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2006-02-08

韓国茶道は無い1


韓国人韓国にも茶道が有るとか、日本の茶道韓国から伝わった物だと思い込んでいる。日韓の翻訳掲示板などを見ると未だにその論議が続いているし、金達寿や金両基などという日本でそれなにり名前の知られた評価の有る韓国人でもそんな風に思い込んでいる。


例えば日本の茶室は朝鮮の納屋をまねたものだとか、朝鮮人博多に住まいをしていたのを見た博多商人時代の千利休が取り入れたのだとか言っている。ひどいのになると千利休自体が博多にきた朝鮮人だと言う物まで有る。ここまでくると写楽がキムホンドだというのと同じレベルの妄想で、中田や松井やイチロー在日認定されたのと同様の心理が働いているといえる。


このような韓国人の心理は、韓国人の喪失感が原因だと思われる。韓国人韓国は日本より文化的に優れており、朝鮮民族は日本民族より優秀だという観念に支配されている。ところが現実には日本人は世界で活躍し、日本文化は世界で支持される一方、朝鮮には独自の文化は無いし世界に活躍する韓国人も少ない。


だから結局日本のこれは韓国から盗んでいった物だとか、この日本文化の起原は朝鮮だとか、あの日本人は実は韓国人なのだという妄想で観念と現実のずれに葛藤する自分をいやすしか無い。


韓国人は日本に来ると日本文化朝鮮との共通点を見いだして驚く。そしてそれは朝鮮から日本に文化が伝わったからに違いないと思い込む。しかし韓国人日本文化を見て朝鮮文化と似ていると感じるのは別に日本が朝鮮をまねたからではない。単に日本と朝鮮が同じ時代に同じ地域から文物を導入したからにすぎない。具体的に言えば日本も朝鮮も6世紀頃から北魏や南粱、隋や唐から文物を導入した結果にすぎない。


しかし韓国人朝鮮が日本に文化を伝えたという確固たる信念が有るから、日本に朝鮮と似た物を見ればまさしくこれは朝鮮から日本に伝わった物に違いないと思い込むのである。


さて茶室いて言えば、日本人の中にも朝鮮の影響が有るという連中がいるのだが、実は誰でも知っている有名な書物にその原型が書いてある。それは千利休よりずっと前の鎌倉時代に鴨長明が書いた方丈記である。方丈と言うのは鴨長明が隠遁の地に建てた一丈四方の住居からきている。千利休が造った茶室と同じような小さな草の庵である。こういう誰でも知っている原型が有るのに一部の日本人もそれを無視して朝鮮の影響と言っている。


ではこの方丈記の住居の原型は何か言えばそれは阿弥陀堂である。世俗を離れたところで、仏をまつるための阿弥陀堂を建てて、自分も其所で寝起きして少しでも仏の近くにいて仏の功徳を受けたいという当時の人々の発想である。奥州藤原氏中尊寺金色堂や足利義満足利義教金閣や銀閣を建てたのと同じ発想である。もっとも時の最高権力者が建てた金閣や銀閣は一階が住居で二階が阿弥陀堂になって分かれているのだが、仏のそばで寝起きするというその発想は共通している。


また鴨長明の住まいや金色堂、金閣銀閣などの阿弥陀建築が正方形なのは阿弥陀が世界の中心に有るという仏教の世界観を具現化するためである。


一方日本における喫茶の習慣は禅宗と一緒に入ってきた。禅の修行では朝夕二回、皆が集まってお茶を飲む。朝は一日の予定を伝える時間、夕は一日の反省をする時間である。この時お茶は気分をすっきりさせたり、また気持ちを落ち着かせるために飲まれた。


この喫茶の習慣が禅を支持し、禅の修行をした武士によって日常に持ち込まれ、武士の社交のマナーになった。そこで社交のルールとして茶道が誕生したのである。茶道仏教の関わりと阿弥陀堂、この関連性を考えると、鴨長明や足利氏、藤原氏などの当時の日本人の仏教と関わる住居についての発想が先ず有って、千利休茶道仏教から全く独立した独自の文化にするためにこの阿弥陀建築から仏教色を排除して建築様式の精神のみを茶室に取り入れたと考えるのが筋が通っている。