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中西理の下北沢通信(旧・大阪日記) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2006-05-31 村上春樹「海辺のカフカ」「ねじまき鳥クロニクル」

[]村上春樹海辺のカフカ

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

海辺のカフカ (下) (新潮文庫)

海辺のカフカ (下) (新潮文庫)

村上春樹海辺のカフカ新潮文庫)を読了

2006-05-30 SPAC芸術監督に宮城聰

[]SPAC芸術監督宮城

 静岡県舞台芸術センター(SPAC)の理事会は29日、芸術総監督演出家鈴木忠志さん(66)が07年3月で退任し、後任を演出家宮城聰さん(47)とすることを決めた(任期3年)。(朝日新聞報道より)

http://www.asahi.com/culture/update/0530/002.html

 ちょっと、というか相当にびっくり。この記事だけじゃ詳しいことは分からないのだけれど、ク・ナウカはどうなるんだろうか。SPAC(SCOT)と鈴木忠志はどうなるんだろうか。

[]宮部みゆきブレイブ・ストーリー

宮部みゆきブレイブ・ストーリー新潮文庫)を読了

ブレイブ・ストーリー (上) (角川文庫)

ブレイブ・ストーリー (上) (角川文庫)

ブレイブ・ストーリー (中) (角川文庫)

ブレイブ・ストーリー (中) (角川文庫)

 宮部みゆきによるロールプレイゲームファンタジー。この人の小説ミステリはほとんど読んでいるのだけれど、時代小説ファンタジーにはこれまで手を出していなかったのだけれど、アニメ映画になるというのでその前に読んでみたのだが、これが面白かった。現実世界で不遇な状況にある少年が異世界に飛び込み、冒険するという言ってみれば「ナルニア国物語」をはじめ、ファンタジー王道といってもいいストーリーだが、その冒険物語が冒頭にも書いたようにロールプレイゲーム風に料理されているのが、現代的といえばそうかもしれない。この手のファンタジーには通常作者の宗教的な背景が作品に反映されているものだが、それがまったくないのも日本的といえば日本的なところかもしれない。

 ミステリ小説でもそうだが、この人の武器は圧倒的なリーダビリティで、冒頭の幽霊屋敷を巡るストーリーがしだいに深まっていって、異世界への冒険に入っていくという導入部分の作り方がうまいと思う。異世界の世界観には若干の既視感がないではないが、明らかにスティーブン・キングの「ファイアースターター」を元にしながらそこで自分の世界を展開してみせた「クロスファイア」のように既存の設定を利用しながら、それでも飽きさせずに最後までひっぱっていくという力はこの人ならではのものだ。

 最大の難は主人公の置かれた現実の状況設定があまりにもステレオタイプということであるが、それさえも吹き飛ばすストーリーテリングの妙をこの人は確かに持っている。

2006-05-29 Jun Young Doo「空っぽの白い体」

[]Jun Young Doo「空っぽの白い体」

Jun Young Doo「空っぽの白い体」京都・アトリエ劇研)を観劇。

2006-05-28 遊園地再生事業団とロリータ男爵

[]遊園地再生事業団「モーターサイクル・ドンキホーテ

遊園地再生事業団「モーターサイクル・ドンキホーテ横浜赤レンガ倉庫)を観劇。

[]ロリータ男爵エプロンの証」

ロリータ男爵エプロンの証」下北沢駅前劇場)を観劇。

 作・演出 田辺茂範

 舞台監督:海老沢栄 照明:中山仁[(株)ライトスタッフ]

 音響中村嘉宏[atSound] 音楽久保田翠、佐藤こうじ 映像:浦島啓、伊従史子

 舞台美術:濱井海、森知行 衣装:田辺雪枝、森田陽平 小道具:清水克晋[SEEMS]

 振付:依田朋子 宣伝美術森田涼子 演出助手:清水俊樹

 制作今井香月、松井見依子

 出演:

