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中西理の下北沢通信(旧・大阪日記) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2000-08-01 2000年8月下北沢通信日記風雑記帳 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 8月31日 ピロボラス公演を会社に出社する前に少しだけ見る。もっとも、残念ながら時間の関係でこの日上演された4本の作品のうち最初の2本しか見ることができなかった。それゆえ、詳しい感想を書くことはできないが見た2本のうちでは最初の「AEROS」という作品が面白かった。

 忙しくてまとまった時間が取れずアビニョン観劇レポートの方なかなか進まなくてご免なさい。 

 8月30日 渋谷ユーロスペースモーニングショーアキ・カウリスマキハムレット・ゴー・ビジネス」を見る。レニングラードカウボーイズで知られるあのカウリスマキである。シェイクスピアの「ハムレット」を企業内部での権力争い(?)に置き換えた作品で87年というからかなり前の映画だが、こんなものをあのカウリスマキが撮っていたとは。コメディーなのかと思うとそうではなく、もちろん、カウリスマキの撮る映画だからどことなく変ではあるのだけれど、劇中劇の部分もちゃんとあり、ポローニアス、オフェーリアはもちろんローゼンクランツとギルデンスターンまでも登場するなど意外と原作に忠実なのにびっくりした。とはいっても「ハムレット」映画としては相当に異色なのは確かなのだけれど。変なものを見たという意味では面白くはあったのだが、「ハムレット」映画として傑作なのかといえば……。相当に疑問符がつくなあ。原作に忠実とはいってもいくつか本質的に大きな変更点があってそれがあまり納得できるとはいいかねるのだ。そうなんだとしたらよく考えたら途中の劇中劇のシーンなどなんの意味があるのだろうか。突飛な人物造形などに魅力はあったものの監督がどういうつもりで「ハムレット」を撮ったのかちょっと見えにくい作品でもあった。

 8月29日 岩波ホールで映画「伝説の舞姫 崔承喜 ―金梅子が追う民族の心」(藤原智子監督)を見る。戦前、戦中に活躍したコリアンの女性ダンサー崔承喜(チェスンヒ)の業績を韓国現代舞踊の第一人者である金梅子(キムメジャ)が関係者にインタビューする形で追っていくという形式のドキュメンタリー映画である。びっくりさせられるのは崔承喜という人が美貌のダンサーとして知られ、パリ公演を成功させ、海外で評価を受けただけでなく、日本でも1942年に帝劇で17日間24回、 43年には帝劇で20日間23回の連続公演をして、連日満員にしたほどの人気を誇っていたということで、これにはちょっとびっくりさせられる。

 というのも、韓国の伝統的な舞踊などの要素を取り入れ、独自の舞踊世界を作り上げていたとはいえ、もともと経歴からいえば石井漠のもとで現代舞踊を学んだ人なのだから当時、現代舞踊というのはそんなにポピュラーな人気があったのかということにちょっと驚かされたのである。だって、現在ではいくら人気ダンサーだって、例えばチケットが取れないっていわれている熊川哲也だって、帝国劇場で23回公演なんてのは夢のまた夢だろう。ましてや、バレエではなく当時の現代舞踊と同じようなジャンルにあたるコンテンポラリーダンスでは勅使川原三郎でさえ、銀座セゾン劇場ではカンパニー公演でもせいぜい1週間といったところではないだろうか。もうひとつ驚くのは私自身の不勉強のせいもあるらもしれないが、それだけ有名だったダンサーにしては現在の知名度がなんて低いのかということである。もっとも、戦前、戦中のショービジネスなどは小説家乗越たかお氏などが発掘をはじめる前は本当に情報ギャップがあって全然知らなかったわけで、こういう人はまだ他にもいるのかもしれないのだが。

 この映画には短いながらも崔承喜自身が踊っている貴重なフィルムがいくつか紹介されているだけでなく、インタビュアーでもある金梅子の作品なども紹介されており、韓国現代舞踊のことはあまりこれまで知らなかったのだが、これがリズム感やグルーブ感が感じられて予想以上に面白い。私などは「韓国舞踊の原点ともいえる女性の情念「恨」の心がこめられている」などと説明を聞くとそれだけでこれはかなわんと敬遠したくなってしまうところがあるのだが、ダンス自体は面白かったので一度、生でじっくりと見てみたいと思わされた。それにしても、崔承喜の方はこれだけでは分からないところもあるのだが、ごく一部だけがカラー映像で紹介される「菩薩」という作品などでは神々しいまでの美しさが垣間見られる。本当は今日出海監督による「半島の舞姫」という映画があったのだが、これも日本では毎度のことながら、現存しておらず残念なことである。また、アメリカあたりで死蔵フィルムでも発見されないかしら。とにかく、この映画、ダンスファンは必見である。 

 8月28日 ジャブジャブサーキット燐光群神田川の妻」について。この作品は坂手洋二演出によるザ・スズナリでの初演も見ている。その時の印象は実はそんなに芳しいものではなかった。というのは前半の「神田川の妻」についての謎を主軸にしてそこに登場する人物の隠れた関係が浮かび上がってくる前半部の面白さに対して、その正体として革命組織の存在が立ち現れる最後の部分になんでこの話がこんな展開になってしまうのかと狐につままれたような気がされられたからである。坂手はこれをかなり強引に力技で押しきって成立させようとしたのだが、坂手に反天皇武力闘争に対する思い入れがあるのは分かるが、それを94年という時点で、説明もなしに唐突に芝居の中心的モチーフとして登場させるのは当時の時代の空気からしても場違いな感じがして到底、観客にとってアクチャリティーのあるような形でこれを持ちだすのは難しいと思えたからである。

 初演からさらに6年の歳月が経過した今になって、ジャブジャブサーキットのはせひろいちの演出によって、この作品をジャブジャブ+燐光群の合同公演として再演するという話を聞いた時に耳を疑ったのは前段の「神田川の妻」に対する民間伝承が伝わっていくという話を中心に構成された部分はまだしも、後半のいかにも坂手洋二ならではのモチーフをどちらかというと普段は政治的メッセージ性などを直接書き込むことのないはせひろいちが処理できるのか、坂手自身でさえ幾分、手にあまったかに見えたこの難問をなんとか解消できるのかということに対して懐疑的にならざるをえなかったからである。

 ところがこれが実に面白かったのだが、今回の場合には戯曲の構造の中で、前回は唐突に見えた後段部分へのつながりが前回ほどは気にならなかった。というのはこれは今回の上演において戯曲の構造からはそう位置づけられることがより明確になっただけで、戯曲上はもともとそういうことが含有されていたのかもしれないが、はせひろいちはこの作品をあくまで現代の怪談として解釈し、革命組織「神田川の妻」に代表されるような新左翼武力闘争(=革命幻想)を怪談に最後に登場する亡霊のようなものとして立ち上がらせているからだ。これはおそらく、はせひろいちと坂手洋二のこの問題に対する距離感の違いではないかと思うのだが、坂手の場合、この問題に対する思い入れが強すぎて逆に当時の平均的な観客との間(少なくとも私との間)に距離感を作る結果になっていたのが、26 年のも時間の経過を通して、今はもうだれもが忘れてしまった歴史的な事件として、「亡霊」として立ち現れる。そう、ここでこの芝居は複式夢幻能の形式で持って再び再構築されたのだ。

 その意味ではこの芝居でおそらく現在として記述されている時間からさえ、6年の歳月が立ち、この芝居に登場する人面犬とか口裂け女といった民間伝承やそれをもとにしたマスコミによる作られたブームの狂騒曲さえ、現在も同工異曲のことが繰り返されているとはいえ、いささか懐かしい過去の出来事になってしまったこともあり、さらにその時から回想の世界にあるものはすでに亡霊の世界に属するものとなっている。

 この作品が手法的にも興味深いのはなんらかの事件をモチーフにそこに虚構性をつけ加えていく手法において、虚構と現実が入れ子状にからみあっていくような80年代的な作劇法から、演劇のスタイルとしてより、現実のリアルを重視するような日常的な描写のアクチャリティーを追求していく手法へと坂手の作風が転換しつつあるその過程で描かれた作品だということがあるだろう。

 芝居のスタイルとしても最初にまず役者が登場して、客席に向かってぎごちない台詞回しでしかも声を張り上げて話しはじめるとあまりの違和感にこれが続いたらどうしようかと思ってしまうのだが、これは実はメタシアター的な趣向で、「話し方教室」に通っている吃音者の人たちの練習風景だということが、分かりそれから後はナチュラルな演技スタイルへと変わっていく。このようにいろんなコンテキストの台詞がキマイラのように交じりあって混在しているのがテキストとしての「神田川の妻」の面白いところなのだが、今回はそれに加えて、それぞれ演技スタイルの異なる燐光群とジャブジャブサーキットの俳優が競演するのも合同公演として面白いところだ。

 特筆すべきは普段はジャブジャブサーキットの最近の芝居のスタイルは群像会話劇の枠内でのナチュラルな演技の志向性が強いので、そういう演技を見せることは少ないのだが咲田とばこが「亡霊」=「神田川の妻」として巫女的な演技を見せて、この芝居の怪談としての構造を見事にささえていること。能楽になぞれえるのなら、「亡霊」と対峙する僧の役割を果たして存在感を見せた猪熊恒和の演技が印象的であった。

 中堅の女優陣には坂手の戯曲が本来孕んでいる関係におけるエロス性をもう少し明確に見せてほしいとの不満がなくはなかったものの、燐光群でもジャブジャブでもない特有の世界がそこには立ち上がっていたという意味では今回の合同公演は意味があったのではないかと思う。 

