sibafutukuri アニメとか音響音楽とか このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2014-11-09

11月上旬の上野

先週、上野公園国立西洋美術館で開催中の

「フェルディナント・ホドラー展」を観に行った。

すごくよくて感動した。

そのついでに上野公園の写真をすこし撮ってきた。

以下。





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国立西洋美術館の前にあったロダンの「考える人」。

たくましい。





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国立西洋美術館の前にあったロダンの銅像(名前わすれた)。

ポーズがすき。





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hasugreen

やんわり緑色の加工。

ブロッコリーみたい。

ほんとうはもっと萎れた色。





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hasuviolet

蓮なのにスミレ

写真雑誌『IMA Vol.9』に載っている、

Richard Mosseという人の写真を真似て。







Ferdinand Hodler

Ferdinand Hodler

IMA(イマ) Vol.9 2014年8月29日発売号

IMA(イマ) Vol.9 2014年8月29日発売号

2014-11-03

上田秋成に見るアンビエント

  上田秋成の『春雨物語』を現代語訳で読んでいて、こういう文章があって驚いた。


  雨が降って、宵の間から何の物音もしない。今夜は母親の戒めに背いてしまい、丑の刻(午前二時頃)になってしまったであろうか。雨はすでにやみ、風も吹いていない。月も出たとみえて窓が明るく映っている。詩歌の一つも作らなくてはと、墨をすり、筆を取って、今夜の風情を一、二句に託さんと思いをめぐらしていると、虫の音だとばかり思って聞いていた音に、時々鉦[かね]の音がまじり聞こえてくる。夜毎、あの音を聞いていたが、今夜はじめてそれに気付くとは、なんと不思議なことであった。

(神保五弥、棚橋正博訳『雨月物語春雨物語 ― 若い人への古典案内』、「二世の縁」、pp.165-166)


  アンビエントだと思った。昔の人も、上田秋成という人さえも聞こえるもの考えることは同じなんだな、と当たり前ながらも思った。驚きであり嬉しくもあった。


  今までと変わらない環境のはずが、今まで聞こえなかったものが聞こえる、という体験は稀にある。アンビエントの曲を流しながら、外から聞こえる虫の音や鳥の声が混ざり、曲なのか自然音なのかわからなくなり、曲を止めると外で音は続いていて自然音だとわかる。そういうプロセスで、今まで聞こえなかった音に気づくこともある。


  語り手の男が雨上がりの夜中に「詩歌を一つも作らなくては」と思うのは、その深夜の空間と無音の中の虫の音などを聞いているからで、それを書いたこの文章はアンビエントだと思った。文字によるアンビエント、と言うと変だけどそう思った。そして、その後のいつも聞こえなかった「鉦の音」に気くことまでがアンビエントと言っていいのかはわからないが。しかし、その「気づき」は音楽ではあるだろう。音楽とも言えるし音響とも言える。「気づき」という変化を得たわけで、それは何かの契機になる。


  この「鉦の音」によって自己が拡張されてゆくイメージ、と言えるかもしれない。それは変化がもたらす一つの可能性に過ぎないが。物語の続きとしては、「鉦の音」を聞いた男は下男たちに庭を掘れと命令して、地面の中から棺に入った魂の抜けた身体だけで鐘を打つ者がいた、という奇妙な話になっている。


  音を聞いた男は、その音さえ聞かなければその地中にいた奇妙な鐘つき男と出会うこともなく、その一つの奇妙な世界に入りこむことはなかった。それが良いか悪いかは問題ではなく、聞こえた「鉦の音」という音楽が男をその世界に導いた、という事実が大事だ。


  音楽自体が自己を拡張させる能力があり、アンビエントはことに現実との近似性ゆえに自己を現実へと導く能力が強いように思える。『春雨物語』のこの「二世の縁」の場合は奇怪ものの話だから幻想世界へと踏み込むのだが、現実的にはそんな世界はないわけで、私たちが「鉦の音」に気づいたとすればそれはより現実に強く結び付く契機にしかならないのだろう。


  自然音とか環境音とか居るその環境を含めて心地よい、という最初に引用した文章の前半のようなものは古典作品にもざらにあるだろう。そんなものはやはり誰でも思いつき、そして書くのだろう。でも、秋成は後半の「鉦の音」への気づきという観点も合わせて書いた。だから、秋成のこの文章はアンビエント的でも音響的でもあり私にとって稀有な価値を持っている。


現代語訳 雨月物語・春雨物語 (河出文庫)

現代語訳 雨月物語・春雨物語 (河出文庫)

