『酔うぞの遠めがね』(酔うぞ)より

「原因はどうでも良い社会の恐ろしさ」
http://youzo.cocolog-nifty.com/data/2011/03/post-a0d5.html

今回の、原発事件で一番目につくのが、情報隠しです。
そして、情報隠しに大いに「貢献」しているのが、マスコミの「分からないけど情報をとして流す」姿勢にあると強く思うのです。

企業も、政府も自分に有利な情報しか流さない、のが常識です。それを検証するのがマスコミの責任なのに、マスコミが「結果責任だけを追求する」姿勢であるから、企業や政府で起きている事実を抜きにして、その時点での責任逃れのために、事実を出さなくても、それを追及出来ない、あるいは追求することに意味がないと判断している社会を作ってしまった。

確かに。


「責任追及ではなくて原因解明を優先する社会にするべきだ」
http://youzo.cocolog-nifty.com/data/2011/03/post-0f66.html

原発反対論者が「重大事故に学ばない」と言っているのは正しいが、それは原発だけのことなのか?
わたしの見るところ、近年は重大事故でも全く原因が追及されていないと思う。
追及されているのは責任だけ。

その結果、企業側の発表も「とりあえず、シッポを捕まれないように」と原因から遠ざかる方向に向かう。
その上で、「責任は・・・・。今後はこのような事がないように」で済ませてしまう。
そうすると、社会は満足している。

全然、原因解明になっていないのに、それで社会は満足している。

いじめ問題も、銀行の処理システム停止問題も、トラックのホイールが飛ぶ事件も、電車がマンションに突入した事件も、エレベーターの事件も、原因ではなくて、責任を追及している。

とっても正論だ。



「「謝罪する」を報道するマスコミはバカなのだ」
http://youzo.cocolog-nifty.com/data/2011/03/post-497a.html

謝罪とはなんのために謝罪するのか?
マスコミは、社会は、謝罪すれば後は何もしなくて良いと考えているのか?

日本の事故に対する考え方は、極端に善菅義務に偏っているのでしょう。
責任者をより強く処罰すれば、処罰を恐れてより安全に管理するだろう、という想定になっているのでしょう。

それでは安全にならないことは、多くの研究が示していて、航空機事故などではたびたび裁判にもなっている。
しかし、今も原因追及の方が処罰よりも優先するべきだ、という意見は少数派のままであり、そういう社会に沿って、東電も原因など明らかにするべきではない、と対応しているのだろうと思う。

政府も同様です。

その結果、非常にデコボコになった情報に社会は振り回されています。
そのデコボコの情報を拡大して流しているのがマスコミ。

なんだか暗澹たる気持ちになる。