言説論的転回と子安思想史

子安宣邦は、従来の江戸思想史研究とは区別して、自らを「言説論的転回」*1に位置づける。それは「言説(事件=出来事)」という方法論的視座を有することによる。やや長くなるが、子安が荻生徂徠本居宣長に即して「言説(事件=出来事)」として分析する必要性を説く点を最初に確認しておこう。

ある学問・思想上の表明を事件・出来事としてとらえるということは、その表明をあるときある事柄について言い出されたこと、すなわち言説(ディスコース)としてとらえることを意味している。だから、「事件」としての徂徠学という私のアプローチは、徂徠の発言が十八世紀の思想空間においてもつ事件性を明らかにしようとするものであるが、そのことは同時に、そうした徂徠の学問・思想上の発言を「言説」ととらえる観点から、その「言説」としての意味を問おうとするものであるのだ。(中略)徂徠の言説は、まさに新たに言い出されたことの事件性において、あるいはその言い出されたことが言説空間にもたらす同調や抵抗の波動のうちに、それがもたらす特異な波紋を見分けることで、またすでにある言説がそれを差異化する局面の精査によって、その意味が問われていることになるだろう*2

「事件」としての『古事記伝』とは、何よりも『古事記』がこのように読まれるものとして人々の眼前に登場したということである。私が本書でとっているのは、「言説(ディスコース)」の視点からする『古事記伝』へのアプローチである。それは『古事記』注釈の言説として何が新たにいいだされたかという視点から見ることである。そのことは既成の言説と差異する局面により注意を注ぐことでもあるだろう*3

「言説(事件=出来事)」として分析するとは、既成の言説と比較した際に、新たな言説における特異性に注目をするということである。「既成の経済学体系は、ありふれた商品を奇怪なものとしてみる眼によって破られた」*4という柄谷行人によるマルクス分析とも近似する、子安を中心とした江戸思想史研究における方法論的批判(子安思想史)が提唱されてから久しい。だが、子安思想史にまともに向き合ってきた論考が、果たしていくつあるのか*5。後述するように、無論批判はあるのだが、それが真正面からの批判たりえているのか、私には疑問である。子安思想史は現在進行形であるが、子安思想史を、あるいはその言説論を十分に探究されているとは言えない。本稿は、その自問に自答を与えることを眼目としている。それは、私が狭義の専門としている前期水戸学研究の方法論再考にもつながる。

*1:子安宣邦本居宣長』(岩波書店、二〇〇一年、初刊は一九九二年)、二三三頁。なお、「言説論的転回」の記載は、「岩波現代文庫版あとがき」(二〇〇一年)にある。

*2:子安宣邦「「事件」としての徂徠学への方法」(『「事件」としの徂徠学』筑摩書房、二〇〇〇年、初出は一九八九年)、一〇〜一六頁。

*3:子安前掲『本居宣長』、九〜一〇頁。

*4:柄谷行人マルクスその可能性の中心」(『マルクスその可能性の中心』講談社、一九九〇年、初出は『群像』一九七四年三月号〜八月号)、一五頁。

*5:二〇一九年六月一日追記。緒形康「生成と考古学―子安宣邦『「事件」としての徂徠学』を読む―」(『愛知大学法学部法経論集』第一二四号、愛知大学法学会 、一九九〇年)が、唯一の理論的な批判なのではないか。