2014-11-02

『Gのレコンギスタ』

  『ガンダム Gのレコンギスタ』、第6話「強敵、デレンセン!」を観た。おもしろかった。モビルスーツ同士の戦いが熱くもあり、悲しくもある。


  深夜アニメを観る本数自体がそんなに多くないし、リアルタイムで観るものとなるともっと少なくなる。そんな少ないアニメのなかでだが、『Gのレコンギスタ』はここ数年のなかで最も毎週楽しみにしているアニメだ。


  アニメ自体もそうだし、物語やキャラクターの言動の解釈や2ちゃんねるで見るリアルタイムの感想など、そういう環境も含めて楽しみであり新鮮。そして、富野由悠季監督にとって少なくともテレビアニメとしては遺作となる可能性もあり、その貴重さを噛みしめる意味でも『Gのレコンギスタ』には自分にとって価値がある。


  第6話で少年ベルリは知らなかったとは言え教官であったデレンセンを殺してしまったわけで。だが、直後に大気圏へと自由落下していくクリムを救った。しかも、デレンセンとの戦いで得たエネルギーがなければクリムの救出は成し得ず、ベルリもクリムも二人とも大気圏へ落下していっただろう。実験的に装備したリフレクターによりデレンセンが撃ったビームを吸収し、それが自分もクリムも救うことになった。


  この命の消失と救出というバランスは、ドラマとして物凄くうまいと思った。ただ知り合いを殺し、初めて人を自分の手で殺すことに自覚するだけでなく、なり行きだが同じ機械で、装備で、モビルスーツで人の命を救えることを体験する。


  また、戦闘後に人をあやめたという事実からベッドに寝転がり現実逃避しようと葛藤しているベルリに、空気の読めない能天気なラライヤがチュチュミ(金魚)を持って遊びにくる。そんな気分ではないのに。それで、もう思い出となってしまった人の思い出を思い出し、現実あるいは自分が歩いていくべき未来に戻される。


  この現実逃避しようとするベルリのシーンは、ただラライヤによってデレンセンを思い出してしまう、というだけではなくてもっと抽象的に(構造的に)捉えることもできるだろう。それは人と人の行き違いだ。キャピタル側であるベルリが海賊(アメリア軍)側にいることでもあるし、救出しに来た少年とわからずその対象の乗ったモビルスーツを攻撃することでもあるし、教官と知らずビームライフルで焼き切ってしまうことでもある。また、ぼくたちの日常にもそういう行き違いはごろごろと転がっている。他人は、世界は、自分の気分など読んではくれない。ただ、ライフルから放たれたビームみたいに向こうからやってくるだけだ。くよくよしていても相手はそんなことを気にしない。ビームを撃たれれば避けるとか、あるいは受ける覚悟をするしかないし、あるいはくよくよする前に撃たれないように未来を操作するべきなのだろう。


  『∀ガンダム』もかなり好きなアニメだが、遥かに期待の上をいく『Gのレコンギスタ』は『∀ガンダム』に並ぶアニメになるかもしれない。比べることは不可能なのだが。なぜなら、架空世界の歴史の順序としては逆だが、『Gのレコンギスタ』は『∀ガンダム』の上に成り立っているのだから。そして、その『∀ガンダム』の前には様々ないくつもの過去の「ガンダム」があり、一番始めには『機動戦士ガンダム』がある。


  「ガンダム」というシリーズはそういうものだ。「ガンダム」という歴史。「ガンダム」の新作が登場する毎に「ガンダム」シリーズは濃くなっていき、その限りを知らない。歴史を知っている視聴者にとっては、『Gのレコンギスタ』は未知のものであり未知のものではない。友人の成長した子供を見る気分かもしれない。既視感もあれば未視感もある。ぼくたちの中で「ガンダム」の歴史はどんどん濃くなっていく。どんどんぼくたちの頭の中で「ガンダム」と「ガンダム」が繋がっていく。


  『Gのレコンギスタ』、これからも楽しみだ。




ガンダム Gのレコンギスタ ED Full 「Gundam: G no Reconguista」 Gの閃光
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2014-11-01

