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中西理の下北沢通信(旧・大阪日記) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2016-02-18 ももいろクローバーZ「白金の夜明け」

[]ももいろクローバーZ 4thアルバム白金夜明け」 

[収録曲]

CD

M01. 個のA、始まりのZ -prologue-

作詞:只野菜摘 作曲編曲:NARASAKI

M02. 桃源郷

作詞:森 由里子 作曲編曲:NARASAKI

M03. 白金夜明

作詞:前田たかひろ 作曲編曲:横山

M04. マホバケーション

作詞:六ツ見純代 作曲編曲:invisible manners

D

M05. 夢の浮世に咲いてみな

作詞:岩里祐穂 / Paul Stanley 作曲:Paul Stanley / Greg Collins

編曲:KISS / Greg Collins

D

M06. ROCK THE BOAT

作詞:岩里祐穂 作曲編曲:Nicole Morier / Greg Kurstin

M07. 希望の向こうへ

作詞:桑原永江 作曲編曲:佐藤

M08. カントリーローズ -時の旅人-

作詞作曲編曲:NAOTO

M09. イマジネーション

作詞作曲編曲:清 竜人

M10. MOON PRIDE

作詞作曲編曲:Revo

D

M11. 『Z』の誓い

作詞:森 雪之丞 作曲:NARASAKI 編曲:NARASAKI / ゆよゆっぺ

D

M12. 愛を継ぐもの

作詞作曲:前山田健一 編曲:Tom-H@ck

M13. もっ黒ニナル果て

作詞:MURO / BOO 作曲編曲:MURO / SUI

D

M14. 桃色空

作詞作曲:堂本編曲:堂本 剛/十川ともじ

 

 

2016-02-17 ももいろクローバーZ「AMARANTHUS」

2016-02-08 うさぎストライプ「セブンスター」@小竹向原・アトリエ春風舎

[]うさぎストライプセブンスター」@小竹向原アトリエ春風舎 

セブンスター

あの日見られなかったロケットを、自転車でもう一度。

地下のガレージ。

男は煙草を吸いながら、一人で自転車を組み立てる。

彼はきっと、ずっと、ここから出られない。

あの日、男はもっとさな自転車に乗って、あの子と一緒にロケットを見に行くはずだった。

あの日たどり着けなかった種子島で、兄の作ったロケットが、発射の時を待っていた。

作・演出 大池容子  出演 亀山浩史

公演日程 2016年2月8日[月]▷14日[日]

2016-02-07 横浜ダンスコレクション「コンペティションI」@横浜・赤煉瓦倉庫 

[]横浜ダンスコレクションコンペティションI」@横浜・赤煉瓦倉庫 

1996年にスタートし、新進振付家の登竜門であるコンペティション

今回、15 カ国 176 組の応募から選ばれた21組の振付家が躍動。

コンペティション? 新人振付部門

25歳以下、これから本格的に振付家を目指す新人アーティスト43名から選ばれた12名が、チャレンジ精神ある作品を上演。

2月4日(木)19時30分

江上 真子、栗屋 瑞葵、酒井 直之、坂藤 加菜、柴田 菜々子、田村 興一郎

2月5日(金)19時30分

内田 恭太、大北 悟、栗原亜紀下島 礼紗、山口 将太朗、涌田 悠

コンペティションI

15カ国133組の応募の中から時代を共有し身体と表現に新たな視線を向ける振付振付家9組が本選に臨む。

2月6日(土)16時

尾花 藍子浜田 純平、渡辺 はるか、Aokid × 橋本 匠、

チョン・チョルイン(韓国

2月7日(日)16時(終演後、コンペティション授賞式を実施

伊東 歌織高橋 萌登、飯森百合西山 友貴、大園 康司・橋本 規靖<<




審査結果

コンペII 入賞 田村輿一郎

奨励賞 江上真け

2016-01-23 青年団リンク玉田企画「怪童がゆく」@小竹向原・アトリエ春風舎

[]青年団リンク玉田企画怪童がゆく」(@小竹向原アトリエ春風舎 

作・演出玉田真也 舞台美術:濱崎賢ニ(青年団) 照明:井坂浩(青年団)

 音響池田野歩 制作:西崎萌恵、足立悠子 宣伝美術小西朝子

 衣装:正金彩(青年団) 総合プロデューサー平田オリザ

 制作協力:木元太郎(アゴラ企画) 技術協力:大池容子(アゴラ企画)

 企画制作青年団、(有)アゴラ企画こまばアゴラ劇場

 主催:(有)アゴラ企画こまばアゴラ劇場

 出演:

 永井秀樹藤村

 黒木絵美花:里中

 ブライアリー・ロング(以上、青年団):ナオミ

 吉田亮 :倉持

 木下崇祥:加藤

 玉田真也:太郎

 

 

2016-01-20 青年団リンク玉田企画「怪童がゆく」@小竹向原・アトリエ春風舎

[]青年団リンク玉田企画怪童がゆく」(1回目)@小竹向原アトリエ春風舎 

作・演出玉田真也 舞台美術:濱崎賢ニ(青年団) 照明:井坂浩(青年団)

 音響池田野歩 制作:西崎萌恵、足立悠子 宣伝美術小西朝子

 衣装:正金彩(青年団) 総合プロデューサー平田オリザ

 制作協力:木元太郎(アゴラ企画) 技術協力:大池容子(アゴラ企画)

 企画制作青年団、(有)アゴラ企画こまばアゴラ劇場

 主催:(有)アゴラ企画こまばアゴラ劇場

 出演:

 永井秀樹藤村

 黒木絵美花:里中

 ブライアリー・ロング(以上、青年団):ナオミ

 吉田亮 :倉持

 木下崇祥:加藤

 玉田真也:太郎

 青年団演出所属劇作家演出家である玉田真也の新作「怪童がゆく」を小竹向原アトリエ春風舎で観劇した。玉田慶応大学学生劇団出身で、2010年青年団演出部に入団している。参考までに挙げれば青年団とは無関係だが平田オリザ桜美林大学時代指導経験のある教え子だったマームジプシー藤田貴大(1985年生まれ)もほぼ同世代であり、世代的には柴、藤田三浦直ら私がポストゼロ年代演劇と呼んでいる作家たちとほぼ同世代となる。

