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中西理の下北沢通信(旧・大阪日記) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2001-04-01 WHAT’S NEWと日記風雑記帳4月 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

WHAT'S NEWと日記風雑記帳4月

 4月30日 大阪に戻りイングリッシュ・ナショナル・バレエ白鳥の湖」(1時〜、フェスティバルホール)を観劇。

 4月29日 東京で故林広志プロデュース「漢字シティ2 〜さすぺんす〜」(7時〜、こまばアゴラ劇場)を観劇。 

 4月28日 大阪・堂島にあるスペースゼロという小スペースが毎年そこで公演を行った優秀な作品・劇団を表彰するために出しているスペースゼロ賞の受賞式が行なわれたためそれに出席する。今年の受賞者は以下の通りである。

スぺースゼロ演劇大賞

  WI'RE 「人形劇/げんこつ魔王」(作・演出サカイヒロト)

同演劇賞

TPプロデュース「N・O」(作・演出ナカタアカネ)

シナリオ

緑風子 「ヨルノヒマワリ」酔族館

演出

サカイヒロト「人形劇/げんこつ魔王」WI'RE

美術

斉藤勝「しんこうべさん」箱舟

照明

林鈴美「人形劇/げんこつ魔王」WI'RE

男優賞

サカイヒロト「人形劇/げんこつ魔王」WI'RE

平中功治「ババロワ6」ババロワ

近藤ヒデシ「仙人BLADE」COMPLETE爆弾

女優賞

ナカタアカネ「N・O」TPプロデュース

京ララ「N・O」TPプロデュース

浅田百合子「ババロワ6」ババロワ


 以前はここを常打ち小屋としていた劇団との関係でたびたびスペースゼロには顔を出していたのだが、ここ2年ほどはすっかり足が遠ざかっていた。もともとこのスペースゼロというスペースは若手の劇団の登竜門的な性格が強いホールで動員が増えれば外に出ていくという形で上演劇団が入れ替わってきた経緯もあり、今回の受賞劇団はババロワは前身であるプラトニックファミリーを何度か見たことがあるものの、それを除けば未見の劇団ばかり。それゆえ、内容についてはなんともコメントできないのだけれど、とりあえず元遊気舎/クロムモリブデンのサカイヒロトの率いるWI'RE は要注目であろう。

 授賞式を途中で抜けだし、京大ミステリ研のOB会に出席する。学生時代の知人とひさしぶりに話しが出来てなつかしかったが、2次会の場所をあらかじめ設定しておらず京都の街を彷徨しているうちにいつのまにか散りじりになってしまうというのがなんともミステリ研らしく、設立20年以上になるのに一人のしきり役も生みださなかったというのがいかにもこのサークルらしいと思わず笑ってしまう。

 先輩の山川氏と後輩の東山氏が終わった後、大阪でもうすこし飲もうということになり私の家に宿泊することになったので、次の日に予定していた新国立劇場眠れる森の美女」観劇は断念。ひさしぶりに夜遅くまでミステリ談義で盛り上がる(?)ことができたしまあいいか。

 上海太郎舞踏公司からメールで6月の公演についての概要が送られてきたのでここに転載することにする。 

大阪市立芸術創造館提携公演

上海太郎ひとり舞台

「BAD TRIP バッド トリップ(ABSURD改メ)」

構成・振付・演出・出演/上海太郎

振付/室町瞳

日時/6月15日(金) 20:00

     16日(土) 16:00/19:00

     17日(日) 14:00/17:00

 *開場は開演の30分前

 *入場整理券の配付は開演の1時間前に開始

会場/大阪市立芸術創造館

     大阪市旭区中宮1-11-14

     06-6955-1066

  京阪「森小路」下車徒歩10分

  地下鉄谷町線千林大宮」下車徒歩10分

  市営バス 幹33・78系統 大阪駅発新森公園行

   「旭区役所区民センター前」下車すぐ

料金/前売 2800円

   当日 3300円

    全席自由席

前売開始/4月28日(土)

前売取扱/チケットぴあ 06-6363-9999

       (Pコード:P000-000) 

   ローソンチケット 06-6387-1772

       (Lコード:L58547)

   旭区役所 企画総務課広聴企画係

           06-6957-9683

ご予約・お問合せ/芸術創造館 06-6955-1066

劇団お問合せ/上海太郎舞踏公司 06-6477-0291



 4月27日 またもや5月のお薦め芝居の掲載がえんげきのぺーじの締め切りぎりぎりにずれこんでしまいそうだが、先日ふと考えていて、すごくいい考えが浮んだような気がしたのである。それはいっそのこと一度、2カ月分のお薦め芝居を一度に書いてしまって、掲載してしまう。そうすれば締め切りがきても怖くない。これはすごくいい考えのような気がしたのだが、実際に書こうとしてみるとすぐに壁に当たった。というのは劇団と公演の時期はあらかじめ分かっていても、2カ月前だと公演名すら分からない公演が半分以上を占めてしまいそうだということが分かったからである(笑い)。もちろん、情報誌などに頼らず個々の劇団、作家にあたって取材すれば不可能ではないのだが、これが本業ではない身。いちいちそれをやっていたのでは膨大な時間がかかってしまう。例えば来月でも弘前劇場の畑澤聖悟の新作が「月と牛の耳」だと分かったのはここ数日のこと。CRUSACEAの新作も聞こうとは思ってたのだが、そのままになってしまい伝言板に情報の書き込みをしてくれてやっと表題が分かった始末である。

 5月のお薦めは記事を書く前に下調べをしてみたところダンスが充実しているようだ。連休明けには京都で「Edge2」(5月8、9日、アートコンプレックス1928)がある。これは内外の振付家/ダンサーのコンテンポラリーダンス作品をショーケース的な集めた公演で、なんといっても注目はミッシェル・ケレメニスカンパニーの欧州ツアーから帰国したばかりのヤザキタケシによる新作ソロである。さらに同じくツアーに参加していた南アのコンテンポラリーダンスの第一人者ヴィンセント・セクワティ・マントソーのソロ作品。NYポストモダンダンスのフレイ・ファウスト、京都のダンサー黒子さなえの作品も上演される。これは東京でも見られない組み合わせでコンテンポラリーダンスの拠点としての京都の実力を垣間見せる企画である。

 一方、同種の企画ではカナダと日本の8人の振付家が互いの国のダンサーと8つの作品を創作するという「CJ8」も注目(これは関西、東京とも公演あり、関西では6月4日、5日に京都芸術センター講堂で)。カナダの振付家はよく分からないのだが、日本から参加した振付家は山崎広太、伊藤キム、山田せつ子、島崎徹というそうそうたる顔触れ。参加ダンサーも佐藤美紀(Nest?)、椙山雅子(CRUSACEA)、コンドルズに参加している鎌倉道彦、大塚啓一や今津雅晴ら興味をそそられるメンバーで、カナダはラララ・ヒューマンステップスに代表されるようにコンテンポラリーのレベルの高い国でもあるので、そちらのダンサー、振付家がどんな作品を見せてくれるのかにも興味を引かれる。堀だしものがあるかも。

 この他にも前に挙げたCRUSTACEAの「2P(要冷蔵)」(5月21日)、北村成美「北村成美のダンス天国」(6月4日、5日)と関西コンテンポラリーダンス界がほこる2大ダンス芸人による新作。H・アール・カオスの中心ダンサーとして活躍した平山素子、井上バレエ団の島田衣子、牧阿佐美バレエ団の佐々木想美と実力も華もある女性ダンサーが競演する山崎広太の新作「CHOLON」、ローザスの「ドラミング」、マッツ・エックの日本初演作品「カルメン/ソロ・フォー・トゥ」を上演するリヨンオペラ座バレエと内外の注目公演がめじろ押しなのである。

 4月26日 実際に掲載されたらここでも紹介したが、外部からの原稿依頼が急きょ、しかも複数飛び込んできて忙しい。世間(特に大学生が)連休態勢に入ってしまったせいだろうか、先週までは増えていたこのページへのアクセスが激減している。連休中はまだしも果たしてこのじり貧状態が回復できるのだろうか。こういうことを書いていると「また、ぼやきがはじまりましたね」といろんな人に指摘されかねないのでこのくらいでやめておくがちょっと不安である。

 東京から大阪に帰る途中、渋谷の駅で偶然にも水と油のおのでらんこと小野寺氏にばったり出会う。広いはずの東京でこういうことが偶然あるから不思議である。短い時間で数語会話を交わしただけなのだが、秋に高知県美術館で公演があるということを確認できた。詳しいことが分かったらこのページでも紹介することにしたい。

 伝言板にはCRUSTACEAも次回の公演(5月21日6時〜、8時〜、大阪・なんばのトリイホール)の情報を書き込んでくれた。時間が残り少なくなったが、今月(4月)の表紙写真で踊っているのがCRUSTACEAである。内容の詳細は不明だが、面白いとは思うので、表紙写真を見て興味を持った人はぜひ見にいってほしい。でも例えばダンスバレエ中心、コンテンポラリーでは勅使川原三郎と山海塾しか見たことがありませんという人が見にいって「お薦め公演だから期待していったのにこんなお笑いを見せられるとは」と感想を持ったとしても私はいっさい責任を取るつもりはないけどね(笑い)。うわさによれば今回は彼女たちとしてはシリアス味の強い作品を作っているというのだけれど、どうなんだろうか(笑い)。

