教会の礼拝から人が減っているとよく聞くけれども
自分がなぜ日曜日に礼拝に行かなければならないのか、
その理由と必要を、わかりやすく伝えなければ
人は礼拝をするために時間をつかわないよね。
日曜日に家で寝ているより
家族で出かけるより
好きな趣味をするよりも
礼拝にいくことの
あなたにとっての「価値」を
伝える言葉を持っていますか
というチャレンジなんじゃないかな。
たとえば、借金で首が回らなくなったら
礼拝にいくより、
とりあえず、お金を貸してくれる人を探すでしょう。
人間関係のストレスで鬱になったら
礼拝にいくより、
カウンセラーのところに行くでしょう
礼拝も、祈りも
今、目の前の問題を解決するには
役立たない。ゆえに価値がないと感じるでしょう。
でも、たとえお金を借りて、目の前の問題を解決しても
カウンセラーに話を聞いてもらって、ちょっと気持ちが楽になっても
「根本的」なことが変わらないと、やがてまた同じことを繰り返すでしょう
礼拝とは、その「根本的」なことに関わること。
なんど対処療法をしても、結局だめなんだ、と気づいたら
「短期」ではなく「長期」の
「目先」ではなく「本質的」な
価値と命の源泉である
礼拝へどうぞ