 8月27日 ニューヨークシティバレエ「ミックスドプログラム」(12時半〜)、ジャブジャブサーキット燐光群神田川の妻」(7時〜)を観劇。

 初めての人のための自己紹介伝言板でつかこうへいの芝居に新感線が影響を受けてるという話を書いたらガコさんという人から自己紹介を兼ねたレスがついたので、このことについて少し補足をしておくことにしたい。まず、第1に関西では周知に事実だったので言わずもがなと思っていたのだが、関西の小劇場劇団の古手の劇団は大抵、1980年代前半に学生劇団としてスタートしているのだが、当時、その多くがつかこうへいの戯曲を上演していて、そのスタイルはつかこうへいのスタイルのコピーに近い形で上演をしていた劇団★新感線やM.O.P.からシェイクスピアからつかまでをキャッチフレーズに比較的自由な翻案での上演を行っていたそとばこまちも含め、つかこうへいに強く影響を受けて出発していた。私は当時実際にその舞台を見てないので、本当かどうか分からないのだが、中には本家よりもつからしいを売り言葉に第一期のつかこうへい事務所の完全コピーを目指し、風間杜夫平田満といったつか事務所の看板スターの演技の癖をそのまま生き写しのように真似したうえに自ら公演に持ち込んで録音した海賊版の秘蔵テープをもとに役者のとちりさえもコピーしたという伝説の舞台までがあったとの噂も聞くほどである(笑い)。これはもともとつかこうへい事務所がほとんど関西での公演がなかったうえに途中でつかこうへいが演劇休止宣言をして、舞台から退いてしまったので、自分たちが見たくても見られない。ならば自分たちでやってしまおうという関西特有の事情もあったようだが、ビデオさえ手に入らない時代ということもあって、当時のつか演劇のカリスマ的な魅力と劇団の若さゆえのパワーというのもあって、こうした劇団が若い観客の支持を受けて、動員を伸ばし知名度も高めていく大きなドライビングフォースになったのである。

 こうした劇団はいずれもその後、オリジナル路線に転向、それぞれの独自の劇世界を確立し、関西を代表する劇団に成長していくのだが、そういう事情もあって、その後に続く世代においても学生劇団時代につかこうへいを上演したことがあるとか、旗揚げがつか作品だったという劇団は枚挙にいとまが無いほどで、後続世代でも伝言板に話題がでていたMONOの土田英生ランニングシアターダッシュの大塚雅史などもそうした洗礼を受けてきたといえるだろう。つかこうへいとほとんど接点がないと思われる遊気舎でさえ、谷省吾が演出して若手番外公演で「熱海殺人事件」(西田政彦主演)を上演したことがあるほどである。

 その代表が東京の小劇場でいまや伝説となったペーパーカンパニープロデュース「広島に原爆を落とす日」を演出したマキノノゾミと劇団★新感線のいのうえひでのり(こちらも最近、「広島に原爆を落とす日」を稲垣五郎主演で上演している)である。

 さて、ここからが本論なのだが、「阿修羅城の瞳」はつかこうへい上演劇団からオリジナルに新感線が転向して、まだまもない作品なので、その分、中島かずきの戯曲にもそうしたところは色濃くでている。それだけではなく、おそらく、この作品はつかこうへいの「つか版忠臣蔵」を下敷にして構想されたんじゃないかと思われるふしがある。これはそうだという具体的な証拠があるわけではないが、相当な確度でまず間違いないんじゃないかと思っている。「つか版忠臣蔵」はテレビ版がビデオになってレンタルビデオ屋にも置いてあるところがあるはずなので、興味のある人は見てほしいのだが、「忠臣蔵」を背景に非情になれぬゆえ、愛する人を近松門左衛門に盗られてしまい芸術家として2流と罵倒された宝井其角(風間杜夫)の復讐の物語で、歌舞伎の有名作品を題材にその作家(もちろん、宝井其角が「忠臣蔵」を書くというのはつか得意の捏造だが)を登場させて物語を展開する手法というのが似ているのである。今回のキャストでかつていのうえが熱中していた時代につかこうへい事務所を支えた代表的な役者であった平田満、さらに銀座セゾン劇場での「飛龍伝」でやはり伝説的な舞台を主演した富田靖子(しかも競演はかつて新感線にいた筧利夫だった)を同時にキャスティングしたのは偶然じゃないだろうと思う。それから、「阿修羅城の瞳」の中で伊右衛門とお岩が「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢わんとぞ思う」というべきところを浅野内匠頭の辞世の句と入れ替わってしまうというのがギャグシーンとして挿入されているところがあるのだが、これは「つか版忠臣蔵」では宝井其角が質にいれていた句を平田満の演じる浅野家のものが買いにくるという印象的なシーンがあり、それに対するオマージュとして楽屋落ち的に挿入されているのは間違いないと思うのだ。もちろん、「四谷怪談」という芝居自体、もともと一種の裏「忠臣蔵」として構想され、初演は「忠臣蔵」と同時に上演されたということもあり、その部分は渡辺いっけい演じる歌舞伎役者の「夏狂言に忠臣蔵か」のつっこみに出門がいっそ一緒に上演したどうでしょうというのを「それは私が昔から考えていたアイデア」などと南北が言うというのは別の意味での楽屋落ちになっているのだが。

 さて、この作品の構想のもとになった作品として中島かずきは能の「金輪」を挙げているのだが、もうひとつキャラクター設定上のヒントになっている作品があるのは間違いない。その作品とは光瀬龍のというより、その原作をもとに萩尾望都が漫画化した「百億の夜と千億の昼」である。中島かずきとはほぼ同世代なので、おそらく、この漫画も愛読していたはずで、この芝居におけるボーイッシュでありながら同時に両性具有的な阿修羅のイメージはおそらくここから取ったんじゃないかと睨んでいる。これもパンフを読んでも書いてないので、反対に間違いないとの確信を深めたのだがどうだろうか。  

 8月26日 木花レパートリーカンパニー「朝、ひととき、雪または雨」(2時〜)、少年王者舘「自由ノ人形」(7時〜)を観劇。27日はニューヨークシティバレエに行く予定だったのだが結局チケットは見つからず前売りもすでに完売ということで一応、当日券狙いで会場には出かけてみるつもりだが、ほぼ断念。夜はジャブジャブサーキット燐光群神田川の妻」(7時〜)を見る予定。

 木花と王者舘の間には少し時間があったので、トリのマークの展示「ギロンと探偵の休暇」も見てきた。お楽しみ企画として4時半から紙芝居が上演されていたのだが、この日は遅れてしまい途中からしか見られずに残念。明日もう一度挑戦してみるつもりだが……。それぞれについて詳しい感想は後で書くつもりだが、この日見た木花レパートリーカンパニー「朝、ひととき、雪または雨」、少年王者舘「自由ノ人形」は広島への原爆投下をメインモチーフにしていて対象へのアプローチが全く対照的だったのが面白かった。

 8月25日 あやめさんという人が初めての人のための自己紹介伝言板でこのページで書いた劇団★新感線の「阿修羅城の瞳」の記述について誤りを指摘してくれたのでとりあえず訂正した。闇のつばきの名前を闇のつばさと書いてしまったのは全く私のミスで申し訳ない。

 もうひとつの「首がとんでも動いてみせるワ」が歌舞伎座では見られないと書いてしまったのは「四谷怪談」を一週間前に見ているのに「なんで覚えてないの」って言われると面目ないのだけれど、覚えてなかったのである。歌舞伎を見ること自体が随分ひさしぶりだったということもあるのだが、実は歌舞伎で「四谷怪談」を見たのは初めてだったので、歌舞伎でやるとこういう風になるのねって感じで精一杯で細部の記憶はおぼろげになってしまっていた。「阿修羅城の瞳」の方を後から見たので、こちらも見るまで「四谷怪談」と関係あるというのは全然知らないで行って、染五郎が花道で「首がとんでも〜」の台詞を言った時にはじめて、そういえばこれって「四谷怪談」の決め台詞だったなあと思いだしたのだが、歌舞伎座でこの台詞あったかしらと考えた時にはあったともなかったとも思い出せなかったのだ。

 ところが、後で「四谷怪談」に興味を持って昔、読んだ「百鬼夜行の楽園」という本を読み返してみると、この台詞は第3幕の「砂村隠亡堀の場」にでてくるのだけど、もともとの南北の台詞では直助「伊右衛門さま、なるほどお前は、強悪だなア」に対して、伊右衛門「強悪にやア、だれがしたエ」と受けるとある。大阪で上演されたさいの台本「いろは仮名四谷怪談」ではこれが直助「どうでしまいは身を裂かれ」に対して、伊右衛門「首がとんでも動いてみせるワ」となったとあったので、覚えてないのは東京の歌舞伎上演ではその台詞がないせいかと早合点したのであった。それになんとなく、「強悪にやア、だれがしたエ」のやりとりの方は完全に確信は持てないもののあったような気がしたからである。先入観とは怖いものである。

 この本自体は75年に出版されたものでなんといっても古いので、そのくだりのすぐ後には俳優座の仲代達也がこのせりふを思い入れたっぷりに言っていたというエピソードがあるぐらいである。当時は東京の歌舞伎上演では「首がとんでも動いてみせるワ」を南北の原作通りにいれてなかったと思われるのだが、これはいつの上演から変わったのだろうか。歌舞伎に詳しい人がいて、もし知ってたら教えてほしい。

 ついでなので歌舞伎座の「四谷怪談」の感想を少し書いておくことにしたい。歌舞伎と宝塚は生半可な知識で間違ったことを書くと怪我をするというのがある(これにクラシックバレエもいれてもいいのだけど)。それは普通のファンにむちゃくくちゃ詳しい人、しかもいくらでも昔のことを知ってる人がいるから、間違ったことを書いたりするとすぐに分かってしまうからなのだが、まあ、せでにバレエではこのページでいくらでも地雷を踏むようなことを書いてしまっているから、繰り言だと思ってこれも勘弁してほしい。

