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中西理の下北沢通信(旧・大阪日記) このページをアンテナに追加 RSSフィード

0000-11-23 「関係性の演劇」とそれを継ぐ者たち

[] 「関係性の演劇」とそれを継ぐ者たち

 日本現代演劇に1990年代に起きた最大の出来事は青年団の平田オリザに代表される「静かな演劇」の台頭だった。「静かな」という言葉が独り歩きしている感があるが、ここで登場したのは「人間関係の細密な描写を通じ、作者の世界観を提示する」演劇であり、私自身はこれを「関係性の演劇」と呼ぶことにしてきた。「静かな演劇」という呼称が実態を捉えておらず批評言語としては不適当だと考えていたからだ。「関係性の演劇」はその多くが群像会話劇の形態を取る。ワンシチュエーション(1場)で、時空の転換は限られ、一見日常的な静かな場面が続くことが、こうした群像会話劇が「静かな演劇」と呼ばれる要因なのだが、舞台上の俳優が叫びだそうが、暴力をふるおうが、提示されるものが、登場人物間の関係に主眼を置いたものは全て、この「関係性の演劇」に入れられる。

90年代を席巻した「関係性の演劇

 「関係性の演劇」についてもう少し説明したい。それは主に登場人物、あるいは登場する人物の集団の間の関係を提示することで、関係の総体としてのこの世界を描いていこうという手法の演劇だ。ここで「関係性」という言葉が含有する思想的な背景にも触れなければならないだろう。「関係」という概念は現代思想における重要なタームで「実体」の対立概念だ。近代の思想が主体や自意識をある種の実体と考え、重きを置くのに対して構造主義や現象学といった現代思想は関係に重点を置いて物事を考える。関係がすべてであり、他者との関係なくして孤立した実体などありえないという考え方なのだ。この世の中のことはすべて、他のこととの関係において我々の前の立ち現れるというのが、関係性の演劇の認識論的前提である。「静かな演劇」はよくリアリズム演劇あるいは新劇への回帰などとも捉えられたが、「関係性の演劇」と名づけることで、この種の演劇が、「内面を持つ個人」を前提にした新劇的な演劇観とは全く異なるものであることが、はっきりするだろう。19世紀のロシアに生まれたスタニスラフスキーのシステムは当然ながら、この「内面を持つ個人」という人間観を前提にしたものとならざるをえなかった。日本の新劇がいかに遠い末裔であろうと、「内面を持つ個人」を描くという前提は動かせない。そこには決定的な差異があるのだ。

 平田オリザの名前をまず出したが、「関係性の演劇」が大きなムーブメントとなったのは平田ひとりにとどまらなかったからだ。愛憎を含んだ男女の複雑な関係を描き出した群像会話劇の名手、岩松了、ラジカル・ガジベリビンバ・システムなど笑いの世界から一転して会話劇に入り、台詞の背後の微妙な関係を浮かび上がらせた宮沢章夫、現代口語における地域語(方言)の重要性をクリーズアップさせ現代口語演劇に新たな地平を開いた松田正隆(時空劇場=当時)、長谷川孝治(弘前劇場)、さらに独自の個性を持つはせひろいち(ジャブジャブサーキット)、深津篤史(桃園会)、長谷基弘(桃唄309)らもいた。それぞれ作風は違うが、広い意味で「関係性の演劇」と考えられる劇作家が相次ぎ、この流れは2000年代にも続き三浦大輔(ポツドール)、前田司郎(五反田団)らも登場した。

 以上の流れの中では「関係性の演劇」は「現代口語演劇」「群像会話劇」という特徴も合わせ持っていた。ところが2010年以降の現代演劇ポストゼロ年代演劇)では一見「関係性の演劇」の影響力は退潮したかに見える。「群像会話劇」から逸脱する作品が増え、しだいに会話劇系の作品に取って代わりつつあるからである。岸田國士戯曲賞受賞作を見ても柴幸男「わが星」(2010年=以下カッコ内は受賞年)を皮切りに松井周「自慢の息子」(2011年)、ノゾエ征爾「◯◯トアル風景」(2012年)、藤田貴大「かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。」(同)、矢内原美邦「前向き!タイモン」(同)と群像会話劇の範疇には入らない作家の受賞が続いてきた。岸田戯曲賞では2013年には岩井秀人「ある女」、赤堀雅秋「一丁目ぞめき」と群像会話劇の枠組みに入る劇作家が受賞し、群像会話劇離れに若干の歯止めがかかったかに見えるが、これ以外の候補作家たちにまで広げて顔ぶれを眺めてみるとこうした傾向はむしろ強まっていることがうかがえる。こうした状況を考えると90年代以降の現代演劇のメインストリームを形成した「静かな演劇」は衰退して先細りしているように思えなくもない。さらに不思議なのは「群像会話劇」離れの動きがもっとも活発に起こっているのが、本来は「群像会話劇」「現代口語演劇」の牙城となるべき平田オリザの青年団と関係する作家だったことだ。

 「シアターアーツ」編集部から「静かな演劇とその現代的継承」という主題で原稿を依頼された。それに対してそこで言う「静かな演劇」というのは「群像会話劇という形式」をいうのか、それとも「もう少し大きな枠組みでの演劇に対する構え方」のことをいうのかと問い返した。というのは私自身は「関係性の演劇」は消滅、衰退したわけではなく、新たな形態に変貌して現代に継承されていると考えているからだ。そして、その現代的継承こそが先述した「ポストゼロ年代演劇」だとも考えている。この論考ではその仮説を具体的に作品、作家を取り上げながら検証していきたい。

多田淳之介:ポストゼロ年代演劇に先駆けて

 多田淳之介(東京デスロック)を最初に取り上げたい。東京デスロックは今年7月に「シンポジウム SYMPOSIUM」(構成・演出多田淳之介、7月18日ソワレ観劇)を横浜STスポットで上演した。ギリシアの古典であるプラトンの「饗宴」を原案とした作品だが、普通に我々が「演劇」と考えるようなものではない。「シンポジウム」では劇場であるフリースペースに観客はひとりづつ入場する。入ってみると劇場の空間には舞台美術のようなものはいっさいなく、そのなかで自由な位置に座ることができるように設定されている。床に観客は自由に座らされ観客に混じっていた俳優たちがそれぞれ自分の言葉(つまり現代口語)で議論を交わすのを目撃することになる。つまり、すべてを見終わった後も私たちはそれが演じられた芝居であるのか、本当にそこで俳優が議論したのかが区別できない。それを見せられる(というか体験させられる)ことになるのだ。演劇とはいえセリフは毎回決まっているわけでもない。議論の司会役が参加していて、ある程度そこで行われている議論をさばくなどの役割はある程度決められているものの、実際の議論はほぼフリートーク、その日その日の流れに任せられた即興になる。行われているのは「あるテーマを決めて広く聴衆を集め、公開討論などの形式で開催される」シンポジウムのようにも見える議論なのだが、私たち観客はこういう形で舞台空間に召喚されることでそれを議論として受容しながら「演劇として観劇する」という2重の役割を担わされる。

 プラトンの「饗宴」という著作の主題は「愛(エロス)とは何か」だ。「饗宴」では饗宴の席に複数の登場人物が現れ、「愛とはなにか」がさまざまに論じられていく。東京デスロックの多田の作劇の特徴は原戯曲あるいは原作の構造分析からはじまり、作品ごとにそれに合致した方法論を立ち上げ作品を構成していくことだ。この「シンポジウム」も「饗宴」の対話編の構造を換骨奪胎してそれを「饗宴」の現代版である公開討論などのシンポジウムの形式に置き換えている。議論は参加している韓国人の俳優による「愛についてどう考えるか」についての非常に長い韓国語の台詞の後、またそれ以上に長い(というか長く感じる)台詞なしの静寂をへて終わるのだが、興味深いのは形式自体はまったく異なるものでありながら、平田オリザの演劇を見た後に感じるのと少し似た感覚を感じさせたことだ。終わった後になにか作者の主張するものやイメージをただ受け取るのではなく、主題に関する何か(「シンポジウム」なら「愛とはいったい何なのか」)について静かに自分で思索してみたいという感覚だ。

 東京デスロックの旗揚げは2001年。今年で10年を超える活動歴を持つ中堅劇団だ。多田は2003年から青年団の演出部にも所属、東京デスロックも青年団の傘下だった時期もあったが、現在は完全に独立している。ただ、多田個人は東京デスロック以外にこちらは群像会話劇系の芝居を上演している「青年団リンク 二騎の会」の演出を手掛けていることもあり、青年団演出部に所属し続けている。

 初めて多田作品を見たのは神戸アートビレッジセンターKAVCギャラリーで上演された「3人いる!」(2007年)だった。ある部屋で休んでいる男の下にひとりの男が現れて、その男の名前を名乗る。顔も体型も全然異なるのにその男が語る境遇は自分とまったく同じ。どうやらその男は男自身のようなのだ。自分がこの部屋の主だからお前は出て行ってくれと主張します。果たしてこの男はだれなのか。自分を名乗る赤の他人なのか、あるいはドッペルゲンガーなのか……。この芝居が面白いのは普段私たちが無意識に受け入れている演劇上の約束というか、虚構を駆使することで不可思議な状況を現前させてみせることだ。作品に使われたアイデアは一見通常の群像会話劇のように見える演技の移ろいのなかで「演じている人=役者」と「演じられている人=役」が切り離されて、移動していくというものだ。 「3人いる!」の初演は2006年。チェルフィッチュが「演じている人=役者」と「演じられている人=役」を切り離した演劇を上演したことが影響を与えたのではないかと思われる。この延長線上にままごと「あゆみ」、柿喰う客「恋人としては無理」、小指値(快快)「霊感少女ヒドミ」などが出てくる。

