2010-01-30
■[diary]デート考2
ヘテロな女子2人同士で会うことを「デート」と呼ぶ風習が私は苦手だ、ということを前回書いた*1。今日はその続きを書こうと思う。前回は、私が「デート」*2を嫌う理由を2つ挙げた。
今日はその続き、その3について考えてみる。なお「デート」で私が指しているのは、女性たちが女性同士で過ごすという行為自体ではなく(それを否定するつもりは全くない)、それを「デート」と呼ぶ慣習のこと。大事なことなのでもう一度いうけれど、女性同士で楽しく過ごす時間自体には否定的な感情はないし、もちろん揶揄するつもりなんてない。気になるのは「デート」という言葉遣いそれ自体。
私が「デート」を嫌いな理由その3。寂しいから。
デートは誰のものかって、そりゃあ男女お互いのものだろう。それぞれが指す意味内容はちがってるんだと思うけど*3、とけ合いたくて2人で会ってるのにそれじゃああんまりだからさあ、互いに意味をすり寄せあってよりよい理解に至りましょうよ、というのがデートの思想だと思う。それぞれ持ち寄ったファンタジーに共通解を探してはよろこび、相違点をみつけては笑う。
男(というか私)からしたら「デート」って、互いに意味を歩みよらせましょうよの姿勢で向き合っていたはずの女性から、一方的にそっぽを向かれちゃったように感じる言葉だ。えぇ〜、そっちだけの都合で意味を改変して女の人同士のイベントも「デート」言っちゃうのかいサザエ ?! 僕たしかに磯野家においとましてる身だけどそこは相談くらいしてくれても…。そういうことですよ。変えるにしたって合議の上で変えて欲しいじゃない、デートのシニフィエ。
これはすごく寂しい。お互いに幸せな共同作業を行っていると思っていたのに、相手が一方的に「今日からデートって言葉は「デート」という意味でもつかうことにしました!よろしこ!」なんて告げてきたらそれはもう途方もなく寂しい、よろしこ!につっこむ余裕もないくらいに…。
言っておくけれど、この寂しい…という愚痴はラブレターだ。俺はまだデートっていう言葉のファンタジーを信じていたいし、その強度もすごく大切なんだよ。なぜって二人で(男女で)向きあっていきたいんだもの…。というラブレター。
女の人特有(なのかな?)の、「気になる人・憧れている女性と会うときのときめきや胸さわぎ」という意味内容を表す言葉がないのが問題だ。そういう感情をひっくるめて女性が「意中の女性」に会う行為には現在「名前」がつけられていない。なればこそ手持ちの辞書から最も近似精度の高い言葉つまりデートが採択され、はれて「デート」が誕生したのだろう。
なので案としてはa「デートのシニフィエの変更を認め(つまり「デート」的な使い方アリ)、同性に対しても使用可能な言葉とする」、b「もっぱら女性たちの間で用いられる「デート」を表す、別個のシニフィアンを作る」が考えられる。私はもちろんb派だ。何か良いことば、ないだろうか。
2010-01-28
■[diary]デート考 1
女性2人(共にヘテロセクシャル)でお茶を飲んだり買い物したりすることを、彼女たち自身が「デート」と称するのをよく耳にする*1。今日は○○ちゃんと青山デートしたよー(ハート)とか△△カフェでデート中(デコデコした絵文字)。男はデートをこういう意味合いではつかわない。今日は□夫と新橋の立ち飲み屋でチンコ下ネタ全開デート(きんたまハート)という用例は存在してほしくないので、これは多分に女性特有の語法だと思う。僕はこの「女性2人」を表す「デート」という言葉づかいに常々違和感を感じており、もっと言えばいけすかないと思う。そんな旨をtwitterでつぶやいたところ色々な意見が聞けたのでまとめがてらその違和感について考えてみる。
「デート」の何がダメなのか。まず第1に本来の内容とまるで意味が違うので紛らわしいし面倒。○○ちゃんとデートしたの〜。といった話を聞く度に「ああ、普通はデートって異性とのイベント*2に使うものだけど、こういう風に女性同士の会合を「デート」って表現することがあるよな。この話題が続く間はそっちの方の「デート」だと思ってデートにカギ括弧をつけて相手の言ってることを聞けば良いってことね。ああメンドクセー」と認識しなくてはいけない。これがとっても手間!相手あっての言葉でしょう!
遊んでてさあ、ご飯食べてさあ、お茶してさあ、とものの言いようはいくらでもある中で敢えて「デート」という言葉を選ぶ、そんなチョイスの妙ってあるでしょ?洒落た会話を楽しんでるでしょ?的な「どや顔感」がこれまたにくたらしい。
第2にファンタジーの摩耗。
デートという言葉は(僕の認識が古いだけかもしれないけれど)想い合ってる異性同士が一緒の時間を過ごすこと、そこから生まれる温かさや緊張、幸福への予感、性的なファンタジー。そういったものを全て包含する言葉でしょう。しかし「デート」と言われてしまうと「2人で会えばとりあえず成立」みたいなことになってしまって、なんつうのかなあ、味というかファンタジーというか、そういうのが立ち消えてしまう。妄想が駆動する訳がわからない程の多幸感が損なわれてしまう。
これはとても大変な問題で、通例どおりにデートという言葉を使う男(私)サイドにしてみると、「ああ、向こうはデートという言葉を友達と普通に会う時にもつかうんだよな」「特別な言葉じゃないんだな」とせっかくのデートのありがたみが減じてしまうのだ。
いつもより映画が面白くなるんじゃないか、手ぐらいつなげるんじゃないか、ことによればオッパイ触れるんじゃないか、そして何よりこの子ともっと深く分かりあえるんじゃないか。そういった恋にまつわるファンタジーを背負って「出会え、いくさじゃ!」…アドーンワナミサシィーン!くらいの武田エアロスミス信玄の心意気でこちとらデートに臨んでいるというのに、女子たちときたらやっこさん。つね日ごろから「○○ちゃんとカフェデート(犬マーク)」くらいのノリで「デート」という言葉を乱用していらっしゃるとは!
