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shomu_tの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010年02月16日

クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ 感想

最近久しぶりに見た「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ」で新たな発見があったのでまとめてみます。

ネタバレありです。

この作品のテーマ

子供も大人も楽しめるアニメというのが売り文句の「劇場版クレしん」の中、「カスカベボーイズ」もそのスタイルが強い作品。

しんのすけ(含むかすかべ防衛隊の5人)は、突然迷い込んでしまった西部劇映画世界の中で、恐怖政治を敷く体制への反逆児として、「大人たち(体制に屈し、違和感を残しながらも平安のある生活に満足してしまっている者たち)」を先導して映画世界からの脱出を模索します。しんのすけたちの健気な努力と根性とパワーを見せつけられ、これまで「大人たち」の言い分に自らの姿を重ねてしまっていた視聴者は大きく心を揺り動かされることになります。この解釈EDの「○(マル)あげよう/NO PLAN」を聴けば、代わり映えの無い生活に埋没している「大人たち」へエールとあり、子連れの親御さんにも、もちろん子どもにも、「劇場版クレしん」の名に恥じぬ名作として記憶に残るはずの作品であります。

しかし、個人的な視点を加えると、この映画の真の主題は「大人になれないオタク批判」にあるように思えてなりません。

子どもたちの口調

しんのすけを含むカスカベ防衛隊の設定年齢は5歳ですが、シリーズ通して彼らの言動は妙にませていたり、大人びているのが特徴的です。しかし、今作品において、それは特に顕著になります。例を挙げると

これらの印象的で重要なシーンでの彼らの掛け合い、ボキャブラリーは、現実の5歳の少年少女のそれとはあまりにもかけ離れています。

だがしかし、かと言って彼らの発言意図やその真意に特に深いものがあるわけではなく、いわゆる日常生活のなかで聞きかじった程度の言葉を、語感の良さだったり、自らの設定年齢とのギャップを意識的にネタとして活用している(それだけでも十分頭がいいですが)印象を受けます。もちろん、彼らにはいつもどおりの喜怒哀楽がありますし、精神的にはおませな5歳児として差し支えないでしょう。

この、知識先行型の人間像って、巷で言うところの「オタク」に似てませんかね?

映画に魅了される大人

ジャスティスシティーに来る人達は、皆ここでの生活になれると、過去を忘れてしまう。現実世界に帰りたいという思いが強ければ、過去の記憶もそれなりに保守できるようです。が、それ以上に、この世界映画世界)に安住していたいという思いが上回ってしまう大人が多かった。というのがこのお話の肝。

しかも、数少ない現実への帰還を望む大人の一人マイクはあろうことか「映画オタク」。映画が見れない苦痛から脱出を目論むほどの映画好きが登場するこの映画、しかし、そんな彼でさえも「映画の中にいる」という特殊な環境に魅了され始めていました。

オトナ帝国の「懐かしい匂い」に似た現象でしょうか、大人たちは皆、時間も進まない映画世界に閉じこもってしまいます。

OP

OPは「オラはにんきもの」が復活、クレしんファンという枠組みの中でも懐古的な情感を催す作りとなっている今作では、懐かしい他作品からのパロディーやオマージュも数多いです。

「忘れられそうな映画からのSOS」というマイクの予想に繋がる、悠久の念を呼び覚ます仕掛けの数々です。

映画の結末

しんちゃんの努力甲斐もあって、最終的に映画取り込まれ組が導き出した結論は、「悪の親玉を倒し、映画を完結すること」でした。とうとう彼らは現状に甘んじることをやめ、映画を終わらせる決断をします。様々な妨害を受けながらも、またもやしんちゃんたちの尽力のかいあり、映画は無事終了。彼らは現実世界に戻ってくることができました。

これは、現代の映画オタクに、映画ばっかり見てて大丈夫か、現実逃避のツールとして使ってはいないかという警鐘のように見えます。そして、現実に今、いい年こいて「カスカベボーイズ」についてべらべら語っているわたくし個人への痛烈な批判でもあります・・・

