ショウヨウ日誌・街とTRPGと RSSフィード

大切な街のこと。TRPGのこと。本のこと。そして日々のいろいろ。
ノスタルジーを恐れつつも、言いえぬ暗闇を思う。
…「月夜埜綺譚」と「シティライツ」のサポートページも兼ねてます。

2007年09月11日 火曜日 ある日の夜の思い出

[]月夜埜綺譚のできるまで(i)

http://d.hatena.ne.jp/gginc/20070901/

http://blog.livedoor.jp/gensoyugi/archives/51053444.html

http://d.hatena.ne.jp/accelerator/20070907/p1

■このへんを読みつつ、なにか理屈を立てて考えようとしたのだけど、いまいちいいのが思いつかなかったので、自分はどうやっているだろう、と振り返ってみたりしてみました。全然参考にならない個人的な経験ですが。ひとまず。

ある日の夜、空から何かが降ってくる

■もう5年以上前のことだ。

馬場秀和さんのマスタリング講座*1とか、みやかわたけしさんのマスタリング講座*2とか、そのへんをぼんやり読んでむにゃむにゃしていた頃だったと思う。ブギーポップ*3が自分の中の気持ちとして一段落したり、荒れ狂っていた重松清*4ブームが一段落して、なぜかくるり*5にはまりこんでいた頃でもあった。一方でTRPGは実のところぜんぜんやってなかった。いつのまにかFEAR*6という会社がその業界を席巻していたことを知らないくらいで、はっきり言ってそのときの僕はTRPGプレイヤーなどではなかった。ただ知人とドイツ系のボードゲームをする集まりを時々やっていた。ちなみに私生活はというと、金がなかったので暇な日は図書館にこもってばかりいる、肉体労働者だった。思い返せば、人生で一番腕力があった頃でもあった。

■そんなある日のこと、ふいに、英雄物語をやるTRPGが作りたくなった。けれど剣や魔法ドラゴンでは足りない。自由人が英雄をやるなんて変だ。超人はもっとダメだ。だって超人はそもそも英雄であることが仕事なんだから、別にその英雄性はわざわざ切りぬくほどのことじゃない。現代社会舞台とした、日常を生きる主人公達が、日常生活に折り合いをつけながら、日常に邪魔されつつ、でも日常をその武器として、さまざまな悪者や、さまざまな哀しい事件に立ち向かうTRPG。そう、このくらい嘘でありえないものでなければ英雄物語とは言えない! とか急に思った。*7

システムは、あった。まだまだTRPGにはまりこんでいた頃、T&Tのカスタムソードワールド魔改造という誰もが通る道を経て、GURPSオリジナルサプリメントをちょびっと経由し、初めて1から10まで自分でデザインしたMRSというシステムである*8。これを改造していけば、わりと簡単に何とかなるんじゃないか、と発想の開始はすごく簡単に考えた。

■日常を舞台とするとき人間は何でできているのだ? と考えてみた。ちなみに、存在の界面をキャラクターデータとして記述する、というやりかたをMRSから援用し、ただアイテムのみに限らないことにした。つまり、人間が外部に働きかける場所と、外部から干渉され変化する場所、のみをデータ化する。

Q1 ふつうの人間は、人間関係でできている。人間関係とは何だ?

A1 人間関係というのは、ありていにいうと作法だ。あるコミュニティごとに通じる文脈があり、その文脈に沿っている限りある種の交流が発生する。しかし作法に対する同調圧力があり、人を排斥するものともなる。もちろん人間は、単一のコミュニティに属するだけではその人間は成立しない。社会生活を送る人間は、さまざまな作法が存在している複数のコミュニティに属し、場合によっては矛盾さえするそれぞれの作法とペルソナを使い分け、またうまく収斂して生きている。人間関係は具体的な行動ペナルティとなるし、しかし情報収集や行為における武器ともなる。

Q2 しかし人間は、個人、でもあろう。では個人としての人間を記述するものは何だ?