いや分かる、向こうもそれなりの気持ちで来てくれているんだろう。けれど、それにしてもちょっとすり減っちゃてるじゃんか「デート」にまつわる幻想がさあ、隙や憂いの入る余地のないパーフェクトな夢を見たいじゃん…というこの気持ち。
@kakoooon デートって言葉の持つ重みを女性側から切り下げることで、モテない男子でも気軽に誘えるようにする平等精神に基づいていると解釈すればいいんですよ!
何そのポジティブシンキング!たしかに「女子たち、同棲の友人同士でも「デート」って使うくらいにハードル下がってるんじゃ…だったら俺がデートに誘ってもあるいは…」っていう感じはあるかもしれない。
でもこれって結局は「女子たちの運動会」に一人だけ男が割りこんで100m走をやるようなものだから、そこで一等賞をとったところでそれは競争相手を間違ってるよなっていう。ファンタジーを伴うデートをするためには「(他の男性ではなくて)自分との時間を作ってくれた」という妄想が必要で、そのためには他の男たちと一緒に走って彼女にアピールしなくてはいけないんだから。女性たちの用いる「デート」の業界で徒競争しても始まりませんわ!
というわけで続く。次回は思うことその3を書きます。
2010-01-24
■[diary]トイレ考
便利を求めるのは人間の性、とは言えそれはさすがにやり過ぎじゃ…と思う場面もなくはありません。公衆トイレの話をしています。
公衆トイレ。この便利さはありでしょう。急な便意や尿意のたびに草むらを探すわけにもいかずまして都心部には草むらの存在自体がレア、ようやくの思いで見つけた草むらに他の利用者がいない可能性はほとんどないと思われます。一億総草むら時代が訪れてしまいます。だからこそ、ありがとう公衆トイレ、ありがとうTOTO。
しかし公衆トイレのサービスが「過剰」である場合こちらが面食らってしまうという悲劇。今日も草むらいらずに使わせていただいてありがとうございます…と感謝の気持ち、なればこそ「やっていただき過ぎる」とこちらが尻込みしてしまうというか申し訳なくて出るもんも出ないわけですよ。まず第1に勝手に便座のフタが開くやつ、ありはビクっとするね。なんど経験しても全く慣れない。精神衛生上良くないのはもちろんのこと、追い詰められた果てに見つけた便器に様なんだから「ちょっと不便」くらいで丁度バランスなんです。フタを開けることで、行為のけじめとでも言いましょうか「いざ!」っていう心のスイッチが入る側面もあるのに便座側でそれを塩梅されるとこっちの気持ちに収まりがつかないんです。だいたい自分からフタを開けてくれるような紳士に向かって排便排尿…できます??どうかしてるぜ!
第2にあれ、勝手に水洗機能。これがまた利用者泣かせで私は実に苦手です。最後コンディションを確認したいじゃない。あーこういう色・形状だったか…という振り返り、それに伴ない得られる自身の体調への気づき。そういったセルフ・アセスメントまでを含めて私たちは「排泄」を行っているわけですよ。排泄だけが「排泄」ではなくて、得られるスッキリ感や体調管理、そういったものも含めて「排泄」なわけで、捨てる紙ばかりではなく、そこからどんな拾う神をえるかで勝負、みたいなね。
なのに便器側で気配りしていただいて立ち上がったタイミングでジャーと洗浄。ちょまっ!
けじめの部分もあると思うのです。最後に自分の手で水洗をかけることで「排泄」に終止符を。打ちたいじゃない。フタが勝手に開いた瞬間に排泄の幕が開き、機械的な水洗を受けた時点で排泄おしまい。こんな味気ないウンコを出したいわけじゃない!もっと「排泄」を生きたい、「排泄」に人間を取り戻したいんです。フタを開けるのも水を流すのも大した手間じゃないんですから。
何でもかんでも便利を求めて、その先に人間が阻害されることがあっては本末転倒。排泄はルーチンでも余分な作業でもなく人生についてまわる、だからこそ睡眠や食事や性と同じように、その瞬間を「生きる」ことがもとめられる営みです。公衆トイレからの疎外、なんとか改善していただけないでしょうか。
2009-12-31
■[diary]年の瀬
不必要に低い自己評価、それと裏返しの尊大な自己愛、八方美人めいた軽躁的ふるまいという基本的な性格傾向はもはや変わりようもないが、それにしても少しはマシな方向に動いているんじゃないかなあなんて思っている。健全な自己肯定がわずかながら芽生え始めているような。好きな人にまっすぐ好きと言ったり、周りのペースに乱されず自分のペースで作業や勉強を進めたり、そういう「当たり前」のことが少しだけできるようになってきた。29歳という年齢は遅すぎるかもしれない、けれど僕の中では確かな一歩。
周りの人達だよなと思う。僕の中で芽吹きつつある好ましい変化をうながしてくれたのも支えてくれたのも全部。人と交わるのは楽しい。自分が変わる、おそらく相手も変わる。人の和の中で暮らそうと思う。変化を続けようと思う。もっと柔軟でふところの広い自我を身につけたい。そしてゆくゆくは飲み屋のオヤジになりたい。芋焼酎をみんなの笑顔で割っては愉快に酔っぱらっていたい。周りの人が楽しそうにしているのが僕にとって何よりの喜び。
花見が好きだ。もう少し言うと花見客が好きだ。桜を見ながら思い思いに酔っぱらう人たち、あれ程しあわせな光景は他にないと思う。周りの人達には笑顔でいてほしい。そのために生きてみたいという目標。人生を終わらない花見にしたい。
来年は30歳。僕の中では「そろそろ成人式か」という感覚だ。「大人」になるのも悪くない、いや楽しそうだぞという気持ちでいる。
というわけで2009年もおしまい。直接に間接にお世話になった皆様、本当にありがとうございました。おかげさまで今年も無事に年が越せそうです。毎日がしあわせです。
良いお年を!