 現代口語演劇様式から大きく逸脱し離れていった2010年以降の現代演劇のなかで、玉田群像会話劇・現代口語演劇平田オリザ形式が色濃く感じる舞台を作り続けているからだ。青年団出身の若手演出家舞台現代口語演劇を出発点とはしながらもいかにそこから離脱して新たな形式を獲得するかをひとつ主題となってきた。玉田最近の動向にいわば逆らいながらも群像会話劇という形式にこだわり続けてきたわけだが、青年団がもともと平田劇団であることからすれば彼らの試みこそいわば青年団における「保守本流」といえなくもないだろうと考えられるのだ。

 「怪童がゆく」で描かれるのはある大学文学部ゼミ合宿である。冒頭で永井秀樹が演じる大学教授藤村大学院生ゼミ合宿を手伝いに来ている倉持が現れる。少し遅れて作演出担当する玉田が演じる藤村の息子の中学生太郎が登場するが、最初の場面だけみてもこの親子があまり上手くいってないことが分かる。

平田オリザ演劇のことを「関係性の演劇」と名付けたが、それは平田演劇が微細なニュアンスをはじめ現代口語の会話を再現することで登場人物間の隠された関係性を提示することにあった。

もっともこれは何も平田に限ったことではなく、90年代00年代にかけては岩松了、深津篤史、あるいはその後大きくスタイルを変更するが、当時の松田正隆宮沢章夫もこうしたスタイル代表する作家だった。

 

2016-01-01 あけましておめでとう

[]謹賀新年。今年もよろしくお願いします。

昨年もブログ更新がほとんどできなかったので今年こそはもう少し頻繁に更新したいと思います。

演劇ベストアクト2014 http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20141231

2015-12-31 2015年演劇ベストアクト

[]2015年演劇ベストアクト

 年末恒例の2015年演劇ベストアクト*1 *2 *3 *4 *5 *6 *7 *8 *9 *10 *11 を掲載することにしたい。さて、皆さんの今年のベストアクトはどうでしたか。今回もコメントなどを書いてもらえると嬉しい。

2015年演劇ベストアクト

1,青年団若手自主企画、綾門企画「汗と涙の結晶破壊小竹向原アトリエ春風舎)

2,本広克行×平田オリザ「幕が上がる」「転校生Zeppブルーシアター)

3,青年団リンク ホエイ「雲の脂」小竹向原アトリエ春風舎)

4,木ノ下歌舞伎心中天の網島」こまばアゴラ劇場

5,悪い芝居「キスインヘル」赤坂RED・THEATER)

6,サンプル「離陸」早稲田早稲田どらま館)

7,Theatres des Annales「後期ヴィトゲンシュタインリーディングこまばアゴラ劇場

8,地点「三人姉妹横浜・KAAT)

9,飴屋法水ブルーシート」フェスティバルトーキョー豊島区旧第十中学校グラウンド

10,森山未來死刑執行中脱獄進行中天王洲銀河劇場

 今年も豊作な1年。10本に絞り込むのは難しかったが、今後への期待を含め、青年団演出部の若き俊英、綾門優季の「汗と涙の結晶破壊」をベスト1に選んだ。多田淳之介前田司郎松井周、岩井秀人ら次々と現代演劇の新たな才能を輩出した青年団周辺で次の世代を担うアンファンテリブルとして驚くべき才能の出現を感じさせたのが綾門優季青年団リンク キュイ)であった。

 「汗と涙の結晶破壊」はアートコンペの授賞式の場面から始まる。「才能があるとかないとかとを安易評価するないでほしい。私はちゃんと賞を取るために戦略的研究しどうしたらいいかを分析して、努力して作品を作っているんだ」と独白する主人公が登場。「才能」という言葉代表されるような芸術神話性を冷酷に解体してみせる。青年団で先輩格にあたる柴幸男は岸田戯曲賞を受賞した「わが星」で物語の流れではなく作中で使われるラップ音楽構造作品世界構造相互呼応するように戯曲を組み立て、それまでにまったく前例がないような構成で驚かせたが、綾門の作劇もその延長線上にある。

 「汗と涙の結晶破壊」の登場人物は4つの方位に象徴される東、西、南、北と中心を示す中(あたる)の5人のアーティスト。その周囲にさらに何人かの人物が配置されるが、すべての人物が東西南北中を演じる5人の俳優によって演じられる。中はコンペでグランプリを受賞する「天才芸術家」、南はそれに匹敵する才能の持ち主でコンペで2位入選するが審査委員長である中の父親対立して、賞を辞退する破滅型の芸術家であるさらにコンペには入賞できないが後にエッセイストとして別の才能を開花させる西、自分の才能のなさに絶望して自殺する北。そして主役格の東は冒頭にも書いたように海外留学権利が獲得できる2位以内入賞を狙って作品創作しコンペに応募するが、結局とどかない3位となったことを嘆くが南の棄権により、2位の座を手中に収める。

 この5人を作者は「キャラ」として構築して、作品に配置する。その置き方は伝統的に演劇表現が造形してきた人間リアリティーを感じさせるものではない。ゲームアニメ漫画キャラ的なものといっていい。それが綾門の作劇の特徴である。東にとっては芸術作品創作する行為特定ルール(レギュレーション)のもとでゲームを勝ち抜くのとほぼ同義だ。それが1人称の独白で語られるが、この作品面白いのはそこで語られる内容自体自己言及的でこの「汗と涙の結晶破壊」という作品も同様の創作的アプローチによって設計され、作られたものではないのかと感じさせるところである

 綾門は今年、無隣館若手自主企画 vol.5 ショーケース企画 3 youths on the sandで上演した「不眠普及」でせんだい短編戯曲賞大賞を受賞。2013年にも「止まらない子供たちが轢かれてゆく」で同戯曲賞を受賞しており異例の2回目の受賞となった。残念ながら今回の岸田戯曲賞では最終候補に残らなかったが、2015年平田オリザが「東京ノート」で岸田戯曲賞を受賞して20年、岡田利規が「三月の5日間」で同賞を受賞してから10年となる年で新たな才能が必ずしも周期的に登場する根拠はないが、実はひそかに「この次」と睨んでいるのが綾門である評価は分かれるだろうが今年最大の問題作であったことは間違いない。

