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2009-10-25

[][]学校で教えてくれない、芸術を評価するための6つの視点

 僕はどちらかというと産業技術の評価を教える立場なので技術の視点からしか芸術を語れないのだが、ダンスの経験や芸術教育科の教授に教えてもらったこともあるので少し整理するために書き出してみたい。


 まず「芸術」は何を含むか。もとのとしては主として絵画、音楽、文学、演劇、舞踏、映画を指している。しかし一定の精度を超えた技術も芸術と呼ばれるにはふさわしいし、現に呼ばれる場面もしばしば見受けるだろう。いったい何が芸術なのか、その評価方法を考えてみたいし、共有しておいて損はないはずだ。

 まず踏まえておきたいことは芸術の価値を数値で表すと市場価値とモノ自体の価値がある。その芸術というモノの価値について考え直してみたい。

1.芸術とは文化の継承である

 これは学校で教わることができるだろう。いわゆる表現手法というのは古代から現代に至るまで基礎は同じである(と多くの場合解釈されている)。絵画表現に於いてまっすぐの線を書ける人間は空間図形をきれいに表現できるし、音楽表現に於いてコードをある程度理解してこなせる人間は即興のジャズセッションにも対応できる。その手法としての技術の継承は学校で教えられる。

 そしてその「基礎」こそ世界各国ですこしずつズレをもっており、このズレ、差異こそが「文化」である。

 例えば舞台芸術の世界で「泣く仕草」をするとしよう。日本人は顔を隠したり床に伏せることで深い悲しみを表現するが、キリスト教圏では天を仰ぎ神に訴えかけるような仕草をする。芸術を解釈しようとすることは文化の解釈とそれを解釈しうるだけの教養が求められる。

 

2.芸術とは歴史である

 その時代を生きたからこそ生まれた作品というのは多い。絵画や歌はつくりたいからつくるモノではない。そこに使命感が存在するからこそつくるのだ。学校で学ぶゲルニカロミオとジュリエットなどはわかりやすいだろう。戦争の最中の精神状態や戦争の悲惨さを表現する作品は多く、現代に語り継がれているものも多い。「芸術は戦争との対比でしか語り得ない」とする言葉があるくらいだ。

 アウトプットするためには情報をインプットしなければならない。そのインプットの多くが時代背景に影響を受けるというのは想像に難くないだろう。その背景を読み解く行為、その背景を読み取れるという事に資料的な価値があるのである。

3.芸術とは政治である

 様々な時代背景から生まれたからこそ主張を有する芸術も多い。上記のゲルニカという作品には戦争という時代背景を中心に、「反戦」という政治的主張が存在する。同様に坂本龍一やジョンレノンの歌には単純化すると「ラブ&ピース」のような主張が存在するし、黒人文化には奴隷だったという背景を前提に多くのモノが「自由であるべき」を訴えるという政治的主張が存在した。

 もしくは現代の依存的恋愛を風刺した歌や文学は非常に注目を集める。風刺とは「社会のその状態に対して皆が考えるべきである」という主張が含まれる。若者がその表現に共感するのであればそれは芸術と呼んでかまわないだろうし、なぜ共感するかを考えるという行為やその対象となる作品自体に政治的価値がある。

4.芸術とは思想・哲学である

 芸術は思想や哲学を表現する手段だ。ある画家は「光はぼやけている」と風景画の風景と空間の輪郭をわざとぼかすように塗りつぶし、ある有名な画家は「人と物は相容れない」と境界線をわざと強調してデッサンを行う。性欲とか女性とか、そこにあるもの・感じるモノを思想として芸術に納めるため表現技術は発達してきた。

 同時にこの文化や技術を継承しながらどれだけその型を破壊したかという部分も注視すべきだ。ピカソは写実の天才であったが、「モノをそのまま描く必要はないのではないか」という思想からあの有名な画風になった。と同時に他のアーティスト達を刺激し様々な絵画手法や主義を誕生させた。インターネットの無かった時代のこうしたメッセージ性こそが芸術の本質かもしれない。アカデミックにどのような思想・哲学を表現しているか、筆一本に込められ手いるモノを読み取る行為とその対象となる作品こそ、学術的な価値がある。

 

5.芸術とはその時代の技術の限界である

 ここを読んでもらうと早いのだが、価値のある芸術はその時代において新規性となる要素が必ず含まれている。別に多くの技術や文化を踏襲していてかまわない。それに何か新しい要素を一つだけ組み合わせるのだ。

