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2016-05-13

『レヴェナント』と『ゴールデンカムイ』のサバイバル

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  『レヴェナント:蘇えりし者』を観た。


  『WIRED』Vol.22にさりげなく主演のレオナルド・ディカプリオと音楽の坂本龍一のインタビューが載っていてそれを読んでしまえば、観に行くしかなかった。


ディカプリオ「撮影中、楽だった日なんて1日もなかった。これまででいちばんきつい撮影だったよ。」(中略)

―「なかでも最悪だったのは?」

ディカプリオ「凍った川に何度も入らなければならなかったことだね(笑)。」



  『レヴェナント』は凄い映画ではあった。スケールや撮影へのこだわりなど。でも、作り手が頑張ったものが観客にとって楽しいとは限らない。


  撮影ではリアリティのために最適な天候を何日も待ったり、体当たり的な演技を特にディカプリオがやっているわけだけど。


  また、坂本龍一にしても中咽頭癌を患い、快復後に山田洋二監督の『母と暮せば』の音楽を務めたけど、病気以降の大きな仕事としては『レヴェナント』が二つ目になるんじゃないか。


  苦難とも言える撮影を感じさせるディカプリオと病み上がりの坂本龍一、大自然と格闘して撮り終えたような見事な映像。それらに感じるのは大変さの押し付け、という面もある。


  『レヴェナント』は復讐の物語でもあって、観る前は漠然とそういうイメージだったけど、観てみると意外とサバイバル映画だった。しかも、熊に襲われながらも次第に回復していく、無敵とか不死身とも思わせるディカプリオ演じるヒュー・グラスの姿には思い出すものがある。


  それは、野田サトルのマンガゴールデンカムイ



  最近読み始めてまだ5巻目だけど、なかなかおもしろい。


  明治末期の北海道を舞台にした作品で、公式からは「冒険(バトル)」と「歴史(ロマン)」と「狩猟(グルメ)」と打ちだされている。アイヌ語研究者の中川裕が作中のアイヌ語監修を務めている。(ゴールデンカムイ - Wikipedia


  『レヴェナント』ではなんだかツワモノっぽいディカプリオが、意外と序盤でいきなり熊に襲われて、なんなく逃げ切るんかなと思いきや、ボコボコにやられて瀕死に陥る。


  『ゴールデンカムイ』では何度も熊が出てきて、主人公の「不死身の杉元」も襲われたりする。


  『レヴェナント』での熊のいたぶり具合や、治療シーンなどエグくて痛々しいシーンが多かったけど、『ゴールデンカムイ』では熊の引っ掻きによって人間の顔面の皮膚がぺラッと剥がれたり、ととんでもない描写になっている。絵柄やマンガなことからそこまで痛々しくはないんだけど、熊の恐さが伝わってくる。


羆嵐 (新潮文庫)

羆嵐 (新潮文庫)


  ちょっと脱線だけど、熊の恐ろしさと言えば吉村昭さんの『羆嵐』 。『レヴェナント』も実話らしいけど、こちらもそうらしい。恐怖。


  『レヴェナント』も『ゴールデンカムイ』、どちらも作品もサバイバル物語と言える。サバイバルの目的としては『レヴェナント』が復讐で、『ゴールデンカムイ』が宝探し、とことなっているんだけど。そして、どちらもサバイバル物語でありながらハンティング物語でもある。


  最近読んでいる亜人も、ハンティング要素が強く、それよりは弱まるけどサバイバル性も感じさせるところがある。最後に気づいたけど、「不死身さ」という点でも繋がっているか。それぞれ、単品では面白味は広がらないけど、頭の中で混ざり合って繋がっていく楽しみが広がる。


亜人(8) (アフタヌーンコミックス)

亜人(8) (アフタヌーンコミックス)


  音楽でいうと、『レヴェナント』は坂本龍一だけでなくAlva Notoなどが参加していたりして音響的に期待はしていたけど、その辺りはわりと普通かと思った。


  ドローンっぽく音響っぽい音が多い映画ではあるけど、映画でいえば別に音響系アーティストでなくてもそういう音響っぽい音や音楽は作られているわけだから、別に特別なにかが良いということはないんじゃないかと思った。サントラがちょっと気になるけども。



