ソフィー・マルソー頌

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simmel20.hatenablog.com▼わが父は、邦画は嫌いでまったく興味がなく、観るのは当時二つあったロードショー館での西部劇を中心とした洋画ばかりであった。だから、小・中学生のころすでに外国のスター女優の名前を少なからず諳んじることができたが、男優はいてもとくに贔屓の女優はいなかった。その後仏・伊ほかヨーロッパ映画のお気に入りの女優が多数できたが、名前を列挙するほどのことではない。そのひとりに、「女優マルキーズ」で、十七世紀フランスの舞台女優を演じたソフィー・マルソーがいる。じつは文才豊かな彼女は、みずからの小説で主人公の女優に託して書いている。
「その幻の世界では、なにを話しても、文字遊びのようにどんどん点数が加算され、世界が危険なまでに活性化していく。そこでは〈人間〉と〈英雄〉が同一視され、誰もが〈私〉と〈彼〉のあいだをふらふらと行き来する。この世界から逃れるには、お酒で酩酊するか、戦士や狂人になるか、魔法使いになって陶酔しながら炭の上を歩き、踊りながら奇跡を願うしかない。この仮想世界では、人間の精神は、恐ろしいほどに陽気で、とらえどころがない。/人は幻の世界に入りこむと、魅力的な知性をもった、絶対になびくことのない悪魔に心を奪われ、不可能を追いかけてしまう。しかし、それで得ることができるのは、指に引っかかった数本の金髪と、肌色のガーゼのようにもろい蠅の脚ぐらい。」(『うそをつく女』金子ゆき子訳・草思社

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ディドロ『ラモーの甥』

     ✼spartacusさんは、王寺賢太東京大学教授(18世紀フランス思想)

simmel20.hatenablog.com▼そのオペラ作品『イポリートとアリシー』の初演が昔実現(2003年11/8・演奏会形式)している(こちらは、残念ながら聴いていない)、18世紀フランスの音楽家ジャン=フィリップ・ラモーの甥ジャン=フランソワ・ラモーをモデルとした、ディドロの『ラモーの甥』では、パリのカフェで、聞き役の〈私〉を相手に、「ラモーの甥」と呼ばれる〈彼〉が、まるで西部邁氏と渉り合ったかつての宮台真司氏といった感じで「道徳論」など論じまくるが、人間の「ポーズ」について面白いことも語っている。
彼…貧乏な人間は普通の人のような歩き方はしません。彼は飛び、這い、のたくり、足を引きずって歩きます。彼はいろんなポーズをとったり、してみせたりすることで一生をすごすんです。
私…ポーズって何なんだね?
彼…それはノヴェールのところへ行って聞いてごらんなさい。上流社会は彼の芸術でもまねられないほどいろんなポーズを提供していますよ。
私…だが、君もやっぱり、君の表現か、またはモンテーニュの表現を用いるなら、「水星の周転円の上にとまって、」人類の色々なパントマイムを眺めているんじゃないかね。
彼…いや、いや、そうじゃないですよ。わしは大変重いですから、そんなに高くは上れません。霧の国のことは鶴たちにまかせておきまさ。わしは、ごく月並なやり方でゆくとします。あたりを見まわして、自分のポーズを採用するか、さもなけりゃ、ほかの連中がポーズをとるのを見て楽しみます。(岩波文庫『ラモーの甥』本田喜代治・平岡昇訳)

 

ノートルダム大聖堂火災からもう5年が経過

simmel20.hatenablog.com▼パリのノートルダム大聖堂は、昔一度だけ旅して眺め、かつ中にも入っている。人並みに壮観さに圧倒された記憶はある。

 ヴィクトル・ユゴーの原作を高橋睦郎が脚色した、蜷川幸雄演出の『ノートルダム・ド・パリ』の舞台を、1979年5月日生劇場にて観ている。せむしの鐘つき男カジモド=若山富三郎、妖美なジプシー娘エスメラルダ=浅丘ルリ子エスメラルダへの欲情抑えられない僧正=菅野忠彦、国王=田中明夫というキャスティングであった。また観たい蜷川作品の一つ。

 一昨年亡くなったフランス文学者の篠沢秀夫氏は、公演プログラムで、ユゴーの原作『ノートルダム・ド・パリ』の道具立てには、ロマンティックな要素がすべて現われているとし、コントラストの激しさと、「よくよく見ればわが子なり」という「見あらわし」まで含む波乱万丈の筋立ての二つがそれにあたると書いている。

 けれど何より特徴的なのは、中世への好みです。ノートル・ダムとは、“われらの貴婦人”の意味で、聖母マリアを指します。各地に聖母マリアに捧げられた大教会があり、それを“どこどこのノートル・ダム”というわけです。パリのノートル・ダムは1163年に起工、1245年に一応完成した、代表的なゴチック式寺院で、今日でもパリ大司教の司祭する教会として機能しています。この作品はノートル・ダムを凝視して生まれて来た幻想ともいえ、ユゴーの幻視詩人としての資質をよく示しています。( p.29 )

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藤岡康太騎手の逝去を悼む

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ワーグナー『ニーベルングの指環』ガラ・コンサート(4/7 東京・春・音楽祭2024)を聴く

 ドイツオペラ特にワーグナーが専門の山崎太郎東工大リバラルアーツ研究教育院教授の「春・音楽祭」プログラム寄稿の解説は、面白く参考になる。
◯神話世界を舞台に、至上の権力をめぐる登場人物たちの争いを、愛や憎しみの諸相とともに描いた舞台祝祭劇《ニーベルングの指環》四部作ーこの作品の内部には一つの世界が誕生し、滅亡するまでの長大な時間が流れているが、しかし一方で、登場人物たちの血縁関係に思いを巡らすなら、祖父母から孫に至る三世代の家族の物語と見なすこともできる。(p.68)
◯ところで、ヴォータンは最高神でもあるから、「遠大な構想」は「天から人間に下された運命」と言い換えてもよいだろう。そこから仄見えてくるのは、「決定論」対「人間の自由意志」という大きな対立項だ。《指環》全編の展開において、作者ワーグナーははたしてそのどちらに軍配を上げるのか?(p.71)

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カラヤンはカラヤン

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