 例えば世界一直角な金属が存在する。これは垂直な地面から東京タワーの高さまで線を引っ張っても数センチ数ミリの誤差しかでないという技術の結晶で、「芸術の域」と呼ばれるものである。直角な金属はそれまでも存在したが「現代の技術でしか再現できない精度」という新規性を組み合わせたことに価値がある。音楽も同様で、エレクトロポップが流行っているが、従来の音楽の蓄積された文化や技術に加えて現代の音楽編集技術を組み合わせているからこそ、その音楽達に価値があるのだ。


6.芸術とは言い訳である

 "自分の中にあるなにかを肯定する行為"としての表現活動の方が実際はメジャーであり、その中の「人に伝わる技術」の優れたモノを芸術と呼ぶ場合がある。例えば「角のないカブトムシ」を描いてタイトルを伝えずにカブトムシだとわからせる表現は価値がある。いないモノを創造してそれを肯定するために表現と言う手段は存在する。

 もしくは自己防衛活動として、「僕が女性の裸を好きなのは性欲でなく芸術性があるからだ」と言い聞かせる場合もある。大なり小なり「芸術」にはそういう使い方がある。自分の分身としての芸術、芸術に属人的な価値は見いだす必要はないが、解釈の一つとしてそういう部分があるというのは踏まえておきたい。


何がすごいのか評価する力がないからこそ同調したりとか感動したりとか、そんな言い方になる。

 芸術を学ぶことで豊かな心をと言う主張が繰り返されることを受けて今回の記事を書くに至った。読んでわかるとおり芸術鑑賞とは文化の理解・継承にこそ価値があり、情操とか宗教的な力はない。むしろ芸術を通して社会を学ぶことにこそ価値がある。

 読書感想文を書かせて「共感できました、すごかったです。」、ダンスを見せては「かっこよかったです」「ポーズが斬新でした」、絵を見ては「絵がキレイでした」「癒されました」。そんなものは鑑賞ではない。オークションで奇抜な芸術作品に高値がついたと言うニュースが年に数回ネットを賑わせる。しかし、作品に共感できる、同調できる、斬新さを感じるなどは市場価値を高める行為でしかなく、本当の芸術としてのモノの価値を問い直す事は難しい。確実に評価できる能力があると言うだけでも実はすごいことなのである。

 これらの視点からその芸術の価値を再発見することで教科書に書かれた作品がいかにすごいモノなのか、美術館に展示されているモノがいかにただの作品じゃないのかがわかるはずだ。音楽や映画がくだらないかどうかも、自分の感性による主観でなく、一度この視点で考え直してみる必要があるだろう。


 多分美大なんかでは一番最初に教えられる事だと思うし、多くの人がぼんやり感じていたことを文章に直してみただけなので特に真新しい部分は無いと思う。だがアーティストが必死で勉強して使命感から主義主張のある芸術を作っても正当に評価されないというのはやはり悲しい部分ではある。

2009/11/02 追記

観賞と読解は違うという意味で、今回の記事は観賞でなく読解について書いた記事だという結論に至りました。


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7474 2009/10/26 19:15 >学校で教えてくれない、芸術を評価するための6つの視点
>多分美大なんかでは一番最初に教えられること
???

yuuyuu 2009/10/27 02:11 たとえばゴッホのひまわりにはあなたはどういうふうに評価をするのですか?
pixivで発表されている無数の絵にはどういうふうに評価をするのですか?
この6つの視点からどう評価に繋げるのかがつかめないので教えていただきたいのですが

pocpoc 2009/10/27 07:00 >美大なんかでは一番最初に教えられること
そんなことは教えられませんし教えません。
そもそも美大で(芸術学などを除いて)では「教える」ってことは基本的にしません。技術的な質問があったりしたら答えることはありますけれど。

あと技術的な評価は段階的な上下はありますが、芸術的な評価はその限りにはなりません。
「芸術的な」評価であれば「感動した。」でOKです。というかそれが基本となります。芸術の評価の段階では心が動いたかどうかだけでいいんです。
どう感動したかを人に伝えようとすると「芸術の評価の表現」となって話は変わってきますが、それは「評価」ではなくて「表現」であって別事項であり、評価を表現しなくちゃいけない決まりがあるわけでもないので気にしなくてもいいですよ。

showgotchshowgotch 2009/10/27 12:52 コメントありがとうございます
>74さん
ごめんなさいここでの学校は義務教育段階を想定しています