■[diary][music]今年の音楽
3時間くらいかけて書いたのが全部とんだ。うぎゃー。順位だけアップ…。くやしいです!
→現在コツコツ書き直し中です。
アルバム
20:「Gloomy」毛皮のマリーズ
- アーティスト: 毛皮のマリーズ,志磨遼平
- 出版社/メーカー: sputniklab.inc
- 発売日: 2009/04/08
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馬鹿ロック2009代表。RIJで見たライブもすごく良かった。
すいません、初めてJay-z聞きました。かっこよかったです。
18:「Hambag」Arctic Monkeys
- アーティスト: アークティック・モンキーズ
- 出版社/メーカー: ホステス
- 発売日: 2009/08/19
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重くなった!爆発力は陰を潜めたけれど、その分オトナな感じが出て良かったんじゃないでしょうか。
17:「Exile On Main Beach」Soul Flower Union
- アーティスト: ソウル・フラワー・ユニオン
- 出版社/メーカー: スリーディーシステム
- 発売日: 2009/10/07
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このベスト盤は買いです。ここ10年のソウルフラワーの概要が見えてくる!10年前に出た超名ライブ盤「High Tide and Moonlight Bash」を買えば完璧。
- アーティスト: 曽我部恵一BAND
- 出版社/メーカー: ROSE RECORDS
- 発売日: 2009/06/09
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1枚目の方が好きだった!1枚目路線と2枚目路線のあいだに産み落とされた「ほし」の超絶名曲ぶりがすごいです。
14:「Necessary Evil」The Mirraz
14:「DANCE FLOOR MONSTERS」The Telephones
- アーティスト: the telephones
- 出版社/メーカー: EMIミュージックジャパン
- 発売日: 2009/07/08
- メディア: CD
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- アーティスト: The Mirraz
- 出版社/メーカー: mini muff records
- 発売日: 2009/10/14
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この2バンドは勢いあったなー。雑誌やライブでの発言からするに両バンドのフロントマンの、抽象思考への親和性がかなり低めなようで、だからこその肉体的な音がちゃんと鳴ってるから説得力があると思う。
13:「おうちはどこ?」世武裕子
- アーティスト: 世武裕子
- 出版社/メーカー: NOISE McCARTNEY RECORDS
- 発売日: 2008/11/19
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これはビックリ!ものすごく良かった。音のひとつひとつから見事にやわらかい情景が浮かんでいく。
12:「STRAWBERRIES AND CREAM」カジヒデキ
- アーティスト: カジヒデキ
- 出版社/メーカー: ブルースインターアクションズ
- 発売日: 2009/10/21
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カジヒデキを引き受けたカジヒデキが送るカジヒデキ・テイスト満点のカジヒデキな1枚!甘くてポップでアルバムタイトルがこてこてで。すてきだ。
11:「Declaration of Dependence」Kings Of Convenience
- アーティスト: キングス・オブ・コンビニエンス
- 出版社/メーカー: EMIミュージックジャパン
- 発売日: 2009/10/07
- メディア: CD
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twitter経由で知ったという今年らしい1枚。延々にリピートしたくなるオーガニック・サウンド。
10:「Tonight」Franz Ferdinand
- アーティスト: フランツ・フェルディナンド
- 出版社/メーカー: SMJ(SME)(M)
- 発売日: 2009/01/21
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フランツちゃんカッコいいアルバムをありがとう!フジロックで知らない人たちと乾杯しまくりました。
9:「Nouns」No Age
- アーティスト: ノー・エイジ
- 出版社/メーカー: TONTO
- 発売日: 2009/01/21
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アメリカのインディー・ロックムーブメントに全く乗れなかった。girlsにもanimal collectiveにもうまくハマれず部屋の隅でいじけていた2009年だったけど、これはバッチリ。その後出たepも最高!Grizzly Bearも良かったです。
8:「Family」Think About Life
- アーティスト: シンク・アバウト・ライフ
- 出版社/メーカー: インディーズ・メーカー
- 発売日: 2009/10/28
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年の瀬に購入し一気に愛聴盤に。Junior Seniorを思い起こさせる多幸的な美メロにノックアウト。
7:「Girl! Girl! Girl!」Crazy Ken Band
- アーティスト: クレイジーケンバンド,横山剣,濱崎伸洋,菅原愛子,Ken Yokoyama,Masao Onose,Sunaga t Experience
- 出版社/メーカー: ユニバーサル シグマ
- 発売日: 2009/08/12
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これは夏にどんハマりした。全曲最高にポップでアダルトな暮れゆく夏のアルバム。彼女とお別れしたムードが丁度マッチしていたんだと思う。夏が終わってみればさっぱり聞く気がわかないあたりが、まさに名盤のあかしと言えよう。
6:「Thank You For Being My Friend」「New Order」Curly Giraffe
- アーティスト: Curly Giraffe,新井昭乃,Cocco,木村カエラ,BONNIE PINK,Chara,LOVE PSYCHEDELICO,安藤裕子,平岡恵子
- 出版社/メーカー: スリーディーシステム
- 発売日: 2009/10/21
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- アーティスト: Curly Giraffe
- 出版社/メーカー: 3d system(DDD)(M)
- 発売日: 2009/04/22
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カーリージラフは2枚ともよかった!女性ヴォーカルを交えてのコラボ盤(前者)は特に、バンド演奏が有機的で豊かなグルーブにあふれていて、ぐいぐい引き込まれる。歴史には残らなくても生活をいろどる、そんなタイプの音楽。ありがとう!
