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中西理の下北沢通信(旧・大阪日記) このページをアンテナに追加 RSSフィード

1002-01-08 青年団リンク 玉田企画「少年期の脳みそ」@小竹向原・アトリエ春風

[]青年団リンク 玉田企画「少年期の脳みそ」@小竹向原アトリエ春風舎

青年団リンク 玉田企画『少年期の脳みそ

作・演出:玉田真也

出演 鮎川桃果 稲葉佳那子 大山雄史(五反田団) 木下崇祥 黒木絵美花(青年団) 坂倉花奈(青年団) 玉田真也 吉田亮 由かほる(青年団)

スタッフ

舞台美術=谷佳那香 照明=井坂浩(青年団) 音響=池田野歩

制作=杉浦一基、小西朝子 宣伝美術=小西朝子 衣装=正金彩(青年団)

総合プロデューサー平田オリザ

制作協力=木元太郎(アゴラ企画)

技術協力=大池容子(アゴラ企画)

2014年キャスト(参考) 出演 堀夏子 井上みなみ 由かほる(以上、青年団) 大山雄史(五反田団) 木下崇祥 斎田智恵子 高田郁恵(毛皮族) 吉田亮 玉田真也(青年団演出部/玉田企画)

 青年団の演出部はいまや次代を担う若手劇作家演出家の宝庫なのだが、その中でももっとも注目しているひとりが青年団リンク玉田企画の玉田真也だ。玉田がどんなタイプの作家であるのかについては以前に書いたこちらの評論*1ならびにインタビュー*2を参照していただきたいが、一言で言えばきわめて純度の高い笑いが魅力であろうか。

 玉田の作品は平田オリザ流の群像会話劇のスタイルに近い。どちらも切り取られた一定時間の(ほぼ)一定の場所をリアルタイムで描写していくが、決定的に違うのは平田演劇は一見切り取られたその場所に起こった微細な出来事を語っているように見えて、その射程が「切り取られたフレーム」の外側に広がる世界を描くことに向かっているのに対し、玉田にはそういう志向がまったくないことだ。

 作風として一番近いと思われたのが「ながく吐息」「家が遠い」のころの前田司郎(五反田団)*3だった。実はそのころの前田作風について後の劇評*4で次のように書いている。


「もっとも私が最初に出会った当時の前田の作品(『動物大集会』『家が遠い』『ながく吐息』)では自分の方法論が関係性の演劇とは明確に違うということに対してそれほど自覚的ではなかったと思われる。見る側としても同様であったため、『動物大集会』では学生時代からの友達だった女の子たち、『家が遠い』『ながく吐息』では中学生が主人公、と社会的な関係性のしがらみにそれほど縛られていない世代の人物を取り上げたがゆえの違いであろうと解釈し、より広い事象に向かって作品によって描かれていくなかで『関係性の演劇』へと解消していく過渡期のものと解釈していた」(ワンダーランド wonderland小劇場レビューマガジン 五反田団「偉大なる生活の冒険」)

 前田はこの後、非日常を描く演劇への傾倒を強めていき作風も変えて『生きてるものはいないのか』(2008年)で岸田國士戯曲賞を受賞する。

玉田の作品を見たのは三鷹芸術文化センターで見たこの「少年期の脳みそ」(2014年)の初演が初めてだった。その時には「これは過渡期のもので今後どういうオリジナリティーを獲得していくかが課題」と考え、本人にもそのような感想を伝えた。玉田の作品についても「確信があっての方向性」というよりは以前の前田司郎と同様に自らの方向性を模索するための習作と見なしたからだ。

 だが今回2年の経過の後、再び同じ作品を見てみるとほぼ全編が玉田ワールド全開の「関係性の笑い」であることが確認でき自らの不明を恥じたくなった。この作品は過渡期ではなく玉田の作風はほぼ完成している。

玉田企画の面白さのひとつ日常生活での間が悪くいたたまれなくなるような瞬間を絶妙の精度で再現していくことだ。それを表現するための重要なファクターとして「居心地の悪さ」「いたたまれなさ」を見事なまでに体現する俳優の存在があるかもしれない。「少年期の脳みそ」は初演から何人かのキャストが入れ替わったが、変わらなく舞台の雰囲気が再現されているのにはマネージャー役の津田を演じる大山雄史(五反田団)、木下崇祥(大学生の加藤)、吉田亮(OBの林田)そして少年役(手塚)を演じる由かほる(青年団)がそれぞれ何とも言えない存在感を醸し出す。なかでも抜群なのが大山演じる津田。空気を読まないで自らの恋心に暴走する役を演じた彼のウザキャラがこの舞台の規範*5となっている。

別に具体的に同じような体験があるというわけではないが、ここではなぜかモテキャラの加藤と津田の2つに世界を分ければ確実に津田側の人間なので見ていて過去の記憶が走馬灯のように蘇ってきそう*6になり、いたたまれない気持ちになって思わず笑ってしまう。

 手塚も奇妙な人物で、この作品のほか「果てまでの旅」にも同じ人物が登場する。どちらも学生服におかっぱ頭のような変な髪形で青年団女優・由かほるが演じている。由は青年団女優の中ではまだ若い方ではあるが、入団は2010年だから本公演出演歴もあるはずなのだが、この手塚役を見た後ではあまりにキャラが強烈すぎて青年団でどんな芝居をしていたのかが全く思い出せないほどだ。

 日本の現代演劇では伝統的に女優少年役を演じるというのは1つのパターンともなっている。それはもはや歌舞伎女形などと同じ伝統の型といってもいいほどなのだが、手塚の造形はそうした定型化された演技とはまったく異なる。「オレ」と一人称を発話する際の奇妙な抑揚など出てきた瞬間にそれが分かるのだが、その一方できわめて謎めいた存在でもある。好きな女性のタイプなどを聞かれると「オレは女性には興味がない」などと答えがかえってくるのだが、どういう意味での発言なのかが定かでない。分かるのは「こいつこれ以上突っ込むとまずいかもしれない」ということだ。そのため津田の発言には皆が突っ込みを入れてそのせいで次第に窮地に追い込まれて、火だるまになっていくのに手塚にあえて突っ込む人は誰もおらず、唯一津田が突っ込みはするものの周囲からはスルーされるため「謎キャラ」のまま放置されることになるわけだ。こうした気になるキャラ造形はほかの作品にも見られ、玉田企画の魅力になっているといえそうだ。

*1青年団・現代演劇を巡る新潮流 vol.2 玉田真也(青年団リンク 玉田企画)評論編 https://spice.eplus.jp/articles/66009

*2青年団・現代演劇を巡る新潮流 vol.2 玉田真也(青年団リンク 玉田企画)インタビュー編 https://spice.eplus.jp/articles/65513

*3: 「現代日本演劇ダンスの系譜vol.7 五反田団」 http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/00000410

*4ワンダーランド wonderland小劇場レビューマガジン 五反田団「偉大なる生活の冒険」http://www.wonderlands.jp/archives/12393/

*5:と書いたがなんとなく腑に落ちない。「山内健司の演技が青年団において規範になっている」というのと同じようなことが玉田企画での大山の演技にもいえるということが言いたかったのだが、なぜここでは変なんだろう(笑)

*6:実際には津田というわけでもなく、こういう目に遭う前に危険を察知して逃げなんとか難を逃れていた。

1002-01-07 維新派論 演劇・ダンス・音楽・美術のはざまで

[]後期維新派論 〜演劇ダンス音楽美術のはざまで〜

 長らく維新派を率いてきた松本雄吉氏が6月死去したことにともない追悼の意味もこめて維新派最終公演「アマハラ」(2016年10月17日観劇)は上演された。公演会場となった平城宮跡は生前から松本がこだわり公演会場にしたいと執念を燃やしていた場所であり、本人が亡くなった後の追悼公演の形だったとはいえ、この場所での公演を見られたことにはいろんな意味での感慨があった。

 本来はこの「アマハラ」について語ることから始めなければならないのであろう。この公演については舞台の終わった後、巨大舞台の向こうに金色に光る草原が美しさとか、そこを吹き抜ける風の香りとか、断片的なイメージしか語る言葉を持てないでいる。内橋和久が生演奏でかなでる音楽はただ美しかった。パフォーマーたちもみごとなアンサンブルを見せてくれた。ただ、そこには松本が体現していた実権精神は感じられず、そこにはもういないという松本の存在の大きさをますます感じさせられることになった。

 維新派をこの目で初めて見たのは大阪・南港での「虹市」(1992年)。それから25年の歳月が経過した。もっとも前身である「日本維新派」の誕生は1970年でさらに22年を遡ることになる。私は長い歴史わずか半分を知るだけ。その意味では松本雄吉ならびに維新派を語る語り手としては適当な人間とはいえないのかもしれない。

 しかし、それでも松本の死を契機として維新派というこの特異な集団の生み出した作品群について再び論じたいと思う。いろんな意味で重要な存在であったのにもかかわらず維新派のことはこれまであまりにも論じられてこなかったと考えているからだ。いまこそこの集団の生み出した作品群について「それが何だったのか」について考えねばいけない。維新派についての批評がこれまでなかったわけではない。多くの人が舞台を劇評で取り上げている。それをあえて「論じられてこなかった」と書いたのには理由がある。そのほとんどが「劇評」であり、主として作品の筋立てや主題(モチーフ)について論じたものだったからだ。

 もちろんそれは作品にとって重要な要素だ。作品ごとに松本を取材し話を聞けば「今回の作品は喜劇王バスター・キートンを取り上げた」(「キートン」)、「ブラジル移民の話に材をとった」(「nostalgia」)などと答えもするだろう。しかし、こと維新派について論じる際に主題は最重要な事項ではないと考えている。松本雄吉ならびに維新派は様々な実験、様々な試行錯誤を繰り返してきた。それを検証することこそが松本が亡くなった取り上げるべきことではないかと思うのだ。維新派演劇ダンス音楽美術といった領域を時に越境し、時に融合させていった。単純に演劇作品として評価したのでは捉えきれないような要素を含んで構築されていた。「壮大な野外劇を上演する集団」などとよく紹介され、それも間違ってはいないが、この集団の特異性はそこにだけあるわけではない。

 前衛色が強かった初期の維新派日本維新派時代を含む)を音楽監督に内橋和久が加わり大阪ラップによる「ヂャンヂャン☆オペラ」の様式が定着した「少年街」(1990年東京・汐止)以降と比較して論じることが多い。しかし自分で目にしていない前期の維新派についてわずかの映像と伝聞だけでは多くを語ることはできないため、本稿では後期の「虹市」以降を対象とする。だが、後期だけでも相当に大きな様式の変遷はあった。この間維新派にとって継続的に大きな問題となってきたのは物語と身体表現がどのように関連づけられて作品化されるべきなのかという問題だった。誤解を恐れずにもっと単純にいえば「演劇ダンスの関係」だったといっていいかもしれない。

 「虹市」から「青空」(94年・95年)、「南風」(97年)、「水街」(99年・2000年)と続く時期を「祝祭性の時代」と名付けたい。中上健二の原作小説千年の愉楽」を下敷きにした「南風」がこの時期の代表的な作品といっていいだろう。この時期に公演ごとに試行を繰り返しながら、内橋和久との共同作業で生まれた大阪弁の単語の羅列により、変拍子(5拍子・7拍子)の内橋和久の音楽に乗せて、パフォーマーらが群唱する「ヂャンヂャン☆オペラ」の「大阪ラップ」の様式はこの時期に固まっていった。ただ、それが基調低音とはなるもののこの時期には同時に通常の演劇に近い演技・セリフも作品中に多用され、それらにより物語が綴られていくという演劇的要素も強かった。

 もう一つの特徴は祝祭性だった。当時、維新派の公演は大阪南港の野外特設劇場で行われるのが通例だったが、それは単に舞台芸術を上演する「劇場」にとどまらなかった。野外舞台の周辺に忽然と姿を現した屋台村やそこに設営された仮設のステージで芝居が始まる前から連日のように何組ものバンドミュージシャンが参加してフリーコンサートも行われる。それはある種アジールのような祝祭の場であり、維新派はいつでもその中心にあった。そして、「ヂャンヂャン☆オペラ」の「ヂャンヂャン」に象徴されるように維新派舞台もきわめて祝祭性の強いものであった。

 その祝祭性を演出するのに大きな役割を果たしていたのが、「映画のセットを思わせるような」と評された林田裕至の舞台美術である。林田は石井聰亙が監督し1982年に公開された『爆裂都市 BURST CITY』(ばくれつとし バースト・シティ)の美術を担当し映画界にデビュー。直近の「シン・ゴジラ」に至るまで映画世界の第一線で働き続けているが、この時期に維新派美術監督を担当し、維新派美術スタッフを指揮しまるで映画のミニチュアセットのようなリアルな巨大セットを作り上げた。

 その美術音楽監督の内橋和久がパフォーマーとともに生演奏で作り出した音楽とともに世界演劇史においても特異な祝祭空間を作り上げた。維新派世界松本雄吉が紡ぎ出す世界ではあるが、音楽監督としてほぼすべての作品に曲を提供し公演時には生演奏で参加した内橋和久の存在は非常に大きい。

 

 林田裕至は「水街」を最後に維新派現場から映画界に戻り、「流星」からは田中春男のクレジット名で松本雄吉が自ら美術監督も兼任することになり、この時代は終わった。そのことは結果的には「祝祭の時代」の維新派とはかなり大きく異なる作風への転換を促進した。「流星」を最後にホームグラウンドとしていた大阪南港が公演場所としての使用が困難になり、「さかしま」(2001年、奈良室生村総合運動公園県民グラウンド)、「カンカラ」(2002年、岡山県犬島・銅精錬所跡地)と公演の地を本拠地大阪から離れた地に求め、作品のモチーフもそれぞれの公演地に合わせてサイトスペシフィックな作品づくりを手掛けた。サイトスペシフィックアートはもともと美術概念であり、演劇やパフォーマンスによりそれが大規模な形で展開されるということは稀なことだった。そうした過程で維新派大阪南港時代に持っていた祝祭性は次第に薄くなっていく。

 

次の作品「nocturne」は新国立劇場から委嘱により劇場内での作品となった。場面によって凄く印象的な場面がいくつもあったし、音楽的、演出的にも面白い試みが行われていた。「物語の構造ラインは少し弱くて散漫なところも感じられ、ここから何の前知識もなしに作者である松本氏が本来伝えたい物語の筋道を読み取るのは無理だ。特に最初の30分は水たまりを使って足のステップで音を出すヂャンヂャンならぬ『じゃぶじゃぶタップ』など印象に残る場面はあるが、登場人物の関係性やそれぞれの場面がなにを意味しているのかを読み取るには苦労を要し、ついに分からないところもあった」と当時のブログに感想を書いた。この頃には「祝祭の時代」と比べると物語を語ることへの欲望はかなり薄れてきて、代わりに前景に出てきたのが集団でのムーブメントによるダンス的と言ってもいい集団表現美術に対する傾倒だ。集団での単語の唱和による「ヂャンヂャン☆オペラ」に対し、私は集団でのムーブメントに「動きのオペラ」と名付けたが、後から振り返るとこの「じゃぶじゃぶタップ」はその初期の実例といえる。「動きのオペラ」は初期には全員がそろってのユニゾンの動きが多い。だが、動きの種類も増え、小グループ同志に分かれた動きのシンクロのそれぞれがカノン的にズレて絡み合うなど複雑かつ高度な技術を要するものに変化していく。個人的にはその極致に至ったのが「呼吸機械」だと考えているが、このことについては後で改めて記す。