 吉原朱美[ベターポーヅ] :ハルコ

 大佐藤崇 :亡霊

 足立雲平 :フジスタッフ社長

 役者松尾マリヲ:父ちゃん型8429

 田辺茂範 :母ちゃん型8380

 斉藤マリ :息子型7156・ケンイチ

 丹野晶子 :息子の友達型2108・マエダ

 草野イニ :猫型9073・ぶーにゃん

 立本恭子 :議員型8959

 加瀬澤拓未:教授型0907

 斉藤麻耶 :量産メイドロイドマヤマヤ

 今林久弥[双数姉妹] :タメオ

2006-05-27 藤本由紀夫「美術館の遠足10/10」

[]荒木経惟 オオサカパワフル・フェイスポートレイト

荒木経惟 「オオサカパワフル・フェイスポートレイト展 −アラーキーが撮るオオサカの顔100作品−」(OAP 大阪アメニティーパーク )を見る。

 会期が28日まで。28日は横浜東京に遠征予定のために日程的に追い詰めれていたが、なんとかぎりぎりでこの展示だけは見ることができた。1枚知り合いのKさんに似たのがあったのだけれど、どうも人違いのような気もしてよく分からなかった。Kさん本人のだったのだろうか。

[]藤本由紀夫「美術館遠足10/10」

藤本由紀夫「美術館遠足10/10」西宮大谷記念美術館)を見る。

 年に1回1日だけ開かれる現代美術家藤本由紀夫の個展である。「美術館遠足」としては今回が10回目。最後になることもあって、なにかすごく派手なことでもやっているのかと思って期待して行ったら、やや肩透かし藤本由紀夫の本領はサウンドアートなのだから、これはあるべき姿ともいえるのだろうが、今回は美術作品的な展示物は過去2回見にいった時と比較して、少ないというか、絞り込んであって、なにもない美術館の空間で音が鳴っているというような作品が中心で、藤本氏も入り口近くのロビーサインに応じていて、それを並ぶ人たちの列ができていたが、前回や前々回のようなパフォーマンスレクチャーのようなイベントもいっさいなく、シンプルこのうえないものだった。

 作品としては美術館の中庭に借景してのインスタレーションECHO」が印象的。池の上にLEDの照明で「ECHO」の文字を描き出すオブジェが配置されていて、その文字が池の水面にも反射して映し出されるというもので、単純なものだが、非常に美しい。

 もっとも、音だけの作品も多かっただけに会場は2回ぐらいくまなく回ったつもりではあったのだが、気がつかないで見逃してしまったものもあったかもしれない。ゆったりとした気分で楽しんでくださいよ、というのが今回の企画意図だったのかもしれないが、どうもせこせこと回って、ゆったりした気分になれないのが、我ながらさもしいところである。

 展示については「美術館遠足」はこれで終わりだが、来年には国立国際美術館とこの西宮大谷記念美術館の2館を使っての藤本由紀夫展が予定されている、とのこと。これは本当に楽しみである。

ochamatsuriochamatsuri 2006/06/01 01:13 う〜ん、チェックが甘いな私。そんなのやっていたのですか。実は、何年か前の「大阪の顔1000人」に参加してます。写真集に載ってます。今回のは、また新たに撮っているんですよね。パワフルなのは、撮られている人ではなく、撮っている荒木氏自身だと思います。

2006-05-26 コンテンポラリーダンスの動画サイト

[]中原浩大個展vol.1「print, photo, drawing」

中原浩大個展vol.1「print, photo, drawing」(ノマルエディション・キューブロフト)を見る。

[]コンテンポラリーダンス動画サイト

 このサイトで以前コンテンポラリーダンス動画アーカイブできないかということを書いたことがあった*1のだが、コンテンポラリーダンス動画を見られるサイトhttp://www.impulstanz.com/gallery/videos/performances/en)を発見した。短いものの抜粋だが、見たことのないダンスはわずか3分の動画だとしてもまさに百聞は一見にしかずで、その意味では貴重なサイトだと思う。しかも、ローザスウルティマ・ヴェスからラ・ラ・ラ・ヒューマンステップスまで大物がずらり。勅使川原三郎山海塾もある。しかし、その中にakemi takeyaという人のが入っていて、明らかに日本人だとは思うのだが、聞いたことがない。これはいったいだれなんだ。