 遅ればせながら連休中後半(5月3日〜6日)のスケジュールが固まったのでここに書いておくことにしたい。大阪〜東京〜利賀(富山)〜大阪の日本大横断ツアーである(というほどのこともないか)。3日は東京に行きLED「見知らぬ演芸場の問題」(6時半〜)を見た後、東京で一泊(宿はまだ未定)。4日は羽田12時発〜富山1時着のANA885便で富山入り。空港近くでレンタカーを借りて、利賀村入りの予定。この日は山の手事情社「平成・円朝・牡丹燈篭」(4時〜)、テアトロ・マランドロ「バッコスの信女」(7時〜)。利賀での宿も予約済みだがまだ聞いていないので不明。翌5日はシンポジウム(1時〜)、柳家花緑「長屋の花見」(4時〜)、ク・ナウカマクベス」(6時〜)。利賀にはもう一泊して翌日帰阪。もっとも最初は昼ごろの列車で帰り大阪に戻った後で、えびす堂大交響楽団「ラジオドッグ 超★絶★編」を見るつもりだったのだけど、列車が満席で戻れず。やっと手に入ったのは富山駅5時13分発のサンダーバード44号(新大阪着8時28分)であった。山からは昼ごろ降りるとしてもいったいなにをして時間をつぶせばいいのだ。列車の時間まで……。一応、列車は指定席を確保したのだけれどもう少し早い時間の列車の自由席ってこの時期空きがあるんだろうか。情報持ってる人がいたら教えておくれ。

 同じ時期に利賀に行く人いないかと前に呼びかけたのだけれど、反応は皆無。どうやらこのページを見ている人にはいないみたいだなあ。

 4月25日 ク・ナウカマクベス」のプレビュー公演(サイスタジオ小茂根スタジオ)を観劇。今回はプレビュー公演なので評価は利賀での本番を待ってからにしたいが、美加理が出演しないということもあってかいつもとはちょっと毛色の違う作品に仕上がっていたのではないかと思う。最近のク・ナウカの本公演ではある程度完成度に重点を置き、客演を含めキャストの面でも絞り込んでいた印象がある。この舞台はマクベスの阿部一徳以外は魔女(というか魔物)を男性キャストが担っているほか、主要なキャストはムーバー、スピーカーともにすべて女優という思いきったキャスティング。いろんな意味で最近のク・ナウカの舞台としては珍しく実験性の強いものとなっていたのではないかと思う。演出、解釈ともにいつも以上に演出家、宮城聰の存在というのが色濃く感じられ、個々の演出、解釈については異論がなくもないのだが、結論は利賀の舞台を待ちたい。これまで美加理のムーバーに対応するスピーカーとしての役割を担うことの多かった阿部一徳の役者としての凄みが感じられる舞台であったことは間違いなく、利賀の最終日にはその演技がどのような進化をとげているのか注目したい。

 4月24日 大阪松竹座「四月大歌舞伎」(昼の部、11時〜)を観劇。ひさびさの歌舞伎である。幕見でちょっとだけ見たのはこのページにも書いてないことがあるので、はっきりとは分からないが昨年夏に歌舞伎座で「四谷怪談」の通しを見て以来ではないだろうか。大阪に来て、今の仕事のスケジュールだと夕方から出社して夜中までという日があるので、午前の部であれば東京時代よりも歌舞伎ミュージカルなどは見やすくなった。もっとも公演自体はどちらも東京と比べると少ないのだけれど。

 今月の大阪松竹座は10代目坂東三津五郎の襲名披露ということなのだが、昼の部には口上もないので、これだけ見ていたのではなんとなくピンとこない感じである。昼の部で上演されたのは「梶原平三試名剣(石切梶原)」「二人道成寺」「寺子屋」。そのうちこの日の白眉といえたのが「二人道成寺」。私は歌舞伎の舞踊系の演目はきれいだけれどしばらく見ていると退屈して眠くなってしまうことが多く、どちらかというと苦手なのだが、この日は前日遅くまで起きていて、体調はあまりいいとはいえなかったのに珍しく全然眠くならなかった。というのは、この日親子で「二人道成寺」を共演した菊之助がまさに匂うがごとき芳香をはなってるという感じで実によかったからだ。市川新之助、尾上辰之助と「平成のサンノスケ」と騒がれていたのは知っていたが数年前に浅草で見たきりですっかり御無沙汰だったので、新之助はともかく菊之助が最初に見た時と比べてここまで成長しているとは思わなかったので恥ずかしながら吃驚させられたのだ。歌舞伎ファンの人に言わせれば今ごろなに言ってるのってことになるとは思うのだが。

 もちろん、まだ時分の花であるとは思うのだが、まさにこの時だけの若女形のオーラを放っていて、芸ということからすれば絶対に菊五郎の方が上のはずなのに二人で踊っているといつのまにか菊之助の方を目で追ってしまっている。これは私が歌舞伎の素人だからかと思ったのだが、周囲の客の視線を観察してみるとやはり同じような客が多いのである。これは歌舞伎もちょっと本腰を入れて見ないと最近の流れにおいていかれてしまうなあと思ったのであった。

 後の2本はどちらもオーソドックスな丸本の時代物で、メーンのはずの三津五郎は「寺子屋」で松王丸に扮しているのだが、このキャストはどうだったのだろうか。武部源蔵ですごくきめ細かな芝居をする仁左衛門がいかにもうまいって印象なのでそれにすっかり喰われてしまってるような感じだったのだけど。「石切梶原」は朝起きられなくて、冒頭部分を見逃してしまったのでなんともいえないのだけど、雁治郎はよかったんじゃないかと思う。

  

 4月23日 今週以降の予定を書く。明日(24日)は早起きして仕事の前に大阪松竹座四月大歌舞伎を観劇の予定だったが、こんな真夜中(というよりは明け方近く)にホームページ更新していて起きられるのかどうかかなり疑問。今週は25日が平日休みになるため東京に行き、ク・ナウカマクベス」のプレビュー公演(サイスタジオ小茂根スタジオ)を見てくる予定。週末は土曜日(28日)は堂島スペースゼロでスペースゼロ賞の授賞式(2時〜)に出席した後、夜は京都で京大ミステリ研のOB会に参加。日曜日は再び東京に行き故林広志プロデュース「漢字シティ2」を見る予定である。それにしてもよく考えるとちょっと東京に行き過ぎてるよなあ(笑い)。故林広志の場合、東京にいてガバメント・オブ・ドッグスの公演がある時にはかならず関西に戻ってきていたから行くのはやぶさかじゃないのだけれど、ク・ナウカの場合、最初は利賀で見るのだからと行く気はなかったのだけれど、珍しくこの日が平日休みだというのに気が付き、見られるじゃないのと思いついつい予定を入れてしまったのだった。まだ、来月の仕事のスケジュールが完全には固まらないので本決まりじゃないけど、ゴールデンウイークには東京(LED「見知らぬ演芸場の問題」)から飛行機で利賀へと移動、帰りは列車で大阪へという日本縦断も計画しているし、連休が終わったらちょっとは節約しなくてはと思うのだけれど、シベリア少女鉄道、山崎広太の公演にも心が揺らぐのであった(笑い)。まあ、いいや金がなくなったらなくなった時だ。そのために連日、時には深夜2時まで汗水たらして働いているんだから、それを全て休日の観劇につぎ込んでなにが悪い。養わなくてはならない妻子もいるわけじゃないとすっかり開き直った気分なのである。


 このサイト内でコンテンツをワード検索するソフトを友人が用意してくれたので取りあえず試験的に掲載してみた(伝言板の発言からリンクしてます)。使い勝手がよければ正式に表紙からリンクしたいと思うので、使ってみて感想を聞かせてほしい。自分で使ってみた感じではまあまあだと思うのだがどうだろうか。ただ、全部が引っ掛かってるわけではないみたいだなあ。

 ナイロン100℃「すべての犬は天国に行く」の感想を一部4月14日の日記に追加。    

 4月22日 超歌劇団「恐怖の花咲かじじい」(2時〜、アトリエ劇研)を観劇。超歌劇団の今回の公演は時代劇であった。といっても、超歌劇団のことゆえ、時代考証などはあるべきもなく、いつもどおりのストーリー展開(主人公が悪人と対決、苦戦のすえ必殺技を繰り出して最後には勝利するというもの)だが、相変わらずつっこみどころ満載の舞台でおおいに笑わせてもらった。初の関西公演(しかも京都)ということもあって、観客にもとまどいが隠せないというのがあったので、笑いという意味での反応はいまいちでうるけん一郎太は芝居が終わった後のシンポジウムで「京都の客は厳しい」とぼやいていたが、私は一番後方の席にいたこともあり、そうした観客のとまどいを隠せない反応も含めその場で起こっていることが妙におかしくてたまらなかった。ストーリーは埋蔵金を掘り当ててここほれワンワンと鳴いた愛犬のポチを徳川家康に殺され、埋蔵金も奪われた老夫婦が復讐の鬼となり、忍者としての修行を積んで、家康に戦いを挑むというものなのだが、多分そんなことを説明しても見ていない人にこの芝居の面白さは伝わらない。第一、修行といったって静岡のどこか自宅に近所でロケしてきたと思われるなんともチープなビデオ映像でうるけん(?)が山道を走ってきて、なぜか滝に打たれている姿がちらっと見えるだけだし、なんで一介の農民としか思えない老夫婦が忍者になれるのかとかそういう細かいディティールの説明はいっさい芝居の中ではされない。しかも、いつのまにか江戸に出てきて、枯れ木に花を咲かせる術でもって有名になり、家康と会うことがができるのだが、これもなぜそれができるのかという説明はいっさいなく、その強引な物語の展開には「なんでそうなんじゃい」と思わずつっこみをいれたくなるところが山ほどあるのだが、そういうことは一切無視して芝居はどんどん進んでいくのである(笑い)。

 家康の部下である剣の達人が出てくるのだが、これが実際に対戦してみると弱いし、しかも冷静になって考えてみると(考えるな)、花咲かじじいとその妻は 2人で1人を相手にしているうえに謎の妖術(??)ジャスティスを繰り出しそれに相手が気に取られた隙に背中から斬り付けているから、はっきりいって卑怯なのである(笑い)。

