Hatena::ブログ(Diary)

Fujii牧師の独り言

2018-05-13

shuichifujii2018-05-13

礼拝音楽研修会二日目

11日金曜日から礼拝音楽研修会のスタッフとして函館に来ています。

昨日12日は、函館教会を会場にして、礼拝において主と会衆につかえる「奏楽」「聖歌隊」「バンド」のありかたについて、語り合い整える時間をもちました。

今日13日、日曜日の午前中は、4人のスタッフは、函館教会、函館美原教会、そして少し離れた苫小牧教会に分散して、礼拝に参加。

礼拝のあと、函館と苫小牧の2会場で、礼拝音楽研修会の続きを行いました。

わたしは、午前中は函館教会の教会学校から参加。

成人科は一クラス。少年少女が一クラス。

「聖書教育誌」のカリキュラムで聖書を読み、分かち合うスタイル。

花小金井教会と同じやりかたなので、すっと入っていけます。

場所が違っても、同じ聖書の箇所を読み分かち合えるという、

「聖書教育誌」をもちいた教会同士の繋がり、この連帯は、バプテスト連盟の一つの賜物だなと、あらためて思います。

礼拝には、ギデオン協会のアピールの方も参加。一緒に礼拝しました。

昨日の研修のなかで練習した青少年の「バンド」による、賛美のリードがとてもよくて、会衆が一つになって歌うことができたのも、嬉しい体験でした。

聖書のみ言葉のメッセージをさせていただきましたが、み言葉によっても心が繋がれた体験をしました。感謝。


午後からの研修会では、わたしが開会メッセージ。江原教会音楽室室長の講演。その後、お茶菓子をいただきながら、分かち合いの時間をもち、研修会は終了。

とてもお互いの心理的距離感の近い、研修、対話がなされたと思います。

研修会の感想を書いていただいた中で、地方において行き詰まりを感じている教会に、このように遠くから、現場まで出向いてきてくれる研修会が、求められているのではないか、という感想がいくつかありました。

今回は、新しい試みとしてこのような形となりましたが、今後の方向性として、ますますそれぞれの地域、現場にまで出て行き出会い、つなげていくスタイルになっていくことが望ましいのだろうなと、そういう実感を深めた、研修会となりました。

2018-05-12

shuichifujii2018-05-12

礼拝音楽研修会一日目

5月12日〜13日 函館(苫小牧)で行われる、全国礼拝音楽研修会のスタッフとして、11日から函館入りしています。

実は函館は2度め。前回は東北にいた頃、東北と北海道連合の合同の青年修養会のスタッフとして、新幹線で函館に来ました。

今回は東京から飛行機です。1時間15分であっという間につきました。


日本バプテスト連盟の教会音楽室が主催する「全国礼拝音楽研修会」は、今回で13回を数えます。毎回場所を変えて、その地域の方々との出会いを喜んでいます。

今回は北海道で開催するのですが、北海道連合の会長さんとの準備のプロセスの中で、北海道の中でもさらに地方の現場に出ていって出会っていこう、ということになり、

通常、北海道で大きな集会をおこなうときは、大きな都市である札幌でするのですが、

今回は、旭川と函館の2地区で2回開催することになったのでした。

旭川は2月に行い、今回2回めの函館が、今回の開催となったわけです。

函館には、函館キリスト教会と函館美原バプテスト教会の2つのバプテスト連盟加盟教会があります。

会場は函館教会です。礼拝堂以外に、沢山の部屋があり、キーボードなどの楽器も豊富にある教会なので、会場としてお借りすることになりました。

今日第一日目は、礼拝に仕える「奏楽」「聖歌隊」「バンド」のみっつのカテゴリーで、研修が行われました。

わたしの今日の役目は、「バンド」の研修の補助と、写真かかりでした。

二日目は、午前中の函館教会での礼拝メッセージと、午後からの研修会の開会メッセージ。その後の懇談の司会進行などがお役目です。

この研修会には、函館地区の教会からだけではなく、室蘭や札幌、そして山形からも、電車で数時間かけて、やってきてくださる方がおられました。感謝です。

室蘭からは、インドネシアから日本に来ている学生さんも、3人参加「聖歌隊」のパートに参加してくださり、大きな声で日本語で一緒に歌ってくださっていたことが、嬉しい光景でした。

こちらとしても、できるだけ英語での対応をして、コミュニケーションを取りたいと願いつつ、準備しました。

こういう出会いの中で、お互いが少しずつ変えられ、成長していけるのですね。

「バンド」の研修では、中学生や高校生の子たちと、礼拝の中で「バンド」について、率直にかたりあうことができました。

自分たちが、神さまに賛美を捧げているつもりでも、そこにいる他の人々が、おいてきぼりになっていないだろうか。

一緒に一つの心になって、賛美することが、神さまに喜ばれる賛美ではないか。

そんな気づきをあたえられたと、後の発表の時に中学生の女の子が語ってくれました。感謝です。

「奏楽」のパートも、お互いに普段悩んでいること、考えていることを語り合って、とても有意義な時間だったと聞きました。

人数を沢山集める集会ではなく、むしろ、一人でもそこでしか会えない方々と、ゆっくり時間をすごし、語り合うことで、

その後、その出会いのなかでまかれた神さまの命の言葉が、豊かに実っていくことを、確信した、第一日目でした。

2018-05-06

人の為になにかをする、その動機と力について

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2018-05-05

自己実現は挫折する

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2018-04-17

頑張っても空回り。

漁に出て何も取れず、失意の中にいた主イエスの弟子たちに、

復活の主イエスは

「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ」

と言われました。

心の耳が開き、主イエスの声を聞くことができた弟子たちは、

その通りに網をうち、豊かな実りを体験したのでした。

主イエスの声を聞かなければ、

いくら頑張っても、努力しても、

疲れるだけで実らない。

むしろ、忙しく立ち回り、自分の思いを実現しようと、

頑張りつづける心の状態では、

主イエスの細い御声は、聞こえてこない。

やり続けていることを、いったんやめること。

静まる時間、黙想する時間を十分にとること。

自分自身の本心を見つめ、心の声を聞いてあげること。

すべての出来事と出会いの中に、神さまの愛の意図を探り求めつつ、感謝すること。

主イエスの声を聞くための、修練が必要とされています。

2018-04-16

「主イエスの用意した食事に与る」(2018年4月15日花小金井キリスト教会主日礼拝メッセージ)