2006-05-25 ディディエ・テロン+Monochrome Circus

[]ディディエテロン+Monochrome Circus「水の家」

ディディエテロン+Monochrome Circus「水の家」京都・アトリエ劇研)を観劇。

1、ディディエテロン「La Dolce Vita(甘い生活)」(新作)

振付・演出ディディエテロ

 出演・太田翔子岡山六都美/斉本祥子野村香子/三好友恵/諸永タイスケ

2、Monochrome Circus「水の家」

振付・演出坂本公成 振付・出演森川弘和/森裕子

3、Monochrome Circus「怪物」(新作)

振付・演出坂本公成 振付・出演佐伯有香

4、Monochrome Circus「最後の微笑」(新作)

振付・演出坂本公成 振付・出演森川弘和/森裕子佐伯有香/荻野ちよ

 フランスでも上演されていないディディエテロンの新作と新作2本を含む坂本公成Monochrome Circus)の小品3本が一晩もののミックスプログラムで一度に見られるお得な公演。作品内容、参加しているダンサーの水準も高く、先日のNoism06*1といい東京では上演のないこのレベルの舞台が続けて見られるというのは関西コンテンポラリーダンスの状況も捨てたもんじゃないと思った。

 個々の作品の詳しい感想は後ほど書くつもりだが、この公演は金曜日(7時半)、土曜日(2時)とあるから、関西ダンスファンならびにコンテンポラリーダンスってなに?って興味を持っている人はぜひ劇場に足を運んでみてほしい。特にディディエテロンの新作はWS参加者からメンバーを集めたって聞いていたので、よくあるWS公演のレベルかと考えていたら、ダンサーの技術もかなり高くて、ツアーをやってもいいんじゃないかという水準で、振付もなかなか面白く、このまま終わってしまうのはもったいないと思った。

 ディディエテロンの新作「La Dolce Vita(甘い生活)」は京都松山などで行われたワークショップメンバーから選ばれた6人のダンサーが参加。作品の冒頭では観客のふりを座っていたダンサーがひとりまたひとりとフロアに出て行って踊りはじめる。照明は地明かりに近く、街頭で録音された環境音のような音響が静かに流れるだけのシンプルな構成で、重心をずらして斜めになったようなゆがんだポーズからポーズへとゆっくり移行していくという振付である。彼自身も何度か踊ったことのあるアトリエ劇研の空間をうまく利用して、グラウンドポジションや壁への寄りかかりを多用して作り上げた幾何学的な空間構成が面白かった。

 一方、Monochrome Circus坂本公成の作品はいずれも小品だが、これまでの坂本の作品の傾向が「収穫祭」のシリーズなど、コンタクトインプロヴィゼーションの技法を生かしながら、身体的にコミュニケートしていくダンサーがインティメートな空間を作り上げていくような観客との親和性の高さを感じさせるものが多かったのに対して、明らかに作風の変化を感じさせた。

 「水の家」はその変化のきっかけとなった作品で、ダンサーが2人座るとほとんど空いた空間がなくなってしまうような小さな机のうえで森川弘和/森裕子が踊り続ける。その動きはコンタクトの技法などでつちかったアクロバティックともいえる高度な身体能力を基礎とはしているのだが、2人の間に接触はあっても、ダンスとしてはその狭い空間でお互いにもがき合っているような印象のデュオで、人間同士がコミュニケートとしていくようなところがなく、それぞれが相手を外界の一部としてしか意識してないような動きの連続によって、孤立(ディスコミュニケーション)のダンスとして作品は構築された。

 佐伯有香のソロ「怪物」はアゴタ・クリストフ短編に材をとったものだが、小説に登場する森に住むという美しい怪物を嵐の咆哮のようなノイズ音楽にのせて、佐伯女性ダンサーでは珍しい強靭で柔軟な身体性を生かして踊りきった。