 青年団では今年から演出部に所属することになった山田百次(劇団野の上・青年団リンク ホエイ)の活躍も目立った。「雲の脂」は地方にある神社舞台だ。江戸末期における蝦夷地での津軽藩士悲劇津軽方言を生かした会話劇で「珈琲法要」、東京舞台東京青森言葉を逆転させた「東京アレルギー」などこれまでの山田作品津軽方言など地域言葉を生かした作品が多かったがこの「雲の脂」ではそれを捨て、どこだという場所特定されないが人里離れた田舎町の神社に起こるなんとも不可思議出来事を描き出した。ただ、共通点はあってそれは作品がいずれも中央と対比されるような形で放置されたような周縁の出来事を描きだしていることでこの「雲の脂」でも忘れられた神社、その敷地にある廃物が捨てられいる池。いろんな意味が汲みとれそうな寓話的なエピソードを連ねて現代日本戯画化していく。

15年にもっとも注目していたのが、映画監督本広克行平田オリザによる「幕が上がる」プロジェクトである。人気アイドルももいろクローバーZが主演した映画「幕が上がる」と舞台「幕が上がる」に加えて、21人の若手女優オーディションにより募集し「転校生」も上演した。

2015-09-06 演劇とももいろクローバーZ(抜粋) このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

第2部 演劇ももいろクローバーZ

 「変わりゆくももクロパフォーマンス

 「5TH DIMENSIONツアー」の衝撃

 ももいろクローバーZパフォーマンス2013年春の「5TH DIMENSIONツアー」を境に「全力パフォーマンス」を超えた新しい段階に入った。それはさまざまな演劇的な仕掛けを取り入れながら、音楽を核にしてある種の世界観提示していくという総合エンターテインメントへの志向である。端的に言えば「ミュージカル路線」と名づけることも可能かもしれない。

 もっとも、こうした新たな方向性を明確にする以前、かなり初期の段階から茶番劇」と呼ばれる演劇的な要素がライブ演出の一部として組み込まれていた。それは「全力」と並ぶ、ももクロのもうひとつの大きな売りとなっていた。茶番劇がいったいいつの時点から始まったのかははっきりしない。しかしすでにももいろクローバー時代代々木公園での野外ステージでのライブに「帰ってきた代々木公園の猫たち」と題するかなり長尺の寸劇をライブに取り入れて、上演しているのをやはり動画サイトなどで目にすることができる。さら川上アキラの著書「ももクロ流」によればそもそも路上時代に行っていた「代々木公園の猫たち」という茶番劇があったようだ。ももクロは結成当初から茶番劇のDNAを持ち、生まれてきたといってもいいかもしれない。

 ももいろクローバーZになってから最初の大規模なライブとなった「サマーダイブ2011 極楽からこんにちは」(2011年8月)でも冒頭部分で戦隊ヒーローショウを模した寸劇がえんえんと続く。寸劇は本人たちさえ登場しないで20分以上が続いた。このアイドルライブとしては異例の演出に当時すでに賛否両論は激しかったようだ。がっつりライブ愛好派からの厳しい批判を受けても、その後もこうした寸劇を取り入れた演出は続いている。これを単にステージ演出の佐々木敦規氏の個人的趣味解釈するのはあまりに軽薄だ。ももクロの目指すパフォーマンスにおいて演劇最初から重要な要素と想定されているからと考えるべきであろう。

 だが、このことはよく考えれば別に意外というほどのことではないかもしれない。なぜなら、冒頭にも書いたが、ももクロはもともと女優事務所所属するタレントの卵たちの育成訓練プロジェクトからはじまった。だとすればそのカリキュラムなかに「歌」「ダンス」と並んで「演技」があったと考えるのはむしろ自然なことだったといえる。

 メンバーも結成初期には「将来の目標は?」と聞かれ「女優になりたい」と全員が答えていたほどだ。でんぱ組.incプロデューサーを務めるもふくちゃんによればアイドルにおいて「将来の夢は女優」という発言は「じゃあ、今アイドルやってるのは腰掛けかよ。俺達はただの踏み台か」と思わせる意味で「絶対の禁句」らしい。ももクロに関しても早見あかり女優の道を目指すためにももクロを脱退したことや、妹グループも同様の離脱者を出していることもあってか、最近は以前ほどあからさまに人前で発言することはなくなった。

 ただ、SMAPや嵐の名前を具体的に出し「息の長いグループを目指す」と宣言した時点で、今後は5人それぞれのソロ仕事を増やしていくとした、その活動の内訳に女優ないしそれに類する仕事重要役割を占めることはほとんど言わずもがな大前提ではないかと思う。

 そうした長期構想とおそらくどこかでリンクしているとも思われるが、ライブ最近は第1部で取り上げた「全力パフォーマンス」とはやや異なるコンセプトのライブへと変化を遂げた。大きな転換点を感じさせたのが2013年3月に敢行された「5TH DIMENSIONツアー」だった。当初から目標だった紅白出場を果たし、今後どんなグループを目指していくのかという注目を受けていた時期。このライブはそうした疑問へのひとつの回答でもあったわけだ。これはももクロの次のステージへの「進化」を主題としたコンセプトアルバム5TH DIMENSION」の世界観を演出的に作りこんだライブショーによりそのままビジュアル化してしまおうというものだった。それまでのももクロライブライブの原義通り、生であることの魅力を前面に打ち出したものであったのに対し、これはひとつ作品としてライブを作りこんだ。

 「5TH DIMENSIONツアー」は舞台芸術(パフォーミングアーツ)的な要素の強い第1部とこれまで通りの全力ライブの第2部との2部構成になっている。第1部は冒頭の「Neo STARGATEからまり、「進化」を主題にしたコンセプトに沿ってアルバムの曲順に沿ってライブは進行していく。衣装の着替え時間をかねて曲と曲の間には数カ所石川ゆみ振付によるダンス群舞が挿入されて、ももクロによる歌とダンサーらのダンスが交互に舞台で披露される。セリフこそないが、全体として一編のダンスミュージカルのように構成されるく。「5TH DIMENSIONツアー」は悔やんでも悔やみきれないことにすべての公演のチケットを申し込みながらいずれも落選。実際のライブを生で見ることはできなかった。そのため、上演当時大騒ぎとなったツアーの内容は想像しながら指をくわえてネット上の感想を見ていることしかできなかった。しかし、DVDに収録された作品を見てびっくりした。ももクロパフォーマンスだけでなく、途中に挟み込まれたダンサーによるパフォーマンスから衣装、照明、ザイロバンドによる客席演出まで非常に完成度が高い。これを実際に見ていたら文句なくその年に見たパフォーマンスのなかでベストアクトに挙げただろうと思われる出来栄えだった。