ヨハネによる福音書21章1節〜14節

今日は、久しぶりの雨となりました。

雨の中、教会を訪れる人々を、白いハナミズキの花が、出迎えてくれています。

晴れているときには、真っ黒いアゲハチョウが、白いハナミズキの花の蜜を吸う姿が見られることもあって、

なんだか、この花の咲く季節は、まるで天国のような・・・いったことはありませんけど、そういう美しさに触れて、心が温かくなります。

つい、目の前の問題。やらねばならないことに追われる日々の中、

心の余裕を失って、神さまが見せてくださっている、美しさに、気づかずに生きてしまいやすいものですが、

この美しい世界を造られた主は、わたしたちを愛して、さまざまなことを通して、日々、わたしたちを喜ばせて下さっているのでしょう。

そのことに、気づけないまま、見えないままに、時が過ぎてしまわないように、

心の目と耳が開かれるようにと、今日もわたしたちは、この場所に集っています。

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2018-03-31

shuichifujii2018-03-31

酒田開拓伝道の記念誌

東北地方連合の「酒田開拓伝道」の記念誌ができました。

母教会の山形キリスト教会の歴代牧師の方々

歴代東北地方連合会長、開拓伝道委員の方々

歴代祷援会会長、関係者の方々

伝道所牧師夫妻の言葉などが綴られ、

資料として沿革や当時の様々な写真が掲載されています。

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安全なところで、なにもしないままに、

口先で伝道について語る、「評論家」の多い中、

非常に状況の厳しい不毛の地に、

実際に出かけて行って、

ただ愚直に福音の種を蒔くことを実践した人々と、

その人々を支え、祈り、共にあろうとした人々の

その宣教の愚かさと尊さ、

主に従う道の喜びと厳しさの

実体験からしか聞くことのできない一言一言が詰まっています。

その短い一言、の意味と価値は、

きっと分かる人だけが、わかることでしょう。

ご希望の方にはお送りします。

日本バプテスト連盟 花小金井キリスト教会の藤井にご連絡ください。

2018-03-28

小羊会キャンプ

 27日の火曜日から全国小羊会キャンプの引率で天城山荘に来ています。

教会に集う小学生高学年の子どもたちのキャンプです。

普段それぞれの教会には、日曜日に数人の小学生だけが集うのみだとしても、

全国からつどう、教会の子どもたちとの出会いの体験は、

子どもたちの心に、とても大きな影響を与えることでしょう。

教会が協力することの具体的な力を、感じさせてくれるキャンプです。

2018-03-26

2018-03-25

2018-03-22

「実は、本当の休息が取れていないのではないですか?」

http://xn--w8jzd3c601rm66a.com/archives/737

自分は、本当にやりたい仕事をやっているのかが、どうしたらわかるのでしょう?

http://xn--w8jzd3c601rm66a.com/archives/722

2018-03-10

あなたは変化がお嫌いですか?

