Masashi’s Web Site Memo@はてな このページをアンテナに追加 RSSフィード

研究
4年生のための研究生活ガイド〜物性実験編〜(→B4、M1向け)
磁性物理掲示板 3(→東工大物理の田中研の掲示板)spinリスト (Twitter)(スピン系の研究者(?))
ESRの直接遷移 磁気共鳴における線幅
研究以外
Memoの下書き(→本の感想、体重情報等)本の感想リストアニメ感想リスト
[寒剤](→寒剤業務に関わる情報)高圧ガス保安法覚え書き
Togetterおすすめ
◇お奨め漫画 完結(?)連載中
大岡山飲食店 自由が丘飲食店 目黒駅飲食店 新宿飲食店
『新版 固体の電子論』(斯波弘行)の取扱いについて

2013-06-30(Sun) 自然な仮定と不自然な仮定とを分かつのは?

[]失敗の経験を次に活かそうと思える前提は何?

でも、それはそれで仕方なかったのだとも思います。

むしろ、そういうふうに思う事にしました。


その反省を、残りの私の時間に活かそうとは思います。


過去の自分の苦しみや悲しみを回想することに耽溺してしまい、

新しい一歩を踏み出せないことは問題だと思います。


・・・


過去の苦しみ故に。それがトラウマとなって進めない。

新しい事を始めるさいに、躊躇してしまうということもあるかもしれません。


過去の苦しみをバネにして生きていくこととの差異は何でしょうか?

どこからその違いがでるのでしょうか。


わかりません。


・・・


好きなものがあることは、生きていく上で大事だと思います。

苦しみを回避するだけでは味気ないのです。

2013-06-05(Wed) いまはとっても眠たいなって

[]「大学構内で、悪質なテロ発生!?」

久しぶりなちょっと長めの超与太話。折りたたんでおきます。

実際には、こういう変な事件はないですよねぇ。

東京都M区の工科系大学において、大規模な学術系テロ行為が行われたことを当社の記者が明らかにした。この大学では、廊下などに研究発表用のポスターが多く展示されている。これらの学術ポスターに対し、変質的に異常なまでの落書きが行われていたことが2013年6月に明らかになった。落書き内容は多岐にわたり、スペルミスの指摘や文章を読みやすくするための指摘などが多い。また、特定分野に対する深い造詣がなければ指摘不能な間違いの指摘や、今後の研究の発展に寄与すると考えられる興味深い指摘までさまざまである。


大学の調査によると、100件以上のポスターに落書きが発見されている。その研究分野の対象の広さから、少人数による愉快犯の犯行ではなく、大規模な組織によるものだと推定される。


セキュリティ部門の理事は、「たいへんゆゆしき自体である。悪質なテロ行為には屈しないために、監視カメラシステムの強化や警備員による見回り回数を増やすこと、密告システムの導入などを検討している」と述べた。


また、落書きの被害にあった博士後期課程の学生は次のような証言をした。

「基礎的な学力不足を指摘されたので今後きちんと勉強していきたい。また、今後の研究の糸口になるような驚異的な指摘もあった。博士の学位をとることを諦めかけていたが、将来に希望が持てた。親身な指摘に恥じない、良い成果を出せるように努力していきたい。」


別の被害にあった修士課程学生は次のような証言をしている。

「本来は指導教員にポスターを添削してもらうのが良いのかもしれないが、会議等で忙しい指導教員に頼むことができなかった。大学教員がいくら忙しいと言っても、教育が主要な業務であることは変わりない。質問を躊躇したことにより、結果として指導教員に恥を掻かせたことになったかもしれない。これからは積極的に教員とディスカッションしていきたい」


同大学名誉教授は次のように語っている。

「今回の事件は、ただのいたずらではなく、現在の大学のシステムに対する懐疑や揶揄が込められている。また、学術に対する誠実さと教育に対する強い情熱を感じさせる。指摘事項も学術の発展に強く寄与するものも少なくない。犯行組織の実体は不明であるが、日本在住の人間による犯行であり、変な言い方ではあるが、日本の学術の将来に希望が持てる事件である」と述べた。