A2 人間関係を“能力”として記述するならば、人間関係関係なく行えることをまた能力として記述し、性質の違いをルール的に明確化して対置させればよいのではないか。おそらく、多くのTRPGシステム採用されているスキルシステムを援用することで可能になる。

Q3 生命は? 死は? それらをどのように記述するか。

A3 人間関係を失うことを考えていくと、このゲーム的には、職場を失い、家族を失い、友達を失い、地縁を失うことになるだろう。あらゆる人間関係を失うことで、生命体としては生きているかもしれないが、ゲーム主人公としては死だ。これはまた、敵が何であるかを考えるときの一つの指標となるだろう。もちろん、戦闘などが起こりうるリスクを考えれば、社会的資源が残っていても、単なる肉体的な死が存在している必要がある。人間関係にかかわらず死が死でなければ重みが足りない。

Q4 肉体や素質をどう考えるか。キャラクターを個性化するものは何だ?

A4 共通の能力値はあった方が面白そうだ。なによりわかりやすいし、キャラクターの有利不利の軸がもう一つ加わることで戦術も増しそうだ。しかしいわゆる筋力や耐久力、知力といった<能力値>だと、人間関係スキルを同じ値で扱うことができない。たとえば<スキル:格闘>+<筋力>で判定できるかもしれないが、<コミュニティ家族>+<筋力>では家庭内暴力くらいしか判定できない。扱う数値は少なければ少ない方がよいので、判定系を二つ用意するのもあり得ない。

 と、考えていくと、能力はやはり界面、アプローチ手段に求めるのが適正だろう。つまり“どのようにやるか”の得意不得意を能力値として記述するのだ。たとえば<胆力>という能力値を仮定して、それに「どっしりとしたふるまい」とか「パワフル」とか「動かざること山のごとし」とかニュアンスを付加するとする。<格闘>+<胆力>なら、安定した待ちの戦術や、力の強さを競い合わせるときに使えるだろう。一方で<家族>+<胆力>なら、両親との腹を割った話し合いとか、泣きわめく我が子をなぐさめるときに与える安心感などを判定として表現できるだろう。どういったものが適正かは煮詰める必要はあるが、こういったアプローチ手段を能力化することで、キャラクターのわかりやすい個性化とゲームシステムの簡略化は両立できそうだ。

主人公の造形まではおおむね決まった。ではこういう、人間関係と、スキルと、アプローチ手段の巧拙を意味する能力値、を組み合わせてできあがったキャラクターで、どうやって英雄物語をやれるだろうか。そう考えてみると、彼らは、どう考えてもただの人である。というか、ただの人が主人公になるのでなければ、このコンセプト上の英雄物語は成立しない。しかしただの人はただの人だ。生活に追われ忙しく生きて、つらいものには目を伏せているのがあたりまえ。というか、それでもまだましな方である。誰かを守るために、誰かを踏みにじることを当たり前として生きている人だっていくらでもいるのだ。

■そうやって考えてみると…、英雄物語に必要なのは、奇跡なのだと思いつく。当たり前の人間が当たり前なだけでは成り立たない。ではただの人を英雄とする奇跡とは何だ? たとえば、とある道で子どもが引かれそうになっていて、間に合うかどうかわからない微妙タイミングで、考えるまもなく誰かが踏み出したその足だろうか。誰かが言った些細なせりふが、ずっと心にとどまっていること。絶対に必要な、だけれどごくわずかなその瞬間に、誰かがそこにいること。苦しみ傷つき誰かを傷つけずにはいられない人のそばにいて、なぜか逃げることなくその人を守ろうとすることか。…いや、こんな大げさじゃなくてもいいのか。

■誰かの言葉や思いが、誰かに伝わること。それから、布置。すなわち、その人が誰かを助けるように、あらゆる状況がなぜかそろってしまうこと。その場所に居合わせること。これが奇跡だ。超常的な能力はあってもなくてもいい。状況がそろって、その場所にいて、思いを伝えられれば、そして思いを伝えることを選ぶならば、ただの人は英雄になれる。