 馬に乗って逃げる家康をやはり馬に乗ったじじいが追いかけるカーチェース(正確には馬チェースか)があり、うるけんによればこれはある映画の場面を元にしたものだというのだが、予備知識なしにその映画がなにかを言い当てられる人はまずいないだろう(笑い)。そういえば私が見た回の舞台では家康が乗った馬が舞台上手のそでにはけた後、なぜか向かって手前の暗幕のすき間からにゅっと首だけが飛びだして、吃驚するとともにその有り様がおかしくてたまらなかったのだけど、あれはやっぱりミスだったんだろうなあ。

 今回の超歌劇団の公演はアトリエ劇研の演劇プロデューサーである杉山準君が企画した第2回アトリエ劇研演劇祭の一環として実現したものだ。あえて、ここで君とつけたのは杉山君がまだワン・プロジェクトという劇団で役者をやっているころから彼を知っていたからなのだが、今回の演劇祭は結局、参加4劇団(ベトナムからの笑い声、石原正一ショー、スクエア、超歌劇団)の公演を全て見たのだが、ラインナップも面白く、「笑い」というコンセプトのもとに総花的なものにするのではなく、選ぶ側の個性がはっきりと感じられるものであったことに非常に好感を持った。小屋としてのキャパや京都という立地、予算もそれほどなかったであろうことから考えると、いろいろ制約もあったなかで敢闘賞ものの企画であったんじゃないかと思う。

 東京でも関西でも老舗の小劇場にはかならず有能なプロデューサーがいて、その存在は若手の演劇人が経験を重ねて、優れた作品を作るようになるに関して大きな役割を果たしている。ただ、特に関西では小劇場スペースとして使える空間が新しく出来ている割にはプロデューサーの数がまだまだ足りないと思う。こういう若手で野心のある企画を企てるプロデューサーがもう10人も出てくれば関西の演劇状況も変わると思うのだが……。  

 4月21日 ジャブジャブサーキット「高野の七福神」(7 時半〜)を2回目観劇。この芝居では重要なモチーフとしてこの村にある高野神社に祭られているとされる七福神の信仰が登場してくるのだが、前日に見た時にちょっと気になったのでネット検索でちょっと調べてみるとこれがなかなか興味深い。七福神についてはこの芝居の中でも解説がされるのだが、簡単に復習しておくと「恵比須」「大黒天」「毘沙門天」「布袋(尊)和尚」「福禄寿」「寿老人」「弁財天」の7神。私もこの芝居を見るまでほとんど積極的に興味を持ったということがなかったので、この7神が宝船に乗っている絵を正月第2夜に枕の下に入れて眠るといいという民間の俗信とか、今年はなかったような気もするのだが、正月になると某フィルムメーカーのCMにこれに扮した人たちがここ何年か登場し、そのなかにはいろいろ演劇に関係する人もでていたような(笑い)とかいうぐらいのことしか思い浮ばなかったのだが、考えてみればこの芝居の中でも指摘されているようにインド・中国・日本の系統も出自も違う神様がそれこそ呉越同舟しているわけで、アバウトを特徴とするきわめて日本的な産物といえよう。クリスマスも正月もバレンタインデーもおめでたいものはなんでも祝ってしまおうという日本的な慣習はなにも現代のことだけではなく、昔からやっていたということである(笑い)。

 それぞれの神様について調べたことをここに私がまとめて書いてもいいのだが、それよりもいくつか関連のホームページでいくつか面白いところを見つけたので、まずそれを紹介したい。名古屋・東京でこれからジャブジャブの芝居を見るという人はこれを読んで多少の知識を予習しておくと芝居が一層理解しやすいかも。まず七福神信仰については七福神巡拝が詳しい。また、おそらく京極夏彦関連ページと思われる百鬼雑文というページにも七福神の項ほか妖怪や幽霊などについて興味深い記述がある。「高野の七福神」の中でも実は七福神にはいろいろ変遷があって、最初からこの7神は固定されていたわけではなく、室町時代の七福神図には弁財天の代わりにアメノウズメが入っていたとか、寿老人の代わりの吉祥天(毘沙門天の妻)が入っていたとか、猩々が入っていた時期があったとかいうことが引用したホームページにも紹介されているし、この芝居でも簡単に紹介されるのだが、特に面白かったのは猩々について書かれているページも見つけたことだ。猩々というのは中国の想像上の動物で、その姿はサルのようだともブタのようだともされ、オランウータンモデルになったのではないかという説が有力なのだが、「山海経」に登場するいろんな珍獣を紹介するページによればそれは実は「件(くだん)」と同じものではないかというのである。この一連のやりとりはなかなか面白いので興味を持った人はぜひ読んでみてほしい。

 「件」といえばなんといっても「件の件」を書いた天野天街のことが思いださせるが、いろいろと調べていくうちに「高野の七福神」→七福神→猩々→件→ 「件の件」と昨年はともに合同公演までやったこのふたりの芝居が風が吹けば桶屋がもうかるというようにつながっていったことにどこか運命的なものを感じてしまったのだが、それは私だけだろうか(笑い)。 

 4月20日 ジャブジャブサーキット「高野の七福神」(7時半〜、扇町ミュージアムスクエア)を観劇。コンテンツのホームページ掲載の際にトラブルが起こって、日記コーナーが見られなくなってしまった。直す暇が取れずに復旧に時間がかかってしまったのだが、無事にアップできているだろうか。

 「高野の七福神」はいかにもはせひろいちらしい巧緻に作られた群像劇であった。最近の近未来的な設定で観客に行間を読ませていくような芝居が続いていたはせであるが、この芝居は村祭りの準備を進めている岐阜の田舎の村の集会場を舞台にしだいに登場人物間の隠された関係が露わになっていくというもので、もちろんジャブジャブの芝居ゆえ、そこには単なる日常劇に収まらないいろいろな企みが張り巡らされてはいるのだけれど、幻想3部作から「非常怪談」につながるような系譜の芝居に一度、回帰することで再び新たな着地点を探ろうとしているような感じを抱かせる好舞台に仕上がっていた。

 周到に張り巡らされた伏線をすべて読み取り、その全貌を俯瞰するのには多少の集中力が必要だが、いつも以上にコミカルでエンターテインメント色も強いので、いろんなフェーズで楽しむことができるように作られているのが今回の特色といえそう。この芝居はミステリ劇ではないもののはせが舞台上で観客の投げ掛けた様々の謎がどう読み解けるのかを具体的に提示するのは今後見る観客の謎解きの楽しみを奪うことにもなりかねないので、ここでは触れず別項を立てることにしたいが、最近のはせ作品の中では理解しやすく気軽に楽しめるだけに今後、公演のある名古屋、東京の演劇ファンにはぜひ見てもらいたい作品である。役者的にも咲田とばこの珍しくコミカルな演技や鬼頭卓見の熟練を感じさせる存在感など見どころが多い。栗木己義のあの役での登場にもちょっとびっくりさせられた。 

 4月19日 ひさびさの平日休み。その代わり今度の土曜は仕事しなければならないが。KOPキリンプラザ大阪に行き第6回アート・ドキュメンタリー映画祭in大阪から「マイケルクラーク」「オイディプス王ク・ナウカ」を見る。本当はこの日、上映される「ウィリアム・フォーサイス」も見たかったのだが、前日、飲みに行って明け方まで起きていたのがたたって、起きたら2時を回っていた。「マイケルクラーク」はパンクバレエと呼ばれ80年代に挑発的バレエ作品を作り一世を風靡したダンサー/振付家、マイケルクラークが 99年に4年ぶりのカムバック作を作った時の製作過程を追ったドキュメンタリーである。この映画祭ではこれまでいくつかダンス関連の映像作品を上演してきて、その中にはラ・ラ・ラ・ヒューマンステップスの「ベラスケスの小さな美術館」や映像版「ローザスダンスローザス」のような傑作もあり、マイケルクラークという人は名前を聞いたことはあったが、どんな作品を作るのかこれまで知らなかったのでその世界に触れるいい機会と期待して見にいったのだが、ドキュメンタリーとしてはまだしもダンス作品はつまらなくてがっかりしてしまった。80年代半ばはまだしもフォーサイスやラ・ラ・ラを経験してきた今見るとムーブメントがあまりにバレエそのままで、しかも単調な感じがして正直いって退屈してしまう。しばらく、英国に滞在していたダンス通の人に英国のコンテンポラリーダンスになにか面白いものあると聞いたら「英国にはコンテンポラリーダンスはない」って答えが返ってきて、「そんなばかな」って思ったのだけど、これを見てしまうと本当にそうなのかも知れない。やはり、この映画祭で作品が上映されたDV8なんかが代表的なカンパニーなんだろうけど、あれも面白さは演劇的な表現やモチーフにあってムーブ自体がそれほど面白いってものじゃなかった。演劇もそうなのだが、やはり前衛ということになるとドイツフランスベルギーあたりの方が数段先進的なようだ。

 「オイディプス王ク・ナウカ」は昨年の利賀フェスで上演されたク・ナウカの「オイディプス王」の練習風景を再構成して、編集によって1本の作品としてまとめたもので、予想していたようなメイキング的なものではなくて、いろんな段階での練習をモンタージュして「オイディプス王」という作品に仕立て上げたものとなっている。ただ、もともとはもっと長い芝居を字幕の解説とかで一部を飛ばして、無理やら通しているため、この芝居の筋立てを知らないと逆にちょっとしんどいのじゃないかという感じもする。本当は宮城の演出風景などが見たかったところだが、どうやら製作者の関心はそういうところにはなかったようで、ほんの短いカットで利賀の雪だらけの光景なども写しだせるものの、ほとんどがいろんな段階でのリハーサルを芝居の進行の順序に無作為につないだような形で構成されている。それでもク・ナウカを見たことがない人にはこの集団の特異な表現スタイルと主演女優である美加理の魅力の一端は伝わるようには作られており、大阪での上映は終了してしまったが、この後、神戸での上映も予定されているようなので(第6回アート・ドキュメンタリー映画祭参照)、見に行く価値は十分にあると思う。