 松本美術に関する嗜好はデザイナーの黒田武志美術監督に迎えた「キートン」(2004年)でひとつの頂点を迎えた。これは野外劇ではあってもお囃子・下座音楽としてのヂャンヂャンオペラというような要素は非常に希薄で、キートン=サイレントという主題のせいはあるとはいえ、特に前半部分などは映画美術作品のレファランス的引用(サンプリング)という美術的な要素への傾注が全体を支配していた。内橋和久の音楽も背景に退いている感が強い。黒田に美術を委嘱することになったとことも含めて、ストーリーテラー、劇作家というよりも元々、大阪教育大学で美術を専攻していた松本美術家としての側面が色濃く出てきている舞台になってきているということにその原因はある。表題通り「キートン」は無声映画時代に活躍した俳優バスター・キートンテーマではあるのだが、作品のビジュアルイメージとしては「カリガリ博士」などに代表されるドイツ表現主義映画デ・キリコの絵からのイメージが取り入れられた。公演会場はひさしぶりに大阪南港に戻ったものの、内橋和久の音楽の曲調も祝祭的な要素はあまりなくなり、批評家で現代の音楽にも造詣の深い佐々木敦が「ライヒ的」と評したような静謐な曲が増えていった。

 維新派の変容がより明確になったのが「ナツノトビラ」(2006年)である。「流星」では、すべての動きが細かく指示された脚本をもとに、パフォーマー稽古場で振り付けを作り上げていくスタイルが試みられ、このスタイルはその後も続いていくことになった。松本維新派を「踊らない踊り」と称したがそれは「既存のダンスの枠におさまらず、日本人/私たちの身体性を生かした新しい身体表現を確立していこうという維新派の意志でもある」としている。初日を見て「コンテンポラリーダンスとしての維新派」ということを唐突に考えたい気持ちにかられたのはこの「踊らない踊り」を松本雄吉自身は「だからダンスではない」と位置づけているとしても、ここで述べられていることはコンテンポラリーダンスの問題意識そのものといってもいいほど、その問題群は共有されている。さら国際交流基金サイトのインタビューで松本は「まず、『体』のことを考える。“不自然な動き”とか、思いどおりに動かない不自然、不自由な動きを徹底してやった」などと今回の「ナツノトビラ」での身体表現についてこたえているのだが、これなどは桜井圭介氏が提唱した「コドモ身体」とほぼ重なる問題意識なのではないかとさえ思われた。さらに「踊らない」ということにこの頃は以前のように無手勝流に立ち向かうわけではなくて、最近の維新派舞台を見ていればそこには既存のダンステクニックとは違う身体語彙が意識的に獲得されるための継続的な訓練や試行錯誤が日常的に行われていることが分かる。

 「ナツノトビラ」は舞台を見ればそこに既存のダンステクニックとは違う身体語彙が意識的に獲得されるための継続的な訓練や試行錯誤が日常的に行われていことが分かる。例えば今回の作品では音楽に合わせて、数歩すばやく歩いた後、そこで突然ぴたっと静止するということを大勢のパフォーマーが同時にやる場面がでてくるが、これなども普通のダンスにはあまりない身体負荷であり、日常的な身体訓練がなされていないとこれだけ大勢がシンクロして群舞的にそれを行うことは簡単なことではない。タップダンスのようにステップで音を出す場面も足の裏に空き缶のようなものをつけてやる場面をはじめ複数でてくるが、全員が同時に踏むというだけでなく、楽器演奏のようにパートに分かれていたりするわけで、「リバーダンス」や「TAP DOGS」のように大向こう受けする超絶技巧のものではないが、内橋の変拍子音楽に合わせてそれを正確に行うのは相当以上のリズム感覚が要求される。

 こうしたダンス的な身体表現が極まったのがびわ湖水上舞台での「呼吸機械」であった。この作品では表題の「呼吸機械」を思わせる“ダンスシーン”を冒頭とラストのそれぞれ15〜20分ほど、作品の中核に当たる部分に持ってきた。「動きのオペラ」のひとつの到達点といえるかもしれない。びわ湖の湖面に向かって、少しずつ下がっている舞台空間、その上を流れていく水のなかに浸かりながらそれは行われた。パフォーマーの動きだけでなく、野外劇場だからこそ可能な水の中の演技で飛び散る水しぶきさえ、照明の光を乱反射して輝き、50人近い大人数による迫力溢れる群舞は比較するものが簡単にはないほどに美しいシーンであった。巨大なプールを使ったダニエル・ラリューの「ウォーター・プルーフ」、ピナ・バウシュの「フルムーン」などコンテンポラリーダンスにおいて水を効果的に使った作品がいくつかあるが、「呼吸機械」もそれに匹敵する強いインパクトを残した。特にラストは維新派上演史に残る珠玉の10分間だったといってもよいだろう。

 その後の「ろじ式」(2009年)はフェスティバル/トーキョーの一部として東京ではにしすがも創造舎、大阪は精華小劇場とともに廃校となった学校の跡地利用をした維新派としては珍しい小劇場空間が会場となった。事前情報では「20世紀3部作の番外編」とも紹介されていたが、ここには物語もそれに付随するスペクタクル性もない。小規模かつミニマルなパフォーマンスの羅列といった形で構成され3部作とは方向性が明確に異なる作品だった。白眉といえたのは全部で10のシーンのうち最後から2番目の「木製機械」。維新派独自の動きのバリエーションをダンス的に構成した「動きのオペラ」の次の進路を垣間見せるもので、「動きのオペラ」のひとつの到達点となった前作「呼吸機械」を超えて、この集団の身体表現の方法論がいまも進化しつづけていることを証明するような刺激的な場面であった。これまでは維新派は一部の場面だけを取り出して評価することは避けてきたが、この「木製機械」とそれに続く「かか・とこ」という舞台後半の2シーンが複雑な構造のダンスならびに群唱の最新形を示した場面だった。は「2009年のダンス・ベストアクト(ベスト10)」に入るべき「ダンス」ではないかとさえ考えた。

 実は大阪時代に企画したダンスについての連続レクチャー*1を準備していくなかでローザスについて調べてみると音楽と動きを関係づけて作品として具現化していくその方法論が維新派とかなり近しい部分があるのではないかと感じたことがある。「Dance Notes」というドキュメンタリーに克明に実際の創作の現場が紹介されており、そこから方法論の一端が浮かび上がってくる。

 ローザスではまず使用する音源音楽)を楽譜に落としたものを元にその音楽の持つリズムを分析。楽譜からリズム譜ものをのような作ったうえでまずそのリズムを声を出して唱和しながら、ダンサーパフォーマー)全員で共有。この作業を何度も繰り返した後に今度はそのリズムを群舞の振付に落とし込んでいく。その際、ダンサーたちは壁に貼られた□と△が並んだメソポタミアの文字盤のようにも見えるリズム譜を見ながら、自分の振りを絶えずチェックしている。一方でコラボレーターである音楽家ティエリ・ド・メイはそのダンスの動きを映像として撮影したうえで、パソコンに落とし込んだ楽譜と照応しながら、そこで浮かび上がったリズムをもとにそこに音を貼り付けるように曲作りをしていくのだが、ここでは同じリズムパターンの構造をいわば設計図として同時進行で振付音楽が作られていくわけだ。

 このドキュメンタリーのなかでケースマイケルは何度も「時間と空間の構造(ストラクチャー・オブ・タイム・アンド・スペース)」という言葉を強調しているのだが、これはパラフレーズしていけば「音楽ダンス」ということになるだろう。音楽あるいはもっと端的に言えばリズムが時間を分節化し構造化していく。そして、空間とは身体のことでそこには身体の動きと複数の身体の配置と移動(フォーメーション)が含まれる。この組み合わせことがケースマイケルにおけるダンスであるかもしれない。

 まったく異なるジャンルのパフォーマンスではあるがケースマイケルのこうしたやり方が維新派の作業手順と似ているのではないかと思われた。維新派の場合は演劇だから言語テキストとして松本雄吉が書いた脚本がある。これは脚本とは書いたが、ことヂャンヂャンオペラと言われる部分に関してはその多くは3文字、5文字、7文字の単語の羅列のようなもので、その羅列が維新派独特の変拍子リズムを構成していく。

 つまり、ここではローザスにおけるリズム譜のような役割を台本が果たしているわけだが、維新派もその同じ設計図を基に同時進行で動き(振付)とフォーメーション、内橋和久による音楽が同時進行で作られていく。実はそのレクチャーには維新派の役者が偶然参加してくれ、維新派ローザスの類縁性についてはそのことを知らないで話していたのだが、終了後、実際に劇団において松本ローザスのことを言及して「ローザスダンスローザス」の映像化したものをみて「これオモロいで〜。」と、みんなに紹介してという話を聞いた。日頃は「コンテンポラリーダンスは嫌いだ」と公言しているだけに少し意外に思うとともに本人も少なからぬ親近感を持っていたことを知り、興味深く思った。

 維新派公式サイトの「台湾の、灰色の牛が背伸びをしたとき」の創作日記にも演出助手の中西エレコさんがローザスのことに触れている回があり、実際に現場ベルではローザスのことも知られていて、それは松本公認であるらしいことも分かった。ダンスというのは民族舞踊的なものや日本でいえば神楽のように神に捧げるという巫女的な機能を持ったものでも歴史的に見れば音楽との関係の中で成立していたのが、一般的なことであって、現在でもバレエヒップホップなどはその随伴音楽(という呼び方もこの場合正しくないのかもしれないのだが)と非常に高い率でシンクロ(同期)しているのが普通だ。

 ダンスにおいて音楽いかに重要な要素であるのかという実験さいたま芸術劇場ジェローム・ベルが「ザ・ショー・マスト・ゴー・オン」という舞台で提示していて、きわめて興味深く思ったのだが、いくつかの場面でダンサー舞台上いてもまったく動かなかったり、時にはまったくいなくなってそこに音楽だけが流れる。それでもそこになにかしらの「ダンスがある」と感じてしまうのは見る側の意識として、ダンス作品のなかで音楽の占める重要性が示されていた。

 こうした関係性に理論的に疑問を投げかけたのはジョン・ケージマース・カニングハムのコンビで、ダンス音楽は同期しなくても無関係に同じ空間に独立して存在しうるとして、それぞれを別々ないし相手のことを意識しないで制作したのものを最終的に舞台の上で出合わせるというようなことを一種の実験として行った。

 日本コンテンポラリーダンスの場合も、音楽(特にリズム)と動きが1対1のように対応してしまうような作り方は「ベタになる」と称して敬遠する傾向が強くて、このことは以前から気になっていた。レクチャーではそういうなかで日本にもそうではないダンスも存在していて、それは例えば珍しいキノコ舞踊団イデビアン・クルーBATIK黒田育世)などなのだが、そういう人たちがどちらかというと2000年代に人気を集め、コンテンポラリーダンスのブーム化の一翼を担ってきたという実体があった。、そして、ローザスはそれらの振付家にかなり大きな影響を与えたとみられる。維新派演劇であってダンスではないが、そのセリフ回しと動きが内橋和久の作った音楽と相当に厳密なレベルシンクロして展開されていくのが特徴で、既存のダンスの身体言語とはかなり異なる身体所作(身体言語)を使うためにダンスのようにはみなされてはいないが、ダンスとはなにかということの考え方次第ではローザスBATIKのような音楽シンクロ率の高いダンスにこそ、近しい類縁性を持っているのではないか

 「ろじ式」に話を戻そう。意外だったのは冒頭の「標本迷路」から「地図」「可笑シテタマラン」と続いていく場面がいずれも変拍子リズムに合わせて複雑な身体所作を繰り返す「動きのオペラ」ではなくて、ヂャンヂャン☆オペラとしてはむしろ古いスタイルでかなり昔に多用されたようなシンプルな群唱に近かったことだ。開演以前から狭い精華小劇場空間舞台の下手、上手、天井近くとさまざまな骨格模型が収められた600個もの標本箱で埋め尽くされていた。標本箱は一辺が60センチほどの立方体の枠を、積み木のように多様に並べたものでこ枠の中には、現生あるいはすでに絶滅した生物の骨や化石を模した標本が固定され、それがまるで迷路のような空間を形成していく。表題の「ろじ式」の通りに、標本箱は積み重なり互いが簡単には見渡せない「ろじ」になる。

 野外での開放された空間とは対極のようなこの閉ざされた空間で展開された。作品が始まって最初の場面「標本迷路」では役者たちが標本箱を舞台袖から運んできて、まるでテトリスゲームのように舞台上に積み重ねていく。ここでの台詞が「デボン紀白亜紀……」などと時代下りながら、少年たちがいまは滅びてしまった古生物を単語として羅列していく。

 2番目の「地図」では3人の少年が公衆電話で何事かを問い合わせる昭和を思わせる郷愁をさそうイメージが提示される。「可笑シテタマラン」は雰囲気が一変して女の子たちの大阪弁の口調がおかしさをさそう掛け合い的な群唱だ。「海図」では再び犬島で上演された「カンカラ」を連想させるような島づくしの地名連呼となる。ここでは「標本迷路」とむりやり合致させて、人類進化ならびに島づたいに渡る日本列島に行き着いたの日本人の歴史を展示した場面かも、と思うがシーンが進むごとにそのような統一した解釈には無理があることが露呈していく。やはりここにはそういう共通項のようなものはないのだ。

 「通常の演劇とは異なる構造をどうも確信犯として強い意志で試みているようだ」。観劇から時間が経過するにしたがい次第にこんな印象が強まってきた。「博物館演劇」というこの作品のもうひとつモチーフにこの作品の構成のヒントはあるのではと考えてみた時、この作品についてひとつの仮説が生まれてきた。それはこの「ろじ式」は物語の構造(ナラティブ)でもなく、ある種のダンス音楽がそうである構造の統一感や形式美でもない。それまでの舞台にあまりなかった「博物館の展示のような舞台」として構想されたのではないかと思われた。

 「ろじ」のような空間に博物館の展示のように個々のパフォーマンスを配置し、提示していく。それは美術そのものではないが美術インスタレーションの色合いを感じさせる。個々の場面には主題において、あるいは登場人物や物語において同一性があるのではなく、それは互いにゆるやかに響き合いながら並置されていく。小劇場パフォーマンスにおけるあらたな形態としての可能性を感じさせる試みではないかと考えさせた。

 維新派の作品はダンス的な要素の進化は抑え気味になり、ここから再び美術的な方向性に傾倒していく。岡山犬島で上演した「台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき 《彼》と旅をする20世紀三部作 #3」は最終公演の「アマハラ」の基になった作品だが、ここでは公演会場の犬島の海とかなたに見える島々への借景というサイトスペシフィックな要素が重要視された。

 やはり、犬島で上演された「風景画」はより美術的な要素を重視。「ある場所に俳優と観客が参加する三次元絵画です。『風景画』は、幾何学風景論です。 『風景画』は、身体的風景論です」と公式サイトで説明されたようになだらかな遠浅の砂浜にパフォーマーを配置して、ミニマルな動きだけを見せていくという人間をオブジェ的に使った美術インスタレーションといってもいい作品だった。興業の制約上から結局、客席を設けての演劇公演のような形態はとったが松本の構想では島のそこここにパフォーマーを置き、それを鑑賞者が見て回るというようなことも検討されていたという。実は「台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき」「風景画」 の2作品はさいたま芸術劇場池袋西武百貨店の屋上でも上演されたが、劇場向けに作り直したとはいえ、その良さが十全には伝わらないもどかしさもあった。