5:「This Is My Shit」80kidz
- アーティスト: 80kidz,ザ・シューズ,ゴーストエイプ,デイヴィッド・コックス,ヘイ・チャンプ
- 出版社/メーカー: ケイエスアール
- 発売日: 2009/04/15
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エイティーさん好きです。荒削りな1枚目、って感じはあるがこれからもっと良くなりそう。
4:「Wolfgang Amadeus Phoenix」Phoenix
- アーティスト: フェニックス
- 出版社/メーカー: Hostess Entertainment
- 発売日: 2009/05/27
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3:「Scars」「Zephyr」Basement Jaxx
- アーティスト: ベースメント・ジャックス,パロマ・フェイス,リサ・ケカウラ,ホセ・ジェームス,リル・ルイス,サム・スパロー,ケリス,イーライ・ペーパーボーイ・リード,サンティゴールド,ライトスピード・チャンピオン,ホセ・ヘンドリックス・ンデロ
- 出版社/メーカー: ホステス
- 発売日: 2009/09/30
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- アーティスト: Basement Jaxx
- 出版社/メーカー: 株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント
- 発売日: 2009/12/29
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basement jaxxはフルアルバムがすばらしく、その後出したepは全く系統が違うながら実に面白く、さらにフジロックが最高過ぎた。堂々のオブザイヤー。
- アーティスト: 相対性理論
- 出版社/メーカー: みらいレコーズ
- 発売日: 2009/01/07
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2枚目でぐっと良くなったと思う。1枚目はやりたいことの勢いが前面に出ていたのが、2枚目で「表現」になったようなイメージライブがまた面白くて、神経症的な抑圧を2重3重に張り巡らせる作為がときどき破綻しちゃうスリルがすごくいやらしかった。
1:「Manners」Passion Pit
- アーティスト: パッション・ピット
- 出版社/メーカー: SMJ
- 発売日: 2009/10/07
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これはもう私のどツボなんですな!甘くてキラキラしてて、それをメタ視点から再帰的にみつめる視点があって、なおかつどこかカッコ悪くて、つまりは「不細工による渋谷系」が大好き!
楽曲
次「あなたにだけは」清竜人
25「End of the World」Girls
日本版の最後に入ってる「End of the World」のカバーが良かったんだけど見当たらない。「Hellhole Ratrace」です。
さすがに動画みつからない!
22「necoがニャ〜て、犬がワンッ!」neco眠る
20「Water On」Curly Giraffe feat. Akino Arai
19「Poker Face」Lady Gaga
18「Crying Lightning」Arctic Monkeys
17「Ulysses」Franz Ferdinand
16「Today's Tonight」Jack Peñate
14「Dominos」The Big Pink
13「恋をこえろ」毛皮のマリーズ
12「This is my Sxxt」80kidz
11「Losing Feeling」No Age
10「Lisztomania」Phoenix
9「旅のはじまり」世武裕子
「旅のはじまり」が見つからなかったので「泳ぐ」という曲です。
8「Balletproof」La Roux
5「Havin' my Baby」Think About Life
4「ほし」曽我部恵一BAND
3「Raindrops」Basement Jaxx
2「Sleepy Head」Passion Pit
2009-12-23
■[diary]笑い飯による親(M-1)殺し
ちょっと今さら感が出てきたのは重々承知で、今年のM-1グランプリの感想を書く。漫才は日ごろほとんど見ず、この1年間は家にテレビすらない。けれどM-1だけは初回分から繰り返し見ている、という程度の人間の雑感。
一昨日のエントリーにも書いたけれど、M-1は「コンテスト」だ。つまり(明文化されてはいないものの)何らかの評価基準が存在していて、それをいかにみごとに消化したかで勝敗が決まる。ボケの難度・手数、ツッコミのバリエーション、声の張り方、4分間での緩急などさまざまな項目が用意されていて、基本的にはそれらを一つ満たすごとに「笑い」が高まるというシステム。今年の何がすごいって、この「M-1はコンテストである」という文脈を、つまり笑いの陰には様々な審査基準が存在するのだし審査員はただ笑っているのではなくそれらを逐一「チェック」しているのだ。ということを観客が見事なまでに熟知して視聴に臨んだことだろう。*1
個人的なエピソードなので客観性はまるでないがたとえば第2回大会でますだおかだが優勝したとき。不恰好ながら異形のかがやきを放つ笑い飯の2人が初めてM-1の決勝に姿を表したあの年に、フットボールアワーが死ぬほど面白かったあの年に、ますだおかだが優勝したことの意味が私には本当にわからなかった。審査員たちは頭がどうかしてるんじゃないのかと真剣に思った。けれども今ならわかる。