 オーケストラバレエ「ロメオとジュリエット」(6時半〜、フェスティバルホール)を観劇。

 以下簡単に公演概要を記すと

 音楽 セルゲイ・プロコフィエフ

 制作・振付・台本改訂 ウラジミール・ワシリーエフ

 指揮 ムスティフラフ・ロストロポーヴィッチ

 管弦楽 新日本フィルハーモニー

 リトアニア国立バレエ

 キャスト ジュリエット/エグレ・スポカイテ、ロメオ/イーゴリ・エブラ、ティバルト/アレクサンドル・モロドフ、パリス/ミンダウガス・バウズィス、マーキュショー/ワレリー・ファジェーエフほか

 本来ならリトアニア国立バレエ公演となるべきところを情報誌などでもオーケストラバレエとなっているのはこの座組みの中で指揮者のロストロポーヴィッチがただ一人だけ抜群に知名度が高いからであろう。東京でだったらたぶん見る気にならなかったであろうこの公演のチケットを思わず取ってしまったのはこの日がたまたま休みだったせいもあるが、関西に来てみて演劇やコンテンポラリーダンスの公演はまだしもバレエの公演については東京の盛況ぶりと比較すると天と地ほども違うことに気が付いてがく然としてしまったからだ。もっとも、これは大阪に限らず世界のどの都市においても地元に拠点を持つバレエ団がどの程度充実しているかは別にして、わずか1カ月程度のうちにロイヤルバレエ、パリオペラ座、ボリショイ、キーロフ、ABTと世界を代表するバレエ団ないし、バレエ団のダンサーが次から次にやってきて、公演する場所なんてところはないし、それは東京だけのことだから仕方ないのだけれど、バレエを見るということからいえば東京の観客はいかに恵まれているかというのを再認識してほしいと思った。

 さて、そういうわけで、まあバレエにはそんなに期待できないかもしれないけれど、ロストロポーヴィッチコンサートに来たと思えばと行った公演だったのにこれが意外にも予想以上に満足できるものであった。まず、ジュリエット役のエグレ・スポカイテというダンサーが可憐でいかにもジュリエットという感じがでていてよかったのだ。派手さはないのだが、演技や技術もしっかりしていて(とはいってもこのバレエには技術を見せまくるような超絶技巧な振付はいっさいないのだが)、こういうダンサーがいたのかという感じである。もっとも、可愛らしい感じのタイプなので若手なのかと思っていたら、71年生まれで、96年の名古屋国際バレエダンスコンクールで1位になっているというから知っている人は知っていたのかもしれないけど。

 スポカイテはリトアニア国立バレエのプリマなのだが、ロミオ役のエブラという人はスペイン人のダンサーで、マドリッド・コムニダッド・バレエから現在フリー。甘い2枚目系で長身なのだが、均整がとれていていかにもダンスール・ノーブルという感じ。「ロメオとジュリエット」の場合、芝居の場合でもこのキャストさえうまくはまってくれれば勝ったも同然というところなのだが、今回の舞台それが非常にうまくはまってたんじゃないかと思う。

 もっとも、オーケストラがオケピットの中じゃなくて、舞台の中央に居座っているというこの演出のコンセプトに関してはオケの音はいつもよりよく響くからいいのだが、バレエとしてはやはり見にくいし、問題があるんじゃないかと思う。ステージはオケの手前と奥の一段高くなっているところと二つに分かれているのだけど、2階席からはまだしも、奥の舞台で行なわれていることは見にくいことこのうえないのだ。しかも、オケがいて手前の舞台では奥行きが取れないので、振付も斜めの動線が使えずどうしても書割り舞台的な単調さを感じざるをえないのである。コールドバレエの質にも若干疑問が残ったし、衣装も特にコールドのヴェローナの住民のものなどもう少しなんとかしてくれという気になってしまう。

 それでも相対的に満足できたのは演奏がまあまあよかったというのとスポカイテの演技に最後の方は珍しく引き込まれてしまったというのに尽きる。次の関西でのバレエ観劇の予定は4月30日のイングリッシュ・ナショナル・バレエ(1時〜)。熊川哲也が出演しない方の回である。関西ではまったくバレエ観劇の同士(特に男性)がいないので、もしそういう人がいたら知りあいになりたいところだけど、このホームページに書いても無駄だろうなあ。ちなみにバレエは私、好きで時々見ていただけで本当に素人ですので(笑い)。       

 4月18日 落ち込むことがあってちょっと反省。いろいろ考え込んでしまっている。

 これまでも不定期にこの日記のコーナーなどでミステリ小説の感想などを書き込んでいたのだが、特別に部屋を作るかどうかは別にして、関西に引っ越したのを機会にもう少しきちんとした形でミステリについても取り上げようかなと思っている。もちろん、このページが演劇・ダンスを中心にした構成であるということには変わりないが、関西に戻ってきたことで、ミステリ小説への昔の情熱が少しだけ甦ってきたからだ。

 そういうわけで突然だが、カーター・ディクソン「魔女が笑う夜」を最近読み返して考えたことをちょっと書いてみたい。カーター・ディクソン=ディクソン・カーといえばクイーン、クリスティと並んで本格推理小説の御三家といわれ、なかでも密室の大家として知られるというのが江戸川乱歩がカーを紹介して以来の定説だが、それは本当なんだろうか。「笑う後家」の表題でも知られていたこの「魔女が笑う夜」という作品をひさしぶりに読み返してみて、本当にそうなのだろうかと疑問を抱き始めたからだ。

 私は以前この作品を読んだ時には乱歩以来のカー=本格という定説に毒されていたため「笑う後家」のことを駄作ないし怪作としか思わなかったのだが、今回読み直してみて思ったのは本格と思わずこれをファルス(笑劇)ないしスラップスティックコメディだと思って読み直せばこれは相当おかしいし、笑えるという意味でかなりの傑作といっていい。ヘンリー・メリヴェール(HM卿)の最初の登場シーンからスーツケースのレースに到る部分からして、相当ボードビル的だし、ラスト近くのバザーの場面などまさにこの冒頭部分と呼応してインディアンの扮そうをしたHM卿による泥投げ合戦の描写などサイレントムービードタバタ喜劇の定番といってもいいほど。

 これは到底、ミステリ小説に読者サービスとして軽くユーモアを付け加えてみましたなんていう類のものではなく、それ自体を目的としてそのために書いたとしか思えないからである。一応、ミステリファンを意識してのストーカーまがいの手紙を村の人全員に出している「後家」とはなにものかという謎とか、密室とかも出てはくるのだが、密室のトリックなどはそれをトリックだと考えるとどうかというものなのだが、それ自体がこの小説全体のスラップスティックコメディとしての筋立てと妙に呼応するもので、ひょっとしたらそれもギャグの一部をなすのではないかと思われてきたからだ。実はカーには単独で解決とかトリックとかを考えるとどう考えてもバカバカしく、まさかとかなんでこんな風にと思わせるものがいくつかあって、こうした点が傑作も書くけど駄作も多いとかいうような定評のもとになっているのだが、今回、「魔女が笑う夜」を読み直してひょっとしたらそういう風に考えていた作品のいくつかは本格ミステリを書いてるつもりはなかったんじゃないかと思われだした。

 さしあたり、気になっているのはなんであんな解決なのと思ってしまった「アラビアンナイトの殺人」と「死者を起こす」あたりなんだけれど、近いうちに本を探して読み直してみようと思う。

 4月17日 今週の観劇予定は19日がオーケストラバレエロミオとジュリエット」(6時半〜)、20日、21日がジャブジャブサーキット「高野の七福神」(7時半〜、扇町ミュージアムスクエア)、22日が超歌劇団「恐怖の花咲かじじい」(2時〜、アトリエ劇研)。お薦め芝居にも書いたが特に後半の2作品は必見である。関西でもかなり知名度のあるジャブジャブサーキットはともかく、関西初登場の超歌劇団はおそらく関西で知っている人は少ないと思うので簡単に紹介しておくと静岡に本拠を置く劇団だが、ガーディアンガーデン演劇フェスに出演したのをきっかけにして東京では何度か公演を行うようになった劇団で、その特徴は一昔前の劇画を彷彿とさせるような単純明快なストーリーをうるけん一郎太をはじめとする役者たちのハイテンションでありながら、普通の演劇からするとどこか間違った方向に思い入れたっぷりの熱演によって見せていくことである。その熱さの空回りぶりがおかしくの哀しく、とにかくこれはもう笑ってしまうしかないのである。毎回売りものなのが、舞台上に設営されているSFXの装置なのだが、これがまた大仕掛けのようなのになんともいえないしょぼさが魅力。忙しそうだろうから無理だろうけど一度、西田シャトナーに見てもらって感想を聞かせてもらいたいほどだ。(笑い)。今回の芝居ではどんなのが飛びだすかすごく楽しみである。なんか褒めてないみたいだけど、すごくおかしいし、インパクトは凄いから、大阪の人は京都ということでちょっと遠いけどわざわざ見に行く価値は十分にある。おそらく、関西には知りあいもいないだろうし、本当に心配なのは内容より動員なので、ちょっとでも興味を持った人はぜひ行ってみてほしい。

 4月16日 人の楽しみに水を差すようなことはしたくはないというのが人情なので伝言板ではコメントをあえて避けていたのだけれど、どうやらちょっと冗談じゃすまなくなってきたようなので私なりの考えを書いておく。なんのことかとお思いの人もいるかと思うが、伝言板でコメントリンクになっている西澤保彦作品の舞台化についてである。(興味のある人は伝言板を参照して)

 西澤作品についてはLEDという演劇集団がこれまで匠千暁シリーズを2本舞台化していて、これはどちらも非常に素晴らしい出来栄えであった。LEDはこのシリーズのオリジナルストーリーによる舞台作品「見知らぬ演芸場の問題」も舞台化の準備を進めておりこれは今月のお薦め芝居でも取り上げた。