  最晩年の3作品「MAREBITO」(2013年、岡山犬島)、「透視図」(2014年、大阪中之島GATEサウスピア)、「トワイライト」(2015年、 奈良県曽爾村健民運動場)はそれぞれ公演場所の状況は異なるとはいえ、やはり「場の持つ固有の歴史」を重視したサイトスペシフィック性の強い作品で、音楽ムーブメントともにそのクオリティーは磨かれ完成度の高いパフォーマンスとなったが、それ以前のダンス美術などに傾斜した作品に見られたような極端さは薄れている。

 このように維新派のパフォーマンスは演劇の範疇には閉じ込めにくい複合的な要素を中に含んでおり、「演劇ダンス音楽美術のはざまで」を今回の論考の副題としたように「演劇ダンス美術」を3極として三角形を作ってみれば作品によっても創作時期においてもどの極に松本の中心的な興味があるかで大きく姿を変えた。一応、専門といえる演劇ダンスについてはかなり踏み込んだ分析を行ってみたが、音楽美術については同等の分析は自分の能力に余るということを実験させられた。最初に維新派は「論じられてこなかった」と書いたのにはそういう意味があり、私が書くのは無理だが音楽の専門家による維新派=内橋和久論とか美術評論家による現代美術としての維新派論などがあればぜひ読みたい。批評対象としては宝の山が眠っていると考えている。




 

 











 

 

  

 

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*1:「ダンス×アート 源流を探る ローザス=ケースマイケル」セミネールin東心斎橋

1002-01-06 維新派論 演劇・ダンス・音楽・美術のはざまで

[]維新派論 〜演劇ダンス音楽美術のはざまで〜

 長らく維新派を率いてきた松本雄吉氏が6月死去したことにともない追悼の意味もこめて維新派最終公演「アマハラ」(2016年10月17日観劇)は上演された。公演会場となった平城宮跡は生前から松本がこだわり公演会場にしたいと執念を燃やしていた場所であり、本人が亡くなった後の追悼公演の形だったとはいえ、この場所での公演を見られたことにはいろんな意味での感慨があった。

 本来はこの「アマハラ」について語ることから始めなければならないのであろう。この公演については舞台の終わった後、巨大舞台の向こうに金色に光る草原が美しさとか、そこを吹き抜ける風の香りとか、断片的なイメージしか語る言葉を持てないでいる。内橋和久が生演奏でかなでる音楽はただただ美しかった。そのすべてが松本がそこにはもういないという不在の大きさをますます感じることになった。

 維新派をこの目で初めて見たのは大阪・南港での「虹市」(1992年)。それから25年の歳月が経過した。もっとも前身である「日本維新派」の誕生は1970年でさらに22年を遡ることになる。私は長い歴史わずか半分を知るだけ。その意味では松本雄吉ならびに維新派を語る語り手としては適当な人間とはいえないかもしれない。

 しかし、それでも松本の死を契機として維新派というこの特異な集団の生み出した作品群について再び論じたいと思う。いろんな意味で重要な存在であったのにもかかわらず維新派のことはこれまであまりにも論じられてこなかったと考えているからだ。いまこそこの集団の生み出した作品群について「それが何だったのか」について考えねばいけない。維新派についての批評がこれまでなかったわけではない。多くの人が舞台を劇評で取り上げている。それをあえて「論じられてこなかった」と書いたのはそのほとんどはいわゆる「劇評」であり、主として作品の筋立てや主題(モチーフ)について論じたものだからだ。

 それも作品にとって重要な要素だ。作品ごとに松本を取材し話を聞けば「今回の作品は喜劇王バスター・キートンを取り上げた」(「キートン」)、「ブラジル移民の話に材をとった」(「nostalgia」)などと答えもするだろう。しかし、こと維新派について論じる際に主題は最重要な事項ではないと考えている。松本雄吉ならびに維新派は様々な実験、様々な試行錯誤を繰り返してきた。それを検証することこそが松本が亡くなった取り上げるべきことではないかと思うのだ。維新派演劇ダンス音楽美術といった領域を時に越境し、時に融合させていった。単純に演劇作品として評価したのでは捉えきれないような要素を含んで構築されていた。「壮大な野外劇を上演する集団」などとよく紹介され、それも間違ってはいないが、この集団の特異性はそこにだけあるものではない。

 前衛色が強かった初期の維新派日本維新派時代を含む)に音楽監督に内橋和久が加わり大阪ラップによる「ヂャンヂャン☆オペラ」の様式が定着した「少年街」(1990年東京・汐止)以降と比較して論じることが多い。しかし自分で目にしていない前期の維新派についてわずかの映像と伝聞だけでは多くを語ることはできないため、本稿では後期の「虹市」以降を対象とする。だが、この間でも相当に大きな様式の変遷はあった*1。この間維新派にとって継続的に大きな問題となってきたのは物語と身体表現がどのように関連づけられて作品化されるべきなのかという問題だった。誤解を恐れずにもっと単純にいえば「演劇ダンスの関係」といってもいい。

 「虹市」以降は「青空」(94年・95年)、「南風」(97年)、「水街」(99年・2000年)と続くが、中でも中上健二の原作を下敷きに舞台化した「南風」がこの時期の代表的な作品である。公演ごとに試行を繰り返しながら、大阪弁の単語の羅列により、変拍子(5拍子・7拍子)の内橋和久の音楽に乗せて、パフォーマーらが群唱する「大阪ラップ」のアンサンブルあるいは群唱のスタイルはこの時期に固まっていったといえそうだ。ただ、それが基調低音を形成するものの、この時期には通常の演劇に近い演技・セリフ回しも作品中に多用されそれにより物語が綴られていくという演劇的要素も強かった。

 この時期の維新派のもう一つの特徴は祝祭性だった。当時、維新派の公演は大阪南港の野外特設劇場で行われるのが通例だったが、それは単に舞台芸術を上演する「劇場」というのにとどまらなかった。劇場周辺に忽然と姿を現した屋台村やそこにある仮設の舞台で芝居が始まる前から連日のように複数のバンドミュージシャンが参加してフリーコンサートも行われる。それはある種アジールのような祝祭の場であり、維新派はいつでもその中心にあった。そして、「ヂャンヂャン☆オペラ」の「ヂャンヂャン」に象徴されるように維新派舞台もきわめて祝祭性の強いものであった。

 その祝祭性を演出するのに大きな役割を果たしていたのが、「映画のセットを思わせるような」と評された林田裕至の舞台美術かもしれない。林田は石井聰亙が監督し1982年に公開された『爆裂都市 BURST CITY』(ばくれつとし バースト・シティ)はされた日本SFアクション映画美術担当で映画界にデビュー。直近では「シン・ゴジラ」に至るまで映画世界の第一線で働き続けているが、この時期に維新派美術監督を担当し、維新派美術スタッフを指揮し映画のミニチュアセットのようにリアルなセットを作り上げた。

 そしてその美術音楽監督の内橋和久がパフォーマーとともに生演奏で作り出した音楽とともに演劇世界歴史に残るような祝祭空間を作り上げた。維新派世界松本雄吉が紡ぎ出す世界ではあるが、音楽監督としてほぼすべての作品に曲を提供し公演時には生演奏で参加した内橋和久の存在は非常に大きい。

 

 林田裕至は「水街」を最後に維新派現場から映画界に戻り、「流星」からは田中春男のクレジット名で松本雄吉が自ら美術監督も兼任することになった。そのことは結果的には「祝祭の時代」の維新派とはかなり大きく異なる作風への転換を促進したかもしれない。もっとも、この「流星」を最後にホームグラウンドとしていた大阪南港が公演場所としての使用が困難になり、「さかしま」(2001年、奈良室生村総合運動公園県民グラウンド)、「カンカラ」(2002年、岡山県犬島・銅精錬所跡地)と公演の地を本拠地大阪から離れた地に求め、作品のモチーフもそれぞれの公演地に合わせてサイトスペシフィックな作品づくりを手掛けた。サイトスペシフィックアートはもともと美術概念であり、演劇やパフォーマンスによりそれが大規模な形で展開されるということは稀なことだった。そうした過程で維新派大阪南港時代に持っていたような祝祭性は次第に薄まっていく。

 

その次の作品「nocturne」は新国立劇場から委嘱により劇場内での作品となった。場面によって凄く印象的な場面がいくつもあったし、音楽的、演出的にも面白い試みが行われていた。当時のブログに「物語の構造ラインは少し弱くて散漫なところも感じられた。たぶん、ここから何の前知識もなしに作者である松本氏が本来伝えたい物語の筋道を読み取るのは無理だ。特に最初の30分は水たまりを使って足のステップで音を出すヂャンヂャンならぬ『じゃぶじゃぶタップ』など印象に残る場面はあるが、登場人物の関係性やそれぞれの場面がなにを意味しているのかを読み取るには苦労を要し、ついに分からないところもあった」と書いた。この頃には「祝祭の時代」と比べると物語を語ることへの欲望はかなり薄れてきて、代わりに前景に出てきたのが集団でのムーブメントによるダンス的と言ってもいい集団表現美術に対する傾倒だ。集団での単語の唱和による「ヂャンヂャン☆オペラ」に対し、私は集団でのムーブメントを「動きのヂャンヂャン☆オペラ」と呼ぶようになったが、後から振り返るとこの「じゃぶじゃぶタップ」もその初期の実例といえるかもしれない。「動きのヂャンヂャン☆オペラ」は初期には全員がそろってのユニゾンの動きが多いのだが、動きの種類も増え、小グループ同志に分かれた動きのシンクロのそれぞれがカノン的にズレて絡み合うなど複雑かつ高度な技術を要するものに変化していく。個人的にはその極致に至ったのが「呼吸機械」だと考えているが、このことについては後で改めて記す。

 松本美術に関する嗜好はデザイナーの黒田武志美術監督に迎えた「キートン」でひとつの頂点を迎えた。表題通り「キートン」は無声映画時代に活躍した俳優バスター・キートンテーマではあるのだが、作品のビジュアルイメージとしては「カリガリ博士」などに代表されるドイツ表現主義映画デ・キリコの絵からのイメージが取り入れられた作品となった。公演会場はひさしぶりに大阪南港に戻ったものの、内橋和久の音楽の曲調も祝祭的というような要素はあまりなくなり、静謐な曲が増えた。

 

 











 

 

  

 

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1002-01-05 木ノ下歌舞伎「娘道成寺」「隅田川」@こまばアゴラ劇場

[]『身一つ』の『娘道成寺』、木ノ下歌舞伎娘道成寺」「隅田川」@こまばアゴラ劇場


 歌舞伎の現代劇化を目指し活動している木ノ下歌舞伎木ノ下裕一主宰)は劇団設立10周年を記念し、昨年(2016年)から「木ノ下“大”歌舞伎」と題し、過去に好評であった同劇団の演目の連続再演企画に取り組んでいる。こまばアゴラ劇場で上演された「隅田川」「娘道成寺」(1月18日ソワレ、22日マチネ観劇)もその一環である。現代化した歌舞伎舞踊日本を代表するコンテンポラリーダンス振付家・ダンサーが製作、自ら演じるソロ作品を2本立てで上演した。

 きたまり(KIKIKIKIKIKI)の演出・振付・出演による「娘道成寺」はソロダンスとしてはまれな完成度の高さだった。コンテンポラリーダンスという表現の奥深さを見せつけた。木ノ下歌舞伎による「娘道成寺」は2008年のが初演。木ノ下歌舞伎舞踊作品の代表的な演目としてこれまで再演をするごとに演出、振付を変えて繰り返し上演されてきた。上演はこれで4回目となるが、今回は歌舞伎に使われた音楽(長唄)をほぼ全曲まるごと使用。上演時間もこれまでの30分から60分と倍に延ばし、「決定版」的な位置づけでの上演となった。

 初演の「娘道成寺*1はきたまりのソロダンスとしては見所のある作品ではあった。しか音楽ジャズ系の演奏家亀田真司 伊藤栄治)の生演奏を使うなど、歌舞伎の風味は薄く、木ノ下歌舞伎が標榜する「歌舞伎の現代劇化」としては若干の不満が残った。そのために当時以下のような感想を書いた。

 きたまりの「娘道成寺」はいきなり天井から吊った縄につかまってブランコのようにブラブラと揺れるところからスタートする冒頭がまず印象的。度肝を抜くインパクトがあった。その後も身体の柔軟性を十分に生かした振付でまりのダンサーとしての魅力を存分に感じさせるものであった。もっともこれはダンス作品としては面白いが、きたまりのキャラ安珍への嫉妬に狂った清姫とは見えない。あえていえば場末の曲馬団の少女を思わせる。音楽亀田真司 伊藤栄治らによるフリージャズ風の生演奏であり、オリジナルの長唄による伴奏面影はほとんどなく、こちらも「三番叟」以上に原作との関連性を考えはじめるとどこが「娘道成寺なのだろうと途方にくれる。きたまりによれば動きのいくつかのモチーフ歌舞伎の「娘道成寺」から取られたらしいが、きたまり流に変えられて分からない。共通点はどちらも女の情念の強さを感じさせるものだということぐらいで、いつ舞台に出てくるだろうかと待ち構えていた女の嫉妬心の象徴としての蛇身はついに具象的な事物としては登場しなかった。(以上、ブログ下北沢通信」の日記より)

 次の2012年の再演は音楽歌舞伎音源長唄)に変えた。ただ、その分ダンス作品として上演することの困難さは増加し、次のような感想となった。

きたまり「道成寺」は振り付け音楽を一新のほぼ新作。歌舞伎音源をそのまま使ったことで「京鹿子娘道成寺」本来の姿に近付いた。ただその分ハードルも高くまだ発展途上か。(以上、ブログ下北沢通信」の日記より)

 今回(2017年)の上演では基本的にはコンテンポラリーダンスの技法を使ったダンスでありながら、原作の歌舞伎京鹿子娘道成寺」を単にキャラクターのイメージを借りてダンス作品とするだけではなく原典と正面から対峙して現代の「娘道成寺」を体現してみせたという意味で以前に記した高い壁を見事に越えてみせた。

歌舞伎版である「京鹿子娘道成寺*2の筋立ては以下のようなものだ。

道成寺舞台とした、安珍清姫伝説の後日譚。

桜満開の紀州道成寺清姫化身だった大蛇に鐘を焼かれた道成寺は長らく女人禁制となっていた。以来寺には鐘がなかったが、ようやく奉納されることとなり、その供養が行われることになった。そこに、花子という美しい女がやってくる。聞けば白拍子だという。鐘の供養があると聞いたので拝ませてほしいという。所化(修行中の若い僧)は白拍子の美しさに、舞を舞うことを条件として烏帽子を渡し入山を許してしまう。花子は舞いながら次第に鐘に近づく。所化たちは花子が実は清姫化身だったことに気づくが時遅く、とうとう清姫は鐘の中に飛び込むと、鐘の上に大蛇が現れる。一応上のような「筋立て」ではあるが、実際にはその内容のほとんどが、構成の項で解説した主役による娘踊りで占められている。つまりこの作品の筋立ては舞踊を展開するための動機舞台を用意するための設定にすぎず、劇的な展開を期待すると作品の本質を見失ってしまう。「演者の踊りそのもの」を鑑賞するのが、この作品の要点なのだ