 これは南北が上演した文政8年の初演の時に三代目菊五郎がお岩、小仏小平、佐藤与茂七の3役を1人で演じてからの通例のようなのだが、今回の公演でもこの3役を勘九郎が演じている。勘九郎が「四谷怪談」でお岩を演じるのはこれが4回目で、現在生きている歌舞伎役者の中では歌右衛門に次ぐ回数になるから、今回もまず勘九郎あっての「四谷怪談」という企画であろうし、それはそれで仕方がないのだが、私の「四谷怪談」のイメージからすると小仏小平、佐藤与茂七はともかくどうも勘九郎のお岩はピンとこない。というのも正直言って、冒頭で伊右衛門があれほど執着するほどだからお岩は本来薬によって顔が崩れるまでは絶世の美女でないといけないのだが、少なくとも私には勘九郎の岩がそうだとはどうしても思えないかったからだ。後段の幽霊になってからの演技はいいのだけど、どちらかというと過去の上演リストで見る限りは玉三郎のを見てみたかったような……。橋之助伊右衛門、八十助の直助はよかったんじゃないかと思う。ただ、これまで、新宿梁山泊とか第三エロチカや映画、テレビでは見たことがあったので、話の筋立てとかは大体分かっていたのだが、歌舞伎の上演を見たのは初めてだったので意外だったのは怪談なので、怖い話という印象が強かったのだが、演出、演技自体はコミカルな味が強くでていて、例えば同じ歌舞伎でも近松の世話物「女殺し油地獄」のような凄惨なリアリズムはないということである。これには南北の芝居に対する生世話という言葉を私が勘違いをして、気世話、世話物よりもよりリアルな世界と勘違いしていた部分があるのかもしれないのだが。南北の脚本自体に諧謔味があるということはその作品をそれほど多く見たことがなくてもク・ナウカが上演した「桜姫東文章」を見ただけでも分かるのだけれど。

 余談だけどついでに言うと「阿修羅城の瞳」に出てくる桜姫は当然ここから名前を取ったのだろう。もっとも、こちらは名前だけでキャラクターはあまり関係ないようだけど(笑い)と思ったけど、よく考えると好きな人のためには他のことはなんでもよくなってしまう自分勝手な性格とかはあながち全く関係がないわけでもないか。そういえばここでは桜姫が好きになった釣鐘権助が忘れられなくて、権助がしていたのと同じ風鈴の入れ墨をしてしまい、「風鈴お姫」の源氏名で娼家に出るって話もあってこれも闇のつばきつばきの模様が写るというエピソードに少し呼応しているのような気はするけど、違うだろうなあこれは(笑い)。

 8月24日 会社に出かける前に青山円形劇場「トイダンス 〜人形たちと7つの不思議な箱〜」(11時〜)を子供たちとお母さんと一緒に見る。青山円形劇場のプロデュースしている子ども向けのプログラムはこれまでもなん回か見ていて、実はけっこう楽しみにしていたりするのだが、今回はまいった。というのは時間の関係で平日の11時の回にしたら、周囲はお母さんと子どもたちばっかりなんだもの(笑い)。しかも、開演ぎりぎりで飛び込んだため、最前列の方になってしまったのだが、いきなり客いじりというか皆で踊りましょうというので、やってるものだから、突然、幼稚園のお遊戯の時間に飛び込んでしまったみたいで、場違いもはなはだしい。前の方の席で周囲のお子様たちは皆楽しそうに踊ってるので、踊らないと目だってしまうと思いなんとか振りとか合わせようとするのだけど様にならないこと甚だしく、子どもたちはともかく「一体この人はなんなんだろう」と周囲のお母さんたちから見られてそうで困ったものなのである。「トイダンス」とはあるのだけれど、作品自体はダンスというよりもパントマイム的な要素が強い。ダンスとして面白いところはないのだけれど、音楽に合わせていろんなシーンが展開されていくのがけっこう工夫が凝らされていて、子ども向けの作品としてはよくできているのではないか。なによりも、見に来ていた子どもたちの反応のよさがそれを物語っていた。

 8月23日 アビニョンカミカゼ観劇ツアー20007 月16日分の続きを執筆。どうも遅々として進まない。今週末、ニューヨークシティバレエの公演(8月27日12時半〜「ミックスプロ」)を見にいく予定だったのだが、相当前に買ったチケットが部屋中探しても見つからない。大枚をはたいて手に入れたのに困ったことである。それよりももっと不可解なのはチケットを探していたら、ネザーランドダンスシアターIIIのチケットと一緒に青山バレエフェス(8月13日)の未使用のチケットが忽然と現れたことである。チケット2枚買った記憶はないのだけれど、そうだとしたら私はどうやってこの公演を見ることができたのだろうか。(笑い)その時のチケットの切れ端も探したのだけれどどうやら捨ててしまったようで見つからず。係の人にチケット渡して席を聞いた記憶があるので、よもやそんなことはないとは思うけど、嫌な予感も少ししているところなのである。いくらなんでもまさかとは思うけど、以前、「ピエトラガラと仲間たち」の公演を見るつもりで、自信満々で東京文化会館に行って、別のガラ公演を見ていて、着いたのが開演ぎりぎりだったので、プログラムも確認する暇がなく1幕が終わるまで別の公演だと気が付かなかったという前科もあるしなあ(笑いごとじゃないんだけど)。その時見たのは記憶が定かじゃないのだけれどABTのガラ公演だったような。

 アクセス増えたのは結局、瞬間風速だったみたいだ。昨日、今日は結局1日80アクセスに逆戻り。

 新感線レビューでは小難しいことを書きすぎたので、今日は役者のことを少し。新感線がスターシステムというのは以前から書いてきたのだけれどその意味では今回は客演で主演にすえた市川染五郎が立ち役としてのカッコイイところを十分に発揮していたのでそれだけで成功というところじゃないでしょうか。それ以外のわき役では桜姫の森奈みはると笑死の新谷真弓が好演。それにしても新谷は客演とはいってもキャリアからいってもっとちょい役なのかと思っていたら、冒頭の登場シーンからして印象的でいい味を引きだしてもらっていたと思う。森奈は「西遊記」から2度目の登場だが、前回の千年人参女王から一変して今回は能天気なお姫さまの役だが、うまくはまっていて脱帽。この人は宝塚出身ということだが、新感線と水が合ってるようだ。

 江波杏子、加納幸和も持ち味の生かされたキャスティング。特に加納は様々な語りの技術をこれでもかという形で見せてくれ、これだけ伸び伸びと演じているのは珍しいのではないかと思った。

 さて、問題は富田靖子である。「アイコ16歳」以来の彼女のファンを自認する私ではあるが、今回はちょっと厳しかった。それは第1には頑張りはみせていても彼女が舞台女優としての経験が限定されていて、語りの芝居をやるに際して、技術が致命的に欠けているという問題がある。というのは語りの演劇においては会話劇とは異なり、台詞がある種の様式性を担うことが必要で、それを歌舞伎というフィールドがある染五郎や加納幸和は出来ても、あるいは声優でもある新谷真弓や宝塚出身の森奈みはる(この芝居ではそういうシーンはないけれど)はできても、映画やテレビで基本的に等身大の人間の会話劇しか演じたことのない富田には決定的に経験が欠けているからである。

 様式的な質感で台詞が持ちこたえられないとどうしてもその台詞は平板に感じられてしまう。確かに富田はある程度は「語りの演劇」の系譜に含まれる NODA MAPには出演した経験はあるのだが「赤鬼」でも「パンドラの鐘」でも残念ながら彼女が受け持っていたのは基本的に会話劇的な文脈にあたる部分なのである。

 さらにこの芝居においては、彼女が演じた闇のつばきという役柄にはそれ以上の難しさがある。というのはこの人物は最初、等身大の人間として登場しながら、物語の後半で突如として普通の人間を超えた巨大な人物に変容するからである。

 この芝居を一緒に見に行った友人が富田靖子の役柄がもの足りなかった。それは本来あるべき姿としての阿修羅のイメージを玉三郎や美加理が演じる「天守物語」の富姫のようなイメージで捉えていたからだというのを聞いて実は腑に落ちることがあった。というのは本来、阿修羅に変容した後の闇のつばき(=阿修羅)はその存在からして富姫みたいなものといってもいいのだけれど、たとえばここで例にだした玉三郎や美加理に前段のような等身大の娘が演じられるかというとまあ歌舞伎という様式の世界では玉三郎も可能かもしれないが、実際には難しいのである。

 逆に前半のつばきを魅力的に演じられる女優はいても大抵はそのタイプの女優は後半は無理なのだ。松尾スズキが「キレイ!」でやったように前半と後半を分けてしまいという演出もあるだろうが、それもこの芝居の変容のテーマからして面白くないとすればこれは限りなく不可能に近いことを女優に求めていることになる。

 それができるかもしれない女優というのは富田靖子が無理だったことを考えればけっこう厳しいものがあって、新感線だったら羽野晶紀だったらどうだとうかと思わないでもないが「キル」の時のような渾身の演技ならひょっとしたらと思うけど、後半にやや不安が残る。高田聖子はおそらく無理だろう。もちろん、これは女優としての資質の違いを言ってるのであって、羽野の方が富田、高田よりいい女優だといっているのじゃないから間違えないように。

 その他では今となっては前半はかなり苦しい気もするけど毬谷友子だったら成立するかもしれないという程度である。最後の最後にはそういう面を少しは見せる必要はあるのだれど、いくら強くても染五郎の演じる出門は基本的には人間であって、「人間を超えたものじゃない」ので役をキャッチアップする意味では染五郎の方が富田靖子よりは有利な立場にあるわけだ。もっとも、この役柄でも途中まではいいとしても最後の阿修羅を殺すシーン(つまり、神(鬼)と同等なものに登りつめるところ)では一瞬とはいえ、そうした凄みや巨大さを見せなくてはならないので、そこのところからいえば染五郎もそこまではみせきれてないという嫌いもある。

 この芝居に出演している役者でもっともそういう資質を持った俳優は古田新太なのでその意味では古田としてはこの芝居の構造の中ではちょっとそういうところの見せ所がないという感じもある。加納幸和は等身大の人間を超えた妄念というか別のところでそういう部分を見せつけてはいるけれど(笑い)。  