 さて、ここで書こうとしているのはそれではなくて「人格転移の殺人」の舞台化が可能かどうかという問題である。残念ながら無理である。あるいはたとえ可能だとしてもそれは極度に困難であるというのが私の結論である。この小説は人間の人格がある時間ごとに入れ替わってしまうという特殊な状況を設定して描かれたパズルストーリーなのだが、別にある種の多重人格もののストーリーのように別々の人格を俳優が演じ分けるのが難しいからなどという技術的な問題で難しいなどと言っているわけではない。現在手元に本がないので詳しいことは書けないのが申し訳ないのだが、これが無理なのはパズルストーリーとして成立させるためにこの小説が複数の人間の内面描写(一人称描写)を含んだ記述を組みあわせることによって成立しているからだ。

 これは演劇と小説の特性の違いといえば分かりやすいが、演劇というのは基本的に内的描写を苦手とするメディアであって、これが小説なんかとは大きく違うところなのだ。小説では章立てによって叙述を自由に一人称、三人称と変えることも可能だし(ミステリ小説でこれをやりすぎるとかならずそこになにかあるんじゃないかと勘繰られるので避けた方が無難だが)、演劇ではできない。さらに小説では神の視点とでもいうように三人称で登場人物を俯瞰しながら、そこにそれぞれの登場人物の心理描写を付け加えていくことが可能だが、演劇は基本的に傍白とか地の文章に当たるナレーションを多用しない限りはそういうことはできないのだ。

 これが同じビジュアルメディアといってもテレビや映画と演劇が大きく異なるところで、こういう叙述に関る仕掛けを多用する作品は映画化は簡単ではないといっても根源的不可能ではないのだが、舞台化は不可能なのである。

 より分かりやすくいえば舞台化するとそれは原作の趣向を大きく損なうことになり、そういう形で舞台化ないし映画化された作品はこれまでもなくはないけれどことミステリ小説の映像化という意味では原作のミステリとしての趣向を損なった作品はミステリ劇としては認めがたい(というかそういう安易なものは見たくない)からである。

 LEDのこれまでの作品を評価してきたのはそういう事情をしっかり分かって作品を作っているからだ。これは演劇の本質にかかわることではないかと思うのだが、ある種の心理劇が非常に見ていてスリリングになりえるのは他人の心理というのは根源的に知りえないということがあるからだ。

 繰り返そう。演劇だけでなく、この世界に生きている私たちもそうなのだが、人格転位というものが仮に本当にあるとしてもある男の人が女のように振る舞ったとしても女の人格がその人に転位してそうなったのかなんらかの理由でそういう風に見せかけるように振る舞っているのかはその人の振る舞いからだけでは区別がつかない。

 それではどうにもならないので、この話がミステリとして成立するのは地の文と地の文とひとつながりになった会話以外の文章には一応嘘がないというのが、ミステリ小説の暗黙の約束事となっているからである。ところが芝居にはそれがないので、こういう形式の小説を元のままの構造をそのまま生かして劇化するのはまず不可能なのだ。

 そんな細かいことに一々目くじら立てなくてもと思う人がいるかもしれないが、ミステリ劇というのはミステリとして成立していてしかも演劇としても成立しているべきだというのが私の考えなので、その前提がなくなってしまうと原作を読んでないで「十角館の謎」をテレビドラマ化しようと話を持ちかけた某テレビのプロデューサーのようなことになってしまいかねないのであえてこんな言わずもがなのことを書いてしまった。読んでいて気がさわる人がいたら申し訳ない。   

 4月15日 東京に行きトリのマーク「The Picturesque House 景色のような家」(4時〜、現代美術製作所)とナイロン100℃「すべての犬は天国に行く」(7時〜、本多劇場)を観劇。

 場所から発想する演劇、そこから見える風景を借景してしまう演劇、そして言葉(台詞)から様々な風景を連想させる演劇。これがこれまでのトリのマークの演劇ののコンセプトだったのだが、山中正哉の発想の豊かさには思わず脱帽させられた。今回はそうしたこれまでのコンセプトを逆手に取って逆転させたような芝居だったからである。芝居とは一応書いたけれど、ある意味で今回の舞台は「エンゲキ」という枠組み自体を解体していくようなところがあって、そこがこれまでにも増して面白かったのである。

 これまでトリのマークは劇場以外の場所で公演する時には外が一部見えるような半開放空間を選ぶことが多かった。それに対して、今回の現代美術製作所は壁も床も真っ白に塗りこめられた空間で、窓から外も見えない。白い壁には1個所だけ緑色のテープで家のようなものが描かれているのだが、このなにもない空間を山中は白いキャンバスとして使ってみせる。

 山中の読み上げるナレーションに従ってこの空間に柳澤明子が現れるとこの壁に緑のガムテープを張り付けて、まず、窓を、そして、今度は窓の中の室内空間をちょうどお絵書きのアニメーションのように描いていく。柳澤はいっさい台詞をしゃべらないから、これは無言劇といってもいいのかもしれないのだけれど、これまでトリのマークが上演してきた無言劇とは違って、ここでは多少の演技はともないながらも、緑のガムテープを適当な大きさに切り取って、次から次へと壁に床へと張り付けていくことでいわば白紙の状態から世界を創造していくのである。

 実はトリのマークは昨年から今年の初めにかけて敢行した12カ月連続公演の一環として、展示を行いその中でお楽しみ企画と題して「ギロンと探偵の夏休み」と題する紙芝居を上演したことがあった。これは紙芝居だったので、演劇公演とは一線を画していたのだが、今回のコンセプトは限りなくこの紙芝居に近い。つまり、紙芝居というのはわざわざ説明するまでもないけれど、あらかじめ紙に描かれた何枚かの絵に従って台詞入りのナレーションが読み上げられ物語が進行していくものなのだが、ここでは台詞の読み上げこそないものの、山中正哉の語るナレーション(状況説明)に従って柳澤がその場でテープを張り付ける行為によって絵(世界)を描いていき、それに従ってストーリーが進行していく。さらに時には3人の魚男たちが入ってきて、やはり無言で張り付けられたテープを剥がしていくことでも、次の風景へと物語が進行していく。こういう仕掛けで舞台は続いていくからだ。

 その場である種の絵やイラストのようなものを書いていくという美術パフォーマンスは存在するから、これはもう演劇というよりパフォーマンスといった方が適当なのかもしれないが、一方で演劇という概念を広く取ればこれはやはり演劇だということももちろん可能だ。もともと、既成概念に搦め捕られることなく表現をしていきたいという強い意志がトリの形をしたシルエットのロゴをそのまま劇団名だとして、自由に読んでほしいと語りかけているこの集団のありようからいえば別にこれが演劇であろうとそうでなかろうと大きな問題ではないのだろう。

 しかし、そういう実験が結果として演劇という既成概念を変容させていくところがこの集団の刺激的なところでもあり、12カ月公演などでは一定の質は維持して公演を続けていても毎回新たな実験というわけにもいかなかったこともあり、それだけに今回の舞台はまた原点に戻っての再出発としてすごく刺激的だったのだ。

 ナイロン100℃「すべての犬は天国に行く」は女性だけをキャストにした西部劇である。それは本当のことだし、どこにも嘘はないのだが、実はそれだけじゃすまないのがこの芝居のやっかいなところである。というのはこの芝居の場合、西部劇であるというのはなんら本質的なことではなく、この芝居では KERAが人間の置かれた状況の本質的な不条理さをメタファー(隠喩)として描くのに日常から離れた様式的な世界が必要で、そのために仮にアメリカの西部劇の世界を借りたと思われてならないからだ。KERAがここで描き出す世界は物語の最初の方ではデフォルメされてはいても普通の西部劇で描かれていたような世界に見えるが、実はいくつかの約束事に支配されたもうひとつの異世界のようなものであることが分かってくる。ここに出てくるのが女性だけだということもそうなのだが、ここでは登場人物が時にはナイフで、時には銃でと次々に殺されていくのだが、ここのルールでは死体を一度目の前から見えないように始末してしまうと殺されたということはなくなってしまって、残りの人物はいぜれもそれはなかったこととして、いなくなった人は出掛けているとかそういうことで済ませて、なにごともなかったかのように日常の暮らしを続けていくようになっているというのがしだいに分かってくるからだ。この芝居の舞台は西部劇によく出てくる町外れのバーで、そこの2階は娼婦たちが暮らしている淫売宿という設定なのだが、不思議なことに男はひとりも出てこない。(続く)   

 4月14日 クロムモリブデン「エスエフ」(3時〜、アイホール)、スクエア月組「贅沢」(7時〜、アトリエ劇研)を観劇。

 3 月に大阪に来て以来いくつかの劇団を見てきたがこと笑いのセンスにおけるオリジナリティーということでいえばスクエアは群を抜いている。今年の秋にはリージョナルシアターで東京公演もあるということなので、東京の演劇ファンにもぜひこの劇団名は記憶しておいてもらいたい。今回は本公演とは違うオムニバスのコントライブとだが、きっちりと作りこんだ笑いはこの集団の実力をはっきりと感じさせるものであった。

 これ1本を見ただけで1本ものの芝居である本公演を見ていないので、なんともいえない部分はあるのだが、関西弁を使いながらも吉本興業の漫才のような単純なぼけつっこみのパターンにはまることなく、こんなやつらいるかもという日常的なキャラクターから立ちあげていく笑いがなんとも気持ちがいいのだ。いわゆるシュール系といわれる笑いのようなすかしたところがなく、ストレートであるのにそこには笑いに対する明確な自意識がある。自分たちの演じる人物の情けなさ、格好悪さを悪意を持って笑いのめしていくのが小気味いい。笑いの方向性としては大きく異なるが、この完成度の高さはガバメント・オブ・ドッグスを彷彿とさせるほどであった。