 歌舞伎の「京鹿子娘道成寺」は舞台で実際に何度も見ているが、全体として劇としての主題(モチーフ)楽しむというよりは、それを演じる女形歌舞伎役者それぞれの華やかさや芸を楽しむレビュー的な要素の強い演目になっている。特に最近は人気演目とあり「シネマ歌舞伎」として映像化もされている坂東玉三郎尾上菊之助による「京鹿子娘二人道成寺」に代表されるように複数の役者が競演することが多い。ショー的な要素、スペクタクル性が強調されるとともにその分、下敷きにして謡曲の「道成寺」が持っていた蛇身にも成り果てるという女の怨念のような演劇的な要素は背景に退いているきらいがある。

 きたまりの「娘道成寺」は舞台紅白の幕こそ敷かれているが舞台装置や小道具のようなものはいっさい使わずにそれこそ「身一つ」で長唄娘道成寺」に立ち向かっている。きたまりの動きは前半は非常にゆっくりとした抑えた動きで、顔の表情も基本的に能面のように無表情であったり、手で隠したり下を向いたりとあまり見えないように工夫されている。面白いのはそういう抑えた動きのところどころで主として腕から手そして指先でちょっとした「蛇身」の尻尾(というのはあくまで例えだが)を垣間見せていく。

 抑制された動きと書いたがそれは基本的には舞踏の身体メソッドの影響が感じられるものだ。ただ、きたまりは誰か単独の師匠の元に入門して修行したのではなく、 白虎社出身の由良部正美、土方巽直系の大谷燠(アートシアターdb主宰)、どちらも京都造形芸術大学教授(当時)だった山田せつ子(笠井叡門下)、岩下徹(山海塾)らにいずれも学んでいるというきわめて珍しい経歴を持っている。それゆえ、ダンサーとしてのその身体技法は舞踏の色彩が色濃いものではあるのだが、逆にいえば誰に似ているということもなくて、舞踏の流れを受け継ぎながらも、きたまり独自のものとなっている。

 この「娘道成寺」は過去の上演では即興性の強いものであったり、歌舞伎ないし日本舞踊振付の引用などを試みたりもした。それがついに行き着いた境地として振付そのものは歌舞伎舞踊の動きとはまったく異質であるが、日本舞踊の踊り手が見てさえ、長唄と一緒に動きをみていると全然「振り」が違うのにそれぞれの踊りの色合いが感じられるものとなっているということのようだ。しかも、そもそも歌舞伎舞踊では鞠や扇など小道具を使うことでそれぞれの踊りの個性の違いを見せているのが、そういうものをいっさい使わず、それを見せているのが素晴らしい。

 とはいえ、本当の意味で圧倒されるのは後半部分で見せる「睨み」である。目つきひとつ舞台空気を豹変させる場に対する支配力である。これは本当に稀有なものであって、舞台上で屹立する力というのはH・アール・カオスの白河直子が持っていたと記憶しているが、きたまりが「娘道成寺」で見せたそれとは少し方向性が違う気がする。演劇でこれを感じたのはSPACなどに出演している美加理、それから早稲田小劇場時代白石加代子。少しおおげさな物言いをしていると思う人がほとんどだと思うが、今回は評判もなかなかで再演の機会もあると思うので、そういう人はぜひきたまりの「娘道成寺」を実際に見てみて判断してほしい。

一方、2本立てのもう1本は白神ももこモモンガコンプレックス)のソロダンス作品「隅田川」だった。再演企画である「木ノ下“大”歌舞伎」ではあるが、実は「隅田川」の方は今回が初演。「娘道成寺」はこれまで男性ダンサー3人による「三番叟」との2本立てで上演されてきたが、今回は女性ソロによりともに女の情念を見せていく「狂女もの」「鬼女もの」の2本立てとなったことでプログラムとしてもすっきりしたのではないかと思う。

 

 この「隅田川」も「道成寺」と同様に謡曲をもとにしている。人買いに子をさらわれ悲嘆にくれる母親を主題としたもので、恋のあまりもの狂いになる「娘道成寺」と思いの向け方は違っていても思いの深さを考えれば、同じように重厚作風となってもおかしくない。白神はこうした観客の予測をはぐらかすようにあっからかんと冒頭の場面を展開していく。船に見立てた箱のような装置に乗って出てきて、黒子2人が箱を動かしていくのにつれて、隅田川水上バスのガイドのように浅草寺アサヒビールの「アサヒビールタワー」と「スーパードライホール」とそして今や東京でもっとも有名な東京スカイツリーと隅田川周辺の観光名所ジャズ風に編曲された「隅田川」の軽快なメロディーに乗せて次々と紹介していく。挙げ句の果てには白神は段ボール紙で作ったスカイツリーに開けた穴の部分から顔を出し笑顔さえ見せる。謡曲「隅田川」や歌舞伎の「隅田川」ものにある狂おしいまでの母の嘆きという一般的なイメージから甚だしく離れているため、「これはいったい何なんだ」と戸惑うことしきりだ。

 その後はマイクを持っての歌謡ショー仕立ての演出になる。そこまでは明るい調子が続くが、今度は歌詞にのせて1息子の梅若丸を人買いにさらわれて、必死になって探す母のことが切々と歌われる。そして、そこから先でどうやらその子が亡くなっているということが分かると、それまでのコミカルな調子から舞台は一変。白神の演技からも息子を失った母の絶望が伝わってくる。鳥になって息子のもとに一刻も早く飛んたんでいきたいということか、それとも息子がなくなり、魂が鳥のように飛んでいったということなのか。途中何度か白神は両腕を広げて羽ばたく鳥の羽のような仕草を演じるが、それはとてもせつないものを感じさせた。

 

 ただ、ダンス表現におけるきめ細かさ、密度という点ではその後に続いたきたまりの「娘道成寺」の一部の隙も無いような完成度の高さと比較すると白神の表現にはまだ天と地ほどの差があると感じたのも確かだった。

 今回の木ノ下歌舞伎は「娘道成寺」はきたまりがひとりで演出、振付、出演のすべてを担ったのに対し、「隅田川」は木ノ下裕一、杉原邦生、白神ももこの共同演出となっている。「隅田川」単独であれば最初から悩める母親を登場されて、その心情を切々と演じていくという選択肢もあったとは思う。

 白神も多くの観客が「圧倒的」と評する域に入りつつある「娘道成寺」と正面から対決したいとの思いはあったとも思うが、こちらはこれが初演ということも考えれば比較された時点で「負け戦」となることは避けられまいとの認識はあったろう。

 そういう中で白神のとぼけた持ち味を生かしながらもその中でそれだけでは終わらせずに母親の哀しみも表現してみせたという今回のやりかたはよかったのではないか。というのは1本目にこの作品だけを見た印象では「隅田川」なのに少し軽くないかと感じたのだが、2本を通して見た印象では白神の軽みもちょうどいい塩梅に感じたのだ。

 きたまりには「娘道成寺」をまだこれからも演じ続けていくことでいつかはこれを京都歌舞練場で生演奏長唄を前に演じてみたいとの野望もあるという。「隅田川」「娘道成寺」としてはこれがまだ初演。固定化された上演に固守せずに演出や演技に毎回新たな工夫を加えながらも同じ演目を演じ続けていくというのが木ノ下歌舞伎の本来あるべき姿であるとするならば今後この作品がどのように成長を遂げていくか。楽しみでならない。

娘道成寺]演出・振付・出演|きたまり(KIKIKIKIKIKI)

隅田川]共同演出|白神ももこモモンガコンプレックス

隅田川]共同演出|杉原邦生(KUNIO)

隅田川]共同演出|木ノ下裕一

隅田川振付・出演|白神ももこ

監修・補綴|木ノ下裕一

美術|杉原邦生

1002-01-04 木ノ下歌舞伎「娘道成寺」「隅田川」@こまばアゴラ劇場

[]『身一つ』の『娘道成寺』、木ノ下歌舞伎娘道成寺」「隅田川」@こまばアゴラ劇場


 歌舞伎の現代劇化を目指し活動している木ノ下歌舞伎木ノ下裕一主宰)は劇団設立10周年を記念し、昨年(2016年)から「木ノ下“大”歌舞伎」と題し、過去に好評であった同劇団の演目の連続再演企画に取り組んでいる。こまばアゴラ劇場で上演された「隅田川」「娘道成寺」(1月18日ソワレ、22日マチネ観劇)もその一環である。現代化した歌舞伎舞踊日本を代表するコンテンポラリーダンス振付家・ダンサーが製作、自ら演じるソロ作品を2本立てで上演した。

 きたまり(KIKIKIKIKIKI)の演出・振付・出演による「娘道成寺」はソロダンスとしてはまれな完成度の高さだった。コンテンポラリーダンスという表現の奥深さを見せつけた。木ノ下歌舞伎による「娘道成寺」は2008年のが初演。木ノ下歌舞伎舞踊作品の代表的な演目としてこれまで再演をするごとに演出、振付を変えて繰り返し上演されてきた。上演はこれで4回目となるが、今回は歌舞伎に使われた音楽(長唄)をほぼ全曲まるごと使用。上演時間もこれまでの30分から60分と倍に延ばし、「決定版」的な位置づけでの上演となった。

 初演の「娘道成寺*1はきたまりのソロダンスとしては見所のある作品ではあった。しか音楽ジャズ系の演奏家亀田真司 伊藤栄治)の生演奏を使うなど、歌舞伎の風味は薄く、木ノ下歌舞伎が標榜する「歌舞伎の現代劇化」としては若干の不満が残った。そのために当時以下のような感想を書いた。

 きたまりの「娘道成寺」はいきなり天井から吊った縄につかまってブランコのようにブラブラと揺れるところからスタートする冒頭がまず印象的。度肝を抜くインパクトがあった。その後も身体の柔軟性を十分に生かした振付でまりのダンサーとしての魅力を存分に感じさせるものであった。もっともこれはダンス作品としては面白いが、きたまりのキャラ安珍への嫉妬に狂った清姫とは見えない。あえていえば場末の曲馬団の少女を思わせる。音楽亀田真司 伊藤栄治らによるフリージャズ風の生演奏であり、オリジナルの長唄による伴奏面影はほとんどなく、こちらも「三番叟」以上に原作との関連性を考えはじめるとどこが「娘道成寺なのだろうと途方にくれる。きたまりによれば動きのいくつかのモチーフ歌舞伎の「娘道成寺」から取られたらしいが、きたまり流に変えられて分からない。共通点はどちらも女の情念の強さを感じさせるものだということぐらいで、いつ舞台に出てくるだろうかと待ち構えていた女の嫉妬心の象徴としての蛇身はついに具象的な事物としては登場しなかった。(以上、ブログ下北沢通信」の日記より)

 次の2012年の再演は音楽歌舞伎音源長唄)に変えた。ただ、その分ダンス作品として上演することの困難さは増加し、次のような感想となった。

きたまり「道成寺」は振り付け音楽を一新のほぼ新作。歌舞伎音源をそのまま使ったことで「京鹿子娘道成寺」本来の姿に近付いた。ただその分ハードルも高くまだ発展途上か。(以上、ブログ下北沢通信」の日記より)

 今回(2017年)の上演では基本的にはコンテンポラリーダンスの技法を使ったダンスでありながら、原作の歌舞伎京鹿子娘道成寺」を単にキャラクターのイメージを借りてダンス作品とするだけではなく原典と正面から対峙して現代の「娘道成寺」を体現してみせたという意味で以前に記した高い壁を見事に越えてみせた。

歌舞伎版である「京鹿子娘道成寺*2の筋立ては以下のようなものだ。

道成寺舞台とした、安珍清姫伝説の後日譚。

桜満開の紀州道成寺清姫化身だった大蛇に鐘を焼かれた道成寺は長らく女人禁制となっていた。以来寺には鐘がなかったが、ようやく奉納されることとなり、その供養が行われることになった。そこに、花子という美しい女がやってくる。聞けば白拍子だという。鐘の供養があると聞いたので拝ませてほしいという。所化(修行中の若い僧)は白拍子の美しさに、舞を舞うことを条件として烏帽子を渡し入山を許してしまう。花子は舞いながら次第に鐘に近づく。所化たちは花子が実は清姫化身だったことに気づくが時遅く、とうとう清姫は鐘の中に飛び込むと、鐘の上に大蛇が現れる。一応上のような「筋立て」ではあるが、実際にはその内容のほとんどが、構成の項で解説した主役による娘踊りで占められている。つまりこの作品の筋立ては舞踊を展開するための動機舞台を用意するための設定にすぎず、劇的な展開を期待すると作品の本質を見失ってしまう。「演者の踊りそのもの」を鑑賞するのが、この作品の要点なのだ

 歌舞伎の「京鹿子娘道成寺」は舞台で実際に何度も見ているが、全体として劇としての主題(モチーフ)楽しむというよりは、それを演じる女形歌舞伎役者それぞれの華やかさや芸を楽しむレビュー的な要素の強い演目になっている。特に最近は人気演目とあり「シネマ歌舞伎」として映像化もされている坂東玉三郎尾上菊之助による「京鹿子娘二人道成寺」に代表されるように複数の役者が競演することが多い。ショー的な要素、スペクタクル性が強調されるとともにその分、下敷きにして謡曲の「道成寺」が持っていた蛇身にも成り果てるという女の怨念のような演劇的な要素は背景に退いているきらいがある。

 きたまりの「娘道成寺」は舞台紅白の幕こそ敷かれているが舞台装置や小道具のようなものはいっさい使わずにそれこそ「身一つ」で長唄娘道成寺」に立ち向かっている。きたまりの動きは前半は非常にゆっくりとした抑えた動きで、顔の表情も基本的に能面のように無表情であったり、手で隠したり下を向いたりとあまり見えないように工夫されている。面白いのはそういう抑えた動きのところどころで主として腕から手そして指先でちょっとした「蛇身」の尻尾(というのはあくまで例えだが)を垣間見せていく。

 抑制された動きと書いたがそれは基本的には舞踏の身体メソッドの影響が感じられるものだ。ただ、きたまりは誰か単独の師匠の元に入門して修行したのではなく、 白虎社出身の由良部正美、土方巽直系の大谷燠(アートシアターdb主宰)、どちらも京都造形芸術大学教授(当時)だった山田せつ子(笠井叡門下)、岩下徹(山海塾)らにいずれも学んでいるというきわめて珍しい経歴を持っている。それゆえ、ダンサーとしてのその身体技法は舞踏の色彩が色濃いものではあるのだが、逆にいえば誰に似ているということもなくて、舞踏の流れを受け継ぎながらも、きたまり独自のものとなっている。

 この「娘道成寺」は過去の上演では即興性の強いものであったり、歌舞伎ないし日本舞踊振付の引用などを試みたりもした。それがついに行き着いた境地として振付そのものは歌舞伎舞踊の動きとはまったく異質であるが、日本舞踊の踊り手が見てさえ、長唄と一緒に動きをみていると全然「振り」が違うのにそれぞれの踊りの色合いが感じられるものとなっているということのようだ。しかも、そもそも歌舞伎舞踊では鞠や扇など小道具を使うことでそれぞれの踊りの個性の違いを見せているのが、そういうものをいっさい使わず、それを見せているのが素晴らしい。

 とはいえ、本当の意味で圧倒されるのは後半部分で見せる「睨み」である。目つきひとつ舞台空気を豹変させる場に対する支配力である。これは本当に稀有なものであって、舞台上で屹立する力というのはH・アール・カオスの白河直子が持っていたと記憶しているが、きたまりが「娘道成寺」で見せたそれとは少し方向性が違う気がする。演劇でこれを感じたのはSPACなどに出演している美加理、それから早稲田小劇場時代白石加代子。少しおおげさな物言いをしていると思う人がほとんどだと思うが、今回は評判もなかなかで再演の機会もあると思うので、そういう人はぜひきたまりの「娘道成寺」を実際に見てみて判断してほしい。

