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2012-01-28

それが壊れているのなら、治さない。

今あるもの、全てに出逢うこと。それが壊れているのなら、治さない。


おれはゲシュタルト療法の原則に基づいて生きたいなって思っているのだが、実践してみるとなると案外難しい。

ゲシュタルト療法は、”今、この瞬間を生きる”ことを何よりも重視する。それによって過去の過ちに囚われることや、漠然とした未来の不安から自由になる方法を学ぶという心理療法だ。

過去も未来も全て妄想の産物だ。

過去は遠い昔に過ぎ去って、未来はまだ生起していない。

おれは”今、現在”を生きることしかできん。未来も過去も”今、現在”の積み重ねでしかなくて、”今、現在”をないがしろにすると、”今、現在”をないがしろにした過去が残り、”今、現在”のために生きられない未来がやってくるだけではないのか。


ゲシュタルトの祈り」という文章の中に、「私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない」という言葉があるのだけど、常に誰かや何かに寄りかかって行動してしまう。

協調性の面では正しいのかも知れないけど、「自分が自分のために生きていない」という状態に陥ると厄介なことになる。何も「自己中心的になれ」と言っているわけではなくて、過度な献身や自己犠牲的な姿勢から解放されることだと捉えているよ。


それ以外にも「今あるもの、全てに出逢うこと。それが壊れているのなら、治さない」という言葉もある。

この言葉が大好きでな。おれたちは自分の欠点を許すことができずに、壊れたものを治そうとする。ここが駄目だ。あそこが人よりも劣っている。自分は他人に比べて○○という部分が欠落している……と思い悩むことで時間を無駄にしている。

「それが壊れているのなら、治さない」という言葉は、自分自身や他人の壊れているところを赦すことだと思う。

これは「お前はそのままで良いのだ」という意味では無くて、「壊れた部分は壊れたままだ。メリット、デメリットを把握して、それを受け入れて生きろ。直せない部分に拘泥するな」という風に聞える。

上手く行かなかった過去を悔やんだり、不安な未来を前に狼狽えたり、手が届くはずのない幻を欲しがったり、決して埋めることができない欠点をどうにかしようとして、”今、現在”をないがしろにしてしまうことが多い。

何も刹那主義になれと言っているわけではないよ。

一番近い言い回しがあるとしたら、スヌーピー先生の「YOU PLAY WITH THE CARDS YOU'RE DEALT..WHATEVER THAT MEANS」 (配られたカードで勝負するしかないのさ……それがどういう意味であれ)なのかも知れない。

”今、現在”配られているカードに対して、「どうして良いカードが無いんだよ! 畜生!」と悪態をついても始まらんし、ヘボいカードでも、”今、現在”の手札でどうにかしなければならん。

……それがどういう意味であれ。

2012-01-23

歪んだ認識が君を呪い殺す。

王子が呪いを掛けられて、カエルになってしまうという童話があるよな。

別におれたちは本当にカエルになったりはしないのだけど、「自分自身のことをカエルだと思い込んでしまう」という呪いに縛られることがある。

呪いというのは、「他人から刷り込まれたものか、自分で勝手に生み出した価値観や想念で、歪められた現実を信じている状態」だと考えても差し支えない。

「おれはカエルだ! 死ぬしかない! 人生のレールを踏み外したら終わりだ! 死ぬしかない! おれはもう人間の屑だ! 今すぐ自殺する!」といった呪いが、予め刷り込まれているように思うときがあるのだよね。

衣食住が比較的簡単に満たされて、形振り構わずにいきようと思えば生きられるような社会なのに、なんで毎年3万人ぐらいパタパタと死んでいくのん? ……ってことを延々と考えていたりするのだけど、実際のところ「内面に刷り込まれた呪いに殺されている」のではないのかな。

おれは何もファンタジーの話をしているわけではないよ。

頭をぶち抜くための銃器は無いけれども、首を括るだけの「認識の呪い」が無意識のうちに刷り込まれているんじゃねえの?ってことが言いたいんだ。他者から責められることよりも、「認識の呪い」が自らを責める。自分が自分を呪っている状態というのは、どこに行っても逃げ場所がない。

より多くの人間を殺す「何か」があるとしたら、歪んだ認識という呪い以外にはありえない。


精神医学認知療法は、自らの歪んだ認知に気付くことでストレスを軽減したり、根拠の無い思い込みから脱却する手助けをするものだ。これは個々人の歪んだ認知には有効なのだけど、社会全体に共有されている価値観そのものが歪んでいる場合はどうしたら良いのかわからん。プラトンの逸話のように、洞窟で影だけ見ている人たちに対して「その認識は少し歪んでいるぜ」なんて指摘したら、木の棒で撲殺されてしまうかも知れん。