 次の作品「再生」では多田のスタイルはまた大きな変化をとげた。「再生」では表題通りまるでビデオが再生されるように同じストーリーが舞台上で3回繰り返されるというものだ。当時話題になっていたネットによる集団自殺という物語があって、集まってきた若者たちが鍋を食べて、踊り狂った挙句に次々と倒れていってしまう。実はこの舞台で重要なのはそういう表面上の筋立てではなく激しい動きをともなう上演を3度繰り返させることで、俳優の身体が疲弊してくる。その「疲弊」を生のものとして見せることで、舞台上での「死」と「疲弊」が二重写しになってくるという仕掛けを試みた。

 2007年からの「unlockシリーズ」では、演劇の最大の魅力を「目の前に俳優がいること」に焦点を合わせ、俳優の身体的な「疲れ」を前面に押し出す作風に挑戦した。先に述べた「遊戯的なルール」などというとパソコン上で展開されるコンピューターゲームとはそういうものが連想されて、これはゲーム的リアリズムなどにもつながっていくわけだが、東京デスロックの場合、そういうゲーム的感性と同時にそれを演じるのがあくまで2次元のキャラではなくて、生身の人間だということからくる摩擦のようなものを舞台に載せているところが大きな特徴なのだ。「LOVE」もほとんどセリフらしいセリフがないなかで、パフォーマー相互の関係性の提示のなかでこの世界の人間の関係性のありかたを抽象的、すなわち普遍的に提示することで、人間の歴史などの大きな「世界の構造」を比喩する。激しい動きと倒れる、また立ち上がるという繰り返しはここでも現れ、「人間が生きていくことの根源的なあり方」が想起される仕掛けとなっている。2010年に上演された「2001年—2010年宇宙の旅」。この作品はスタンリー・キューブリックの映画2001年宇宙の旅」とそれを小説化したアーサー・C・クラークの同名のSF作品を下敷きにしながら、そこで描かれていた人猿=人類の歴史を東京デスロックの旗揚げ(2001年)から現在(2010年)までの歴史(より正確にいえばその間の夏目慎也の個人史)と重ねあわせている。

 2008年以降はシェイクスピア作品を手がけることが多く、ロミオとジュリエットでは「目隠し鬼」を、マクベスでは「椅子取りゲーム」を中心に構成するなど、「遊戯的なルール(のようなもの)が課され、その遂行と作品の進行が同時進行する」というポストゼロ年代演劇の演出手法でシェイクスピアを相次ぎ手がけている。「WALTZ MACBETH」では着物を着た男女が円陣を組んで並べられた椅子の周りをぐるぐると回り、「椅子取りゲーム」を繰り広げる。この「椅子取りゲーム」がそのままシェイクスピアの「マクベス」に出てくるダンカン王の謀殺、ダンカンの暗殺といった権謀術策を凝らしての権力闘争を象徴しているが、シェイクスピアの戯曲に書かれたセリフは変えないでそのまま語りながら、俳優たちはこの「椅子取りゲーム」を繰り返すことで多田はビジュアル的に現代の人間にも分かりやすい形で、「マクベス」を舞台化した。

柴幸男:ポストゼロ年代演劇の旗手

 多田に続いたのが同じく青年団にいた柴幸男(ままごと)だ。柴は多田が試みていたテキストの構造から作品を構築していくという方法論をテキスト段階からの設計ではるかに精緻に展開してみせ、2010年には「わが星」(初演2009年)で岸田戯曲賞を受賞した。「わが星」はソーントン・ワイルダーの「わが町」を下敷きに「地球という星が生まれて、そして死滅するまで」という宇宙的な悠久の時間を「ちーちゃん(地球)という女の子と家族の物語」というメタファー(隠喩)によって提示した。柴はロロロのラップ音楽で構成された音楽劇として、前編を一曲の音楽のような構造で構築した。 

 柴幸男の作家的な特徴は演劇の構造の中に物語の進行以外の作品内で規定された固有のルールのようなものを持ち込んで、それによって舞台を進行させるというアイデアを持ち込んだことで最初にその特徴が遺憾なく発揮されたのが短編演劇の「反復かつ連続」だった。「反復かつ連続」には複数の人物が登場するが、実はこれは一人芝居なのだ。ある一家のある日の朝の光景がシークエンスとして演じられるのだが、一通りそれが繰り返された後は今度はまた別の役柄をその同じ俳優が演じる。ところが最初に演じた役柄はいなくなってしまうというわけではなくて、目には見えないが音声だけは残っていて、舞台上の俳優の演技と同時進行していく。これが何度も繰り返されることで、多色刷りの版画が重ねられていくように「ある一家のある朝」のディティールが浮かび上がってくる。見事な着想だがこの作品の初演は劇作家協会東海支部プロデュース 劇王IVに参加した2007年だか実は音声だけで透明人間となるキャラと人間の俳優が共演するというアイデアはこちらは2006年初演の東京デスロック「3人いる」にもあって、直接的な影響があったかどうかは不明だが、前述したようにチェルフィッチュが「演じている人=役者」と「演じられている人=役」の1対1対応のくびきから解き放ったことが大きな契機となったと思われる。チェルフィッチュは群像会話劇という形式を解体したが、現代口語演劇からの離脱を果たすには「わたしたちは無傷な別人である」(2010年)を待たねばならなかった。

 これに対して柴は「あゆみ」ではあゆみという1人の女性を複数の女優が次から次へとバトンをわたしようにリレーして演じていき、それにより主人公である「あゆみ」が生まれて死ぬまでも演じるという「反復かつ連続」とはまた違うルールを演劇に持ち込んだが、これはまだ演劇・演出的には平田オリザ的な現代口語演劇に準ずるものだった。ところが先に挙げた「わが星」では台詞の大部分をロロロ(クチロロ)の三浦康嗣が作曲したラップ音楽に合わせて発するという形で現代口語演劇からの離脱を試みた。

 柴はその後も「わが星」に引き続き音楽の三浦康嗣、振付の白神ももこと手掛けた音楽劇「ファンファーレ」@世田谷パブリックシアター・シアタートラム(2012年)、今夏にはあいちトリエンナーレで新作「日本の大人」@愛知県芸術劇場小ホールで上演したが代表作である「あゆみ」「わが星」を超えるような新趣向は出てこず模索の時期にあるようだ。

 以上のように平田オリザらの「群像会話劇」は多田、柴らがチェルフィッチュの岡田利規の動きと呼応するように「役」=「役者」の1対1対応の自明性を疑うようなさまざまな実験を試みていく過程で解体されていった。もっとも今回もここでは多田、柴の2人を紹介したが1990年代の「群像会話劇」の担い手が平田だけではなかったように問題意識を共有する作家が相次ぎ登場して、相互に影響を与えながら大きな流れのようなものを作っていったことが「ポストゼロ年代演劇」台頭につながっていく。

平田オリザと「世界の映し絵としての演劇

 「群像会話劇」離れの動きがもっとも活発に起こったのが平田オリザの青年団と関係する作家だったことが不思議だと指摘したが、それは実は必然だったのではないかというのが今回の論考の趣旨だ。「群像会話劇」「現代口語演劇」といった様式は解体されたが、「関係性の演劇」は平田からこれらの作家に受け継がれた。

 「関係性の演劇」は「登場人物、あるいは登場する人物の集団の間の関係を提示することで、関係の総体としてのこの世界を描いていこうという手法」と冒頭近くで書いた。これを平田は別のところで「世界の映し絵としての演劇」などと表現している。舞台上で提示されるのは「世界はいかにあるのか」ということのモデルであるということだ。

 平田は著書で自分の演劇のことを饒舌に語るが、いくつかの主要な作品について平田自身は指摘しない重要な特徴がある。それは簡単に言うとその作品で示される主題がその作品のなかで提示されている関係性ないし、構造とメタフォリカルに呼応しているという構造を持つということだ。

 実は平田は初期の著作である演劇入門」で現代口語演劇を説明するのにフッサール、メルロポンティ—の現象学を援用してそれを説明する。簡単に言えば「不可視である内面をカッコに入れる」というようなことなのだが、そのためになぜか現象学の著書ではなくヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」を引用する。このことはそのころから私のなかで引っ掛かりを感じさせていたのだが、「論考」といえば「言語は、世界と同型であり、世界の写像である」という「写像理論」ではないかと思い至り錯誤の理由が氷解した。

 「関係性の演劇」は「世界は、物の総体ではなく、ことがら(事実)の総体である」という「論考」冒頭の言葉に触発されて平田のにとっての演劇の本質で「現代口語演劇」「群像会話劇」といった様式はそれを実現するためのひとつのツールにすぎない。ここまでくれば平田のいう「世界はいかにあるか」を提示するという演劇観が一見様式に大きな違いがあっても、例えば多田、柴ら後進の作家たちを見るとそれぞれの代表作である「再生」「わが星」がいずれも「世界はいかにあるのか」のひな形として提示されており、そうした作品に関する構え方は平田から受け継がれていることが分かる。

松井周:現代口語演劇から遠く離れて

 次にサンプルの松井周を紹介したい。松井を最後に持ってきたのは彼の場合にはそれが「関係性の演劇」なのかどうか、簡単には言い切れないような多様な要素を孕んでいるとも感じられるからだ。松井は2004年に劇作家協会新人戯曲賞を受賞した「通過」で創作活動をスタートさせるが、青年団の中心俳優として活動していたこともあり、劇団として「サンプル」を劇団として旗揚げしたのは2007年と俳優としてのキャリアと比べ遅い。そのスタイルも「通過」など初期作品では典型的といっていい群像会話劇かつ現代口語演劇だった。