 8月22日 劇団★新感線「阿修羅城の瞳」(8月20日5時、新橋演舞場)を見ての感想をひさびさに下北沢通信レビューとして掲載。

 8月21日 急にアクセスが増えたひさびさに1日100アクセスを突破。嬉しいことだが、なにゆえのこの瞬間風速なんだろうか。夏休みが終わって学生や社会人の人もひさびさに帰ってきて、とりあえずひさしぶりに覗いてみたとか。明日も来るかどうか分からないのだけど、せっかくなのでひさびさに来た人は伝言板とかになんか書き残してほしいです。それだけが楽しみでページ更新しているので(笑い)。


 日本バレエフェスティバル(8月19日、6時半〜)の感想を書く。プログラムは以下の通りである。

  第1部

1、「シャブリエダンス」よりパ・ド・ドゥ 振付ローラン・プティ 上野水香(牧阿佐美バレエ団)/森田健太郎/吉岡まな美/京當雄一郎

2、「ル・コンバ」 田中祐子(牧阿佐美バレエ団)/逸見智彦(牧阿佐美バレエ団

3、「Revelation」 平山素子

4、「グラン・パ・クラシック」 高部尚子(新国立劇場)/貞松正一郎

5、「バヤデール」よりグラン・パ・ド・ドゥ 宮内真理子(新国立劇場)/小嶋直也(新国立劇場

(休憩)

 第2部

6、「海賊」よりグラン・パ・ド・ドゥ 酒井はな(新国立劇場)/佐々木大(佐々木美智子バレエ団)

7、「ドン・キホーテ」よりグラン・パ・ド・ドゥ エレナ・フィリピエナ/デニス・マトヴィエンコキエフバレエ団)

8、「シャコンヌ」 草刈民代牧阿佐美バレエ団)/ベン・ヒューズ

9、「チャイコフスキー・パ・ド・デゥ」志賀三佐枝(牧阿佐美バレエ団)/アンヘル・コレーラ

10、「ライモンダ」よりグラン・パ・ド・ドゥ 下村由理恵(元スコティッシュ・バレ団ゲストプリンシパル/イルギス・ガリムーリン(国立モスクワ・クラシカルバレエ

11、「ダンシングチャップリン」 ルイジ・ボニーノ(元マルセイユバレエプリンシパル

 こうダンサーの顔触れを見ると牧と新国の合同ガラという感じで、全日本というわけでもないのだが、海外からの招聘ダンサーを除いても、見ていて海外バレエ団のガラ公演などと比べて見劣りしないのは日本のバレエダンサーもレベルが上がってきているというのを再認識させられた。「バヤデール」のグラン・パ・ド・ドゥを踊った宮内真理子と小嶋直也はこの同じ組みあわせで新国立劇場の秋公演「バヤデール」を踊るので、今回はその予告編といったところだが、宮内の可憐さに加えてキレのよさを感じさせる踊り、小嶋のスケールの大きな力強さが印象的で、全幕も期待できそうだと感じさせる演技であった。これに対して、青山で踊った現代作品ではそれなりのよさを見せていたのだが、「グラン・パ・クラシック」のような切れ味の必要な演目では今回の高部尚子は少し切れ味を欠いていた印象であった。

 平山素子は自作の「Revelation」を踊った。振付としては典型的なモダンダンスという感じでそれほど新味を感じさせるものではなかったが、そうであってなお、自分のダンスを十分に見せてしまうところにダンサーとしての非凡さを感じさせられた。本当は大島早紀子振付の「死の舞踏」が見たかったのにというのが正直なところだが、ダンサー平山の魅力を堪能するという意味では「Revelation」も悪くはなかった。

 一方、「ル・コンバ」はちょっと作品選定の失敗じゃないだろうか。田中の踊りがどうという以前の問題として、私にはちょっとこのバレエのよさが理解できなかった。さて、問題は初めて生で見た上野水香であるが、これがちょっとどのように評価したらいいのか苦しんでいる。ローラン・プティの振付として考えれば上半身の動きとかが固すぎて、どことなくぎくしゃくしている感じがして、どうもバランスがよくない。しかし、その不安定な危うさにどこか魅力があるのもまた確かなのである。未完成ゆえの危うい魅力がダンサーとして成熟していく中で、個性としてどこに出しても誇れるものになっていくのか、それともあだ花的なものなのかは正直言ってもう少しいろんな作品を踊るのを見てみないとよく分からないところがある。その意味では引き続き注目していきたい踊り手の1人だということはいえるのだが……。

 この日登場したダンサーの中でひときわ強烈な存在感をはなっていたのが酒井はな、佐々木大のコンビによる「海賊」である。「海賊」はジャンプの高さ、スケールの大きさに自信を持つ佐々木にとっては得意とする演目だろうが、特筆すべきは酒井の貫録である。技術的な確かさはもちろんだが、舞台に立つ上で重要なスターダンサーのオーラのようなものがこの日参加した内外の一線級ダンサーの中にあってさえ感じることができた。ただ、「海賊」のメドーラの踊りのイメージとしては青山バレエフェスで見た大畠律子の方が可憐という点で合ってるような気はしたのだが。それも好きなダンサーだから許してしまう。新国立劇場をしょって立ってるっていう意識が彼女を急成長させているのではないだろうか。それが本ものか、贔屓の欲目に過ぎないのか。それを確かめてみようと次回の新国立劇場白鳥の湖」(9月10日)がますます楽しみになってきた。

 下村由理恵の「ライモンダ」も小気味よいきびきびした動きが心地よかった。そういえばこの日経歴を見て初めて気が付いたのだが、彼女と森田健一郎の出演していたミュージカル「回転木馬」を95年に見ていて、ダブルキャストだったのだけれどちょうど下村/森田の時を見ていたような。その時はどうしてだか新人なんだと勘違いしていたのだけど、森田健一郎はまだしも、下村由理恵ってその時点でもすでに相当のキャリアがある人だったのね。キレがある上にポーズのところなんかではぴたりと止まるっていう安定感があり、英国での活動が長いってこともあるけど吉田都とタイプが似ている感じがしたのだけど、こういうことをいうと熱狂的、都ファンから全然似てないって文句がでそうなので……。

 一方、悪いってほどじゃないけど期待が大きかったのでちょっと精彩を欠くなあ、どこか体調悪いのか知らんと思ってしまったのがフィリピエナの「ドンキ」。以前に見た時には32回転のフェッテなんてデューブルの連続をこともなげにしらっと回ってた印象があったのだけど、この日は最後の方がバタバタとなっててやや余裕がなかったように見えた。反対にパートナーのデニス・マトヴィエンコダンスール・ノーブルとしての資質の高さを窺わせる踊りっぷりで、大器を感じさせてくれたが。

 マルセイユバレエ団なき後、というか、正確にはマルセイユバレエ団はあるけどローラン・プティのバレエ団ではなくなってしまった後、もう見られないと思っていたボニーノの「ダンシングチャップリン」が抜粋とはいえまた見られたのは嬉しいことであった。

  8月20日 銀幕遊学◎レプリカント「翳」(2時〜)を見るはずだったのだが、起きられず慌てて劇場に向かうが着いたのは開演後10分後だったためやむなく断念。劇団★新感線「阿修羅城の瞳」(5時〜)を観劇。詳しい感想はこれも後で書くことにしたいが、評判のよさがうなずける出来。最近の新感線の芝居の中では1位、2位を争う内容だったのではないだろうか。個人的にはちょうど歌舞伎座でやっている「四谷怪談」を見たばかりで、それについてもなにか書かなければなあと思って鶴屋南北について調べようと偶然にも「百鬼夜行の楽園 鶴屋南北の世界」(落合清彦著、創元ライビラリ)という本を読み直していただけにこの「阿修羅城の瞳」という作品が南北の時代を描いているうえに相当デフォルメされた形ではあるけれど鶴屋南北本人も登場するというのになにか奇妙な因縁のようなものを感じてしまった。しかも、南北の役を花組芝居の加納幸和に演じさせ、主演に市川染五郎という歌舞伎役者を持ってきたうえに劇中に南北の名せりふを縦横無尽に引用し、それを染五郎に語らせるという趣向。染五郎の客演というのは別にしても「いのうえ歌舞伎」と自ら呼びまた呼ばれてきてもここまで歌舞伎ということに直接関った作品はなかったのではないかと思う。

 8月19日 日本バレエフェスティバル(6時半〜)を観劇。詳しい感想は後で書くけどこれはよかったです。今回見た一連のバレエ公演の中では世界バレエフェスと比べても内容が充実していたかも。期待通りによかったのが、酒井はな、平山素子、ルイジ・ボニーノ。期待以上によかったのが佐々木大、宮内真理子、小嶋直也、下村由理恵。期待度の違いもあるのでそれがそのまま演技のよさの順番というわけじゃないけれど、ガラ公演としてはけっこう満足できた公演。

 深夜のテレビ映画で村上龍の「だいじょうぶマイフレンド」をやっていたのでついつい最後まで見てしまった。最初に見たときもなんだかなあと思ったのだけど、つくづくひどい映画だなあこれは(笑い)。3分に1回はおいそりゃないだろうとつっこみを入れたくなる内容。いきなりミュージカルシーンが入ってそれが振付も曲もださいので大笑いしてしまったのだけど、これスーパーカンパニーの竹村類(漢字が違うかも)の振付だったのか。なんとなく納得(笑い)。そういう意味ではけっこう楽しめたともいえるのだけど。それにしてもマジで作ったんだとしたら、困ったものだとしか言いようがないのだが、ピーター・フォンダも可哀相に。   

