女が髪を切るとき

 http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/(「NHK『八重の桜』)
 http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/outline/story26/(「第26回『八重、決戦のとき』」)
 NHK大河ドラマ『八重の桜』も前半の佳境を迎えている。第26回「八重、決戦のとき」は昨日7/6(土)放送のも観てしまった。八重(綾瀬はるか)が、夜襲に参加するため髪を切る決断をし、それを親友の高木時尾(貫地谷しほり)にしてもらう場面は感動的であった。この大河ドラマが、女性を主人公にした物語であることをはっきりと示した名場面といえるだろう。八重の決断の凛々しさと哀しみ、時尾の躊躇と友情が薄暗い蝋燭の炎を頼りに一つの鏡に映し出され、歴史のうねりに翻弄される個の人生の無惨さが浮き彫りになる。なお、西郷頼母西田敏行)の家族自刃の場に現われた新政府軍リーダーのもののふの情を描いていて、そのあたりは公正さを失っていない。視聴率を見ての後出しジャンケンのようなTVドラマ批評に、右往左往しないことを望みたい。



 八重は、みずから髪を切ったのであるが、意志に反して切られてしまう悲劇もある。ジュゼッペ・トルナトーレ監督のイタリア映画『マレーナ』では、第2次世界停戦中シチリアのある村の気高く美しい女性マレーナモニカ・ベルッチ)が、夫戦死との虚報の後自暴自棄となり娼婦に身を落とし、ドイツ軍将校の相手を務め、戦争が終わり解放されると、彼女に嫉妬していた村の女たちの凄惨なリンチに会う。そのとき、マレーナは染めていた髪をハサミで切り落とされてしまうのだ。しかし時間が流れ、村に再会できた夫と戻って来たマレーナは、市場でリンチを加えた女たちと成り行きまかせともいえる和解をする。この終幕の一連のシーンは忘れがたい。
 


 http://www.cortigiana.net/cinema/malena.htm(「マレーナ、醜くて、美しい。」)
 http://blog.livedoor.jp/koredakecinema/archives/4635658.html(「死ぬ前にこれだけは観ておけ!」)
 http://ameblo.jp/django0116/entry-11294691023.html(「にわか売春婦の生業」) 
 ポーラ研究所が発行していた『is』31号(1986年3/10)は、「髪パフォーマンス」を特集している。
「対談・白洲正子山折哲雄」では、山折哲雄氏は、京都東本願寺本堂横にある、全国の女性信者から奉納された髪の毛でつくられた綱について触れ、「男の髪の毛より女性の髪の毛のほうが呪力が強いという感じがするんです」と語っている。野口武彦氏は「髪切りの怪」で、江戸時代中期の随筆『煙霞綺談』に「根本女の髪を切るは不吉の相にして、男へ対しよからぬこと」とあるが、一つだけ例外として『色道大鏡』によれば、遊女が男への心中立てとして切った場合があるそうで、ようするに男の心を和らげ再び会わんとする営業用の「風流」だったようである。美術史家高橋裕子氏は、ケネス・クラークの論など紹介し、19世紀美術における女性の長い髪に対するフェティシズムについて述べ、
……それからほぼ一世紀近くを経て、今日髪は往時の象徴性を大幅に失ったかに見える。髪にまつわる習慣も多くはすたれた。今世紀初頭まで髪を短く切ることが女であることの断念に等しかったことは人々の念頭から消えかけているし、その一方で、髪を長く垂らした女は、職業や立場によっては好ましからぬものとされるとしても、単に往来を歩いて白眼視されることはないだろう。……(同書p.20)

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家のコンロンカ(崑崙花)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