>yuu
 「評価」という言葉が釣りワードになってしまいましたね。「判断」位にしとけばよかった。
これらの要件を踏まえたものが一般的に芸術と呼ばれるよね、という趣旨の記事です。
ゴッホがひまわりを描くことやその他の作品を発表することにおいて印象派だかなんだかの派閥を作れるほど影響力があったわけです。
pixivも同様に風刺など何か主義主張があれば芸術と"呼んでもいい"でしょうし呼ばなくてもいい。それは呼び手が決めてください。
ただし"社会的に"芸術と呼ばれるコンセンサスが得られるのは上記の要件を満たしたものではないかという話です。
pixivの場合は主義主張ではなく話題の中心に画像があるという認識です。創作や作品は沢山あっても、それが芸術であるかはまた別の話でしょう。

>pocさん
情報ありがとうございます。芸術と強引にくくっているので僕より理解している人には一周回って何言ってんのこいつ?という記事になってしまったと思います。
 ただそのような感性至上主義だからこそ芸術のパイは広がらないのではないかと個人的に考え今回の記事を公開するにいたりました。
芸術の個人的意義だけでなく社会的意義をもっと共有しなければと思っています。
 個人がどう感動したかなんて二の次で、どれだけの人が感動し、モチベーションにつながっていったか、質ではなく量が重要ではないでしょうか。
アートで食べていきたい、アートで人に貢献したいという友人は沢山いて、しかし現状の「アートの受け取り方なんて個人個人違うんだから好きな奴だけ見てろよ」
という考え方が蔓延していることで、カリスマが出てこない限り芸術市場は一定以上に膨らまず縮小もしくは停滞していく。

 また同時に仕事以外に趣味を持つ環境が日本には乏しい気がしています。今回の不景気のようにいざ仕事が減った時、皆仕事ができず不安だらけで、そのあいた時間を趣味(主に芸術を想定しています)に費やそうという発想は僕が見る範囲ではあまり見つけられませんでした。芸術というものが嗜好品でありあってもなくてもいいという優先度に置かれていることをひしひし感じます。
 一方で言葉でウマく表現やコミュニケーションできない子どもが芸術的手法を学び自分に自信を持ち人間が変わったという事例も山ほど見てきました。そういう意味で芸術の存在意義は評価される作品だけではなくその表現手法の普及にもある気がします。
 個人的評価を重視することが芸術市場のパイを狭めている、もっと社会的にさまざまな意義があるという前提を共有したうえで個人的に楽しむという方法を皆が知っていてもいいんじゃないかと思っています。

pocpoc 2009/10/27 20:05 お返事ありがとうございます。
>個人的評価を重視することが芸術市場のパイを狭めている

商品としてならそのとおりですが、芸術としてならパイは狭くていいんです。極端な話、こういうこと(芸術)やる人がどんどん広まっちゃったら種の存続とかそんな方向に問題が出ますから。

もともと、芸術等人間性由来のものは、「動物として生存するためのルール・自然界のルール」からはみだした時(当たり前のはずのそのルールを当たり前と受け取らない時)に発生するものですので、生存のためのルールとは相性が悪いのは当然なんです。
たとえば、50年しか生きない建築家が人生かけて1000年持つ木造建築を作ったりするとそういうものが発生するわけです。(ものに魂が宿る。なんて言い表しますね。)本来50年しか生きないなら50年分の仕事でよく、その建築家にとって950年分の評価と労力は無駄になるわけですが、その無駄をしたために1000年後の人間がその魂に打ち震え、それを継ぐために技術の習得に打ち込んだりするわけです。とはいえ、その建築家の人生だけで考えると無駄は無駄なので、そういう建築のような人間だらけになってしまうと人間という動物の社会としては困るわけなんです。かといって、そこを切り捨ててしまうと非常に殺伐とした上、これも滅亡につながっちゃいますので、単なる嗜好品というわけではないんですけれども。
生存ルール:人間性ルールの比率の問題とでもいいますか、バランスが大事なんですね。

で、ですね、社会レベルで影響を与える芸術なんてものを作るには、生存のルールの比率をかなり少なくした存在がいるわけでして、一般人にはお勧めしないことこの上ないんです。偉大な芸術家が軒並みろくな人生送ってなかったり早死にしたり、美大やら芸術一門やらの敷居が高いのもそういう理由あってのことなんです。