 「最後の微笑」は4人のダンサーによる作品で、こちらはサミュエル・ベケットの小品からイメージを借りた。全体として「ある家族の肖像」のスケッチのようなところが感じられ、ところどころ方形や円形のスポットの照明を印象的に使ってアクセントをつけるなかで、ダンサーがフォーメショナルな位置を変えていく構成など坂本の空間使いの巧みさが発揮された。ただ、この日の上演ではダンサーそれぞれに硬さがあって息の合いかたも今一歩とまだ発展途上の段階とも思われた。

*1:こちらはもちろん関西カンパニーではないけれど

2006-05-24 スクエア「上方スピリッツ」

2006-05-23 Noism06「sense-datum」

[]Noism06「sense-datum」

Noism06「sense-datum」アートシアターdB)を観劇。

 現在もっとも注目されている若手振付家・ダンサーである金森穣の率いるNoismの新作「sense-datum」(5月23日ソワレ)を見た。Noismは日本では唯一の公立のコンテンポラリーダンスカンパニーだ。新潟市立の新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ)の座付きカンパニーとして本拠地のりゅーとぴあだけではなく、国内外の大・中劇場で活動を続けてきたが、今回は初めての小劇場空間の作品に挑戦。大阪では大阪千日前フェスティバルゲートアートシアターdBでの上演となった。

 金森についてはここ1、2年の新作をフォローできてないので、若干の変化はあるかもしれないが、2004年びわ湖ホールで見た「black ice」の印象は大空間における空間演出の力は若手の振付家のなかでも抜きん出たものを持っており、振付・構成・演出面で巧さがあることは確かだが、ムーブメントは基本的にはユーロクラッシュ系の動きとバレエアマルガムで、「ムーブメントのボキャブラリー」「作品の今ここでの現代社会への切り込み方」のどちらにも本当の意味でのオリジナリティーはまだ感じられず、すでに一定以上の評価を国内では受けている人だけにそこには不満を感じざるをえないと書いた。

 厳しい見方というのは承知の上だが、まだ完成された振付家とはいいがたく、この段階での一部の高すぎる評価はどうしたものだろうと思ったからだ。発展途上という評価は今でも変わらないのだが、今回の作品を見て振付家、金森に対する印象は変わった。本人もそれを自覚して、さまざまな方法論をいままさに試行錯誤を続けながら探っており、ひょっとしたらそこからとんでもないオリジナルなものが、飛び出してきそうな雰囲気が感じられたからだ。

 刺激的に思われたのはこの作品の持つどこかアンバランスな印象。作者のコントロールのもとに完全に意図してこうなったのではなく、試行錯誤を繰り返すうちにこうなってしまった感覚。端的に言えば、作品としては荒削り、未完成破綻しているのだが、だからこそ可能性において開かれている原石の煌きを感じたのである。

 舞台上奥に9つの椅子が壁に沿って並べられている。その前がパフォーマーのアクティングエリアなのだが、3方向からそれを囲むように白い枝のようにも見える無数のオブジェが柵のように置かれ矩形を作っている。

 入場するとすでに白衣のようにも見える上着をはおった男が椅子に座って、なにかモノローグのようなせりふを発している。しばらくすると、客電が消え、舞台下手からダンサーがひとり、またひとりと登場して、踊り出し、ダンス場面がはじまるのだが、白衣の男はすべてのダンス場面が終わった後にもひとり残って、再び自分の意識の状態についての自己分析めいた繰言を繰り返す。

 言語テキストサルトル小説嘔吐」の一部であることが、作者である金森自身に確認して分かったが、この作品は演劇的要素の強い場面に入れ子のようにダンス部分がすっぽりはまり込んだ構造になっているのだ。このせりふの部分は作品の基調を支配している。それゆえ、この舞台からは新しい動きの追求に特化した純粋抽象というよりはそこになんらかの物語が仮託されているという印象を強く受けた。