2014年10月の読書

2014年10月の読書メーター
読んだ本の数:14冊
読んだページ数:3730ページ
ナイス数:128ナイス


■フィクション


シルトの岸辺 (ちくま文庫)シルトの岸辺 (ちくま文庫)感想
  近代の架空の国家間の休戦状態を舞台とした20世紀フランス文学。長編だし一々くどい文体は疲れるのだが、この酷く緩い空気感の中を漂う何かが起きそうな不安によって傍観者としての期待は高まる。冷戦という水面下での0が1に転ぶか否か、という緊張感の演出がとても上手い。長い物語の中、一人の主人公に寄り添って読むからこそ、この結末への思い入れが強くなる。初めて読んだ作家で邦訳は少ないが、これは読んでみてよかった。岩波文庫から出ている『アルゴールの城にて』も気になる。『シルトの岸辺』の新版も岩波文庫から。
読了日:10月11日 著者:ジュリアングラック





19本の薔薇19本の薔薇感想
  エリアーデが最後に書いた長編小説。ロマンティックでありフィクショナルにスペクタクル、そして主人公であり記憶喪失の青年ダミアンにとっては悲愴的なフィクション。小説として巧くはないだろうが、常識との少しのズレと夢と目覚めの境にいるような感覚のもたらす心地よさは特有なものでありお見事。作家や芝居の演出家、俳優たち、出版社の人々。みな虚構を作り出す人々であって、主人公のダミアンは彼らに囲まれている。嘘に塗れて本当を見つけられずにいる。幸福でもあり最も気の毒な立場でもある。ダミアンはスクリーンを決して出られない。
読了日:10月30日 著者:ミルチャエリアーデ





最重要容疑者(下) (講談社文庫)最重要容疑者(下) (講談社文庫)感想
  「ジャック・リーチャー」シリーズ最新邦訳だが原著は2012年に発表された17作目。リーチャーがヒッチハイクで乗り込んだ車から始まった物語は前半では誘拐や殺人事件と思われたが、帯の文句に「敵はFBIか、CIAか!?」とあるように国家規模の事件へと広がっていく。元陸軍警察とは言え、ただの放浪者がそんな事件に巻き込まれるというかグイグイと進んで絡んでいく物語の強引さが滑稽でもあり、そこが正義漢リーチャーとシリーズの魅力でもある。ベストではないがやはり本作も面白い。リーチャーの異常なまでに強い正義感を意識する。

  ジャック・リーチャーはアメコミヒーローなんかと比べたら、リアリティのあるダーティーでダークなヒーローだろう、とこれを読むまでは思ってもいた。でも必ずしもそうとは言い切れない。なぜならアメコミヒーローは超人的な能力があったりするので、雑魚な悪人になら命の危険もなく立ち向かえるわけで、それは日々の業務みたいなものでしかない。でも一方でリーチャーは自分の仕事でも、大事な人のためでもなく、進んで事件に関わっていき命の危険を冒して、そして本作みたいに悪人とは言え生身の人間を十人以上も殺していく。

  はっきり言って、リアリズムの観点からすればただの精神異常者でしょ。やばい人だよ。どこがリアリティのあるヒーローだよ、と思い直すのだった。アメコミヒーローに劣らないコミカルなヒーローぶりだと思う。『ウォッチメン』のテーマとして強調されているように、正義のヒーローと精神異常者は紙一重だ、ということも意識させられる。マイナス面もあるが、なんだかんだ言ってもヒーローの定義を考える上で興味深いし、単純にヒーローとしてジャック・リーチャーは魅力的なのだけれど。
読了日:10月31日 著者:リー・チャイルド





犬とハモニカ犬とハモニカ感想
  相変わらず人間の耕作的交錯でさえ淡白に描写するこの文体は、零度のようで零度ではないのだろうが疑似的な無を感じさせるので心地良い。静かに独特な心理描写、登場人物たちの洒落た生活。源氏物語の現代語訳らしい「夕顔」、ポルトガルが舞台のゲイカップルの田舎旅行の「アレンテージョ」、という風に短編集だがあまりに統一性がない気がして全体としては中々のめり込めず、すこしつかれただった。起承転結が良くも悪くもハッキリしない話ばかりだった気もする。もうちょいわかり易くてもいいような。
読了日:10月14日 著者:江國香織





宝島 (新潮文庫)宝島 (新潮文庫)感想
  海賊が遺した宝島の地図を乗せその宝島に向かう船に乗り込んだ少年ジムの冒険。という風にあらすじだけ見ればヤングアダルト向けの典型的な冒険小説なのだが、文体や表現などは一般小説のものだから、その違いがちぐはぐで意外で不思議だった。船内の集団心理学的な描写とかは面白いが。もっと軽妙にコミカルに書いてもいいのになと思い、興奮する冒険ではあるがすこし退屈な読書になった。海賊たちはやたらラム酒を飲んでいて、それを真似して自分も飲み始めてみた。『ジキル博士とハイド氏』の作者でもあるスティーヴンソン。
読了日:10月31日 著者:スティーヴンソン,佐々木直次郎,稲沢秀夫,RobertLouisStevenson





