相沢三郎中佐

相沢三郎中佐は岩手県の生まれです。
事件当時47歳だったといいます。
仙台幼年学校を出た陸士22期生でした。
同期のものがほとんど大佐になっていたので出世が遅いほうでした。
剣道4段で、陸軍戸山学校時代には剣道の教官といいます。
この戸山時代に村中孝次、磯部浅一、大蔵栄一ら急進派の将校と交わりました。
彼の思想は最初父によって形づくられたようです。
父から子ども時代に語られた「陛下の側近にあると思って御奉公し」というのが根本思想だったようです。
したがって、政党、財閥が腐敗して、それに軍の関係者の一部が軍の威力を借りて接する。いわば、陛下の軍隊を私物化することが許せなかったようです。
相沢中佐のような一途な人間には永田鉄山のような思慮に富んだ人物の行動はどのように見えたのでしょうか。
相沢の行動に自分自身の欲望はなかったと思います。
その一途さゆえに事件は発生したように思えます。