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2016-02-05

スコット・クーパー監督『ブラック・スキャンダル』を観た

  『ブラック・スキャンダル』を観た。

 

  『ファーナス/訣別の朝』のスコット・クーパーが監督。ボストンの犯罪王役のジョニー・デップが主演でその弟の政治家役がベネディクト・カンバーバッチ

 

  始めの30分くらいは睡魔と格闘の末、余裕で負けていたわけで、そのせいで最後まで登場人物の顔と名前が一致しなくなる。それでも、終わってみれば実話を基にした話ということもあり衝撃的な内容になっていた。

 

  原題は「Black Mass」だけど、邦題の「スキャンダル」はまさにそうで、芸能人の不倫とかのスキャンダルが平凡な日常の中に差し込む愉しさになるように、この映画は週刊誌の記事を映像化したような、社会の影を目撃したみたいな愉しさが残る。

 

  『ファーナス』のようなハードボイルドなドラマを期待していたけど、これはこれでよかったのかもしれない。割合は少ないけどバイオレンスの迫力はなかなか。

 

  正義と悪が混濁して灰色になっていくような話で、把握しづらい複雑なストーリーのつくりは『裏切りのサーカス』を思い出すけど、あそこほどではないか。そう言えば、こっちにもベネディクト・カンバーバッチが出てた。

 

  きょう公開のリドリー・スコットが監督の『オデッセイ』も気になる。


映画『ブラック・スキャンダル』予告編
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2016-01-11

Ambient Mix jan.2016 - Deep Learning

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  新作DJミックスです。

  アンビエントとかドローンとかA.I.人工知能)とか。

  A.I.については後付けだけど。


Ambient Mix jan.2016 - Deep Learning


1. Wipe by Philip Jeck

2. 6:26 by Suzanne Kraft

3. Clock Taps Its Face by Clue To Kalo

4. IJmuiden by Minit

5. Bosque by Fax

6. Album 4 by Mokira

7. November 21st Tape Three by Brian Grainger


  A.I.にミックスを組ませたいと思ってはみるが、まだ時期が早い。

  人間まだまだ怠けられない。

  しかし、いつもお世話になっているこのMixcloudでも既に近いことは起きている。

  いつからか、ミックスをアップロードすると、自動でアーティスト名や曲名が出てくるようになっている。不完全ではあるけど、便利ではある。どうやってんだ?という不思議さとおせっかいさもあり、少し不気味でもある。憶測だけど、波形を読みこんでMixcloud上か他のデータベースに蓄積されたデータと照合しているのかもしれない。(今回アップしてみたらその機能が機能したいなかったけど。そこらへん気まぐれでMixcloudはよくわからない)

  A.I.に小説を書かせるのは難しいらしい。「小説できました!」とA.I.が叫んでも、それが人間にとってきっと面白くはないんだろう。そのつまらなさを期待して読んでみたいけど。

  そう考えると、DJのミックスをA.I.に作らせるのは小説執筆に比べれば遥かに楽なんじゃないかとおもう。プログラムを構築してデータベースの量が多ければ多いほど、違和感のないミックスが出来そうだ。

  人間のDJが、Aみたいな曲の後にはBみたいな曲を繋げて、Bという曲の中で不要な部分はここだからカットして、という記録があれば、AIはその思考をデータベースから読み込んでいき、学習しながら一つのミックスを構築することになる。

  すべてA.I.に任せてもいいし、人間が介入して始点となる曲を決めてみたり、好きな曲を置いてみたりすればいい。

  そういう人間とA.I.共存する世界は楽しそうだ。




  と書いてから「人工知能 DJ」で検索してみると、『WIRED』や真鍋大度さんなどのイベントが引っかかってくる。そう言えば、『WIRED』でそんな記事を読んだような…。

  ここ一年くらい、『WIRED』には日々の思考上で多大な影響を受けているのだと自覚はありながらも、無自覚ではあったけどその影響が発現していて、それが今回のミックスということになるか。




