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中西理の下北沢通信(旧・大阪日記) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2015-06-28 シアターアーツ劇評講座第2回 ままごと「わが星」 

[]シアターアーツ劇評講座第2回 ままごと「わが星」Web講義ノート

f:id:simokitazawa:20110529033846j:image                               

主宰・中西理(演劇舞踊評論)=演目選定

シアターアーツ劇評講座第2回 ままごと「わが星」 

6月28日6時〜 座・高円寺地下3階

2011年からスタートしたシアターアーツ/国際演劇評論家協会日本センター主催の劇評家講座。

国際演劇評論家協会(AICT)が主催する月1回の講座です。年間スケジュールは 3つの要素で構成されています。

「書く」—受講生による劇評の提出と添削

「聞く」—劇現場の創り手を招いてのトーク

「話す」—劇評家による演劇批評や舞台芸術に関するレクチャー

自由な意見交換で《演劇》を考えていきましょう。

参加希望者は2000〜4000字の分量で自由に「わが星」についての劇評(感想)を書いてきてください。当日はその劇評について専門家の目で書き方の指導を行うとともに「わが星」という作品がどんな作品であるのかについて論じ合いたいと考えています。劇評は

ta-editorsml@aict-iatc.jpまでお送りください。締め切りは前日の27日(以前書いたのより延ばしました)

劇評講座2015/2016 の日程

5/24(日)ゲストトーク:飴屋法水氏に聞く 要予約 締め切り5/20(水)

6/28(日)課題作品 ままごと『わが星』の劇評提出 講師:中西理(演劇舞踊批評)

7/26(予定)シアター・クリティック・ナウ2015

      (演劇評論を対象にした「AICT 演劇評論賞」受賞者を交えたシンポジウム。日程は変更される場合があります)

8/23(日)レクチャーミュージカル批評について 講師:小山内伸(評論家

     音楽とドラマの関係など、現代演劇とは異なる視点が要求されるミュージカル評論について解説。

9/27(日)課題劇評提出(対象作品は後日発表)

10/25(日)課題劇評提出(対象作品は後日発表)

11/22(日)ゲストトーク:劇現場の創り手に聞く

12/27(日)課題劇評提出(対象作品は後日発表)

1/17(日)劇評家による2015年 年間回顧座談会

2/28(日)2015 年度講座のまとめ

(計10回予定)各回18:00~20:30

会場:座・高円寺・地下3F けいこば2

※5/24のみ けいこば1で開催

参加費:年間受講8,000円、1回ごとの受講1,000円

定員:30名

主催:国際演劇評論家協会日本センター・シアターアーツ編集部

企画協力:NPO 法人 劇場創造ネットワーク/座・高円寺

【受講料のお支払い方法】

銀行振込、またはクレジットカード(VISA、Master、JCB、AmericanExpress)でのお支払いがご利用いただけます。

■劇評講座2015/16お申込み→http://theatrearts.aict-iatc.jp/201504/2741/ 

 シアターアーツ劇評講座第1回となった5月には劇作家演出家飴屋法水さんをゲストに迎え、トークショーを開催しました。第2回となる6月28日は実質的に劇評講座のスタートとなるわけですが、今回はままごと「わが星」を取り上げることにしました。

 「わが星」の作者(作演出)は柴幸男です。快快(篠田千明)、柿喰う客(中屋敷法仁)、悪い芝居(山崎彬)らポストゼロ年代の作家の台頭により、明らかに新しい傾向が現れるのが2010年以降のことですが、彼らには先行する世代にない共通する傾向がありました。

ままごと戯曲公開プロジェクト こちらから戯曲が読めます⇒http://www.mamagoto.org/drama.html

ポストゼロ年代演劇の特徴

1)その劇団に固有の決まった演技・演出様式がなく作品ごとに変わる

東浩紀のいうデータベース消費に対応

2)作品に物語のほかにメタレベルで提供される遊戯的なルール(のようなもの)が課され、その遂行と作品の進行が同時進行する⇒ゲーム的リアリズム(=ゲームが構造構築のモデル東浩紀の定義とは少し違う)

3)感動させることを厭わない(悪意の不在)⇒一番の問題点

 そのことに最初に気づかせたのが代表作である「わが星」をはじめとする柴の作品群で、その意味でも単に最初に認められたということだけはなく、それ以前の世代の平田オリザ岡田利規*1がそれぞれの世代においてそうだったように演劇における新たな方向性最前線を示し続けています。

 今回のレクチャーで「わが星」をはじめとした柴の作品はどういうものであるのかを徹底解剖していく予定です。 

シアターアーツ57号「関係性の演劇」とそれを継ぐ者たち─多田淳之介・柴幸男・松井周 から抜粋

柴幸男:ポストゼロ年代演劇の旗手

 多田に続いたのが同じく青年団にいた柴幸男(ままごと)だ。柴は多田が試みていたテキストの構造から作品を構築していくという方法論をテキスト段階からの設計ではるかに精緻に展開してみせ、2010年には「わが星」(初演2009年)で岸田戯曲賞を受賞した。「わが星」はソーントン・ワイルダーの「わが町」を下敷きに「地球という星が生まれて、そして死滅するまで」という宇宙的な悠久の時間を「ちーちゃん(地球)という女の子と家族の物語」というメタファー(隠喩)によって提示した。柴はロロロのラップ音楽で構成された音楽劇として、前編を一曲の音楽のような構造で構築した。 

 柴幸男の作家的な特徴は演劇の構造の中に物語の進行以外の作品内で規定された固有のルールのようなものを持ち込んで、それによって舞台を進行させるというアイデアを持ち込んだことで最初にその特徴が遺憾なく発揮されたのが短編演劇の「反復かつ連続」だった。「反復かつ連続」には複数の人物が登場するが、実はこれは一人芝居なのだ。ある一家のある日の朝の光景がシークエンスとして演じられるのだが、一通りそれが繰り返された後は今度はまた別の役柄をその同じ俳優が演じる。ところが最初に演じた役柄はいなくなってしまうというわけではなくて、目には見えないが音声だけは残っていて、舞台上の俳優の演技と同時進行していく。これが何度も繰り返されることで、多色刷りの版画が重ねられていくように「ある一家のある朝」のディティールが浮かび上がってくる。見事な着想だがこの作品の初演は劇作家協会東海支部プロデュース 劇王IVに参加した2007年だか実は音声だけで透明人間となるキャラと人間の俳優が共演するというアイデアはこちらは2006年初演の東京デスロック「3人いる」にもあって、直接的な影響があったかどうかは不明だが、前述したようにチェルフィッチュが「演じている人=役者」と「演じられている人=役」の1対1対応のくびきから解き放ったことが大きな契機となったと思われる。チェルフィッチュは群像会話劇という形式を解体したが、現代口語演劇からの離脱を果たすには「わたしたちは無傷な別人である」(2010年)を待たねばならなかった。