 「5TH DIMENSION」は「5次元」という意味最初の曲が「Neo STARGATEから始まる。オルフの「カルミナ・ブラーナ」をそのまま前奏に使った「Neo STARGATE」は到底アイドル楽曲とは思えないような壮大さを誇る。表題の「Neo STARGATE」の「スターゲート(STARGATE)」とは「星界の門」。映画2001年宇宙の旅」の後半に出てくる。異世界とつながる宇宙に開いたホールのような存在装置のことだ。映画2001年〜」の中で主人公のボーマン船長スターゲートを抜けて謎めいた空間をさまよった挙句スターチャイルドという高次の存在進化する。「スターチャイルド」というのは当時ももクロ所属していたキングレコードレーベル名称でもある。ももクロ所属事務所スターダストプロモーションでもある。ここではスターダスト星屑)のような存在だった少女たちがスターチャイルドへ、そしてそれ以上に高次の存在(つまりスターということだ)に成長していくというももクロ自身の物語が重ねあわされている。

 さらに言えば「Neo STARGATE」並びにその続編となる「BIRTH O BIRTH」のPVに登場する宇宙船の外観や船内の回廊部分の白を基調にしたビジュアルは明らかに映画を模している。アルバム全体のキーコンセプトもすでにシングルに収録済みだった曲も含めて「宇宙」「進化」「旅」といった「2001年〜」を連想させるイメージで統一されている。ライブもこれまでの色別を極力排したやはり白を基調にした衣装をはじめ、そうしたアルバムの色合いをそのまま反映したものだった。単なる音楽ライブというよりも楽曲基調としながらも「ももクロ宇宙の旅を続けながら、次第に高い次元へと成長(進化)を続けていく」という物語を綴っていく一種の音楽劇の体裁をとっている。

 この路線は2013年秋の「ももいろクローバーZ JAPAN TOUR 2013『GOUNN』」(GOUUNツアー)にも引き継がれた。こちらはなんとかひさしぶりにチケットを確保して、福岡公演(13年10月14日福岡マリンメッセ)を見ることができた。路線は引き継がれたと言ったが、新曲を駆使した「5TH DIMENSIONツアー」とは異なり、これまでもライブで歌われたももクロ既存曲16曲を「輪廻転生」の主題に従い「輪」「廻」「転」「生」の4つのパートに振り分けて配し、最後表題曲の「GOUNN」を置くという構成だった。「5TH DIMENSIONツアーと同じく、演出の都合上、本編の間はサイリウムペンライトなどの使用が制限され、メンバーのMCを一切はさまず、衣装交換の間はパフォーマーによる群舞(石川ゆみ振付)が披露された。久米明ナレーションとともに、僧侶仏像が登場する演出がなされ新曲としてリリースされた「GOUNN」のコンセプトである仏教的な世界観提示された。

 この2つのツアーはともに演劇的な要素が強いとはいえ、逆にそれまであったような茶番劇的な演劇要素は極力排し、ももクロのメンバーは歌・ダンス以外の部分で演技をするということがなくなっている。このため、音楽を中心に展開する音楽ダンスショーの趣きが強いが、ミュージカルにも近年は全編ABBAヒット曲を使った「マンマミーア!」や全編クイーン音楽を使用した「ウィ・ウィルロック・ユー(We Will Rock You)」などジュークボックスミュージカルと呼ばれるジャンルがあり、前述のようなヒット作を生み出している。ももクロツアーはこれらのミュージカルまで形式的にはあと一歩ともいえるほどに近づいている。実際に観劇した(あえてこの言葉を使う)「GOUUNツアー」はある演劇雑誌の「今年の収穫」で「ジャンルを問わず今年もっとも刺激的だったパフォーマンス」に選んだのだが、私の目にはこの2つのツアーのあり方は将来より本格的なミュージカルももクロを中心としたキャスティングにより上演するための布石に感じたのだ。

 ただ、アイドルミュージカルというと少なくとも単独のライブなどでは集客の難しくなったアイドルが目先を変えるための企画や逆に人気アイドル客寄せパンダ的にキャスティングされることも少なくなく、興業的には成立しても演劇表現としてはそれほど見るべき価値のない公演が多いのも確かだ。ももクロ場合、現時点でそういうものに参加するのは時間無駄なので、もし企画に参加するとすれば公演自体にも価値があり、彼女たちの成長にとっても意味のある公演への参加でないと意味がない。

 演劇評論家としてももクロの将来のために遠から未来に一緒に仕事をしてもらいたい2人の演出家がいる。1人目が劇団☆新感線いのうえひでのりである。いのうえとの仕事を熱望するのは以前からももクロ劇団☆新感線には似た者同士の匂いを感じていたからだ。新感線には座長いのうえひでのりによるコント系芝居「おポンチ路線」、座付作家中島かずきが書き下ろす時代活劇「いのうえ歌舞伎」、音楽劇の色が強い「新感線R」など多岐に渡る作品群がある。最近ジャニーズ系二枚目若手男優歌舞伎俳優などを多彩なゲストを迎えての時代活劇「いのうえ歌舞伎」が中心だが、「おポンチ路線」の舞台にはももクロ茶番劇とよく似たB級の味わいを感じる。さらハードロックなどを生かした音楽性やアニメ漫画を下敷きにしたパロディ精神格闘技好きなところなどそのほかにもももクロシンクロしていくところが数多く見られる。

 ももクロの大箱ライブにおいて、先述したように茶番劇は大きな要素を占めるが、総合演出の佐々木敦規のショーマンシップの高さを認めながらも、舞台芸術を見慣れた目からするとやはり現在ももクロの公演において茶番劇代表される演劇的な趣向のクオリティーが一番の問題点に映る。佐々木はやはり映像畑の人間であり、ここは誰か演劇専門家を入れることでテコ入れする必要がある。

