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2016-04-11

[][][][][]二階堂ふみの強烈にして官能的な濡れ場-メディア評-映画「蜜のあわれ

 公開初日に鑑賞。軽妙、怪奇、官能。コミカル、ホラー、エキゾチック。なぜか人間になってしまった金魚と年老いた小説家の織りなすパラノイア恋愛もの、ザ、文学作品金魚役の二階堂ふみ日々ロックより可愛かった…。

http://mitsunoaware.com/comment/img/still.jpg

 本作、「蜜のあわれ」はタイトルとは裏腹に、コミカルなテンポの古典派ラブストーリー。3章構成にわかれており、人になってしまった金魚、幽霊、ミュージカル、死者との晩餐、なんでもありである。

 洋画では味わえないテンポや台詞回しの妙と、明治を舞台にしながらも(ロケ地は富山金魚をコンセプトにした色使いのコントラストの艶やかさに重ねた二階堂ふみの濡れ場の昂揚感。お尻や足は綺麗すぎて替えの専門のモデルを使ったのではないかと思うほどである。

 主人公の小説家とだけでなく、真木よう子扮する幽霊ともキスや絡みに挑戦する場面を見るだけでも見る価値がある作品。

 見所は他のキャストそれぞれの作品の解釈と演技にも現れる。高良健吾演じる芥川龍之介の寡黙さも作品に華を添えていた。伏線回収も上手に作られてるし、テンポから外れた情動的なシーンは若干蛇足かと思ったのだけれど、これがまた大杉漣の演技が上手過ぎてヤバい。年老いて死にかけジジイが、まだ死ねないと小説を書くことでなく恋愛に対してヒステリーを起こすなど、文学としか言いようがない。観る人を選ぶけどかなり良い作品であった。

2012-08-29

[][][][][]優しい男とセックスフレンド

 草食系男子ブームも一段落し森ガールも草食系関係なしにファッションジャンルとして独立して語られるようになって、若者の恋愛の傾向も微妙に変わってきた。いろいろな若い人たち、特に大学生から恋愛相談されるが、ちょっと気づいたので書いておく。なんに気づいたかと言うと

  • 気の合う相手の決定打がない
  • 優しい人ほどセフレをつくる
  • 人を救うための交際がある

の3つである。もちろん全員が当てはまる訳ではないし地域差環境差は大きい。

 相性、「気が合う」というのをある種の神秘のように我々は語りがちである。初めてあった人と気があって、気づいたら恋に落ちてしまった、というストーリーを今でも信じている人たちは多いし追体験した人も少なくないだろう。恋愛のつながりのエビデンスを我々の多くは相性、「気が合う」に求める。しかし、気の合う、の意味が徐々に変わって来ている。

 江戸時代までは恋愛と言えば不倫を指していたし、明治に入ると無理心中=恋愛であった。戦後に日本では恋愛する相手とセックスする相手と結婚する相手が同じ相手、という世界でも珍しい文化形式ができあがり、法律もそれを前提に婚姻制度が組まれ、変遷して来た。もしくは仕事が生き甲斐、のようなワークライフバランスの偏りや経済原理に則って交際関係を一人の人に集中すれば経済的であることや教育費がたかいことなど様々な要素が考えられる。文化的バブルの時期にはお金に余裕がある層を取り扱った不倫ドラマがいくつもつくられた。

 平成に入り離婚理由の中で高い位置に夜の生活関係のものがあげられ、婚姻関係におけるセックスレスと、性的な経験が浅い層にすら恋愛における体の相性が重要な要素として認識されるようになった。

 並行して進んで来たフォーディズム消費社会化も重要である。人を判断するときに、「消費」は欠かせない。何を身につけているか、どう消費しているかが人格の判断に大きな要素であった。贅沢は無駄遣いの象徴であったし今は仕事ができる人は遊びがうまいなどと称されることもある。節制は堅実かケチかは時代や人の判断によるところであるが、メディアは消費を煽るためにケチな男を批判して来た。消費は奉仕の姿勢と相関すると考えらるようになったのである。

 しかし最近を見てみると、消費で簡単に人を判断できない状態にある。テレビが好き、スポーツが好き、音楽が好き、アニメが好き、ゲームが好き、ファッションが好き、ある程度金を出せばいくつも簡単に手に入れることができ、そこそこの話術さえあればどんな内容でも面白く話すことができる。その中で人は他者に承認してもらうために他人と自分を差異化しようとよりマニアックになっていこうとするし、コンテンツもより多様化細分化テンプレ化して行くことは以前指摘した。ここでは若者の恋愛の話をしているので、成熟したマニアックすぎる人は想定していないし、そういう世界で戦ってる人は恋愛市場に参入しないパターンも結構見て来た。