一方、2本立てのもう1本は白神ももこモモンガコンプレックス)のソロダンス作品「隅田川」だった。再演企画である「木ノ下“大”歌舞伎」ではあるが、実は「隅田川」の方は今回が初演。「娘道成寺」はこれまで男性ダンサー3人による「三番叟」との2本立てで上演されてきたが、今回は女性ソロによりともに女の情念を見せていく「狂女もの」「鬼女もの」の2本立てとなったことでプログラムとしてもすっきりしたのではないかと思う。

 

 この「隅田川」も「道成寺」と同様に謡曲をもとにしている。人買いに子をさらわれ悲嘆にくれる母親を主題としたもので、恋のあまりもの狂いになる「娘道成寺」と思いの向け方は違っていても思いの深さを考えれば、同じように重厚作風となってもおかしくない。白神はこうした観客の予測をはぐらかすようにあっからかんと冒頭の場面を展開していく。船に見立てた箱のような装置に乗って出てきて、黒子2人が箱を動かしていくのにつれて、隅田川水上バスのガイドのように浅草寺アサヒビールの「アサヒビールタワー」と「スーパードライホール」とそして今や東京でもっとも有名な東京スカイツリーと隅田川周辺の観光名所ジャズ風に編曲された「隅田川」の軽快なメロディーに乗せて次々と紹介していく。挙げ句の果てには白神は段ボール紙で作ったスカイツリーに開けた穴の部分から顔を出し笑顔さえ見せる。謡曲「隅田川」や歌舞伎の「隅田川」ものにある狂おしいまでの母の嘆きという一般的なイメージから甚だしく離れているため、「これはいったい何なんだ」と戸惑うことしきりだ。

 その後はマイクを持っての歌謡ショー仕立ての演出になる。そこまでは明るい調子が続くが、今度は歌詞にのせて1息子の梅若丸を人買いにさらわれて、必死になって探す母のことが切々と歌われる。そして、そこから先でどうやらその子が亡くなっているということが分かると、それまでのコミカルな調子から舞台は一変。白神の演技からも息子を失った母の絶望が伝わってくる。鳥になって息子のもとに一刻も早く飛んたんでいきたいということか、それとも息子がなくなり、魂が鳥のように飛んでいったということなのか。途中何度か白神は両腕を広げて羽ばたく鳥の羽のような仕草を演じるが、それはとてもせつないものを感じさせた。

 

 ただ、ダンス表現におけるきめ細かさ、密度という点ではその後に続いたきたまりの「娘道成寺」の一部の隙も無いような完成度の高さと比較すると白神の表現にはまだ天と地ほどの差があると感じたのも確かだった。

 今回の木ノ下歌舞伎は「娘道成寺」はきたまりがひとりで演出、振付、出演のすべてを担ったのに対し、「隅田川」は木ノ下裕一、杉原邦生、白神ももこの共同演出となっている。「隅田川」単独であれば最初から悩める母親を登場されて、その心情を切々と演じていくという選択肢もあったとは思う。

 白神も多くの観客が「圧倒的」と評する域に入りつつある「娘道成寺」と正面から対決したいとの思いはあったとも思うが、こちらはこれが初演ということも考えれば比較された時点で「負け戦」となることは避けられまいとの認識はあったろう。

 そういう中で白神のとぼけた持ち味を生かしながらもその中でそれだけでは終わらせずに母親の哀しみも表現してみせたという今回のやりかたはよかったのではないか。というのは1本目にこの作品だけを見た印象では「隅田川」なのに少し軽くないかと感じたのだが、2本を通して見た印象では白神の軽みもちょうどいい塩梅に感じたのだ。

 きたまりには「娘道成寺」をまだこれからも演じ続けていくことでいつかはこれを京都歌舞練場で生演奏長唄を前に演じてみたいとの野望もあるという。「隅田川」「娘道成寺」としてはこれがまだ初演。固定化された上演に固守せずに演出や演技に毎回新たな工夫を加えながらも同じ演目を演じ続けていくというのが木ノ下歌舞伎の本来あるべき姿であるとするならば今後この作品がどのように成長を遂げていくか。楽しみでならない。

娘道成寺]演出・振付・出演|きたまり(KIKIKIKIKIKI)

隅田川]共同演出|白神ももこモモンガコンプレックス

隅田川]共同演出|杉原邦生(KUNIO)

隅田川]共同演出|木ノ下裕一

隅田川振付・出演|白神ももこ

監修・補綴|木ノ下裕一

美術|杉原邦生

1002-01-03 東京五輪座談会

[]2020東京五輪開会式座談会

野田 今の日本はこういうものだよとアピールするというのは今までの流れでもあるし、当然それはやるだろうと思うのですが、どういう日本を見せようとするのか。そこのところが問題だと思う。「クール・ジャパンという言葉は嫌がるかもしれないけれども」という風におっしゃったけれども、クール・ジャパンでもいいんですけど、逆にあれはまさに政策の一部にもなってしまっているし、ある意味海外の人が一番知っているのはアニメであったり、そういうものなんじゃないかと我々も思っているわけですよね。昨日も紛争地域演劇の2本目の「ジハード」のところで最後に作家さんとスカイプをつないでポストパフォーマンストークがあったのですが、その時にベルギージハードに加わるという登場人物のうちの一人がもともとは日本漫画アニメを見て絵を描いていたのだけれど、教義上、絵を描くのはけしからんということになって、それである意味人生の目標を失ってしまったというような人が出てくるわけなんです。それで自分の戯曲日本でリーディングだけれど上演してもらって嬉しかったというところで、アニメというのがそれのつなぎ目になっているというようなことを作家さんが強調してらした。そういう意味ではアニメが入るというのはむしろいいことなのかもしれないとも思う。ただ、政策的な形での日本、こういうのを今売りたいんですというのは当然そうならざるをえないんだろうけれど、何かそれにそのまま乗っからないタイプの芸術家が欲しいよねというのが、私は常にある。それこそベルンハルト的な国のプロパガンダマシンに組み込まれてしまう元前衛芸術家なんかは糞くらえみたいな意識なのかもしれないけれど、飴屋(法水)さんだったらそれをやってくれるんじゃないかという気がどこかしちゃうんです。

 坂口 必ずしも外国が知っている日本をやる必要はないですよね。

 中西 それはそうだけど……。

 坂口 この間のリオだってブラジル歴史をやってはいたけれど、かならずしもブラジルのイメージとはして知られているようなものではなかったのではないか。演出家にはむしろ何を外国に見せたいのかということがちゃんとわかる人がいい。日本のイメージとしてこういうのが受けているとかはいらないんじゃないか。

 中西 別に外国で受けているからということではない。それは順番が逆であって、アニメ芸術分野の中でクオリティー的に優れているかどうかという問題は外国で受けているからとかそういうのとは関係ないのではないか。 

 野田 いいアニメはたくさんありますよ。いい漫画もたくさんある。

 中西 だから、外国で受けているものはだめで、日本として見せたいものは別にあるというような考え方はおかしいと思います。

 野田 外国に見せたいというか、あまりにも政策的に取り込まれてしまったクール・ジャパン信仰というのが嫌なんですよ。

 中西 でも、何をもってクール・ジャパンと言っているのかがよく分からないというのが最大の問題点で、別にそんなものがあろうがなかろうが、おそらく宮崎駿は海外でも評価されていたと思うし、初音ミクもたぶんそうだと思うんです。

 野田 それはもちろんそうなんですが、そういうことになっちゃうと何かこう……僕がすぐ思いついてしまうのは歌舞伎見せるでしょ。それからアニメ漫画見せるでしょ。そうなるとじゃあ「ONE PIECE歌舞伎」見せればいいじゃんということになってしまうわけだ。それで途中でたくさん出てくる人たちは太鼓叩くんだろうな。そしてそこにプロジェクションマッピングがおりてきて。それじゃあ、もう読めちゃうじゃない。

 坂口 だから日本の人も驚くようなものが見たい。

 中西 初音ミクの名前を前に出しましたが、それは海外で流行っているからというのではなく、そういうような意味もこめて出しました。ある世代の人に限られているかもしれないけれど初音ミクがなぜここまで受け入れられたのかというと、日本の伝統に即しているからだと思うんです。 

 坂口 どこの伝統ですか?

 中西 歌舞伎、あるいは一番近いのは人形浄瑠璃です。ああいう傀儡とか無生物的なものに何かがやどっているように重ねて、そこに何かを見るというのが日本人の心性には伝統的に刷り込みとしてある。

 野田 えー、そこまで言うのはどうかなあ。

 中西 少なくとも冨田勲さんはそういう風に思って初音ミクについての仕事を始めたわけです。

 野田 人形浄瑠璃と重ねてそれを日本伝統芸能と関係づけるのはどうだろうか。歌舞伎も確かに文楽から人形ぶりを含めていろんなものを取り入れたというのはあるけれど……。

 中西 もうひとつ言えば平田オリザのロボット演劇もそういう伝統につながるものだと思います。

 藤原 日本的なものということですか……。

 野田 確かに彼も人形劇だと言ってはいますが。

 中西 初音ミクは最新のテクノロジーも使ってはいるけれど構造的には人形浄瑠璃とそんなに変わらないし、基本的に同構造だと言っているわけです。

 坂口 そう言われれば人形浄瑠璃もテクノロジーとしては凄いと思うけど。でも人形浄瑠璃のすごいところは人形を遣うのだけど、その遣う方のテクニックがすごいんじゃないですか。

 中西 それを言うんだったら初音ミクにかかわっているプログラマーだってすごいわけです。あれがここまで受け入れられるようになったのは最初の頃と比べるとムーブメントにしても音声調教にしてもすごい技術です。

 坂口 でも文楽の場合は初音ミクのように対象を見ているんじゃなくて、文楽人形遣いを見てすごいと思うように初音ミクを見てプログラマーがすごいと見ているわけですか。

 中西 そういう人もいると思います。特に自分も作り手の人はそうじゃないかと思います。

 野田 でもやっぱり分かっていなくちゃならないのは人形遣いに注目が集まってしまうような人形遣いはいい人形遣いではないということ。

 中西 この間、初音ミク主演のバレエの作品「ドクター・コッペリウス」が作られたのだけれど、NHKのドキュメンタリーによればモーションキャプチャーでやっていました。バレエダンサーが身体じゅうにセンサーを着けて踊るとそれがそのままミクの動きがそれと同期するようにスクリーンに映写されるようなプログラムを組んで映像化するという仕組みです。

 野田 例えば国歌独唱をやるにしても開会式でそれをやるとなったらすごく日本的といえる人がいいんだと思うのだけれど、しかし例えば米国ビヨンセが歌うとか、レディー・ガガが歌うというのなら「それはありだな」と言えるかもしれないが、日本でじゃあ誰だったら「いいよ」ということになるのか。民謡の人がいいのか、細川たかしがいいのか。

 中西 選ぶ基準にそのままはならないかもしれないけれど、Googleが世界中の国のそれぞれの国を代表するアーティストを使ってCMを作ったことがある。その時、日本の代表は誰かと考えたのだけどいなかったから、初音ミクだという話になったという過去の事例はありました。

 野田 そういう意味では私も日本を代表する歌手というので演歌やJポップかソウルかというのは、あるいはそれが桑田佳祐であってもそれは嫌だなと思う。

 坂口 逆に誰も知らない無名の人でもいいかもしれない。

 野田 むしろ、子供……でもそれはもう北京でやってしまっている。口パクだったのが問題になったけれども。

 坂口 やはり既成の歌手じゃない方がいいのかも。 

 藤原 和田アキ子は何回か君が代歌っている。東京ドームでも歌っていた。

 野田 和田アキ子歌唱力昔と比べると落ちてないかな。

 中西 そういう問題ではないのでは。 

 野田 でもいずれにしてもソウルゴスペル系だよね。

 藤原 それが受けがいいじゃないかと思うんだけど。リズムブルースの精神を日本人が体現して世界に向けて歌うという感じでは和田アキ子は適任だと思うけど。

 中西 でも単純に歌で表現するというだけだったら椎名林檎が適任じゃないかと思いますが……。

 藤原 まだ宇多田ヒカルは大丈夫ですよ。最近アルバムで盛り返しているじゃないですか。

 野田 宇多田ヒカル椎名林檎にするか、それとも子供に歌ってもらうか。もしくは初音ミクにするか。

 坂口 初音ミク系統だったら相対性理論というのもありますが。

 藤原 相対性理論ってまだ健在なんですか。

 中西 もちろん、今もやっていますよ。ただ、音楽としてやくしまる(えつこ)さんのことは嫌いじゃないですけれど、彼女を選ぶ特別な理由もないと思いますが……。

 坂口 だから特別なことがない人がいいと思うんだけど。

 野田 これってもっと大きな問題にリンクしてくるんですよ。結局、日本の文化や伝統といったものを開会式のアーティスティックプログラムにいれて各国に紹介したり、アピールしたりするというのがある。じゃあ、どういう日本を売ってほしいのか。もしくは見せてほしいのかといったときに当然のことながら千差万別ですよね。千差万別のところで絶頂期の和田アキ子ゴスペル調でもなければ、都はるみ、あるいは生きていた時の美空ひばりのタイプでもない。じゃあ、どういうのってなった時にむしろ色がない方がいいよね。そしてなかつ日本の記号がついているのっていうことになると初音ミクというのもあるかも。だけど、どういう日本を売ってほしいのということになった時にこういう曖昧な日本、落とし込まれてしまう日本、神主みたいな恰好をしている巫女みたいな恰好をしている、それが聖火に伊藤みどりが火をつけてなんなんだろうあの衣装はという風に浅利圭太さんの時にも言われたじゃないですか。何だか知らないけれど無理やり日本的なイメージをそれこそ「歌舞伎版ジーザス・クライスト・スーパースター」のイメージでぶっこんでませんかというような形でね。そんな文句をつけられるぐらいだったら個人的に突出した前衛芸術家ビジョンをこうなんだよとして言ってくれた方がいいのかなと思っているという点では飴屋法水なんです。

 坂口 飴屋さんだったら日本人がびっくりするようなものを出してくれると思う。

 野田 日本人がびっくりするような日本を出してくれる、いわばアートとしてのコンセプトを実現してくれる人、これが理想なんですよ。

 中西 ちょっとよく分からないんですけど。おっしゃってることがまったく。

 坂口 既成のものを積み上げるというのはだめということですよ。

 中西 いや、字づらは分かるんですが、既成じゃないものというのは何ですか。

 野田 それはないんだけど、その期待感が欲しい。結局は先ほども言ったけど「ONE PIECE歌舞伎」のようになってしまうのが嫌なんです。いや「ONE PIECE歌舞伎」が悪いと言っているんじゃなくて、それはいいんですよ。ただ、開会式で「ONE PIECE歌舞伎」のようなものをプロジェクションマッピングと組み合わせてやって面白いのかというとそうは言えない私がいるわけです。開会式でのアーティストプログラムの演目としては「歌舞伎もあるだろ。アニメもあるだろ。どうだ」と言われても「うーん」となっちゃう。

 坂口 日本と言われてパッケージされたものがいくつか出てきたとしても面白くないし、実際それが日本かと言われたら日本の生活の中にそれほどあるわけではない。

 中西 うーん。それはある人もあるし、人によるのでは。例えば今年ヒットしたいろんな記録を塗り替えた映画にしてもアニメーション、あるいは「シン・ゴジラ」ですよね

 野田 「君の名は。」ねえ。「君の名は。」の神楽の部分とかは入ってほしいなとも思うけど。でもやっぱり……。

 藤原 それは心配しなくても入りますよ。

 野田 「君の名は。」は見たよ。思ってたよりよかった。東宝ですか。

 中西 東宝というよりは僕はもう個人的には引き受けてくれるものならば庵野さんが適任であるうちのひとりかなとは思っているけれど、ただ、「エヴァンゲリオン」も作れないのにそんなことを引き受けるなという声は当然出てくると思う。ただ「エヴァ」と「ゴジラ」の2つを持っているから、国際的な知名度は高い。それに庵野さんは実写も撮るし、「ゴジラ」とかは自分でやったみたいだけど丸投げもできる人でもある。

 野田 丸投げもできるからというのはどういう意味? 誰がどこに丸投げするの?