 これに対して柴は「あゆみ」ではあゆみという1人の女性を複数の女優が次から次へとバトンをわたしようにリレーして演じていき、それにより主人公であるあゆみ」が生まれて死ぬまでも演じるという「反復かつ連続」とはまた違うルールを演劇に持ち込んだが、これはまだ演劇・演出的には平田オリザ的な現代口語演劇に準ずるものだった。ところが先に挙げた「わが星」では台詞の大部分をロロロ(クチロロ)の三浦康嗣が作曲したラップ音楽に合わせて発するという形で現代口語演劇からの離脱を試みた。

 柴はその後も「わが星」に引き続き音楽の三浦康嗣、振付の白神ももこと手掛けた音楽劇ファンファーレ」@世田谷パブリックシアター・シアタートラム2012年)、今夏にはあいちトリエンナーレで新作「日本の大人」@愛知県芸術劇場ホールで上演したが代表作であるあゆみ」「わが星」を超えるような新趣向は出てこず模索の時期にあるようだ。

 以上のように平田オリザらの「群像会話劇」は多田、柴らがチェルフィッチュ岡田利規の動きと呼応するように「役」=「役者」の1対1対応の自明性を疑うようなさまざまな実験を試みていく過程で解体されていった。もっとも今回もここでは多田、柴の2人を紹介したが1990年代の「群像会話劇」の担い手が平田だけではなかったように問題意識を共有する作家が相次ぎ登場して、相互に影響を与えながら大きな流れのようなものを作っていったことが「ポストゼロ年代演劇」台頭につながっていく。


 「わが星」「あゆみ」ほか柴幸男作品

ままごと「わが星」冒頭部分

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ままごと「わが星」

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□□□「いつかどこかで」

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http://www.nicovideo.jp/watch/sm15051228

岸田戯曲賞授賞式 2010-04-12 ままごと×口ロロ

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仮説=柴幸男は天才的な編集者アレンジャー

「わが星の半分は『夢+夜』だと思ってます。残り半分が口(クチ)ロロで、残り半分がワイルダーですね」(柴幸男)

口ロロ(クチロロ)と「わが星」

□□□- AM00:00:00

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「TONIGHT」

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 □□□と柴幸男の出会いでこの「わが星」は生まれました。「わが星」の前には後に「AM00:00:00」という曲になったデモ曲がありました。「AM00:00:00」と「わが星」は双生児の兄弟のようなものだというのは柴も□□□の三浦も話しているのが、その前にこの「TONIGHT」という曲(およびPV)があって、柴はそれに強く触発されたのではないかと考えています。というのはこの「TONIGHT」という曲が柴が□□□のほかに挙げた2つの要素、つまり「夢+夜」と「わが町」は死者の世界から私たちの生きているこの世界を幻視することで一瞬一瞬の生きることの意味をうかびあがらせるという共通の構造を持っているからです。


少年王者舘と「わが星」

少年王者舘「夢+夜」

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http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20100218/p1

少年王者舘「夢+夜 ゆめたすよる」は昨年京都のアートコンプレックス1928で見ているのだが、その時には上演時間は1時間弱で未完成版だったらしい。この劇団にはよくあることとはいえ、東京で上演された完成版は2時間近い上演時間だったらしい。今回その完成版を名古屋七ツ寺共同スタジオで上演されるというので観劇してきた。

 先日岸田戯曲賞を受賞した柴幸男がその受賞作「わが星」について、「わが星の半分は『夢+夜』だと思ってます。残り半分がクチロロで、残り半分がワイルダーですね」とソーントン・ワイルダーの「わが町」*1や□□□「00:00:00」と同様にこの「夢+夜」に大きな影響を受けて「わが星」を構想したことを明かしているのだが、「わが星」の映像を何度か見た*2ところ、柴が天野天街に大きな影響を受けていることは確認できたものの京都公演を見た印象でいえばなぜ「夢+夜」なのかということは納得しかねるところがあり、ぜひ完成版で確認したいと思ったからだ。

少年王者舘の舞台では通常の物語(ナラティブ)の構造ではなく音楽におけるサンプリングカットアップのように同一の構造が何度も繰り返されたり、美術におけるコラージュのようにまったく違う位相にある時空が突然つながるようによりあわせられたりしてひとつ構造物として構築されているが、そういう特徴はこの「わが星」という作品も共有しているといえるかもしれない。あるいはこれは天野天街のそれと比べるとほんのちょっぴりという程度ではあるのだけれど言葉遊びもこの作品では重要な要素を占めており、特に「校則」「光速」の掛け言葉は遠くで地球(ちーちゃん)を見つめ続ける少年との最後の出会いにとってかなり決定的に重要な意味を持つものであった。

 以前このように「わが星」に対する少年王者舘天野天街)からの影響を書いたのだが、今回実際に「夢+夜 完成版」を見て思ったのはわが星ではないものの「わたしの星」という言葉が作品中に出てくるし、万華鏡を覗き込む場面は「わが星」のなかでちーちゃん誕生日プレゼントを覗き込む場面を連想させるし、予想以上にそのまま引用している部分が多いのに気が付き驚いた。

 「『わが星』が、セカイ系フィクションの構造を踏襲している」ことについてはブログ「白鳥の眼鏡」で柳澤望が指摘していて、それはなかなか慧眼であるとは思うのだが、そういう風に考えるならば「夢+夜」だけでなく、天野天街作品は以前から「セカイ系」なのではないか、そして「わが星」はその構造を映し、同型だからこそ「セカイ系」的な構造を持つのではないかと考えたからだ。実は天野天街作品は単一な形態に還元できないような複雑な構造をもっているため、これまではその「セカイ系」的な構造に気がつかないでいたのだが、柴幸男の「わが星」はその複雑な構造を整理しある意味枝葉の部分を刈り取り、その本質的な部分のみを取り出すような単純化をしたせいで、隠されていた天野ワールドの構造がその眼鏡を通して見ると露わになったからだ。

 

少年王者舘「自由ノ人形」の感想の続きを書く。天野天街の芝居はほとんどの場合、死者の目から過去を回想し、死んでしまったことでこの世では実現しなかった未来を幻視するという構造となっている。この「自由ノ人形」も例外ではなく、過去の私/現在の私/未来の私の三位一体としての私が登場して、失われた過去、そして未来がある種の郷愁(ノスタルジー)に彩られた筆致で描かれていく。この芝居ではひとつの街自体が姿を消してしまった情景が幻視され、失われた夏休みのことが語られるのだが、劇中に登場する言葉の断片から予想するにそれはおそらく原爆投下によって一瞬にして失われた命への鎮魂ではないかと思われるふしが強く感じられる。もっとも、天野はこの芝居でこの芝居の隠された中心点であると考えられる「死の原因」についてはほとんど迂回に次ぐ迂回を続けてそれをはっきりと正面からは明示しない手法を取っていく。この芝居では言葉の氾濫とも思われるほどの言葉が提示しながらも「中心点」にあえて直接は触れないことで、その不在の中心に陰画として、「原爆による死」が浮かび上がってくるような手法を取っているのである