 ところが近作では「群像会話劇」「現代口語演劇にはとどまらない形式にそのスタイルを変貌しつつあり、フェスティバル/トーキョー2013に参加、今年11月ににしすがも創造館で上演された「永い遠足」(11月17日・21日ソワレ観劇)はギリシア悲劇の「オイディプス王」を下敷きに原作ではオイディプスにあたる主人公、ノブオに唐組の久保井研を迎え、随所に唐十郎らからのモチーフの借用をちりばめるなどアングラ演劇との接近も試みた。様式が会話劇から大きく離れたのは越後妻有トリエンナーレで滞在制作され作品の構想を固めたまつだい「農舞台」で上演されたプレ公演「遠足の練習」が野外劇だったということも関係があるかもしれない。

 冒頭のシーンはいきなり主人公の飼育しているネズミ(を演じている俳優)によるかなり長いモノローグ(ひとり語り)からはじまる。従来からあった群像会話劇・現代口語演劇的な部分に加えて、遊戯的なやりとりも混交させたかなり複雑な構造を持つ舞台に仕上がった。

 ギリシャ悲劇の「オイディプス王」を踏まえたという意味ではこの作品は多田淳之介が近作でシェイクスピアなど古典劇の枠組みを踏まえて自らの作品を展開してきたのと類似する部分がないではない。両者の演劇スタイルに似ているところはあまりないが、松井も同様にこの「永い遠足」で「世界の映し絵としての演劇」を提示しようとしている。そして、それは原作を下敷きとしながらもそれとは異なった寓話的な絵として提示されていく。「オイディプス王」は誰もが知るように息子による父親殺しの物語だ。フロイトが指摘したように母親と母子相姦が大きな主題ではあるがその前に父を殺すことではじめて、母子相姦が可能になる。

 しかし「永い遠足」では主人公であるノブオは父を殺していない。いや実は殺しているのかもしれないが、そのことは物語のなかでは明確には描かれていない。さらにこの物語では母子相姦によって生まれた娘アイカとノブオとの関係にその軸足が移っている。ノブオの行為ももちろん原作同様に「穢れ」の一部としては扱われているが、「穢れそのもの」として扱われるアイカに物語の中心は移っている。タブーである母子相姦の結果として、赤ちゃんポストに遺棄された存在として。母子相姦そのものではなく、そこから産まれた子供が罪の産物であり「穢れ」であるという発想は「オイディプス王」にはない。アイカとノブオの近親相姦が舞台上で描かかれることはないが、ノブオを父親と知らぬアイカが売春行為としてそれを求める場面はあり、原作のオイディプスの属性に近いのはこの「永い遠足」ではノブオでなくアイカだと考えてもいいほどだ。「永い遠足」は古典を踏まえながらも松井独自の世界観を提示した。

 多田、柴、松井は平田オリザの影響の下で出発しながらもいずれも群像会話劇、現代口語演劇からは離れていった。しかし、「関係性の演劇」(あるいは群像会話劇ではないそれはもはや平田のスタイルと区別するために「世界の映し絵(写像)としての演劇」など新たな名前を与えた方がよいのかもしれないが)に代表される平田の演劇観は彼ら後継者にも正当に引き継がれている。

 今回はページ数の関係もありこの3人しか取り上げることができなかった。「関係性の演劇」には地域言語を現代口語に取り入れた青森県を拠点に全国的に活動する長谷川孝治とその影響下に劇団を開始した畑沢聖悟、山田百次らの活動、岩松了の影響の強い岩井秀人、さらには平田流とはまったく違う新しい会話劇の確立をめざしたいという松田正隆の挑戦など取り上げるべき主題はいくつもある。あるいは平田オリザの演劇のどこが「世界の映し絵(写像)としての演劇」なのかについても具体的な作品を例にとって筆を尽くすことはできなかった。いつか項を改めてぜひそれも執筆したいと思う。

(中西理)

 




 

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 日本現代演劇に1990年代に起きた最大の出来事は青年団の平田オリザに代表される「静かな演劇」の台頭だった。「静か」という言葉が独り歩きしている感があるが、いわゆる「静かな演劇」というのは「人間関係の細密な描写を通じ、作者の世界観を提示する」演劇であり、私自身はこうした種類の演劇を「関係性の演劇」と呼ぶことにしてきた。「静かな演劇」という呼称が実態を捉えておらず批評言語としては不適当だと考えていたからだ。「関係性の演劇」はその多くが群像会話劇の形態を取る。多くの場合、ワンシチュエーション(1場)で、時空の転換は限られ、一見日常的な静かな場面が続くことが、こうした群像会話劇が「静かな演劇」と呼ばれる要因なのだが、舞台上の俳優が叫びだそうが、暴力をふるおうが、提示されるものが、登場人物間の関係に主眼を置いたものは全て、この「関係性の演劇」の範疇に入れられる。

90年代を席巻した「関係性の演劇」

 「関係性の演劇」についてもう少し説明したい。それは作品で、主に登場人物、あるいは登場する人物の集団の間の関係を提示することで、関係の総体としてのこの世界を描いていこうという手法の演劇だ。ここで「関係性」という言葉が含有する思想的な背景にも触れなければならないだろう。「関係」という概念は現代思想における重要なタームで「実体」の対立概念だ。近代の思想が主体や自意識をある種の実体と考え、重きを置くのに対して構造主義や現象学といった現代思想は関係に重点を置いて物事を考える。関係がすべてであり、他者との関係なくして孤立した実体などありえないという考え方なのだ。この世の中のことはすべて、他のこととの関係において我々の前の立ち現れるというのが、関係性の演劇の認識論的前提である。「静かな演劇」はよくリアリズム演劇あるいは新劇への回帰などとも捉えられたが、「関係性の演劇」と名づけることで、この種の演劇が、「内面を持つ個人」を前提にした新劇的な演劇観とは全く異なるものであることが、はっきりするだろう。19世紀のロシアに生まれたスタニスラフスキーのシステムは当然ながら、この「内面を持つ個人」という人間観を前提にしたものとならざるをえなかった。日本の新劇がいかに遠い末裔であろうと、「内面を持つ個人」を描くという前提は動かせない。そこには決定的な差異があるのだ。

 平田オリザの名前をまず出たが、「関係性の演劇」が大きなムーブメントとなったのはそれが平田ひとりにとどまらず、愛憎を含んだ男女の複雑な関係を描き出した群像会話劇の名手、岩松了、ラジカル・ガジベリビンバシステムなど笑いの世界から一転して会話劇に入り、台詞の背後の微妙な関係を浮かび上がらせた宮沢章夫、現代口語における地域語(方言)の重要性をクリーズアップさせ現代口語演劇に新たな地平を開いた松田正隆(時空劇場=当時)、長谷川孝治(弘前劇場)、さらにはせひろいち(ジャブジャブサーキット)、深津篤史(桃園会)らそれぞれ作風は違うが、広い意味で「関係性の演劇」と考えられる劇作家が相次ぎ現れた。流れは2000年代にも続き、岸田戯曲賞受賞作家にも三浦大輔(ポツドール)、前田司郎(五反田団)ら同じ系譜に入る作家たちが輩出した。

 実は以上の流れの中では「関係性の演劇」はその多くが「現代口語演劇」「群像会話劇」という特徴も合わせ持っていた。ところが2010年以降の現代演劇(ポストゼロ年代演劇)では一見「関係性の演劇」の影響力は退潮したかに見える。「群像会話劇」から逸脱する作品が増え、しだいに会話劇系の作品に取って代わりつつあるからである。岸田國士戯曲賞受賞作を見ても柴幸男「わが星」(2010年=以下カッコ内は受賞年)を皮切りに松井周「自慢の息子」(2011年)、ノゾエ征爾「◯◯トアル風景」(2012年)、藤田貴大「かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。」(同)、矢内原美邦「前向き!タイモン」(同)と群像会話劇の範疇には入らない作家の受賞が続いてきた。岸田戯曲賞では2013年には岩井秀人「ある女」、赤堀雅秋「一丁目ぞめき」と群像会話劇の枠組みに入る劇作家が受賞し、群像会話劇離れに若干の歯止めがかかったかに見えるが、これ以外の候補作家たちにまで広げて顔ぶれを眺めてみるとこうした傾向はむしろ強まっていることがうかがえる。こうした状況を考えると90年代以降の現代演劇のメインストリームを形成した「静かな演劇」は衰退して先細りしているように思えなくもない。さらに不思議なのは「群像会話劇」離れの動きがもっとも活発に起こっているのが、本来は「群像会話劇」「現代口語演劇」の牙城となるべき平田オリザの青年団と関係する作家だったことだ。

 「シアターアーツ」編集部から「静かな演劇とその現代的継承」という主題で原稿を依頼された。それに対してそこで言う「静かな演劇」というのは「群像会話劇という形式」をいうのか、それとも「もう少し大きな枠組みでの演劇に対する構え方」のことをいうのかと問い返した。というのは私自身は「関係性の演劇」は消滅、衰退したわけではなく、新たな形態に変貌して現代に継承されていると考えているからだ。そして、その現代的継承こそが先述した「ポストゼロ年代演劇」だとも考えている。この論考ではその仮説を具体的に作品作家を取り上げながら検証していきたい。