ある大学教育批評家は次のような指摘をしている。

「落書き行為自体は誉められる物ではないが、落書き内容から学術に対する真摯さは感じられた。学術上の指摘は実名で行って欲しい面もあるが、実名で行うと強いペナルティがかされる環境なのかもしれない。容赦なく互いに批判しあい、よりよい研究成果のために切磋琢磨するような、大学として当然とも言うべき環境が失われたことに由来するのではないか。」


今回の落書き行為による指摘により、大きな修正を必要とする論文は10報以上存在する。研究教育機関としての大学の誠実さを問われるような事件であった。


犯行した組織については諸説あるが、野良ポスドクによるという説も流れている。

ポスドク1万人計画の負の遺産と言われた彼・彼女らが今回の事件に関わっている可能性は否定できない。


同大学は、「国際的に活躍する人材」を輩出するために、最近教育改革に乗り出している。今回の事件は現状の問題点をいくつか浮き彫りにした。現状を把握し、足下を見据えて、「学生の成長」と「学術の発展」のために努力して欲しい。

ニュース的な文章ではないですね。もうちょっとテンプレートを勉強する必要がある。

2013-05-09(Thu) (:3[__] 布団(ぬのだん)の団員募集中です

[]わめくのが好きなの?

ちょっと努力すれば手に入る、すばらしいものが目の前にある。

でも、なんであなたは、その一寸の手間を惜しんで、環境が悪いとかわめき続けているの?

2012-04-05(Thu) 嘘も方便? 生きるために、死ぬまで気づかない嘘を信じるのもあり?

[]伝えたいこと Ver. 2 "sincerity to science" その14

「その1」のURLは下記。

http://d.hatena.ne.jp/sib1977/20120306/p1

「その13」http://d.hatena.ne.jp/sib1977/20120322/p4 の続きです。

さらに時が経って。

あたしが課程を修了して大学を出た後のこと。


あたしが研究者としての道に足を突っ込むきっかけとなったその論文は、未だ誰にも引用されていない。雑誌社は潰れてしまったそうだ。一応断っておくが、あたしがその後に書いた論文は、そこそこ引用されている。


先生はこんな感じの事をいっていた気がする。

「たとえ、学術的価値があろうとも、時流に乗れなければ消えていくのが研究だ。それは、悲しいことだけど仕方がないことでもある。でも・・・」

そして・・・。

「本当に価値がある研究であるならば、いつかまた日の目を見ることもあるだろう。それは引用されるという形は取らないかもしれないけど。ある種のスピリットの継続に、きっと意味があるんだろうと信じている」


スピリットの継続。「それは、どんな意味だろう?」と、そのときにあたしは思った。でも先生の話し方の雰囲気から、言葉では簡単に伝わらないものである気がしたし、敢えて問おうとは思わなかった。


・・・・


「インパクトファクターの高い雑誌に自分達の書いた論文が掲載されること」「書いた論文がたくさんの論文に引用されること」「書いた論文に対して賞がもらえること」「博士を取得していること」「教授なり准教授なり講師なり学科長なり学部長なり専攻長なりセンター長なり、そういう名の知れた地位に就いていること」・・・。そういうもの、広い意味での肩書き、があることによって、いろいろ嫌な事を避けることができる。地位に由来する権力・権威を使って、物事をうまく進める事ができる。賞や資格に付随する信頼を使って、他者と効率よく仕事を進めることができる。


もちろん地位や資格に付随する責任というものもある。ある職に就いていることで、こなさなければいけない膨大な業務もある。地位に関わるしがらみもある。筋を通せないことによるフラストレーションもある。


・・・・


狭い研究業界の中だけの信頼関係だけで、仕事が完結するのであれば、良い研究を行い、良い論文を発表して、研究会等できちんと発表していればその人は十分に認められるだろう。でもそれだけだと、別の分野からみれば、一般的な世界からみれば、その人がどれだけすごいのかはわからない。賞とか地位とかそういうラベルがあれば、外部の人でも、ある程度はその人を判断できる。


・・・・


研究者の実績とされる物。信頼と言い換えても良い。それを有効利用すれば、いろいろな所から金・物・場所・人等を支援してもらえる。新たな研究をするさいの資本となる。後進の研究者を育てる財源ともなる。


