その35 「それは、きっと、素敵な時間 4」

25歳以下は読まないほうが良い感じです。

彼の価値観は私とは全く同じというわけではないけど、大変近しいことがわかった。
真摯さや誠実さに対する考え方が似ていた。


「私は‘‘真面目’’だよ」とか‘‘安易’’に言う人を私は疑ってしまう。
真面目とか誠実さとかそういうのは、
ある‘‘価値観’’があってそれにどれだけ追随できるかということだろう。



その価値観を示さずに、‘‘真面目’’とだけ言っても無意味だ。
一般的・平均的な真面目さの基準というのもあるとは思うけど。
‘‘真面目’’という前に、自身の価値観・基準を示し、
自身はその基準をどれだけクリアしているかを示すことが大事だと思う。


「ふーん、それがあなたの真面目なのね」って、天邪鬼な私は言いたくなってしまう。
もちろん、人間関係を壊すような皮肉を言うのは良くないので言わないけど。


皮肉として言わないとしても、そういうのは態度で伝わってしまうかもね。
何も言わなくても、むしろ何も言わないから、伝わるものがあるし。


だから、これは、彼女にとっての妥協点。


・・・


普通の人は、「真面目」って言葉にこんなにこだわりを持つ?
こんなこだわりを持つ人なんて、あんまりいないと私は思うのだけど?
あなたはどう思う?


人とは異なる価値観を持つという自覚があるから、
「価値観」という言葉にこだわるのかな。


他者に対して、意見を言うときに、「一般的な価値観」を基準にするのは普通。
個人の価値観よりも、説得の時などに使いやすい。


でも、「一般の評価」というのを考えるときにも、分布を考えないといけない。
分布の仕方は正規分布になるとは限らないけど、正規分布だとしたら、
平均とか分散を考えなければいけない。
それぞれ評価する対象により、分散が大きいものと小さいものがある。
平均とある個人とを比べることが必要になることがあるけど、分散を忘れてはいけない。


彼女は、異端であるという自覚があるかもしれないけど、
そんな異端というわけではないのだと思う。
ただ、自分が重要だと思うことは、一般とのズレを大きく認識してしまうのだと思う。
傍からみれば、たいしたことがない違いだとしても。


リソース(時間、金、労働)をつぎ込んだだけ、大事だと思ってしまう。
そういうのに、囚われてしまう。


こだわりを全て否定したくはないけど、
こだわっていたら、到達したいこところまで
いけないことがあるって、自覚しなければいけない。
駄目だと理解したときに、切り捨てられる強さが私は欲しい。




価値があると思える相手に自分のことを知ってもらえるから嬉しい。

自分の良いところは他人に知って欲しいし、悪いところは知って欲しくないと少しは思う。
でも、良いところだけわかったってその人を知ることにはならない。
私の強さも、弱さも議論を通して伝わったのではないかと思う。
何故なら、私も相手の強さと弱さの一部を感じ取れたから。

馬鹿な話もけっこうした。彼は理解し難いジョークを言うし、
わかりにくいユーモアを使う。それは私にとっては抜群におもしろかったのだけど。

私が嬉しくなるような言葉を聴く機会も幾度もあった。
何故なら、それは、私のためだけに練られた、って言っても良いものだったと思うから。




彼女は、とても*を信頼していたのだと思う。
尊敬も混じっていたかもしれない。
愛情も混じっていたかもしれない。


相手が信頼できるかどうかを、どうやって判断する?
それは、「約束を守るかどうか」だ。

約束をして、守る。約束をして、守る。

それが、信頼につながる。

・・・

何か、言う。
それが、以前言ったことと矛盾がない。
それが、普段の行動と対応している。
そういうのも信頼につながる。

「友人として成立するかどうか?」「人間関係がうまくいくかどうか?」は
「辻褄が合う」って言うのが大事。
そういうのを、人は敏感に読み取る。

どういう状況であれば、「辻褄が合うか?」って言うのは
そんなに単純ではない。
でも、ある程度の枠組みはある。

良い人と悪い人と違いは、「辻褄合わせ」の仕方の問題なのかな?って思うことがある。

相手に、期待しすぎないようにしないとね、って思う。


最後の方は、下記と一緒になっています。
http://d.hatena.ne.jp/sib1977/20071208/p4

というか、以前のものが、‘‘抜き出したもの’’だっただけですが。

左側は二年以上前に作ったものです。右側は一年以上前に作ったものです。少々文章を弄ってはいるものの、あんまり流れは変えていません。