M-1は「その日一番面白い漫才をやったやつを決める場所」ではなくて「コンテスト」なのだ。何を面白いと思うかなんて人それぞれ違うに決まっていて、それでも一等賞を決めようとすることの大いなる矛盾が解決されなければ「コンテスト」は成り立たない。審査の公平性を担保することの重要性は誰しもが認めるところであり、だからこそ長い(上方)漫才の歴史の中で練り上げられ体系化されてきた有形無形の審査基準。それをいかに把握し、クリアしていくか。そういった観点からみたときの総合点1位はフットでも笑い飯でもなく、ますだおかだだったのだろう。それは「漫才グランプリ」というハードの中でM-1というソフトが開催されている以上、くつがえしようのない部分だ。今ならそうやって理解できる。
アンタッチャブルやブラマヨ、チュートリアルが優勝をさらう光景、彼らが「審査基準」を誰しもが満足する形でに満たしながら世紀の大発明や発想の極限といった「プラス・アルファ」をそれぞれに発揮してはトロフィーを持ち帰る様は勇姿そのものだった。そのまばゆさの陰にひそみ気づきにくくなっていたけれど、M-1は一貫して「漫才グランプリ」だったのだ。しかも相当にぶれのない基準で確立された、まさに「ブランド」としてのグランプリ。
あの幸福な3年間が過ぎさった後に、サンドウィッチマンとNON STYLEが優勝する中でその「コンテスト性」は徹底周知された。「◯◯は高い技術をもっている(M-1の審査基準を多く満たすことができる)」「△△、今年はM-1用にチューンナップしてきて本気だ」とテレビ局が直々に喧伝して回るほどに、かの大会はM-1職人たちの技術品評会になってしまった。面白さへの純朴な信仰は失われ「面白さは技術である」というおぞましさにも似た科学的思考が世を覆った。漫才グランプリの脱呪術化。
その流れの中で今年の優勝は無論パンクブーブーである。異論はない。ますだおかだ優勝に受けた言語化されない違和感に端を発し、オードリーとナイツが負けてNON STYLEが優勝したあの瞬間に頂点を極めた負の衝撃から既に私は学んでいる。M-1は「コンテスト」なのだ、笑いの質ではなくて技術の巧拙を評価する場所なのだと。
「最近のM-1は変わってしまった」という声を至る所で耳にする。事実私も去年まではそうくさすクチだったのだが、勘違いしてはいけない。変わってしまったのは私たち、動いているのは太陽ではなくて地球だ。
私はこれに気がつくのにまるまる9年を要したが、気づいてみれば何のことはない。M-1はその当初から一貫して揺るぎ無いブランド・イメージと信念に貫かれた「お笑い科挙」なのだ。年数を重ねるに連れて私たちの科挙リテラシーが多少深まったに過ぎない。あの試験、頭がよけりゃ受かるって聞いてたけどそうじゃなくってそれ用の問題集とかドリルでめっちゃ勉強しなきゃいけないんだって!論語おぼえてないと鼻で笑われんだって!そっかー、どうりでキレキレの奴よりも真面目に取り組むタイプのやつらが受かると思ってたよー。無知な私はようやくそこに気づくことができた。
パンクブーブーはパンクブーブーとしての特別性から優勝を得たのではなく、その時一番見事な答案を書いたから、お笑い官僚としての優秀さを上手にアピールできたから優勝したのだろう。来年、次の試験が行われる頃にはパンクブーブーの書いた答案の内容なんてほとんどおぼえていないし、それで良い。大切なのは答案の中身ではなくて操作的にあてがわれる点数だ。オンリーワンではなくナンバーワンを決める戦い。先に名を挙げた3組などのように出題者の思惑を凌駕する奇跡の答案を提出して科挙にパスした人たちも中にはいるが、それはあくまで「嬉しい特例」であって毎年の試験にそれを期待してはいけない。だからパンクブーブーが優勝、それでいい。すなおに面白くって笑えたし、素人目にも圧倒的に「上手い」もんな。
さりとて笑い飯である。鳥人、チンポジ。今回も壮絶にかましまくってくれた。鳥人では圧倒的な想像力で場を制圧*2、「100点満点+奇跡」を実現し場の頂点に超然と君臨したかと思えばひるがえって2本目でのくだらなさ。BGMはアカペラの野球場にスクールウォーズ。日ハム、晩飯が雑念になるくだりに明らかに使いすぎの30秒、そして極めつけにチンポジを気にし倒して終了。台無しも台無し、M-1の舞台どころか冴えない中学生の部室の一幕だ。本当に痛快だった。
単純な力学として、彼らとその他出演者「どっちが面白いのか」と聞かれて笑い飯を選ばない人はまずいないだろう。番組内だけで考えても漫才以外でのコメントの冴えを見れば歴然も歴然、パンクブーブーが「ありがとう」「精一杯やりました」と就活中の大学生的なお行儀コメントに終始(「ファイナル終了後のチンポジにだけは負けたくないです」が唯一のボケらしいボケ)した、するしかなかったのに対し8年目の場慣れもあろうが笑い飯は「いやー(自分の漫才を)自分で聞いてて面白かったです(哲夫)」「めっちゃ気にしたんでええ具合に(チンポジ)収まりました(西田)」とやりたい放題。
かくして最終審査のフタを開ければパンクブーブーが満場一致で優勝、繰り返しになるがそれは不思議なことでも何でもない。松本人志がNON STYLEへの寸評で「いやあ、去年あと一歩のところでオードリーに負けたNON STYLEですけれど」と述べたことがある意味象徴するように、そのとき「一番オモシロかった奴」と「大会優勝者」は審査員側(少なくとも松ちゃんの中では)としても別概念なのだ。この「オードリーに負けたNON STYLE」のくだりで会場が沸きまくったことから、観客側としてもその程度の「裏事情」なんてM-1を見る上での共通了解であったことが分かる。