 中西 身体表現とか人間が出てやるところの振り付けとか演出が必要な場合はそれができる人。つまり、専門家である演出家に投げるというか、まかせることができる人だと思うわけ。ここをこういう風にやってくれと絵コンテのようなものでイメージを伝える、あるいはデザインだけを描いたうえで、細部についてはそれを担当するアーティストにまかせる。

 野田 確かにそういうのは得意かもしれない。

 中西 映画はたぶんそうやって作っているはずですから。

 藤原 人にまかせていくタイプの人ということですね。

 中西 同じアニメーション作家でも「君の名は。」の新海誠監督などは最初に作った「ほしのこえ」などは監督・脚本・演出・作画・美術・編集など、ほとんどの作業を自分1人で行ったようにすべてを自分ですみずみまで手掛けないと気が済まないタイプ。ジブリ宮崎駿さんも出来上がってきた絵を1枚1枚自らチェックして直させるというように全部自分の美学で統一されていないと納得できないタイプだと思います。どちらがアーティストかといったらその2人の方がアーティストなのかもしれないけれど、こういうイベント的な要素の強いものをつかさどる能力は庵野さんの方があると思います。ただ、ダメ状態になると本当にダメみたいなんでそういうリスクはあり、日本の大事を任せられる人なのかという問題はあるわけですが(笑)。

 坂口 それでだめだめになってもいいんじゃないの。

 中西 ゴジラが出てきて大暴れして、次にエヴァが出てきて「ここまでしかできなかった」とバンと出て突然終わるとか(笑)。

 野田 私がどうしても気になるのは特にエヴァンゲリオンにかかわる庵野さんなんだけれども、セクシャリティフェティッシュ、つまり性的にくすぐる部分があって……それが気になる。

 藤原 「シン・ゴジラ」にはそういうのはないけど。

 野田 確かに「シン・ゴジラ」にはないけど。

 中西 それは難しいですよね。リオ五輪の閉会式の東京側パフォーマンスで女子高生制服渋谷の街を歩いているところから始まったことに対して批判があったじゃないですか。でもあれは本当に高校生の体操選手でだから制服を着ているだけで……。

 坂口 それはそうなんだけれどやはり女子高生出すということが問題なのではないかと思う。

 中西 でもコスプレさせたとかいうのなら問題だけれど普段あの格好なわけですよね。

 野田 厳しいところは当然児童ポルノのような感性でやっていると見るでしょうね。そこがうるさいからねえ、世界は。庵野さんは割とそれがある。

 中西 そんなことを言い出したら宮崎駿の方がやばいじゃないですか。

 野田 そうね。

 藤原 ある意味、完全にロリだものなあ。

 中西 そういうことを攻撃される前に巨匠になってしまったので、そこにあえて突っ込む人はいませんが、誰一人として「ロリでない」と否定できる人はいないと思いますが、でもそういうことと作品の芸術的価値の評価というのは関係ないのじゃないですか。

 野田 むしろ性的なくすぐりが効いたということですかね。

 中西 ここで話すことでもないですけど、現代美術作家会田誠さんているじゃないですか。妻に見せたらこういうのは許せないとかぶつぶつ言っているわけです。それでその後にすぐ彼女が以前から割と好きなルノワールの絵を見せてルノワール会田誠とどこが違うんだと聞いたんです。ロリだというならどちらもロリじゃないかと。

 坂口 ルノワールの絵はでっぷりしてますよ。

 中西 でも少女の絵をどちらも描いてますよね。

 野田 でもあれが当時はセクシーだったんだよ。

 中西 だから、そういうことで非難したりすること自体がバカバカしいということなんです。

 野田 今の視点から言っても昔の視点から言ってもルノワールキッチュとして切ってしまうことは可能かもしれない。僕自身ルノワールをあまり好きではないということもあるけれど、そういう意味では庵野さんの作品にも俗悪という意味でのキッチュ性は認められるだろうと思う。

 中西 でもだからこそある種の大衆性を持つということもあるのではないでしょうか。

 野田 ハイアートとそれに対するロウアートというかサブカル的なアートメインストリームとそれに対するカウンターカルチャーとが拮抗しているようなところでないとそういう言語は表れてこない。日本にはそれがない。例えば何らかの知的スノッビズムが成立するような環境があるかといったら日本にはない。みんなキッチュいいじゃないということで、ほとんどの人はそれがもともとは俗悪だという意味は知らない。ならばこういうアーツ環境が成立しているということはいいことなんですか、悪いことなんですかといえばそれはいいところも悪いところもある。そういうところも含めてハイカルチャーとしての日本を売るとして何があるのか。歌舞伎なのか、能狂言神楽をやるのということになるよね。東儀さんとかに曲を書いてもらって笙とかを演奏してとか。そういうのばかり見せたいですかといわれたら「ウーン」てことになるよね。そうじゃない部分を日本が今売ろうとしているというのがたぶん「クール・ジャパン」の方じゃないかと思う。そちらの方はお茶であったり、歌舞伎であったりとかではない日本。もっといえばキッチュな部分を多分に含んでいる。そういうところを売りたい。実際に売れてるしね。

 中西 でも「クール・ジャパン」って経産省の分類では伝統工芸とか、伝統芸能も入ってしまっていますよね。本来は違うと思いますが。

 野田 日本が自分の文化を周囲に示したいという時に感じる葛藤がそれなんだと思う。ハイカル、ローカルみたいに両方あるんですよという風に見せるのは簡単。ただ、何かそういう風になっちゃうと行き着く先は先ほどから何度も言ってるようにプロジェクションマッピングの中で演じられる「ONEPIECE 歌舞伎」なんですよ。そしてそれは何か嫌だなと思ってしまうわけです。

 藤原 分けるだろうけどね。歌舞伎と「ONEPIECE」は。それは分けて何でもありの日本を多分見せていくんだと思う。先ほどのことを考えても、日本には別に中心というものはないわけですから。その中心のなさというペラペラ感を見せるのに一番いいのは初音ミクなんじゃないかと聞いてて思った。そういう意味での日本を海外にアピールしていく。何もない空虚な森、中心の不在というのを出すなら初音ミクでいい。

 野田 ロラン・バルトの「記号の国」ですね。

 中西 初音ミク自体もそういう方向に向かってるといえる。パソコンの中だけのバーチャルアイドルというようなものから、まずオペラ「THE END」が作られパリでも公演した。 

 野田 あれは岡田利規が俺の作品じゃないと言っているけどね。

 中西 でもあれはもう岡田さんの作品だと思っている人は少ない。渋谷慶一郎の作品でしょう。

 野田 うちのカミさんは岡田利規が好きだったのでわざわざパリまで行ったんだけどね。

 中西 その後、冨田勲初音ミクを起用し宮沢賢治モチーフにした「イーハトーヴ交響曲」をつくりました。これは中国でも上演され好評を得ています。おそらく、冨田勲の死後作られたバレエ作品は追悼公演ということもあり、感動はしたのだけれど、バレエ作品として素晴らしかったのかと聞かれれば少し疑問も残るのですが、多分再演もするので作り直してクオリティーを上げていくとは思うのですが、舞台芸術とのマッチングはよい。生では見られなかったけど「ニコニコ歌舞伎」として中村獅童初音ミクと一緒に歌舞伎をやったのですが、これも映像で見る限りはけっこうおもしろく、予想以上によい出来栄えでした。

 野田 そうかー、やっぱり獅童初音ミクかあ。もしくは猿之助初音ミクか。そうなったら猿之助芸術監督かなあ。

 坂口 別に日本のショーケースである必要はないのではないでしょうか。

 野田 多様な日本を見せたいと言ってもそうなってくるとけっこう両極端を見せてとなると先ほどから何度も言ってるけれどプロジェクションマッピングの中で演じられる「ONEPIECE 歌舞伎」になってしまう。

 中西 「ONEPIECE 歌舞伎」とこの前やったライゾマティクスのアートパフォーマンスではだいぶ違うと思うのだけれど。

 坂口 ロンドンにしても、リオにしても別に文化の紹介じゃあなかったよ。国の紹介。日本の紹介なんだけれど、その国のアーティストの紹介ではない。

 中西 でもロンドンの時はポール・マッカートニーは出てきた。後、エルトン・ジョンとか。

 坂口 でもそれはそこら辺の人は出してもいいのだけれどそれだけじゃなくて他はもっと英国の紹介みたいだった。

 野田 ダニー・ボイドの時にはシェイクスピアの「テンペスト」というか、「夢の島」という枠組みはあった。

 中西 それはコンセプターの部分ですが実際に何を出したかといえば007も女王陛下自らというか人形でしたが登場したわけですよね。

 野田 問題は4年後に開会式に陛下が出られるのかというのもある。まだ平成だと思うんですよ。でも出席できるのかどうか。それこそ「不在の帝国」になるよ。

 藤原 いないでしょうね。一応、平成30年で退位するというようなことになっているみたいですし。ぎりぎりいらっしゃらないですよね。2020年となると平成31年ということになりますから。

 中西 それはいてもいなくても(今の)皇太子がやることになるとは思いますよ。健康をおもんばかってとかそういう理由で。

 野田 それじゃあ内容に戻りますが、新日本風土記みたいになるのかな。それとも遠野物語みたいになるのか。

 坂口 日本の紹介といったときに何を紹介するのかはちゃんと考えないといけない。

 中西 歴史的な文化とかそういうものになるんじゃないでしょうか。

 野田 そうなるとアイヌの人と琉球の人はかならず出てくるだろう。

 中西 「源氏物語」の世界とか、中国との交流の歴史なんかは出てくるんじゃないですかね。

 藤原 「源氏物語」なら高畑勲さんにやってもらいたいよね。 

 中西 あまりリアル歴史はやらないと思うんですね。太平洋戦争とか原爆のこととかどうしたらいいのか問題になるのは避けたいでしょうから。わざわざ自分から地雷を踏みにいくようなことはしない方が無難でしょうから。 

  野田 それは基本的にやっちゃあいけないことだろうからねえ。

  中西 だから、歴史というよりは風土とかの紹介になるんじゃないでしょうか。日本四季とか。だから、大陸から渡ってきたとか、縄文時代弥生時代がありましたみたいなことはイメージ的にやるかもしれないけれど、でもそれもやる必要がないような気がします。だから、歴史というよりは風土とかの紹介とかをやうのではないか。

 野田 最終的にはどういった日本を開会式の場で全世界の人に我々は見てもらいたいのか、発信してほしいのかという話だよね。やはり、多様性……。

 藤原 多様性というか雑多で何でもありの日本ってなるんじゃないですかね。

  中西 歴史というよりはいわゆる古いものとハイテクノロジーの最先端のものが無造作に共存しているというようなことじゃないでしょうか。

 藤原 柔軟性のある日本。大きな懐の深い日本でしょうか。

 中西 よくも悪くも何でもありの日本

 野田 秋葉原からちょっと行けば新橋って感じかなあ。

 藤原 サラリーマンがいて、オタクがいて、後、渋谷もあってというような。

 野田 渋谷は出てくるだろうな。

 藤原 渋谷女子高生もあってもいいし、歌舞伎もあるしという。

 野田 ただ、それを1本にまとめるとなうとやはりストーリー(物語)がいるよね。

 中西 だから、コンセプターが必要ななんじゃないかと思うんです。だれか全体のコンセプトを決めてそれを割り振らないと本当にカオスになってしまう。

 野田 それを飴屋(法水)さんにやってもらいたいんだけどなあ。

 中西 ここで言っていいことかどうか分からないんですが、ある高名な演劇評論家がトークショーで二階堂瞳子さんを五輪開会式の演出家の候補に挙げていました。

 野田 二階堂さんって誰?

 中西 革命アイドル暴走ちゃんという集団の主宰者です。

 藤原 その評論家というのは誰のこと?

 中西 内野儀さんです。より、正確に言うと内野さんが二階堂さんの名前を自分で言い出したわけではなくて、対談相手の佐々木敦さんが内野さんが以前、二階堂さんの名前を五輪開会式の演出家の候補として言及したことを披歴したのですが。

 坂口 それは受けてもらえば面白いと思うよ。

 藤原 そういう意味では雑多な日本をなんとかやるんでしょうね。二階堂さんなら。

 野田 そうなるとサラリーマンが出てくるなら(振付は)近藤良平さんでいい気がする。

 坂口 その辺はどうなんだろうなあ。

 藤原 それがそういう風になんでもありな日本というのがある意味その通りなんだろうけれど、でもやっぱりそれを受け入れられない日本国民ってけっこういると思う。

 中西 日本国民というよりはたぶん日本政府が受け入れないだろうなとは思います。

 藤原 そうかなあ。

 野田 今の日本政府がということだね。さらに言えば今の日本会議系の人々がね。

 藤原 そういう層も含めて反発する層もかなりいるんじゃないかと思うわけです。そういう人たちはやはり伝統とか文化を出したいんだろう。

 中西 だから両方出せばいいのかなと思うんです。

 野田 それだと「ONE PIECE歌舞伎」になっちゃうじゃないの。

 中西 別に一緒に出さなくてもコーナーを分けて考えればいい。でも一緒に出す方法もあるんですよ。先ほど言った「初音ミク歌舞伎」とか。

 坂口 いわゆる伝統というのはまったくなくてもいいと思うんだけどね。

 中西 そうですね。ただ音楽和楽器的なものは何らかの形で出てくるとは思いますよ。特に打楽器

 野田 太鼓は絶対出てくると思う。

 坂口 出てくるとは思うんだけれども、出さなくてもいいんじゃないかな。

 野田 何だか知らないけれど輪島あたりの御陣乗太鼓に竿燈もしくはねぶた。ここら辺は出そうな気がする。仙台七夕はどうしようもないからなあ。

 坂口 盆踊りにしちゃうのかなあ、全部。

 野田 踊りは阿波踊りだよ。そうなると無茶苦茶になっちゃう。

 中西 お祭り的なものを出すならここの人は誰も知らないかもしれませんがももクロももいろクローバーZ)の演出を手掛けた佐々木敦規を推します。夏に日産スタジアムに6万人集めておこなわれるももクロのライブ「桃神祭」で日本全国から10ぐらいのお祭りの人たち数百人を集めて非常に巨大なそれまで見たことがないような祝祭空間を作り上げました。