価値観や認識は、多かれ少なかれ呪術的な要素を含んでいる。オカルトではなくて、自らを損なうような認識の仕方は呪いで、反対に生き方を健やかな方向に持っていくような思考は、解呪やホワイトマジックに分類されるのではないのかな。

それ故に、おれたちは常に「自分の認識が、自分自身を呪っていないのか?」ということをセルフモニタリングすることで、歪んだ認知に呪い殺されるのを未然に防ぐ必要があるのだよな。

2012-01-11

俺と補中益気湯。

数ヶ月ぐらい前から、補中益気湯(ほちゅうえっきとう)という漢方薬を愛用している。ツムラの41番だ。

何年かに一度のペースで、身動きが取れなくなるほど身体が怠くなるという謎の奇病が発動してしまう。それを何とかするために西洋医療の力――主に抗うつ薬の類を服用していたのだけど、体質に合わないのかビックリするぐらい効かない。三環系も効かないし、新型の選択的セロトニン再取込阻害薬(SSRI)に望みを託しても、あまり効果があるとは思えんかった。

副作用の方が強く出て「藪医者め! ろくでもない薬を盛りやがったな!」というような荒んだ気持ちになることも多々あって、ぐったりするぐらいの無気力状態をどうやって脱したら良いものかと思い悩んでいたんだよ。

……で、ちょっとした切っ掛けで「漢方薬でも試してみるかー」という気になって、補中益気湯を飲み始めた。

なんでも胃腸の動きを活発にして、気力を補うというものらしい。気力のムラが激しかったり、特に何もしていないのに疲れたりすることがある俺にとっては、自分の身体のために作られた漢方だと思った。

今までは朝から晩まで胃が痛くなるまでコーヒーを飲んで、無理矢理脳みそにカフェインをブチ込んで生きてきたんだけど、それも限界が近づいていたのだ。

この事態を打破するためには、カフェインと同じ中枢神経刺激剤である覚醒剤を服用するしかない! 一か八かだ!……と思っていたんだけど、それだと冗談抜きで人生終わりそうな気がしたので、大人しく漢方薬で様子を見ることにした。*1

保険が効くので、カフェインが入りまくった栄養ドリンク剤を飲むより安いし、成分も濃いしね。


実際に効いたかというと、全体的に身体が軽くなった気がする。慢性疲労症候群の治療にも使われるものなので、やる気のない状態や気怠さにはぴったりな処方だ。

「脳みその薬が効かねぇのなら、身体そのものの機能を高めてどうにかするだ仮説」を立てて、おれは東洋医学に頼った。西洋医学は「脳みそ腐ってんだったら、その脳みそを治せば良いじゃん」方式なんだけど、漢方は「気力を取り戻すために身体のバランスを取り戻そうぜ」というコンセプトで治そうとするっぽい。「欠けたものを補い、過剰なものを除去することで、健康を取り戻す」という考え方だ。

特に消化器官がへこたれていると身体の土台が崩れてしまって、脳みその調子を整えられなくなる。

もちろん身体の体質で処方する薬が変わるので、そのあたりはお医者さんに相談することなのだけど、駄目元で試す価値はあるんじゃないのかなってのが個人的な意見だ。


※その他諸々※

抗うつ薬が効きにくいと書いたけど、少なくとも俺の場合は合わないことの方が多かったので、多分体質か何かだと思います。こればっかりは個人差があるので、誰かにとってのベストが、俺にとっての最適な治療になるとは限らん。逆もまた然り。

漢方は種類が多いので、興味を持ったらお医者さんに相談してみるのが一番だ。あくまでも俺の一方的な感想なので、選択肢の一つぐらいに思って貰えると良い。

*1:でもいつかはペヨーテ的なものを摂取してみたいな。ネイティブアメリカンの酋長に弟子入りでもすれば良いのか。

2012-01-09

時間感覚の盲目

福島原発の「廃炉まで四十年」という試算を見て、貧血で倒れそうになった。

おれたちが勘定に入れられるのはせいぜい半世紀程度のことで、100年や500年という時間感覚で物事を処理することができん。ネイティブアメリカンの人々は7世代後のことを考えて決断を下すというけれども、狩猟民族の視力が5.0ぐらいの特殊な事例ではないのかな。

短期的な利益を最大限にすることのほうが、長期的な視線を視野に入れることよりも有利なので、どうしても「今、お腹いっぱいになるために、来年の分の種籾を喰らう」という選択をしてしまう。今が凌げれば良いんだ、後のことは後になってから考える!……としか思えないぐらいに崖っぷちなのかどうかは知らんが。