 奇妙なのはその入れ子の中身のダンス部分はフォーサイスを思わせるような超絶技巧を含む抽象的で純ダンス的なムーブメントを主体としていること。それ以外に舞台上で様々に移ろう身体の状態を追求して作られたと思われるシークエンスもあり、そこから、明確な仕草やそれにともなう物語性などは意識的に排除されている。

 ところがさらに言えば、そのダンスにはダンサーが頭まで覆われた性差をあえて隠蔽するような衣装で踊られたり、ダンサーが白いウィッグを着脱して踊るような外枠の言語テキストと呼応して、なんらかの意味の解釈を観客に誘発するような記号性の高い要素も含まれている。

 モノローグの男からはどう見ても精神がどこか破綻している印象を受けるので、私は途中でこの作品は解離性同一性障害あるいは統合失調症のような病症に襲われた男の内的世界(インナーワールド)を表現したものであると解釈したい欲求にとらわれた。特に最初の部分で、舞台に上がったダンサーが次々とひとしきり踊ってみせた後、椅子に座っていき、最後に椅子が全部うまった後でダンサーが椅子よりひとり人数が多いので、取り残されたダンサーが舞台に残る。そして、その後は椅子取りゲームのように舞台上のダンサーが交代していくところ。これはダニエル・キイスの「24人のビリー・ミニガン」の描かれた人格交代を連想させるし、そういう風に考えると舞台の周囲に置かれた白い枝状のオブジェは神経シナプスのようにも見えてきたりする。

 ところがしばらく舞台を見ているといろいろとそうした解釈にはおさまりがつかない過剰な要素が出てきて解釈が破綻する。どうやら、この作品は構造上、そうした意味に還元するような解釈をダンスが拒絶することで、観客を意味論的な自己撞着に陥らせるようなダブルバインド的構造が含まれていて、そのせめぎ合いがきわめて動的でスリリングだったのだ。

 すでに初演となったりゅーとぴあとこの日の大阪の公演では作品にかなりの変化が出てきたらしいが、破綻しているとも思える構造的矛盾をその内部に抱え込みながら、収束・完成へのベクトルを持つことなく、上演する空間によっても時々刻々変化していく開かれた作品になっている。この日の上演ではまだそのポテンシャルは尽くされていないが、そこから今後どんなものが生まれてくるか楽しみな舞台であった。

 

 

 

2006-05-22 嶋津美紀個展

simokitazawa2006-05-22

[]嶋津美紀個展

嶋津美紀個展(CITY GARALLEY)を見る。

f:id:simokitazawa:20060603045716j:image

2006-05-20 トヨタコレオグラフィーアワードの最終候補

simokitazawa2006-05-20

[]青年団上野動物園再々々襲撃」

青年団上野動物園再々々襲撃」伊丹アイホール)を観劇。

 原作:金杉忠男 脚本・構成・演出:平田オリザ 舞台美術杉山至×突貫屋

 舞台監督:寅川英司×突貫屋 照明:岩城保 衣裳:有賀千鶴 演出助手:工藤千夏

 宣伝イラスト:マタキサキコ 宣伝美術太田裕子

 青年団上野動物園再々々襲撃」は2001年の初演作品の再演。初演の4年前に亡くなった金杉忠男への追悼として、金杉忠男アソシエーツ(中村座)のメンバーであった役者たちを客演に迎え、中村座時代に上演された金杉忠男作品「上野動物園再々々襲撃」へのオマージュもこめて上演された作品で、今回の再演でも退団した安部聡子(現在は地点所属)を除き、ほぼ初演キャストをそろえての公演となった。

 原作:金杉忠男のクレジットもあり、平田オリザらしくない作品との評判は初演の当時あったし、今回もそういう感想ネット上などでも見聞きするのだが、少しまどろっこしい表現になるが、再演を見ての印象は「平田オリザらしくないこともない」。それというのは平田は前衛的な手法が話題になって、持ち上げられてきたがそういう方法論が背景に退いても、メロドラマ的に情緒に訴える芝居を書かせてても実は技巧的にうまい劇作家でもあり、外部からベテラン俳優を迎えたこの作品ではそういう特徴がより分かりやすい形で発揮されたからだ。