 ところがももクロ茶番劇の持っているインチキくささやバカバカしさはやはり魅力でもあって、ここをはき違えてただ完成度の高さを求めても虻蜂取らずになりかねない。そこでこうした風味を生かしながら全体のエンタメとしての質を大幅に向上させる切り札となりそうなのがいのうえだと考えるからだ。もっとも、いのうえは通常は1カ月以上の稽古期間をかける完全主義者であり、しか演出家としても超売れっ子存在であるから、実現は簡単なことではないが、20年以上も新感線舞台を見続けてきたものとしては「ももクロ劇団☆新感線」の強力タッグマッチはぜひ一度見てみたい風景なのである。(以上抜粋)

 

 

2015-06-28 シアターアーツ劇評講座第2回 ままごと「わが星」 

[]シアターアーツ劇評講座第2回 ままごと「わが星」Web講義ノート

f:id:simokitazawa:20110529033846j:image                               

主宰・中西理(演劇舞踊評論)=演目選定

シアターアーツ劇評講座第2回 ままごと「わが星」 

6月28日6時〜 座・高円寺地下3階

2011年からスタートしたシアターアーツ/国際演劇評論家協会日本センター主催の劇評家講座。

国際演劇評論家協会(AICT)が主催する月1回の講座です。年間スケジュールは 3つの要素で構成されています。

「書く」—受講生による劇評の提出と添削

「聞く」—劇現場の創り手を招いてのトーク

「話す」—劇評家による演劇批評や舞台芸術に関するレクチャー

自由な意見交換で《演劇》を考えていきましょう。

参加希望者は2000〜4000字の分量で自由に「わが星」についての劇評(感想)を書いてきてください。当日はその劇評について専門家の目で書き方の指導を行うとともに「わが星」という作品がどんな作品であるのかについて論じ合いたいと考えています。劇評は

ta-editorsml@aict-iatc.jpまでお送りください。締め切りは前日の27日(以前書いたのより延ばしました)

劇評講座2015/2016 の日程

5/24(日)ゲストトーク:飴屋法水氏に聞く 要予約 締め切り5/20(水)

6/28(日)課題作品 ままごと『わが星』の劇評提出 講師:中西理(演劇舞踊批評)

7/26(予定)シアター・クリティック・ナウ2015

      (演劇評論を対象にした「AICT 演劇評論賞」受賞者を交えたシンポジウム。日程は変更される場合があります)

8/23(日)レクチャーミュージカル批評について 講師:小山内伸(評論家

     音楽とドラマの関係など、現代演劇とは異なる視点が要求されるミュージカル評論について解説。

9/27(日)課題劇評提出(対象作品は後日発表)

10/25(日)課題劇評提出(対象作品は後日発表)

11/22(日)ゲストトーク:劇現場の創り手に聞く

12/27(日)課題劇評提出(対象作品は後日発表)

1/17(日)劇評家による2015年 年間回顧座談会

2/28(日)2015 年度講座のまとめ

(計10回予定)各回18:00~20:30

会場:座・高円寺・地下3F けいこば2

※5/24のみ けいこば1で開催

参加費:年間受講8,000円、1回ごとの受講1,000円

定員:30名

主催:国際演劇評論家協会日本センター・シアターアーツ編集部

企画協力:NPO 法人 劇場創造ネットワーク/座・高円寺

【受講料のお支払い方法】

銀行振込、またはクレジットカード(VISA、Master、JCB、AmericanExpress)でのお支払いがご利用いただけます。

■劇評講座2015/16お申込み→http://theatrearts.aict-iatc.jp/201504/2741/ 

 シアターアーツ劇評講座第1回となった5月には劇作家演出家飴屋法水さんをゲストに迎え、トークショーを開催しました。第2回となる6月28日は実質的に劇評講座のスタートとなるわけですが、今回はままごと「わが星」を取り上げることにしました。

 「わが星」の作者(作演出)は柴幸男です。快快(篠田千明)、柿喰う客(中屋敷法仁)、悪い芝居(山崎彬)らポストゼロ年代の作家の台頭により、明らかに新しい傾向が現れるのが2010年以降のことですが、彼らには先行する世代にない共通する傾向がありました。

ままごと戯曲公開プロジェクト こちらから戯曲が読めます⇒http://www.mamagoto.org/drama.html

ポストゼロ年代演劇の特徴

1)その劇団に固有の決まった演技・演出様式がなく作品ごとに変わる

東浩紀のいうデータベース消費に対応

2)作品に物語のほかにメタレベルで提供される遊戯的なルール(のようなもの)が課され、その遂行と作品の進行が同時進行する⇒ゲーム的リアリズム(=ゲームが構造構築のモデル東浩紀の定義とは少し違う)

3)感動させることを厭わない(悪意の不在)⇒一番の問題点

 そのことに最初に気づかせたのが代表作である「わが星」をはじめとする柴の作品群で、その意味でも単に最初に認められたということだけはなく、それ以前の世代の平田オリザ岡田利規*1がそれぞれの世代においてそうだったように演劇における新たな方向性最前線を示し続けています。

 今回のレクチャーで「わが星」をはじめとした柴の作品はどういうものであるのかを徹底解剖していく予定です。 

シアターアーツ57号「関係性の演劇」とそれを継ぐ者たち─多田淳之介・柴幸男・松井周 から抜粋

柴幸男:ポストゼロ年代演劇の旗手

 多田に続いたのが同じく青年団にいた柴幸男(ままごと)だ。柴は多田が試みていたテキストの構造から作品を構築していくという方法論をテキスト段階からの設計ではるかに精緻に展開してみせ、2010年には「わが星」(初演2009年)で岸田戯曲賞を受賞した。「わが星」はソーントン・ワイルダーの「わが町」を下敷きに「地球という星が生まれて、そして死滅するまで」という宇宙的な悠久の時間を「ちーちゃん(地球)という女の子と家族の物語」というメタファー(隠喩)によって提示した。柴はロロロのラップ音楽で構成された音楽劇として、前編を一曲の音楽のような構造で構築した。 

