ヒロイン複数型恋愛小説に代わる新ジャンルの提唱

やたらたくさんの女の子が主人公に惚れまくるのはもううんざりである、全然現実的じゃないという意見はよく聞く。現実的ということに対して色々反論したいことはあるけれども、言っていること自体はよく分かる。全く同感だ。
とりあえずヒロイン格サブヒロイン格の女の子をたくさん出してみてる作品は、特にライトノベルなんかで非常によく見かける。ワナビの書くものにもよくある。でもどう考えたって、一本のストーリーに二人以上のヒロインはオーバーロードだ。多数の属性を持ちたいのは分かるけれども、本来そういうことは十分なスペースと構成力が無いと出来ないことじゃないのか? ふつうの物語を退屈も停滞もさせずに描くことすらまともにできてないのに、そこに複数の萌えと恋愛ベクトルまでぶちこんだらこれはグダグダにならない方がおかしい。巻数がいたずらに増えない方がおかしい。取ってつけたようなキャラ追加現象が起きはじめたらもう末期である。よほど腕に自信があるのでなければ、たとえば開幕五十頁でヒロイン二人を対立させるような暴挙に出るべきではない。
しかし(現実的なという面から考えれば)逆に一人の少女とばかり接点を持つというのも、これはこれで出来すぎなきらいが無くも無い。春休みに遠い町で出会った子が自分のクラスに転入してきただとか。教室で、街角で、戦場で、文化祭で、異世界で、いつも大体おんなじ子と遭遇するだとか。毎度毎度その子ばかりが面倒に巻き込まれるだとか。
『現実的に』考えれば、女の子は星の数ほどいるのである。主人公とヒロインをくっつけようとしたりするからご都合主義っぽくなるのであって、恋愛云々を捨てれば何も短編連作でなくてももっとドライにやれるはず。ここは一つ、場面ごとに異なる少女に代わる代わる登場して頂いては如何か。
特にメインのヒロインは定めないでおく。一貫した主人公が一人いればそれで良いだろう。主人公と目的を共有した進行役をお供に付けてもいい。話の展開は宿命的に主人公を軸としたものになる。
主人公と少女たちは物語を通して出会い、遊び、語り、連れ合い、戦い、競い、助け、見つけ、閃き、裏切り、利用し、利用され、場合によっては殺してしまっても構わない。ともかく普通に「主人公とヒロイン」の構図を作る。たくさん作る。しかし構図だけ作っておいて、発展はさせない。彼女たちのキャラクター性についても、読者に発見させるというやり方を採る。ヘタに属性内面経歴その他を掘り下げることはせず、主人公―少女間の感情についても最低限かつ行きすぎない信頼或いは信用程度に抑えておき、ただ物語を描くことによってのみキャラクターを描く。こうすれば数多の属性を孕み尚且つしつこすぎないお話が、出来るような気がする。萌える奴は特にあざとい描写がなくても勝手に萌えるから問題ない。言わばノンヒロイン型ライトノベルである。
有名所では『二四〇九階の彼女』『ポストガール』『ゼペットの娘たち』などがこれに当てはまる
と言えるかもしれない。しかしこういった作品は未だ少数派で、優秀なものとなればさらに数を減らす。惚れた腫れた無しってのも、結構悪くないと思うんだけどな。
ところでヒロインを複数立てるという手法の『ヒロイン複数型』は、今や流行を越えて前提要素のようになりつつある。数えてみたところ、二〇一一年に放映が為された或いは為されるラノベ原作アニメにおける主人公へのフラグ本数は、一作品平均にして三・〇を上回る勢いだ。『ベン・トー』とか『ダンタリアンの書架』といった(どっちかといえば)硬派な作品があって尚この有り様。おかしいだろ絶対。
なにもヒロイン複(以下略)自体を批判するわけではない。ないけれども、各方面で散々述べられている通り、そろそろ飽和もいいところである。読者の偏食傾向にも問題があることは百も承知なのだが、ノンヒロイン型でなくとも何か別の方向を模索してくれと発信者側へ願わずにはおれない。ついでに全体的な巻数の増加もなんとかしてほしいです。