あなたは「変化」に対して、

否定的ですか

肯定的ですか。


否定的な人は、変化を自分の生活を脅かすものと捉えますね。

変化によって失われるディメリットだけを見つめるので、

これまで通りであるべきだと考えます。

変化がもたらすメリットには、あまり関心がありません。

キーワードは「安心」「安定」です。



現在に耐えがたい不満がないのなら、

昨日と同じ今日を繰り返したい。

それが強い動機、そして目的となります。



なので、無理に変化をもたらす人は、

自分の安寧秩序を壊す、悪を行う存在に見えます。



さて、現代のように変化の激しい現代において、

今までの安寧秩序を求める人の心理状態は、

だんだん暗くなっていく可能性が高いのです。



なぜなら変化をデメリットと受け止めるので、

この社会の変化を、どんどん悪くなっていくように、受け止めるからです。



さらに、変化を意識的にも、無意識的にも遠ざけるので、

さらに変化に適応できなくなっていきます。



それでも変化の波は否応なしに押し寄せてきますから、

結果的に、世の中から徐々に取り残されていくことになります。



そして「昔はよかった」「この先どうなってしまうのか」

という暗い考えを、日々繰り返す人生を歩むことになります。



つまり、皮肉なことですが、

だれよりも安心・安定を大切にしていたからこそ、その安心・安定から遠ざかってしまうのです。





さて、後者は基本的に変化を「前進」「機会」であると捉えます。


その人は、変化によって得られるものにフォーカスします。


ですから、変化を積極的に受け入れ、変化をメリットに転換し、これからの生活に活かしていくか、

変化していく世界で、どのように生きていくか、

楽しむかということを考えます。



そういう人にとって、

今は常に不完全で、

より良きものに向かって、成長していくべきであり、

昨日と同じ今日いうことは、「停滞」と映ります。



ですから、変化を阻もうとする人たちのことを、

改革を阻む保守勢力とう、悪と捉えます。




ただ、この人達の明日は、昨日よりだんだん明るくなります。


なぜなら、変化のメリットにフォーカスするので、

変化する社会を肯定的にとらえることができるからです。



ゆえに変化に対して積極的になり、

変化していく生活と、うまく付き合っていこうとするので、

そのための知識やスキルも、自然に身についていきます。




そして変化は、人の成長をうながします。

小さなことでも、常に新しいチャレンジや変化に触れていく人と、

365日代わり映えのしない生活を送りつづける人とでは、

数年後には、大きな差が生まれることでしょう。



その結果

変化を遠ざけて、

毎日同じルーティンワークをしてきた人に比べ、



時代に適応する能力、スキルは圧倒的に高まり、

結果的に、安定、安心も手に入れることになるのです。



変化というものを否定的に見る癖があるのか、

肯定的に見る癖があるのか。



それによって、やがて人生は違ったものになっていくでしょう。



どちらの道も、極端に行き過ぎてはよくなく、

バランスは大切です。



ただ、この世界を作られた創造主は、

常に新しい創造をなさるお方であり、



神に似たものとして作られた人間もまた、

新しい創造の力、クリエイティビティーを備えている命なのですから、



変化に怯えるのではなく、

変化を楽しむものでありたいと思うのです。



神さまが下さった、

一度きりの人生の時間なのですから。

2018-03-07

「神に愛された人」

故藤澤一清氏 告別式 メッセージ

ヨハネによる福音書3章16節

「神はその独り子をお与えになったほどに世を愛された

独り子を信じる者が一人も滅びることなく、永遠の命を得るためである。」


3月4日の午後10時7分。

藤澤一清さんのご自宅で、一清さんを囲んで「いつくしみ深き」の賛美を、鈴子さん、教会員の中根さん、そしてわたしの三人で歌っていたところ、ふと気がつくと、今までゆっくりと息をしておられたはずの、一清さんの呼吸が、本当に、いつのまにか、とまっておられました。

本当に静かに、そして安らかに、藤澤一清さんは、主イエスのもとへと、旅立たれていったのです。

教会を愛し、日曜日の礼拝を、なによりも楽しみにしておられた藤澤一清さんらしく、

「主の日」の夜に、賛美と祈りにつつまれての、旅立ちでした。


しかし、今年の1月の半ばまで、藤澤一清さんは、この花小金井教会までこられて、共に礼拝を捧げていたことを思うと、

ご遺族を始め、花小金井教会で、共に礼拝を捧げてきた友、また、藤澤さんと関わりのあるすべての方々にとって、急なお別れと感じ、心痛まれていることと、思います。

今、ここに集められている一人一人が、それぞれに、藤澤一清さんとの、大切な時間、交わりを、それぞれに、神様からいただいてきました。

時間の長さ、短さを越えて、ここにお集まりのすべての方が、

藤澤さんと、共に語り、共に喜び、共に悲しみ、共に分かち合う時を、主からいただいてきました。

ですから、今日、わたしたちは、この神さまがくださった、藤澤一清さんとの出会いと交わりの、すべてに心からの感謝を捧げたいのです。

プログラムに記載されている、故人略歴をご覧いただければ、藤澤一清さんが歩まれた82年間の人生の歩みの中心には、いつも「教会」があったことが、お分かりいただけると思います。

藤澤さんは、牧師の子として「教会」で育ち、そして、ご自身も、やがて牧師となられ、

「東熊本」「岐阜」「川越」そして、この「花小金井キリスト教会」の牧師をつとめられ、2007年に牧師を引退したあとも、花小金井キリスト教会の信徒として、常に「教会」とともに、藤澤一清さんは歩んでこられました。

1991年から2004年までは、花小金井キリスト教会の牧師とともに、日本バプテスト連盟の「宣教部主事」「教会音楽担当」という立場で、「新生讃美歌」の編集責任を担われ、

10年前に、花小金井教会の牧師を引退してからは、東京バプテスト神学校で教えられたり、連盟の「憲法アクション」の責任も、藤澤さんは担っておられました。

そのような、幅広いお働きに関しては、弔辞のなかで、お話がうかがえることと思います。

ですから、わたしは、藤澤一清さんが、その人生の最後の時を、花小金井教会員として過ごし、

ご家族を愛し、教会を愛し、地域を愛した、その藤澤さんのことを、

神は、主イエスを与えるほどに、愛しておられた・・

このひとつのことだけを、お伝えする。これが、わたくしが、ここに立たされている勤めです。

2月19日(月)。まだ藤澤一清さんがお話ができる状態のとき、鈴子さんとともに、告別式の準備をいたしました。

これは、指示ではなくて、お願いだから、そのつもりできいてくださいと、いわれて、

まず、元牧師ということに関係なく、一個人の葬儀として、行ってほしいということ。

そして、わたしの牧師は、藤井牧師だから、藤井に説教をしてほしいということ。

そして、自分は本当に教会の皆さんの忍耐によって、牧師として立ちつづけられたことを、心から感謝していますということ。

そしてメッセージでは、ヨハネの福音書の3章16節のみ言葉から、語っていただけたら、嬉しいということを、伺いました。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。

独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」

このヨハネ3章16節のみ言葉。

あまりに有名で、よく知られているがゆえに、ともすると、慣れてしまい、聞き流してしまいやすい、み言葉であるかもしれません。

しかし、藤澤さんはそのとき、神学者のバルトの話をなさり、彼もその壮大な神学において、いいたかったことは、

神様はわたしを愛している。「主我を愛す」だったんだよ。

そして、わたしもそうなんだと、いわれました。

わたしは神に愛されている。本当に、愛されている。

このひとつのことを、82年の人生の最後に、藤澤一清さんは、みなさんに伝えたい。心から「証」したい。証言したいと、このヨハネの3章16節のみ言葉を、わたしに託されたのです。