 野田 それって結局よさこいになっちゃうんじゃないか。よさこいは嫌なんだよ。

 藤原 近藤良平にカッコいいよさこいを作ってもらえばいいんじゃないですか。

 中西 コンテンポラリーダンスを見慣れた目線で見るとよさこいはどうしてもダサく見えますよ。まあ、いろんな見方があるから、それをカッコいいとしている人もあるのも認めるけど。特定の集団のことを言うのはなんだけれど、EXILEなんかにも似たような空気を感じるということはあります。

 野田 マスパフォーマンスで私が恐れているのは総よさこい化してしまうんじゃないかということで、それなら須藤元気がやっているWORLD ORDERワールド・オーダー)の方がいいんじゃないか。

 藤原 一世風靡とかも昔やっていたでしょう。スーツとか着てああいう形でまたやるという手はあると思うけど。

 野田 アヤバンビとかならまだいいけどよさこいは駄目だ。WORLD ORDERとアヤバンビというのはどうだろう。でも組み合わせ的に無理かなあ。

 中西 そこまで言いだすならピコ太郎はどうですか(笑)。

 藤原 ピコ太郎ねえ。

 中西 東京五輪の時にはもう忘れられてかもしれませんが。

 藤原 芸人とかの可能性はないですかね。そう考えたら。

 中西 芸人は問題を起こす可能性がありませんか(笑)。

 藤原 ディレクターをやるっていうことじゃなくてさあ。どこか吉本興業からんでくるんじゃないかな。

 野田 吉本まで来ちゃったか。少し話がそれてきたので本論に戻すよ。先ほど坂口さんが言ったように日本の雑多性を提示できるような人がいい。

 坂口 雑多な日本と言っても出てくるものは具体的なものになっちゃうわけだから、ある程度方向性は決まってしまいますよね。

 中西 それはそうですが、それはもう仕方ないんじゃないんですか。五輪の開会式というフォーマットはだいたいそうなっているということがあるわけですし。

 野田 もちろんそうなんだけれど、そのなかで坂口さんが言っていたように我々日本人でさえも知らなかったような新しい発見としての日本を出せるそれこそスーパーマンのような演出家はいないかねという夢も捨てきれないわけよ。

 藤原 その雑多性は別に統制する必要はないわけですよ。その雑多性をより攪拌してもいい。そういったことをやりそうなのは飴屋さんというのがある。

 坂口 雑多を雑多なままもってこられるというのはなかなか難しい。

 藤原 だから飴屋さんにそれを期待したいというのはあるんでしょ。

 野田 すごくあるね。

 藤原 雑多なものをより攪拌してやる。それはそれでカオス的で日本だなという気がします。

 坂口 いろんなものをやるんじゃなくて一つのイメージを延々とやるのもありかもしれない。

 中西 アーティスト性を前面に出してひとつのイメージでやるのはいいのだけれど、それはクオリティーとかインパクトとかが相当突出した人でないと無理だと思う。

 野田 飴屋さんは突出しているじゃない。

 中西 飴屋さんはそういうタイプのアーティストではないと思っていますが、ここでひとりだけ異議を申し立てても実りがなさそうな感じなのでここはこれまでにします。意見に承服しかねるということだけは発言しておきます。

 野田 どうなるんだろうね。今本当に世界的な演出家って言ったらはっきり言って鈴木忠志しかいないだろうしね。

 中西 宮城聰さんもいますけどね。

 藤原 でも鈴木さんか宮城さんかということになったら鈴木さんの方が世界的に名が知れているでしょう。そこは鈴木さんってなるんじゃないかな。

 中西 そうかなあ。宮城さんはアヴィニョン演劇祭で成功したからそうでもないんじゃないのかなあ。

 藤原 アヴィニョンでは成功したかもしれないけれど鈴木さんはもうちょっといろんなところで成功しているからさあ。

 野田 鈴木さんにやってもらわなくちゃいけない年代構成って悔しいなと思うわけ。結局、蜷川幸雄さんが生きていたらとか、松本雄吉さんが生きていたらとかいうことになるわけでしょ。

宮城さんだって東京五輪の時は還暦だよ。だからといって藤田貴大は若すぎるでしょう。

 藤原 それはまだ荷が重いよね。下手したら潰れるよ。

 中西 そこまで若い人も対象にするのであれば僕は多田淳之介を推薦しますよ。

 藤原 その方がいいかもね。

 中西 ただ多田淳之介は「反東京五輪」で五輪開催自体に反対しているという問題はあるのですけど(笑)

 藤原 だから多田淳之介がやるとすればある種の批評性が入ってくるだろう。それは日本に対する批評性も含めて出してくるだろうからそれはそれでありといえばありかも。

 中西 たぶん固辞しそうな気がしますがPerfumeの大ファンなので、Perfumeスタッフ陣でもあるライゾマティクス+MIKIKO三顧の礼をもって嘆願すれば受け入れるかもしれない。

 野田 五輪開会式の芸術監督は失敗したとみなされると周りがよってたかって叩くからけっこうきついよね。かといって五輪で知られるようになったからといってその後の活躍が目立つというほどでもない気がする。

 藤原 最後になりますが、それでは結局どういう人を僕たちは推していこうということになりますかね。何人か挙がりましたが。まず飴屋法水鈴木忠志庵野秀明多田淳之介、宮城聰

この5人ぐらいを推すということでいいのね。 

 野田 庵野さんはゲバ評に挙がっているけど他の人はあまりこれまで名前が挙がっていなかった人たち。後、演出家では野田秀樹さんがいるけど有力な候補のひとりだからここであえて取り上げる意味はないかなと考えました。

 藤原 その中で我々の中でも違った意見がある。

 野田 けれど多様な日本を見せたいという点では共通理解が得られたんじゃないかな。最終的な理想は日本人さえも「ああ、これが日本なんだ」と思えてしまうような日本像を出せればそれこそ理想的だと思う。

 藤原 そうなったらその先の日本の文化状況も含めて何か変わりそうな気がします。

 野田 じゃあ、期待いたしましょう。

(終わり)










  
















 

 

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1002-01-02 2016年ダンスベストアクト

[]2016年ダンスベストアクト

 2016年ダンスベストアクト*1*2*3 *4 *5 *6を掲載することにした。皆さんの今年のベストアクトはどうでしたか。今回もコメントなどを書いてもらえると嬉しい。

2016年ダンスベストアクト

1,勅使川原三郎カラス・アパラタス. アップデイトダンスシリーズ荻窪カラス・アパラタススタジオ

2,lal bonshes「ペッパライカの雪がすみ」@こまばアゴラ劇場

3,東京ELECTROCK STAIRS「前と後ろと誰かとえん」吉祥寺シアター

4,KIKIKIKIKIKI「夜の歌」京都アトリエ劇研

5,北村明子cross Transit三軒茶屋・シアタートラム

6,大橋可也&ダンサーズ「プロトコル・オブ・ヒューマティアースプラスギャラリー

7,モノクローム・サーカス「TROPE3.0」

8,頭と口「WHITEST」横浜神奈川芸術劇場(KAAT)

9,カンパニーデラシネラ「ロミオとジュリエット池袋東京芸術劇場

10,飯田茂美「東風ふくなか、ちいさい星」両国・シアターX(カイ)

1002-01-01 国際演劇評論家協会日本センター/シアターアーツ主催 劇評講座 演

[]国際演劇評論家協会日本センター/シアターアーツ主催 劇評講座 演劇における方法論とその射程を 巡って‐長谷基弘氏(桃唄309)を迎えて‐

f:id:simokitazawa:20161006113009j:image

日時:2016年11月27日(日)、18時スタート

場所:座・高円寺地下3階けいこ場2

講師:長谷基弘

聞き手:中西理

群像会話劇の形でその背後に隠れた人間関係や構造を提示する「関係性の演劇*1は1990年代以降の日本現代演劇で大きな流れを形成してきました*2。桃唄 309の長谷基弘もその一翼を担う重要な劇作家です。ただ「関係性の演劇」の多くの作家が一場劇ないしそれに近いスタイルだったのに対し、長谷は短い場面を暗転なしに無造作につなぎ、次々と場面転換をするという独自のスタイルを開拓しました。時空を自由に往来する劇構造は従来、映画が得意とし演劇は苦手としてきました。それは映画にあるカット割りが、演劇にはないからです。ところが、短い場面を暗転なしに無造作につなぎ、次々と場面転換をするという独特の作劇・演出の手法映画でいうところのカットに準ずるような構造を演劇に持ち込むことを可能にしました。演劇で場面転換する際には従来は暗転という手法が使われましたが、これを多用すると暗転により、それぞれの場面が分断され、カットやコラージュ、ディソルブといった映画特有の編集手法による場面のつなぎのようなスピード感、リズム感は舞台から失われてしまいます。これが通常、劇作家があまりに頻繁な場面転換をしない理由なのですが、これに似た効果を演劇的な処理を組み合わせることで可能にしました。

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平田オリザらの方法論と長谷基弘のそれを比較したモデル

 こうした手法で長谷は一場劇では描くことが難しい長い歴史の中での出来事や大きな共同体の中の群像劇を描き出してきたのです。今年の春にはひさびさに長編新作「風が吹いた、帰ろう」(座・高円寺)が上演されました。こうした手法を駆使してハンセン病とその療養施設がある島・大島歴史に迫った作品です。「風が吹いた、帰ろう」は瀬戸内海に浮かぶ離島ハンセン病元患者の療養所の島「大島」とその歴史モチーフにしています。現地での綿密な取材を元にはしていますが、単純に歴史を再現したドキュメンタリー演劇ではないところが特徴です。

 このような主題ではハンセン病患者らの遭遇した様々な悲劇的な状況に焦点をあてて描写しがちです。ただ、それだけでは現代の我々にとっては「かつてあった悲劇」は歴史上の遠い出来事のようにしか感じられず、実感を持つことは難しいのです。長谷の作劇が巧妙なのは登場人物が「大島」数十年の歴史を担う島の療養所に暮らす患者たちの物語と並行してそれとは一見無関係なシェイクスピア劇を上演する劇団、現代の東京に暮らす人々とより私たちに近い複数の人物の描写が同時進行させていくことです。

 それらの人物は実は島の出来事と完全に無関係というわけではありません。登場人物の一人にはハンセン病のために戸籍から抜かれた祖母がいて、そのために縁談が壊れたことに後になって。この気が付きます。このように歴史上の出来事は「過去に終わったこと」ではなく、現在にも脈々とつながり、影を落としているんだということを描写してみせます。

 もうひとつの特徴はそれらの場面が単に現在・過去の出来事が交錯させて描くだけではないことです。リアルな筆致による現代口語劇とダンス劇中劇など異なる位相にある描写を取り混ぜ、それを積み重ねていくことで「現実の重層性」を再構築しようと試みています。例えば老女となった元患者が島での出来事を回想するシーン。ここでは回想を語るだけでなく、彼女がまるで演出家のように振る舞い、周囲にいる人たちを当時そこにいた人物として配役していき、さらに演技指導なども行う。こうした「メタ演劇」の手法も取り入れることで、こうした当時の現実から様々な距離感をとる描写を複雑に組み合わせ演劇しかできない「過去の再構成」をしているのです。

(「風が吹いた、帰ろう」の映像)

 ここからは劇団歴史を振り返ることで、こうした手法がどのようにして生まれてきたのかを考えていきたいと思います。劇団旗揚げは立教大学内の学生劇団としてで、1987年のことですが、本格的に活動を開始するのは90年代に入ってからです。私が最初に長谷作品を見たのは 「若建の國」(1993年)でした。古事記日本書紀時代神話的出来事を叙事詩的ではなく、日常会話劇として立ち上げていた作品だが、まだ過渡期にあったかもしれません。ともに宗教改革の指導者であったマルチン・ルターとトーマス・ミュンツァーの対立をセックス・ピストルズジョン・ライドンシド・ビシャスの関係と重ね合わせた「ユニゾン」(1994年)は個人的にも好きな作品で長谷ではなくとも誰かが上演してくれないかとも思っています。ただ作風としての分岐点となったという意味で重要なのは「人情食堂さくら*3(1995年)ではないかと思う。これは作風としては現代口語演劇といってよく、この年は平田オリザが「東京ノート」で岸田戯曲賞を受賞した年でもあり、この作品も間違いなくそうした流れの中(松田正隆=時空劇場「坂の上の家」1993年、「海と日傘」1994年など)にあったといえそうだ。当時書いたレビュー(1998年の再々演版についてのもの)を再録しておこうと思います。

(「人情食堂さくら」の映像=映像がもしあれば映像を、なければ舞台写真でも)

 これはよく比較される平田オリザら他の「静かな演劇派」の作家にはないことで、そうした独特の作風の一つの原点がこの芝居といっていい。ここでは定食屋さくら食堂の昼時のスケッチが7日間にわたって描かれる。食堂は閉店することになっていて、描かれるのは閉店までの最後の一週間である。だが、そうした、芝居全体の構造は後から俯瞰して初めて分かることで、舞台では一見いつもと区別のない近所の常連客でにぎわう大衆食堂の昼時の姿がただ淡々と演じられていく。

 登場人物も酔っ払いの親父や駄洒落を連発する調子のいい男、噂好きの近所の主婦、バーのママといかにも下町人情喜劇を思わせるようなこの集団としてはかなりデフォルメの度合いの強い人物たちで、全体の印象もコメディタッチではある。会話も天気のこと、近所に出来たコンビニのこと、青梅街道勝新太郎を目撃した話ととりとめもないものばかりだ。舞台後方の壁に日めくりカレンダーがあり、それだけが変わらない日常の中での時の流れを象徴しており、暗転しないばかりか、照明の変化もないのに女主人のさくら日めくりをめくるとそこからはもう次の日という設定で、そうした日常が繰り返されながら、芝居はしだいに食堂がなくなる最後の日に向かってつき進んでいく。

 食堂の廃業は歴史上の重大事件というには語弊があるが、ここには日常描写のスケッチ的な積み重ねによって、戦争などの大きな歴史的な出来事を俯瞰していこうという「私のエンジン」「五つの果物」といったその後の作品で長谷が演じてみせた方法論の萌芽が確実に含まれている。

 こうした試行を受けて満を持して登場したのが「私のエンジン」(1995年)です。これは戦争に政治的に巻き込まれていく若い芸術家たちの群像を描いた作品で平田オリザらのいわゆる現代口語演劇では歴史を描くとしても例えば「ソウル市民」がそうであるように時代を象徴するようなある時点での切り取られた「1時間半」を描くということに限定されたが、長谷は時系列を自在に日常描写のスケッチ的な積み重ねていくことによって、戦争などの大きな歴史的な出来事を俯瞰していくことに成功。「私のエンジン」に続き、「この藍、侵すべからず」「五つの果実」と彼が戦争3部作と名付けた「歴史劇」を創作。現代の話、虚構の話なども組み入れられるなど構成はより複雑になっているが最新作「風が吹いた、帰ろう」も大きな意味で言えばこうした作品の系譜につながるものといえそうです。

(「私のエンジン」か「五つの果実」の映像、場面転換の分かるもの)