高野聖・眉かくしの霊 (岩波文庫)高野聖・眉かくしの霊 (岩波文庫)感想
  現代語訳を読みたくなる。旅僧が語る奇妙な話を聞く「高野聖」ともう一篇。夏目漱石の同時代の頃に生きた作家だが、書かれている文章は古文に近くそれプラス擬古的で独自の文字、言葉遣い。だから非常に読みにくい。それが味ではあろうけど、疲れる。書かれていることはわからないし、ほぼ覚えていない。ただ奇譚、怪談、怪奇的な雰囲気は好み。解説で比較されている上田秋成を読みたくなった。
読了日:10月19日 著者:泉鏡花





草迷宮草迷宮感想
  いったい何だったんだ……、という夢を見た後や奇妙な迷宮を抜け出した後のような読後感。正直、さっぱり文章が頭に入ってこなかった。無意味にさえ思えるほど異様に凝っている文章をまともに読む気になれず。管を巻くような駄弁で煙に巻かれたような気持ち。しかし、話の奇怪さや意図的なのかはわからないが読む者を迷い込ませるような体験はなかなか興味が残る。こういう奇怪ものを読んでいくと、変な実体験をしてみたいという変な欲求が高まってくるので困る。
読了日:10月31日 著者:泉鏡花




封神演義〈下〉降魔封神の巻封神演義〈下〉降魔封神の巻感想
  現実を見ての通り人間だけでも争いは起こるのだけど、この物語では仙人界の介入によって起こる戦争が描かれている。完結ということでめでたしなのだが、封神された人も仙人も「神」という存在になる。どうやら仙人と神は区別されていて、神は自由に動き回ることなく、ただ名や物語が語り継がれ奉られる存在のように思える。そもそも元始天尊らが企てる「封神計画」がうさんくさく思える。それなりに楽しめたが、もっと深く深く知りたくなる世界観。雑魚キャラかと思いきや土行孫の土に潜る能力の使い勝手の良さはあなどれないものだった。
読了日:10月1日 著者:許仲琳





■ノンフィクション


弱いつながり 検索ワードを探す旅弱いつながり 検索ワードを探す旅感想
  手軽でありながら濃厚な一冊だった。ネット社会をどう生きたらいいか、それは旅に出ることだろう、ということが基盤にある自己啓発書だけど時に批評的、時に哲学的、そして著者の活動であるフクイチ観光地化計画など。幅広いがしっかりまとまっている。ぼくたちは見たいものを見ているだけ、いたい場所にいるだけ、ということは少なくとも自覚しなければならないだろう。そして、旅に出られればもっとよい。きっと世界は広がるし、「自分」は絶えず更新されていくのだろう。そう簡単にできることではないのだろうけど。旅行いいなぁ。
読了日:10月6日 著者:東浩紀


●関連のあるエントリー
「検索という物語製造装置」(2014.10.06)





ジャパニーズ・ロードジャパニーズ・ロード感想
  デビュー作の『ASIAN JAPANESE』はアジア諸外国を扱っているようだが、この『JAPANESE ROAD』はアジアから帰国した沖縄から始まり北海道まで北上していく記録。その旅路で様々な人々に出合いプロフィールや仕事へのポリシーを聞き写真を撮っていく。風景やポートレートなどの写真七割、人物紹介や街の情景などの文章が残り三割、という具合の一冊。紹介される人物は自分の仕事に熱心だが成功者と呼ばれる人々ではなく、ただ自分の仕事に惹かれ究めていく人々という印象を受ける。陰気な日本の写真がそれに合う。
読了日:10月31日 著者:小林紀晴





レヴィ=ストロース『神話論理』の森へレヴィ=ストロース『神話論理』の森へ感想
  全四巻の大著『神話論理』が初めて邦訳されるにあたり2006年に編まれたレヴィ=ストロース好きたちによる小論集のようなもの。『神話論理』は未読だが、どんな内容なのか大ざっぱに理解はできる。なるべく読んでからこれを読んだ方がいいが。編者の渡辺公三さんと木村秀雄さんは『神話論理』の訳者でもあり、この本に文章も寄せている。人類学の、人間や住む世界について俯瞰的な視点。人類学への憧憬が蘇ってくるよう。
読了日:10月30日 著者:





水の国の歌 (熱帯林の世界)水の国の歌 (熱帯林の世界)感想
  ボリビアやそこから船で川を遡ったブラジルなどアマゾン川流域(アマゾニア)でのフィールドワークの記録。終盤の第六章は幻覚剤とシャーマンがテーマ。アマゾニアのシャーマンは巫術に植物から作った幻覚剤と歌を用いるらしい。シャーマンが儀式でお経のようなものを唱えたり叫ぶということは知っていたが、歌うというのは意外だった。治療として参加者も一緒に歌う。例えばRPGの『ファイナルファンタジー』でジョブの吟遊詩人が歌や演奏で攻撃や回復、補助を行えるがそういったアビリティに説得力を感じる。音が世界に与える影響は侮れない。
読了日:10月14日 著者:木村秀雄





共生の森―熱帯林の世界〈6〉共生の森―熱帯林の世界〈6〉感想
  アフリカのイトゥリと呼ばれる森に棲み込んだフィールドワークの記録。エフェ・ピグミーと呼ばれる小柄な狩猟民族と、農耕民レッセ族の共生。「共生の森」というタイトルは以上の異なる民族の協力を表し、一方で人間と森の共生を表しているのだろう。エフェとレッセは区別されているが、実情として著者が調査した70年代後半以降はお互いが結婚して子供を産むことも多く民族の混合が珍しくないらしい。さて、これで「熱帯林の世界」全七巻を読み終えてしまった。とても興味深いシリーズだが頭に入り切ってはいないので何度でも読みなおしたい七冊。
読了日:10月26日 著者:寺嶋秀明





インド哲学へのいざない―ヴェーダとウパニシャッド (NHKライブラリー)インド哲学へのいざない―ヴェーダとウパニシャッド (NHKライブラリー)感想
  宗教系とかジャック・ブロスの本を読んでいるとちょくちょく出合う「ヴェーダ」や「ウパニシャッド」という名前の書物。詩のような形で哲学らしきものが語られている断片を見た記憶があり、もうちょっと知ってみようと思い手に取った『インド哲学へのいざない』。読み易いが難しい。なぜなら正に「禅問答」のようなことが語られているのだから。アートマンブラフマンは区別されているのだな、と思っていた矢先にこの二つは同一だ、という文章もあったりと度々混乱する。でもわからないなりに面白く、もうちょっと理解したくなった。
読了日:10月30日 著者:前田専学





読書メーター





弱いつながり 検索ワードを探す旅

弱いつながり 検索ワードを探す旅

2014-10-20

猫の実験

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  「猫は名付けられた名前によって鳴き声が変わることが実験によってわかった。当初は性格や行動まで変化することが予測されたが、そこまでの変化は確認できなかった」、という架空の実験と結果を考えていた。


  しかし、現実として名付けられた名前で猫の鳴き声が変わることが実際にあったとしても、客観的に科学的に事実だと証明することは到底不可能だろう。猫には個体差というものがあるのだから、一匹の人生には一つの名前しか通常与えられない。猫が複数の名前を持ったところで、その猫と鳴き声は結果的に一つきりなのだから。


  同一の猫で別々の名前を与えた結果を観察できるとしたら、それこそ『シュタインズ・ゲート』の電話レンジを使ったタイムリープを行うくらいしか方法はないかもしれない。


  と言っても、タイムリープ毎に世界線は変わってしまうのだから、観測者が魔眼「リーディングシュタイナー(運命探知)」*1の能力者であり、複数の実験結果を体感として実感したところで、他の人類全体は唯一の世界線を生きる者たちに過ぎず、観測者が客観的に結果を証明するのはやはり不可能に思える。変性した猫の鳴き声は孤独な観測者の記憶にしか残らず、実験結果にも歴史にもならない。


  以上のことからわかるように、「猫は名前によって鳴き声が変わるか」という誰しも頭に浮かぶであろうこの素朴な疑問は決して証明不可能であり、人類にとって永久に抱え続ける猫の七不思議になるのだとおもう。




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STEINS;GATE

STEINS;GATE

*1: 「■運命探知(リーディングシュタイナー)●岡部が日常で感じた違和感をこの特殊能力で感知した…という厨二病設定。魔眼の能力らしい。●物語中盤以降は岡部倫太郎が発現した特殊な能力を指す。世界線変動率が変化し世界が再構築された事を知覚し、前の世界線の記憶を維持できる。そのメカニズムは不明。発動すると眩暈や発熱等の症状が出る。」(「用語集 - Steins;Gate/シュタインズ・ゲート 攻略・考察Wiki」より、http://masterwiki.net/steinsgate/index.php?%CD%D1%B8%EC%BD%B8#m2fd4e66