 実はこの描かないで描くという手法(省筆といったらいいのか)は90年代演劇のひとつの特色ともいえ、松田正隆平田オリザといった90年代日本現代演劇を代表する作家が使ってきた手法でもある。それは現代人のリアルの感覚にも関係があることだと思われるが、本当のものをただ直接見せるのがリアルなのかに対いての拭いきれない懐疑がその根底にはあるからである。1例を挙げよう。これはテレビというメディアにも関係してくることなのだが、ニンテンドーウォーとも一部で言われた湾岸戦争テレビ映像あれは日本に住む我々にとってリアルだっただろうか。阪神大震災の映像、オウムによるサリン事件の映像はどうだっただろうか。現実でさえ、テレビブラウン管を通して見るとそこにはなにかリアルとはいえないものが張り付いてくるのだ。ましてや直接描かれるのがはばかられるような大問題をそのまま舞台に挙げて、それをそのまま演じるのは例えそれがリアルなものであっても、あるいはリアルなものであるからこそ現代人にとってはそこに張り付いた嘘臭さを見ないですませることは不可能なのである

 もちろん、この種の表現というのは現代人の専売特許というわけではなく、古代人にとって人間の力を超えた「神」というものがそれでそれは寓話か隠喩の形を取ってしか語られ得ぬものであった。あるいは「死」というものもそういう側面を持っている。それは不在という形でしか語られ得ぬものである。その意味では天野の作品がこういう手法を取るのは「原爆による死」というものじゃなくても、それが「死」を中核に抱える演劇だからということがいえるかもしれない。 

 以上はこの「大阪日記」の2000年9月にある「日記風雑記帳」にある少年王者舘「自由ノ人形」の感想の再録であるがここで注目してほしいのは「天野天街の芝居はほとんどの場合、死者の目から過去を回想し、死んでしまったことでこの世では実現しなかった未来を幻視するという構造となっている」という部分で、ここでは死者の視点からの実現しなかった未来の幻視となっているが、実はこの未来というのは「過去」「現在」「未来」が混然一体となった無時間的アマルガム(混合物)ともみなすことができる。つまり、村上春樹の「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」に擬えるならばここで天野が描き出すのは「世界の終り」であり、そこには時間がないゆえにそこでの時間は伸縮自在でもあって、ループのように繰り返されながららせん状にずれていく平行世界のような存在でもある。

 そして、「幻視」される世界のなかで不可視なのはその中心にある「死」であり、天野ワールドではそれは明示させることはほとんどないが、まるで空気のように「死」に対する隠喩がその作品世界全体を覆いつくしている。

1:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%8C%E7%94%BA

2:http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20100115

 興味深いのはともに「わが星」が影響を受けたと柴が自ら明らかにしている□□□少年王者舘「夢+夜」が共通点を持つことだ。正確にいえば先に挙げた□□□「TONIGHT」と「夢+夜」はどちらも死者あるいは死ぬ行くものがこの世の外からこの世を俯瞰してみるような構造を持っている。そして、より以上に興味深いのはやはり影響を受けたとしているソーントン・ワイルダー「わが町」もやはりこれと同じ構造(死者の視線による生者への幻視)を持っていることだ。

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 実はもうひとつ興味深かったのは□□□のこちらの曲のPV映像。曲のタッチや感触は正反対だけれど、この字の遊びで作られた映像を見たら、少年王者舘のファンであれば誰でも「これって王者舘」って思うのではないだろうか。「わが星」よりはこちらの方が新しいからこれはなにかの影響というより、偶然の産物だろうと思うのだけれど。

   

わが町=ソーントン・ワイルダー

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『わが町』は、ソーントン・ワイルダーの三幕物の戯曲。ニューハンプシャー州グローバーズ・コーナーという架空の町での物語である

進行役として登場する舞台監督が、「グローバーズ・コーナーでは何も特別なことは起こりません」というとおり、登場人物の死や結婚以外劇的なことは起こらないが(劇中ではそれすら日常的なものとして扱われている)、その「日常」の貴重さを観客に感じさせる内容となっている。劇中の舞台監督エミリーのやり取り、「人生ってひどいものね。そのくせ素晴らしかったわ」というソームズ夫人の台詞が象徴的である。劇中に登場する市民の誰もがそれぞれに自分の生活をそのままに生きている、そのなかでのちょっとしたかかわりがこの劇の物語の流れであり、また細部になっている。

劇は3幕構成で、第1幕が舞台監督地質学的、歴史的説明を含めた町の説明をし、「グローバーズ・コーナー」が特別なことはないありふれた町であることの説明がされる。医師のギブス家と新聞編集長ウェブ家を中心とした町の一日を描く「日常生活」。第2幕は、第1幕の3年後ギブス家長男ジョージウェブ家長女エミリー結婚式の1日を描く「恋愛と結婚」。第3幕は第2幕の6年後産褥で死亡したエミリーが、それ以前に死亡したギブス夫人ほか死んだ町の住民と墓場で会話する「死」。

進行役である舞台監督によって劇が展開されていく手法が取られている。舞台装置はきわめて簡素で、机や椅子などが置かれているだけで、小道具や書き割りなどはない。すべては役者の動作によって表現される。この手法には日本の能や中国の演劇の影響があるとされる。

1938年2月4日ニューヨークヘンリー・ミラー劇場で初演されている。1944年亡命先のアメリカでこの劇の上演を見たベルトルト・ブレヒトは日記に「進歩的な舞台」と記している。

1940年には映画化され、ウィリアム・ホールデンマーサ・スコット、フェイ・ベインター、トーマス・ミッチェルらが出演した。監督はサム・ウッド。アカデミー賞最優秀映画賞ノミネートされた。スコットは、最優秀女優賞アーロンコップランドは、最優秀楽曲賞にノミネートされた。なお原作と異なり、ウェブ家長女エミリーは産褥熱で危篤に陥り、死者たちと会話するものの命は助かる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%8C%E7%94%BA

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Episode devoted to Thornton Wilder's "Our Town," one of the most frequently performed plays in the world. Guests include Wilder nephew and expert, Tappan Wilder; writer Jeremy McCarter of "Newsweek" and David Cromer, director of the 2009 revival.