 8月18日 NHK衛星放送「ハムレットマシーン」を見る。

今週は土曜日は夜、日本バレエフェス(6時半〜)、日曜日に銀幕◎遊学レプリカント「翳」(2時〜)、劇団★新感線「阿修羅城の瞳」(5時〜)を観劇予定。それにしても新感線だが、えんげきのページの1行レビューなどでここまで評判がいいとあまのじゃくの私としては「そんなもんかいな」と思って思わず貶したくなってくるじゃないか。(笑い)実際にはどうなんだろうか。

 8月17日 アビニョンカミカゼ観劇ツアー20007 月15日分を校了。とはいえ、まだ、半分もいっていない。やはり1日あたりのアクセス数が60〜80前後に落ちている。完全に夏枯れである。とはいってもまとまったレビューも書けず、他所のページで宣伝してくるようなコンテンツも最近ないしなあ。昨年、一昨年の同時期の日記コーナーを見てみるとレビューをきちんとまだ書いてるから反省するのだが、マンネリというのは否めないかもしれない。なにかこういうのを書いてくれとか、こういうコンテンツをいう希望があれば伝言板かメールで書いてほしい、参考にしたいので。

 「ハムレット」(福田恒存訳)を再読してみる。

 8月16日 hanaさんという人が自己紹介伝言板に岡山でも公演があるという青年団プロデュースの「月の岬」への期待について書いてくれた。この芝居については初演の時にじゃむちの97年4月の下北沢通信レビューで取り上げた後、97年9月の下北沢通信でも再録。さらに雑誌では十分な書き込みが難しいということもあり、オリジナルの深読みレビューホームページに掲載した。8月のお薦め芝居でも★★★★でお薦めしたが、平田オリザ松田正隆という劇作家がそれぞれ作演出として参加し初めて新作でコンビを組んだという意味では90年代日本現代演劇を代表する記念碑的な作品だったのではないかと思う。過去のレビューについてはこの芝居の中身についてかなり詳細な分析を書き込んでしまったので初演を見てなくてこれからという人は読まないほうがいいかも。さすがにレビューにはそういうことは書いてないですが、当時考えていたことは「月の岬」って「エヴァンゲリオン」じゃないかということでした。いや、正確には私が当時見た順番としては「エヴァンゲリオン」って「月の岬」じゃないか。つまり、両者は構造が非常に似ているのです。

 たぶん、これだけじゃなんだか分からないと思いますが、それは芝居を見てのお楽しみということに(笑い)。

 8月15日 世間の人は夏休みで帰省や旅行にでかけてしまっているからだろうか。今日も今日とて、閑散としているわがホームページである。そろそろ人事異動の季節も近づいて来ていて、どうやら地域の移動などはないようだが、サラリーマンの哀しさ。担当が変われば勤務体系を一から変わるので、9月以降の予定など全然たたないんだと気が付いた今日このごろである。チケットも買ってしまったのが随分あるのいだけれど考えてみれば9月以降は無駄になる可能性も高かったりして。まあ、仕方がないけれど。

 8月14日 第15回青山バレエフェスティバル「〜ラストコンサート〜」の感想を書きたい。プログラムは以下の通りである。

 オープニング 「アイネクライネナハトムジーク」振付岸辺光代

 特別プログラム 「スリーカラーズ」工藤大弐振付 古澤友菜/崔由姫/浅見宏子

 第19回ヴァルナ国際バレエコンクール・ジュニア入賞者によるプログラム

 「胡桃割り人形」よりバリエーション セルゲイ・ウプキン <ジュニア3位>

 「SIDE TO THE DEVIL」島崎徹振付 児玉北斗 <ジュニア2位>

 「ドン・キホーテ」よりパ・ド・ドゥ イスクラ・ストヤノバ <ジュニア3位>

   アルマン・アコビアン<男性パートナー/シニア3位>

  第1部

1、「1/60」振付金森穣 大野千里(バットシェバダンスカンパニー)/島崎麻美(バットシェバダンスカンパニー)/渡辺れい(イエーテボリ・オペラバレエ)/稲尾芳文(バットシェバダンスカンパニー)/金森穣(イエーテボリ・オペラバレエ

2、「祭典」よりソロ 振付ジョン・ノイマイヤー 清水さくら(ハンブルグバレエ団)3、「黒鳥のパ・ド・ドゥ」菅野真夜(サンフランシスコバレエ団)/ラファエル・クメス=マルケ(オランダ国立バレエ

4、「ジゼル」第2幕よりパ・ド・ドゥ 斉藤亜紀(フランドルバレエ団)/佐々木陽平(英ロイヤルバレエ団)

(休憩)

 第2部

5、「眠れる森の美女」よりパ・ド・ドゥ 中村翔子(ウィーン国立歌劇団)/沖潮隆之

6、「悲歌のシンフォニー第2楽章」振付金森穣 中村恩惠(ネザーランドダンスシアター・ゲストアーティスト

7、「イン・ザ・ミドル・サム・ホワット・エレベーティド」 竹島由美子(オランダ国立バレエ)/ダヴィット・ドウソン(オランダ国立バレエフランクフルトバレエ団)

8、「今、鮮やかなる者たちへ」振付後藤早知子 高部尚子/坂本登喜彦

9、「海賊」よりパ・ド・ドゥ 大畠律子/小嶋直也

 第3部

10、「アンノウンシンフォニー」振付鈴木稔 田中祐子/キミホ・ホルバート/近藤真由美/斉藤希/瀬田統子/高櫻あみ/田中ルリ/森田真希/湯川麻美子/久保紘一(コロラドバレエ団)/奥田慎也/倉本幸樹/児玉北斗/左右木健一/高木優慈/西梶勝

 バレエのガラ公演をレビューにしようとすると困るのはプログラムの演目とキャストを写すだけでも相当な時間を取られてしまうこと。前の週に世界バレエフェスがあったから軽めのプログラムに思えたけれど、こうして見るとそうでもないなあ。

 青山バレエフェスは「〜ラストコンサート〜」の表題どおりに今年15回目が最後のプログラムとなる。新世紀からは青山ビエンナーレという形でまた新たなダンスプログラムが始まるらしいが、バレエフェスとしては最後ということもあって、今年はこれまでの青山バレエフェスの特徴を総括したようなプログラムとなっていたように感じた。

 まず第1がコンクールに入賞したような若いダンサーの紹介。青山バレエフェスは2日間日替わりのプログラムになっていて、前日はローザンヌ国際バレエコンクール、ヴァルナ国際バレエコンクールの入賞者、この日は日仏芸術舞踊センター研修生とヴァルナ国際バレエコンクールの入賞者のバレエ上演が特別プログラムとして取り上げられた。この日では島崎徹振付の「SIDE TO THE DEVIL」を踊った児玉北斗にちょっと驚かされた。ジュニアというのだからまだ10代だと思うのだが、その年で単なる技術だけではない表現力が要求されるコンテンポラリーの振付をこれだけ堂々とこなしていたのは末恐ろしい。まだ、原石という感じだが、将来が楽しみかも。

 青山バレエフェスのもう一つの特色はクラシックのパ・ド・ドゥだけでなく、コンテンポラリーの演目を積極的に取り入れてきたことだろう。竹内登志子の「ボレロ」を初めて見たのもこのフェスだったし、昨年は平日公演のため見ることができなかったが、北村明子の振付作品も登場した。今年の最大の収穫は金森穣の2作品である。この人の名前を知ったのは割と最近で、新国立劇場のJバレエで突然、振付を委嘱されてたのを知って、いったい何者なんだと思っていたのだが、これまでいくつか日本人の振り付けたバレエ系の振付をいくつか見た経験からどうせ大したことないだろうと高をくくってたところがあった。ところが、この日の2本の作品を見て、相当な才能の持ち主と認識を新たにした。

 経歴を見てみるとルードラ・ベジャールローザンヌからNDT2入団。ここで97年に振付家デビュー。97年にオペラ・ドゥ・リヨンに入団。さらに99 年にイエーテボリ・オペラバレエに移籍。これまでの日本人の振付家にはないようなエリートコース(?)を歩んでいる。このあたり、私なんかにとってはいわれのない反感を抱いてしまうというのがあったのだが、イリ・キリアンフォーサイスといった先人の強い影響を感じせるところはなくはないが、すでに単なる模倣ではないレベルに達しており、この日上演された2作品で見せた照明などの効果を計算しつくした大空間での空間処理の仕方などに並ではない才能を感じさせられた。特に「1/60」はバレエ的な技術の基礎のもとに可動域の広いコンテンポラリーのダンス技術を持ったダンサーをそろえアンサンブルとしての完成度が高いのに仰天した。これは来日したNDT2の公演よりも振付・ダンサーともにレベルが高いかもしれない。ところがそれぞれの経歴を調べて納得。「1/60」を踊ったダンサーは全員日本人ながら、3人が現在、オハッド・ナハリン率いるバットシェバダンスカンパニーの所属。しかも大野はそれ以前に NDT2に4年在籍。渡辺もNDT2から、オペラ・ドゥ・リヨン、イエーテボリ・オペラバレエと金森と同じ経歴で、島崎、金森、稲尾の3人はいずれもルードラの同窓だから、こういう海外で活躍する日本人ダンサーのインナーサークル的なところからこういう作品も生まれてきたのかと納得できるところがあったのである。

 来日カンパニーには必ずといっていいほど日本人のカンパニーメンバーがいることが多いので、珍しいことではないのかもしれないが、バットシェバにこれだけまとまっているというのにはちょっとびっくりさせられた。

 コンクールなどでの活躍をきっかけに普段は海外のバレエ団に所属して活動しているバレエダンサーをまとめて見られるのも青山バレエフェスの売り物で、現在は新国立劇場にいる宮内真理子を初めて見たのもこのフェスでだったんじゃないかと思う。今回、断然光っていたのが「ジゼル」を踊った斉藤亜紀(フランドルバレエ団)と佐々木陽平(英ロイヤルバレエ団)。「ジゼル」のような演目はガラ向きではないような気がするだが、この人で全幕を見てみたいと思わせるほど、はかなげでありながら、芯の強いところを演じきったのが見事であった。佐々木のアルブレヒトも日本人には珍しいほどいかにもダンスールノーブルという気品を感じさせるところがあり、本来は斉藤のパートナーは別の人で演目もジゼルじゃないものを予定していたのがなにかの事情で変更になったようなので、なんか得したような気がする。