・・・


継続的な「研究・教育」を続けるためには、実質である「研究・教育」の結果だけではなく、形式上の地位や資格や賞があることがプラスになる。書いた論文が有名雑誌に載せられないことや、ほとんど引用されないことは、持続的な「研究・教育」という面ではマイナスになる。


・・・


学術上は、有名雑誌に論文が載ろうが、マイナー雑誌に論文が載ろうが等価である。大事なのは、その論文の質だ。


・・・


論文誌によって、論文にある種のインパクトがないと載せてくれないところもある。このようにハードルが高い所に載っている物は、良い研究である率が高いだろう。ハードルが低い所に載っている物は、良い研究である率が小さいだろう。でもハードルが低い雑誌に、とても良い研究が載っている事もある。ハードルが高い雑誌に、わけわからん研究が載っている事もある。有名な雑誌に載っていることは、それはそれで凄いこと。でも、価値基準をそれに影響されすぎては駄目。自分の価値基準をきっちり持つことが大事。でも、みんなが正しいと思う事を無視していいわけではない。みんなが良いというものには、それなりの理由があるのだから。べたな言葉を使えば緊張関係が大事だと言う事か。


・・・


目の前にある自分の研究題材と自分との関係から生じる価値観。遠くにいる人達の総体から想定できる価値観。自分の目の前だけを見ていても、間違う。遠くの価値観だけを真似しても、自分の目の前にある問題には適用できない。


・・・


ある種の権威に認められたら嬉しいという側面は否定できないと思う。でも、「ある個人が、ある小さなグループが、近しいことに注目して、似たようなことを研究した」という事だって、嬉しさにつながる。「本質的な物・楽しい物・綺麗な物・美しい物」があると、その人達の嗅覚でたどり着いたのだと思う。


研究は「自分だけとてつもなく面白い」でも良い。でも、学術の大系の中でも意味があるとも思いたい。ちょっとだけそう思いたい。他人が近しいテーマに注目したことにより、学術の大系においても意味がある可能性がほんの少しだけ高くなる。


「自分だけでは証せないこと」が世の中にはある。


だから、「スピリットの継続に意味がある」・・・のだろうか?

・・・



さらに数年後。あたしと似たような題材で似たような解析をした別の論文が、とあるグループから発表された。けっこう有名な雑誌で。あたしのより綺麗なデータで、スマートな論理展開で、文章もとてもうまい。「あたしが以前に書いた論文で主張したかったのはこういう事だ!」と思ったくらいに感動した。数年経つと、その論文は多くの論文から引用されていた。


その論文とあたしの書いた論文とは、とても似ている。少なくともあたしはそう思う。先生も似ていると言っていた。でも、その論文の引用文献リストにはあたしの論文は載っていない。


似ていると思うのはあたしや先生の自分達の論文に対する思い入れに由来するのかもしれない。その論文を書いた執筆者達があたしの論文を読んだか分からない。あたしの論文が掲載されたのはマイナー雑誌であるし、おまけに雑誌社は潰れている。読んでいない可能性の方が高いだろう。


あたしは自問する。「自分の論文を引用して欲しかっただろうか?」と。

引用してもらえたら、嬉しかったとは思う。


でも、それはきっと"些細"な事。


似たような研究をした人がいて、その人が書いた論文が多くの研究者を刺激し、さらなる研究に発展した。


「スピリットの継続に意味がある」という先生の言葉。

あたしはその気持ちを、なんとなく理解できるようになったと思う。


でも、あたしの中に生まれたその気持ちを、どう言葉で綴っていいのかわからない。

これで終わりです。

2012-03-22(Thu) 長い目で見て、プラスになることが大事だと思う

[]伝えたいこと Ver. 2 "sincerity to science" その13

http://d.hatena.ne.jp/sib1977/20120321/p3 の続き

「論文でもなんでも良いですけど、文章化することの意味はなんでしょうか?」と聞いたことがある。


先輩には、「質問したら負けだ」と言われたことがある。そのアドバイスはもう少し早く欲しかったかもしれない。でも、そのアドバイスを聞いていても、あたしの行動が変わったかどうかは微妙だけど。たぶん変わらなかったのではないだろうか。


