Hatena::ブログ(Diary)

中西理の下北沢通信(旧・大阪日記) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2004-11-05 金森穣Noism04「black ice」

[]「これはデュシャンではない」、ですか 藤本由紀夫・森村泰昌二人展

 「これはデュシャンではない」、ですか 藤本由紀夫・森村泰昌二人展(MEM gallery)を見る。

 中之島移転した国立国際美術館の開館企画マルセル・デュシャン20世紀美術」の関連企画。共同制作の「泉」という作品があって、これは当然デュシャンの「泉」に準拠した作品なのだけれど、ギャラリーフロアーの真ん中の箱の上に小さなシュレッダーが置いてあって、これが便器に見立てられている。50円を払うと、森村泰昌妊娠した「モナリザ」に扮した写真が印刷してあるトランプカードがもらえるのだけれど、これはもらうとすぐにシュレッダーによって裁断されて、シュレッダーの下に置いてある箱のなかにバラバラになっておさまることになっている。つまり、これは「排泄物」の見立てとなっているわけだ。本当はトランプがもう1枚ほしかったのだが、せっかく買っても持って帰れないという不条理感がデュシャン的といえなくもないのかもしれないけれど……。なんとなく不満(笑い)。国立国際美術館の方にもはやくいきたいのだが、しばらく忙しくていけないのが残念。

[]金森穣Noism04「black ice

 金森穣Noism04「black iceびわ湖ホール)を観劇。

 うーん、どうなんだろう。ダンス作品としてのクオリティーはそれなりに高いから評価をする人はいるだろうけれど、私としては日本コンテンポラリーダンスという文脈でこの作品を評価してはいけないのではないかと思った。「ムーブメントボキャブラリー」「作品の今ここでの現代社会への切り込み方」のどちらにも本当の意味でのオリジナリティーが感じられなかったからだ。ムーブメントは基本的にはユーロクラッシュ系の動きとバレエアマルガムで、経歴から言って仕方ない面もあるが、国内育ちの振付家と比べるとヨーロッパダンスコンテンポラリーヌの影響が生のまま出てきている。そこにはいっさい日本人としての身体性もないし、欧米ダンスの枠組みに疑問を抱いてない感じがありありなのだ。まだ、若い振付家であるからそれ以上を求めるのは酷なのかもしれないが、すでに一定以上の評価を国内では受けている人だけにそこには不満を感じざるをえなかった。ただ、ダンサーの技量は相当に高いし、それを構成していく金森にも振付・構成・演出面で巧さがあることは確か。特に以前から感じていたことだが、この人は欧州を中心に大舞台を踏んできたせいか、大空間における空間演出の力は若手の振付家のなかでも抜きん出たものを持っており、今日舞台でもそうした長所は十分に発揮された。

 この日のもうひとつの注目は高嶺格の映像舞台美術だったのだが、こちらの方は面白かった。

門 2004/11/13 21:47 金森はともかく、「日本のコンテンポラリーダンス」という「文脈」を認めてしまうのってどうなんでしょうね。たとえば、舞踏という文脈でしか通用しない舞踏は舞踏としてもあまりよろしくないだろうとは言えますよね。

中西理中西理 2004/11/14 01:47 門さんどうも。自分に固有の身体表現としてダンスを追求していった場合、日本人(である自分)の身体のあり方に向かい合わざるえないだろうという意味で「日本のコンテンポラリーダンスという文脈」と書いたのですが、もちろん、日本人であろうがあるまいが、「ムーブメントのボキャブラリー」に関していえば真のオリジナリティーがあるというレベルはあるとは思います。ただ、そちらの基準でいうと内外問わずほとんどのコンテンポラリーダンスの振付家ははずれてしまいますね。フォーサイス、ベジャール、マッツ・エック……日本では勅使川原三郎、土方巽ぐらいでしょうか(ひょっとすると井手茂太は入るかもと思ってますが)。それゆえ、問題にしているのはむしろ後者なのですが、金森穣の場合今ここでの「ここで」が弱く、私には欧州の枠組みが色濃いように思われ、それがあるカンパニー(ニブロール、珍しいキノコ舞踊団、レニ・バッソなど)と比べて表現が私にとっては刺激的じゃないということです。だから、最初に舞踏の枠組みを創った土方は評価に値すると思うけれど、舞踏という枠組みに安住してる人は当然よくないと思ってますけれど。

Connection: close