関連エントリー

「『亜人』から考える生と死の境目」(16.04.30)

2016-05-12

藤沢周 『サラバンド・サラバンダ』

サラバンド・サラバンダ

サラバンド・サラバンダ


  藤沢周さんの新刊『サラバンド・サラバンダ』を買ってきた。

  装画はタダジュンさん。

  短編それぞれの初出を手で入力していくと下記の通り。


■初出

明滅「新潮」2012年1月号

草屈「新潮」2009年12月号

分身「新潮」2010年11月号

案山子「新潮」2011年6月号

燼(もえぐい)「新潮」2010年5月号

錵(にえ)「新潮」2012年8月号

未遂新潮」2014年10月号

あなめ「新潮」2013年4月号

禊「新潮」2015年8月号

ある小景、黄昏のパース「新潮」2016年3月号


  ぜんぶ『新潮』の掲載で、しかも一番古いのが2009年とはかなり意外。じぶんが藤沢さんを読み始めたのは2011年頃かとおもうけど、ほとんど読んでないものばかり。

  各文芸誌をなるべく毎月チェックして藤沢さんの文章はなるべく読みたいと思っているけど、こうして単行本にしてくれるととてもありがたい。

  この単行本には2ページの「あとがき」もある。タイトルの「サラバンド」についてもちょっと触れている。


サラバンド」はご存知のとおり、非常に緩やかな三拍子の舞踊とその曲のことであるが、バッハにしろ、ドビュッシーにしろ、どこか甘美な憂悶めいたものを覚えるものが多い。(藤沢周


  「サラバンド」という用語を全く知らなかったけど、藤沢さんと音楽や舞踊というキーワードが合わさって思い出すのは、芥川賞受賞作の「ブエノスアイレス午前零時」。老婆と青年のタンゴが美しかった記憶。

  『サラバンド・サラバンダ』。未知のものも多く収まっているから楽しみではありながら、読み終えるのがひどく惜しい気持ちにもなる。


■「藤沢周関連エントリー

藤沢周が語る「なぜいま武蔵無常を論じるのか」(16.04.24)

藤沢周による宮本武蔵 「武蔵無常」(16.03.14)

藤沢周さんの新作 「武蔵無常」と「或る小景、黄昏のパース」(16.02.23)

  ほかにもいろいろ書いていますが、リンク貼るの意外と面倒だと気づいたので最近のだけ。気になるひとは「日記の検索」っぽい部分で「藤沢周」と入力して「一覧」で検索してみてください。

2016-05-05

パワプロ2016


  最近PS4をできる環境が整ったので、パワプロ2016を買った。ちなみに期間限定のLINEのクーポンを使ってダウンロード版で。


  それで、サクセスを一通りやって、パワフェスにはまって一日やり続けていた……。


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  しかし、やっぱり今作は特にバッティングが難しい。パワプロやるのはPSP版の2012以来でもあるし、今までだいぶ怠けてたせいもあるだろうけど。


  パワフェスだと「ルーキーのお守り」がかなり使える。


  「ルーキーのお守り」は経験値が下がるデメリットはあるけど、試合はだいぶ楽になって、これのおかげでラスボスも倒せた。


  ラスボス戦とか強敵は「ルーキーのお守り」と「すけすけゴーグル」(相手投手の球種がわかる)でかなり楽になる。それでも結構負けるし、ゴーグル温存してひとつ手前の決勝戦で敗退すること多し……。


  んで、裏技っぽいもので、「タイム」をする毎にCPU投手の球種が変わるってのを、やってて気づいた。これで、ストレートになるまでタイムを繰り返せば狙い打ちが簡単。もう出回ってる情報かもしれないけど。


