杏葉紋と浄土宗寺院



 


 
 昨日(13日)は、東京世田谷北烏山にある専光寺の施餓鬼会に出席した.近く傘寿を迎えるご住職は、まだご子息の副住職に交替していなかった。専光寺は、喜多川(北川)歌麿の墓があることで知られる浄土宗の寺院である.歌麿の墓には花が供えられていた.
 来年は、浄土宗の開祖法然上人(法然源空)が、建暦2年(1212年)に入滅してから800年にあたり、京都知恩院では、3月27日(日)〜盛大な大遠忌(おんき)が催されるという.さて法然上人の出自は、美作(岡山県)の在地豪族漆間氏である。漆間氏は、九州大友氏の系譜に繋がる立石氏の傍流として登場している.父の漆間時国が明石定明の夜襲で討ち死にして後、15歳のとき比叡山に入山、長い修行の末、43歳にして「本願念仏」の浄土宗を開いたのだ。
 戦国大名大友氏の家紋が、杏葉紋(ぎょうようもんorぎょようもん)である。これは、大陸伝来の馬具唐鞍の飾りに起源する、現代であれば、イタリアブランドのデザインのような人気と権威をもった家紋らしい。されば、大友氏を戦で破った竜造寺隆信は、戦利品としてこの家紋を奪ったそうだ.竜造寺隆信の死後肥前大名となった鍋島藩もこの家紋を採用している.
 そこから、大友氏一族に繋がる漆間氏を出自とする法然上人の開いた浄土宗寺院では、この杏葉紋を宗紋としているのである.二つの杏葉紋=抱き杏葉紋を月輪で囲んだ、「月影杏葉紋」が使われている.「月影の いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ」の上人の歌からきている。
 ところがこの杏葉紋を真似た意匠の家紋、茗荷紋があって、しばしば混同されたらしい.こちらは茗荷の葉の葉脈が描かれてあって、よく見れば違う家紋である.わが専光寺においても、門扉の紋様は、紛れもなく「月影杏葉紋」であるのに、水鉢および賽銭箱の紋様は、なんと茗荷紋であった.おいおいしっかりして下さいよ.ナムアミダブ。
 勉強させていただいたサイト
      http://www.harimaya.com/o_kamon1/hanasi/kamon_i.html (茗荷と杏葉 )
      http://www.harimaya.com/kamon/column/gyoyo.html    (杏葉紋)
      http://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-enmt/indextop/kamon.html (江戸大名家紋一覧)
      http://gos.but.jp/tateisi.htm (立石家系譜)
      http://www2s.biglobe.ne.jp/~fusenji/kenkyu/shumon/shumon1.htm (宗紋の問題点)
      http://www.ippongi.com/2009/05/20/(烏山の専光寺でみつけた杏葉紋と茗荷紋との混乱)
 http://www.chion-in.or.jp/onki/index.html (元祖法然上人800年大遠忌)

⦅写真(解像度18%)は、多肉植物カランコエ・ウエンディ(上)と、ホタルブクロ(下)。小川匡夫氏(全日写連)撮影.⦆