 対照的に強靱な筋力と日本人離れしたプロポーションでフォーサイスを踊り切った竹島由美子(オランダ国立バレエ)にもこんなダンサーもいたのかと驚かされた。それ以上にパートナーを務めたダビット・ドウソンの一瞬の鋭い身のこなしの鮮やかさに引かれるものがあったが、この人なんとこの8月からフランクフルトバレエ団に入団したらしい。きっと引き抜かれたんだろうなあ。

 日本国内組(?)では後藤早知子振付作品を踊った高部尚子/坂本登喜彦がいきなり戦争とかの組み写真をスライドで映したり、地球を表したと思われる大きなボールをだしたり、振付コンセプトが陳腐というハンディを背負いながら、2人の演技力でなんとか見せてしまうのにパフォーマーとしての底力を感じさせた。ただ、日本人の振り付けたバレエ系の現代ダンスモダンバレエというべきか)がだめだと思わされてしまうのはこういう作品が多いからで、もういいかげんにテーマ性だけでもたせようなのどというのはやめてほしいと思うのだけど。

 新国立劇場の看板ダンサーなので、どうしても王子系の演目が多くなっている小嶋直也だが、この日の「海賊」のような演目の方がそのダンサーとしての資質が生きるのじゃないだろうか。牧阿佐美バレエ団の大畠律子はこれまで、これといった印象がなかったのだけれど、意外と(というのは失礼だが)舞台での華があるダンサーなのを再認識させられた。というのは写真などを見る限りではそれほど容姿抜群という感じはしないのだが(これも失礼を承知でいう、というのはバレエダンサーにとって容姿は重要だと思うからだ)、その写真などでの印象以上に舞台ののると、この日のメデューラなどに感じるように可憐というか魅力的なのだ。    

 8月13日 第15回青山バレエフェスティバル「〜ラストコンサート〜」(2時〜)、歌舞伎座「四谷怪談」(6時〜)を観劇。

 8月12日 アビニョンカミカゼ観劇ツアー2000また1本分追加。このペースだとまずいじゃないか。一応、完成の見通しを帰国後1カ月ということで、8月20日ぐらいに置いたのだけど、書く途中で調べたりしているとどうしても時間がかかる。

 新派「頭痛肩凝り樋口一葉」(11時半〜)を見たのはこの演目は以前、こまつ座で見たことがあるのだが、新派がやるとどうなるのかにちょっと興味があったからだ。結論から言えばそんなに大きな違いはないということになるのだが、それももっともで、今回の演出が、こまつ座で演出したのと同じ木村光一で、前に見たのは紀伊国屋劇場だからキャパが大きくなった分だけ、多少作り替えてあるけど美術プランを含めてほぼ同じ演出プランが踏襲されているので、新橋演舞場に合わせて花道の演出が付け加えられているくらいで、そんなに大きな差はなかったからである。

 もっともそんなに大きな差はないということはこの芝居は井上ひさしの評伝劇の代表作といってもいい作品で、こまつ座でも代表作といっていい作品なのでそれとそれほど差がないというのは芝居としてはいい出来栄えだったということで、井上ひさしの作品としてはそんなに深みのある作品とはいえないような気もするが、コメディーとしても歴史劇としても十分楽しめたのである。

 こういうことを書いたのは音楽座のミュージカル星の王子さま」が演出プラン込みで別集団によるプロデュースで上演されたのとほぼ相前後して、ほぼ同じような形で新派で「頭痛肩凝り樋口一葉」が上演されたことが偶然の一致だとは思うものの差作品は上演集団の所有物の考え方が強い日本では珍しく、ひょっとしたら新しい流れが起こりかけているような気がしたからである。もちろん、他集団が上演した作品がプロデュースの形で上演されるというのは別に珍しいことではないがこの2つのケースの場合、演出プランごとというのが興味深かったのである。

 もちろん、こまつ座自体も劇団とはいっても純粋の所属メンバーがいるけではなく、いわばプロデュース集団といった方が形態としては適切なわけで、音楽座の方も劇団組織ではなくなったから、こういう英断ができたということはあるかもしれないのだが。三谷幸喜の作品が上演されれば必ず満員になるなどコメディーの需要はあrわけだから、井上ひさしの作品なども新作を依頼するのはリスクが大きすぎるにしてもこまつ座のキャスティングとは全く違うキャストで見られると面白いと思うのだけどどうなんだろうか。その意味ではそれぞれ実体としてはプロデュース集団の異なるプロデュース公演ではあるのだけれど野田秀樹後藤ひろひとの旧作を立て続けに上演するパルコ劇場の今年のラインナップというのはいろんな意味で面白いかもしれない。これはいずれも演出家が以前の上演で演出した劇作家本人ではないのがひっかかるところがあるのだけれど。もっとも本人が演出するぐらいだったら野田秀樹はNODA MAP、後藤ひろひとはPiperで上演するからそれは無理か(笑い)。

 私個人の演劇に関する考え方からすれば本当にオリジナリティーの高い演劇表現を実現するためにはある種の集団性は必要だと思うから、プロデュース形式については疑念がないわけではないのだが(その意味では合同公演の方がきちんとした形で行なわれれば可能性はあると思っている)、スタンダードとなりうる戯曲が受容されるためには受け皿としては有効は方法だとは思う。

 今回はスケジュールの関係で結局見るのは断念したのだが、「トランス」などはこれまでのサードステージによる2度の上演とパルコプロデュースの1回目は見て、それなりの舞台成果はあったと評価できるし、3人芝居というコンパクトな座組であることもあって、今後いろんな可能性もあると思う(例えば、演出家、キャストを複数選んで、競演させるとか)。これなんかも、以前、友人と遊びでやったことがあるんだけれど自分の理想の組みあわせとか次のキャスト(演出家と3人の俳優)なんてのもいろいろ想像できるわけである。

 一応、その時の予想ではともさかりえ入っていたもののそれほど積極的に押す気にはなれなかったのだが(笑い)どうだったのだろうか。今とっさに考えたのでは深津絵理/生瀬勝久佐々木蔵之介(こちらが天皇の方)、演出はデビット・ルヴォー。これじゃ実現可能性ありすぎて陳腐か(ルヴォー以外)。個人的に見てみたいのは一色忍/水沼健/橋本健、演出ははせひろいち。もちろん、会場は梅ヶ丘ボックスと京都劇研で。それじゃアトリエ公演じゃないか(笑い)。  

 8月11日 アビニョンカミカゼ観劇ツアー2000の7 月15日分の続きを書いているのだけど夜中にしか執筆できないこともあり、1日1公演しか進まない。このままだと1カ月がたってしまうのでなんとかしないといけないのだけれど。これまで読んだけどどうせ知らないカンパニーばかりだからなあと思っている人のためにどんなものを見たのかだけを先に抜粋すると 16日がオンダンス公演プログラムAでレスキスのレジス・オバディアとローザス出身のミッシェル・アンヌ・ド・メイの振付作品、日本のダンスパントマイムカンパニー水と油」、ユーリ・リュビーモフとタカンガ劇場の「マラー/サド」など6本。17日がオンプログラムBでヤン・ファーブルなど3本。18日が Cie PASCOLI(カンパニー・パスコリ)、Cie Helene Viscope(前回のアビニョンで発見びっくりさせられたカンパニー、詳しくはアビニョンカミカゼ観劇ツアー参照)などである。

 NHK衛星放送で「ハムレット」(ロバート・ウィルソン構成・演出)を見る。これまでのロバート・ウィルソン演出作品からもう少し前衛的なパフォーマンスのようなものなのかと予想して、見始めたらロバート・ウィルソンが自作自演で自ら俳優として舞台に立った一人芝居で、一人芝居ということでの必要上、「ハムレット」の語る独白劇の形を取って、テキストからそういう部分を取りだして再構成はしてあるけれど、ハイナー・ミュラーの「ハムレット・マシーン」などとは全然違って、前衛でもなんでもなくオーソドックスな一人芝居だったのでちょっとびっくりした。しかも、これが構成・演出の面だけでなく、「ハムレット」の演技としてもきわめて完成度が高いのでまたまた驚かされた。この芝居を見て「ハムレット」という芝居について考えさせられたことが、いろいろあったので、これはまた後ほど書くことにしたいが、こういう芝居であったなら静岡まで見に行くんだった。もっとも、シアターオリンピックスの時には売りだした瞬間に完売だったらしいけど……。こういうのだったら、このままの演出プランで日本人のキャストでも見たいという気もするけど、だれだったらできるだろうか。宮城聰、上海太郎、そして平幹(うーん、これは見たいような見たくないような)。こんなことを思ったのはこの一人芝居って、ミヤギサトシショーのコンセプトとかなり似ているんだよね。

 8月10日 今週末は土曜日は仕事なので観劇予定は日曜日だけ。今週もバレエで青山バレエフェスティバル(2時〜)を見た後、夜は歌舞伎座で「四谷怪談」(6時〜)を見る予定。青山バレエフェスティバルはコンクールの入賞歴のあるような若手のバレエダンサーを紹介したりするのが特徴のバレエフェスでこれまでも何回か見たことがあったのだが、佐々木大や宮内真理子を初めて舞台で見ることが出来たのがこのフェスだった。昨年は森本京子が出演して、北村明子振付のソロを踊ったので見たかったのだが、平日公演だけだったので泣く泣く断念したということもあり、今年は青山バレエフェスとしては最後の公演ということもあり、見に行くことに決めた。

 初めての人のための自己紹介伝言板やっと書いてくれる人がでてきて嬉しい。このまま猫またぎだったら、また閉鎖かなあと思っていたので。初めてじゃなくてもいいのでこれまであまり書いたことのない人、この機会に「私見てるよ」というのを知らせてください。筆者のモチベーションぐんと上がりますから。