個人レベルでの芸術というのもあって、これは非常に個人的な価値や動機を基に作られるものなので、価値共有ができない分社会としての評価は低くなりますが、個人レベルで人生を豊かにするのならそっちのほうがお勧めできます。
奥さんが作った手編みの手袋とか、昔の親友が作った牛乳瓶の蓋のメダルとか、そういう他人にとってはどうでもいいけど本人にとっては大事なものです。
おそらくですが、日本に足りないのはこういう芸術の理解でしょう。
「今回の不景気のようにいざ仕事が減った時、皆仕事ができず不安だらけで、そのあいた時間を趣味(主に芸術を想定しています)に費やそうとする人が少ない」
のもこれが理由だと思います。
そして、なぜそうなるのかの理由がこのエントリに現れているんだと思います。芸術の意味と理由を知らずに、無駄に過大評価して社会的に共有しないといけないと思っていること。これが、趣味を持たない人が増える理由そのものだと思いますよ。

yutayuta 2009/10/28 08:09 >yuuさん
通りすがりですが、たまたま大学の授業で美術を勉強しているので。

ゴッホのひまわりとか一連の作品群の大きな特徴は、印象派に見られる細かいタッチで描かれた光を表現するためのぼやけた色遣いが欠けていることです。
印象派とひえばモネとかですね。そしてこのモネのような印象派の誕生には、野外でも描けるようになった油絵の顔料の改良なんかが後押しをしたと言われています。あとは産業革命における人々の田舎の風景の憧れ(産業革命時に田舎から都会に出てきた人々)、もしくは新しい技術(蒸気機関車)などにへの関心が、テーマ性を持った絵画から、純粋に風景を描くという印象派へとつながっていったわけです。
ゴッホはその、ただ漫然と風景を描く、感情のこもっていない絵画に対する反抗の序章として存在しています。彼は後期印象派と呼ばれはしますが、そのどぎつい色遣いなどはむしろ表現主義やフォービズムに通じるものがあります。彼はそういう点で、個人的な感情を絵画にぶち込んでくるという、その当時にしては非常に珍しい画家でした。彼に続いてマティスとかセザンヌとかカンディンスキーとかピカソとかが出てきます。
また彼のどぎつい色彩は遠近感を消滅されるような効果を持っています。これは明らかに遠景、前景のみで中景が欠如している浮世絵の影響を感じさせます。彼が浮世絵からインスピレーションを受けていたのは事実です。透視画法(遠近法)の視点から歌川広重を眺めるとその斬新さとゴッホに対する影響を感じると思います。

またこのような色へのこだわりはセザンヌの絵画への影響も感じなくはないです。実際に影響を受けているかどうかは知りませんが。

まともまとも 2009/10/29 00:14 きわめてまともな批評だと思う

つまり、これは「評価する」側からの視点であり、「評価される」側の視点ではないということ
両者には往々にして分かちがたい溝が存在しがちなのも事実

特に、歴史家など過去から現在までの評価をしようとする場合の歴史的評価においては、ほとんど常識的な評価項目であると言ってもよいと思われる

本来は、「評価される」側もそこまで理解していて創作するのがいいのかもしれないが、それが弊害となる場合もある
それこそ、6つの視点それぞれを語りだすと、というか実際に本屋に行けばその類の本など大量にあるわけだから、ここで厳密に議論するなど生産的でないので
まあ、良くも悪くもこの程度に抑えておくのが生産的であると思われる
結果的には、比較的まとまっていてまともな批評であるというのが感想である

denjadenja 2009/10/29 02:13 芸術と芸術論とを混同してはいけない。昔の偉い人の言葉です。

通りすがり通りすがり 2009/10/29 02:51 通りすがりですが失礼します。
>「評価」という言葉が釣りワードになってしまいましたね。「判断」位にしとけばよかった。
「理解」位にしておくのが妥当だと思います。これならタイトルと本文が一致すると思うのですが如何でしょう。

吝 2009/10/29 10:25 評価できるものとできないものとを
線を引いて分けることを求めている読者には、
何が言いたいか判らないでしょうね。

kbysbtmupkbysbtmup 2009/10/29 10:37 仰っていることは分かるのですが、これは誰をターゲットにしているのでしょうか?
皆が皆、同じ理解を得るということは非常に難しい、というより不可能だと思います。
アカデミズムは学者に任せておけば良いし、市場価値は売り買いする人に任せておけば良いかと。
あれもこれも理解しないといけない、という風潮こそパイを狭めているのでは?
敷居が必要以上に高くなっていることが、一般の方と「芸術」とを遠ざけている大きな要因だと思います。
色々理解していた方が楽しめるのは確かですが、初めからそこまで求めなくても良いのではないでしょうか。
興味があれば自分で調べるでしょうし。
(作品の評価はあくまで相対的で、しかも後追いでしか無い訳ですから)
そういう風潮があるから、皆「わかってるフリ」をしたがるんだと思いますよ。