 一方、長谷のもうひとつの特徴はこうした独自の方法論を武器に他の劇作家であればそれを演劇で扱おうとは思わないような主題を舞台化してきたことです。なかでも今となってもちょっと語り草だったと言ってもいい作品が「ダイビングサンダー」(2002年)です。飛行機からスカイダイビングをしながら2組のチームが争う(架空の)スポーツダイビングサンダーとそれに取り組む実業団チームを描いた群像劇だ。これは演劇としてもよく出来ているし、話自体も面白いのでどこかでぜひ再演してほしい作品ではあるのですが、役者への身体的な負担があまりにも大きすぎて再演するのは困難と思われます。こまばアゴラ劇場で上演されたのですが、この舞台では試合の(あるいは練習の)シーンで劇場の床に敷かれたマットに天井近くの壁状の装置から実際に俳優が次々と飛び降りるのです。そんなことを思いつく方も思いつく方ですが、それを実際にやってみせる俳優ちもとんでもないと思います(笑)。実際には稽古の最中からけが人続出で、女優であるのに本番前に骨折して実際には選手役をはずれたり、この舞台の後、慢性の背中痛に悩まされ、持病となってしまう人も出てくるなどけっこう悲惨な状態だったらしいです。

(「ダイビングサンダー」の試合シーンを見る)

 この他にも作家の心象風景を90以上の場面を切り替えつつ描いた「よく言えば嘘ツキ」(1999年)やブラジャーが開発されそれが一般の人にも普及していくまでの100年の歴史を描き出した「ブラジャー」(2005年)などもあります。いずれも共同体の全体像や非常に長い歴史など既存のスタイルの演劇がとらえるのが難しい対象をこの方法で描いているのが特徴です。

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長谷作品でも「関係性の演劇」の他の作家らと同様に会話を通じ、最初は伏せられていた人物間相互の関係や共同体と個人の関係などもが明らかになっていきます。ところが長谷の場合は明らかになるのはそれだけにとどまりません。「場面」「場面」の相互関係も「現代・過去」「空間の移動」「現実と虚構」などそれぞれの場面がどのような関係(ある場面とある場面は時間軸が異なる同じ世界の出来事なのか、それともどちらかがどちらかの世界の劇中小説のような入れ子の構造になっているのか)にあるのかも同時に提示されて次第に明らかになってくるのです。そして、観客には舞台を見ていくうちにそうした関係を含めた世界を自ら再構築するような作業が要求されるのです。


下北沢通信Jamci98年2月号

「五つの果物」(10/31=下北沢駅前劇場レビュー

長谷基弘の場合

 桃唄309の長谷基弘の作劇の特色は一場の群像会話劇が多い関係性の演劇に、時空を自由な転換させながら場面転換させ、無造作につなぐ手法を持ち込んだことだろう。それがミニマルな描写の積み重ねの形式を維持しつつ「私のエンジン」に始まる戦争芸術家を主題にした連作のような壮大な主題へのアプローチを可能にした。

 今回上演された「五つの果物」(10/31=下北沢駅前劇場)もその系譜に連なる。中国東北部長春舞台に一九三五年にここに集まってきた詩人野島画家須崎日本人の芸術家やそれを取巻く現地の人々が歴史の波に飲み込まれていく様を描いていく。駅、裏通り、笹村の家野島の家、酒家、屯子と数多くの場所が舞台となり、次々場面転換するシーン数は四十二にも上る。

 これを暗転により場面転換したら芝居は長大なものになり、テンポも死ぬが、映画のカット割りのようにこうしたシーンを舞台上で明転のまま次々とつなぎあわせる技法や同時多発の会話などで二時間前後の上演時間に収まる工夫がこの芝居ではなされている。

 舞台設定は井上ひさしや斉藤憐らが好んで取り上げるような素材だが長谷がこれらの先輩作家と一線を画しているのは取り上げる素材に対する距離の取り方であろう。

 今回の新作「五つの果物」でも長谷は素材に対して突き放した距離をとる。この舞台ではそのためにひとつの工夫がされている。劇中では冒頭で夢を持って大陸にやってきたはずの野島須崎らが現実の前に挫折していく様が描かれるがエピソードは直接の描写ではなく、作中に登場する中国人の作家(小李)が文革を迎える激動期のなかで書き残した小説の断片という趣向だ。

 小説を受けて登代子はそれはあくま小説の中の記述で事実ではないと語る。記述はこの後登代子の語る回想、小李の小説、そして小李の死後、文革期の中国を訪問する登代子の描写など虚実ないまぜ、しかも時系列に沿って進まぬ前後関係のバラバラなシーンの断片を擦りあわせながら、観客はあたかも謎解き小説を読むがごとくにここで起こったことはなんだったか一人ひとり自分なりに解釈する仕組みとなっている。それは決して判りやすいものとはいえない。

しかし、そうした作業のなかで重層的に浮かび上がってくるものこそ過去であるというのが長谷世界観であり、それを演劇化したものがこの舞台なのだと思うのだ。

 2012年4月からは「短編劇集」と題し「春カフェ」「夏カフェ」のように季節ごとに30分程度の短編を数編組み合わせた公演をほかの参加劇団も巻き込んで行っており、その出張公演としていわきなど被災地域にも出かけるなど活動の軸足をやや変化させていました。そのために劇場での本公演は2011年以来しばらく遠ざかっており、ひさびさの公演となっていました。そのため、ポストゼロ年代といわれる2010年以降はそれ以前と比較すると現代演劇世界に与える影響はきわめて限定的なものにならざるをえなくなり、その実力を以前から知るものとしてはどこか口惜しいところもあったのです。

http://www.wonderlands.jp/archives/12482/

講師略歴

長谷基弘(はせもとひろ)

劇団桃唄309代表

劇作家演出家日本劇作家協会運営委員

桜美林大学 文学部総合文化学科(演劇コース) 非常勤講師(2004年度より)

埼玉県立芸術総合高校(演劇非常勤講師 2009年から)

昭和42年生 出生(身)地:東京

立教大学文学部心理学科〔平成三年〕卒

立教大学在学中に劇団桃唄309を結成。以降、同劇団劇作家演出家として活動を続けている。ストーリー性の高い戯曲と、多数のシーンを間断なく つなぎ合わせ物語全体を俯瞰させる手法が注目されている。2000年には文化庁芸術家派遣在外研修員に劇作家として選ばれ、2001年夏までの1年間、アメリカ合衆国にて戯曲演劇全般について学ぶ。最近の戯曲・演出作品には山村舞台日本人的因習を扱った『三つの頭と一本の腕』、月面を舞台にした『月 の砂をかむ女』、中学生の主人公と妖怪の物語のシリーズ第三作『おやすみ、おじさん3 – 草の子、見えずの雪ふる』、東京の今を鋭く切り取った『死すべき母の石』などがある。また、外部での演出も手がけている。高校・大学などで演劇講師を勤めている他、小中学校自治体企業、行政法人などでのワークショップ経験が豊富である。年間を通し全国各地で、幅広い年齢層・職層を対象にしたワークショップ講師・プランナー・プロデューサーとしても活躍している。



2016/09 短編劇集vol.10 秋カフェ『夜いろいろ』東中野/RAFT (『一年後の月よ、バイバイ』『魚の足をもむには』『肉屋トビーのひみつの庭』 作・演出 長谷基弘)

2016/05 『風が吹いた、帰ろう』 東京 座・高円寺1 作・演出 長谷基弘

2015/08 出張上演 in いわき part 6 La Stanza (『ずっと待ってる』、他)

2015/08 短編劇集vol.9 夏カフェ『冒険いろいろ』 中野/スタジオあくとれ (『あいまい宝島』『ずっと待ってる』『知らない星、光る』 作・演出 長谷基弘)

2015/06 出張上演 in 南方仮設住宅 登米市南方仮設住宅・第一集会所(『白い服のあの人』、他)

2015/05 出張上演 in いわき part 5 La Stanza (『白い服のあの人』、他)

2015/04 短編劇集vol.8 春カフェ健康いろいろ』 東中野/RAFT (『202X年、帰ろう』『白い服のあの人』『お見舞い、もしくは黒い三角形』 作・演出 長谷基弘)

2014/09 出張上演 in いわき part 4 La Stanza (『水の盆』、他)

2014/09 短編劇集vol.7 秋カフェジェラシーいろいろ』 東中野/RAFT (『水の盆』『ヘビーサマー』『もっともっと噛みしめて』 作・演出 長谷基弘)

2014/04 出張上演 in いわき part 3 La Stanza (『宣戦布告』、他)

2014/04 短編劇集vol.6 春カフェ『せんそういろいろ』 東中野/RAFT (『和解』『刀を研ぐひと』『湊川』『宣戦布告』『渡し船』『あの国』 作・演出 長谷基弘)

2013/10 出張上演 in 埼玉県立芸術総合高等学校 (『ポンペイさん』『食い逃げカフェの小さな日記』『ポランチア』)

2013/10 出張上演 in いわき part 2 La Stanza (『ポンペイさん』、他)

2013/09 短編劇集vol.5 秋カフェ『お節介いろいろ』 東中野/RAFT (『ポンペイさん』『食い逃げカフェの小さな日記』『ポランチア』、他)

2013/06 出張上演 in いわき La Stanza (『荷台のなかで』『花壇』 作・演出 長谷基弘)

2013/04 短編劇集vol.4 春カフェ花いろいろ』 東中野/RAFT (『花壇』『とてもよかったあの日々』『大空』 作・演出 長谷基弘)

2012/09 短編劇集vol.3 秋カフェ『和いろいろ』 東中野/RAFT (『しいたけと金魚』『置き手紙』『ザ・キャンプ40』 作・演出 長谷基弘)

2012/07 短編劇集vol.2 夏カフェ『夏いろいろ』 東中野/RAFT (『ずっと待ってる』『海へ』『相部屋』『夏の庭そうじ』 作・演出 長谷基弘)

2012/04 短編劇集vol.1 春カフェ『お仕事いろいろ』 東中野/RAFT (『とべ! 焼却炉!』『最後のスイッチ』『荷台のなかで』『史上最悪の結婚記念日』 作・演出 長谷基弘)

2011/09 『はじめてのにんげんがり』 中野 テアトルBONBON 作・演出 長谷基弘

2010/06 『移動』 座・高円寺1 作 別役実 演出 長谷基弘

2009/10 『死すべき母の石』 中野 テアトルBONBON 作・演出 長谷基弘

2008/12 『おやすみ、おじさん3 – 草の子、見えずの雪ふる』 いわきアリオス/下北沢ザ・スズナリ 作・演出 長谷基弘

2008/04 『月の砂をかむ女』 中野ザ・ポケット 作・演出 長谷基弘

2007/11 『三つの頭と一本の腕』 こまばアゴラ劇場 作・演出 長谷基弘

2007/11 『高校生版・三つの頭と一本の腕』 こまばアゴラ劇場 作・演出 長谷基弘

2007/03 『トレインホッパーズ』 中野ザ・ポケット 作・演出 長谷基弘

2006/10 『おやすみ、おじさん』(再演) 学校公演 サンピアンかわさき 作・演出 長谷基弘

2006/8-9 『おやすみ、おじさん』(再演) 京都アトリエ劇研/中野ザ・ポケット 作・演出 長谷基弘

2005/11 『ファイブ・ミニッツ』 中野ザ・ポケット 作・演出 長谷基弘

2005/07 『ブラジャー』 吉祥寺シアター 作・演出 長谷基弘

2005/07 『ブラジャー』 観劇会 吉祥寺シアター 作・演出 長谷基弘

2004/11 『K病院の引っ越し』 こまばアゴラ劇場 作・演出 長谷基弘

2004/04 『おやすみ、おじさん2』 中野ポケット 作・演出 長谷基弘

2003/11 『おやすみ、おじさん』 中野ポケット 作・演出 長谷基弘

2003/03 『俺たちの進化』 下北沢ザ・スズナリ 作・演出 長谷基弘

2002/11 『ダイビングサンダー』 こまばアゴラ劇場 作・演出 長谷基弘

2002/01 『ダウザーの娘』 中野ザ・ポケット 作・演出 長谷基弘

2000/06 『K病院の引っ越し』 新宿モリエール 作・演出 長谷基弘

1999/11 『よく言えば 嘘ツキ』 中野ザ・ポケット 作・演出 長谷基弘

1999/05 『ありがとう、やさしい人』 下北沢ザ・スズナリ 作・演出 長谷基弘

1998/09 『その奥』 下北沢ザ・スズナリ 作・演出 長谷基弘

1998/02 『人情食堂さくら』 下北沢駅前劇場 作・演出 長谷基弘

1997/10 『五つの果物』 下北沢駅前劇場 作・演出 長谷基弘

1997/05 『幸せな話』 下北沢駅前劇場 作・演出 長谷基弘

1996/10 『この藍、侵すべからず』 下北沢駅前劇場 作・演出 長谷基弘

1996/05 『鍵のある部屋』 下北沢駅前劇場 作・演出 長谷基弘

1995/11 『私のエンジン』(再演) 下北沢駅前劇場 作・演出 長谷基弘

1995/05 『人情食堂さくら』 銀座小劇場 作・演出 長谷基弘

1994/11 『機関車野郎、西へ!』 銀座小劇場 作・演出 長谷基弘

1994/05 『ユニゾン』(再演) 下北沢駅前劇場 作・演出 長谷基弘

1993/10 『若建の國』 銀座小劇場 作・演出 長谷基弘

1993/07 『冷たい方程式』 東中野エウロス 構成・演出 橋本

1992/12 『私のエンジン』 新宿タイニイ・アリス 作・演出 長谷基弘

1991/10 『光あるところ』 本公演 早稲田銅鑼魔館 作・演出 長谷基弘

1990/11 『ユニゾン』 新宿スペ−スDEN 作・演出 長谷基弘

1988/10 『水ノ時代』 新宿スペ−スDEN 作・演出 長谷基弘

1988/05 『6月のバレンタイン』 池袋シアタ−グリ−ン 作・演出 こてたつま

1987/12 『海のピアノ』 立教大学スタジオC 作・演出 久保智

1987/09 『東京爆弾女』 ア−トシアタ−新宿 作・演出 長谷基弘

1987/06 『1987年6月 絵本が燃える』 旗揚げ公演 武蔵野芸能劇場 作・演出 長谷基弘

プロデュース公演

2001/07 『超特急アガルタ』 中野ザ・ポケット 作・演出 橋本健

2007/07 『五月の喜び(3)七月』 銀座ギャラリー悠玄 構成 長谷基弘

2006/05 『五月の喜び2』 三軒茶屋・欽こん館 構成 長谷基弘

2005/01 『超特急アガルタ』(再演) 高円寺明石スタジオ 作・演出 橋本健

2003/09 『貝殻を拾う子供』(再演) 駒場アゴラ劇場 作・演出 橋本

2000/09 『ユカラ アイヌ英雄伝』(再演) 中野ザ・ポケット 作・演出 橋本

1999/07 『なつキック vol.2』 梅ヶ丘BOX 構成 石井なつき

1999/03 『貝殻を拾う子供』 駒場アゴラ劇場 作・演出 橋本

1998/11 『なつキック vol.1』 白萩服飾専門学校 構成 石井なつき

1997/0 『ユカラ・アイヌ英雄伝』 高円寺明石スタジオ 作・演出 橋本

1992/05 『五月の喜び』 東中野エウロス 構成・演出 長谷基弘

1990/11 『決闘社員』 本公演 新宿タイニイアリス 作・演出 長谷基弘

1990/06 『ウォ−キング ベイビ−』 東中野エウロス 作・演出 長橋千草

1988/12 『凱旋行進』 プロデュ−ス公演 立教大学スタジオB 作・演出 山形裕児

劇団Web: http://www.momouta.org/

個人Blog: http://www.momouta.org/blogs/mloge



ワンダーランド wonderland 桃唄309「おやすみ、おじさん3 草の子、見えずの雪ふる」http://www.wonderlands.jp/archives/12482/

桃唄309「おやすみ、おじさん3 草の子、見えずの雪ふる」http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20081223