Theater Talk is a series devoted to the world of the stage. It began on New York television in 1993 and is co-hosted by Michael Riedel (Broadway columnist for the New York Post) and series producer Susan Haskins.

The program is one of the few independent productions on PBS and now airs weekly on Thirteen/WNET in New York and WGBH in Boston. Now, CUNY TV offers New York City viewers additional opportunities to catch each week's show. (Of course, Theater Talk is no stranger to CUNY TV, since the show is taped here each week before its first airing on Thirteen/WNET.)

The series is produced by Theater Talk Productions, a not-for-profit corporation and is funded by contributions from private foundations and individuals, as well as The New York State Council on the Arts.

Watch more at www.cuny.tv/series/theatertalk

 「わが町」については日本の上演映像を探したのだが見つからなかったため、アメリカでこの芝居をロングラン上演続けている劇場による「わが町」の解説を紹介したい。ここにも登場するようにこの芝居で最も特徴的なのは第3幕で「死」と呼ばれる場面で2人目の子供の出産の際に亡くなったエミリーが死後に再び亡霊として、グローバーズ・コーナーに現れ、もはや失われた生前の世界を訪問する場面でここでも死者がこの世の外からこの世を見る場面が「夢+夜」「TONIGHT」と同様に提示されている。

Our Town: Greatest Production EVER(ロングラン記録更新中の「Our Town」)

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http://www.ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/title/yodo0003.html

 実は柴幸男は「わが星」の後にもワイルダーに対する強い関心を継続しており、ワイルダーを複数劇団が上演、競演するフェスティバルを共同で企画したり、岐阜県可児市での市民演劇で「わが町可児」を上演している。

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「わが町可児」は100人近くの市民が参加して上演された市民参加型音楽劇で、1年近くの期間をかけて準備したワークショップから「わが町」を岐阜の小都市・可児の町に置き換えて翻案した。私も観劇するつもりで用意していたのだが、上演されたのが2011年3月12・13日、つまり東日本大震災の翌日からだったため、無念ながら諦めざるをえなかったが、上演自体は無事終了したようだ。

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 この「わが町」は日本でも昔から数多くの上演が重ねられてきたが、言及しなければいけないのはおそらく柴自身は未見であろうと想像されるが、柴の所属した劇団である青年団平田オリザもこの舞台を翻案した1995年東京芸術劇場で上演されたMODE「窓からあなたが見える わが街・池袋」(作:平田オリザ、演出: 松本修)に新作として戯曲を書き下ろしており、この舞台はその後、演出の松本による「小樽版」や坂手洋二の「北九州版」などさまざまなご当地版の「わが町」を生み出すきっかけとなったのである

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 柴自身に話を戻せば柴は多摩川アートラインプロジェクト2008・パフォーマンスプログラム多摩川劇場」というアートプロジェクトで「川のある町に住んでいた」という走っている電車の中で上演される芝居を作っているのだが、こちらの方が話の構造からいえばより「わが町」に近いかもしれない。

多摩川劇場「川のある町に住んでいた」

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多摩川アートラインプロジェクト2008

パフォーマンスプログラム多摩川劇場」上演作品

作・演出=柴幸男

出演=宇田川千珠子(青年団)/黒川深雪(InnocentSphere/toi)/鯉和鮎美/斎藤淳子/菅原直樹/武谷公雄/藤一平五十音順

引っ越し思案中のカップルが目をつけたのは、川沿いに電車が走る、ある街。下見がてら乗車すると、「おっとりと地元をPRする電車さん」「付近一帯の店すべてを営んでいる­という女性」「気さくに人の言葉をしゃべる猫」ら不思議な面々が声をかけてきて...

詳しくはこちら

シアターガイド ホームページ 特集ページ

http://www.theaterguide.co.jp/feature/tamagawa/

セミネール「わが星」講義録その2

http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/10001019/p1

「わが星」のループ構造について

http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20110616/p1

wonderland掲載の劇評

片山幹生 http://www.wonderlands.jp/archives/17905/

西川泰功 http://www.wonderlands.jp/archives/17901/

堀切和雅 http://www.wonderlands.jp/archives/17973/

劇評講座参考原稿

http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/100112

2015-05-20 ままごと「わが星」@三鷹芸術文化センター星のホール

[]ままごと「わが星」@三鷹芸術文化センター星のホール  

作・演出:柴幸男 音楽三浦康嗣(□□□

 振付:白神ももこ[モモンガコンプレックス] ドラマトゥルク:野村政之

 舞台監督佐藤恵 演出部:白川のぞみ(てとあし) 美術青木拓也

 照明:伊藤泰行 音響星野大輔 衣裳:藤谷香子[快快] 宣伝美術:セキコウ

 制作:ZuQnZ 制作総指揮:宮永琢生

 助成芸術文化振興基金 公益財団法人セゾン文化財団 企画制作ままごと、ZuQnZ

 主催三鷹市芸術文化振興財団ままごと

 出演:

           初演    再演      今回

          青年団リンク 第2回公演   

          2009/10/8-12 2011/4/15-5/1 2015/5/16-6/14

           7ステージ  17ステージ  33ステージ

           三鷹市芸術文化センター星のホール

                 6都市ツアー  小豆島 7/18-20

           一般2500円 3000円    3500円

           1時間19分  1時間25分   1時間33

 わたし(ちいちゃん) 端田新菜  ←      ←

 お姉ちゃん     中島佳子  ←      ←

 お母さん      黒岩三佳  ←      ←

 お父さん      永井秀樹  ←      ←

 お婆ちゃん     三浦俊輔  ←      山内健司[青年団]

 月ちゃん      斎藤淳子  ←      ←

 先生        青木宏幸  ←      寺田剛史[飛ぶ劇場]

 男子        大柿友哉  ←      ←

 ままごと「わが星」を三鷹芸術文化センター星のホール観劇した。いわずと知れたゼロ年代の終わりとポストゼロ年代の始まりを告げる鐘を鳴らした柴幸男の代表である2009年に初演、翌2010年岸田戯曲賞を受賞。そのさらに翌年の震災記憶もまだ生々しい4月に再演。私は初演は残念ながらDVD映像しか見ることができなかったが、それでもひょっとしたら演劇の新しい流れがここから始まったのではないかというほどの衝撃を感じ、生の舞台を見ていない段階でレクチャーで取り上げ関西演劇ファンにその舞台を紹介した。実際の舞台を見たのはその後の6都市ツアーの一環で上演された伊丹アイホールでの上演。今回の再再演はその時以来4年ぶりとなる。