  A.I.特集がおもしろい。

エクサスケールの衝撃

エクサスケールの衝撃

  上の『WIRED』に著者の齊藤元章さんのインタビューが載っていて知って今読んでいる本。

2016-01-04

2015年12月の読書

2015年12月の読書メーター
読んだ本の数:11冊
読んだページ数:3606ページ
ナイス数:94ナイス


■フィクション


エピローグエピローグ感想
  これは小説家としても小説としてもこじらせている、としか言いようがない。小説とは何か?更には日本語とは何か?を問うてしまっている思考は姉妹本の『プロローグ』に記述されているが、その思考を持った頭でSF雑誌に小説を書いてしまったらこうなってしまった、というような体裁。決して人には薦められない。馬鹿真面目に読んでいて、書き手も読み手も馬鹿なんじゃ?と思い始める。だが、嫌いじゃない。著者が一部の脚本を書いたアニメ『スペース☆ダンディ』の影響だろうか、縦横無尽するx次元の世界をアニメーションで見たくなる。
読了日:12月31日 著者:円城塔





百万ドルをとり返せ! (新潮文庫)百万ドルをとり返せ! (新潮文庫)感想
  定年退職で職場を辞める人が席を片付けていて、ゴミ箱に捨てようとしている直前に、「いる?」と訊かれて断りづらいので受け取った昭和の遺物のような新潮文庫。初版は昭和52年。義理で読み始めてみれば序盤こそ退屈だけど、次第に雪だるま式に面白くなってくる。株取引で詐欺のカモになった四人が集結して、影のボスを詐欺で仕返しして100万ドルを取り返そうという話。サスペンスでもありコミカルでもあって、「詐欺映画」とい点で作中で話題になっている『スティング』に近い。映画化はされていないみたいだけど、ぜひ映画で観てみたい。
読了日:12月12日 著者:ジェフリーアーチャー





偶然の音楽 (新潮文庫)偶然の音楽 (新潮文庫)感想
  親友が殺されたきっかけになったその殺したやつの身内の幼い男の子が、ひたすら石を積んで壁をつくっている作業中にやってきて、遊んでもらおうとなついてくるが、男はその男の子に堪えようのない殺意を抱いて葛藤し、ついにはハロウィンの仮装をして現れた骸骨の姿をした男の子は死を象徴し、男になにかを伝えようとしているかのようだ。その場面だけ、極まっている。他は『ミスター・ヴァーティゴ』の系列のなにも面白くない普通のお話で腹が立ってくる。作風がここまで違うとアングラな音楽家みたいに作品ごとに名義を変えてほしいと思えてくる。
読了日:12月6日 著者:ポールオースター





マイトレイ/軽蔑 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-3)マイトレイ/軽蔑 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-3)感想
  エリアーデの「マイトレイ」は告白小説であり見事な異国的恋愛小説。でも、自分が作者に求めているのはこれではないので多くの人に読まれる全集に収められている作品がこれなことがとても残念。イタリアの作家モラヴィアは全く知らなかったけど、読んでみたら「軽蔑」はサスペンスのある愛の葛藤のような夫婦の話でとても面白い。夫も大概だが、妻は自己中心的だったり心を開かないことで結果的に最低の女になっていて、こんな人間いないだろっと思ってしまう。夫婦関係が夫が書こうとしている「オデュッセイア」の映画の脚本に巧く絡みついてくる。
読了日:12月5日 著者:アルべルト・モラヴィア,ミルチャ・エリアーデ





転落・追放と王国 (新潮文庫)転落・追放と王国 (新潮文庫)感想
  中編の「転落」と「追放と王国」と題された短編集の集まり。「転落」と短編群ではまた雰囲気がちがうが、どちらにせよ「カミュってこんなだっけ?」と思うようなところは共通する。短編のいくつかはヨーロッパでもアメリカでもない、アルジェリアなどのアフリカ大陸が舞台となるのだからエキゾチックな感覚になる。実のところ丸々一冊、読んでいて内容がほとんど頭に入ってこなかった。でも、それぞれの作品の風景描写は詩的で好きなものだった。
読了日:12月5日 著者:カミュ





