shuueiのメモ



2015-12-04

昔の人は、なぜ不便な山村に暮らしていたのか?

山岳・水中カメラマン日記

自然をこよなく愛するNHKカメラマンの取材記です。執筆メンバーは、NHKが誇る山岳班・潜水班の面々です。





2015年05月11日 (月)

昔の人は、なぜ不便な山村に暮らしていたのか?



NHK甲府放送局、山岳カメラマンの米山悟です。

車で山奥の景勝地登山口に向かうとき、なんでこんな山奥に人が住んでいるのだろう、と思う事はありませんか?買い物に不便、通学に不便、大雪や台風孤立、と良い事が全然無い。現代都市部の暮らししか知らない大多数の人から見れば、そんな風に思えるはずです。実際若い人は出て行ってしまい、住んでいるのはだいたい昭和も戦前生まれまでのお年寄りばかりです。

中学の頃から山登りを続けてきた私が、山梨県に住んで3年たち、いま一番惹かれているのは、山越えして山間集落へ下りるという山歩きです。車を使わず、駅やバスの終点から山まで足で歩き、山越えをして山向こうの集落へ下り、さらに町まで歩きます。マイカーが普及する前までは当たり前だった登り方ですが、今は流行りません。それにバス路線も昔より減りました。山登り自体は流行っていますが、少ない休日を目一杯山に当てるため、車でギリギリまで進める人が多いと思います。でも山麓を歩けば、人々の暮らしぶりや、古くから残る石碑、古民家石垣などの佇まいを味わい、地図を見ながらその集落の地形的な必然性を考えたり、住人と声を交わして長話をする事もあります。


地名も素敵です。というか素敵な地名の集落を通る計画を作ります。甲府盆地の北の山あいには戦国時代由来の赤芝(あかしば/血に染まった所)、切差(きっさつ/切ったり刺したり)、生捕(いけどり/意味そのまま)なんて名前の集落が続く谷もあります。武田信玄の数代前にあった戦の時の名残の地名だと云われています。

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南アルプス甲府盆地よりの一列は、2000メートルに満たない低い山脈で、巨摩(こま)山地と呼ばれています。

この三月、その山を富士川から早川の谷へ山越えしました。山から下りて訪れた行き止まりの集落、茂倉(もぐら)は、谷底から数百メートル上の中腹、わずかに傾斜が緩まったところにある、数十軒だけの15世紀から続く集落です。この辺りの集落では、狭い平地に所狭しと家が建っています。一階より二階のほうがせり出した造りの家が多く、路地が入り組み、坂が多く、とても素敵な所です。

ネパールヒマラヤの山奥を旅したとき、こんな集落を辿って歩きました。茂倉は、南米マチュピチュに例えられることもあるところです。

三叉路で話し込んでいたお婆さん3人に山越えして来た事を伝えると、「道どうだった」「荒れてなかったか」と皆、その道にとても詳しい。廃道寸前で、崖崩れで不明瞭な所もある道なので、今はここを通る人はほとんどいません。でも車の無かった時代には、その道が鉄道駅への近道だったのだから皆よく知っていました。もとは林業が盛んだった集落です。凄く立派な柱と梁の古い家に招かれて、お茶と漬物をごちそうになりました。林業の話、昔あった鉱山の話、杉林の中にあったたくさんの石垣は麦を作っていた段々畑だった話、片道5キロ標高差500メートルの道を下の小学校まで毎日歩いて通った話、どうせ行くならと毎日麦を背負って学校に通った話、ずっと続けてきた地域のお祭りも数年前に年寄りばかりになったので集まるだけになった話。いろいろな話を聞きました。


なぜお婆さんたちのご先祖は、代々ここで暮らしていたのか? それは戦乱で日本が貧しく、インフラが未熟だった時代(間近では昭和20年代)には、都市に住んでいるよりも、山あいに住んだ方が、清潔な水、食べ物、燃料、建材が、お金ではなく労働と協調によって手に入り、生きやすかったからです。こうした集落の多くは平家の落人、戦国時代起源の伝説を持ち、新しいところでは敗戦直後の満洲帰還者の戦後開拓として始まった所が多いのです。先のお婆さんも、戦後の飢餓の時代も麦があったから食べ物には困らなかったと言っていました。彼らは自分の事は自分で出来る、お金に頼らず生きて行ける力を持つ、逞しい知恵と力の持ち主です。食べ物を収穫し、うまく保存し、炭を作り、製材をする。先行きの見えない今の時代、人が最も必要とする確かなものではないかな、と思うのです。

現代人は山里を不便なところと思いこんでいますが、身一つで住み着いて生き延びられる所は、本来平野部や盆地の中央ではなく、山裾だったのだと思います。平野部の江戸名古屋大阪の都市は、治水と流通が整備された太平の17世紀以降に初めて都市化が可能になった場所です。山歩きを通してそんなことに気が付きました。



山あいでも、何百年も前から家がある所に土砂崩れは来ません。崩れるのは途中の、無理して作った自動車道路です。大雪や土砂崩れで孤立しても、毎日車で行き来する必要がある人以外は困りません。都市の人と違って自立して生きているから生命の危険は特に無いのです。逆に都市部の住民は、車社会になる前には、誰でも当たり前に出来ていた事が、出来なくなりました。電気が止まればトイレにも困り、食べ物を手に入れる方法もわかりません。

日本は平和が70年続いて、最後の貧困時代を生きた人たちがいま、山あいの集落で暮らしています。この美しい風景が見られて、お年寄りたちの「昔の日本人の記憶」を聞けるのもあと十年ほどかもしれないと思っています。

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