  まぁ、なんで球種の変更に気づけたかというと、「すけすけゴーグル」を使っていて、たまたまタイムをしたから。


  例のラスボスとかみたいに球種が多めだと、ストレートを出し易いとおもう。でも、変化球タイプの投手で球種が少なかったり、カウントによっては極端にストレートを投げてこないので、このワザは使えない。


  そういう変化球中心系の投手だとタイム→キャンセル→タイムを繰り返すことになって、なかなかむなしい。


  一方、ストレートが簡単に出過ぎると打つのも簡単なので、チートっぽくてゲームの面白味が薄れている気しかしない。


  こういうのはアップデートとかで修正されんのかな。


  パワプロはやっぱおもしろいけど、やり始めるとハマりがちで日常が崩れがちなので気をつけたいところ。


2016-05-03

2016年4月の読書


2016年4月の読書メーター
読んだ本の数:3冊
読んだページ数:1008ページ
ナイス数:66ナイス


世紀の空売り―世界経済の破綻に賭けた男たち (文春文庫)世紀の空売り―世界経済の破綻に賭けた男たち (文春文庫)感想
  経済破綻に賭けた男たちを取材したノンフィクション。燃え盛る家に掛けた保険は見事にリーマン・ショックによって大金へと変わるが、そこに爽快感はない。アメリカ国民はサブプライム・ローン(貧乏人のための詐欺ローン)に騙されて家を失ったけど、責任を負うべき投資銀行などがほとんど罪に問われていないからだ。金融業界の知識がからっきしなので原作も映画も読み込むのに苦労したけど、今もなお目が離せない問題だ。映画は簡単におもしろいと言える内容ではないけど、非常に濃密で、あれほどに「集中して映画を観る」体験が新鮮だった。
読了日:4月27日 著者:マイケル・ルイス


sibafutukuri - 「『マネー・ショート』と『ジャッキー・コーガン』」(16.04.05)


ファイト・クラブ〔新版〕 (ハヤカワ文庫NV)ファイト・クラブ〔新版〕 (ハヤカワ文庫NV)感想
  映画が凄く好みだけど内容はうろ覚え。映画でのネタバレ部分が原作では全く隠そうという気がなく、どうなのかなと思う。その影響でサスペンス性は薄いんだけど、悪ふざけとおちゃらけみたいなフリをしつつも、実は文学っぽく詩的な感じに思える。自分は、これに関してはそこまで深く読む気になれない性質だが。この小説の人気はどう考えても映画ありきのもので、そんな程度のものだろう。
読了日:4月10日 著者:チャック・パラニューク


道化師の蝶 (講談社文庫)道化師の蝶 (講談社文庫)感想
  この人はまともな小説は書けるのだろうか?というか、仮に書けたとしても誰もこの人に「まともな小説」を書くよう求めてはいないだろうし、それを書かれても「え?」と逆に「まともじゃない作家」が書いた「まともな小説」に驚くことになるし、誰も円城塔にまともな小説を既に求めていないんだろうな、これで芥川賞を「獲ってしまった」という意味もあって、ということを考える。結末はどうでもいい。小説や出版事情をメタ的に読める面白さはある。ヘンテコな小説だけどこれでもこの作家として礼節をわきまえた小説だろう、だからもっと期待したい。
読了日:4月10日 著者:円城塔


読書メーター


2016-05-01

AI囲碁 - 『WIRED』Vol.22 「人類と人工知能の頂上決戦:目撃者4人の証言」

ヒカルの碁 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

ヒカルの碁 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)


  囲碁と言えば、昔マンガのヒカルの碁にはまって、ちょっとかじってみたくらいでまったくの素人だ。

  でも、2016年3月12日のDeepMindGoogleが買収)のAlphaGo対イ・セドルの対局で、AI側が4勝1敗と勝ち越したニュースは衝撃だった。

  それは、この対局の2か月ほどまえに、『WIRED』Vol.20AI特集でAI囲碁で人間に勝つにはあと10年くらいは掛かるんじゃないか、みたいな記事を読んでいたからだった。