多田淳之介:ポストゼロ年代演劇に先駆けて

 まず多田淳之介(東京デスロック)を最初に取り上げる。東京デスロックが今年7月「シンポジウム SYMPOSIUM」(構成・演出多田淳之介、7月18日ソワレ観劇)に横浜STスポットで上演した。ギリシアの古典であるプラトンの「饗宴」を原案とした作品だが、それは普通に我々が「演劇」と考えるようなものではない。「シンポジウム」では劇場であるフリースペースに観客はひとりづつ入場する。入ってみると劇場の空間には舞台美術のようなものはいっさいなく、そのなかで自由な位置に座ることができるように設定されている。床に観客は自由に座らされ観客に混じっていた俳優たちがそれぞれ自分の言葉(つまり現代口語)で議論を交わすのを目撃することになる。つまり、すべてを見終わった後も私たちはそれが演じられた芝居であるのか、本当にそこで俳優が議論したのかが区別できない。そういうものを見せられる(というか体験させられる)ことになるのだ。演劇とはいえセリフは毎回決まっているわけではない。議論の司会役が参加していて、ある程度そこで行われている議論をさばくなど役割はある程度決められているものの、実際の議論はほぼフリートーク。その日その日の流れに任せられた即興になる。行われているのは「あるテーマを決めて広く聴衆を集め、公開討論などの形式で開催される」シンポジウムのようにも見える議論なのだが、私たち観客はこういう形で舞台空間に召喚されることでそれを議論として受容しながら「演劇として観劇する」という2重の役割を担わされる。

 プラトンの「饗宴」という著作の主題は「愛とは何か」ということで、「饗宴」ではソクラテスとの問答(つまり対話編)という形式を通じてこの主題がさまざまに論じられていく。東京デスロックの多田の作劇の特徴は原戯曲あるいは原作の構造分析からはじまり、作品ごとにそれに合致した方法論を立ち上げ作品を構成していくことだ。この「シンポジウム」も「饗宴」の対話編の構造を換骨奪胎してそれを「饗宴」の現代版である公開討論などのシンポジウムの形式に置き換えている。

 議論は参加している韓国人の俳優による「愛についてどう考えるか」についての非常に長い韓国語の台詞の後、またそれ以上に長い(というか長く感じる)台詞なしの静寂をへて終わるのだが、興味深いのは形式自体はまったく異なるものでありながら、平田オリザの演劇を見た後に感じる感覚と少し似たものを感じた。

 東京デスロックの旗揚げは2001年。今年で10年を超える活動歴を持つ中堅劇団だ。多田は2003年からは青年団の演出部に所属、東京デスロックも青年団の傘下劇団だった時期もあったが、現在は完全に独立。ただ、多田個人としては東京デスロック以外にも「青年団リンク 二騎の会」の演出を手掛けているので、演出部の所属し続けている。

 私が初めて多田作品を見たのは神戸アートビレッジセンターKAVCギャラリーで上演された「3人いる!」(2007年)だった。ある部屋で休んでいる男の下にひとりの男が現れて、その男の名前を名乗る。顔も体型も全然異なるのにその男が語る境遇は自分とまったく同じ。どうやらその男は男自身のようなのだ。自分がこの部屋の主だからお前は出て行ってくれと主張します。果たしてこの男はだれなのか。自分を名乗る赤の他人なのか、あるいはドッペルゲンガーなのか……。この芝居が面白いのは普段私たちが無意識に受け入れている演劇上の約束というか、虚構を駆使することで不可思議な状況を現前させてみせる。作品に使われたアイデアは一見通常の群像会話劇のように見える演技の移ろいのなかで「演じている人=役者」と「演じられている人=役」が切り離されて、移動していくというものだ。 最初の印象は奇抜なアイデアを見つけてそれを生かした作品に見えた。面白いけれど「劇団のスタイルというよりは1回だけ使える手ではないのか」という疑問が頭をよぎった。これは同じ劇場でチェルフィッチュ「三月の5日間」(2004年)を最初に見た時と印象の差が大きく、チェルフィッチュの場合はそれまでの演劇の形式を一変するような新しい形式が出てきたインパクトを感じたが、「3人いる」にはそういうのはなかった。むしろ演技のスタイル自体は通常の現代口語演劇に近いので、当時は」そういうものに思いついた1アイデアを付け加えたという風に見えた。ところが実は1アイデアと考えた「演じている人=役者」と「演じられている人=役」が切り離されすという発想には後から考えるとポストゼロ年代演劇の先駆的な特徴が色濃く出ていた。

「3人いる!」の初演は2006年。明らかに前述のチェルフィッチュが「演じている人=役者」と「演じられている人=役」を切り離したことが影響を与えたのではないかと思われる。この延長線上にままごと「あゆみ」、柿喰う客「恋人としては無理」、小指値(快快)「霊感少女ヒドミ」などが出てくる。

 ポストゼロ年代演劇とは柴幸男(ままごと)、三浦直之(ロロ)、篠田千明(快快)といった作家たちを考えているが、彼らの作品には以下の様な共通項がある。それは(1)その劇団に固有の決まった演技・演出様式がなく作品ごとに変わる、(2)作品に物語のほかにメタレベルで提供される遊戯的なルール(のようなもの)が課され、その遂行と作品の進行が同時進行する、(3)感動させることを厭わない――などだ。 多田淳之介は1976年生まれ、現在37歳で、先に挙げた柴、篠田らよりはかなり年上なのだが もともと現代口語演劇から出発しながら世代的には少し下であるこれらの若手の作家たちと同じような特徴の作品にいち早く取り組んでいた。ポストゼロ年代演劇の作家らにとっては先駆者ということができるかもしれない。

 東京デスロックは旗揚げ当初から、演劇の枠組みを揶揄するかのような作風で知られていたが、2006年からスタートした「演劇を見直す演劇シリーズ」で役柄を全く固定しない作品(「3人いる!」)、全編造語による作品(「別」)、全く同じストーリーを繰り返し続ける作品(「再生」)を立て続けに発表し、実験演劇の様相を強め、同世代の作家のなかでいち早く平田オリザの現代口語演劇のくびきから脱出した。その意味で「3人いる!」が日本現代演劇に1990年代に起きた最大の出来事は青年団の平田オリザに代表される「静かな演劇」の台頭だった。「静か」という言葉が独り歩きしている感があるが、いわゆる「静かな演劇」というのは「人間関係の細密な描写を通じ、作者の世界観を提示する」演劇であり、私自身はこうした種類の演劇を「関係性の演劇」と呼ぶことにしてきた。「静かな演劇」という呼称が実態を捉えておらず批評言語としては不適当だと考えていたからだ。「関係性の演劇」はその多くが群像会話劇の形態を取る。多くの場合、ワンシチュエーション(1場)で、時空の転換は限られ、一見日常的な静かな場面が続くことが、こうした群像会話劇が「静かな演劇」と呼ばれる要因なのだが、舞台上の俳優が叫びだそうが、暴力をふるおうが、提示されるものが、登場人物間の関係に主眼を置いたものは全て、この「関係性の演劇」の範疇に入れられる。

90年代を席巻した「関係性の演劇」

 「関係性の演劇」についてもう少し説明したい。それは作品で、主に登場人物、あるいは登場する人物の集団の間の関係を提示することで、関係の総体としてのこの世界を描いていこうという手法の演劇だ。ここで「関係性」という言葉が含有する思想的な背景にも触れなければならないだろう。「関係」という概念は現代思想における重要なタームで「実体」の対立概念だ。近代の思想が主体や自意識をある種の実体と考え、重きを置くのに対して構造主義や現象学といった現代思想は関係に重点を置いて物事を考える。関係がすべてであり、他者との関係なくして孤立した実体などありえないという考え方なのだ。この世の中のことはすべて、他のこととの関係において我々の前の立ち現れるというのが、関係性の演劇の認識論的前提である。「静かな演劇」はよくリアリズム演劇あるいは新劇への回帰などとも捉えられたが、「関係性の演劇」と名づけることで、この種の演劇が、「内面を持つ個人」を前提にした新劇的な演劇観とは全く異なるものであることが、はっきりするだろう。19世紀のロシアに生まれたスタニスラフスキーのシステムは当然ながら、この「内面を持つ個人」という人間観を前提にしたものとならざるをえなかった。日本の新劇がいかに遠い末裔であろうと、「内面を持つ個人」を描くという前提は動かせない。そこには決定的な差異があるのだ。

 平田オリザの名前をまず出たが、「関係性の演劇」が大きなムーブメントとなったのはそれが平田ひとりにとどまらず、愛憎を含んだ男女の複雑な関係を描き出した群像会話劇の名手、岩松了、ラジカル・ガジベリビンバシステムなど笑いの世界から一転して会話劇に入り、台詞の背後の微妙な関係を浮かび上がらせた宮沢章夫、現代口語における地域語(方言)の重要性をクリーズアップさせ現代口語演劇に新たな地平を開いた松田正隆(時空劇場=当時)、長谷川孝治(弘前劇場)、さらにはせひろいち(ジャブジャブサーキット)、深津篤史(桃園会)らそれぞれ作風は違うが、広い意味で「関係性の演劇」と考えられる劇作家が相次ぎ現れた。流れは2000年代にも続き、岸田戯曲賞受賞作家にも三浦大輔(ポツドール)、前田司郎(五反田団)ら同じ系譜に入る作家たちが輩出した。