 また相性を測るための<人格>も拡散している。ゼロ年代ソーシャルネットワークサービスの発生と派生。SNSをいくつか使っている人たちなら、mixitwitterfacebookなど出している顔が違うことなど様々な人が指摘しているし、ユーザがキャラを統一しづらい状況が進んでいる。人格なんてどれが本当かわからん状態が進む。本当の自分探しが進む。

 いろんな属性嗜好人格と、複雑な情報が可視化された結果、総合的な判断を行うより、いろんな要素のどれか一つあう方ことを強調した方が円滑にコミュニケーションは進む。4、5個要素があえばもう相性がいい友達、である。相性の良さは簡単に作り出すことができるようになったし、相性をあわせることが簡単であれば、あとは人との出会いの流動性次第で簡単に恋愛は成立する。逆に流動性が低い中しか恋愛は成立しないし、流動性の高い(出会いの多い環境での)恋愛においては何をベットしたかが大きな要素として働く。

 若者の博愛主義化が進んでいると言う。好きな相手であれば別に付き合ってなくても一夜限りの関係やセックスフレンドとして関係を持ち続けるそうである。もしそうだとしても、それはいつの間にか規範化され、少年漫画で大事にしてきた、何かプロジェクトを成し遂げ、好きな人に告白し、結ばれる、というプロトコルを踏める人が限られていることに由来するとしか考えられない。大学生なんかに自己が成長し恋愛に影響するようなプロジェクトなどめったに与えられない。この相手を救おうとしてそのうえ好きかもと思える相手との相性はいいと思えるが、本当にこの相手でいいのか、常に不安がつきまとう。

 何か大きなモノをベットできる環境も相手もそうそういないのである。そうすると不思議なことに自己肯定感の低さからか、このことについて交際相手に申し訳ないと思う若者は多い。お互いに「付き合って」と言うことに躊躇するのである。もしくは付き合っている状況に不安や申し訳を感じる。「もしかしたらもっと相性の良い運命の人がいるかもしれない。相手もそう思っているかもしれない。自分でいいのか自信がない、束縛するのはおこがましい」自覚的か無自覚かは別だがそんな感覚が若者にはある。それが臆病とも言えるし優しさとも言える。なので付き合うことには躊躇しつつも、やっていることは恋愛の様式、というパターンが増えているように感じる。旧来のセックスフレンドのように、お金に余裕ができた管理職クラスが愛人を囲ったり、都合のいい相手に都合の良いタイミングで呼び出され、ことをすませて終わり、と言うドラマのような関係は前時代的で、いまや一部のメンヘラ自尊心を維持するか自傷行為の代わりにセックスを行っているだけにすぎない。

 セックスフレンドと一緒に食事に言ったり、ディズニーデートをしたり、ドライブに行ったり、嫉妬をしたり、足りないのは「付き合ってください」という儀礼や「付き合う」という契約なのである。

 では付き合うと言う契約はいつ行うか。その不思議なことにこれらの優しい人たちは優しさを発揮できたときに、付き合う。先ほど言ったプロジェクトを成し遂げたときなのだが、これがまた変わっている。精神的に安定しない子が泣いているときや、失恋の慰めの代わりに「俺が付き合うから」というパターンが散見される。俺がいるから、俺がお前を支えるから、と言うタイミングに告白する。それが一番お互いの承認を満たせるタイミングであり、場合によっては恋愛の様式で付き合っていたセックスフレンドすら切って別の恋人と付き合ったり結婚したりする。

 彼らは人を救いたいのである。社会貢献意識や学生運動マインドの延長で、長い期間、人生の一部を賭けて人を救おうとする。しかし、社会貢献と違うのは、相手と二人キリの関係、共依存関係を結ぼうとする。冷静にそういう状態じゃないか?と問いかけてみると、確かにそうだ、少しおかしい気がする、と抜け出そうとするのだが、彼らにとって恋愛が人を救うプロジェクトでフロー状態である以上なかなか客観的に自分を見れず、常に違和感を抱えながら恋愛をし、衝動的にわかれと出会いを繰り返す。

 まだまだそういうクラスタがいると気づいただけなので経過観察を続ける必要があるが、付き合う、の意味が変わった世代が存在することを受け入れ、その意味がどう変わったかを生暖かく見守っていく必要がある。