リーンの翼 2リーンの翼 2感想
  長い戦いだった。聖戦士・迫水真次郎の戦はひとまず終わった。剣の争いに銃器が混ざり始める点でも戦国時代みたい。一方、『指輪物語』や『ホビットの冒険』のような中世のファンタジーらしくあり、個人的には『ファイナルファンタジータクティクス』や『タクティクスオウガ』を思い出す。妖精のようなフェラリオのノストゥ・ファウが可愛らしく、読んでいると『エルガイム』のリリス・ファウの姿が頭に浮かんでくる。三巻からようやく読みたかったOVAでの現代のストーリー。ここまであまりに長かった。
読了日:12月5日 著者:富野由悠季





■ノンフィクション


一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル (講談社文庫)一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル (講談社文庫)感想
  かねてから興味はあり文庫化を機に読み始めてみると、これは面白い。でも、この本はどうやら誤解されやすいらしく自分も恣意的に好きなように読み変えてしまっている気もする。それだけルソーの唱えた「一般意志」なる概念が抽象的で夢じみているということもあるが。著者が自ら言っているが、単行本が刊行された時期が悪かった。2011年11月で、3.11から半年ほど。人々が政治に敏感になっている時期には確かに誤解されてもしかたがない。自分の場合、今このタイミングで読めてよかったのかもしれない。4年前の本だが内容はむしろ新しい。
読了日:12月31日 著者:東浩紀





レイヤー化する世界―テクノロジーとの共犯関係が始まる (NHK出版新書 410)レイヤー化する世界―テクノロジーとの共犯関係が始まる (NHK出版新書 410)感想
  未だに「レイヤー」の概念が掴めていないが、宮台真司さんが言った島宇宙化する社会の発展系みたいな感触。民主主義とは何か、西洋化された社会は当然のあり方ではなくて、国家という区分も一時の考え方に過ぎない、と。それを説明する前提の世界史の部分が長すぎる気もするが。アップルやグーグル起業を例えとして、国家の枠組みを超える営みの在り方を示していて分かり易い。グローバル化とか国家の境界が曖昧になるという見通しは、同時期に読んだ東浩紀さんの『一般意志 2.0』にも繋がる部分があるように思える。
読了日:12月31日 著者:佐々木俊尚





キズナのマーケティング ソーシャルメディアが切り拓くマーケティング新時代 (アスキー新書)キズナのマーケティング ソーシャルメディアが切り拓くマーケティング新時代 (アスキー新書)感想
  「キズナマーケティング」というタイトルだけど刊行は2010年4月。つまり3.11の前。それなのに「キズナ」というキーワードを使っていて先見性を感じる。著者が本の中で言っているのは、SNSを使ってマーケティングするにしても相手との人間関係を大切にしろ、ってことだけど。専門用語が多い部分もあり読み進めるだけでは中々頭に入ってこない。ただ、巻末のマイクロソフトソニーなどの担当者のインタビューは実績として分かり易く面白い。
読了日:12月31日 著者:池田紀行





いのちを守るドングリの森 (集英社新書)いのちを守るドングリの森 (集英社新書)感想
  著者の宮脇昭さんは植生学を研究してきた人で、本書にも専門的な部分はあるけど、植樹の実践の記録が紹介されている部分が多く読み易い。木々が生い茂っていればそれは自然だと思ってしまうんだけど、大半は人の手が加えられているという意識は持っていたほうがいいんだろう。樹を植えたくなる。
読了日:12月31日 著者:宮脇昭





ブラジルから遠く離れて1935-2000ブラジルから遠く離れて1935-2000感想
  薄紅という色合いでフランス語らしき言語が印字された素敵な装丁で、中には写真がいくつかあり手に取ってみる。文化人類学者の今福龍太さんとサウダージ・ブックスの淺野さんによる共著。レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』を回顧するような内容だけど、展示会や対談などがまとめられたものなので、ちょっと情報としては物足りない。造本もページのデザインも凝っているので、一つの物として傍に置いておきたくなる本。
読了日:12月31日 著者:今福龍太