 実は今回の再再演でもっとも興味深かったのは「わが星」の作品自体というよりはむしろ「わが星」現象とでもいったらいいのかと思うその受容のされ方なのだ。これほどの熱狂的な賛美とそれに反発するように反感から憎悪をこめた否定さらされた作品最近演劇において珍しいのではないかということなである。実は6月28日のシアターアーツ劇評講座に向けて現在までに手元には4本の劇評が届いているのだが、その4本も内容的にはいろいろな差異はあるにしても2本が賛美、もう2本が否定とはっきりと分かれた。

 実はこれは今回に限ったことではなく、再演時の2010年に劇評サイトwonderlandで3本の劇評によるクロスレビューが試みられたのだが、その際にも片山幹生氏が評価する評を書いたのに対し、西川泰功氏がクロスレビューであるということは考慮してもさまざまな角度からこの作品に対し否定否定を重ねるというちょっと普通は見ることができないほどの敵意に満ちた批評掲載。3人目の堀切和雅氏が片山西川両氏の批評引用しながらもどうしてひとつ作品についてこのような見方の違いが出てくるのかについて簡潔に分析提示している。

 岸田戯曲賞を受賞した定評ある作品ゆえに賛美の評の多さは別に驚くことではないが、先にも書いたようにより興味深いのは否定派の多くがこの作品について必要以上の感情的な反発をむき出しにするのかという疑問である。例えば平田オリザの「東京ノート」、あるいは岡田利規「三月の5日間」はいずれもその当時の演劇スタイルを一変させるほどの革新現代演劇に付け加えた傑作だった。当然、賛否も生じたことも確かだが、否定派の反応はせいぜい無関心か黙殺であり、それを激しく否定して論陣を張るというようなことはなかった。

 今回の否定派のひとりである坂崎誠氏は「わが星」を靖国神社に準え「観劇後にも靖国神社母親気持ちは依然わからないのですがそうさせるシステム存在することを理解しました。今ある人生は小さいが美しいそれを守るため守っていくためには何をしてもいいという。かわいいわが子や自分自身を捧げてもいいというコミュニティー存在を強固にしていく企みが理解できました。これを子供たちが演ずることでもっと強固な日本所属するコミュニティー宗教団体への忠誠心が作られる」と批判している。

 「靖国神社」には固有名としてそれを持ち出せばA級戦犯合祀にともなう中韓の参拝への反発など政治的文脈無視することはできないためにここでそれを持ち出したことにはやや疑問も感じるが「今ある人生は小さいが美しいそれを守るため守っていくためには何をしてもいいという。かわいいわが子や自分自身を捧げてもいいというコミュニティー存在を強固にしていく企み」を「わが星」を読み解くことは「その日常性の賛美はあまりに無邪気に感じられることもあり、ある種の新宗教に対して抱くような警戒心を持った観客も少なくないはずだ」「ちょうど読経したり、聖歌を歌っているときに感じるような宗教的な法悦感」「観客をマインド・コントロールしかねない巧妙な仕掛け」と片山氏が指摘した「わが星」が持つある種の宗教的構造とそれに対する警戒心ということに通底しているところがあることも確かだ。ただ、靖国名前をそこで持ち出せばワーグナーナチス関係を想起せざるを得ず「わが星」はファシズムであるとの批判をしているのとほぼ同じ意味となる。もしそれを本気で主張するのであれば「星が消え去って永遠存在になることと、兵士戦死して英霊になるプロセスが類似して感じられる」という程度の類推では不十分でもっと厳密な論証が必要不可欠と思われる。

 もっとも「わが星」の持つ宗教性については賛美派と思われるなかむらなおき氏の評においても「なんという作品なのだろう。まさに生を体感させられた。私だけでなく、色んな生を体感させられたのだ。そしてこの体験は公演される度に繰り返される。これはまさに輪廻じゃないかと想像させられる。100億年の時を思うと、弥勒菩薩悟りを得るまでの56億7000年なんてさほど遠くない未来と思えてくる」と否定しておらず、この作品をどう受け取り方の賛否はむしろその宗教的とも見なしうる体験をどのように評価するのかにこそ大きな分岐点があるのかもしれない。

 一方、こちらは全面的な賛美派とは言いにくいもの戯曲には若干難があるもののそれが音楽とともに上演される時に感動とつながる仕組みがあると分析したのが佐藤一成氏。「だが、それが、日常会話を伝えるラップ音楽で立ち上がる。そこに『見守る』ということが客席の構造からも、観客席の子供がいることから情念を刺激される。そこに宇宙的な視点が加わる。表現的な面からもまた劇場構造からも、観る者に多くの想像力が生まれ、思い入れることの出来る構造である。立体的に立ち上がっていけばいくほど感動は深まっていく。それは、『わが星』が戯曲の時はそれほど評価が高くなかったのに上演時の感動の証左でもあると同時に、それが、永井愛が言う、捨て難い立体構造ということになるのかもしれない」と主張する。 

 もっともこうした構造により実際に観客がなにを受け取るかは個人個人の資質にも左右される。「これらの時報にたとえるような説明の効果も、宇宙観を具現化しようとしているのでしょうか。 その効果理解することができませんでした」「地球という星の時の流れがモチーフでありながら、その地球イメージを重ねているであろう主人公のちいちゃんは、いつまでたっても子供で、家族の他の人物も含めて、ひとりひとりの人間の人物像が浮かびあがらず、人間=星というイメージには繋がっていきませんでした」と坂崎真理さんが回想するように作品描写する宇宙太陽系の姿に対してビビッドな印象が浮かばないような向きにはこの作品に入り込むことが難しいということもあるのかもしれません。

 実は今回のような観客の側の臨界点に興味を持つことになったのは実は私の個人的な体験が基にある。実は今回劇評講座に取り上げることもあって今回の再再演の舞台は2回観劇した。さらにそのうちの2回目の観劇は妻と同伴して2人で見たのだが、妻はどうやら「わが星」があまり気に入らなかったようで、観劇後非常に不機嫌でなだめるのにかなり苦労したのだ。最初聞いてみるとどうもちいちゃんの家族の描き方がどうにも偽善的で耐え難いというのだ。

 そうした意見は以前からありそのうちのよくある例が家族の描き方がステレオタイプだということで、それには「普遍的」な誰にでも当てはまるようなものにすることでそれぞれが持つ記憶のフックにかかりやすいような仕掛けだと説明したが、それで感情移入がしたくなかったわけではなく、逆だという。「わが星」にはおばあちゃんのほかに父母と少しだけ年の離れた娘ふたりという家族構成なのだが、それが自分に近いため、それが昔あって嫌だったこととかの閉じ込めておいた記憶を開けるパンドラの箱のような効果をおよぼし、自分はすごく嫌な気分になっているのに舞台上の家族、とくにちいちゃんがあまり能天気な感じなので不愉快気持ちが徐々に積み重なってきて耐え難くなってきたということらしかった。そこまでは柴の舞台責任とも言い難いとは思うが、面白かったのは周囲の観客の多くが感動しているのが分かるのでそれで余計に理不尽な怒りが倍増してきて、感動している観客にも怒りの矛先を向けようとしたくなってくるということだった。