 技巧的にうまいと書いたが、ひとつ実例を挙げればまず歌=音楽のつかい方のうまさである。劇伴音楽を使うこともほとんどなく、例えば昔のアングラ劇みたいに劇中で皆が歌いだすという場面もない平田の芝居を「音楽劇」と位置づける人はいないと思うが、実は平田が上演したこれまでの舞台を個々に思い出してみると、それぞれの芝居で物語上で非常に重要な鍵となる場面で巧妙に登場人物が口づさむ歌がキーとなっていることが多いことに気がつく。

 しかも、それは「北限の猿」「家宅か修羅か」「冒険王」のようなどちらかというと旧作に属する作品から「ソウル市民1919」、現在のところ最新作となっている「砂と兵隊」までそれこそ枚挙にいとまがないほどなのだ。

 この「上野動物園再々々襲撃」でも「月の砂漠」「とんとんともだち」が舞台上でなんども繰り返して歌われて、それはこの物語の主題でもあり、ムード(基調)を決める重要な要素となっている。(この項続く)

 

 

[]トヨタレオグラフィーアワードファイナリスト

トヨタレオグラフィーアワードの最終候補(ファイナリスト)がようやく発表になった。

http://www.toyota.co.jp/jp/community_care/domestic/mecenat/tca/index.html

f:id:simokitazawa:20050622181210j:image

きたまり(KIKIKIKIKIKI)「サカリバ」

小浜正寛(ボクデス&チーム眼鏡)「親指商事・営業課」

白井剛「質量, slide, &.」

康本雅子「メクランラクメ」

遠田誠(まことクラヴ)「ニッポニア・ニッポン

岡本真理子「スプートニクギルー」

常樂泰(身体表現サークル)「広島回転人間

山賀ざくろ「ヘルタースケルター

今回の注目はなんといってもこのところずっと関西秘密兵器と言いつづけてきた「きたまり」=写真=のノミネーション。これはぜひとも本選も応援に行かなければ。ただ、ある意味、今回はこれまでのファイナリストのノミネーションと比べると、「東京で今もてはやされているダンス」に片寄った選考と思われるのだが……。小浜正寛(ボクデス&チーム眼鏡)「親指商事・営業課」を除けば全部すでに見ている作品ばかりだし、サプライズはなかったなあ、というのが正直な感想だ。

 その意味でも関西から唯一選ばれたきたまりは孤軍奮闘だなと思う。きたまり(KIKIKIKIKIKI)「サカリバ」は先日アイホールでの上演は見たのだが、私が見られなかった初演と比べると出来があまりよくなかったようで、私としても

その前に上演した「プロポーズ」がよかっただけに不満が残る内容のものとなってしまった。特にトヨタの場合はこれまでの選考基準だと完成度が問われるので、そういう不安定さがどこまで解消できるかが評価の鍵を握ることになりそう。ノミネートされたことは嬉しいけれど、少し早すぎたのではの思いも若干なくはない。まあ、選ばれたことで踊らされてつぶれるような子じゃないので、その辺は大丈夫だと思うのだが。

 順当に考えると本命白井剛「質量, slide, &.」なんだろうが、白井をここで選ぶことがどういう意味があるのかという疑問もなくもない。もうひとつは今回が2度目のノミネートとなった常樂泰(身体表現サークル)がどういう評価を受けるのか。