 柴幸男の作家的な特徴は演劇の構造の中に物語の進行以外の作品内で規定された固有のルールのようなものを持ち込んで、それによって舞台を進行させるというアイデアを持ち込んだことで最初にその特徴が遺憾なく発揮されたのが短編演劇の「反復かつ連続」だった。「反復かつ連続」には複数の人物が登場するが、実はこれは一人芝居なのだ。ある一家のある日の朝の光景がシークエンスとして演じられるのだが、一通りそれが繰り返された後は今度はまた別の役柄をその同じ俳優が演じる。ところが最初に演じた役柄はいなくなってしまうというわけではなくて、目には見えないが音声だけは残っていて、舞台上の俳優の演技と同時進行していく。これが何度も繰り返されることで、多色刷りの版画が重ねられていくように「ある一家のある朝」のディティールが浮かび上がってくる。見事な着想だがこの作品の初演は劇作家協会東海支部プロデュース 劇王IVに参加した2007年だか実は音声だけで透明人間となるキャラと人間の俳優が共演するというアイデアはこちらは2006年初演の東京デスロック「3人いる」にもあって、直接的な影響があったかどうかは不明だが、前述したようにチェルフィッチュが「演じている人=役者」と「演じられている人=役」の1対1対応のくびきから解き放ったことが大きな契機となったと思われる。チェルフィッチュは群像会話劇という形式を解体したが、現代口語演劇からの離脱を果たすには「わたしたちは無傷な別人である」(2010年)を待たねばならなかった。

 これに対して柴は「あゆみ」ではあゆみという1人の女性を複数の女優が次から次へとバトンをわたしようにリレーして演じていき、それにより主人公であるあゆみ」が生まれて死ぬまでも演じるという「反復かつ連続」とはまた違うルールを演劇に持ち込んだが、これはまだ演劇・演出的には平田オリザ的な現代口語演劇に準ずるものだった。ところが先に挙げた「わが星」では台詞の大部分をロロロ(クチロロ)の三浦康嗣が作曲したラップ音楽に合わせて発するという形で現代口語演劇からの離脱を試みた。

 柴はその後も「わが星」に引き続き音楽の三浦康嗣、振付の白神ももこと手掛けた音楽劇ファンファーレ」@世田谷パブリックシアター・シアタートラム2012年)、今夏にはあいちトリエンナーレで新作「日本の大人」@愛知県芸術劇場ホールで上演したが代表作であるあゆみ」「わが星」を超えるような新趣向は出てこず模索の時期にあるようだ。

 以上のように平田オリザらの「群像会話劇」は多田、柴らがチェルフィッチュ岡田利規の動きと呼応するように「役」=「役者」の1対1対応の自明性を疑うようなさまざまな実験を試みていく過程で解体されていった。もっとも今回もここでは多田、柴の2人を紹介したが1990年代の「群像会話劇」の担い手が平田だけではなかったように問題意識を共有する作家が相次ぎ登場して、相互に影響を与えながら大きな流れのようなものを作っていったことが「ポストゼロ年代演劇」台頭につながっていく。


 「わが星」「あゆみ」ほか柴幸男作品

ままごと「わが星」冒頭部分

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ままごと「わが星」

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□□□「いつかどこかで」

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http://www.nicovideo.jp/watch/sm15051228

岸田戯曲賞授賞式 2010-04-12 ままごと×口ロロ

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仮説=柴幸男は天才的な編集者アレンジャー

「わが星の半分は『夢+夜』だと思ってます。残り半分が口(クチ)ロロで、残り半分がワイルダーですね」(柴幸男)

口ロロ(クチロロ)と「わが星」

□□□- AM00:00:00

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「TONIGHT」

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 □□□と柴幸男の出会いでこの「わが星」は生まれました。「わが星」の前には後に「AM00:00:00」という曲になったデモ曲がありました。「AM00:00:00」と「わが星」は双生児の兄弟のようなものだというのは柴も□□□の三浦も話しているのが、その前にこの「TONIGHT」という曲(およびPV)があって、柴はそれに強く触発されたのではないかと考えています。というのはこの「TONIGHT」という曲が柴が□□□のほかに挙げた2つの要素、つまり「夢+夜」と「わが町」は死者の世界から私たちの生きているこの世界を幻視することで一瞬一瞬の生きることの意味をうかびあがらせるという共通の構造を持っているからです。


少年王者舘と「わが星」

少年王者舘「夢+夜」

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http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20100218/p1

少年王者舘「夢+夜 ゆめたすよる」は昨年京都のアートコンプレックス1928で見ているのだが、その時には上演時間は1時間弱で未完成版だったらしい。この劇団にはよくあることとはいえ、東京で上演された完成版は2時間近い上演時間だったらしい。今回その完成版を名古屋七ツ寺共同スタジオで上演されるというので観劇してきた。

 先日岸田戯曲賞を受賞した柴幸男がその受賞作「わが星」について、「わが星の半分は『夢+夜』だと思ってます。残り半分がクチロロで、残り半分がワイルダーですね」とソーントン・ワイルダーの「わが町」*1や□□□「00:00:00」と同様にこの「夢+夜」に大きな影響を受けて「わが星」を構想したことを明かしているのだが、「わが星」の映像を何度か見た*2ところ、柴が天野天街に大きな影響を受けていることは確認できたものの京都公演を見た印象でいえばなぜ「夢+夜」なのかということは納得しかねるところがあり、ぜひ完成版で確認したいと思ったからだ。

少年王者舘の舞台では通常の物語(ナラティブ)の構造ではなく音楽におけるサンプリングカットアップのように同一の構造が何度も繰り返されたり、美術におけるコラージュのようにまったく違う位相にある時空が突然つながるようによりあわせられたりしてひとつ構造物として構築されているが、そういう特徴はこの「わが星」という作品も共有しているといえるかもしれない。あるいはこれは天野天街のそれと比べるとほんのちょっぴりという程度ではあるのだけれど言葉遊びもこの作品では重要な要素を占めており、特に「校則」「光速」の掛け言葉は遠くで地球(ちーちゃん)を見つめ続ける少年との最後の出会いにとってかなり決定的に重要な意味を持つものであった。

 以前このように「わが星」に対する少年王者舘天野天街)からの影響を書いたのだが、今回実際に「夢+夜 完成版」を見て思ったのはわが星ではないものの「わたしの星」という言葉が作品中に出てくるし、万華鏡を覗き込む場面は「わが星」のなかでちーちゃん誕生日プレゼントを覗き込む場面を連想させるし、予想以上にそのまま引用している部分が多いのに気が付き驚いた。