アドバイスというものはいつも後になって意味が分かるものだ。「負け」が意味するものについても。


「(論文を書く目的は)仕事だからですか?お金になるからですか?地位、名誉のため?自己顕示欲ですか?」とあたしは問う。

「ふむ、そうかも」と先生は言う。続けて、

「でも、『自己顕示欲』という言葉はちょっとネガティブなバイアスがかかっているかもね」と言った。


ある行為について、いろいろな捉え方ができる。いろいろな比喩で表現できる。前に先生が科学の理論と地図を比較したように。


「書くのは面倒だ。本当に面倒。嫌になる」といきなり先生は言い始めた。「世の中には書くのが好きな人もいるね」とあとで補足していたが。


「でも、いろいろ良いこともある。自分の論理の穴が見えるようになる。弱点を知ることができる。強みも分かる。書くという行為は客観を手に入れるための一つの方法だと思える」

そういうものかもしれない。


「書く過程で、新しい事を思いつくこともある。書くことにより自分自身に印象づけることができるね」

言われてみれば、思い当たるところはある。



先生にとっては、論文を書くことは「お手紙を書くこと」らしい。誰かに情報を伝えるための。時と空間を超えた誰かに伝えるために。


あたしたちは過去から膨大なメッセージ(「情報」という言葉の方が適切かもしれない)を受け取っている。意識して受け取る物もあるし、無意識に受け取っている物もある。その受け取ったメッセージや情報をそのまま伝えたり変質させて伝えるように体ができている。


自然に何かを継承し、それを誰かに受け渡す。

だから、「論文を書くことは自然なこと」と先生は言っていた。


でも、あたしには自然には思えなかった。質問の仕方を変えてみることにした。

「なぜ、あたしに論文を書くことを奨めたんですか?」と。

「『論文にする価値があると思ったから』では駄目なの?」と先生は答えた。

「えっと、"あたし"が、というところが大事です」

「そうだねえ。どうしてだろうねえ」と先生はのんびり答えた。


「論文を書く過程で、過去の人々の営みに触れる。論文を投稿する上で査読が入ることにより、今生きている人達との対話ができる」

対話自体の価値、対話より生まれる価値があるということかな?


「そして、未来の人達がそれを読むこともある。自分ががんばって考えたこと。それを誰かが理解してくれるのは単純に嬉しいことだよ。そして、その人達が新しい結果を出してくれるかもしれない。それもまた嬉しいことだと思う」


綺麗な景色を見て、それを自分の大好きな人にも見て欲しいって気持ち。自分の大好きな人に、綺麗な景色を見せてもらえる嬉しさ。そういうのが世の中にはあるのだと思う。


その時の先生の答えについてすぐに納得できたわけではない。でも間違っているとも思えなかった。だから、あたしにとってその答えが正しいのか?どれだけ妥当なのか?については、これからも論文を書き続けることによって考えようと思った。



続いて、先生は「論文は杭みたいだ」と言った。


「崖を登るときに使う杭。そして、杭には人の名前が彫られている。途中までは、十分に信頼がおける杭を使ってある程度の高さまで登ることができる。どれが信頼できて、どれが信頼できないかはある程度はわかる。でも、高い場所に行くと、信頼できる杭がどれか分からなくなる。ちょっとの刺激で抜けてしまう杭だってある。そういうのに多くの人が騙されて落ちてしまう。そんな中で信頼できる杭を見つけて登って、新たな杭を崖に打ち込む。そしてその杭を使って登ることにより、新たな景色が見える。自分が打った杭を使って誰かが先に進んで、新たな杭を打ってくれると、なんか嬉しいんだよ」


そして、さらりと次のように言った。


「あなたもその楽しさや嬉しさが分かる人だと思ったから。だから論文を書くことを奨めた」


そう言われて、その時あたしは黙ってしまった。ちょっとうつむいてしまい、視線を相手からそらしてしまった。


あたしはその時どんな表情をしていたのかな?