 この日の演目は「スタンドマン修行」「主任の転勤」「ゴウコン」「花園工業高校」の少し長めのコント4本とオープニングとエンディングの「チャリンコおじさん」。さらにスクエアサウンドシアターと題してそれぞれのコントの幕間に「本気家族」という短い連作風のコントがラジオドラマ風に音声だけで入るというなかなか凝った構成になっている。4人の役者はけっして2枚目とはいえないし、しかも演じる役柄もおしゃれとは程遠いのだけれど、こうした構成やサウンドシアターの時に毎回舞台奥に置かれるミニチュアのセットなどが実におしゃれでこうしたギャップを意識的に作っているところが、この集団に並々ならぬセンスを感じるところである。

 コントは最初の「スタンドマン修行」がガソリンスタンドサービスマンの大会の練習をしている人たちという設定でのやや定型的なコントのパターンを踏んだものをやっているのを除けば後の3本は短いながらもきわめて演劇的な要素の強いもので、なかでも傑作なのは引っ越しを題材にした「主任の転勤」だろう。内容自体は狭い部屋に大量に荷物を入れるハメになったことによるトラブルをシテュエーションコメディー風に仕立てたもので、話の展開自体はみえみえといってもいいのだが、脱力してしまうほど情けないキャラを演じさせたら抜群の存在感を見せる主任役の森澤匡晴をはじめ、調子のいい後輩、うるさ型の運送屋、不機嫌なバイトと適材適所の4人の組みあわせが絶妙。分かっていても笑ってしまうのがこの集団の非凡なところである。

 一方、演劇の持つある種のカッコ悪さを自虐的に笑いに仕立て上げたのが「花園工業高校」。マクドでたむろしている工業高校の学生が、文化祭で見た「劇」の素晴らしさに目覚め、自分たちでそれを演じてみせるというものなのだが、分かりやすいという違いはあるけれど、この悪意というのは猫ニャーのブルースカイに匹敵するものがあるかもしれない。これだけ確信犯として格好悪さを演じてみせる集団というのは猫ニャーなどが一部やっているとはいえ、東京にも関西にもこれまでなかったと思われるし、それが表現としてすでに完成の域に達しているというのもちょっと凄いことだと思わせられた。

 関西演劇における今年最大の発見などといえばバルセロナ五輪岩崎恭子が「生まれてから今までで一番嬉しかった」とコメントしたのと同じくらいに大げさな言い回しになってしまうが(笑い)、正直そのくらいのインパクトはあったのである。

        

 4月13日 遊気舎「月影ホテル」(7時半〜、OMS)を観劇。後藤ひろひとの完全離脱で魔神ハンターミツルギ作、久保田浩演出による新生遊気舎の第1回公演となった。どのような舞台になるかと期待半分、不安半分での観劇だったが、これが予想以上に面白かった。登場人物の突飛なキャラクターなどは遊気舎の役者陣の持ち味を十分に生かしたなんとも人を喰ったもので、従来の遊気舎ファンの期待を裏切らないものでありながら、魔神ハンターミツルギの脚本は後藤ひろひと作品とは明らかに異なる作風で、劇団の新境地を開くことにも成功していたからだ。

 後藤ひろひとの脚本と大きく異なるのは「月影ホテル」に集まってくる登場人物のそれぞれがそれぞれの物語を背負って、ここに集まってくるということで、若い俳優らにもあえてそれなりの役柄を割り当てていることで、その分、この日見た舞台では演技の完成度において、若干のバラツキが出ていたのは否めないが、これはおそらく今後、ステージを重ねていくに従い徐々に解消していく部分もあるのではないかと思われる。群像劇、しかもセットもホテルのロビーの一場固定で、時空が飛ぶこともいっさいない。そういう設定であっても、いわゆるリアルだけを志向した芝居にならないのがこの集団の持ち味といっていいかもしれない。魔神ハンターは彼が主宰するユニット「トリオ天満宮」に書き下ろした芝居を何本か見たことがあるのだが、今回は遊気舎の本公演ということを意識してか、演出の久保田と相談の上、役者に合わせてあて書きしたようなところがあり(久保田自身の役柄など明確にそうだ)、これまでの作風(ほのぼのシュール系とでもいえるだろうか)とはかなり異なる。その意味で今後どのような作品を書いていくのかは分からないのだが、予想以上の器用さに驚かされた。

 劇団としては存続自体をひそかに危ぶんでいただけに見事に軟着陸に成功したなという感じである。今後は魔神/久保田コンビの作品が軸になっていくのは間違いないであろうが、すでに複数の作家の作品を劇団内で競作しようという企画も進行中らしく、後藤ひろひと=遊気舎という足かせが取れたことで、今後はひょっとしたらいろんな新たな展開が見られそうな予感を感じさせた芝居であった。おそらく、この舞台は後藤ひろひと作品とは異なるということで賛否両論の評価になると思われるが、私としては今後の遊気舎にこそおおいに注目していきたいと思わされたのである。

 4月12日 西澤保彦「謎亭論処」、光原百合「遠い約束」、鯨統一郎「なみだ研究所へ」を読了。

 西澤保彦の「謎亭論処」は匠千暁シリーズの短編集で、LEDの芝居は見たいのだけど著書を読んだことないからなあという人がもしいたら、登場人物のキャラはこれを読めば分かるのでぜひこれを読んでから見にいってほしい。ミステリ短編集としての出来栄えも相当なもので、どのくらいと聞かれたら、「法月綸太郎の新冒険」よりは上かもしれないなどと書いたら語弊があるか(笑い)。元々、このシリーズは純粋推理のアームチェアデティクティブとしてハリイ・ケメルマンの「9マイルは遠すぎる」を意識したところがあったのだと思うけど(もちろんクイーンは当然)、この短編集は特にそうした匂いが濃厚で、それぞれの長さの制約から推理が次々と連続して覆される長編のようなツイストには欠けるものの最近読んだミステリ短編集の中でもいなにも本格推理という感じがよかったのである。

 光原百合さんには以前、ある劇団の打ち上げで偶然顔を合わせてお話をしたことがあって、実はその直前にまったくの偶然なのだけれど「時計を忘れて森へいこう」を買ってはいたのだけれどまだ読んではいなくて、読んでもいないのに買いましたというのも恩着せがましいしと迷った揚げ句なにも言えないでいたという記憶がありました。その時に京大ミステリ研の話も少ししたのだけれど、阪大のミステリ研出身だったのはこの「遠い約束」を読むまで全然知らなかった。

 それにしても別に作者が悪いわけじゃないけれど、自分がそういうサークルにいたことがあるせいでミステリの設定として、ミステリ研なんていうものが出てくると読んでいて妙に気恥ずかしいのだなあこれが(笑い)。もちろん、私がいた当時に京大ミステリ研には名探偵の先輩もいなかったし(後に作家になった後輩はいたけど)、これだけは誤解している人がいるらしいからあえて強調すると、合宿というのは実際にあったけど互いにミステリ作家のニックネームで呼びあうなどという習慣はなかったのだけれど(笑い)。

 「なみだ研究所へ」は詳細はコメントしないけれど夢判断のくだり笑わせてもらいました。 

 4月11日 劇団Ugly duckling「アドヴェントゥーラ 〜これから起こるであろうところのもの〜」の感想を追加。


 今週末はひさびさ(ということもないか)に東京に行き、日曜日(15日)にはトリのマーク「The Picturesque House」(3時〜、4時〜、現代美術製作所)とナイロン100℃「すべての犬は天国に行く」(7時〜、本多劇場)を見る予定である。

 その前には関西で13日に遊気舎「月影ホテル」(7時半〜、OMS)、14日にはクロムモリブデン「エスエフ」(3時〜、アイホール)、スクエア月組「贅沢」(7時〜、アトリエ劇研)を見る予定。もう始まっている公演もあるわけだが、いずれも注目の公演だけに内容はどうなんだろうか。見ての内容がミステリ劇とかじゃないのならこのぺーじでは多少のネタバレも歓迎なので見た人はぜひ伝言板とかで感想を聞かせてほしい。新学期が始まったせいか少しアクセス数は戻ってきたのだけれど、大阪に来てから東京の芝居の感想を書き込んでくれる人も減ってしまい、かといって関西の人で書き込んでくれる人もまだまだ少数なのでちょっと寂しいのだ。

 ついでに言うと5月の連休(5月4、5日)に利賀フェスに行くことを決めた。今回は一度しか行けないので青年団の公演のある前半は断念。ク・ナウカ山の手事情社を見に上記の日程で利賀に入ることに決めた。休みが取れれば3日に東京に行きLED「見知らぬ演芸場の問題」(6時半〜)を見てから飛行機(一応、第一候補は羽田発12時05分のANA885便)で富山に入るつもりである。芝居の予約はしたのだけれど飛行機のチケット早めに確保しないといけないなあ。飛行機のチケットが取れたら、空港でレンタカーを借りて利賀入りする予定。同じ便で利賀入りする人がいればただで乗せていくの可能ですのでこれも伝言板で名乗り出てほしい。といっても、飛行機のチケット取れるか、それよりこちらは多分大丈夫とは思うけど休みが取れるか問題は多いのだけれど(笑い)。あ、LEDのチケットもまだ取ってないや。  

 4月10日 5日の日記コーナーに石原正一ショー「噂の刑事トニーとナッツ大会」の感想を追加。  

 4月9日 転球劇場「Jack」(7時〜)を観劇。石原正一ショーを小劇場版の隠し芸大会と評したのだが、これも同工異曲の印象の舞台である。関西の劇団でどこが面白いのかと以前、なんにんかの関西在住者に聞いた時に複数の人が「転球劇場」の名を挙げたため、一度見てみないといけないなあと思っていたのだが、この公演ではあまり参考にならないかもしれない。芸達者な人が沢山でているから十分に楽しめはするのだけれど後藤ひろひとが出演しているせいか、大田王なんかとどこが違うのかと思ってしまったのも確かなのだ。役者を見にくる客を十分に満足させて帰すだけの内容はあるとは思うけど、これだけ個性の強い連中を集めてしまうと福田転球以外のメンバーはなんとなく印象が薄くなってしまう。平田敦子とかインパクトあり過ぎるから仕方ない面もあるのだけれど(笑い)。劇団としての評価は次回公演(7月19〜29日、アイホール)まで待つことにしよう。

