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Shunsuke Tamura 田村俊介 写真やってます。 |
2011-08-05 写真作品にあるべき本当の価値
「作品とエネルギー量」の記事では、見た目そっくりなら写真よりも油絵の方がより心を動かすと書きました。
これは、「油絵>写真」ということでしょうか?
絵と写真の違いとは何でしょう?
絵は、自分の中から出すもの。つまりはアウトプットです。
写実的な絵であっても、いったん自分が見て、脳で処理したものをアウトプットしているわけです。
逆に写真は、自分の外から抽出するもの。インプットとでも言いましょうか。
ちょっと違うけどいいや。テイクアウト?ピックアップか?
自分のイメージしたそのままに写真で表現しようとしても、それは限界があります。
自分の意思以外の影響が大きすぎるからです。
その日の天気、光の具合、被写体の表情、通りすがりのおっさん、、、
これらは、自分の意思でコントロールするのは難しいです。
絵なら、それらは自分で決めて描きます。というか決めなきゃ描けません。
コントロールしきれないのが写真。
そしてそれこそが、写真の持つ大きな魅力です。
ひとことで言うと、「偶然性」ですね。
この偶然性というのはとても魅力的なものです。
見る人の予想を裏切る結果が現れる可能性が高まるのです。
期待とのギャップこそが、見る人のこころを動かす大事なポイントでもあります。
なので、アウトプットでも、自動筆記とか偶然性を取り入れようという方法もあります。
ロールシャッハとか面白いですよね。
頭の中のアイデアを写真にしようとするあまり、「偶然性」を犠牲にしてしまう人もいます。
するとどうなるか。
「え?広告写真かと思った。」
「これが絵だったら面白いかもね。」
となります。
偶然性をそがれた写真作品は、絵を描くのがめんどくさいから、簡単だからという理由で写真という技法を用いられたように見えてしまうのです。
実際、写真学校へ進学するひとたちの6割くらいは、
「芸術っぽいことしたいけど、絵とか描けないし。写真ならシャッター押せば撮れるからなんとかなるんじゃね?」
という理由で写真を選択しているとにらんでいます。
というか僕がまさにそれでした。
美大の入試ってデッサンあるの?ムリムリムリ、、、
仕事で写真を撮る場合は、この写真の大きな魅力であるはずの「偶然性」は求められません。
というか排除されます。出来レースです。やらせです。
作品制作にかけるエネルギー量を確保するために必用な時間を確保するために
ニートになれず、フリーターも嫌な人の多くは、「カメラマン」を選ぶ人が多いです。
バイトよりも効率がいいだろうし、就職するより自由な時間が多いのは確かです。
そして仕事で求められるのは「偶然性」を排除した写真。
必然的に自分の作品からも偶然性が漏れ出して、心の動かない作品の誕生となってしまうことも。
偶然を意識する。期待を裏切る。というのが今回のキーワードでした。
2011-08-04 「うめめ」に見る、スナップショットのエネルギー量
まだ昨日のブログ記事「作品とエネルギー量」を読んでない人は読んでからの方がいいかも。
めんどい人のために一言でまとめちゃうと、「手間暇をかけた作品の方がいいよね。」ってことです。
「うんうんまったくそのとりだよきみ!」と思った人はあんまりいないでしょう。
「パシャっと撮ったスナップショットでも良い作品ってあるよね?」
「マルセル・デュシャンのレディメイドって評価されてるんじゃ無いの?」
(レディメイドとは既製品の便器にサインしてこれが作品ですって言ったりすること)
この二つの疑問が頭に浮かんだ人は、僕と気が合います。
今回の記事では、スナップショットのエネルギー量について書いてみます。
(レディメイドについては気が向いたら次回にでも。)
スナップショットで素晴らしい作品と言えば、梅佳代の「うめめ」ではないでしょうか。
いわずと知れた木村伊兵衛写真賞作品です。
※以下、あえてほとんど調べずに書きます。ので、間違ってたら誰か教えて下さい!