 実は以上の流れの中では「関係性の演劇」はその多くが「現代口語演劇」「群像会話劇」という特徴も合わせ持っていた。ところが2010年以降の現代演劇(ポストゼロ年代演劇)では一見「関係性の演劇」の影響力は退潮したかに見える。「群像会話劇」から逸脱する作品が増え、しだいに会話劇系の作品に取って代わりつつあるからである。岸田國士戯曲賞受賞作を見ても柴幸男「わが星」(2010年=以下カッコ内は受賞年)を皮切りに松井周「自慢の息子」(2011年)、ノゾエ征爾「◯◯トアル風景」(2012年)、藤田貴大「かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。」(同)、矢内原美邦「前向き!タイモン」(同)と群像会話劇の範疇には入らない作家の受賞が続いてきた。岸田戯曲賞では2013年には岩井秀人「ある女」、赤堀雅秋「一丁目ぞめき」と群像会話劇の枠組みに入る劇作家が受賞し、群像会話劇離れに若干の歯止めがかかったかに見えるが、これ以外の候補作家たちにまで広げて顔ぶれを眺めてみるとこうした傾向はむしろ強まっていることがうかがえる。こうした状況を考えると90年代以降の現代演劇のメインストリームを形成した「静かな演劇」は衰退して先細りしているように思えなくもない。さらに不思議なのは「群像会話劇」離れの動きがもっとも活発に起こっているのが、本来は「群像会話劇」「現代口語演劇」の牙城となるべき平田オリザの青年団と関係する作家だったことだ。

 「シアターアーツ」編集部から「静かな演劇とその現代的継承」という主題で原稿を依頼された。それに対してそこで言う「静かな演劇」というのは「群像会話劇という形式」をいうのか、それとも「もう少し大きな枠組みでの演劇に対する構え方」のことをいうのかと問い返した。というのは私自身は「関係性の演劇」は消滅、衰退したわけではなく、新たな形態に変貌して現代に継承されていると考えているからだ。そして、その現代的継承こそが先述した「ポストゼロ年代演劇」だとも考えている。この論考ではその仮説を具体的に作品作家を取り上げながら検証していきたい。

多田淳之介:ポストゼロ年代演劇に先駆けて

 多田淳之介(東京デスロック)を最初に取り上げたい。東京デスロックが今年7月「シンポジウム SYMPOSIUM」(構成・演出多田淳之介、7月18日ソワレ観劇)に横浜STスポットで上演した。ギリシアの古典であるプラトンの「饗宴」を原案とした作品だが、それは普通に我々が「演劇」と考えるようなものではない。「シンポジウム」では劇場であるフリースペースに観客はひとりづつ入場する。入ってみると劇場の空間には舞台美術のようなものはいっさいなく、そのなかで自由な位置に座ることができるように設定されている。床に観客は自由に座らされ観客に混じっていた俳優たちがそれぞれ自分の言葉(つまり現代口語)で議論を交わすのを目撃することになる。つまり、すべてを見終わった後も私たちはそれが演じられた芝居であるのか、本当にそこで俳優が議論したのかが区別できない。そういうものを見せられる(というか体験させられる)ことになるのだ。演劇とはいえセリフは毎回決まっているわけではない。議論の司会役が参加していて、ある程度そこで行われている議論をさばくなど役割はある程度決められているものの、実際の議論はほぼフリートーク。その日その日の流れに任せられた即興になる。行われているのは「あるテーマを決めて広く聴衆を集め、公開討論などの形式で開催される」シンポジウムのようにも見える議論なのだが、私たち観客はこういう形で舞台空間に召喚されることでそれを議論として受容しながら「演劇として観劇する」という2重の役割を担わされる。

 プラトンの「饗宴」という著作の主題は「愛とは何か」ということで、「饗宴」ではソクラテスとの問答(つまり対話編)という形式を通じてこの主題がさまざまに論じられていく。東京デスロックの多田の作劇の特徴は原戯曲あるいは原作の構造分析からはじまり、作品ごとにそれに合致した方法論を立ち上げ作品を構成していくことだ。この「シンポジウム」も「饗宴」の対話編の構造を換骨奪胎してそれを「饗宴」の現代版である公開討論などのシンポジウムの形式に置き換えている。

 議論は参加している韓国人の俳優による「愛についてどう考えるか」についての非常に長い韓国語の台詞の後、またそれ以上に長い(というか長く感じる)台詞なしの静寂をへて終わるのだが、興味深いのは形式自体はまったく異なるものでありながら、平田オリザの演劇を見た後に感じる感覚と少し似たものを感じた。

 東京デスロックの旗揚げは2001年。今年で10年を超える活動歴を持つ中堅劇団だ。多田は2003年からは青年団の演出部に所属、東京デスロックも青年団の傘下劇団だった時期もあったが、現在は完全に独立。ただ、多田個人としては東京デスロック以外にも「青年団リンク 二騎の会」の演出を手掛けているので、演出部の所属し続けている。

 私が初めて多田作品を見たのは神戸アートビレッジセンターKAVCギャラリーで上演された「3人いる!」(2007年)だった。ある部屋で休んでいる男の下にひとりの男が現れて、その男の名前を名乗る。顔も体型も全然異なるのにその男が語る境遇は自分とまったく同じ。どうやらその男は男自身のようなのだ。自分がこの部屋の主だからお前は出て行ってくれと主張します。果たしてこの男はだれなのか。自分を名乗る赤の他人なのか、あるいはドッペルゲンガーなのか……。この芝居が面白いのは普段私たちが無意識に受け入れている演劇上の約束というか、虚構を駆使することで不可思議な状況を現前させてみせる。作品に使われたアイデアは一見通常の群像会話劇のように見える演技の移ろいのなかで「演じている人=役者」と「演じられている人=役」が切り離されて、移動していくというものだ。 「3人いる!」の初演は2006年。チェルフィッチュが「演じている人=役者」と「演じられている人=役」を切り離したことが影響を与えたのではないかと思われる。この延長線上にままごと「あゆみ」、柿喰う客「恋人としては無理」、小指値(快快)「霊感少女ヒドミ」などが出てくる。

 東京デスロックは旗揚げ当初から、演劇の枠組みを揶揄するかのような作風で知られていたが、2006年よりスタートした「演劇を見直す演劇シリーズ」で役柄を全く固定しない作品(「3人いる!」)、全編造語による作品(「別」)、全く同じストーリーを繰り返し続ける作品(「再生」)を立て続けに発表し、実験演劇の様相を強め、同世代の作家のなかでいち早く平田オリザの現代口語演劇のくびきから脱出した。その意味で「3人いる!」が東京デスロックが現代口語演劇、すなわちゼロ年代演劇的なものから、ポストゼロ年代演劇的なものにシフトしていくきっかけになった。

 次の作品「再生」では多田のスタイルはより大きな変化をとげた。「再生」では表題通りまるでビデオが再生されるように同じストーリーが舞台上で3回繰り返される。当時話題になっていたネットによる集団自殺という物語があって、集まってきた若者たちが鍋を食べて、踊り狂った挙句に次々と倒れていってしまうが、実はこの舞台で重要なのはそういう表面上の筋立てではなく激しい動きをともなう上演が3度繰り返させることで、俳優の身体が疲弊してくる。その「疲弊」を生のものとして見せることで、舞台上での「死」と「疲弊」が二重写しになってくるという仕掛けを試みた。2007年からの「unlockシリーズ」では、演劇の最大の魅力を「目の前に俳優がいること」に焦点を合わせ、俳優の身体的な「疲れ」を前面に押し出す作風に挑戦した。先に述べた「遊戯的なルール」などというとパソコン上で展開されるコンピューターゲームとはそういうものが連想されて、これはゲーム的リアリズムなどにもつながっていくわけだが、東京デスロックの場合、そういうゲーム的感性と同時にそれを演じるのがあくまで二次元のキャラではなくて、生身の人間なのだということからくる摩擦のようなものを舞台に載せているところが大きな特徴なのだ。「LOVE」もほとんどセリフらしいセリフがないなかで、パフォーマー相互の関係性の提示のなかでこの世界の人間の関係性のありかたを抽象的、すなわち普遍的に提示することで、人間の歴史などの大きな「世界の構造」を比喩するとともに激しい動きと倒れる、また立ち上がるという構造はここでも繰り返され、「人間が生きていくこと」の根源的なあり方が想起される仕掛けとなっている。2010年に上演された「2001年―2010年宇宙の旅」。この作品はスタンリー・キューブリックの映画「2001年宇宙の旅」とそれを小説化したアーサー・C・クラークの同名のSF作品を原作にしながら、そこで描かれていた人猿=人類の歴史を東京デスロックの旗揚げ(2001年)から現在(2010年)までの歴史(より正確にいえばその間の夏目慎也の個人史)と重ねあわせている。

 2008年以降はシェイクスピア作品を手がけることが多く、本日もその一部を紹介していきたいと思ってますが、ロミオとジュリエットでは「目隠し鬼」を、マクベスでは「椅子取りゲーム」を中心に構成するなど、「遊戯的なルール(のようなもの)が課され、その遂行と作品の進行が同時進行する」というポストゼロ年代演劇の演出手法でシェイクスピアを相次ぎ手がけている。「WALTZ MACBETH」では着物を着た男女が円陣を組んで並べられた椅子の周りをぐるぐると回り、「椅子取りゲーム」を繰り広げます。この「椅子取りゲーム」がそのままシェイクスピアの「マクベス」に出てくるダンカン王の謀殺、ダンカンの暗殺といった権謀術策を凝らしての権力闘争を象徴しているわけですが、シェイクスピアの戯曲に書かれたセリフは変えないでそのまま語りながら、俳優たちはこの「椅子取りゲーム」を繰り返すことで多田はビジュアル的に現代の人間にも分かりやすい形で、「マクベス」を舞台化した。