 「『わが星』が、セカイ系フィクションの構造を踏襲している」ことについてはブログ「白鳥の眼鏡」で柳澤望が指摘していて、それはなかなか慧眼であるとは思うのだが、そういう風に考えるならば「夢+夜」だけでなく、天野天街作品は以前から「セカイ系」なのではないか、そして「わが星」はその構造を映し、同型だからこそ「セカイ系」的な構造を持つのではないかと考えたからだ。実は天野天街作品は単一な形態に還元できないような複雑な構造をもっているため、これまではその「セカイ系」的な構造に気がつかないでいたのだが、柴幸男の「わが星」はその複雑な構造を整理しある意味枝葉の部分を刈り取り、その本質的な部分のみを取り出すような単純化をしたせいで、隠されていた天野ワールドの構造がその眼鏡を通して見ると露わになったからだ。

 

少年王者舘「自由ノ人形」の感想の続きを書く。天野天街の芝居はほとんどの場合、死者の目から過去を回想し、死んでしまったことでこの世では実現しなかった未来を幻視するという構造となっている。この「自由ノ人形」も例外ではなく、過去の私/現在の私/未来の私の三位一体としての私が登場して、失われた過去、そして未来がある種の郷愁(ノスタルジー)に彩られた筆致で描かれていく。この芝居ではひとつの街自体が姿を消してしまった情景が幻視され、失われた夏休みのことが語られるのだが、劇中に登場する言葉の断片から予想するにそれはおそらく原爆投下によって一瞬にして失われた命への鎮魂ではないかと思われるふしが強く感じられる。もっとも、天野はこの芝居でこの芝居の隠された中心点であると考えられる「死の原因」についてはほとんど迂回に次ぐ迂回を続けてそれをはっきりと正面からは明示しない手法を取っていく。この芝居では言葉の氾濫とも思われるほどの言葉が提示しながらも「中心点」にあえて直接は触れないことで、その不在の中心に陰画として、「原爆による死」が浮かび上がってくるような手法を取っているのである

 実はこの描かないで描くという手法(省筆といったらいいのか)は90年代演劇のひとつの特色ともいえ、松田正隆平田オリザといった90年代日本現代演劇を代表する作家が使ってきた手法でもある。それは現代人のリアルの感覚にも関係があることだと思われるが、本当のものをただ直接見せるのがリアルなのかに対いての拭いきれない懐疑がその根底にはあるからである。1例を挙げよう。これはテレビというメディアにも関係してくることなのだが、ニンテンドーウォーとも一部で言われた湾岸戦争テレビ映像あれは日本に住む我々にとってリアルだっただろうか。阪神大震災の映像、オウムによるサリン事件の映像はどうだっただろうか。現実でさえ、テレビブラウン管を通して見るとそこにはなにかリアルとはいえないものが張り付いてくるのだ。ましてや直接描かれるのがはばかられるような大問題をそのまま舞台に挙げて、それをそのまま演じるのは例えそれがリアルなものであっても、あるいはリアルなものであるからこそ現代人にとってはそこに張り付いた嘘臭さを見ないですませることは不可能なのである

 もちろん、この種の表現というのは現代人の専売特許というわけではなく、古代人にとって人間の力を超えた「神」というものがそれでそれは寓話か隠喩の形を取ってしか語られ得ぬものであった。あるいは「死」というものもそういう側面を持っている。それは不在という形でしか語られ得ぬものである。その意味では天野の作品がこういう手法を取るのは「原爆による死」というものじゃなくても、それが「死」を中核に抱える演劇だからということがいえるかもしれない。 

 以上はこの「大阪日記」の2000年9月にある「日記風雑記帳」にある少年王者舘「自由ノ人形」の感想の再録であるがここで注目してほしいのは「天野天街の芝居はほとんどの場合、死者の目から過去を回想し、死んでしまったことでこの世では実現しなかった未来を幻視するという構造となっている」という部分で、ここでは死者の視点からの実現しなかった未来の幻視となっているが、実はこの未来というのは「過去」「現在」「未来」が混然一体となった無時間的アマルガム(混合物)ともみなすことができる。つまり、村上春樹の「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」に擬えるならばここで天野が描き出すのは「世界の終り」であり、そこには時間がないゆえにそこでの時間は伸縮自在でもあって、ループのように繰り返されながららせん状にずれていく平行世界のような存在でもある。

 そして、「幻視」される世界のなかで不可視なのはその中心にある「死」であり、天野ワールドではそれは明示させることはほとんどないが、まるで空気のように「死」に対する隠喩がその作品世界全体を覆いつくしている。

1:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%8C%E7%94%BA

2:http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20100115

 興味深いのはともに「わが星」が影響を受けたと柴が自ら明らかにしている□□□少年王者舘「夢+夜」が共通点を持つことだ。正確にいえば先に挙げた□□□「TONIGHT」と「夢+夜」はどちらも死者あるいは死ぬ行くものがこの世の外からこの世を俯瞰してみるような構造を持っている。そして、より以上に興味深いのはやはり影響を受けたとしているソーントン・ワイルダー「わが町」もやはりこれと同じ構造(死者の視線による生者への幻視)を持っていることだ。

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 実はもうひとつ興味深かったのは□□□のこちらの曲のPV映像。曲のタッチや感触は正反対だけれど、この字の遊びで作られた映像を見たら、少年王者舘のファンであれば誰でも「これって王者舘」って思うのではないだろうか。「わが星」よりはこちらの方が新しいからこれはなにかの影響というより、偶然の産物だろうと思うのだけれど。

   

わが町=ソーントン・ワイルダー

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『わが町』は、ソーントン・ワイルダーの三幕物の戯曲。ニューハンプシャー州グローバーズ・コーナーという架空の町での物語である

進行役として登場する舞台監督が、「グローバーズ・コーナーでは何も特別なことは起こりません」というとおり、登場人物の死や結婚以外劇的なことは起こらないが(劇中ではそれすら日常的なものとして扱われている)、その「日常」の貴重さを観客に感じさせる内容となっている。劇中の舞台監督エミリーのやり取り、「人生ってひどいものね。そのくせ素晴らしかったわ」というソームズ夫人の台詞が象徴的である。劇中に登場する市民の誰もがそれぞれに自分の生活をそのままに生きている、そのなかでのちょっとしたかかわりがこの劇の物語の流れであり、また細部になっている。