パンクブーブーの爆笑は「採点基準を丁寧に満たしていった結果」のものだった。おそらく、たかだか結成10年内の駆け出しコンビ達にとって「審査基準の不可視性・不透明性」はかなりのものだと思う。基準の一つ一つを見つけるだけでも大きな苦労が伴なうに違いないし、ようやっと探り当てたとしてそれらを実現に至らせるは道筋相当な困難が期待される。ある程度の部分を軽がる乗り越えてしまう天才肌もあろうが、並々ならぬ努力と忍耐でひとつずつステップアップを重ねるケースがほとんどに違いない。「コンテスト」は若手を成長させる装置として実によく機能する(漫才以外の場所でも幾らでも例を上げられる)。
このシステムのすごいところは、爆笑というゴールを一旦脇に置いても、直接に大爆笑を目指さなくても、きっちり達成項目を頭に入れそれらを愚直にでも実現していけば「爆笑」が得られるところだ。今年のパンクブーブーはまさにその典型例だったように思う。アンタッチャブル型の漫才をベースに採用し、点数を上げるために頑張ってドリルを解きまくって試験を受けたら最高点(=優勝)の「副産物」として爆笑がついてきたという。「副産物」が悪いわけじゃない。見てる側にしあわせを与えてくれる、まごうことなき栄誉の爆笑。これはすごいことだ。皮肉抜きで本当に思う、これはすごいことですよ。
チンポジにだけは負けたくない。パンクブーブーが発表直前に発したコメントはジョークの皮を着せた魂の叫び、あるいは祈りだ。血を吐く思いで修練を積みコンテスト用に肉体改造を重ね浮かぶ涙を偲んではボロボロの武道着でようやく目前に迫った「いただき」に、鳥のお面をかぶってチンポジ気にしながらゲラゲラ笑ってるやつが同じく到達しようとしていたら誰だって殺意を覚えるだろう。絶対負けたくないよ。これもまた本気で思う、がんばれパンクブーブー。
「爆笑」を要素に還元していった結果得られた笑いの基本方程式、膨大な審査基準。1分間のボケの数、ツッコミの仕方、そういったチェック項目をうまく満たし統合することで再び近似値としての「爆笑」が合成される。ならば評価自体が難しくまたトレーニングの途上にある者たちがいきなり立ち向かうのは困難な「爆笑」という現象そのものではなくて「要素還元された各項目の達成度」を図れば良い。というのが(私がM-1を通じ学んだ)「漫才コンテスト」の思想だ。分解と統合、近似の美学、微分と積分。近代の矜持、勤勉の誇り、プロテスタンティズムの精神。
今年のM-1グランプリ、笑い飯のすごさはその「コンテストの思想」に真っ向からぶつかり、さらに優勝をかっさらう寸前まで歩を進めたところだ(もちろん「科挙」対応に向けた労苦も惜しみなく払ってきた上で)。一度として要素に分解されたことのない、手付かずで始原の「爆笑」を、彼らは身を削って創り上げようとしていた。自分たちにしか作れない「ええ土」製の泥人形(それは土と肋骨から産まれたアダムとイヴにも例えられるだろう)を何とか形にしようとして泥んこでもがいていた。光あれ!彼らは光だった。誰よりも輝いていた。*3
優勝がどうでも良かったのではないだろう。2人は本気で優勝したいと思いながら、思うが故にチンポジを気にしたに違いなく「だってその方が普通の漫才より面白いでしょ?」と堂々と審査員に観客に他の出演者たちに突きつけてきた。まずはタキシードを来てきましょうそうしたら面白いことをやって構いません、という場で「面白いタキシード」を来てのこのこやってくるみたいなものだ。
上に確認してきた「コンテスト」の思想、つまり分解と統合の後に得られる「近似値としての爆笑」。それをまっすぐに狙う他の出演者たち、脱呪術化の果てにはじめから「近似値」を期待して集まった聴衆とは発想の水準がまるで違う。周囲の予想を全て裏切って、一本目の「鳥人」にウンコを塗りたくりながらチンポジにもっていくというその行為自体が、まるで一本の完璧な漫才のようだった。ボケは笑い飯の2人、ツッコミはM-1を見ていた全員だ。
「近似値としての爆笑」に勝つためには「より厳密に近似された爆笑」を狙うしかないように見える。特に近年のブランドイメージの徹底的な構築に成功したM-1においては他に抜け道はなく、少なくとも9回の大会に一度として例外措置はとられなかった。
なので。はっきり言って諦めていた。今後ますます「ウマさ」が重視され技術の品評会になっていくM-1は「近似の細密さ大会」として確立されていくのだろう。なればこそますます、あの脳みそが湯立つような感動や興奮はなりをひそめていくに違いない。でも思うんだ。俺はさあ、爆笑したいんだよ!
「始原の爆笑」は優勝しない、だから無理なチャレンジなんて誰もしない。そんな諦念を受け入れる寸前まで気持ちが揺れていたその矢先、笑い飯は「こいつらならやってくれるんじゃないか」とあまりに見事な夢を見させてくれた。コンテスト用に微分されていない、喜びに満ちたあの「始原の爆笑」。分解と再合成を経る以前にそこにあったはずの幻を追い求め、ついに<鳥人>というアイコンが結実。見果てぬ夢の予感を誰しもに感じさせるところにまで笑い飯はやってきた。こんな感動があるだろうか。
どうやら来年も笑い飯はM-1に出場するようだ。コンテストの思想なんて歯牙にもかけないあり方で、ぐうの音もでないもぎたての大爆笑をかっさらい、M-1の思想そのものをぶっつぶした上で本気の一等賞をとってほしい。M-1から出てきたコンビが最後の年にM-1の「コンテスト思想」を打ち砕いて生身の大爆笑で優勝したらどれだけ痛快で幸福だろうか。悪意に満ちた親殺し。その現場は全員お腹が痛くて涙目。ワッツアコメディ!