暴力表現、友情、家族関係

今作では、一部やや過激な暴力表現(しんちゃんとみさえがムチで叩かれたり、馬に引きずられるおっさんがいたり)があったり、しんちゃんたちの友情や家族関係が希薄になる場面があります。これらのシーンはどれも中盤、登場人物の誰もが映画よりの方に心を傾けてしまっていた時間帯に集中します。察するに、映画への依存度が高い状態に対する警鐘だったりするかもしれません、「映画なんかにはまるとしっぺ返しを食らうぞ」という感じの。

もちろん皆が改心するに従い、友情は回復し、一方的な暴力表現は爽快感あふれるアクションに移り変わります。

つばきちゃんの正体

つばきちゃんは現代のカスカベ座には戻ってきませんでした。なんかつばきちゃんの正体というのには諸説あるようですが(シロの分身だよ説、シロの飼い主だったんだよ説)、自分は素直に映画内の一登場人物だととりました。

彼女(架空の人物)が帰ってこなかったことでしんちゃんはひどく落胆し、一瞬は映画世界に戻るとまで言い出しますが、家族や友人(今回はこっちが主題ですね、冒頭やOP、終盤の展開でもこの関係が強くクローズアップされています),シロ(つばきちゃんとの会話によく出てきたことから、今後も彼女の面影を思い出すための架け橋になったり?)の励ましでなんとか立ち直ることができました。(つばきちゃん不在の傷心を唯一慰めることができるのはシロなんでしょうかね)

またもやウィキペディアソースですが、

つばきしんのすけ [編集]

今作品では、しんのすけが初めて女子高校生未満の女の子(14歳)に恋をする。また、大原ななこを除けば、しんのすけが本気で恋をするのは、これが初めてのことである。

しんのすけは初めはつばきに対して可愛いと思いつつも、特別な感情を抱いていなかったのだが、可憐で清楚、優しくて控えめなつばきに少しずつ惹かれていく。後半では愛の告白をする場面も見られる。

*1

何十人何百人もの女性と出会いがあった(劇中の描写で限定しなければ毎日のように何人ものお姉さんに声をかけていそうな勢いですよね)しんちゃんが、本気で結婚の申し込みまでしたナナコお姉さんへの愛にに匹敵する恋心(しかも、恋愛対象は女子高生以上の原則さえ打ち破る快挙ですよ!)が、映画の中の登場人物(想像上の都合のいい女じゃねーかなんて無粋な批判をつばきちゃんは一切受け付けません。その通りなんです)へ向けられたものだったなんていうのは、なんとも寂しい話ではないですか。

さて、創作物の中の登場人物に憧れを持つことは、みな一度や二度などと言わず経験はあるとは思います。が、「映画」が終りを迎え、物語と決別し現実に直面しなければいけないその時も、しんちゃんはそこから並々ならぬ精神力で復活しました。現実世界には、しんちゃんの日々の努力から生まれたたくさんの居場所がありました。この5歳児には本当に頭が下がるばかりです。


というように、この作品には隅々から「映画への愛」を感じると同時に、終始徹底して「映画オタク批判」といテーマも貫いているように思えるのです。

最初に「大人になれないオタク批判」と書いたのはなんなのかというと、久方ぶりにみた「カスカベボーイズ」から感じたこれらの印象に、単に私自身に思い当たる節がありすぎたっていうだけの理由です。

ただ、今作品中の大きな目標である「未完成映画を完結させる」からの連想として、「精神的に未成熟人間が大人に成長する」というメッセージがあるようにも感じられます。

なにか思い当たる節のあった方は、今一度「カスカベボーイズ」をみて、もう一度つばきちゃんに惚れ直すのも一考かと!

最後に、原作者臼井儀人さんに心より哀悼の意を捧げます。

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