 これを聞いて思ったのはそれぞれがそれぞれの理由をつけてはいるが、「わが星」になぜか靖国神社を見た坂崎誠氏の場合もwonderlandに酷評を書いた西川泰功氏にしても劇場自分はほとんど良さが発見できなかった舞台に観客の多くが感動しているのを体験して、そこでの何ともいえない疎外感がここまで強い否認に向かわせた要因ではないかと思わせられたのだ。

 

2015-05-06 うさぎストライプ「いないかもしれない 2部作」@こまばアゴラ劇場

[]うさぎストライプ「いないかもしれない 2部作」@こまばアゴラ劇場

『いないかもしれない 静ver.』小瀧万梨子* 堀 夏子* 長野 海* 海老根理(ガレキ太鼓) 重岡 漠* 石川彰子

『いないかもしれない 動ver.』小瀧万梨子* 緑川史絵* 植田ゆう希 亀山浩史(うさぎストライプ) 埜本幸良(範宙遊泳) 北村 恵(ワワフラミンゴ

作・演出:大池容子 照明:黒太剛亮(黒猿) 音響角田里枝(Paddy Field舞台美術:濱崎賢二(青年団舞台監督宮田公一 制作石川景子(青年団宣伝美術ブランディング:西泰宏(うさぎストライプ制作ドラマターグ:金澤昭(うさぎストライプ青年団

芸術監督平田オリザ 技術協力:鈴木健介(アゴラ企画) 制作協力:木元太郎(アゴラ企画)

企画制作うさぎストライプ/(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場 主催:(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場  協力:黒猿/Paddy Field青年団/(有)レトル/(株)アルファセレクション/シバイエンジン

助成平成27年度文化庁劇場音楽堂等活性化事業

 うさぎストライプは前回作品、木皮成とうさぎストライプデジタル」の一部が映画「幕が上がる」の中で主人公たちの先輩が出演している舞台として紹介された。作演出の大池容子に聞いてみると「それはその時に偶然本番をやっていたからであくまで偶然」というが、もちろん、映画で取り上げるのがその時やっていたのならどこの劇団でもかまわないというわけではないというのは言うまでもないことで、本広克行監督原作者であり、青年団主宰者でもある平田オリザ相談したうえで、まだそれほど知名度はないが有望株の劇団として「うさぎストライプ」を選んだことは間違いないだろう。

 

2015-05-05 舞台「幕が上がる」@ZEPPブルーシアター六本木

[]舞台「幕が上がる」2回目@ZEPPブルーシアター六本木

2015年5月1日 (金) 〜2015年5月24日 (日)

原作脚本平田オリザ

演出 本広克行

出演 百田夏菜子 玉井詩織 高城れに 有安杏果

佐々木彩夏ももいろクローバーZ

伊藤沙莉 芳根京子 金井美樹

井上みなみ 多賀麻美 藤松祥子 坂倉花奈

 舞台「幕が上がる」が映画「幕が上がる」と大きく異なるのは原作小説「幕が上がる」の作者、平田オリザが自ら脚本担当したことである映画版監督である本広克行舞台演出担当したとはいえ、脚本を喜安 浩平(ブルドッキングヘッドロック)が担当し、さらにそれに監督、本広が手を加えた映画には「平田オリザ作品」とは受け取り難いところもある。

 それに比べると演出までは手掛けないとはいえ、舞台「幕が上がる」は同時多発の会話など平田戯曲現代口語演劇スタイルをほぼそのまま反映されている。平田作品ならではの感触を色濃く残したものとなっている。

死は関係性の不在なのであり、平田オリザの「関係性の演劇」 において「死」 そのものを直接的に描き明示することはできない。だから、「死」は大抵隠喩あるいは「不在」として描かれる。

映画「幕が上がる」が青春演劇主題に展開された「陽」の作品とすると舞台「幕が上がる」は対照的に「陰」の基調低音が作品全体が覆っている。もちろん、中西さんが被災地岩手経験したこともそうだが、「陰」=「死」のイメージは劇中で繰り返されるさまざまな小さな不在により強化される。

だが、全体を覆う「死」のイメージのなかでもっとも印象的だったのはラストの「銀河鉄道の夜である最後有安杏果が演じる中西さんが制服姿で登場するのだが、制服意味は何度も繰り返し考えた。説得力がある解釈稽古しているところに制服のままの中西さんが戻ってきたというものだが「中西さんが大丈夫だった」というだけならジョバンニ役のユッコが衣装姿なのだから普通にカンパネルラの衣装でもいいところだ。それならこの場面に何の疑問も持たなかったと思うのだ。

 実は初日にこの場面を見たときにはスポットライトに照らされて天上に浮かび上がる中西さんの姿を見て、この世のものではないという印象を感じた。もちろん、劇中劇である銀河鉄道の夜」の物語上ここに登場しているのは死者であるカンパネルラなわけだから、この世のものならぬ印象というのは間違ってないわけなのだが、初日の終演後にまず考えたのは果たして中西さんは本当に生きた人間としてここにいたのだろうか。つまりこの物語に登場した時から実は死者だったのではないだろうかという解釈の可能性だ。

 そう考えて、2度目の観劇時にはそうした解釈が成立するような伏線が何かないだろうかと目を皿のようにして舞台凝視したのだが、さすがに中西さん=死者という仮説はそのままではいささか無理があるようであった。ただ、こんな風に考えたのにはまったく根拠がないわけではない。(この稿続く)

[]渡辺源四郎商店海峡の7姉妹青函連絡船物語〜」@下北沢ザ・スズナリ

渡辺源四郎商店 海峡の7姉妹青函連絡船物語〜 作・演出 畑澤聖悟 出 演 工藤佳子三上晴佳 山上由美子・末安寛子渡辺源四郎商店見習)Wキャスト喜多咲子・奥崎愛野夏井澪菜・我満望美(渡辺源四郎商店見習)

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2015-05-04 「例えば朝9時〜」と「小町風伝」と「盲点た

[]SPAC・静岡県舞台芸術センター ふじのくに-せかい演劇祭2015「例えば朝9時には誰がルーム51の角を曲がってくるかを知っていたとする Aコース」@静岡池田地区周辺

 演出:大東翼[大と小とレフ]、鈴木一郎太[大と小とレフ]、

 西尾佳織[鳥公園] 音楽片岡祐介

 演出助手伊藤知咲[BANANAディストピア]、大田景子、中込遊里[鮭スペアレ]