 終演後のあいさつで分かったのだが、元リリパット・アーミーフリーだった山内圭哉は後藤ひろひと、川下大洋に続く3人目のPiperのメンバーになるらしい。とはいっても何度か公演は行っているもののPiper自体もこれまでは吉本興業によるプロデュースという以外に後藤、川下ともに単独の活動が多すぎてなにがやりたいのかがいまだによく見えてこないという感じが強く、メンバーが3人になったといってもピンと来ないのだけれど。

 とりあえずこの日挟み込まれていた仮チラシによれば川下大洋は川下大洋劇という新しいユニット(ブランド?)で「エンゼルス」という芝居を自らの作演出で上演(7月2〜4日、扇町ミュージアムスクエア)。これには関秀夫、生田朗子とともに山内圭哉も出演するようだ。それから福田転球吉本新喜劇に出演するらしい。

 4月8日 昼は見る予定の芝居を寝過ごしてキャンセル。この日見るつもりだった売込隊ビームとUgly duckling。どちらを見に行くか迷うが、売込隊ビームは今回、オムニバス公演ということでパス。劇団Ugly duckling「アドヴェントゥーラ 〜これから起こるであろうところのもの〜」(5時〜)を堂島スペースゼロで観劇。

 座付き作家である樋口美友喜が「深流派〜シンリュウハ〜」で昨年のOMS戯曲賞を受賞したということもあり、関西の若手劇団の中でもいったいどんな芝居をやる劇団なのだろうかというのがもっとも気になっていた劇団の1つがUgly ducklingであった。関西の小劇場演劇は劇団★新感線、南河内万歳一座大阪芸術大学)、そとばこまち(京都大学)、M.O.P.(同志社大学)はじめ大学の演劇サークルないし、有志の集団がそのまま劇団として継続していることが多い中で、堂島にあるスペースゼロという小劇場スぺースがこれまでに遊気舎、クロムモリブデン、犬の事ム所、ニュートラルなどそういうものとは異なる成り立ちの劇団を育てるためのある種の保卵器の役割を果たしてきたということは特筆しておかなければならないだろう。このスペースゼロが仕掛けた企画に関西の高校の演劇部に夏休みに小劇場空間を開放して、コンクールとは違い勝ち負けではなく楽しむというコンセプトで芝居を上演してもらおうという「高校演劇祭 OSAKA・夏」というのが毎年行なわれ、今年で12年目を迎えるのだが、この劇団Ugly ducklingはその時に参加していた信愛女学院高校のメンバーが中心になって旗揚げした劇団で、10周年を記念して99年に製作されたパンフで調べると主宰で演出の池田祐佳理、劇作の樋口美友喜らの名前が91年から93年にかけて見られるのである。

 こんなことをわざわざ書いたのは他でもなく、実は彼女らの信愛女学院は成井豊の「銀河旋律」を92年にウイングフィールドで上演しているのだが、それを見ていたのではなかという記憶がしだいに浮かび上がってきたからだ。この年はこのフェスに参加した高校生の芝居を偶然、何本か見ていて、しかも「銀河旋律」だけでも三島高校、樟蔭高校、信愛女学院高の3校が競演するということになっていたのだが、ウイングフィールドで見たというのと女子高でキャストが全員女子だったこと(当たり前か)、さらに「信愛」という名前がなんとなく記憶に残っているのでおそらく間違いないと思う。もっとも、その時に彼女らの才能に舌を巻いたなどということは全然なく、今回の芝居を見ても、「あ、あの時の子だ。成長したものだ」などと感慨にふけることもなく(笑い)、女子高の演劇部の芝居なども見慣れていなかったので、男装で男役をやる高校生を見ながら、なんでこの芝居を選んだんだろう、キャラメルボックスが好きなのかもしれないけど、オリジナルをやればいいのになどと考えてしまったぐらいだから、ただ見たというだけでほとんど意味はないのだけど(笑い)。

 閑話休題。今回見た芝居の感想を書こう。とはいっても正直言ってこれ1本見ただけではこの集団の志向性とか樋口美友喜という劇作家の資質について踏み込んだことを言うのは難しい。まず印象に残ったのはこんなことを書くと怒られてしまいそうだが、女優が粒ぞろいでけっこう可愛い子が多いということと、丁寧に芝居を作っていて、美術、衣装を含めビジュアル面での気配りにセンスのよさを感じたことである。

 ただ、芝居自体のスタイルにおいてはそれほどざん新なところを感じることが出来なかったのも確か。芝居の作り方自体は「グリム童話」のいくつかのエピソードを入れ子に使ってのファンタジーという80年代の小劇場を連想させる構造で、東京の若手劇団には最近、こういうスタイルを取るところは少ないなっているから、ある意味での珍しさを逆に感じさせる面がないではないけれど、表現として自分たちだけのオリジナリティーを出していくという意味ではちょっと物足りなさを感じたことも確かなのだ。もっとも、芝居を見て退屈してしまったということはなく、私自身の好みからすれば「グリム童話」を入れ子に使うということを聞いただけで、それはちょっとと思ってしまう方だから、見る前は見ていて恥ずかしくなってしまうような少女趣味の芝居だったらどうしようかと心配していたのだけれど、そういうことはなくて楽しめた。

 もう1本見ないと分からないと書いたのはこの芝居ではグリム童話のエピソードに引っ張られすぎた感があって、作者がファンタジーをやりたいのか、それともあくまで現実との合わせ鏡としてグリム童話を持ちだしてきているのかがよく分からなかった。もし、ある種の幻想をビジュアル化していくような方向性を取りたいのなら、それを担うに足る演技スタイルとか台詞術に劇団としてもっと取り組んでいく必要があるだろうし、もしそうでないのなら、戯曲において現実との距離感を取り方をもう少し近く取ることで、リアルにディティールを書き込んでいく必要があるのじゃないかと感じた。この芝居では作家ないし、集団としての方向性がどちらを向いているのかがまだ揺れ動いている印象を持ってしまったのだ。

 この集団の芝居を継続的に見ているいろんな人の感想を聞いてみるとどうもいつもこういう作風というわけではなく、作風も公演ごとに微妙に変化しているという意味で、過渡期にある劇団なのだろうと思う。分からないと書いたのは言い換えれば完成された表現というわけではなく、いろんな可能性を孕んでいるという感じがするということでもある。作家も演出家も25歳と若いだけに今後も注目していきたい劇団であることだけは間違いない。      

 4月7日 大人計画「エロスの果て」(2時半〜、近鉄小劇場)を観劇。

 松尾スズキの新作ということで期待が大きかっただけに物足りなさが残った。現実と物語の間に大きな距離感があき過ぎて、「ファンキー!」「Heaven's Sign」のような抜き差しならない現実の切実さとでもいうものがリアル感を持って迫ってはこないのだ。これは前記の作品で主役クラスだった山本密が退団し、新井亜樹も今回出演していないことが響いているかもしれない。

    

 大阪・九条のシネ・ヌーヴォ小沼勝監督特集「S&M 匂い立つ官能、新世紀エクスタシー」を見る。この日見たのは中田秀夫監督のドキュメンタリー「サディスティック&マゾヒスティック」(2000年)と「濡れた壷」(76年)。それからオールナイトの小沼サドマゾNIGHTで「ラブハンター 熱い肌」(72年)、「OL官能日記 あァ!私の中で」(77年)、「性と愛のコリーダ」、「輪<りんぶ>舞」(88年)。

 映画が面白いのは鋭く時代を写す鏡となっていることである。特にこの日オールナイトで上演された4本というのは日活がロマンポルノを製作をはじめた71 年に近い初期の作品から製作を中止直前の作品まで時代順に上演が行なわれたので、小沼監督の映画技法が今見せられても面白いというのに加えて、それぞれの作品の中に時代を写すさまざまなサブカルチャーが取り入れられているのが面白かったのだ。

 それにしてもびっくりしたのはこの日の客層が実に若く、オールナイトなのに女性客も3割ぐらいいるなどここには昔、映画館で見たロマンポルノの陰鬱さは全然なかった。もともと、私が最初にこの手の映画を見たのは京都の学生時代に「京一会館」というところであった。学生が多く住んでいる一乗寺という町にあるため、当然、若い客は多かったが、さすがに女性はいなかったと思う。もっとも、男女ともにシネ・ヌーヴォという映画館の性格にもよるものか、いかにもシネフリークという感じの若者が目についたのはおそらくこの日の劇場の客の中で私が最年長だったかもしれないということと合わせて、やや居心地を悪くしていて、年寄りの悪いくせとして、こういうところで見ても本当のよさは分からないなどと陰口をたたきたくなるがそれもよる年波と思って勘弁してほしい(笑い)。

   

 4月6日 4月のお薦め芝居を掲載。もう少し早く掲載したいと思っていたのだが、結局、えんげきのぺーじでの締め切りぎりぎりになってしまった。このせいで今週中に載せるといっていた下北沢通信レビューも来週にずれ込む見通し。ベトナムからの笑い声の感想は加筆したが猫のお尻、石原正一ショーの感想もしこってしまってるし、筆の遅い劇作家に文句言う資格はないかもしれない。とはいえ、こういう時には自分のことは棚に上げるというのが人間としての正しい態度であろう(笑い)。

