『バーテンダー〜Bartender〜』というカクテル(2)

 
 昨日4/1(金)放送で、TV朝日のドラマ『バーテンダー〜Bartender〜』が終了してしまった。視聴率はそれほど高くなかったらしいが、NHKの『四十九日のレシピ』(和久井映見主演)とともに、最近の連続ドラマでは、破綻なく面白くできているほうではないか。ほかはまったく観ていないが、多分あたっているかと思う。
 主役のバーテンダー佐々倉溜(相葉雅紀)を、同じジャニーズならば、『必殺仕事人』で見どころあった、「関ジャニ∞」の大倉忠義に演じさせれば、さらに締まったかもしれないが、相葉雅紀クンの甘いイメージも悪くはなかった。ただ表現・表情に歴史性(時間の推移)が感じられない。成長を期待したい。
「ホテルカーディナル」メインバーのチーフバーテンダーを決める、葛原隆一(金子ノブアキ)との勝負で、はじめに溜が用意したカクテルは、深紅の薔薇の名をとった「アメリカン・ビューティー」。ネットで調べると、ポートワインをフロート(Float)にした甘い味のカクテルで、女性むきだそうだ。
http://www.misichan.com/cocktail/d/word_%A5%A2%A5%E1%A5%EA%A5%AB%A5%F3%A5%D3%A5%E5%A1%BC%A5%C6%A5%A3%A1%BC
http://www.cocktailtype.com/recipe/recipe_0009.html
http://gourmet.biglobe.ne.jp/bar-style/try/bra/bra_001.html
 とすると、審判が来島美和(貫地谷しほり)と予測していたことになるのか。祖父泰三(津川雅彦)を喪って、両親もいない美和の哀しみを癒すべく、準備していなかったカクテルに代えてしまい、けっきょく溜は、負けてしまう。しほりんは、最後は千葉佐那さまになっていた。溜は、新しいバーを開店し、そこにはチーフバーテンダーとなった葛原からの祝いの花束が贈られてあり、美和が客として駆けつけるという、なかなかよいカクテルのように味のある結末であった。


 昔書いた「初心について」というエッセイ(『社会認識のために』勁草書房所収)を思い出した。一部を再録しておきたい。
世阿弥の「初心忘るべからず」の言葉が、通俗的な教訓として語られるように初めの熱い志や情熱を忘れるなとの意味でないことは、今さら言うまでもない。そうではなくて、初心のときの表現技術の醜悪さ、稚拙さを思い起こし、それと現在の芸境とを比較して「今の位」即ち上達した現在の表現技術を維持しろという戒めなのである。/表現とは自己確認の行為であり、世界との関わり方であるとすれば、広い意味での生き方そのものであるといってもよいだろう。生きていくということ自体が、絶えざるひとつの表現なのである。とすれば世阿弥のこの言葉を芸術論に限定せず受けとることも許されるだろう。/しかし一方で世阿弥は、人は十七、八歳になるまでに「時分の花」つまり肉体=自然の美しさを喪失してしまうと述べている。少年はことさら構えなくてもその物腰は本来的に美しいはずなのである。人はこの花=美しさの喪失に堪えつつ、表現によって得られる美しさ、「まことの花」を生み出さなければならないというのである。/そうなると「初心」とはただ単に時間的に遡って初めの頃の表現、ということではなくなってくる。己の自然性(の推移)がもつ醜さを超えようとするその時々の決意と表現が、過去形で省みられて「初心」ということになる訳である。』(同書p.85〜86)
 ここでの「表現」をカクテル、「まことの花」を「神のグラス」とすれば、そのまま来島泰三のカクテル哲学となろう。

バーテンダー DVD-BOX

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⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町に咲くレンギョウ(連翹)の花。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