1977年のワールドシリーズ初戦

イェーガー考案のスロートガード

77年のワールドシリーズ初戦は、ヤンキース・ガレット、
ドジャース・サットンの先発でした。
試合結果などはwikiなどで簡単にわかりますが、
記憶の彼方に消えていた事や、実況をみて発見した事など
色々ありました。


まずガレット。彼はこの年の先発で3年連続ワールドシリーズ初戦
先発という事になったのです。75,76年はシンシナティ・レッズ
投手として出場し、レッドソックスヤンキースを蹴散らしたわけです。
日本の野球しか知らない時代でしたから、2年連続で初戦先発させるような
エースと呼べる戦力を簡単に放出しちゃうレッズと前年のシリーズで
スィープを喰らった相手からエースを引っこ抜くヤンキースはえげつない、
と思ったものです。


対するサットンは、その背番号がのちに永久欠番になる程のドジャース
代表する大エースです。右のサットン、左のガレット。初戦から凄いな、
と思ったですが、ここでなぜヤンキースを代表するエース、ロン・ギドリー
ではなかったのか? ギドリーはこの年も相当数、勝っているはず。なぜ?
その疑問はDVDBOXの特典が解決してくれました。ギドリーは、リーグ決定戦の
3勝1敗で迎えた第5戦に先発しましたが、ロイヤルズに3回持たずにノックアウト
されてたんです。ビリー・マーチンは、大事な初戦を実績のあるガレットの方に
任せたんでしょうね、たぶん。


今回このDVDを見て発見した事ですが、ガレットはこの年か、前年に肩を
故障したらしいです。だからレッズは出したのか?
でもこの試合で96マイルのストレートを投げ込んでいます。やっぱり凄い。
受ける捕手はサーマン・マンソン。彼の事は改めて言う必要もないでしょう。


ヤンキースは前年も見ていたんで、まああれだったんですが、
相手のドジャースに私は興味津々だったのを覚えてます。
父から散々聞かされていた、かつてのブルックリン・ドジャース
ヤンキースの熱戦やら、かつての大エース、サンデー・コーファックス
なんかの話で頭でっかちになってました。それからやはりV9巨人の礎といえる
ドジャースの野球」とは、如何なるものなのか? そういう諸々の思いをもって
1番打者デービー・ロープスに注目しました。


そのドジャースは、初回ロープス四球のあと、2番ビル・ラッセルの三塁打で、
前年ヤンキースをきりきり舞いさせてるはずのガレットからアッサリ先制点を
もぎ取りました。あまりの鮮かさにクラクラした事を思い出しました。
レジー・ジャクソンの3連発で、このシリーズはヤンキースの一方的なイメージが
ありましたが、ドジャースは決して弱くなんかなかったな、と今更ながら気がつきました。


守備につくドジャースの面々で最初に気になったのはキャッチャーの
ティーブ・イェーガーです。当時の放送で、パンチョさんが、イェーガーが
スロートガードを付けていることを説明していたのをよっく覚えてましたから。
当時、そんなモノは日本にありません。それもそのはず。パンチョさんも
イェーガーは折れたバットの破片がノドに刺さる大ケガをしたから、
ヘルメットを切って自作したモノをマスクの下にぶらさげている。
最初はルール上問題がないか協議されたが、ケガをしたイェーガーだけ
特別に許可された、みたいな事を言っていたと思います。


で、DVDを見てみると、パンチョさんの説明通りの事を実況のアナウンサー
がしゃべっていました。ああそうなんだ! パンチョさんは実況を翻訳して
しゃべっていたんだ、という事に気がつきました。まあ、当時は日本一の
大リーグ通のパンチョさんでしたから、当然といえば当然ですよね。
一応パリーグ広報部長ですから、現地でシリーズ観戦なんか許されるはずもない。


それからさらに気がついた、というか思い出したのは、イェーガーは
打撃用のヘルメットを守備の時にも被っていました。このスタイルは
今では当たり前、というか今や捕手用のヘルメットに様変わりしましたが、
当時は凄く斬新な発想だったですね。相手のマンソンは昔風に帽子でしたから。
これらを見て、私は初めてキャッチャーというポジションにある種の
憧れを抱きました。それまではキャッチャーなんて痛い、きつい、暗い、という
ネガティブな感情しか持てなかったんですが、イェーガーの姿はどう見ても
格好いいんです。このヘルメットとスロートガードには、未来の捕手像が
見えた気がしました。今やヘルメット&スロートガードは少年野球なんか
義務になりましたからね。


私は小学生の頃から、なぜかキャッチャーをやらされました。
しかし一度、エースの投げたカーブを取り損ねて、バウンドした球が
のどを直撃したんです。痛かったですよ。それ以来高音が出なくなりました。
音楽の授業では苦労しました。普通の小学生なら歌える歌が、声が出ないんですから。
空振りしたバットが頭を叩いた事もあります。キャッチャーをやった事が
ある人なら一度は経験する「痛い」事故です。目がクラクラしますからね。


それらがイヤだったわけですが、イェーガーの姿はそれを一気に解決して
ました。まさに新時代の捕手像がそこにあったんです。目が輝きましたよ。
私は3年後にアメリカに行った時、スポーツ店へ行って真っ先に探したのは
このイェーガー印のスロートガードでした。そこで買ったのがこの画像のものです。
あれから29年が経ちましたが、今でも草野球でキャッチャーをやる時は
このスロートガードを付けてやっています。裏にはイェーガーのサイン入りです。


ああ、と、それからこれはwikiとかに出ていなかった事なんで、是非書いておきたい
事なんですが、このスティーブ・イェーガーという名前、気がつきませんか?
これもこのDVDBOXを見ていて発見、というか実況のアナウンサーの言葉から
知ったんですが、映画「ライトスタッフ」に登場するテストパイロットで
ベルX−1(XS-1)で音速の壁を破った人類最初の男、チャック・イェーガーは、
ティーブのおじさん。つまりスティーブはチャック・イェーガーの甥っ子
だそうです。このシリーズの第3戦は10月14日だったんですが、その日は
おじさんチャックが初めて音速を突破した30周年記念日。
実況によれば、試合が始まる前にセレモニーを行ったとか。


ライトスタッフを観るまでは音速を破った機体がベルX−1、というのは
知ってましたけど、チャック・イェーガーなんて男は知りませんでした。
だから私にはイェーガーという名前はスティーブが最初。映画でイェーガーの
名前を見た時に、まさかスティーブのおじさんだったなんて思いもしませんでしたし、
今回DVDを見ていて、その事実を知った私の驚きを想像していただけるでしょうか?
甥っ子のスティーブに憧れ、おじさんのチャックには畏敬の念を抱きました。凄い一族です。