人口の大半の生活水準は下がり,一部は破滅の一歩手前まで追い込まれた.もう片方で,富裕者や権力者は黄金時代を享受した.厄災への警告サインは出ていたが,見過ごされた.(貴族たちは)下層民に何が生じているかについて関心を示さなかった.13世紀のテキストはエリートに向けてエリートが書いたものが大半だったからだ.これは現代の歴史家にとっても見過ごされやすい警告サインだったのだ.

 
人口増は消費者人口とともに労働可能人口を増やす.主要産業が農業で農地がすぐに増えないとすると,食料品は不足して価格が上昇し,片方で労働力が過剰になり,賃金水準は下がる.そしてそれは生産手段である土地を独占している支配階層を富ませ,庶民を困窮させる.こうして貧富の差が拡大したとターチンは解説する.貴族文化の花開いた中世盛期は実はなかなか酷い社会だったということになる.

War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その61

 
14世紀が始まるころ,フランスはある種の黄金時代だったが,そこから崩壊する.人口増加によりヨーロッパは典型的なマルサストラップに陥り(内的ダイナミクス),そこに冷涼気候による大飢饉と黒死病(外的要因)が襲う.ターチンはこれらの諸要因と結果の間の因果の複雑性を指摘する.
 

第8章 運命の車輪の逆側:栄光の13世紀から絶望の14世紀へ その5

 

  • 黒死病の原因は複雑であり,結果もやはり複雑だ.それはたしかに恐ろしい厄災だったが,人口のプレッシャーが減り,生存者にはよい効果もあった.マルサス過程が逆転したのだ.
  • 厄災が過ぎ去ったあと食品価格は下がり,実質賃金は上昇し,土地貸借料は下がった.土地を持たなかった農民は死亡した親類から土地を相続できたり,あるいは放棄された農地を獲得することができた.土地所有者は急激な労働者不足と地代低下に直面した.場合によっては賃借人に土地をただで利用していいから荒廃させないでほしいと頼み込んだ.労働者不足は賃金の上昇につながった.フランスでも英国でも1350年に実質賃金は50年前の2~3倍になった.戦時を除けば,普通の人々の実質賃金と消費水準はかなり改善されたのだ.
  • 限界生産価値の小さい農地は放棄されたり牧草地に転換された.総生産量は下がったが人口減少割合の方が大きかったので,農業生産性は上昇し,1人当たりの食料供給も増えた.人々は肉を食べ,ビールやワインを飲むようになった.食料に占めるパンの割合が下がり,パンの品質も向上した.
  • 13~14世紀の経済トレンドはマルサス理論の1側面(つまり人口圧力が食品価格,実質賃金,地代にどういう影響を与えるか)についての素晴らしい検証事例となっている.人口は1300年ごろまで増え,それから(特に1348年以降急激に)減少した.そしてその影響は理論通りだった.

 
この部分のターチンの説明はやや曖昧だが,おそらく内的なダイナミクスの循環過程としてのマルサス過程があり,黒死病はそのダイナミクスを加速したという趣旨なのだろう.インパクトの評価としては,加速したかどうかだけでなく,振幅を上げたのか,下げたのかの評価もほしいところだ.
 

  • しかしマルサスの理論は別の予測もしている.それは経済状況が黒死病以降急激に改善したならば,その後人口が増え始めるだろうというものだ.1380年までには黒死病から1世代以上が過ぎ,下層階級の人々にとっての経済状況は大きく改善した.しかしマルサスの予測に反して人口は停滞あるいは減少していた.フランスでは人口再増加の最初の徴候が現れるのは1450年以降であり,英国では1500年以降だった.何がこの100年にわたる遅延を引き起こしたのか.それは疫病ではなかった.たしかにペストの流行は15世紀を通じて散発的に生じたが,それは徐々に頻度を下げ,流行もマイルドなものになっていた.
  • 単純なマルサス理論には何か問題があるのだ.私たちはこの1350~1450年という100年間を理解するためには,別の要素を検討しなければならない.それは支配階層のダイナミズムとそれが国家に与える影響だ.

  
このターチンの指摘とそれをどう説明するかが本章のポイント,そしてターチンのクリオダイナミクスということになる.どのように説明がなされるかが興味深いところだ.
 
マルサスの人口論.原題は「An Essay on the Principle of Population」になる.

War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その60

 
14世紀が始まるころ,フランスはある種の黄金時代だったが,そこから崩壊する.ターチンは内部的な非線形ダイナミクスからそれを説明する.人口増加によりヨーロッパは典型的なマルサストラップに陥り,そこに冷涼気候による大飢饉と黒死病が襲う.ターチンはしかしこれらの外的要因を過大評価すべきでないとする
 

第8章 運命の車輪の逆側:栄光の13世紀から絶望の14世紀へ その4

 

  • 黒死病はたしかに人口減少の大きな要因だが,原因はそれだけではない.結局人口減は1348年より前に始まっていたのだ.人口減少は,飢饉,戦争,そして出生率の減少によっても引き起こされていたのだ.そして黒死病は世界史的にみて前例のないようなものではない.(いくつもの疫病による大厄災の例が引かれている)

 
ターチンが引いている疫病の例は紀元前5世紀のアテナイの疫病,2世紀ローマ帝国エジプト・シリア領域のアントニヌスの疫病,5世紀東ローマ帝国のユスティニアヌスの疫病,17世紀英国のペスト禍などだ.アテナイの疫病はトゥキュディデスが描写したもので,ペロポネソス戦争のさなかに戦争指導者だったペリクレス自身が感染して死亡し,これがアテナイの凋落の大きな要因になったとされている.
 

 

  • 一般的に言って,疫病はセキュラーサイクルの崩落フェイズでほぼ常に人口減の原因となっている.これを説明する重要な要因は人々の流動(田舎から都市への流入,浮浪者・放浪者の増加,反乱軍の移動)だ.加えて人口の大きな部分の栄養状態が悪いことも挙げられる.つまり人口増加は疫病流行の基盤をつくり,死亡率の増加を促すのだ.

 

  • 西ヨーロッパ住人の視点から見ると,黒死病は外因的で不可解な出来事だ.しかしヨーロッパは孤立した島ではない.それはユーラシア全体のプロセスの影響を受ける.13世紀にユーラシアの広大なコア地域はモンゴル帝国によって統一された.モンゴルの征服の1つの帰結は,中央アジア全域に渡る交通,交易,収奪,コミュニケーションの密度と速度の増加だ.これは病原菌の遠距離間の伝播スピードを上げた.1330年代に中国,トルキスタン,ペルシアはいずれもモンゴル王朝に統治され,同じような政治的崩壊を経験した.その結果広大なステップ地域は大混乱に陥った.多くの人々が混乱しながら行き来し,ペスト菌を大陸の果てまで広げたのだ.疫病が最初に現れたのは1331年の中国だ.15年後,その病気はカファを攻略中のタタール軍の間で流行し,そこからヨーロッパ全域に広がったのだ.

 
ターチンは黒死病のインパクトはマルサストラップとの複合的なものだったことを強調していることになる.さらにターチンは原因は広くユーラシア全体をみないとつかめないと主張している.とはいえターチンの議論のこの部分にとってユーラシア全体の俯瞰がどこまで重要かというのはよくわからないところだ(単に突然ヨーロッパに現れた外的要因としても議論の筋は変わらないような気もする)