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2009-11-05

[][]加護亜衣と東京★キッズ

今更だが加護亜衣の写真集を見た。フライデーに激写されたことを皮肉った作品だというが見て驚いた。

加護亜依写真集「金曜日」
加護 亜依(責任編集) 竹内 康恵(撮影)
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1 一般人でももっとかわいい、きれいな人がいますよ
1 みんな買ってみてください
1 買ってません
1 話題性だけか
1 凄く

 この見事なまでの不評具合も魅力的だが中身を見て驚いた。露出具合とそのコンセプトの奇抜さで話題になった本作であるが、東京★キッズというアーティストにそっくりであった。

裏表紙画像→加護亜依 写真集「金曜日」 8月22…の画像 | いつだって亜依ごま右翼

写真集の企画制作自体はoffice1000.corpという会社らしい。

 で、東京★キッズとはどんなアーティストなのか。現在は牧宗孝(MIKEY)氏とMAIKO氏の二人によるダンスチーム。2007年ごろ、スーパーチャンプルという深夜のダンス番組で取り上げられ一躍人気アーティストとなり、メンバー交代などを経て現在に至る。性別やジェンダーを超えた力強くセクシーなショーを展開し、ドラァグクイーンやゴシック、ハードロックなどのコンセプトを取り入れたスタイルのショーに定評がある。

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 メンバーの牧宗孝氏は舞台のプロデュースなどもしており、その筋では非常に有名なアーティスト。僕は彼と話したことはないが、数回イベントでショーを拝見した。女性的な表現を多用し、自身も歌を作って発表するなど、アーティスト活動を行っている。先日紹介したJONTE'との共通点も多々見られる。

D

牧 宗孝 maki munetaka - MySpaceより

 MAIKO氏は逆に男性より力強くセクシーなスタイルで、有名アーティストのバックダンサーや振付をこなす。最近はショートカットで中性的、男性的なイメージの髪型が多く、そのファッションまで含めたダンススタイルに女性のファンも多い。加護亜衣のふんした金髪のショートカットの女性が彼女に非常に似ている。

404 Page Not Foundより

 企画者に「こんなイメージで」と指示されただけかもしれないが、写真集の中にみられるポーズ、しぐさ、ダンス的な動きなど、パッと見ただけで表現できるものではない。東京★キッズのミイラをコンセプトにした作品は2008年のもので(何度か似たような衣装の作品が作られたが)、東京★キッズ側が加護亜衣から影響を受けているとは考えにくい。

ただのアイドルの一企画として話題になった本作だが、そういう視点で見直すと、なにか別のメッセージがあったのかもしれない。表現技術のレベルはどうあれ、写真集でなく、撮影者やモデルが一緒になった作品としてまた評価できるのではないだろうか。ということをふと思ったので書き記しておきたい。

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2009-11-01

[][][]教師が語る教育格差-書評-新しい「教育格差」

最近ぼんやりと思っていたのだが、教育ジャーナリストを応援する風潮というものが日本にはない気がするのだ。

ITジャーナリストや政治ジャーナリストは賛否両論ではあるが多くの人に注目されているかたわらで、ひっそりと活躍を続ける教育ジャーナリストたち。著者もその一人である。

新しい「教育格差」 (講談社現代新書)
増田 ユリヤ
講談社
売り上げランキング: 19052
おすすめ度の平均: 5.0
5 問題の所在と解決の方向を明確化
5 できるだけ客観的な現状認識から教育現場をみつめている姿勢を評価します
5 日本の教育の優先順位のおかしさを指摘


「教育ジャーナリスト」という人自体は大学の教師であったり、それだけを生業にしながらNPOや企業として活動を行っている者が多く、まったくデータお構いなしで精神論を語る人や適応できない児童生徒がいるからと学校不要論を唱える人から、元教員の現場至上主義の人や江戸時代からの文献をあさって歴史から丁寧に教育の実情を述べる人まで、質は様々でありいまだ淘汰されていない。

 そんな中著者はなんと現役で非常勤講師をしながら教育ジャーナリストとして活躍しているという経歴の持ち主だ。

 本書の内容については前半は非常に説得力が高く同意に至るものだったが、後半は首をかしげるようなところも多かった。しかし教育については専門書より俯瞰的に読める簡単な本を勧めた方が有意義だと思っている。

 以下要約とその辺の違和感についてまとめていく

 

第一章 中高一貫校が生み出す公立校格差

 ノッケから本質をつく指摘を行っているのが本書の一番の価値。この章だけでも本書を手にとって読むに値する。世論調査で出た「日本の教育は質が高いが不満である」というパラドクスが教育問題の根本であり、その原因は様々な格差にあるだろうとするのが本書の問題設定。