 去年の9月25日、藤澤一清さんは、大腸に癌が見つかり入院、そして手術となりましたとき、担当の主治医の先生に、「わたしの命はどれくらいあるのですか」と聞きました。

その時はあと8ヶ月と言われました。

その宣告によって、残された命の時間を、本当に大切に生きたいと、強く願われた藤澤さん。

私と何度かやりとりをさせていただき、実は3回の予定で、藤澤さんの話を聞く会を予定したのですが、

実際には、11月29日の夜、1回しか実現できませんでしたが、

その時は、「イエスと私」というテーマで二時間ほど、語ってくださいました。

そのなかに、こういう言葉がありました。

10年前、牧師をやめたとき、わたしの祈りは変わったのですと。

それまでは教会のことをまず祈っていました。しかし牧師をやめてからは、家族のことをまず祈るように、自然になったのですと、いわれました。

さらに、今回病気になって、また祈りが変わりました。

「神様、今日も命を与えてくださってありがとう」という祈りに変わったのですと、いわれました。

はじめて、自分のことを祈りました。自分の命を感謝したと、そういわれました。自然に、そうなりましたと、といわれました。

何十年も、教会の牧師として生きてこられた藤澤さん。

キリスト教の様々な概念、神学があっても、今、病気になってあらためて、私にとって一番大切なことは、何なのか、ということに、真剣に向き合われたのです。

そして、私のなかで、今まで、いろいろな服を着てきたけれども、病気になって、自分のなかで着ていた服を脱がされたとき、その深い、深いところにあったのは、なんなのかと、

そのことを、考えていたとき、思ったのです。

「私は教会に生まれ、教会で育っち、父が牧師の家庭に育った、

母が歌っていた子守歌は、いつも「主我を愛す」であったことを。

このわたしを、イエスさまが愛してくださっているという、この短く、しかし意味のある言葉が、

今、自分の服をみんな脱ぎ捨ててみたら、それしかなかった。自分の中には、イエスさましかない。

もう、理屈も説明もいらない。わたしには、イエスさましかいないんですと、その夜、語られた言葉を、そこにいた人々は、きっと忘れることはないでしょう。

また、手術を受ける直前、麻酔の注射をうたれながら、出て来た言葉は、「イエスさま、一緒にいてね」という言葉でしたとも、証してくださいました。

ヨハネ3章16節

「神は その独り子をお与えになったほどに 世を愛された」

この世とは、わたしのこと。

この短いみ言葉のなかに込められている、深い、深い意味を、

藤澤一清さんは、82年のご自分の人生の、総括として、

このみ言葉が、わたしのすべてですと、わたしのなかには、この神の愛だけ。主イエスしかいないのですと、証なさった、このことを、

今日、ここにお集まりの皆さんに、お伝えさえできたなら、

そして、わたしたちもまた、それぞれに、神に愛されていることに、

もう一度立ち帰り、神に感謝を捧げることさえ出来たなら、わたしに託された責任は果たせたと思います。

最後に、かつてこの花小金井キリスト教会は、牧師が辞任し、教会が割れてしまうという、深い深い傷を負った時期があったとき、

もはや、神に愛されているという、み言葉さえ、空しく響いてしまうほどの、深い心の痛みに、教会が呻いていた、その時に、

花小金井教会の牧師として立ってくださって、パートナーの鈴子さんとともに、

痛み悲しむ、教会員の一人一人を慰め、愛し、祈り、支えてくださって、

この花小金井教会が、もう一度、この「ヨハネ3章16節」のみ言葉を信じる群れとして、

神に愛されている群れであることを、信じて、立ち上がっていった、そのときに、

牧師として、み言葉を語りつづけてくださった、その深い愛と慰めの、業を、

わたしたち花小金井キリスト教会は、決して忘れることはないでしょう。

家族を、教会を、どのような人をも大切に愛された、

藤澤一清さんの、その心の深い土台に、

ヨハネ3章16節のみ言葉がいつもありました。

そして、このみ言葉が生きて働き、

その人生のすべてを貫いて、永遠の命に至る、愛の実りをもたらしてくださった

主なる神に、心からの賛美と感謝を捧げます。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。

独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」


このあと歌う、新生讃美歌363番「キリスト教会の主よ」は、藤澤一清さんが、花小金井教会の一人一人を思いつつ、訳詞をなさった曲だと、ご本人から聞いています。

教会を愛し、教会の主は、教会を愛しておられる、キリストご自身であるということに、

常にこだわっておられた藤澤さん。

一昨年の花小金井キリスト教会のクリスマス礼拝の日。その日はバプテスマ式が予定されていました。

ところが、牧師のわたしはインフルエンザにかかってしまい、礼拝に出られなくなったのです。

メッセージは代読していただくことにしましたが、バプテスマ式は、そういうわけにはいきません。だれかに、代わりにやっていただかなければならない、という状況に立ち至り、

藤澤一清さんに無理を言って、バプテスマ式の執行をお願いしたのでした。

急なお願いにも関わらず、淡々と引き受けて下さった藤澤さんは、

そのバプテスマ式において、こういう言葉で、バプテスマを授けられたのです。

「父と、子と、聖霊の御名によって、教会があなたにバプテスマを授けます」と

牧師だからでも、元牧師だからでもないのだと。

人間が人間を救うことなどできない。

そうではなく教会が、あなたにバプテスマを授けるのですと、そう宣言して、藤澤さんはバプテスマを授けられました。

あなたを愛しておられるお方は、教会の主なのだから。

この徹底して、教会にこだわり、教会を愛し、教会を問い、教会に仕えて生きた、藤澤さんの心のそこには、ヨハネ3章16節のみ言葉が、いつも響いていた。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。

