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SHUのちんむぐるど〜

2016-05-13

冥福をお祈り申し上げます 00:19

「どう死ぬかではなく、どう生きたか」


21歳の私が初めて創った舞台、それをご覧になった先生が仰った言葉でしたね。


またある時は、進路を悩む私に、人生選択のキッカケを下さいましたね。

今でも鮮明に覚えております。


「どう生きたか」私は決して忘れることはありません。

2016-04-27

日本の酪農の生き残る道 13:01

昨夜のWBSでの、ロバート・A・フェルドマン氏のコメントは的確だったなー。

酪農の指定団体解説を、電力自由化や電話事業の自由化を例にとり、分かりやすく説明されていた。

「安定供給のためなのでは?」という大江さんのツッコミも、一刀両断するコメント力は流石だった。

確かに指定団体があった方が、一部の酪農家にとっては楽だし安心だろう。

疑問さえもたなければ、酪農にだけ専念できるし。

しかし指定団体ありきの体制が長く続いて、そこに疑問を持たない酪農家の方たちは、極論を言えば、国家体制に疑問を持たない中国や北朝鮮の住人と似ているのかもしれない。

これは戦中戦後にそういうシステムを作り上げた国家や既得権益で美味しい汁を吸ってきたJAに群がる人間たちのせいだろうか?

とすれば、ロバートさんの仰る通り、構造改革をして、民間企業が参入して、酪農家の人たちに選択の自由をもたせることが必要不可欠なのかもしれない。

そうれば、酪農家の人たちの収入も上昇し安定もする。

自らメーカーと交渉をする商売をしなくて済むから、酪農に専念できる。

無理をして六次産業に乗り出すか、大規模化をしなければ収入が上がらない、現状は打破できるかもしれない。

しかし、それを理解しているのに、選挙のために言及しない小泉くんにはガッカリさせられます。

結局、体制に取り込まれ丸くなるのでは、新しい指導者にはなれない気がします。

2016-04-21 生理用品

生理用品 10:01



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160419-00000002-jct-soci

上記のようなニュースを目にした。


詳しくなくていい。

私もそう思う。


だが、本質はそういう問題ではなくて、自分と違うシチュエーション(アイデンティティ)も持つ者を理解しようとする気があるかどうかの問題である


生理(妊娠)なんて病気じゃないんだから

毎月くるもんなんだから我慢できない痛みじゃないだろう。

大げさに言っているだけだ。

あらかじめ分かってることなんだから、どうにか対処できるだろ。

言葉にしなくても、そう思っているのが伝わってる。


自分の理解の範疇を超える、または違う状況(理念)を持つ人間を理解しようとしない、鈍感極まりない発言であり、考えだ。

思いやりがないというか、もはや不感症と言っていいだろう。


確かに極論を言うと、男が女性の生理を理解するのは不可能だろう。

何故なら、他人の痛みを数値化するのは無理だからだ。

だが分からないからこそ、それを想像し、思い量って、手を差し伸べるべきだと思う。


外国人倫理観や考え方は様々だし私はよく分からないが、

日本の悪しき倫理観?などに振り回されている古物のような人間は、平時ならともかく、こういう時は発言を控えてもらいたいものだ。


特に、件の自称漫画家小林何某』は「男が言うと気色悪いと感じた」と公言している。

これほど想像力がない人間が漫画を描いているというのは甚だ可笑しいと感じる。

想像力がないから、面白い作品が書けないのだろう(私の主観だが)


私は別に意識高い系の男ではないが、こういう想像力のない人間は、他人の心を動かせる作品を作り上げることはできないということだけは肝に銘じ、反面教師にしようと思った今日この頃である。

※乱筆乱文(誤字脱字)失礼いたしました。




何はともあれ、今は被災した方たちの必要な物が変化する変わり目だろう。

場所や人によって違いはあるので、きめ細やかな配慮は必要だが)

当初最も大事であったスピードから、様々なケースに柔軟に対応した痒い所に手が届く支援が必要になってくる。

現場にいないので大きな口は叩けないが、出来る限りのことはしていこうと思う。

2016-04-20

報道と真実 08:36

私の持論ですが、テレビの世界に『真実』というものは存在しないと考えています。

理由は真実の尺度は個人によって違うということ。



九州の地震のことを例にとります。

ニュースや報道番組で連日のように被災地のことを取り上げていますが、これも真実ではないと考えます。

※だからといって嘘ではありません。真実ではない=嘘ではありません。

ニュースで被災地から中継をしていようと、そこには報道する側の意図が必ず介在します。

例えば誰にインタビューしようとか、どこで撮影してどの画を使おうとか。

録画では編集して切り貼りするのでなおさらですね。

被災地の現状を広く世界中に伝えよう、という高い志をもった方も沢山います。

しかし、撮れ高や視聴率を気にしたり、スポンサー意向ゼロではありません。

だからこそ、どの番組も似た画になるのでしょう。

画的には地味でも、本当はもっと困っている方たちは沢山いらしゃいます。

でもそこは報道されません。

何故でしょう?

それは撮れ高が悪いから。

もしくは現場の人たちは撮影したのに使われないか。

※こちらの場合の方が多いでしょう。

どうでしょう?

ニュースや報道番組が真実ではないという意見も、あながち間違いではないのではないでしょうか。



なぜ長々とこんなことを書いたかというと、最近特にですが、報道陣に対する過度な期待が強すぎるのではないと感じているからです。

ネットには、被災地での報道陣の行動に対する避難が数多くあげられています。

ですが、彼らは聖人君子ではありません。

単純に仕事をしているだけです。

繰り返しになりますが「危険おかして世に情報を 」と考えている報道マンも報道ウーマンもいます。

でもやっぱり仕事で報道しているのですし、彼らも人間です。ミスはおかします。

それをテレビに出ているという理由だけで、やり玉に挙げるというのはいかがなものかと。

付け加えますが、報道陣を擁護している訳ではありません。

むしろ幻滅している部分もあります。

ダメな人に期待しない方がいいと言っているのです。

最初からダメだと思っていれば、何かあっても「やっぱりな」とやり過ごせるでしょう。

やり過ごさないで怒りをぶつけていいのは、被災地で今苦しんでいるだけです。



最後・・・

真実を知りたかったら、実際に被災地を訪れ、自分の目で見て、自分の頭で考えなければダメなのでしょう。

こういった前提でニュースを見れば、また違った面白味があるかもしれません。