名前名前 2009/10/29 15:12 芸術(作品)が作られる背景にはこういう要素が絡んでいる。
→理解できれば人間や社会に対してのより深い洞察につながります。

っていうことですよね。その通りだと思います。

和生和生 2009/10/29 18:44 芸術の評価方法のいくつかですね。
「美の直感的評価センスを持たない人が芸術を語るために必要な技術」
というタイトルでも良い気がします。

名前名前 2009/10/29 20:38 > 美の直感的評価センス
とやらがその人の生きてる時代の政治経済やら思想・哲学、技術、その他諸々と無関係に存在していると思えるのはなんとおめでたいことでしょう。

通りすがり通りすがり 2009/10/29 23:06 >「美の直感的評価センスを持たない人が芸術を語るために必要な技術」
これは言い過ぎ。芸術を芸術性という尺度で見る方法と、エントリの内容のような尺度で見る方法の2通りがあるというだけで、どちらか一方が正しい訳ではないと思う。日記主は「技術の視点からしか芸術を語れない」ときちんと書いているのだから揚げ足をとる所ではない。

>その次のコメントへ
これはおかしい。2通りの尺度はねじれの位置にあって交わらない。どちらか一方がもう一方のベースな訳ではない。
"センスがないのは恥ずかしいこと"という誤った風潮がたまたまセンスを持たない人に、こういう自己防衛的な考えをさせるのでは。

2つの尺度のうち1つを持っている。それだけでいいじゃない。お互いを攻撃するのはなんか違うぞ。

プロデューサープロデューサー 2009/10/30 12:25 世間的には少数派なのかも知れないけど、読んで思ったことを書きます。

根拠を示さずに芸術論を語る資格があるのは芸術の実績がある人だけかと。
書いた人はそれに該当しないのに、根拠も示さないのが「?」と思う。

従って、研究気質を持たない多くの芸術家は
デーブ大久保さんに解説された野球選手のような
オレと同じ気持ちになるんじゃなかろうか。と思います。

プロデューサープロデューサー 2009/10/30 12:25 世間的には少数派なのかも知れないけど、読んで思ったことを書きます。

根拠を示さずに芸術論を語る資格があるのは芸術の実績がある人だけかと。
書いた人はそれに該当しないのに、根拠も示さないのが「?」と思う。

従って、研究気質を持たない多くの芸術家は
デーブ大久保さんに解説された野球選手のような
オレと同じ気持ちになるんじゃなかろうか。と思います。

hatna300hatna300 2009/10/30 16:09 >共感できる、同調できる、斬新さを感じるなどは市場価値を高める行為でしかなく
それのどこがおかしいのか、よく分かりません。

印象派であれ、萌え絵であれ、ある分野の作品の中にも優劣があると思います。
優秀なものを分析して、なぜ共感できるのか等の法則を見つけていくのは学問的な世界で、
ふだんあまり芸術に触れない人の多くは話題になっているものだけ見て、満足していると思う。

でもある天才が現れて、それに付随してうわーっと新ジャンルができて、
それがまだ学問になっておらずとも、
新ジャンルの発現や体系化、技術の模倣、継承が文化だというところは、賛成です。
多くのアーチストは、その時代の文化が齎したジャンルに飛び込んで生計たてるわけで。

共感を得るという部分では模倣も必要だし
(たとえば印象派の時代に突然抽象派が現れても、たぶん市民権は得られませんよね)
でも、異文化を捕らえて取り入れたり、個性出したりの努力が見られれば、
新たな変化が生まれるので、斬新さや評価されるべきだと思うのですが。

うんうん 2009/10/30 22:42 >本当の芸術としてのモノの価値を問い直す事は難しい
これって学問的価値を、"本物の芸術としてのモノの価値"にミスリードしてない?????
ピカソの絵は学問的価値が先に発見されたんじゃなく、美の体言として認識され広まった後に学問的価値が後付けされただけだよね??

んーんー 2009/12/07 21:12 そんな難しく考えるものじゃないんじゃないかと思うけどね。

考えすぎてよくわからなくなっちゃってる感じだね。

言葉にできるなら絵を描く必要はないんじゃないかな。

>んー 同意!>んー 同意! 2010/11/27 15:32 上の人たちは何を目指して議論してるんだろう
自分ならこんなことを考える時間があったらお気に入りのCDを聴いているよ

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