 1章では都立高や私立などの中高一貫校のメリットデメリットを述べ、PISA型学力を理解している学校についてや、教育に競争原理はそぐわないことを述べている。例えば学校選択制が、通学や近隣との友人関係を作る自由を狭めたり、学校の地理的条件から学校間格差が増強されたりと、不都合ばかりが目立ってきており、地理的物理的環境の差が埋まらない限り、教員が努力を続けてもそこに学校間格差が開くだけである。

 著者は格差が広がると同質のものばかりが集団化し、異質のものを認められなくなるから共感力がへって貧困問題とか放置する風潮ができるよね。という。僕は著者の社会を語る力は素晴らしいと思う一方で、人の心理を語る部分はすこし違和感があるのだが、その辺も踏まえてどんどん紹介していこう。

 

第二章 学問間・生徒間の格差

 この章を強引にまとめるなら「お前ら学力学力って、例えば全国学力テストの意味わかってんの?」という問いかけから始まり、「早寝早起き朝ご飯」ですべて解決するなら大阪さっさとやっちゃえよ、経済的格差が亡くならない限りなんも効果ないんじゃないですか?地方と都市部の格差もばかにならないですよ。それから学力上げて進学率あげるのいいんですけど、知識労働のパイもそんなに多くないし、最低限の労働人口確保できてないじゃないか、教育政策充実させて大学院でても就職口がなけりゃそりゃ高学歴ワーキングプア増えるわな」といった話をやんわり優しい口調で伝えているのである。一般的に語られる経済と教育の問題と全く一緒ではあるのだが、その事例や解釈の紹介が面白い。

 ハーバード大学のメアリー教授の研究を持ち出し、今までは学校と職場の空気が似てたからよかったけど、成果主義だのなんだのが入ってきて職場がとても息苦しくなってしまったことと、経済的な理由での高校中退者をどう救うかという提言を紹介する。アルバイトですら高卒資格がもとめられる現代は、この経済的貧困からの脱出が非常に笑えない状態になっている。

 それから著者の得意分野であるフィンランドの教育についても語るのだが非常にここが面白い。フィンランドでも「これから知的産業大事だから進学率あげようぜ!」という風潮があったのだが、政府はあえて専門学校を増やす政策をとったそうだ。また、専門学校のサービスの充実や、地域とコミュニケーションのとれる場の提供、例えば家具を作る専門学校生が作った家具を買えるイベントを作ったり、美容専門学校の生徒に安く散髪しても羅得る機会を得ることで教育とサービスの需要と供給を満たす試みが沢山あるという。職業学校の社会的地位は決して低くなく、また単位互換の制度も充実しているため進路の変更もフレキシブルで、ここがフィンランドの教育の一番の強みであるという。

 著者は高校段階での専門教育をもっと充実させるべきであると主張する。この主張には大きく同意する。ドラッカーはこれから製造業の需要は増えるが社会的地位は下がると予言した。現にその現象が起きており、工業高校や高専の一般的イメージは偏差値の低い人たちが行くところ、である。が一方で工学の世界では工業・高専出身者の多くが活躍している現状があり、日本の世界に誇れる製造業を陰で支えている。同時に義務教育段階でその入り口を見せるための中学校技術科の授業時間は現在週1〜2時間と中学校でも一番時間数の少ない少ない教科として追いやられている。日本の生産システムの発展の歴史なんかをたどらないと語れない事もあるのでアンビバレンツであり賛否両論だが、現在教育とその出口について、傾いたバランスを戻す政策がなされていないということは確かだ。

第三章 教員間の格差

 この章は本書の目玉となるかもしれない。あまり語られない教員の不遇の事例をいくつか紹介している。あまり知られていないが、学校の先生にも教員(専任)と講師がおり、講師も常勤と非常勤と別れている。元教員で子育てや介護をしながら教育の仕事をしたい人、副業をしながら教員の仕事をしたい人などのためのフレキシブルな制度だったが、それが現在完全な教員のランク付けの仕組みとして働いており、教員の経済的格差につながっている。現在日本の学校での講師の割合は一説では14%と言われており、しかしあまり統計に取り上げられることはない。教員の質も非常勤だからと劣っているということはなく、同等もしくはそれ以上の生産をすることもある。しかし現場では「非常勤は教員の修業時代だから」という空気が蔓延しており、情熱とやる気がある教師たちが経済的な不足を理由に、アルバイトをしなければならない状態で教材研究も同時に強いられるような、様々な制約を余儀なくされている。