・・・分からない。


覚えていることは・・・。

何か頭の中でぐるぐる回っているみたいな。

頭が熱を持っていた気がする。

胸が締め付けられるような感じ。

呼吸するのが少々苦しくて、ちょっと気持ちがふらふらするような。


あたしは、その時どんな気持ちだったかな?

しいて言えば複雑な気持ち。

「その14」 http://d.hatena.ne.jp/sib1977/20120405/p1 に続く。

2012-03-21(Wed) 謝る側も謝られる側も、冷静であることが大事かな

[]伝えたいこと Ver. 2 "sincerity to science" その12

http://d.hatena.ne.jp/sib1977/20120320/p1 の続き

論文が掲載された後、先生に、何故あれを投稿するべきと見なしたかについて尋ねてみた。


「価値があると思ったからだよ」と、先生はとっても軽い調子で答えた。


どういうところに価値があるとみなしたのだろうか?何故先生はこれを面白いと思ったの?どういう基準でこれが論文に値すると思ったのだろう?膨大な背景知識からそれが面白いと直観したのだろうか?先生の琴線に触れたのかな?それならどういう点で?これらは今までずっと思っていた事。あたしのうちに秘めていたこと。あたしは、その疑問を先生にぶつけてみた。


「まず、着眼点かなあ」って言われた。


「あとだね、あの簡単な数式。とっても初等的だよね」

「うんうん」と先生は勝手に頷きながら言う。


「最初、『あれ?』って思って。『変だなあ』って、思って。『やっぱりいいのかな?』って思って。『何であうの?』って思って。『もしかしてこれは凄いことかも』って思って。『でも当たり前だな』って思って。『でもなんでこれに誰も気がつかなかったわけ?』って思って。『この方法論はいろいろな所で適用できそう』って思って。そういうのが頭の中をぐるぐる回っていたと思う」

何か、遠くの方を見つめるような、そんな表情で先生は言う。

新しい知識を得たときに、あたらしい謎が生まれたときに、頭の中でなにかがぐるぐる回っている感覚というのはあたしにもわかる。ある程度整合的だった物に、新しい要素が組み込まれることにより整合的ではなくなることがある。今までの自分の持っていた知識体系を大きく変化させなくてはいけない時に感じる感覚。


「最初に、とにかく驚いた。そして美しいと感じた。そして、これはちょっと時間が経ってのことだけど必然だなって思えた。なんでこんなの単純な事を、僕も含めて誰も思いつけなかったんだろうって思った」

先生は右のこめかみに右手の人差し指をあてて、少し目を細めている。それは、何かを思い出そうとするときに先生がする動作だったと思う。

あの当時、先生がそんなふうに思っていたとは・・・。あたしの想定外だ。

先生は軽く目を瞑って、ゆっくりと話した。

「着眼点と数式以外はねえ。当初のレポートは、論理展開もめちゃくちゃだし、図とかもわかりにくかった。あのままでは駄目だった。でも、扱った問題は面白いと思った。扱った手法は誰しも考えるものとも言える。でも導出した微分方程式がやっぱり面白かった。前提条件とか間違ってたし、途中計算も間違っていた。でも結果の式はあっている」

論文を作成する段階で、過去の文献を当たったりしながら、いろいろあたしも考えたし、先生ともその後何回も議論を行った。もう間違いだらけだと言って良かった。でも、最後の結論の数式だけは紆余曲折を経た中でも最後まで生き残ったのだ。

先生は続ける。

「扱う主題、そして結果が良かった。新しい道が開けるような。フロンティアを発見したようなそんな気持ちだねえ」

これはちょっと大げさかもしれない。先生は誇張気味な時があるのだ。


「何回も言っているけど、研究者の仕事は"問題を発見すること"。大きすぎる問題に対しては、それを解決するための"別の小さな問題を発見すること”、でも良いよ。"解く事ができるものに帰着すること"も、大事な仕事だね」

それは、研究を続けていて感じたことの一つでもある。


「誰も問題だと思っていなかった問題。数理化できない問題だと思われていた物。あなたは数理化できると直観し実際にやってのけた。そこがすばらしい」

自分が考えた問題にはとっても愛着がある。でも、それがどれくらいすばらしい事なのかって言うのはいまいち掴めていないところもある。でも、先生にとっては、すばらしいと思えることのようだ。