独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」

今日、わたしたちは、このヨハネ3章16節が告げている、

独り子を信じる者は、一人も滅びることなく、永遠の命を得るという約束を信じ、

このただ、一つのことを、まっすぐに信じ、信頼して、

藤澤一清さんを、教会の主、イエスキリストに委ねます。

そして共に、わたしたちを愛しておられる、神を、崇めたいのです。

2018-02-28

裁量労働制と牧師

働き方法案のなかの

裁量労働制」が今、話題になっているけど、

裁量労働制とは、

実労働時間に拘らず

労働時間を一定時間とみなして計算する労働時間制度

ということなら、

牧師って「裁量労働制」の最先端職種だよね。

これって、

自分の時間をお金のために切り売りするよりも、

自分にとって価値あること、やりたいことのために

時間を使いたい、という考えの人なら向くかもね。

2018-02-23

サーバントリーダーシップ

現代は、あの東芝が巨額損失問題のために東証二部に降格する、激動の時代。

変化の激しい今、企業でもリーダーシップのあり方が問われています。

もうどの会社も、ひとりのカリスマ的リーダーに、みんながいくという古いスタイルでは、この激動の時代を乗り越えていけないでしょう。

これからの時代のリーダーシップは、「サーバントリーダーシップ」です。

サーバントとは「召使い」という意味です。「サーバントリーダーシップ」とはつまり「人に仕えるリーダーのあり方」です。

企業に当てはめるなら、上司のために部下がいるのではなく、部下を支えるために上司が存在するというあり方です。

部下も上司も、一人一人が自分の領域において、自由に活き活きのびのびと、活躍するために、仕え合うリーダーシップです。

同じ目標、ビジョンに向かって、一人一人が自主的に、主体的に、能動的に活動できるように、リーダーは部下に仕えサポートする。それが「サーバントリーダーシップ」です。

全員がお互いに対して、この「サーバントリーダー」の意識を持つ組織は、みんなが主体的に活き活きと活動できるので、たとえトップがいなくても組織はびくともしません。


今までのカリスマトップをたてた中央集権型組織から、「サーバント(召使)リーダーシップ」による、権限分散型の組織へと、どの組織も変革していくでしょう。そうしなければ、変化に対応できず衰退してしまうからです。

さて実は、この「サーバント(召使)リーダーシップ」とは、最近の発明でも、流行でもなく、

まさに、弟子たちに対する「主イエスのリーダーシップ」そのものでした。

「あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、 いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。

人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」(マルコ10:43-45)


主イエスは十字架に向かうその道で、弟子たちの足を洗われました。「召使のリーダーシップ」とはまさに、やがて弟子たちが活き活きと生きていくようにと、その足を洗う主イエスの姿そのものだったのです。

この激動の時代にもとめられている、互いに仕え合う「サーバントリーダーシップ」の姿を、本家本元の教会から、お互いに仕え合う姿を通して、証していけますように。

2018-02-22

どのようなときにも感謝しましょう

どのようなときも「神に感謝」しましょう、というと、

そんなことは難しい、できない、とよく言われます。

そして、極端にひどい事例を引き合いに出して

「こんなときにも感謝なんてできますか」といいます。

しかしそれは「感謝」と「感情」を混同しているのです。

「神への感謝」は、自分の感情が、嬉しいときにするものであって、

悲しい感情の時に「神への感謝」はできないと、考えているのです。

しかし「感情」と「神への感謝」は、別物です。

感謝できない、のではなく、

感謝しない、したくない感情に支配されているだけのことです。

感謝とは、感情ではなく、心が向かっていく方向性のことなので、

感謝する人は、ますます感謝できるようになり、

感謝しない人は、ますます感謝できなくなります。

感謝とは、ある意味において、心の訓練なのです。

だから、幼児性の強い人ほど、感謝より愚痴が出るわけです。

感謝が少なければ、不満というゴミを心にためることにもなり、

自分も周りも、ストレスまみれになって、

苦しまなければなりません。

だから、感情を越えて、

どのようなときにも「神に感謝」する癖をつけること。

これは、幸いなことなのです。

2018-02-21

shuichifujii2018-02-21

フィリップヤンシー氏講演

沢山の著書があるクリスチャンジャーナリストのフィリップヤンシーさんの講演が、

2月20日(火)お茶の水クリスチャンセンターチャペルで行われました。

私が記録した、講演のメモをシェアします。

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2018-02-18

2018-02-13

人に対して、わかってほしいと願う人ほど不幸になります

http://xn--w8jzd3c601rm66a.com/archives/593


心の病に安易に薬を飲んではいけない

http://xn--w8jzd3c601rm66a.com/archives/588


奇跡を体験する祈りとは

http://xn--w8jzd3c601rm66a.com/archives/599

2018-02-06

「霊と肉を見分ける」

自分がしていることや、教会がしていることが、

聖霊に導かれている働きなのか、

肉に導かれている働きなのかを

みわけることは大切なのです。

聖霊の働きの方向性は、イエスキリストを証しすることで、

イエスを真ん中にして、人と人とが愛によって繋がれていきます。

一方、肉の働きの方向性は、自分自身のプライドを強めていくことになるので、

プライド高い人と人とが、小さなことで衝突し、争い、分裂していくことになるからです。


自分がしていることや、教会がしていることが、

聖霊に導かれてやっているのか、

肉に導かれているやっているのかは、

どのような「実り」を結んでいるかによって、

やがて明らかになります。

一見、良い行いや、愛の行為にみえて、

やればやるほど、言えばいうほど、

イライラしたり、関係が悪くなったり、

自分は正しいと、プライドが高くなっていくようなら、

それは肉に導かれてしまっているのであり、

その末路は、残念なことになるでしょう。

聖霊に導かれるならば、

やればやるほど、言えば言うほど

自分は小さくなっていき、

イエスキリストこそが、大きくあらわされていくのです。


●使徒パウロの言葉

「肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。・・・・・

しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。

キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。」(ガラテヤ5:19-24)