 流山児★事務所「百舌鳥夕雲町歌声喫茶」について、掲示板に感想を少し書いたのだけれどそれだけじゃなんなのでもう少し。他所に書き下ろす時には書こうと思えば割と分かりやすい話を書くこともできるんだというのは「五軒町商店街寄合会」などですでに分かってはいたのだけれど、この作品も難解でならす深津脚本としては珍しいほど分かりやすいものであった。もっとも、この作品も阪神大震災以来ずっと深津が描き続けている「世界終末図」のバリエーションなので、音楽劇に仕立ててと取っ付きやすくしているとはいえ、深津の世界観を色濃く反映したものであることは間違いない。

 深津の芝居は他人が演出するのは難しいのではないかと思う。特に自分の集団である桃園会に書き下ろしたものはそうで、それはなぜかというと桃園会における深津の演出というのは作品をなにかの形で解釈するのではなく、多義的にもやもやとしたところを腑分けしないで、そのまま舞台に乗せてしまうような演出だからだ。もちろん、これは劇作家本人にしか難しいことで、だから他人が深津の芝居を演出した場合には少なくとも演出家はなんらかの解釈軸を持たないと俳優に対して具体的な演出をつけることはできないので、いい意味でも悪い意味でも輪郭のはっきりとした分かりやすい傾向はあり、この芝居での大鷹明良に演出は深津の描き出す世界のうち象徴的な部分とか隠喩じみた部分は背景として切り離してしまって、目にみえるところだけを見せていくという演出になっているように感じた。

 その分、桃園会の芝居と比べるととっつきやすく、深津作品の色合いに慣れていない人にもそれなりに楽しめるというものとなっていて、それはプロデュース公演の行き方としてはあながち間違いではないとは思うのだが、深津作品の特色である希薄な関係性の中に潜む微妙なひだのようなものまでは捉えきれていないという点では物足りなさも残る。今回、深津がこういう芝居を書いたのは前回、流山児★事務所で上演された「深海魚」の時に流山児祥が「分かりやすい芝居を書いてくれ」という要望があったせいかもしれないのだが、この芝居を見た思ったのは幻想と現実の混在といったところの薄い芝居では他人が演出した場合に深津らしさが殺がれて普通の芝居に近かづいてしまうので、こういう芝居こそ深津本人が演出した方がいいのかもしれない。

 逆に深津が普段桃園会で上演しているような難解な芝居は深津ではなく、平田オリザや宮城聰のような演出家が演出すれば戯曲の持っている新たな地平をひらくことができるかもしれないと思っているのだけれど。

 今回の芝居では何人かの俳優はなかなかいい味を出していて、アングラめいた演技スタイルが鼻につくような人もいる中で抜群の存在感を持っていたのは寺十吾であった。井沢希旨子はこの芝居に描かれたカズミという女性としてはちょっといまいち焦点が定まっていないというか女優として弱いところも感じたが、こういう人が片思いの相手だったら世界の最後に人は彼女と迎えたいという気を起こさせるという意味での説得力はひいき目も交じっているかもしれぬが十分にあり、それにも増して、これだけの至近距離でひさびさに彼女の芝居をたっぷりと見られたというだけで、けっこう満足できた(笑い)のであった。 

 8月9日 新派「頭痛肩凝り樋口一葉」(11時半〜)を新橋演舞場で観劇。

 アビニョン観劇日記に今回の最大の収穫ともいえるCie Tandemの公演を追加。ダンスの方がまともに感想を書こうとすると説明に時間がかかりそれが、遅々として原稿が進まぬ原因となってきている。でもとにかく、Cie Tandemのダンス、カッコイイ系のダンスとしてはかなりのレベルにあったと思う。ダンサーとしても凄いのだけれど、ダンサーが自分のソロを振り付ける時には勅使川原三郎など希有の例を除けば、自分のダンサーとしても動きだけに目が奪われて、照明、音楽も含めたトータルとしての作品の完成度の高さを考えるところまでいってないのが実情である。それがそうはならないところにこのBlumenthalという人のコリオグラファーとしての才能の豊かさを感じたのである。この2本だけでなく、他の作品も見たいと思わせられた振付家で、だれか日本に呼んでくれないかしら。


 8月10日 今週末は土曜日は仕事なので観劇予定は日曜日だけ。今週もバレエで青山バレエフェスティバル(2時〜)を見た後、夜は歌舞伎座で「四谷怪談」(6時〜)を見る予定。青山バレエフェスティバルはコンクールの入賞歴のあるような若手のバレエダンサーを紹介したりするのが特徴のバレエフェスでこれまでも何回か見たことがあったのだが、佐々木大や宮内真理子を初めて舞台で見ることが出来たのがこのフェスだった。昨年は森本京子が出演して、北村明子振付のソロを踊ったので見たかったのだが、平日公演だけだったので泣く泣く断念したということもあり、今年は青山バレエフェスとしては最後の公演ということもあり、見に行くことに決めた。

 初めての人のための自己紹介伝言板やっと書いてくれる人がでてきて嬉しい。このまま猫またぎだったら、また閉鎖かなあと思っていたので。初めてじゃなくてもいいのでこれまであまり書いたことのない人、この機会に「私見てるよ」というのを知らせてください。筆者のモチベーションぐんと上がりますから。

 流山児★事務所「百舌鳥夕雲町歌声喫茶」について、掲示板に感想を少し書いたのだけれどそれだけじゃなんなのでもう少し。他所に書き下ろす時には書こうと思えば割と分かりやすい話を書くこともできるんだというのは「五軒町商店街寄合会」などですでに分かってはいたのだけれど、この作品も難解でならす深津脚本としては珍しいほど分かりやすいものであった。もっとも、この作品も阪神大震災以来ずっと深津が描き続けている「世界終末図」のバリエーションなので、音楽劇に仕立ててと取っ付きやすくしているとはいえ、深津の世界観を色濃く反映したものであることは間違いない。

 深津の芝居は他人が演出するのは難しいのではないかと思う。特に自分の集団である桃園会に書き下ろしたものはそうで、それはなぜかというと桃園会における深津の演出というのは作品をなにかの形で解釈するのではなく、多義的にもやもやとしたところを腑分けしないで、そのまま舞台に乗せてしまうような演出だからだ。もちろん、これは劇作家本人にしか難しいことで、だから他人が深津の芝居を演出した場合には少なくとも演出家はなんらかの解釈軸を持たないと俳優に対して具体的な演出をつけることはできないので、いい意味でも悪い意味でも輪郭のはっきりとした分かりやすい傾向はあり、この芝居での大鷹明良に演出は深津の描き出す世界のうち象徴的な部分とか隠喩じみた部分は背景として切り離してしまって、目にみえるところだけを見せていくという演出になっているように感じた。

 その分、桃園会の芝居と比べるととっつきやすく、深津作品の色合いに慣れていない人にもそれなりに楽しめるというものとなっていて、それはプロデュース公演の行き方としてはあながち間違いではないとは思うのだが、深津作品の特色である希薄な関係性の中に潜む微妙なひだのようなものまでは捉えきれていないという点では物足りなさも残る。今回、深津がこういう芝居を書いたのは前回、流山児★事務所で上演された「深海魚」の時に流山児祥が「分かりやすい芝居を書いてくれ」という要望があったせいかもしれないのだが、この芝居を見た思ったのは幻想と現実の混在といったところの薄い芝居では他人が演出した場合に深津らしさが殺がれて普通の芝居に近かづいてしまうので、こういう芝居こそ深津本人が演出した方がいいのかもしれない。

 逆に深津が普段桃園会で上演しているような難解な芝居は深津ではなく、平田オリザや宮城聰のような演出家が演出すれば戯曲の持っている新たな地平をひらくことができるかもしれないと思っているのだけれど。

 今回の芝居では何人かの俳優はなかなかいい味を出していて、アングラめいた演技スタイルが鼻につくような人もいる中で抜群の存在感を持っていたのは寺十吾であった。井沢希旨子はこの芝居に描かれたカズミという女性としてはちょっといまいち焦点が定まっていないというか女優として弱いところも感じたが、こういう人が片思いの相手だったら世界の最後に人は彼女と迎えたいという気を起こさせるという意味での説得力はひいき目も交じっているかもしれぬが十分にあり、それにも増して、これだけの至近距離でひさびさに彼女の芝居をたっぷりと見られたというだけで、けっこう満足できた(笑い)のであった。 

 8月9日 新派「頭痛肩凝り樋口一葉」(11時半〜)を新橋演舞場で観劇。

 アビニョン観劇日記に今回の最大の収穫ともいえるCie Tandemの公演を追加。ダンスの方がまともに感想を書こうとすると説明に時間がかかりそれが、遅々として原稿が進まぬ原因となってきている。でもとにかく、Cie Tandemのダンス、カッコイイ系のダンスとしてはかなりのレベルにあったと思う。ダンサーとしても凄いのだけれど、ダンサーが自分のソロを振り付ける時には勅使川原三郎など希有の例を除けば、自分のダンサーとしても動きだけに目が奪われて、照明、音楽も含めたトータルとしての作品の完成度の高さを考えるところまでいってないのが実情である。それがそうはならないところにこのBlumenthalという人のコリオグラファーとしての才能の豊かさを感じたのである。この2本だけでなく、他の作品も見たいと思わせられた振付家で、だれか日本に呼んでくれないかしら。

 8月8日 第9回世界バレエフェスティバルAプログラム(8月6日)について感想を書く。プログラムは以下の通りである。

 第1部 1時30分〜

1、「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」バルバラ・コホウトコヴァ/ロベルト・ボッレ

2、「アニュータ」斉藤友佳理/セルゲイ・フィーリン

3、「シェリ」カルラ・フレッチ/マッシモ・ムッル

4、「黒鳥のパ・ド・ドゥ」ガリーナ・ステパネンコ/アンドレイ・ウヴァーロフ

休憩(20分)