以上、とにかく笑い飯に感動したM-1 2009だった。
*1:お笑いに聡い方々には周知の事実かもしれませんが、この「考えてみれば当たり前過ぎる事実」をおそらく私を含めた多くの「お笑いビギナー」たちは数年前まで言語化できていなかったと思います。ビギナー側の視点で書いているので、この先を読むときも「何をわかりきったことを」「ささいな発見を大げさに、こちつバカなんじゃないか」なんて思わずに心をひろくお読みいただければ幸いです。
*2:「鳥人」という発想だけでも天才過ぎるのに「シューベルトの魔王か」っていう常識はずれのツッコミや「チキン南蛮」のベタベタさ加減をありにする腕力、「トリ真一→手羽真一」というバカ流れを大アリにもっていく構成力など、全てのパーツの破壊力が神がかっていた。
*3:ナイツ、南海、ハライチなんかには同じ思想を感じた。今までの登場者だと千鳥やPoison Girl Bandなんかにも目立ってその傾向があると思う。大好きだ。
2009-12-21
■[diary]M-1 2009
20分しか時間がないが、今日を逃したら熱がさめるので今この20分で書けるだけ書く。
漫才コンテストなんだからパンクブーブー優勝はやむなし。フィギュアスケートと一緒で採点基準を一つ一つ丁寧に満たしていけば必然的に優勝が決まる。必要なボケの数・難度、ツッコミのバリエーション、会話のテンポなどといった「採点基準」が明文化されていない点でフィギュアとは異なるものの、コンテストの基本姿勢は「チェックリストをより完全なかたちで満たしたものが優勝」であることはゆるがぬ事実だろう。それが一番上手だったのがパンクブーブー。もちろん誰にでもできることじゃない。才能に恵まれた2人が採点基準に対する研究に継ぐ研究を重ね、血を吐くくらいに練習し倒し、時の運までを見方につけてようやくたどり着ける一等賞。採点員はお笑いコンテストの思想・機微を知り尽くした人たちだから、一等賞の判断がパンクブーブーから動くことはありえない。
2人の漫才は面白かった。すなおに面白かったし声をあげて笑った。げっらげら笑った。けれどそれは、どうにも心に響かなかった。
カラオケの採点と似ているのかもしれない。音程が1回ずれたらマイナス何点、ビブラートが何秒入ればプラス何点、最小音と最大音の落差がどれだけあればプラス何点、といった基準を満たしていけば100点になるあれ。
パンクブーブーからは「優勝してやるぜ(=採点基準を網羅してやるぜ)」が前景に立ち、「面白いことをやるぜ」が影を潜めている印象を受けた。結果として完成した漫才はそれは見事でデリケートなもので大爆笑をかっさらっていったけれど、それはコンテストで優勝しようとお笑いチェックリストを一つ一つつぶしていった結果の、副産物としての大爆笑だった。最初から会場を大爆笑させる、俺らが一番面白いと思っていることをやってやる。そういう類の思想から生まれた大爆笑ではなかったと思う。繰り返すけれど、それは悪いことじゃない。コンテストなんだから優勝するために必要なことを過剰なくらいに完璧にこなしてみせた2人はすごい。超笑ったし、感動的だった。
そこで鳥人でありチンポジである。笑い飯。僕は鳥人で比喩でも上手いこと言ったでもなくまぎれもない鳥肌を立て、最後のチンポジに心底感動した。
今回決勝に出演した9組の中で、唯一彼らだけが「俺らが一番面白いと思っていることで会場中を爆発させてやるぜ」という強烈な光をはなっていた。これはM-1というコンテストだから満たすべき基準があるのは分かっているが、本気で面白いことやったら審査基準なんて余裕でパスだろう!と考えていたのかもしれない。いや、そういう「コンテスト用」という発想自体が彼らにあるのかどうかすら怪しい。民俗館、ハッピーバースデイ、宇宙戦争、そしてチンポジ。あいつら気持ち的にはタキシードで臨むべき神聖なコンテストにハダカ蝶ネクタイでのこのこやって来ているみたいなもんだ。
面白いってなんだろう。笑えるってなんだろう。M-1は分裂した場所だ。つまり「コンテスト」でありながら「数値化できない面白さ」を期待される場所として、見事に引き裂かれている。
僕にとって面白いっていうことは「価値の鎖から逃れ、可能な限り痛快なやり方で自由に振る舞う」ことだ。既存の価値・道徳の体系から意識的に逃避し遊ぶことだ。だからそもそも面白さをコンテストになんてできるわけがないと思う。それでもやはりどこかで「一番」がほしいというわがまま。M-1を引き裂いているのは僕だ。
笑い飯だけがぶっちぎりで面白いことだけを考えながらコンテストを征服する、というやり方でその分裂を受け止めている。それは「コンテストを笑い飛ばす」ことで「コンテストを制圧する」という離れ業であり、親殺しのにも似た一種の「悪意」と呼べるのかもしれない。だから僕は笑い飯が大好きだ。優勝してもしなくてもつねに輝き続ける孤高のきら星。彼らが来年「お笑いコンテスト」という矛盾を堂々と生き、真正面から攻め崩し、そして「お笑いコンテスト」を殺してくれることを祈っている。
20分たったので終了。推敲ゼロだぜ!