2018-02-05

「ピンチはチャンス」

1年半ほど前に、教会の月報の巻頭言に書いた原稿の一部です。


 2050年の日本の教会についてイメージしたことがありますか。

日本の人口減少はある程度予測可能で、労働者は現在の6426万人から4228万人に減るのだそうです。

日本の市場も経済も3分の2になります。

右肩上がりの経済成長の時代はもうこないでしょう。

戦後の経済成長の時代に建てられた多くの教会は、経済の成長とともに教会も成長し、

経済の停滞と共に教会の活動も停滞、そして衰退しているように見えます。

そのようななかで、今後、右肩上がりの時代に形成された、教会活動、伝道方策、組織論などが問い直され、

より一人ひとりが大切にされ、互いに支え合う共同体という、教会の本質へと向かっていくように思っています。

どのような立場であろうと、互いの尊厳を認めあい、

共に悲しみ、共に喜ぶ仲間となり、繋がりあっていく方向へ、

さらに日本の教会は向かっていくことになると思っています。

 具体的なイメージでいうなら、今までの参加者の人数を数えては一喜一憂するような、集会中心、イベント中心の教会のありようから、

人と人とのパーソナルな繋がり中心、絆中心の共同体形成へ向かっていく、ということです。

 昔の日本には、20万人のキリスタンがいたと言われます。

そのとき神父の数は40人。5000人に1人の神父だったのだそうです。

それでも信徒の信仰が保たれていた背景には、互いに助け合う「コンフラリア」という信徒のネットワークがあったからでした。

その助け合いの共同体のなかで、聖書の教理も学ばれていたようです。

まさに、わたしたちバプテストが大切にしてきた、相互牧会の姿です。

 信徒しかいないので、信仰が維持できないということはありません。

どの時代にあっても、困難な時代ほど、信徒同士が互いに聖書を学びあい、祈り会い、支え合うことで、信仰共同体は守られてきました。

右肩上がりの時代には、牧師も旗振り役のようなリーダーシップが求められましたが、

これからの時代は、教会の本質に立ち返り、信徒の信仰共同体を支えるサポーターとしてのリーダーシップへと、ますます移行していくでしょう。

 そういう意味で、これからの日本の教会は、大きなチャンスを主から与えられたのだと思っています。

経済成長と共に、自分だけの祝福を求めてつどう、バラバラな個人の集いから、

互いの弱さを支え合い共に生きようとする共同体へ。

現代ますます家族や地域という支え合う共同体が弱まるなかで、

信仰共同体のもつ繋がりの強さ、互いに支え合い祈りあえる仲間の価値。

ここに「神の国」の希望が見えることを証していく、新しいチャンスを迎えています。

いつでも、ピンチはチャンスです。

ルカによる福音書12:32

「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」

2018-02-04

「恐れず語り続けよ」(2018年2月4日花小金井キリスト教会主日礼拝メッセージ)


使徒言行録18:1-11

今朝は、少し寒さが緩んだでしょうか。金曜日に降った雪も、だいぶ溶けて少なくなりました。

あらためて考えてみると、「雪かき」という労働は、報われない働きですね。

重い雪を運び続けても、結局みんな溶けてなくなってしまうわけですから。

そういう意味で、雪国のかたは、本当にご苦労だと思います。

わたしも山形にいたとき、冬に東京に出張でやってくると、思ったものです。

「東京はいいな。空は青いし、雪かきのような、無駄な苦労を、しなくていいのだから」と、内心思ったものです。

もし、雪国の人と、冬に東京で会うようなことがありましたら、おそらくその方は内心で、「いいなぁ、東京は」と思っていますから、ぜひ、「雪国は雪かきが大変ですね」と、ねぎらってあげてくださいね。