読書メーター


プロローグ

プロローグ

エピローグ

エピローグ

2015-12-29

散歩からの『スぺクター』

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  土曜日に三鷹駅に用事があったついでに、玉川上水を遡って小金井公園内にある江戸東京たてもの園に行こうとおもい歩いてみたところ、1時間くらいかかってけっこう疲れた。

 

  小学生くらいの頃、学校から歩いた記憶があってそんなに距離があった気がしていなかったのだけど、けっこう苦痛だった。

 

  いざ小金井公園に辿り着くと、「本日たてもの園はお休みです」みたいな看板があったけどそんなバカみたいな現実は受け入れられず信じられなかったので、入口まで行ってみるもののやっぱり休園でした。どうやら、ちょうどその土曜日から年始まで休み。まぁいい。小金井駅までまたけっこう歩いて吉祥寺へ。

 

  『007 スペクター』を観た。時代を感じる映画館で何度か来たとがあった。なかなか楽しめた。序盤のパレードからの暗殺のシーンが好き。でも、ボンドがもてすぎて一人くらい分けてくれと思った。

 

  今回のボンドガールを演じたレア・セドゥは綺麗だけど、長身痩躯(もしくはナイスバディ)なボンドガールらしさはなくて、錯覚だろうけど身近に感じる女優さん。鼻がチャーミング。始めはツンツンしているけど、次第にお約束通りデレていく。ボンドへの反発度は『ゴールデンアイ』のナターリア程ではないけど。ナターリアは美人だけど見てるとけっこうムカつく。だいたい始めは反発的なのがボンドガールか。

  

  この前観たスター・ウォーズ/フォースの覚醒は楽しる点も多い一方、イライラする点も多い映画だった。特にせっかく復活したキャラを復活一作目で死なせるのは理解しがたい。でも、いろいろ感想などを読んでいるとまた観たくなってくる。

 

  『スぺクター』は、そういえば戦闘じゃないシーンで居眠りしてしまったのもあって、また観直したい気もする。映画館だとやはり集中できるからいい。居眠りするリスクもあるけど。

 

  ここ一週間くらい自宅のインターネットが繋がらない状況でインターネット難民(?)な気分の日々だった。ネットのコードに自分で足をひっかけてぶっちぎってしまったわけだけど。ネットがないならないでそこまで困らないということも分かり、情報を発信しないならしないで死ぬわけではないので、このまま霧散してしまいたい気持ちが醸成されつつある状況でしたが、今朝修理に来てもらいこうして接続。


映画『007 スペクター』予告2
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2015-12-13

円城塔の『エピローグ』と筒井康隆の『モナドの領域』の類似点

エピローグ

エピローグ

モナドの領域

モナドの領域




※ネタばれあり




  円城塔『エピローグ』を読み始めたけど、読んでいると筒井康隆モナドの領域』を思い出さずにはいられない。筒井康隆は実際に小説を書くにあたって円城塔からけっこう影響を受けているんじゃないだろうか。


  『エピローグ』はまだ第二章しか読んでいない感想だけど。プロローグと第一章はロボットとかAIとか別宇宙とかのバリバリのSFでありこじらせたSF、という感じ。第二章からなぜか殺人事件の話になる。ここが問題だ。トイレの中に残された女性のものらしき腕と足。それが別の宇宙か時間軸から来たかのような痕跡に見える。


  『モナドの領域』も序盤は、河原で見つかった女性の片腕が事件になり警察官の捜査とかも作中にあり、ミステリー小説風になっている。その女性の片腕も別宇宙から来たかのように不自然で、平行宇宙の存在を思わせる。パラレルワールドとも言える。


