迷宮と迷路


 小林頼子目白大学教授の『庭園のコスモロジー』(青土社)「第5章迷宮」では、ギリシア神話キリスト教のいわば共同幻想の歴史的文脈で造型されてきた迷宮のイメージが、「人の感情の表面をくすぐる装飾性や遊戯性がもっぱら強調される」迷路へと変貌していく過程がたどられていて、興味深い。そもそもカップ・アンド・リング・マークスと呼ばれる、一本道が曲がりくねって中心に至りつく模様は、地中海世界北ヨーロッパですでに石器時代からつくられていたそうである。
……つまり、ここから先は私の推測だが、古来から地中海世界にあった迷宮=ラビリンスは、ミノス王=テセウスアリアドネ神話により物語伝承という軸が与えられるや、複雑な構造の巨大建造物から一転し、カップ・アンド・リング・マークスと習合し、一つの入口から一本道が円周上を曲がりくねって中心に到達する複雑な構造物あるいは形態として理解されるようになったのではないか。神話という物語伝承には、共同体の記憶を抽象しつつ一定方向に収束させ、多様な偶発的な現象を一つの形象へとまとめ上げる力があるように思えるのだ。……(pp.118~119)
 シャルトルの大聖堂には、直径12.5メートルの円形をなして広がる、舗床モザイクによる迷宮が伝わっている。
……つまり大聖堂に西正面入り口(※ママ)から入った信者や巡礼者は、誰もがこの迷宮へと足を踏み入れるように誘われ、その後にしか祭壇や聖遺物のある聖堂の深奥部に進めないように配されているのである。ローマ時代の敷居迷宮が思い出される。外からやってきた者は、諸々の罪悪をこの迷宮を進むうちに浄化し、祭壇へと近づくにふさわしいキリスト者に変貌していくというわけだ。……(p.123)
 迷宮を愛のメタファーとした作例も生まれている。17世紀オランダの詩人ヤーコブ・カッツの『結婚』中の「娘時代」の章扉絵に、迷宮が描かれている。
……迷宮は若い男女の恋に血迷う様の寓意であり、メダイヨン(※大型メダル状の装飾)は、その図像の系譜とキリスト教との絡みを示唆する。テキストの方に眼を転ずれば、「若者が陥りがちなだらしのない、ばかげた混乱は、まるで何周もの路に囲まれた庭のようだ。それはわざとらしく飾り立てられた欲望の園、人を惑わせる狡猾な庭」と詠われる。一方でミノタウロステセウス神話に愛欲がはらむ危険を仮託し、他方でキリスト教の導きを意識しながら、プロテスタント社会が目指すべき市民的な愛の教訓が人を惑わせる迷路に事寄せて語られているのである。……(pp.130~131)
 なお迷宮(labyrinth)は、なかなか目的地には到達できないじれったさがあっても、一本道なので忍耐強く進んでいけばやがては中心に到達し、同じ道を逆にたどって出口に戻れる構造である。
 それに対して迷路(maze)は、入口と出口が複数あり、ときに道が複雑に分岐していたり、ときには行き止まりになっていたりする。終着となる中心点は存在せず、入り組んだ道をただただ行きつ戻りつし、方向を見失い、迷った末にようやくどれかの出口にたどりつく、というつくりになっている。

⦅写真は、東京台東区下町民家のコスモス。小川匡夫氏(全日写連)撮影。コンパクトデジカメ使用。⦆