「図の作り方や論理展開についてはある程度は他者の力を借りれる。でも、問題点を気がつくことだけは他人の力を借りることができない。そこが最も大事な所だよ」

試験とは違う事。いろいろな人の力を借りても良い。でも、問題を見つけることは誰も助けてくれない。それが研究者と研究者じゃない人を分かつ基準だと思う。


「複雑な何かから、そこに面白い何かがあると直観し、大事な要素を抽出し、とにかく力尽くで結果を導く。洗練されるのはまた後でも良い。あなたのレポートを最初に見たときに、そういうスピリットみたいなものを感じてやっぱりびっくりしたんだ。そういうのができる人が、どういう経緯か知らないけど、ここにきたんだなあって」


そんなふうに先生はあたしのことを思っていたのか、ってあたしはその時にびっくりした。不覚ながら、じーんときた。「長い付き合いでも、相手が自分の事をどう思っているかを案外聞く機会はない」ってそのときに思った。



先生は本当にびっくりしたのかな?

基本的に、先生は故意に嘘は言わない。でも、前提条件を明確にしないことはある。それは、先生にとって当たり前すぎるからだろう。「これって、こういうことですか?」とあたしが質問してみると、「こんなことも知らないの?」と、呆れ顔で言われることが何度もあった。そういう返答にカチンと来ることも多かった。答えを聞いた後も、「そんなのわかるかよ!」と毎回のように思っていた。でも、時間が経ってみれば、先生が「こんなことも知らないの?」と言った理由もわかる事が多い。昔の事を思い出して、「不勉強で思慮が足りませんでした、ごめんなさいごめんなさい」と頭の中で謝っている。直接謝らないのは、時間が経ちすぎて今さら感があるから。


先生は思っていることを比較的ストレートに言う。でも、ストレートに言われたことがそのままあたしに理解できるかと言うと、また違う。あたしが考えるための手がかりだと思っていつも聞いている。結局理解という物は、自分の頭の中でするしかない。


先生は本当にびっくりしたのかな?昔の事だし、先生の考えが変化しているって可能性もある。でも、印象深かった事であるならば、本当にそのときにびっくりしたのかもしれない。

「その13」 http://d.hatena.ne.jp/sib1977/20120322/p4 に続く

2012-03-20(Tue) 謝るさいに、公正な第三者に近くにいてもらうのは、時に有効

[]伝えたいこと Ver. 2 "sincerity to science" その11 

http://d.hatena.ne.jp/sib1977/20120318/p1 の続き

新しいところはあんまりないです。

「それでだね」と先生が言ったところで、あたしの意識が戻ってくる。また別のことを考えていたらしい。


「…conclusion(結論)に関しては、もう少し再構成が必要ではあるが、まあ、必要な項目はこれで足りるだろう」と先生。


あれ。いつの間にか結論?何か、他にもたくさんの事を言っていたような気もするが、途中であたしの頭は聴くのを拒否したようた。オーバーフローかも。これ以降が記憶に残っているのは、先生が恐ろしいことを言い出したからだ。


「きちんと論文になったら、是非とも有名雑誌、例えば"Falling Love Affairs (FLA)"に投稿しようよ。"Phenomenological Research of Loves (PRL)"や、"Nature -love technology-"とかも良いかも」と先生は喜々として語った。こんな目をキラキラさせた先生を見るのは初めてで、なんかいろいろな意味で眩しい。


有名な雑誌は・・・。いやいや、無理でしょ、こんな適当なレポートをそんな有名な雑誌に載せるのはさ。


そして、いろいろな紆余曲折があったものの、けっきょくあたしはレポートを論文としてまとめることになったのだ。



論文を書くにあたって、先生にいろいろアドバイスをもらった。そして時間はかかったものの投稿までこぎつけた。さて投稿したのだけれど。思った通り、この論文が世に出るまでもの凄く時間がかかった。先ほど述べた有名雑誌は全て、reject または放置をくらう。


