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浄土真宗の学び場、法雷窟

2014-09-04

七地沈空の難

 「七地沈空の難」についても、大智度論の物語の中に書かれてありました。

 前いた団体では、この七地沈空の難を異安心になぞらえて話をしていた人がいました。つまり、大変な大きな喜びが起きてそれを信心と間違える歓喜正因の異安心になぞらえて話をしていたということです。

 しかし、七地沈空の難とは、菩薩が高い悟りを開いた結果陥る難所であって、凡夫の異安心とは大きく異なり、同様に語るのは正しくありません。

 菩薩は七地にいたり六波羅蜜を修行した結果、煩悩障を断滅します。つまり我執の完全に排除ができるわけです。そして阿羅漢の悟りに相当する空の境地を完全に覚ります。そこで、すでに自身の解脱は成し遂げて、空の境地を得る故に三昧に入ったところで、上に求めるべき菩提も下に救うべき衆生もないと思って修行を中断してしまう訳です。その時、十方諸仏がこの菩薩に順々に勧化して菩薩はやっと修行を続行することができるようになるといいます。私たちでは想像できないほど上級の世界です。

 浄土の往生を初地の菩薩に同じるとはいうものの、浄土の往生の悟りには、このような七地沈空の難がなく、難なく仏になれると教えられたのが曇鸞大師です。彼処の悟りと此処の悟りは同等ではないという説明がされています。

 時々、浄土に往生して長い修行をして仏になるんだという人がありますが、親鸞聖人は明らかに異なる説明をされており、往生即成仏を教えられました。

 「謹んで真実証を顕さば、則ちこれ利他円満の妙位、無上涅槃の極果なり」

 瑞剱先生は、浄土教では、一度浄土に往生して仏になって、それから一段下がって菩薩になって還相回向として出てくるのだと教えられました。

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