うめめは、日常の中の思わず笑ってしまうような一瞬を集めた写真集です。
写真撮りがこの写真集を見るとわかります。
「そうとう撮影に時間がかかっていること」そして「カメラを常に撮れる状態でスタンバイしていること」が。
一年中カメラを首からぶら下げて、「うめめ」に載せられるレベルの写真が撮れるのはせいぜい年に数枚でしょう。
実際、写真展のときに写真に入ってる日付をみたらそんな感じだったのを覚えています。
ここで、「作品とエネルギー量」について考えると、、、
もう分かりますね。
スナップショットを撮るのは確かに手軽だけど、数枚をものにするためにまるまる一年つぎ込んでいるんです。
週末だけカメラを持ってでかける人は、だいたい「8時間×2日×52週=832時間」
一日中カメラをスタンバってる人は、だいたい「16時間×365日=5840時間」
その差約7倍。
作品に込められるエネルギー量にして、7倍の差があることになりますね。
一枚の写真だけ考えるとスナップショットは簡単なようだけど、そうやってエネルギーを込めないと駄作にしかならないってこと。
作品のクオリティはエネルギーとの等価交換なんです。
広告写真や広告カメラマンの写真がつまらないのは、作品にこういったエネルギーの込め方ができないから。
だから別の方法でエネルギーを込めるために、他からコストを持ってくる必用があるんです。
無尽蔵にエネルギーをそそげる学生がとんでもなく有利ということになります。
逆に言うと、無尽蔵に時間エネルギーを使える時期にある程度の作品がつくれなかった場合は、今後もまともな作品はつくれません。
それまでと違う方法でなら、ありえます。
普通は使えるエネルギーと、技術的なレベルとのピークが若干ずれるんですよね。
スポーツの世界とちょっと似てます。
肉体的なピークが落ちてきたころに、精神面、技術面が上がってくる。
ベテランスポーツ選手は、誰もが今の精神状態で若い頃からやり直してみたいと思っているはずです。
こんへんは陸上の400メートルハードラーの為末大選手の言葉が参考になるとおもいます。
http://tamesue.cocolog-nifty.com/samurai/2005/09/9_09d6.html
ただ、写真撮りとスポーツ選手とで決定的に違うのは、肉体的なピーク(使えるエネルギー量)を学生時代そのままに、それ以上に保つウルトラCが使えるということです。
そのままに保つのが「フリーター」それ以上がそう、「ニート」です。
以上のことから、作品のクオリティだけを追い求めるなら、ニートが正解になります。
あれ、なんだこの結論…?
2011-08-03 作品とエネルギー量について
位置エネルギーみたいなエントロピー的な、熱量、仕事量、つまりはカロリーを、あらゆるものは持っています。
簡単に言うと、手間をかければかけるほどそのエネルギーの蓄積は大きくなります。
ようするに、たまごかけご飯より、オムライスの方が仕事量が高い。
それは作品においても同様です。
単純化すれば、作品の善し悪しは心をどのくらい動かされたかで決まります。
物を動かすにはエネルギーが要ります。
作品の持つ位置エネルギーが高ければ、それだけ心を動かす可能性を持っていると言えます。
わかりやすい例を挙げてみます。
2メートル×3メートルの作品が二つ並んでいます。
ある風景を写したもののようですが、ぱっと見まったく同じものに見えます。
でも近づいてよく見ると、ひとつは写真、もうひとつは油絵です。
つまりは、写真と見まごうほどの繊細な油絵。
この場合、写真と油絵とで、どちらがより心を動かすでしょうか?
おそらく油絵でしょう。
それは油絵の方がエネルギーが高いからです。
写真は、パシャリと撮影したら、データを業者に渡してプリントしてもらったものでしょう。
油絵は、おそらく何度も修正を繰り返しながら、何ヶ月もかかって完成したものでしょう。
制作に込められた熱量が違うんです。
作品というより、その物体の持つエネルギーは、作家のみならず制作にかかわったすべての熱量が関係します。
そう考えると、インクジェットプリントよりも銀塩プリントの方がなんかいい気がするのも理解できます。
写真は複製物であるから芸術作品ではないという議論もありました。
それもこのエネルギーを考えるとよくわかります。
複製であるから、同じものがたくさんあるからダメということではないと考えます。
100円ショップで売られるような大量生産された湯飲み。
これは当然、エネルギー、コストがかけられていません。
同じものが大量にあるからではなく、ひとつで考えてもエネルギーが低いんです。
(もちろん大量につくるからコストが下がっているわけですが。)
写真作品においては、流通量を抑えることで作品の価値を高める方法があります。
シリアルナンバー付きのオリジナルプリントというやつです。
これも、数が少ないからいいというわけでは無いですよね。
大量生産された湯飲みを、10個残して全部割ったとしても、その10個の持つエネルギーは変わりません。
(プレミアという値打ちは変わるかもしれませんが。)
作品も、制作量を抑えることで、ひとつにより多く手間をかけられるというわけです。
この作品のもつエネルギーは、当然受け手が感じる物であって
受け手によって感じるエネルギー量も変わってきます。
数ヶ月かけて描いた油絵も、遠くから見てポスターだと思ってる人には
ポスター分のエネルギーしかありません。
つまりは、どのくらいのエネルギーを持つのかが、見る人に伝わるのか、
伝える工夫があるのかも影響するというわけです。
映画とかの宣伝でよくありますよね。
「構想15年。」とか、「制作費用50億円。」とか。
作品にいかにエネルギーを込めるか。
エネルギーがこもっていることをいかに感じさせるか。
ということを念頭において作品をつくるのも大事なんじゃないかというお話でした。
