バブル時代の寵児、赤城明氏逝く

 送られてきた高校の同窓会誌を眺めていたら、赤城明氏がこの夏に逝去していたことを知らされた。F1レースのレイトンハウスと、 ジュリアナ東京ヴェルファーレと並ぶディスコ、六本木のトゥーリアの二つの経営者であった赤城明氏について、昨年7/6号の『週刊新潮』が連載記事「昭和とバブルの影法師」第5回で紹介している。

 最後はサーキットを逆行するかのように猛スピードで墜ちていったが、上るスピードもまたF1レースのようだった。いや、この男にかぎっては、本当にF1に参戦してしまったのだ。
「ヘリは若洲に2機持っていて、鈴鹿サーキットまで、僕自身は新幹線で行くことが多かったけど、アラン・ドロンとかエリック・クラプトンとかをヘリで送ってくれって頼まれるんですよ。ドロンもクラプトンもすごい照れ屋でね」 
 古館伊知郎の絶叫中継の影響もあって、それまでになくF1にスポットが当たっていた時代。回想する赤城明は、もちろんF1チーム「レイトンハウス」のオーナーとしてドロンらを送ったのだが、元来は地上げ屋である。地上げ屋が世界的スターのホストになれたのも、狂乱時代の狂乱時代たるゆえんであった。

 青山一丁目から乃木坂を通って六本木へたどり着く通りは、昔の東京の個人的に最も好きな街歩きコースであった。乃木坂の蕎麦屋の地下画廊で、フランスの写真家ジル・ベルケ(Gilles Berquet)の妖しの個展を覗いたのは、バブルの後のことだったか。途中のどこかでレイトンハウスの建物も見た記憶がある。
 トゥーリアは「87年の年末は3日か4日で1億5000万円も売り上げたんですけど、矢先の翌1月に起きたのが、あのシャンデリア事故」で、鉄でできた重さ4トンもあるシャンデリアが落下して、3人が命を失った事故が起こったのであった。その後富士銀行赤坂支店による不正融資事件が明るみに出て、赤城明氏は失脚することになったのである。
 https://matomedane.jp/page/12475(『【訃報】赤城明さん死去 実業家 レイトンハウスを率いて「レイトンブルー」旋風を巻き起こす』)
 レイトンハウス設立者の赤城明さんが亡くなる。バブル期のモータースポーツ界を席巻 | F1 | autosport web
 赤城明さんの訃報に触れて–レイトンハウスの衝撃と思い出・完 | F1/モータースポーツ深堀サイト:山口正己責任編集F1 STINGER 【スティンガー】独自の視点でF1ニュースを発信
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