でも、今、わたしは思うのです。

確かに、目の前のことだけを見れば、無益に思えた働きも、神の目には、決してそんなことはないのだと。

あんなに苦労して運んだ雪が、春には溶けて、結局、なにも残らなかったように思っていた、その雪が、

実は、溶けて大地を潤し、やがて、豊かに豊かに、地面から新しい命を、農作物を実らせることになるのです。

山形にいたとき、地元に人から、「雪が沢山降った年ほど、豊作になる。雪が降らない年はだめなんだ」と教えてもらいました。

天地を造られた神さまは、決して無駄なことはなさいません。

それは「伝道」「福音を伝える」という働きも、まさにそうです。

「十字架に死んだイエスは、復活し、あなたを救うメシア、キリストとなったのです。このイエスを信じ、罪の束縛から救われましょう。」


この福音を、あらゆる形で伝えつづけてきたのに、なにも変わらない、そんなむなしさを感じることもあるでしょう。

むしろ、福音を語ったことで、偏見を持たれたり、距離を置かれたり、そんなこともあるかもしれません。

最初の教会の伝道の様子が記されている、使徒言行録を、わたしたちは読み進んでいますが、

最初のクリスチャンたちは、主イエスの復活を語ることで、ユダヤ人から罵られ、迫害さえされたのです。

目の前のことだけをみるならば、伝道という働きほど、報われない働きはありません。

むしろ、こんなことになるなら、やめておけばよかったという、辛いことが多い働きです。

しかし、目の前のことだけを見るなら、そう見える「伝道」という働きを、

しかし、あきらめることなく、やり続けた教会は、

やがて、エルサレムの小さな群れから、いつのまにか世界中へと広がり、

今、2000年の時を越えて、この花小金井教会を誕生させたのです。

そして、わたしたちも次の世代に向けて、福音を伝え続けます。

雪解け水が、やがて沢山の豊かな命を生み出していくように、

神の命の水、聖霊は、今もわたしたちの中で、豊かに働いておられます。

さて、一番最初の教会で、聖霊に動かされた人々の物語。

使徒言行録を、今日も、読み進めていきましょう。

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2018-02-03

「なぜ怖がるの」(2018年1月28日花小金井キリスト教会夕礼拝メッセージ)

マルコ4章35節〜41節

人生には三つの坂があるという言葉を、ご存知ですか。

一つ目は、上り坂。まあ、若い時のことですね。

そして二つ目は、下り坂。年を重ねて、だんだんできることが少なくなっていくことでしょうね。

そして三つ目は、なんでしょう。

「まさか」です。


ある日突然、その「まさか」が起こる。それが、この地上で生きている、わたしたちの現実ですね。

違う言い方をすれば、人間は、ほんの少し先の未来も、分からないということです。

信仰的な言い方をすれば、神さまによって、未来は隠されている、と言えるでしょう。

明日なにがあるかわからないから、「不安だ」というよりも、

むしろ、明日なにがあるかが分かってしまう方が、辛いかもしれない。

明日、いやなことがあるとわかったら、もう、今日から辛くなってしまうでしょう。

なので、人間は、明日のこと、1分先のことさえわからないのは、

神さまの憐れみだと思います。

明日どうなっているか、10年後、どうなっているかなど、わからないし、わからなくていいということです。

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2018-01-31

shuichifujii2018-01-31

もう一つのブログ「生きる喜び」

このブログはもう10年以上も書きづつけていますけれど、

この「はてなダイアリー」は基本的に日記ブログなんですね。

日記ブログではできることに限界があるので、独自にブログを立ち上げました。

生きる喜び.com


です。

これから記事を加えて成長させていきます。

メールマガジンも始めています。

新しいブログのページから登録できますので、よかったらどうそ。

今後ともよろしくお願いします。

月食

美しいですね

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2018-01-29

「働き方」の法律を作るより、経営者のマインドセットを変えないとね

通常国会で審議され、政府は5月に成立させたいとねがっている「働き方」関連法案

そのポイントは、

■残業時間上限規制

・残業時間の上限を720時間、2〜6ヶ月平均で80時間以下、単月で100時間未満とする。罰則も。

■「残業代ゼロ制度」創設

・年収1075万円以下の金融ディーラーや研究開発などの専門職を労働時間規制から外し、残業代や深夜休日の追加賃金を支払わない

同一労働同一賃金

非正規の待遇改善を図る「同一労働同一賃金」を推進し、給与や賞与などで正社員との不合理な相違をなくす



さてそもそも、月に100時間では、過労死ラインを超えている、という批判もありますし、

残業しないと生活できない低賃金がなんとなならなければ、結局残業はなくならないだろうし、

「残業代ゼロ制度」は、むしろ長時間労働への道を開いているし、

同一労働同一賃金」という一見平等に思える言い方も、

本当にそれを実現するためには、「正規雇用労働者の給与切り下げも視野に入れた給与制度の見直し」もセットで考えなければ無理だということになれば、

結局は、正社員を非正規社員のレベルに下げる「方便」だったのね、ということにもなりかねないし、



さてわたしは、そもそも国がこういうことを言い出す前に、

経営者の考え方、マインドセットこそが、重要だとおもうのです。

社員を、人として尊重するとき、奴隷のように酷使などできないでしょう。

社員に対する愛が冷えれば、企業の生み出すものの質や価値も落ちこみ、業績が下がって、人への愛がさらに冷える。

このネガティブスパイラルを引き起こすのも、とめるのも、

経営者の「考え方」マインドセットが非常に重要だとおもうのです。

2018-01-26

「新しい入れ物へ」

わたしは昨年度はバプテスト連盟の総会議長、連盟の音楽専門委員、東京連合の副会長、東京バプテスト神学校の理事など、教会と教会が協力して福音宣教を行っていけるように繋いでいく働きの幾つかに関わらせていただきました。

そのような関わりを通して様々な情報を耳にします。

今、多くの教会の現場において、これまでの活動、組織、やり方などを、変えていかなければならない状況に立ち至っていながら、

実際にはなかなか変えられない葛藤を感じているような印象を受けています。


教会において組織や活動は、いわば「福音」という中身を運ぶための「入れ物」です。

「福音」という中身は変えてはいけませんが、「入れ物」は時と場所によっていくらでも変えていいものです。

むしろ料理によって「器」を変えるように、「入れ物」は時代とともに柔軟に変えていかなければなりません。

それは使徒パウロが

「ユダヤ人に対してはユダヤ人のようになりました。・・・弱い人に対しては弱い人のようになりました。・・・すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです」(1コリント9:20-)

と語ったことにも通じます。

「入れ物」は文化、時代、出会う人々によって入れ替え可能です。

いくら中身が素晴らしくても、「入れ物」が古いままでは骨董品だと思われてしまいます。


もし、若い世代の人々が、教会に魅力を感じないとすれば、それは「福音」という中身に触れる前に、教会の組織、活動という「入れ物」が、骨董品に見えてしまっているからかもしれません。