5、「白鳥の湖」第2幕より アニエス・ルテステュ/ジャゼ・マルティネス/東京バレエ

6、「バーンスタインダンス」へザー・ユルゲンセン/イリ・ブベニチェク/オットー・ブベニチェク

7、「カルメン」オレリー・デュポン/マニュエル・ルグリ

8、「アダージェット」ジル・ロマン

  休憩(10分)

9、「椿姫」アレッサンドラ・フェリ/ウラジミール・マラーホフ

10、「アルキヴィア」 アニエス・ルテステュ/ジャゼ・マルティネス

11、「ヌアージュバルバラ・コホウトコヴァ/ロベルト・ボッレ

12、「三人姉妹」シルヴィ・ギエム/ニコラ・ル・リッシュ

13 、「ドン・キホーテ」パロマ・へレーラ/ホセ・カレーニョ

 開演ぎりぎりで東京文化会館に着いて渡された当日の配役表を見てびっくりしたのはベジャールバレエ団の小林十市が右足指骨折のため出演できないと書かれていたことだった。今回のバレエフェスではお目当ての一人でもあったため、いきなり「おやおや」という感じだったのだが、嬉しい誤算は代わりに出演するのがジル・ロマンでしかもこの日は「アダージェット」を踊るということが分かったことだ。私にとっての今回のバレエフェスはこの「アダージェット」に尽きるといってもいいほどで、超絶技巧のテクニックも渾身の演技力も、その前にはいさかか影が薄くなってしまう。そんな気にさせられてしまったのである。

 今回のバレエフェスはクラシックのパ・ド・ドゥでそのテクニックのもの凄さを見せ付ける組とダンサーとしての演技の力をじっくり見せていこうという組にはっきり分かれていたように思う。この日、技術で競ったのは「黒鳥のパ・ド・ドゥ」ガリーナ・ステパネンコ/アンドレイ・ウヴァーロフと「ドン・キホーテ」パロマ・へレーラ/ホセ・カレーニョ。男性の方も同じコンビだったかどうかは思いだせないけど、ステパネンコの「黒鳥」とへレーラの「ドン・キ」は以前にも見たことがある。特にステパネンコについては前に見たのも3年前のこのフェスだとばかり思っていたのだが、今回会場で売られていたパンフに第1回からのバレエフェスの演目の一覧が掲載されており、それでは「海賊」を踊ったようなので、「黒鳥」を見たのはどうも別の時のようだ。ちなみにへレーラはその時、グエラと組んでこの日と同じ「ドン・キ」を踊っている。とにかく、女性ダンサー2人にとってガラ公演向けの取っておきの出し物。切り札というのが分かる踊りっぷりである。

 ステパネンコという人はそんなに私の好きなタイプのダンサーというわけではないのだが、超ハイスピードの回転技や跳躍の連続をいとも簡単にこなしたうえで、最後の32回転などはそれこそドューブルの連続などは当たり前ってな感じで、一番最後には余裕でもって4回一気に回って見せるのを見せつけられるとさすがだなと思うしかない。一方、ヘレーラの方はいかにもきびきびした切れのある動きが印象的なキトリであった。どちらもその意味では水準を超えたパフォーマンスであるし、お祭りとしてのガラ公演にこういうのがないと盛り上がらないというのはあるのだけれど、こういう超絶技巧には感心はしてもなかなか感動はしないのだ。こういうところが自分はバレエを見るのは好きでもバレエファンとはいえないなあと思ってしまうところなのだが。もちろん、個性の違いもよく出ていたし、分かりやすく凄いという意味では楽しめはしたのだけどこの日のようにレベルの高いダンサーが次々でてくるところでは純粋のテクニックで勝負するとなるとハードルが高くなってしまうというのは あったかもしれない。

 もうひとつは「アニュータ」「シェリ」「カルメン」「椿姫」「三人姉妹」のように物語的な世界の中でダンサーであるとともにアクターとしての演技力も要求される作品。この中でもっとも強い印象を残したのはローラン・プティの「カルメン」でドン・ホセを演じたマニュエル・ルグリの素晴らしさであった。「カルメン」はマルセイユバレエ団の公演でフェリが踊るのを見ているのだが、どうもその時の相手役がだれだったのか思いだせない。ガラ公演などではルジマートフとか一部抜粋だが、最近全幕も上演している熊川哲也とか、もちろん、映像ではバシリニコフのとかも見ているのだが、ルグリのホセはその存在感からこれまで見たプティ版「カルメン」では最上のものといえるかもしれない。惜しむらくはオレリー・デュポンが最高のプティダンサーとはいえないことである。私の場合ルシア・ラカッラやドミニク・カラフーニへの思い入れが強すぎてどうしてもプティを踊る女性ダンサーには点数が厳しくなりがちなところがるのだけれど、普通のバレエなら構わないのだけれどポワントへのフェティスズムさえ感じさせるプティの振付を十分に体現していない感じがしたのである。それはプティがカルラ・フレッチに振り付けた「シェリ」を見ても同じである。この人は1956年にミラノ・スカラ座ソリストということなのだから、どう考えても60 歳はとうに超えているわけで、もともと素晴らしいダンサーでその年でこれだけ踊れるというのはまさに驚異というしかないが、残念ながらプティのダンサーではないのである。

 これはもうほとんど思い込みとしかいえないかもしれないが、これまでプティの作品をいろんなダンサーが踊っているのを見てきた中で、そのダンサーが単にうまいとか下手とかいうのと別の次元で世の中のダンサーはローラン・プティの振付が体現できるダンサーとそうじゃないダンサーの2つに分けられると考えている。もっとも、これまで見たかぎりではラカッラやカルフーニのようなもともとプティのところにいたダンサー(もちろんジジ・ジャンメールはいうまでもない)を除けば、私がプティダンサーとして認められるのはアシィルムラートワ、フェリ、モニク・ルディエールら数えるほどしかいないのだけれど。

 この「シェリ」という作品、もちろん初めて見たし第1幕は開演ぎりぎりで演目の確認もそこそこに座席にすべりこんだこともあって幕あいに確認するまで「椿姫」だと思いこんでいたのだった。お恥ずかしい。舞台上の置かれたベッドの位置がなにかそれを思わせるようなところがあったし、さすがにフレッチはマルグリットとしてはとうが立ち過ぎている(失礼)とは思ったが、フレッチよりは相当若いとはいえ、ルディエールや森下洋子がジュリエットを演じられる世界であるからには演じたって不思議ではないわけだ。だけど、さすがに違っていたのね。フレッチのシェリは悪くはなかったのだけれど、この作品からはそんなにプティらしさを感じなかったのも確かなのだ。もっとも後でフェリの「椿姫」を見たら全然違うのがよく分かったけど。

 さてそのノイマイヤーの「椿姫」を演じたフェリはやはりこの手の演劇的な要素の強いバレエを演じさせたら本当に抜きんでた存在であるというのを感じさせる舞台であった。一方、なぜこの作品をと考えてしまったのがギエムとルリッシュの「三人姉妹」である。これはひょっとすると演目の選択というより、「椿姫」は全幕を見ているけれど「三人姉妹」は見ていないという差も大きいのかもしれないのだが(「マノン」も全幕を見る前と後ではパ・ド・ドゥの見方が随分変化した)、それにしても腐ってもギエムでもちろん悪くはないのだが、もう少し強度の強い振付の方が特徴がよく出るような気がしたので、ギエムを見る演目としては不満であったのだ。  

 8月7日 出社前に「新・オズの魔法使い」(11時〜)を観劇。

お薦め芝居8月分(8月14日〜9月10日)を掲載。この執筆のためアビニョンレポートも日記コーナーの観劇感想もほとんど書けず。初めての人のための自己紹介伝言板設置はしたものの書き込みがいっさいない。初めての人なんてつけたのがかえってハードルを高くしたのだろうか。アクセスもすっかり夏枯れか1日50〜60程度まで激減しており、このままいくとじり貧になりそうで怖い。

 8月6日  世界バレエフェス観劇。終了後、当日券でフィリップ・ジャンティカンパニー「密航者」(7時〜)を観劇。 

 8月5日 「双数姉妹 〜神無きフタリの霊歌(ゴスペル)」(2時〜)を観劇。終演後WORLD DANCE 2000(4時半〜)に行こうと渋谷に向かうが渋谷駅に着いた時点ですでに4時半になっていたので断念。結局、このダンスフェスは全然見られないまま終わった。なにか皆をあっと驚かせるほどの掘り出し物はあったのだろうか。だれか見た人がいたら教えてほしい。夜は流山児★事務所「百舌鳥夕雲町歌声喫茶」(7時〜)を観劇。

「双数姉妹 〜神無きフタリの霊歌(ゴスペル)」について少しだけ感想を書く。詳しくは後ほど。双数姉妹旗揚げ前の作品の再演ということで戯曲にはところどころ若書きの未熟さを感じるところはあったが、それゆえの魅力もあり、最初に早稲田の大隈裏で見たころの双数姉妹を彷彿とさせ、ひさしぶりに小池竹見演出の空間の魔術を見ることができたような気がする。このところしばらくこの劇団を見ていなかったため、双数姉妹の最近の作品がどんな傾向なのかは分からないのだが、この舞台を見て、次回の本公演から何公演かはまた見てみようかなという気にさせられた。この公演は最初、小池竹見の作演出によるRUPプロデュース「双数姉妹」という題名の芝居として理解していて双数姉妹という劇団とは直接関係のない公演だと思っていたのだが、劇場での場内放送で「本日は双数姉妹公演「双数姉妹」に御来場いただき〜」というのが入ったような記憶があるのだが、やはり双数姉妹のプロデュース公演と考えてよかったのだろうか。以前にも書いたのだが、小池は一時期、バルカン問題を取り上げたり政治性の強い台本を好んで書いていた時期はあるの