時間感覚が視野狭窄になっているというか、「超ロングスパンで物事を考えるインセンティブが存在しない状態」というのも、時間盲目みたいなものだよな。


半世紀ぐらいの時間感覚で生きようとするのは大きなリスクだ。

ウチの親は事あるごとに「東京関東大震災が怖いから、早く東北に帰ってきなさい」って言ってたんだけどさ、こっちの方が危ねぇよ。

未曾有の災害に対して構えるには、少なくとも200年ぐらいの時間感覚が必要になる。

一世代ぐらい時代が過ぎれば、殆どのことは「自分には関係ないこと」になってしまう。

「半世紀〜一世紀スパンで考えると、最悪はこのくらいだな」ってタカを括っていたら、「千年に一度」っていうラスボスみたいな奴が来た。今度は隠しボスクラスの「一万年に一回」とか来てもおかしくない。

「千年単位で大規模な破壊を繰り返す、自然が生み出した脅威」とか、いまどきのマンガでもそんな設定やらねぇよ。ファンタジー領土、東北。だてに宮沢賢治イーハトーブや、遠野物語の妖怪王国を生み出しちゃいない。


「半世紀経てば、大体のことはすべて忘れる」ということは変えようがないので、忘れても大丈夫な仕組みをどう社会に組み込んでいけば良いのか。

おれの住んでいる町では、神社の被災率が低かったんですよ。「カミサマが守ってくれるから、とりあえず神社に逃げよう!」って考えても差し支えない程度には、神社関連の施設が残っていた。

もしかしたら神社などの歴史のある建造物は、昔の人が地域に組み込んだシェルターかも知れん。

「困ったときの神頼み+何百年も無事だった場所に神社を建てる=災害から身を守るのに、もっとも効果的な場所」という昔の人の知恵だ。

一世紀ぐらい無事だった場所に建てられた「市町村避難所」と、数百年〜千年以上無事な場所に建てられた「時間の裏付けがある避難場所」の違いが如実に表れてしまった。

「絶対にこの悲劇を忘れない」という感情ではなく、「半世紀後には忘れられるに違いないからこそ、忘却しても大丈夫なシステムを生活や町に組み込む」というやり方のほうが効果的だよね。

2012-01-05

カルト宗教! 老後教!

「現世(〜65歳)にいる間は、企業に仕え、奉仕し、祈りを捧げ、勤勉に働き、無駄遣いすることなく貯蓄を数千万程度貯めよ。さすれば天国(ろうご)への道が開かれるであろう」という教義が絶望的で困る。

「企業神の道から逸脱したものは無職非正規雇用という名の辺獄(リンボ)へと叩きと落とされ、無限の苦しみを味わうであろう! 唯一の救いは労働! 人生の全てを企業神に捧げよ! さすれば天国(ろうご)での安楽が約束される! この教義に背き、貯蓄という信徒の義務を怠ったものは、悲惨な地獄(ろうご)へと叩き落とされるのだ!」と説く、日本最大派閥カルト宗教だ。


「貯蓄が*千万円あるんですが、これだけではまだ老後の資金としては不安が残りますね」という言葉を聴いたときにおれは目眩がした。

もう老後天国を信仰することはできん。

異国の宗教では「聖戦に参加したら天国に行けるぞ!」という教義が説かれ、若者たちが今日も自爆テロに励んでいると聞く。老後教団の説く「快適な老後」も来世や天国と同じようなものではないのか。

宗教には現世利益を説くものと、来世利益を説くものがある。

要するに「現実で幸せになれるよ!」とするタイプと、「現世で苦労すれば、来世で幸せが約束されるよ!」という違いだ。

老後教団は「老後(来世)で幸せが約束されるよ!」という来世利益型の真性カルト宗教集団で、過労ポアが横行し、定時で帰れないサティアンが至るところに建設されていた。


社会学者マックス・ウェーバーの著書、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」では、「宗教資本主義ってむっちゃ相性が良いよね!」みたいなことが書かれてあった。

無茶苦茶ざっくり説明すると、「サボらずに仕事すれば神がおれたちを救ってくれるぞ! 労働!」という世界観だ。もちろんキリスト教の影響が強い国の話なんだけど、無神論者がいっぱいの極東国家で来世利益っぽい言説を目にするとは思っても見なかった。

努力すればいつか報われるという生やさしいものではなくて、いつの間にか「俺の言うことを聞かなければ、悲惨な老後が待っているぞ!」という脅しへと変貌を遂げてしまった。

不安を解消する手段がお金しかないというのが癌で、安心を買うために貯蓄し続ける。まるでラストエリクサーを大事に取っておいて、使わないままクリアするRPGみたいだ。

税と社会保障の一体改革とかやってるけど、おれとしては将来に対する漠然とした不安を払拭して欲しいんだ。何十年も先のことを考えて生きなければならないのは流石に窮屈すぎる。

老後までに*千万円の貯金を貯めるぜ! という価値観が理解できねぇ。むしろ無一文で老後に突入しても何とかなるシステム作りの方が必要だろ。

東日本大震災で思ったのは、「いきなり家が無くなっても、割となんとかなる」ってことだったので、身ぐるみ引っぺがされても大丈夫だぜーみたいな価値観が新しく生まれる余地はあるはずだ。