  円城塔の『エピローグ』は『SFマガジン』で2014年4月号から2015年6月号まで連載。同年9月に書籍化。


  筒井康隆の『モナドの領域』は『新潮』2015年10月号に掲載された長編で同年12月に書籍化。


  また、『文學界』2015年2月号に筒井康隆佐々木敦の対談が掲載されていてタイトルは「あなたは今、筒井康隆の文章を読んでいる。」。この元になったトークイベント「メタフィクションの極意と掟、そしてパラフィクションの誕生?」は2014年9月末に行われている。その中で、円城塔の名前も出てきて、筒井康隆はパラフィクション(定義がいまいちわからないが)の書き手としてけっこう褒めていた気がする。だから、筒井康隆円城塔を読んでいる、と考えていいとおもう。



  パクったパクられたという低次元な話にはしたくなくて、パクるという程内容も近くないのだけど。影響源という話で言うと、『エピローグ』が世に出始めた2014年2月末(『SFマガジン』2014年4月号の発売時期)と筒井康隆佐々木敦のトークイベントのあった同年9月末を時間関係で見ると約8カ月の空間があるのだから、筒井康隆が『SFマガジン』で直接円城塔の『エピローグ』を読んでいてもおかしくない。


  しかし、円城塔メタフィクション癖やパラフィクション癖というのは今に始まったことではない。過去の作品でもそういう世界は小説で扱っていたと思うし、別にそういう小説世界が円城塔だけの技ではない。とは言っても、SF誌と純文学系文芸誌で殺人事件を扱いミステリー風な話にし、なおかつどちらもバラバラ殺人事件という共通点もあるのだから、偶然とは思えない。


  仮に筒井康隆が『エピローグ』をこの今現在でも読んでいないとしたら、それこそ面白い。でも、それは偶然とは思えない。パラフィクション世界の小説を創るにあたって、「宇宙を越えたバラバラ殺人事件」は一つの到達あるいは通過する点として、宇宙が始まる前から決定していたような事項に思えるからだ。だから、面白い。だから、この二作品の類似は怒ったりなじるよりも楽しみたい。


  また、メタフィクションにしてもパラフィクションにしても、フィクションという形式とか構造とかそれを読む読者をおちょくるようなジャンルだ、ということを考慮したらいいかもしれない。つまり、筒井康隆はわざと、『エピローグ』に似せた。そう考えるのも面白い。宇宙は繋がっていたり、平行に並んでいたり、連続していたり、するかもしれない。頭がそう私に考えさせる。




「『 創作の獸櫚瓩鯊任素砲詢蓮——筒井康隆インタビュー」
https://cakes.mu/posts/7763


  こちらのインタビューで佐々木敦の著書『あなたは今、この文章を読んでいる。』や円城塔についても話題に出ている。


  佐々木さんはその小説を読むたびに、読者に新たな物語が生成される。そうしたプログラムが内包された小説をパラフィクションと呼ぼうと提唱しています。
  どういうものかというと、メタフィクションが作者がその物語を書いていることを作中で暴露することで、“作者の存在を意識させる”のに対し、パラフィクションでは、読者がその物語をいま読んでいることを指摘することで、“読者が当事者であることを意識させる”ということです。




  ちなみに、『エピローグ』とほぼ同時期に『文學界』で連載していた円城塔『プロローグ』という私小説(?)も11月末に書籍化されていて、両方一緒に買ってきた。二つのタイトルから察してはいたが、内容が部分的に繋がっている。


  『プロローグ』は連載時に毎回読んでいてとても面白かった。私小説とも言えるけど、フィクションでもあり、『エピローグ』に登場する人物の命名というか作成法が書いてあったりして制作秘話みたいな内容にもなっていて、意味が分からない。その意味のわからなさがたまに知的な可笑しみを滲みだしていて、凄くよかった。


プロローグ

プロローグ




■追記(2015.12.13)

  上の文章を書いた直後に、同じようなことを考えている人いるのかなと思いググってみたところ、当の佐々木敦さんが同じようなことを9月末にツイートしていて笑ってしまった。