 多田に続いたのが同じく青年団にいた柴幸男(ままごと)だ。柴は多田が試みていたテキストの構造から作品を構築していくという方法論をはるかに精緻に展開してみせ2010年には「わが星」(初演2009年)で岸田戯曲賞を受賞した。「わが星」はソーントン・ワイルダーの「わが町」を下敷きに「地球という星が生まれて、そして死滅するまで」という宇宙的な悠久の時間を「ちーちゃん(地球)という女の子と家族の物語」というメタファー(隠喩)によって提示した。柴はロロロのラップ音楽で構成された音楽劇として、前編を一曲の音楽のような構造で構築した。 

 柴幸男の作家的な特徴は演劇の構造の中に物語の進行以外の作品内で規定された固有のルールのようなものを持ち込んで、それによって舞台を進行させるというアイデアを持ち込んだことで最初にその特徴が遺憾なく発揮されたのが短編演劇の「反復かつ連続」だった。「反復かつ連続」には複数の人物が登場するが、実はこれは一人芝居なのだ。ある一家のある日の朝の光景がシークエンスとして演じられるのだが、一通りそれが繰り返された後は今度はまた別の役柄をその同じ俳優が演じる。ところが最初に演じた役柄はいなくなってしまうというわけではなくて、目には見えないが音声だけは残っていて、舞台上の俳優の演技と同時進行していく。これが何度も繰り返されることで、多色刷りの版画が重ねられていくように「ある一家のある朝」のディティールが浮かび上がってくる。見事な着想だがこの作品の初演は劇作家協会東海支部プロデュース 劇王IVに参加した2007年だか実は音声だけで透明人間となるキャラと人間の俳優が共演するというアイデアはこちらは2006年初演の東京デスロック「3人いる」にもあって、直接的な影響があったかどうかは不明だが、前述したようにチェルフィッチュが「演じている人=役者」と「演じられている人=役」の1対1対応のくびきから解き放ったことが大きな契機となったと思われる。チェルフィッチュは群像会話劇という形式を解体したが、現代口語演劇からの離脱を果たすには「わたしたちは無傷な別人である」(2010年)を待たねばならなかった。

 これに対して柴は「あゆみ」ではあゆみという1人の女性を複数の女優が次から次へとバトンをわたしようにリレーして演じていき、それにより主人公である「あゆみ」が生まれて死ぬまでも演じるという「反復かつ連続」とはまた違うルールを演劇に持ち込んだが、これはまだ演劇・演出的には平田オリザ的な現代口語演劇に準ずるものだった。ところが先に挙げた「わが星」では台詞の大部分をロロロ(クチロロ)の三浦康嗣が作曲したラップ音楽に合わせて発するという形で現代口語演劇からの離脱を試みた。

 柴はその後も「わが星」に引き続き音楽の三浦康嗣、振付の白神ももこと手掛けた音楽劇「ファンファーレ」@世田谷パブリックシアター・シアタートラム(2012年)、今夏にはあいちトリエンナーレで新作「日本の大人」@愛知県芸術劇場小ホールw上演したが代表である「あゆみ」「わが星」を超えるような新趣向は出てこず模索の時期にあるようだ。

 3人目として紹介したいのがサンプルの松井周である。松井の場合は2004年に劇作家協会新人戯曲賞を受賞した「通過」で作演出をスタートさせるが、青年団の中心俳優として活動していたこともあり、劇団として「サンプル」を旗揚げしたのは2007年であった。「通過」など初期作品ではスタイルは典型的な群像会話劇かつ現代口語演劇であった。ところが近作では次第にそのスタイルを変貌しつつあり、フェスティバル/トーキョー2013に参加、今年11月ににしすがも創造館で上演された「永い遠足」(11月17日・21日ソワレ観劇)はギリシア悲劇の「オイディプス王」を下敷きにし、テキスト的にも会話劇的な部分に加えて、モノローグや寓話あるいは遊戯的なシークエンスも混交させたかなり複雑な構造を持つ舞台に仕上がっていた。

 現代口語演劇、すなわちゼロ年代演劇的なものから、ポストゼロ年代演劇的なものにシフトしていくきっかけになった。

 次の作品「再生」ではそこからスタイルは大きな変化をとげる。「再生」では表題の通りに同じストーリーが舞台上で3回繰り返されます。この「再生」ではかろうじて物語の設定として、当時話題になっていたネットによる集団自殺という主題があって、おそらくいろんなところから集まってきた若者たちが鍋を食べて、踊り狂った挙句に次々と倒れていってしまう。そういうことはあるのですが、実はこの舞台で重要なのはそういう表面上の筋立てだけではなくて、かなり激しい動きをともなうそれが3度繰り返させることで、それが繰り返されるうちに俳優の身体そのものが疲弊してきて、それを舞台上で生のものとして見せることで、舞台上での「死」と「疲弊」が二重写しになってくるという仕掛けがある。

 これを受けて2007年よりスタートした「unlockシリーズ」では、演劇の最大の魅力を「目の前に俳優がいること」に焦点を合わせ、俳優の身体的な「疲れ」を前面に押し出す作風に挑戦した。先に述べた「遊戯的なルール」などというとパソコン上で展開されるコンピューターゲームとはそういうものが連想されて、これはゲーム的リアリズムなどにもつながっていくわけだが、東京デスロックの場合、そういうゲーム的感性と同時にそれを演じるのがあくまで二次元のキャラではなくて、生身の人間なのだということからくる摩擦のようなものを舞台に載せているところが大きな特徴なのだ。

「再生」の後にこれは日本各地や海外でも上演されて最近の東京デスロックのなかでは代表作ともいえる「LOVE」という作品もほとんどセリフらしいセリフがないなかで、パフォーマー相互の関係性の提示のなかでこの世界の人間の関係性のありかたを抽象的、すなわち普遍的に提示することで、人間の歴史などの大きな「世界の構造」を比喩するとともに激しい動きと倒れる、また立ち上がるという構造はここでも繰り返され、「人間が生きていくこと」の根源的なあり方が想起される仕掛けとなっている。2010年に上演された「2001年―2010年宇宙の旅」。この作品はスタンリー・キューブリックの映画「2001年宇宙の旅」とそれを小説化したアーサー・C・クラークの同名のSF作品を原作にしながら、そこで描かれていた人猿=人類の歴史を東京デスロックの旗揚げ(2001年)から現在(2010年)までの歴史(より正確にいえばその間の夏目慎也の個人史)と重ねあわせている。

 2008年以降はシェイクスピア作品を手がけることが多く、本日もその一部を紹介していきたいと思ってますが、ロミオとジュリエットでは「目隠し鬼」を、マクベスでは「椅子取りゲーム」を中心に構成するなど、「遊戯的なルール(のようなもの)が課され、その遂行と作品の進行が同時進行する」というポストゼロ年代演劇の演出手法でシェイクスピアを相次ぎ手がけています。「WALTZ MACBETH」では着物を着た男女が円陣を組んで並べられた椅子の周りをぐるぐると回り、「椅子取りゲーム」を繰り広げます。この「椅子取りゲーム」がそのままシェイクスピアの「マクベス」に出てくるダンカン王の謀殺、ダンカンの暗殺といった権謀術策を凝らしての権力闘争を象徴しているわけですが、シェイクスピアの戯曲に書かれたセリフは変えないでそのまま語りながら、俳優たちはこの「椅子取りゲーム」を繰り返すことで多田はビジュアル的に現代の人間にも分かりやすい形で、「マクベス」を舞台化した。

 一方、「ROMEO & JULIET〜JAPAN ver.」はおそらく「恋は盲目」という比喩表現のこれままたビジュアル化と思われるが、黒い目隠しをつけられて目が見えなくなった男女(ロミオとジュリエット)が赤いハートの形のクッション状の床のうえを互いに相手を求めて手探りを続けます。そのほか今回は残念ながら映像では紹介できないのですが、渡辺源四郎商店との合同公演となった「月と牛の耳」では格闘家の父子らの相克を描いた作品を象徴する場面として「プロレス」の場面が舞台上で展開されます。このように戯曲の構造や主題の本質を原テクストから読み取り、それをそのまま表象できるようなゲーム(のようなもの)に置き換えていくというのも多田演出の特徴で、これはポストゼロ年代の演劇のひとつの特徴である「ゲーム的感性」と通底するところがある。 

ここしばらくはそれは主として原テキストと演劇作品の構造的類似性(「3人いる!」「2001年―2010年宇宙の旅」「WALTZ MACBETH」「ROMEO & JULIET〜JAPAN ver.」「その人を知らず」)などを担って制作されてきたが、観客を俳優と一緒に8時間劇場のスペースに閉じこめるという「モラトリウム」以降は劇場での演劇上演という枠組みそのものの自明性に挑戦するような作風にシフトしはじめたようだ。 

 多田に続いたのが同じく青年団にいた柴幸男(ままごと)だ。柴は多田が試みていたテキストの構造から作品を構築していくという方法論をはるかに精緻に展開してみせ2010年には「わが星」(初演2009年)で岸田戯曲賞を受賞した。「わが星」はソーントン・ワイルダーの「わが町」を下敷きに「地球という星が生まれて、そして死滅するまで」という宇宙的な悠久の時間を「ちーちゃん(地球)という女の子と家族の物語」というメタファー(隠喩)によって提示した。柴はロロロのラップ音楽で構成された音楽劇として、前編を一曲の音楽のような構造で構築した。 