「面白い結果ではあるが、general interest(「一般的興味」と言う意味かな?)ではない」とか。「既に似たような結果がある」とか、定番のreject(不採用)文章。こいつら、絶対読んでいないんじゃないか?と思わせる掲載お断り文章が目白押しだった。


こういうふうに無視に近い扱いを受けると、最初は乗り気ではなかったあたしも、早くこれを世に出したいと思うようになった。まあ、人様に見せるためにさんざん苦労したから、その苦労が報われたいとささやかながら思うようになったのだ。あくまでも有名雑誌に拘る先生をなんとか説得し、ちょっと(?)マイナーな雑誌に出すという妥協をすることにした。


その、なんとか投稿したところが"Abnormal Nature of Humanity"という、ローカルかつマイナー雑誌である。


マイナー雑誌なのに(失礼)、5人も査読者がいた。ありがたいことに、5人全員が、早期の出版を進めてくれた。もちろん細かい修正ポイントはいくつも指摘されたけれど。


「この論文誌が消えることはあってもこの論文は不朽であろう」とか「この論文に報告された内容の経済効果は計り知れない」とか「人類は新たなる問題を発見した」とか「この研究成果を世に知らしめることにより、10万人規模の雇用が発生する」とか「論文を読んで涙が出たのは、18年と3ヶ月ぶりだとか」とか、あまりにも大げさなものや荒唐無稽な評が多くて、これは褒め殺しならぬ、褒め褒め大殺戮だなと思った。


もう少し内容に踏み込んだコメントとしては、

「男性の拒絶の言葉が回文で、それが500字を超えていることなどは、特筆に値する」とか「女性の多重入れ子構造の"だじゃれ"を使った引き留め行為は、見ていて切なくなり泣けた」とか「あれだけ真摯に言葉をぶつけ合っている二人は何にもわかり合えていない究極のすれちがいぷっりは凄い」とか「お互いに好きとか愛しているとか言っているのに、それにお互いだけはどうしても気がつけないで、不安な気持ちになり、さらに言葉を練って相手にぶつけるけど、それは、どんどん遠くに離れていくのと一緒。愛の滑稽さを表している」とかまあ、あたしが頑張っている点についても一応見てくれていたようで少し安心した。


妙に解析方法について、詳しく突っ込んだ査読者もいて、これはとても勉強になった。「有限個で一応の解は出たけど、無限の時はどうするのか?」とか批判的なだけではなく、有意義な提案をしてくれてありがたかった。「べき関数か、指数関数的減衰かという解釈だけど、それは指数関数とべき関数の積では解釈できないのか」という指摘もあった。これが、あたしの研究テーマをさらに進める事になるのだが、それはまた別の話である。


査読という行為の中に、創造的でかつ教育的なことをする人もいる。それを初めて知った。「(まったく関係ないけど)査読者の論文を引用しろ」とか、つまんないことに難癖付けたり、故意に査読を遅らせたりとか、査読行為にそういう悪いイメージを持っていた過去のあたしに対して、現在のあたしは猛省を促したい。


そして、科学への真摯な想いをあたしは感じた。学術にたいする誠実さと言い換えても良い。それは、それを体験できただけで、あたしは生きていた価値があったって思うくらいものだった。(先生からは感じなかったのかというと、身近にいると駄目な面もたくさん見てしまうから・・・。駄目人間の仲間として共感できる部分はたくさんある。同志といっても過言ではない、とか言うと過言である。尊敬できる部分もないわけではない。念のため)


別にこれをみんなに分かって欲しいと思っているわけじゃない。とにかく、あたしはそれを知って安心したのだ。世界に、こんな面白いことを考えている人達が数人いるだけでも、この世界は生きるに値する。

「その12」 http://d.hatena.ne.jp/sib1977/20120321/p3 に続く。

{量子スピン系の若手研究者増えろー ♪ }> o(*´ω`)っ−.。*゜+.*.。 ゜+..。*゜+*'``*:.。..。.:*・゜゜・*〆⊂(´▽`*)ゞ <{古典スピン系の若手研究者増えろー ♬ }(→研究に関係する情報など)