2009-11-23
■[diary]グラビア・倫敦・日本の湿気
月刊酒井若菜を買ったら彼女のオリジナリティあふれるかわいさやらしさありがたさうれしさにもうメロメロですよ。という内容のことを前回書いた。その続きで「グラビア写真集を買う」ことについて。グラビア写真集を買うのって何だか気恥ずかしくて、もっと言うなら「後ろめたい」ような。中高生の時分に芽生え始めた健全な性欲が種々のエロ・アメニティ購入に自身を駆り立てたあの頃、レジの前で無性にドキドキしたあの感覚。その根源には「この感情って恥ずかしくっていけないものなんじゃないのか…」という、罪の意識と言ったら大げさかもしれないが何かこう「後ろめたさ」があったように思う。直接にエロいものを買う場合はもう、そういったたぐいの逡巡は訪れなくなった。だがしかし「グラビア」の中にはあの頃の甘酸っぱい背徳感がいつまでも保存されている。後ろめたさのタイムカプセル。
この前行ってきたロンドン旅行の写真を挟みながら。着いた夜はハリーポッターみたいな曇り月の空でした。
雑誌のグラビアで見る分には磯山さやかとか岩佐真悠子とか*1たまらない、もう白味噌じたてのお雑煮くらいに大好きだ。それでも写真集購入という段になるとついためらってしまう。だって恥ずかしいんだもん。「このグラビアの人が好き」という気持ちは、性欲という(各人の嗜癖こそあれど)基本的にはユニバーサルなものと異なり、圧倒的な「プライベート」だからだと思う。
おそらくは「慣れ」と「開き直り」で大部分が解消される問題だろう。恥ずかしさなんて反復する刺激暴露で簡単に摩耗する。けれど困ったことにそれでは意味がない。グラビアを見て「ああ、たまらないなあ!」と感じるとき、そこで味わっているのは「後ろめたさ」(対外的な「恥ずかしさ」はこれと同根)の快感でもあるからだ。あれこれと写真集やDVDを買いまくっていては後ろめたさや恥ずかしさがすり減り、グラビア写真が「洋服や水着ありのエロ本」になってしまう。ダメダメ!せっかくの心地よい後ろめたさがなくなるだなんて、もったいないお化けが出るよまったく。
たまに買ってはそのたびに、本棚の後ろめたさにゾクゾクしながら。そういうスタンスで買う写真集はページをめくるのも実にこそばゆく、それがまたくすぐったい愉悦を生む。そんなしあわせ*2。
一番雰囲気の良かったパブ。チャーチル・アームというお店です。
休暇を利用してロンドンに行ってきた。ひたすらにパブでビールを補給しながら予定も立てずにぶらぶら気ままなほろ酔い一人観光。面白い町だった。
強く感じたのは「この国は(過去の)栄光に堂々と胸をはっているなあ」ということ。過去に大英帝国がなしとげた偉業の数々が美術品として博物史として、金銀財宝としてまばゆいばかりに陳列されていた。1ミリのぶれようもなく確立されきったナショナル・アイデンティティが「ロンドン」というでっかいミュージアムに展示されているような。中でも印象に残ったのはTower of Londonに展示されていた王冠。女王がかぶるあれ。近くで見ると本当にビッカビカなのよ。イギリスの栄華がこれでもかと飾り込まれたとんでもない代物だった。かげりなんてかけらもない。
悪趣味だ。こんなものを「イギリス(王室)の栄光」として堂々と開示するなんて。正直なところそう思った。これが作られるためには世界規模での圧倒的な規模の略奪が、貧困者からの強烈な搾取が行われたはずだ。名前も声も残さぬ無数の人々(しかもその大多数は植民地の他国民!)が、この王冠の陰で人生を苦しみ、死んでいったことを考えるとこの王冠はあるいは原爆に負けず劣らずの「負の遺産」だろう*3。
まあその「イギリスの栄光」がたとえば海洋術や天文学を整備したことや近代産業の原型を作り上げたこと、今を生きる私がその「巨人の肩」に腰掛け歴史上他に類を見ない快適な環境でHot Chipを聞きながらぬくぬくとブログを書けている状況を鑑みれば、お前ら歴史の中でひどいことばっかしてきてマジ最低だな!とナイーブに言うわけにもいかず、かの国はやはり巨大で偉大なわけだ。
それでも思う。そういった偉業に宿る「陰」なんてまるでないことにしてビッカビカの王冠には陰一つありませんのよ!と誇らしげに胸を張る姿勢は、これは多分に好みの問題なのだろうが、どこかいびつではないだろうか。申し訳なさと後ろめたさで毎日窒息しそうになりながらそれでも、溺れそうなのはあっしのせいなんでがすよゲヘヘ…と手もみを続ける。そんな日本的な卑屈メンタリティに学んでくれるところが多少はあっても良いのではないだろうか。
卑屈。申し訳なさ。こればっかりは自身がある。申し訳ないという気持ちなしに暮らすことなんて私には不可能だ。人を好きになったときにもまず「俺なんかが好きとか言って、ちょっと申し訳ないよな…」だから。
Tower of Bridge。朝早く活動しすぎて一番乗りになりました。
テムズ川にはカモメ(?)が飛んでいました。ネプチューンマンのマスクは見あたらなかったな。
そんなこんなでイギリス人*4は実に不幸だ。彼らは月刊酒井若菜をめくる時のむずがゆい快楽を理解できない。何かを主張するとき好きになるときに「この気持ちってすごく恥ずかしいものなんじゃないのかな」という逡巡が、「陰」への配慮がナショナル・アイデンティティとして欠け落ちているからだ。グラビア写真をめくりながら身もだえする、あのときの気恥ずかしいうねりを感じられないなんて、これ以上の不幸はないよ。うんわかってる、本当はいっぱいあるよ!
イギリスに限らず西洋のグラビアって直截的に性欲を刺激するものが多く、今考えてきた「気恥ずかしさ」にフィーチャーしたものをあまり見かけない気がするのだが、実際はどうなのだろう。
たった数日の滞在で知ったようなことを書いたが、それにしてもロンドン旅行すばらしい経験になった。忘れていた自分の思考・嗜好の日本っぽさ、湿っぽさに改めて気づくことができた。
その不細工さゆえに酒井若菜に相好を崩し、グラビア写真集に後ろめたくてくすぐったい愉楽を覚え、人を好きになったときにまずは何だか申し訳ない気持ちになる。
なんて湿気が多くて卑屈な人間性だろうか、実に愛らしい。アイムジャパニーズ、これぞ日本的メンタリティ!ではなくて単なる自分の趣味か。私としてはかなり「日本的」な部分が大きいと思うのだがみなさんいかがですか。
イギリスっぽい写真でラスト!