 柴幸男の作家的な特徴は演劇の構造の中に物語の進行以外の作品内で規定された固有のルールのようなものを持ち込んで、それによって舞台を進行させるというアイデアを持ち込んだことで最初にその特徴が遺憾なく発揮されたのが短編演劇の「反復かつ連続」だった。「反復かつ連続」には複数の人物が登場するが、実はこれは一人芝居なのだ。ある一家のある日の朝の光景がシークエンスとして演じられるのだが、一通りそれが繰り返された後は今度はまた別の役柄をその同じ俳優が演じる。ところが最初に演じた役柄はいなくなってしまうというわけではなくて、目には見えないが音声だけは残っていて、舞台上の俳優の演技と同時進行していく。これが何度も繰り返されることで、多色刷りの版画が重ねられていくように「ある一家のある朝」のディティールが浮かび上がってくる。見事な着想だがこの作品の初演は劇作家協会東海支部プロデュース 劇王IVに参加した2007年だか実は音声だけで透明人間となるキャラと人間の俳優が共演するというアイデアはこちらは2006年初演の東京デスロック「3人いる」にもあって、直接的な影響があったかどうかは不明だが、前述したようにチェルフィッチュが「演じている人=役者」と「演じられている人=役」の1対1対応のくびきから解き放ったことが大きな契機となったと思われる。チェルフィッチュは群像会話劇という形式を解体したが、現代口語演劇からの離脱を果たすには「わたしたちは無傷な別人である」(2010年)を待たねばならなかった。

 これに対して柴は「あゆみ」ではあゆみという1人の女性を複数の女優が次から次へとバトンをわたしようにリレーして演じていき、それにより主人公である「あゆみ」が生まれて死ぬまでも演じるという「反復かつ連続」とはまた違うルールを演劇に持ち込んだが、これはまだ演劇・演出的には平田オリザ的な現代口語演劇に準ずるものだった。ところが先に挙げた「わが星」では台詞の大部分をロロロ(クチロロ)の三浦康嗣が作曲したラップ音楽に合わせて発するという形で現代口語演劇からの離脱を試みた。

 柴はその後も「わが星」に引き続き音楽の三浦康嗣、振付の白神ももこと手掛けた音楽劇「ファンファーレ」@世田谷パブリックシアター・シアタートラム(2012年)、今夏にはあいちトリエンナーレで新作「日本の大人」@愛知県芸術劇場小ホールw上演したが代表である「あゆみ」「わが星」を超えるような新趣向とは言い難く模索の時期にあるようだ。

 3人目として紹介したいのがサンプルの松井周である。松井の場合は2004年に劇作家協会新人戯曲賞を受賞した「通過」で作演出をスタートさせるが、青年団の中心俳優として活動していたこともあり、劇団として「サンプル」を旗揚げしたのは2007年であった。「通過」など初期作品ではスタイルは典型的な群像会話劇かつ現代口語演劇であった。ところが近作では次第にそのスタイルを変貌しつつあり、フェスティバル/トーキョー2013に参加、今年11月ににしすがも創造館で上演された「永い遠足」(11月17日・21日ソワレ観劇)はギリシア悲劇の「オイディプス王」を下敷きにし、テキスト的にも会話劇的な部分に加えて、モノローグや寓話あるいは遊戯的なシークエンスも混交させたかなり複雑な構造を持つ舞台に仕上がっていた。

 

  

  


 多田淳之介は現在も青年団の演出部に所属している。これは現在は青年団とは独立した劇団である東京デスロック以外に主として演出を担当している青年団の劇団内ユニット「青年団リンク 二騎の会」というのがあって今年は5月に「雨の街」(作:宮森さつき 演出:多田淳之介)を上演したが、これはSF的設定で不条理劇めいた趣向を打ち出してはいものの演劇、演出の様式は平田オリザ流の群像会話劇=現代口語演劇であり、様式的に会話劇とは離れてしまった東京デスロックとは異なるもので現在もこの2集団を同時に手掛けているからだ。 

その後はそれは主として原テキストと演劇作品の構造的類似性(「3人いる!」「2001年―2010年宇宙の旅」「WALTZ MACBETH」「ROMEO & JULIET〜JAPAN ver.」「その人を知らず」)などを担って制作されてきたが、観客を俳優と一緒に8時間劇場のスペースに閉じこめるという「モラトリウム」以降は劇場での演劇上演という枠組みそのものの自明性に挑戦するような作風にシフトしはじめたようだ。

 身体的な「疲れ」などのアンコントロールなものを舞台上で提示するというのは夢の遊眠社あるいは最近ではニブロール(ミクニヤナイハラプロジェクト)の前例があります。前回取り上げた宮城聰はこれを「生命の一瞬の燃焼のきらめき」などと呼び、日常性に絡み取られて社会的な存在となっている人間が失ってしまっている生きている人が持つ根源的な力を舞台上で見せることが演劇の一つの使命であると以前語ってくれたことがありますが、そのための方法論として赤ん坊とか、老齢のダンサーであった大野一雄のような特権的身体ではないひとがこれを表現するためにはなんらかの仕掛けが必要だと述べていました。そのひとつの方法として激しい身体的負荷を挙げていたように記憶しているのですがこれは例えば「エロティシズムは、死に至るまでの生の称揚である」というバタイユの蕩尽理論などにも通じるところがあるかもしれない。

0000-11-21 今年の収穫2009 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

◇中西理(演劇舞踊評論、「中西理の大阪日記」http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/

1.ミクニヤナイハラプロジェクト「五人姉妹」(吉祥寺シアター)

2.ロマンチカ・横町慶子SOLOACT VOL.1「かわうそ」(原宿ラフォーレ)

3.SPAC「夜叉ケ池」(静岡芸術劇場)

 ミクニヤナイハラプロジェクトは新作「五人姉妹」とNHK企画で再演の「青ノ鳥」とベストアクト級の舞台が2本。チェルフィッチュポツドールに次を感じさせる新作がなかった今年。やはり「いまが旬」をもっとも感じさせたのはニブロールの矢内原美邦によるミクニヤナイハラプロジェクトであった。

  一方、ベテラン健在を感じさせたのが横町慶子SOLO ACT VOL.1「かわうそ」によるロマンチカの復活劇。レビュー的な公演はとびとびでやっていたけれど、ちゃんと筋立てがある演劇といっていい公演はいつ以来だろう。しかも、SOLO ACT VOL.1ってわざわざ銘打っているってことは次もあるということですよね。SPAC「夜叉ケ池」も魅力的な新ヒロイン、たきいみきを擁して泉鏡花を「崖の上のポニョ」にした宮城演出に脱帽。

年間観劇本数=220本。

  

 


 

0000-11-20 維新派「ろじ式」

[]維新派「ろじ式」@精華小劇場

□作・演出 松本雄吉

□出演 岩村吉純 藤木太郎 坊野康之 森正史 西塚拓志 金子仁司 中澤喬弘 貝田智彦 石本由美 平野舞 稲垣里花 中麻里子 尾立亜実 境野香穂里 大石美子 大形梨恵 土江田賀代 田口裕子 沙里 近森絵令 吉本博子 市川まや 今井美帆 小倉智恵 木下なず奈 桑原杏奈 ならいく 松本幸恵 森百合香 長田紋奈

スタッフ

音楽:内橋和久

 場面

M1「標本迷路」

M2「地図」

M3「可笑シテタマラン」

M4「海図」

M5「おかえり」

M6「鍍金工」

M7「金魚」

M8「地球は回る、眼が回る」

M9「木製機械」

M10「かか・とこ」

維新派の新作「ろじ式」(松本雄吉作・演出)を大阪・難波の精華小劇場で見た。維新派はこのところ野外ないし大劇場の空間で「<彼>と旅をする20世紀3部作」と題して、「nostalgia#1 」(2007、大阪・ウルトラマーケット、さいたま芸術劇場)、「呼吸機械 #2」(2008、長浜市さいかち浜野外特設舞台)を連続上演してきた。それは南米や東欧の動乱の歴史を取り上げ、20世紀という壮大な時間の流れをモチーフ物語性を強く打ち出したものであった。今回の「ろじ式」は本公演とは位置づけられてはいるものの、その続きというわけではない。

 フェスティバル/トーキョーの一部として東京ではにしすがも創造舎、大阪は精華小劇場とともに廃校となった学校の跡地利用をした維新派としては珍しい小劇場空間が今回の会場となった。事前情報では「20世紀3部作の番外編」とも紹介されていたが、ここには物語もそれに付随するスペクタクル性もない。小規模かつミニマルなパフォーマンスの羅列といった形で構成され3部作とは方向性が明確に異なる作品だ。

 ただ、「それがどういうものか」となると説明することはそれほど簡単でない。見終わった直後の印象は当惑であった。この舞台は場面と場面の連関性が明確ではない。それゆえに統一された全体としての構造が読み取れず、散漫な印象が残り「失敗作ではないか」と思ったのも確かなのである。

 だが全体の流れではなく個々のシーンそれぞれをを単独で取り出して考えてみると素晴らしい場面も少なくはなかった。白眉ともいえたのは10のシーンのうち最後から2番目の「木製機械」である。維新派独自の動きのバリエーションをダンス的に構成した「動きのオペラ」の次の進路を垣間見せるもので、「動きのオペラ」のひとつの到達点となった前作「呼吸機械」を超えて、この集団の身体表現の方法論がいまも進化しつづけていることを証明するような刺激的な場面であった。これまでは維新派は一部の場面だけを取り出して評価することは避けてきたが、この「木製機械」は「2009年のダンス・ベストアクト(ベスト10)」に入るべき「ダンス」であったと思う。

 内橋和久作曲の変拍子の音楽に合わせて単語を羅列したような大阪弁ラップ調のセリフをパフォーマーたちが群唱するのが維新派のヂャンヂャン☆オペラである。しかし、現在維新派はそれだけではない。新国立劇場で上演された「noctune」あたりから(私は便宜上「動きのオペラ」と呼んでいるが)パフォーマーの動きだけでセリフがないダンス風のパフォーマンスがもうひとつの柱となってきた。「キートン」(2004)、「ナツノトビラ」(2005〜2006)でその傾向は次第に強まった。