 本書に上がっているだけでも急な雇い止め、専任雇用を約束されたのに採用されないという詐欺まがいの雇用、専任教員たちの非常勤であることは力不足の証拠であるという非寛容な態度、女性差別など、平等と平和を教え、偏りを是正する力を身につけさせる教育現場は意外と偏りだらけである。これは実感として意外と多い。教育にコミットしたくても時間講師だと割が合わない、放課後に質問を受け付けたいが、塾講師など他の仕事があるため対応できず、子供との関係も作れないという現状は多々ある。

 

 さらにこの章はもう一つ大きな問題提起をする。教育社会学者の潮木氏の研究によると、2008年から5年間、全国ですべての教員養成大学の学生を雇っても教員の数が足りなくなるという。特に関東では今年も異例の教員の二次募集が行われ、講師すら足りていない状態が来ているという。その状態で教員養成6年制をやろうとか言いだしてしまうのもどうなのだろうと思ってしまう訳だが、さらに大変なのは能力のあるなしは別として、教育熱心な教師ほど鬱状態になり、笑えないほど休職・退職者が増えている。仕事をする教師が足りず、一方で教育熱心でない「仕事としての先生」だけが残っていく。現場は忙しくなる一方で士気はどんどん下がっていき、一方で教師になりにくい、教師になってもインセンティブの得にくい環境が出来上がっている、まさに袋小路である。


第四章 校内暴力とモラルの格差

 この章は非常に微妙で、校内暴力件数増えてます、学校が対応してくれないこんな事例がありました、ひどいよね。で終わっていく。事例の中でお互いの立場を考えられない教員と保護者が登場するのだが、それをモラルがないで済ませてはどうしようもないのではないかと思うのだ。性格が歪んでいるように捉えられるのであれば、そこにはそれなりの理由があり、それはその人の人生経験からか、その人との関係からかのどちらかに由来するはずである(例外はある)。そこをもっと追究してほしかった、非常にワイドショー向きな話題。

 読者層が保護者なのでそれも仕方ないかなと思う。

第五章 携帯いじめと「共感力」の格差

 ところで共感力とはなんだろうか。今の若い世代は僕が見る限り共感の世代である。問題が起きるほどネットを使うのもゲームにはまるのもすべて共感したいがため、一種の共感依存であすらある。

 この章は技術が暴走してる現代ってひどいよね山村留学最高!的な様相を見せるのであまり書評する気はないが、なんか若者は技術のせいで孤立しただのネットいじめにおびえる子どもたちが可愛そうだのという話が並ぶ。

 しかし指摘するのであれば生活していく上で技術の重要性が日に日に増えているのにその重要な技術をどう活用するかという授業が少ない事、それからそれを教えられる教員が少ないことをまずせめるべきだ。

 現在の中学校技術科はモノづくりだけでなくメディア技術との付き合い方や情報の科学的理解なども内容に含まれている。一方で一説では65%の技術教師が臨時免許や副免許で専門的に技術を学んで教員になる人間が圧倒的に不足している。従来は技術に関する教育はある程度大学で行われ、さらに優れた生産教育が企業で行われていたためこれでも事足りたのだが、一部の大学(というより研究者たち)と企業はこれを放棄し始め、若者をバッシングするようになりはじめた。この崩壊こそが現代の技術を囲む問題の原因である。技術の実践は国内外をはじめ物事の科学的理解の推進だけでなく、複次的な効果を多々生み出してきた。本書で紹介されている協働型の実践はベースとして定着しつつあるし、成功体験や省察する態度など、この記事では紹介しきれない。

 山村留学を進める位なら技術に関する教育やイベント型教育を(振り返りや省察の時間を十分に確保すること前提で)もっと推進すべきなのだ。

第六章 男女の格差

 教育問題からいきなり男女における格差問題に富んだため笑ってしまったのだが、読み進めてみると意外と笑えない内容であった。今や進学率も就職率も女性の方が男性より高い一方で、賃金や待遇の面ではまだ女性の方が劣っていること、母子家庭が増えており、日本の貧困率も笑えない状態であることや男女のお互いのよさを認め合った雇用と待遇をもっと進めるべきことと、もっともな話である。

 日本は男女格差指数においてもまだ75位である。

 経済、株価、ビジネス、政治のニュース:日経電子版

 

感想

終章は学力テストとは何か、その経緯と意義と内容を簡潔に語っているので一読されたい。

現代的問題を踏まえた教育問題の入門書としては非常に簡潔で良著。僕の記事の方が言葉多めで申し訳ないくらいである。

専門的俯瞰的に眺めるつもりがない人でもこの一冊であれば十分負担にならず読める一冊。ぜひ手に取ってほしい

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