劇は3幕構成で、第1幕が舞台監督地質学的、歴史的説明を含めた町の説明をし、「グローバーズ・コーナー」が特別なことはないありふれた町であることの説明がされる。医師のギブス家と新聞編集長ウェブ家を中心とした町の一日を描く「日常生活」。第2幕は、第1幕の3年後ギブス家長男ジョージウェブ家長女エミリー結婚式の1日を描く「恋愛と結婚」。第3幕は第2幕の6年後産褥で死亡したエミリーが、それ以前に死亡したギブス夫人ほか死んだ町の住民と墓場で会話する「死」。

進行役である舞台監督によって劇が展開されていく手法が取られている。舞台装置はきわめて簡素で、机や椅子などが置かれているだけで、小道具や書き割りなどはない。すべては役者の動作によって表現される。この手法には日本の能や中国の演劇の影響があるとされる。

1938年2月4日ニューヨークヘンリー・ミラー劇場で初演されている。1944年亡命先のアメリカでこの劇の上演を見たベルトルト・ブレヒトは日記に「進歩的な舞台」と記している。

1940年には映画化され、ウィリアム・ホールデンマーサ・スコット、フェイ・ベインター、トーマス・ミッチェルらが出演した。監督はサム・ウッド。アカデミー賞最優秀映画賞ノミネートされた。スコットは、最優秀女優賞アーロンコップランドは、最優秀楽曲賞にノミネートされた。なお原作と異なり、ウェブ家長女エミリーは産褥熱で危篤に陥り、死者たちと会話するものの命は助かる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%8C%E7%94%BA

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Episode devoted to Thornton Wilder's "Our Town," one of the most frequently performed plays in the world. Guests include Wilder nephew and expert, Tappan Wilder; writer Jeremy McCarter of "Newsweek" and David Cromer, director of the 2009 revival.

Theater Talk is a series devoted to the world of the stage. It began on New York television in 1993 and is co-hosted by Michael Riedel (Broadway columnist for the New York Post) and series producer Susan Haskins.

The program is one of the few independent productions on PBS and now airs weekly on Thirteen/WNET in New York and WGBH in Boston. Now, CUNY TV offers New York City viewers additional opportunities to catch each week's show. (Of course, Theater Talk is no stranger to CUNY TV, since the show is taped here each week before its first airing on Thirteen/WNET.)

The series is produced by Theater Talk Productions, a not-for-profit corporation and is funded by contributions from private foundations and individuals, as well as The New York State Council on the Arts.

Watch more at www.cuny.tv/series/theatertalk

 「わが町」については日本の上演映像を探したのだが見つからなかったため、アメリカでこの芝居をロングラン上演続けている劇場による「わが町」の解説を紹介したい。ここにも登場するようにこの芝居で最も特徴的なのは第3幕で「死」と呼ばれる場面で2人目の子供の出産の際に亡くなったエミリーが死後に再び亡霊として、グローバーズ・コーナーに現れ、もはや失われた生前の世界を訪問する場面でここでも死者がこの世の外からこの世を見る場面が「夢+夜」「TONIGHT」と同様に提示されている。

Our Town: Greatest Production EVER(ロングラン記録更新中の「Our Town」)

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http://www.ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/title/yodo0003.html

 実は柴幸男は「わが星」の後にもワイルダーに対する強い関心を継続しており、ワイルダーを複数劇団が上演、競演するフェスティバルを共同で企画したり、岐阜県可児市での市民演劇で「わが町可児」を上演している。

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「わが町可児」は100人近くの市民が参加して上演された市民参加型音楽劇で、1年近くの期間をかけて準備したワークショップから「わが町」を岐阜の小都市・可児の町に置き換えて翻案した。私も観劇するつもりで用意していたのだが、上演されたのが2011年3月12・13日、つまり東日本大震災の翌日からだったため、無念ながら諦めざるをえなかったが、上演自体は無事終了したようだ。

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 この「わが町」は日本でも昔から数多くの上演が重ねられてきたが、言及しなければいけないのはおそらく柴自身は未見であろうと想像されるが、柴の所属した劇団である青年団平田オリザもこの舞台を翻案した1995年東京芸術劇場で上演されたMODE「窓からあなたが見える わが街・池袋」(作:平田オリザ、演出: 松本修)に新作として戯曲を書き下ろしており、この舞台はその後、演出の松本による「小樽版」や坂手洋二の「北九州版」などさまざまなご当地版の「わが町」を生み出すきっかけとなったのである

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 柴自身に話を戻せば柴は多摩川アートラインプロジェクト2008・パフォーマンスプログラム多摩川劇場」というアートプロジェクトで「川のある町に住んでいた」という走っている電車の中で上演される芝居を作っているのだが、こちらの方が話の構造からいえばより「わが町」に近いかもしれない。

多摩川劇場「川のある町に住んでいた」

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多摩川アートラインプロジェクト2008

パフォーマンスプログラム多摩川劇場」上演作品

作・演出=柴幸男

出演=宇田川千珠子(青年団)/黒川深雪(InnocentSphere/toi)/鯉和鮎美/斎藤淳子/菅原直樹/武谷公雄/藤一平五十音順

引っ越し思案中のカップルが目をつけたのは、川沿いに電車が走る、ある街。下見がてら乗車すると、「おっとりと地元をPRする電車さん」「付近一帯の店すべてを営んでいる­という女性」「気さくに人の言葉をしゃべる猫」ら不思議な面々が声をかけてきて...

詳しくはこちら

シアターガイド ホームページ 特集ページ

http://www.theaterguide.co.jp/feature/tamagawa/

セミネール「わが星」講義録その2

http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/10001019/p1

「わが星」のループ構造について

http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20110616/p1

wonderland掲載の劇評

片山幹生 http://www.wonderlands.jp/archives/17905/

西川泰功 http://www.wonderlands.jp/archives/17901/

堀切和雅 http://www.wonderlands.jp/archives/17973/

劇評講座参考原稿

http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/100112