 「ナツノトビラ」についてのレビューを以前にAICT関西支部の批評誌ACTに書いた時に「舞台を見ていればそこには既存のダンステクニックとは違う身体語彙が意識的に獲得されるための継続的な訓練や試行錯誤が日常的に行われていることが分かる。例えば今回の作品では音楽に合わせて、数歩すばやく歩いた後、そこで突然ぴたっと静止するということを大勢のパフォーマーが同時にやる場面がでてくるが、これなども普通ダンスにはあまりない身体負荷であり、日常的な身体訓練がなされていないとこれだけ大勢がシンクロして群舞的にそれを行うことは簡単なことではない。タップダンスのようにステップで音を出す場面も足の裏に空き缶のようなものをつけてやる場面をはじめ複数でてくるが、全員が同時に踏むというだけでなく、楽器の演奏のようにパートに分かれていたりするわけで、タップダンスやアイリッシュダンスのように超絶技巧のものではないにしても、内橋の変拍子の音楽に合わせてそれを正確に行うのは相当以上のリズム感覚が要求される」と書き、維新派ダンスシアターに近づきつつあると明言した。

 そうした新たな流れはその後「nostalgia」で一層明確なものとなり、前作の「呼吸機械」ではダンスシーンを作品の冒頭とラストのそれぞれ15〜20分ほど、作品の中核に当たる部分に持ってきて、「それありき」で作品が組み立てられていた。「動きのオペラ」のひとつの到達点を示した作品であったといえよう。びわ湖の湖面に向かって、少しずつ下がっている舞台空間、その上を流れていく水のなかに浸かりながら行う。パフォーマーの動きだけでなく、野外劇場だからこそ可能な水の中の演技で飛び散る水しぶきさえ、照明の光を乱反射して輝き、50人近い大人数による迫力溢れる群舞とともにほかに比較するものが簡単にはないほどに美しいシーンを展開した。巨大なプールを使ったダニエル・ラリューの「ウォーター・プルーフ」、ピナ・バウシュの「フルムーン」などコンテンポラリーダンスにおいて水を効果的に使った作品がいくつかあるが、「呼吸機械」もそれに匹敵する強いインパクトを残した作品で、特にラスト維新派上演史に残る珠玉の10分間だったといってもよいだろう。

 それ以来の待望の新作ということもあり、「ろじ式」では身体表現としてどんなことをやってくれるのだろう。舞台を見始めた時の期待感は大きかった。だが、その期待ははぐらかされた。冒頭の「標本迷路」から「地図」「可笑シテタマラン」と続いていく場面がいずれも変拍子のリズムに合わせて複雑な身体所作を繰り返す「動きのオペラ」ではなくて、ヂャンヂャン☆オペラとしてはむしろ古いスタイルでかなり昔に多用されたようなシンプルな群唱に近かったからだ。

 開演以前から狭い精華小劇場の空間は舞台の下手、上手、天井近くとさまざまな骨格模型が収められた600個もの標本箱で埋め尽くされていた。標本箱は一辺が60センチほどの立方体の枠を、積み木のように多様に並べたものでこ枠の中には、現生あるいはすでに絶滅した生物の骨や化石を模した標本が固定され、それがまるで迷路のような空間を形成していく。表題の「ろじ式」の通りに、標本箱は積み重なり互いが簡単には見渡せない「ろじ」になる。

 今回の維新派のパフォーマンスは野外での開放された空間とは対極のようなこの閉ざされた空間で展開された。作品が始まって最初の場面「標本迷路」では役者たちが標本箱を舞台袖から運んできて、まるでテトリスのゲームのように舞台上に積み重ねていく。ここでの台詞が「デボン紀、白亜紀……」などと時代を下りながら、少年たちがいまは滅びてしまった古生物を単語として羅列していく。この部分で舞台装置に使われている骨のイメージと合わせて、「そうか今回の主題は進化論なのか」とはや合点してしまう。が、その次の場面、その次の場面と舞台が進行していくたびに疑問ばかりが膨らんでいく展開となる。

 2番目の「地図」では3人の少年が公衆電話で何事かを問い合わせる昭和を思わせる郷愁をさそうイメージが提示される。「可笑シテタマラン」は雰囲気が一変して女の子たちの大阪弁の口調がおかしさをさそう掛け合い的な群唱だ。「海図」では再び犬島で上演された「カンカラ」を連想させるような島づくしの地名連呼となる。ここでは「標本迷路」とむりやり合致させて、人類の進化ならびに島づたいに渡る日本列島に行き着いたの日本人歴史を展示した場面かも、と思うがシーンが進むごとにそのような統一した解釈には無理があることが露呈していく。やはりここにはそういう共通項のようなものはないのだ。

 この作品のもうひとつモチーフはつげ義春の「ねじ式」であるが、これも「夢のような、あるいは悪夢のようなイメージの羅列」という構造に共通点はあっても作品との直接のつながりは希薄だ。小学校卒業後はメッキ工だったというつげ義春へのオマージュとして作られたと思われる「鍍金工」という場面はあるものの、作品中のイメージにそのまま「ねじ式」から取ってきたと思われるようなものは少ない。つまり、舞台の進行に連れて分かってきたのはこの作品には物語のような筋立てがないばかりか場面同士にはこれといった連関性がなく、オムニバスに近いのではないのかということであった。

 バレエなど物語性の強いものを除くとコンテンポラリーダンスなどダンス・パフォーマンス作品の上演時間は長くても1時間強のものが多い。演劇のように2時間近い作品は少ない。これが私が常々思っていたことなのだが、物語性がない場合、2時間近い時間集中力を持続するのが生理的に困難であることにその理由があるのではないか。今回の維新派舞台は個々の場面の完成度は高いが、20世紀3部作にはあった物語の要素がまったくないため、観客にとっては集中力を維持するのは簡単ではない。個人差はあると思うが、少なくとも私には中盤あたりの「鍍金工」「金魚」といった場面は比較的ミニマルな要素が強く構成に起伏が少ないことも相俟って、少し集中力を欠き何度も睡魔におそわれそうになってしまった。

 実は冒頭に書いた「木製機械」と昨年の「聖・家族」で上演されたものを作り直した「かか・とこ」という舞台後半の2シーンが維新派のこれからを思わせる複雑な構造のダンスならびに群唱の最新形を示した場面だったのだが、せっかくの刺激的な場面がそれまでに集中がキレかけていたせいでそれを入り込むのにかなりの努力を必要とした。2時間近い上演時間は長いと感じられた。

 「これは構成の失敗ではないか」と考え、実は公演後すぐに松本雄吉本人にもそう話してしまったのだが、そう考えることにどこか違和感も感じていた。まず考えたのは本公演とは称していたが、実はこの「ろじ式」は「呼吸機械」の前に準備公演として上演した「聖・家族」と同様に本公演に向けてのワーク・イン・プログレスにすぎないのではないかということだ。しかし、アジアあるいは日本が主題となるはずの「20世紀3部作#3」との直接のつながりがありそうな場面はあまり見当たらないという問題もあった。

 「通常の演劇とは異なる構造をどうも確信犯として強い意志で試みているようだ」。観劇から時間が経過するにしたがい次第にこんな印象が強まってきた。「博物館演劇」というこの作品のもうひとつモチーフにこの作品の構成のヒントはあるのではと考えてみた時、この作品についてひとつの仮説が生まれてきた。それはこの「ろじ式」は演劇がよくとる物語の構造(ナラティブ)でもなく、ある種のダンスや音楽がそうである構造の統一感や形式美でもない。それまでの舞台にあまりなかった「博物館の展示のような舞台」として構想されたのではないかということである。

 「ろじ」のような空間に博物館の展示のように個々のパフォーマンスを配置し、提示していく。そして個々の場面には主題において、あるいは登場人物や物語において同一性があるのではなく、それは互いにゆるやかに響き合いながら並置されていく。もし、そうであれば構成上、観客の生理的な問題への対応において、もう少し全体をコンパクトにまとめるなど、若干の修整の余地がないではないけれども、小劇場パフォーマンスにおけるあらたな形態としての可能性を感じさせる試みではないかと考えさせた。

 維新派は来年(2010年)夏には瀬戸内芸術祭に参加して、「<彼>と旅をする20世紀3部作 #3」を岡山・犬島で野外劇として上演する予定。ひょっとすると前回の準備公演「聖・家族」と「呼吸機械」のようにこの新作に「木製機械」など一部の場面が使われる可能性はないとはいえないが、この新作は日本あるいはアジアの20世紀という壮大な歴史を取り上げ、3部作の完結編ともなるという意味で、今回の「ろじ式」とはまったく異なる方向性舞台となることは間違いない。そして、その新作は来年末ごろに劇場版として作り直され、さいたま芸術劇場で上演された後、再来年の夏にはエジンバラ・インターナショナル・フェスティバルで上演されることになっている。来年の南アフリカW杯に参加する岡田ジャパンが目標通りベスト4に入り、「世界を驚かす」ことができるかどうかは未知数(個人的に期待はしてるのだけれど)だが、(鳩山政権が仕分けにより国際交流基金を解散するというような暴挙がない限り)この維新派の新作が世界の演劇の本丸であるエジンバラに乗り込み、「世界を驚かす」のは間違いないと思っている。その時にはぜひその場に出掛けて生でそのさまを体験したいものだと考えている。

 それとは別に今回の「ねじ式」で姿を現した「小劇場演劇としての維新派」も今後どんな風に展開していくのかが楽しみ。「ねじ式」ではその実現において十全ではない部分もあったとは思うが、可能性の片鱗は垣間見せてくれたと思う。