  そして、2016年4月刊行の『WIRED』Vol.22の記事で3ページだけだが、「GO: THE ULTIMATE MATCH 人類と人工知能の頂上決戦:目撃者4人の証言」で、3月の対戦について書かれていたのを読んだ。

  「証言」をしているのは、マイケル・レドモンド棋士。今回の決戦の実況中継を担当)、宮内悠介SF作家)、高木秀和(囲碁ライター)、北川拓也(理論物理学者)の4人。それぞれの文章は短めだが、立場のちがう4人の視点のちがいがおもしろい。


  その中でも、実況中継を行ったマイケル・レドモンドの発言をここで引用していきたい。


「DeepMindの研究者たちと接するなかで、AlphaGoは芸術作品であるという確信をもつに至った。」

「彼らは、わたしが思いつきで提案したような考えはすべて検討済みで、大変な作業の結果、この人工知能が生まれたのがわかったからだ。」


  人間に勝ったあるいは越えた(と自分は考えているが)AlphaGoが「芸術作品」なのかも、という視点はもしかしたらそうかも、と思える。「芸術」とか「芸術作品」っていう定義が至極あいまな世界なわけで、個人的主観にすぎないが、AlphaGoの勝利から感じる気持ちには特別なものがある。

  だが、マイケル・レドモンドが「AlphaGoは芸術作品である」という根拠を、研究者たちの試行錯誤や努力に定めている点が不可解でならない。


  ゴッホが凄いから「ひまわり」が芸術なのか?モネが凄いから「睡蓮の池」が芸術なのか?ルノワールが凄いから「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」が芸術なのか?

  自分の思考の限界からか、なぜか画家と絵画作品ばかり挙げてしまったが、作り手が凄いから作品は芸術だ、という論理は至極つまらない、としか言えない。


f:id:sibafu:20160501102233j:image:w500
ルノワール「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」)




  上に引用したマイケル・レドモンドの発言と思考もこういうつまらないものでしかない。

  このつまらなさの原因は、マイケル・レドモンド自身が棋士であり、AIに負ける側あるいは飛び越される側だから、という面が強い。彼は、AI研究者とかプログラマではなく、言い方を変えれば芸術家だ。彼は囲碁をする者は棋譜や独特の定石や布石を作りだす芸術家、と考えているのかもしれない。その辺りがマイケル・レドモンドAIに対する限界だった、と思える。


「わたしは、AlpaGoが人間を超えたとは思っていない。」


  ただの棋士として、人間としての負け惜しみにしか聞こえないが。この後に続く言葉は興味深い。


「誰も予想できない手がもっと頻繁に出なければ、『布石の革命』は起こらないだろう。」


  「布石の革命」という言葉の意味がいまいちわからないが、囲碁の進歩という意味で捉えると、AIの打つ囲碁にも人間の打つ囲碁にも、もっと広げるべき余地があるというようなことだろうか。

  AlphaGoが人間を超えたか否かは別として、AI囲碁がもっと進化すべきで、その余地がある、というのはその通りだろう。

  その進化で自分が思うのが、AIAI囲碁の対局をしなければならない、ということ。今までは人間に勝つことが目標だったから、人間と対局していたのはわかるが、目標を達成したいま、AIAI囲碁を作り上げていけばもっとおもしろいことになるのでは、と楽しみになる。

  こんなところで言われるまでもなく、DeepMindの研究者の方などはもう研究を始めているのかもしれないけど。


  人工知能にも人間にも打てなかった、(人工)超知能同士でしか打つことができない定石が生まれるかもしれない。

  超知能を作りだしてしまうことは危険性もあるのだけど、囲碁という人間の作ったルールの中限定の知能ならまだ安全そう。AIたちの生み出すAI囲碁によって、人間の棋士たちのプライドや常識は打っ飛んでしまいそうなものだけど。



  今回の『WIRED』Vol.22の記事を読んでいてそんなことを考えた。

  『WIRED』Vol.20のAI特集はかなりおもしろいのでオススメです。


関連エントリー

『シンギュラリティ 人工知能から超知能へ』を読みながら考えたこと(16.04.17)