なんか、昨日はご飯を一回しか食べれなかった。忙しかったからかな。ダイエットのためではない。念のため。
博士定員減少
「博士課程の定員減少」
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=5328
「就職難で「博士離れ」か 博士課程の定員、初めて減少」
http://d.hatena.ne.jp/doublet/20070526#p2
現在博士課程の人、または博士進学を考えている人は読んだほうがいいかも。
後者のリンク先から引用。
また、ただスタッフの道具として院生を使うんじゃなく、研究の手法論、研究哲学みたいなものを大学側でうまく仕込んでください。
「学生を道具として使わない」というのは、いつも肝に銘じているつもり。理学の研究は就職した後、直接役に立つわけじゃないから、研究哲学みたいなものを伝えられたらいいな、って思います。私自身の研究哲学は正しいのか?ってことも、いつも自問してます。私の研究哲学なんて、アカデミックの中で閉じこもっているわけであって、どれだけ有効性があるのかを正しく見積もることができていないと思います。でも、大まかな枠組みでは大丈夫なのではないかと、楽観視はしていますね。
何が大事とか、何が役に立つとか、学生に対していろいろ言うこともあります。でも、私は理学部出身だからなのかどうなのかわからないけど、「私が面白いと思うことを、他の人にも面白いと思って欲しい」が根本にはあると思います(自分が楽しければそれで十分、という要素も私にはありますが、その重み付けはここでは伏せます、というかそんな簡単に伝えられるものでもない)。伝えたいことは科学(または物理または物性物理学実験)の面白さです。または自ら面白さを見出すことの価値です。自ら問題を見出すことの価値です。問題に囚われてしまうことの(略)です。
「ずっとこの研究分野について実験とか勉強してきたけど、何が面白いか僕にはわかりません」とか学生に言われたとしたら、私は悲しくなってしまうと思います。
価値観
「私はこれが大事だと思う」と書いたり言ったりしても、それがどれだけ実態に即しているかは別の問題です。実際は違うかもしれない。
でも、「これが大事」と表明してしまうと、見る人はそれを検証することができる。言葉を使った責任を負うことになる。
何も言わないと、その人が何を大事だと思っているかわからない。終わった後に、「今まで言わなかったけど、本当はこれが大事だと思っていたんだ」という後出しジャンケンみたいなのはフェアじゃないと思うし。
自身の価値観を提示することは、相手に利用される可能性もあるわけで、危険な場合もあります。一応、気をつけましょう。しかし、メリットもいろいろあります。相手に対して、「自らの価値観を示すことなしに、良いコミュニケーションをとることを相手に要求できると思っているの?」と感じさせることができます。