今の時代、これからの時代にみあう「入れ物」へと変わっていくために、もう一歩一歩新たなチャレンジをしていけますように。

「だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。

もしそんなことをしたら、新しいぶどう酒は皮袋をはり裂き、 そしてぶどう酒は流れ出るし、皮袋もむだになるであろう。

新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。

まただれも、古い酒を飲んでから、新しいのをほしがりはしない。

『古いのが良い』と考えているからである」

ルカによる福音書5章37節〜39節)

2018-01-24

雪かきしてくださって、感謝です

22日の月曜日から、浦和に泊まりの出張でした。

ちょうどその月曜日の午後から、どんどん雪が降りはじめて、あれよあれよという間に積もってしまったわけです。

「ああ、教会の前の道を雪かきしないと、そのまま凍結してしまって、大変なことになるな」と思いながらも、帰るわけにもいかずに水曜日まで浦和にいて、水曜日の午後に教会に戻ってみると、

教会の前の道も、入り口も、駐車場も、きれいに雪かきがされているではないですか。

月曜日の夜には妻や子どもたち。そして火曜日の午後には、教会の方々がやってきて、雪かきをしてくださったのでした。

感謝感激です。

確か2年前の冬にも雪が降り、その時は雪かきが遅れてしまって凍結させてしまったのですが、そのまましばらく教会の前の道だけが凍結していて、近所の方々に迷惑をかけてしまったことがあるのですね。

匿名で電話をいただいたこともありました。「教会はいいことを言っているけれども、なぜ、教会の前の道をあんな状態にしておくのか」という苦情でした。

そういうこともあって、次に雪が降ったらちゃんと雪かきをしようと思っていたところ、ちょうど雪が降る日に出張が入ってしまったわけでした。

そういうこともあって、教会の雪かきをしてくださったことに、「感謝感激」だったのです。

花小金井教会は、いい教会ですね。

2018-01-18

頑張らなくてもいい と言ってあげること

今日の東京新聞の一面は「過労自殺認め和解」という記事

ホンダの子会社「ホンダカーズ千葉」の店長がうつ病になって自殺したことにともない、

遺族が損害賠償の訴訟を起こしていたのですが、17日に千葉地裁にて和解が成立。

同社が自殺の原因は過労と認めて謝罪し、解決金を支払うことになったわけです。

過労死が認められ、謝罪と解決金が支払われることは、まずもって遺族にとって良かったと思いますし、

今後このようなことが起こらないように、すべての企業に対する注意喚起という点でも

意味ある和解だと思います。

企業の業績が落ち込む一方で、「働き方改革」というスローガンのもとに残業を減らさないといけなくなり、

その結果、中間管理職が部下の仕事を背負い込む形で、しわ寄せがいく構造になっているのでしょう。

ご主人を亡くされた、訴訟を起こされた奥さんは、この和解を受けて

「家族を亡くした身としては、働く人たちには、自分で抱えきれない負担までは頑張らないでほしい」と語っています。


今、あなたの心にいっぱいになってしまっている、そのことは

命を捨てさせるほどに、「頑張らなければならない」ことじゃないですよ。

他にも道がありますよ。

頑張らなくても、いいんですよ。

そんな言葉ひとつで救われる人が、沢山おられるように思うのです。

2018-01-14

「生ける神に立ち返る」(花小金井キリスト教会2018年1月14日主日礼拝メッセージ)

使徒言行録14章8節〜18節

寒い日が続いていますね。体調が優れずに、この場に来られないかたも覚えています。

一回一回の礼拝が、当たり前ではない神様の恵みの時。そう信じて、感謝しつつこの時間を過ごしたいと思います。

さて先週から、再び使徒言行録を礼拝で読み始めています。

飛び飛びにはなりますけれども、3月まで、この使徒言行録から、メッセージを聞き取っていきたいと願っています。

主イエスが十字架につけられ、三日目に復活なさった。

この主イエスこそ、メシア、キリストです。

この方を信じて、あなたも救われよう。

そう語り始めた、イエス様の弟子たち。

イエス様が十字架につけられた時には、逃げ去っていた弟子たちが、まるで人が変わったように、逃げも隠れもしないで、福音を語り伝えた、その様子が記されている使徒言行録。

弟子たちを導く、聖霊の活き活きとした働きを感じさせられる、この使徒言行録。

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2018-01-11

自分のことがきらいだから

利己的な人は、実は自分のことを嫌っています。

自分を「だめな人間」と思い込んでいるので、

その自己嫌悪を紛らわせ、自分の価値を確認するために、

自分の利益に頑なに固執し、

誰かが自分に損をさせたりすると、

まるで自分の価値が否定されたように感じて憤慨する。

それが利己的な人の行動パターンです。

反対に、実は利他主義者も、自分のことが嫌いなのです。

だれかに何かをしてあげることで、「だめな自分」ではないことを、認めたいという動機があるからです。

利己主義、利他主義の呪縛から解放されるには、

「そのままの自分を、好きになる」しかありません。

2018-01-10

また

8日の午後4時45分頃、沖縄米軍ヘリが不時着という東京新聞の記事

去年暮れからの米軍ヘリからの落下物、6日のへり不時着から立て続けに続いている。

これが私が居住するそばの横田基地周辺で起こった事故だったら、もっと大きな問題としてマスコミは取り上げられるのだろう。

それにしても、この不祥事の多さに、

海兵隊というものの中身、レベルが現れていると言える。