■あとは、英雄になれる仕組みをどうするか。「思いを伝えることを選ぶ」ことをプレイヤーに宣言させ、何らかのリスクが生じる難易度の高いロールに挑戦させ、成功すればその奇跡を起こせるようにすれば、「プレイヤーが起こしたい奇跡をよりあわせること」で、このコンセプトでできるはずの英雄物語が生成されるはずだ。資源は、人間関係などのレベルで、この資源を消費し難易度をつり上げることを宣言して成功すれば、奇跡が起きるとしよう。なんとなくポーカーの、場に参加するBetと、駆け引きの途中で掛け金をつり上げるRaiseのあたりの意味づけでいけそうだ。あーでもポーカーのこともうちょっと研究した方が恥ずかしくなさそうだな。

■…。

■というあたりまでおよそ数時間。のちの月夜埜綺譚となるシステムはこうして「MRS-Lite」の名前で製作を開始され、実に三日で背景世界の概略やデータまで含めたアルファ版が完成する。あまりの興奮に、かつてTRPGをやっていた友達たちに連絡しまくり、その二週間後に初のテストプレイをオンラインで行う約束をとりつけた。僕の自作システムでTRPG再燃、というわけのわからない展開に、多くの(とっくにTRPGから離れていた)友人達もとまどっていたようだったが、ともかくものすごい怒濤の勢いで押し切ってしまったのだ。しかし、いまから見ればこの段階は完成にはほど遠かったし、実のところ、いったいどんなゲームを作り出していたのかそれさえもわかっていなかった。

テストプレイを行い、そして自分が何を作ったのか、アルファ版を読みながら分析を始めることとなった。

(つづく)

*1http://www004.upp.so-net.ne.jp/babahide/master.html

*2http://web.archive.org/web/20020106223710/www2.hdt.co.jp/~tak/nwrpg_res2000.html

*3:「ブギーポップは笑わない」で始まる上遠野浩平の代表作。セカイ系という文脈でもよく語られる。よく社会性と青春期の個人の断絶をあざ笑われているが、初期のニュータウン人間関係カリカチュアした青春群像は圧巻で、そういう意味で強く時代性をつかんでいたと思う。

*4:「ビタミンF」で直木賞をとった娯楽小説家家族の描写に定評があるが、実は田舎から東京にあがってきた人間がどういうコミュニティを渡り歩いていくか、といった描写も恐ろしく迫真である。最近はなんだか定番化してきていて、浅野いにお等、重松清の文脈を受け継ぐと言われる作家達も出てきている。

*5京都出身の一部で有名なバンドの人たち。女の人のファンの方が多いっぽい。サブカルメジャーのはざまですでに一定の地位をなしている。ちなみにこのころから「ばらの花」と「ワールドエンドスーパーノヴァ」が好きでした。

*6RPGマガジンの元編集長だった中島さんが起こしたライター集団の会社で、いまではTRPGというとひとまずここの名前が出てくる。

*7:あーえーっと、その瞬間にこれは心の奥底から突き上げてきた情念ではあるのだけど、別に、多くの人に通用する、とか、正しい、とか思ってないただの好みの表明なので、そのあたりご注意。自分の言うところの英雄物語って何だろうとつきつめた先にあったのが、現代日本の自由でなどあり得ない日常、にあったということです。たまに誤解されるんだけど、日常を描くことを突き詰めていったら英雄物語になった、わけではありません。

*8MRS:人間を、その人間が死んだときに形見として残されるもので記述する、というコンセプトのTRPGシステム。MはMementのMなのね。<銃>とか<時計>とか<服>とかを組み合わせて、そのアイテムに象徴される特性を持つもの、として判定を行う。たとえば<銃>なら戦闘にも使えるけど、銃を入手できる裏社会へのつながりと解釈してもよいし、その本人のぬぐい去れない男性性でもよい。ともかくPLが、ある事物(Mement)は彼にとってこういうものだから、こういうことができるはずだ、と宣言していくことによってゲームが進展していく、というもの。発想としては面白かったのだが、いかんせん進行管理系がいま見るとへぼすぎて実際には遊べたものではなかった。ただ、ある人物を世界とその人物の界面にある象徴的な事物で記述していくこと、という方法論はいまも変わっていない。きっと神林長平のせいだ。

ggincgginc 2007/09/12 02:16 うわあ、久しぶりのコラムだ。
続き、楽しみにしてます。
私のアレは私事がひと段落してからになりそうです。

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