  大阪に来てラッキーだと思うことは東京で見逃していた映画が遅れてきて、見られるということである。中でもラッキーと思ったのはこのページにも紹介していながら体調を崩したこともあって見ることのできなかった第6回アート・ドキュメンタリー映画祭がin大阪と題して4月8日から20日までKPOキリンプラザ大阪で開催され、ここで見逃したク・ナウカのドキュメンタリー映画が上演されることである。11月の日記に書いた文章を再録して以下に載せることにした。リンクは生きてるので詳しい内容を知りたい人はホームページを参照してほしい。

  ク・ナウカといえば12月2日から渋谷ユーロスペースで開かれる第6回アート・ドキュメンタリー映画祭で「オイディプス王ク・ナウカ」と題して利賀フェスでのク・ナウカを取材したドキュメンタリー映画が上演される。このフェスティバルはこれまでもローザスダムタイプフィリップ・デュクフレの映像作品を取り上げるなど興味深い作品を上映してきているのだが、今回のラインナップを見てみるとウィリアム・フォーサイスの「ウィリアム・フォーサイス:Just dancing around ?」「ザ・インタビューズ」やマイケルクラークのドキュメンタリーも上映されるなどダンスファンにとっては注目の内容である。また、これまでの例からするとドキュメンタリー映画は映画祭の後、ユーロスペースからビデオ化されて販売されることも多いためク・ナウカのドキュメンタリーがビデオ化されればこれまで舞台に触れる機会の少なかった地方の人に取っては朗報かも。作品のビデオはおそらく劇団でも販売していると思うけどク・ナウカの場合、いきなりそれを手に入れても上演の形態を知らずに楽しめるのかという疑問もなくはないので。(以上昨年11月の日記より引用)

 ク・ナウカの場合、利賀フェスと東京での公演と海外公演で年間スケジュールが埋まってしまうので、今年は高知現代美術館でも公演があるのだが、おそらく関西公演はどこかのホールが招聘するようなことがなければちょっと難しい。その素晴らしさが映像でどこまで伝わるのかは疑問がなくはないのだが、それでも関西でその姿の一端に触れるえがたい機会だけに関西の演劇ファンに、そしてそれ以上に演劇・ダンスを問わず関西で身体表現に関る活動をしている人にぜひ見てもらいたいのである。私は珍しく平日休みが取れる4月19日の昼(3時10分〜)に見にいく予定。この日は11時半からはじまるオノ・ヨーコのドキュメンタリーからフォーサイスク・ナウカと続けて見たいと思っているのだが、その前にも都合がつけば何度か見るつもりだ。


 もうひとつが明日(7日)から九条のシネ・ヌーヴォで予定されている小沼勝監督の特集「S&M 匂い立つ官能、新世紀エクスタシー」である。小沼勝監督はロマンポルノ時代の日活を支えた映画監督「リング」カオス」で知られる中田秀夫監督による小沼監督についてのドキュメント映画「サディスティック&マゾヒスティック」を手掛かりに小沼作品12本を連続上演し、その全貌を振り返ろうという企画である。中田秀夫監督といえば大変な弘前劇場の信奉者で、その関係で公演の打ち上げの席などで何度か会話を交わしたことがあり、自ら日活最後の監督を自認していることを聞いていたので、その監督がロマンポルノ時代の日活へのオマージュとして撮ったドキュメント「サディスティック&マゾヒスティック」はこれも東京のユーロスペースで同様の企画があった時見たかったのだが、こちらもどうにも予定がたたなくて見逃していたのだった。と学究的な理屈でごまかしてもAV全盛になってからすっかり影が薄くなってしまったポルノ映画にひさびさに堂々と見にいける機会だということもあるのだけれど(笑い)。シネ・ヌーヴォは維新派が内装を手掛けた映画館ということで大阪に来てぜひいつか行かなくてはいけないと思っていたので、それもあるのだ(本当に)。そういうわけで、明日(7日)の夜はシネ・ヌーヴォがいかなる空間かを確かめるという義務感から私はきっとそこにいるだろうと思う。  

 4月5日 京都のアトリエ劇研で石原正一ショー「噂の刑事トニーとナッツ大会」(7 時半〜)を見る。表題通りに昔懐かしのテレビ番組噂の刑事トミーとマツ」のパロディーである。元ネタは松崎茂(マツ)と国広富之(トミー)のコンビによる刑事ドラマだが、主人公格のトニー(国広トニユキ刑事)をここでは客演に迎えた劇団衛星の岡嶋秀昭が演じ、ほとんど岡嶋を座長とするバラエティーショーといった作りになっている。表題で「大会」と銘打っているように全体としては「ナッツメロメロ!! トニーの恋はダイヤモンド」「ナッツタジタジ!! トニーの里帰りは桜吹雪」「トニナツ危機一髪!! 由紀さおり死のコンサート」の3話構成。いずれも初めと終わりにはテレビの主題歌部分を模したダンスシーンが入る。

 こういう展開だから、演劇として芝居をじっくりと見せていくというのでなく、石原正一の出身劇団であるそとばこまちをはじめとして、関西の小劇場の各劇団から集めたゲストにそれぞれ見せ場を与えていく、高級宴会芸という感じである。

 これはおそらくかなり昔のそとばこまち(まだ京大にいた時代)の芝居の作り方に近いのではないだろうか。気軽に楽しめるし、由紀さおりショーに扮した西村頼子と日詰千栄の童謡のデュエット(決してうまいという意味ではない)とか岸本奈津枝と岡嶋秀昭による一人寸劇「学校」「学校2」とかいろいろ珍しいものも見られる。

 芝居と考えるとどうにもゆるい構成でちょっと困ってしまうのだが、これは芝居ではなくて、小劇場版のかくし芸大会だと思った方がいいのだろう(笑い)。劇団衛星はガーディアンガーデン演劇フェスの公開最終選考会でのプレゼンを見ただけなのだが、この公演を見て岡嶋秀昭という役者が演技というより舞台上でのやりとりではなかなか達者であるということは分かった。ただ、ここでの印象もやはり関西的にいかにもベタな印象はそのままで、一度自分の劇団での芝居を見てからでないとはっきりとしたことはいえないのだが、東京ではちょっと受けにくい人だと思う。

 4月4日 映画「風花」(相米慎二監督)、映画「絵里に首ったけ」(三原光尋監督)を見る。いずれも東京で見ようと思っていて、見逃していた映画である。3月に異動になってからは勤務体系の関係で時々、平日の夜に空く時間ができ、先週などここに無理やり(関西では週の前半はやってる芝居が少ない)芝居の予定をいれたら、朝から仕事のある日はただでさえ、遅れたらいけないので睡眠不足になりがちで、体調が悪いまま芝居を見るとそれがよほど面白くて夢中になってしまう場合を除けば、集中力が持ちにくいのが分かった。それで、生活パターンに慣れるまでは芝居よりは楽に見られる(もちろん、演目しだいではそうじゃないのもあるのだけど)映画をしばらくは見てみようということにした。

 そうであるのに1本だけでなくどうせならとレイトショーをスケジュールに組み込んで無理やり2本立てにしてしまうのが貧乏症のところなのだが。しかし、2本立ての映画を間髪も入れずにこの順番で見たのはちょっと失敗だったかしれない。最初に見た「風花」がいかにも相米らしい映画らしい映像美に溢れた映画だったので、本来は見終わった後、考える時間や余韻を味わう時間がほしいところなのに続けて、「絵里にくびったけ」を見てしまったのでそれが台無しになってしまったからだ(笑い)。「絵里〜」はいかにも関西っぽい乗りのベタな笑いの青春コメディーで、しかも主役の福田転球をはじめ鴨鈴女、西野勝広、楠見薫、関秀人、まついきよしと関西小劇場の見たことある顔が次々登場。直接面識のある人が出てくるとそれだけで、笑ってしまって、関西小劇場を知るものにとっては関秀人の演技ぶりなど笑いどころにはことかかないのだが、映画としてはちょっと(笑い)。

 考えてみると「風花」の方にも東京乾電池の柄本明の演じる劇中宴会芸「座頭市」の一幕もありこれがなかなかの見物。ここでは綾田俊樹も大活躍しているのだけれど。主演の小泉今日子なのだが、元アイドルから女優という経歴が共通していることから私の中では中山美穂とついつい比較してしまうのだが、「Love Letter」「東京日和」などの代表作のある中山美穂と比べるとこれまでは映画では作品に恵まれていない感が強かった。これまでの代表作となるとおそらく「怪盗ルビイ」ということになるかと思うのだが、この映画の小泉はまだまだアイドルが演じている印象が強かった(もっとも、「生徒諸君」の演技は下手すぎておいおいと思ったから、それから考えれば女優開眼といえるけど)。

 相米慎二は私に取ってはその新作がかかっただけで、映画館にとりあえず行ってみたくなるという点で大林宣彦と双璧なのだが、それは女優の魅力を引きだすのが実にうまいからだ。それはこれまではアイドルのような若い女優に対して発揮されてきたことが多いのだが、すでに若いという年齢ではない小泉今日子をキャストしたこの「風花」でもその魔術は健在であり、小泉もそれにこたえて、今の年齢だからこそ演じられる女の魅力を見せてくれた。 

 4月3日 土屋恵一郎「能」(岩波現代文庫)を読了。能楽について書かれた本ではあるが身体表現とはなにかということを考えるうえで、なかなか啓発的な本であった。 

 4月2日 ポかリン記憶舎「回遊魚」の下北沢通信レビューを執筆中。すでに3月中という自分で設定した締め切りからは遅れてしまったが、今週中にはなんとか掲載するつもり。3月の公演では脚本が手に入ったら弘前劇場「アザミ」を下北沢通信レビューとして執筆する予定。この公演は観劇直後に感想は書いたのだが、その後、考えてみると作品全体の構造から見て、いくつかの疑問点が起こってきて、それを取っ掛かりとして長文レビューをひさしぶりに書いてみたいという気になっている。しか