 制作協力:萩谷早枝子[鳥公園] ボランティアスタッフ大石夢子、梶谷智、

 小宮山菜子、宮澤寛幸 制作ボランティアスタッフ大村直子

 制作:高林利衣 製作: SPAC-静岡県舞台芸術センター 協力:池田自治会

 池田の森ベーカリーカフェしろくまlaBo

 出演:

 赤松直美 :お母さん

 遠藤麻衣[二十二会]:お姉ちゃん

 山崎皓司[快快]:こうじ

 尾國裕子 :こうじの彼女

 上蓑佳代 :昔、町に住んでいた女

 立蔵葉子[青年団]:水を売る女

 峰桜花  :水を配る女

 高瀬弥生[KOTOBAKO]:ランナー

 佐藤ゆず :長命族の女

 エキストラ:大聞知賢哉、樫田那美紀、加東サユミ[ハイカラ/さゆみ企画]、

  すずや、利波友季子、登立和真、早瀬花音ピンク地底人5号[ピンク地底人]、

  宮嶋七彩、武藤月子室伏珠美、山本寛子

(2015/5/2-6 10ステージ)

 http://www.ikedanomori.com/index.html

 

[]SPAC・静岡県舞台芸術センター ふじのくに-せかい演劇祭2015・演戯団コリペ「小町風伝」

 @静岡 舞台芸術公園 屋内ホール「楕円堂」 

 演出:イ・ユンテク(李潤澤) 作:太田省吾

 音楽家 :キム・アラナ、クォン・ジョンウン

 音響 :イ・セイン 照明デザイナー :ゾ・インゴン

 照明スタッフキム・ハンソル 装置デザイナー :キム・キョン

 メイクアップアーティスト :イ・ジウォン 翻訳 :シム・ヂヨン、キム・セイル

 通訳字幕操作 :シム・ヂヨン プロダクションマネージャー :イ・チェギョン

 通訳 :イ・ジヨン 後援 : 駐日韓国大使館 韓国文化

 出演:

 キム・ミスク:老婆

 イ・スンホン:少尉・隣家の父・魂

 チョン・ヨンジン

 キム・ハヨン

 パク・インファ

 カン・ホソク

 イ・ヘミン

 キム・ヨンハク

 ソ・ヘジュ

 クォン・スミン

 ソン・ジュンヒョン

 音楽家 : キム・アラナ、クォン・ジョンウン

[]SPAC・静岡県舞台芸術センター ふじのくに-せかい演劇祭2015「盲点たち」@静岡舞台芸術公園 

 脚本モーリス・メーテルリンク(『群盲』より) 演出ダニエルジャンヌトー

 翻訳平野暁人 技術監督:村松厚志 照明統括:樋口正幸 音響統括:加藤久

 舞台監督川上二郎

 音響デザイン:シルヴァン・カタール、イサベルジュエルアラン・マエ、

 加藤久直 音響:青木亮介 映像:ママール・ペンラヌー 演出部:横田宇雄

 ドラマトゥルギー横山義志 制作:佐伯風土 製作:SPAC一静岡県舞台芸術センター

 助成:アンスティチュ・フランセ

 後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本ベルギー大使館

 協力:エコエデュ(NPO法人しずおか環境教育研究会)

 出演:

 大内米治、加藤幸夫、貴島豪、小長谷勝彦、寺内亜矢子、布施安寿香、横山

 (エキストラ)落合久信、小林清美、演崎邦子、増井典代、八十潰喜久子

2015-05-03 「ふたりの女 平成版 ふたりの面妖があなたに絡む」

[]SPAC・静岡県舞台芸術センター ふじのくに-せかい演劇祭2015「觀 すべてのものに捧げるおどり」@静岡 静岡芸術劇場(2015/05/02-03 2ステージ)

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 芸術総監督振付:林麗珍 (リン・リーチェン)芸術総監督振付:林麗珍

 ビジュアルコンセプト:林麗珍 題字:程延平 照明デザイン:鄭國揚

 衣裳デザイン:葉錦添 舞台美術デザイン:張忘、陳念舟 撮影金成財、陳點墨

 リハーサルマスター:蔡必珠 副リハーサルマスター:鄭傑文

 テキスト:鄭傑文、羅毓嘉、陳緯翔 歌唱:許景淳 演奏:?子?、賀毅明

 プロデューサー:陳念舟 技術監督:鄭國揚 舞台監督:程子?

 音響:捷韻實業有限公司−高弘家 技術助手:尹皓 執行秘書:鄭傑文

 制作顧問:廖又臻 制作:劉??、?旻芳、陳緯翔 ワードローブ:張嘉�懃

 小道具:?耀廷 メイク:林瑞瑜 ヘアアクセサリー:?明�戈 衣裳:王?懿

 音楽:鄭傑文 委託製作:國家表演藝術中心-國家兩廳院 製作:無垢舞蹈劇場

 助成台灣文化部 台北駐日經濟文化代表台北文化中心

 協力:國家人博物館籌備處 製作:無垢舞蹈劇場

 ダンサー

 [白い鳥] ?明�戈

 [白い鳥の死] 王?懿

 [Samo] 平?寧

 [Yaki] 鄭傑文

 女性ダンサー:林瑞瑜、馮凱倫、?佳倩、陳懿儀、張雅涵、伍??、張?甄、�楡惠方、

  鄭羽書、�權思穎

 男性ダンサー:?耀廷、陳軒庭、高伯銓、郭丁?、朱政綱

 http://spac.or.jp/

[]SPAC・静岡県舞台芸術センター ふじのくに-せかい演劇祭2015「ふたりの女 平成ふたりの面妖があなたに絡む」

 

 @静岡 舞台芸術公園 野外劇場「有度」 (2015/4/29,5/3,6 3ステージ)

 http://www.spac.or.jp/

 演出宮城聰 作:唐十郎

 照明デザイン:樋口正幸 音響デザイン:金光博昭((株)三光

 衣裳デザイン:畑ジェニファー友紀 装置デザイン:村松厚志

 舞台監督:林哲也 演出部:神谷俊貴 照明操作小早川洋也

 音響操作坂田ゆかり ヘアメイク梶田キョウコ

 英語字幕翻訳:エグリントンみか、アンドリュー・エグリントン

 英語字幕操作片岡佐知子 制作内田稔子、板垣朱音

 製作:SPAC-静岡県舞台芸術センター

 出演:

 六条、アオイ:たきいみき 

 光一    :永井健二  

 是光    :奥野晃士  

 看護婦   :三木美智代 

 老人    :三島景太  

 青年    :春日井一平

 患者1    :若宮羊市  

 患者2    :石井萌生  

 患者3    :吉見亮   

 患者4    :木内琴子  

 患者5    :武石守正  

 母      :木内琴子  

 弟     :吉見亮   

 駐車場係員 :武石守正  

 不動産屋  :牧山祐大  

 もう一人の駐車場係員:宮城聰

 2009年7月にほぼ同様のキャストによって上演された唐十郎作品を6年ぶりに再演した。再演ではあるが、六条、アオイの2役を演じたたきいみきが6年前とは堂々たるヒロインぶりを演じ、女優としての成長を感じさせた。たきいみきと言えば「夜叉が池」が当たり役だったが、この「ふたりの女 平成版」でもそれに劣らぬ貫録をみせた。

 ク・ナウカ時代から俳優がどうしても見慣れていることもあり、たきいなどは「夜叉が池」の姫の可憐な印象もありどうも若手の印象があったのだが、この日の演技を見れば「ファウストと呼ばれた男」の美加理と甲乙つけがたいほどで今やヒロインとして2枚看板の座を確実にしたといえるかもしれない。

2015-05-01 舞台「幕が上がる」@ZEPPブルーシアター六本木

[]舞台「幕が上がる」@ZEPPブルーシアター六本木

2015年5月1日 (金) 〜2015年5月24日 (日)

原作脚本平田オリザ

演出 本広克行

出演 百田夏菜子 玉井詩織 高城れに 有安杏果

佐々木彩夏ももいろクローバーZ

伊藤沙莉 芳根京子 金井美樹

井上みなみ 多賀麻美 藤松祥子 坂倉花奈

 舞台「幕が上がる」が映画「幕が上がる」と大きく異なるのは原作小説「幕が上がる」の作者、平田オリザが自ら脚本担当したことである映画版監督である本広克行舞台演出担当したとはいえ、脚本を喜安 浩平(ブルドッキングヘッドロック)が担当し、さらにそれに監督、本広が手を加えた映画には「平田オリザ作品」とは受け取り難いところもある。

 それに比べると演出までは手掛けないとはいえ、舞台「幕が上がる」は同時多発の会話など平田戯曲現代口語演劇スタイルをほぼそのまま反映されている。平田作品ならではの感触を色濃く残したものとなっている。

2015-04-30 「ももクロ×平田オリザ」論 「幕が上がる」をめぐって

[]「ももクロ×平田オリザ」論 「幕が上がる」をめぐって——関係性と身体性 対極の邂逅

 青春映画王道の「部活もの

アイドルももいろクローバーZももクロ)」と劇作家演出家平田オリザ。ともにそれぞれのジャンル日本代表する存在である両者が手を組んだのが本広克行監督映画「幕が上がる」(2月28日封切り)である全国大会出場を目指す弱小演劇部少女たちの奮闘を描いた平田の初めての小説作品を、ももクロが主演し、「踊る捜査線」シリーズで知られる本広監督映画化した。(続く)→http://synodos.jp/culture/13808

2015-04-29 「「シアターアーツ59号「境界の不安 ── 年間回顧2014」発売

[]「シアターアーツ59号「境界不安 ── 年間回顧2014」発売!

シアターアーツ59号

特集境界不安 ── 年間回顧2014

[発表]劇評家が選ぶ2014 ベストステージ

    1位 二兎社『鷗外の怪談

    2位 SPAC『マハーバーラタ〜ナラ王冒険〜』

    3位 世田谷パブリックシアター『炎 アンサンディ

境界不安—年間回顧アンケートから見る二〇一四年  野田

境界不安 年間回顧2014 座談会

 2014 AICT会員アンケート

二〇一四年の演劇賞各賞受賞一覧

あなたは「藪の中」に何を見ますか?  藤原央登

限界線上のエリア—二〇一四年演劇総括  西堂行人

蛸壺化からの脱却  田中伸子

イベント化〉を前にした、さまざまな戦いの方法模索—「時評」的視点から  森山直人

シェイクスピアの穴—The Importance of Being William Shakespeare  井上

[時評]

 能の「再発見」のために  小田幸子

[論考]

 溶解する境界自律への胎動 —『ジェイムズ劇』と『人類館』におけるポストナショナリズム不安  本橋哲也

青年団とSPAC 二つの『変身』を巡って  中西

シロウト神格化あるいは究極のプロフェッショナル宝塚歌劇における卒業公演  吉田季実子

【追悼 十代目坂東三津五郎歌舞伎の将来の半ばを見失う  天野道映

[発表] 第20回AICT演劇評論賞/第19回シアターアーツ

   選考経過/選評/受賞の言葉

[第19回シアターアーツ賞 大賞受賞作]

 不変に挑む普遍的物語」——She She Pop春の祭典She She Pop とその母親たちによる』  柴田隆子

[第19回シアターアーツ賞 佳作]

 平成花形歌舞伎論 ——歌舞伎界の鍔際  末廣久児

2015-04-26 SPAC「メフィストと呼ばれた男」

[]SPAC・静岡県舞台芸術センター ふじのくに-せかい演劇祭2015「メフィストと呼ばれた男」@静岡 静岡芸術劇場

 脚本:トム・ラノワ 演出宮城聰

 作: トム・ラノワ(クラウス・マンの小説に基づく) 音楽: 棚川寛子

 空間構成: 木津潤平 翻訳: 庭山由佳 翻訳協力: 大西彩香

 照明デザイン:大迫浩二 音響デザイン:加藤久直 衣裳デザイン:駒井友美子

 舞台監督:内野彰子 美術:深沢襟、佐藤洋輔、三輪香織

 制作:大石佳子米山淳一 製作:SPA(一静岡県舞台芸術センター

 後援:ベルギー大使館

 引用戯曲翻訳

 『ハムレット』『ジュリアスシーザー』『ロミオとジュリエット

 『リチャード三世』『マクベス』(シェイクスピア小田島雄志訳)

 『桜の園』『かもめ』『ワーニャ伯父さん』(チェーホフ神西清訳)

 『ファウスト第一部』(ゲーテ池内紀訳[一部]それ以外は庭山由佳訳)

 『ヘカペ』(エウリピデス/丹下和彦訳)

 『ドンカルロス』(シラー/北通文訳)

 『ダントンの死』(ピューヒナー/山下純照訳)

 出演:

 阿部一徳:クルト・ケプラー

 渡辺敬彦:ヴィクターミュラー

 若菜大輔:ニクラスウェーバー

 鈴木陽代:ママヒルダ:

 本多麻紀:ニコルナウマン

 山本実幸:アングラ

 美加理 :レベッカ・フックス

 吉植荘一郎:巨漢

 鈴木麻里:リナ・リンデンホフ

 大高浩一:宣伝大臣

 大道無門優也:新総統

 牧山祐大:ソ連

(2015/04/24-26 3ステージ)

 http://www.spac.or.jp/