門 2006/05/20 05:04 賞の性格が変わったんでしょうか。名実ともに新人賞じゃなくなったのかな。質の高いものが多いのはいいことだと思いますが、初演済みのものが多いから、わざわざ公開審査する必要があるのか疑問。というか、ド本命が一人いるので、その人に取らせるための審査なのかという気すらします。

simokitazawasimokitazawa 2006/05/20 05:44 ファイナリスト選考の方の選考過程でどういう選考基準があったのかは分かりませんが、これまでファイナリスト選考の段階ではショーケース的に手広く選ぶという選考をしてきたのが、一部の人には不満な結果に終わってしまったということがあって、自分の好みを強く反映したものしか絶対に選びたくないというような意思が働いているのかな、というのを感じました。逆に言えば選考委員にとってビデオだけではよく分からないのだけれど可能性を感じるという作品を選んで、いわば言葉は悪いけれどバッファとして選んだものが、海外の審査委員に受けてしまって賞をとってしまうというのを恐れて、保守的な選考となったかなと思います。

simokitazawasimokitazawa 2006/05/20 06:21 山賀ざくろは「踊りに行くぜ!!」などには選ばれていますが、年齢が年齢だし、このメンバーだと本当の意味で新人といえそうなのはきたまりだけでしょうね。他はキャリアがあるというだけじゃなく、トヨタ2回以上の人も含め、横浜ソロ×デュオや東京コンペなどで入賞歴がある人ばかりですしね。

2006-05-19 マレビトの会「船福本」「パライゾノート」

[]マレビトの会「船福本」「パライゾノート

マレビトの会「船福本」「パライゾノート(アトリエ劇研)を観劇。

2006-05-18 CASOで展覧会を見る

[]ジ・エクスポーズド・オブ・ジ・アートvol.1「写真」@CASO

ジ・エクスポーズド・オブ・ジ・アートvol.1「写真*1を観る。

本郷毅史、前田麻利子、在本彌生、塩田正幸、石川直樹淀川テクニック、小山泰介、鷲尾和彦、ジョン・ハート、プンクトゥム・フォトグラフィックス・トウキョウ (青山裕企+伊丹豪+小浜はるみ+宮川かほり)、吉田武司プロデュース(鵜飼悠+中村寛史+松木宏祐)、椿昇

キュレイター 後藤繁雄+椿昇

 淀川テクニックを見に行きたいというのが足を運んだ主たる動機だったのだが、結果的には「なんなんだこれは。おいおい」(笑い)。

[]「彫刻の力」@CASO

「彫刻の力」を観る。

出品作家/ 立体・インスタレーション映像

 稲熊海、上野政彦、鴨谷真知子、菊池孝、信ヶ原良和、

 申京愛、杉浦隆夫、竹股桂、田田、長野久人、永沼理善、

 西山美なコ、長谷川政弘、前堀浩二、水上雅章、宮永甲太郎、

 宮永愛子、森口ゆたか、山崎由美子、吉野央子、米田由美 (50音順)

2006-05-16 映画「レント」

[]映画「レント」

映画「レント」*1を観る。

 ブロードウエーミュージカルRENT」の完全映画化。この作品は実は評判の高さは聞いてはいたものの、舞台で見たことはなくて、今回が初見だったのだが、最初に作られたころの時代が生み出したミュージカルというようなリアリティーは時間の経過とともに薄れているとしても、とても優れたミュージカルだと再認識させられた。

 しかも、これは映画としてもよく出来ていて、それはなんといっても野外撮影の場面を多用して舞台となったニューヨーク空気をうまくとらえていたところで、そこがいかにも舞台的な作りの再現である「シカゴ」「プロデューサーズ」「オペラ座の怪人」などとは違うところである*2

 ただ、逆にそうだからこそ、最初のシーンで全員がこのミュージカルの主題曲ともいえる「シーズンズ・オブ・ラブ」*3合唱するところだけは舞台の時のをそのまま映し、それが映画の冒頭部分としては見事な演出的な効果を上げているのだが映画からは元の舞台がどんな風な形で演出されていたのかというのが、ちょっと想像できないところがあり、映画を見たことでますます元の舞台劇版が見たくなったのであった。

 出演キャストを10年以上前舞台初演キャストにしたのも結果的には正解だったのではないか。年齢設定などの面でリアルという意味ではやや問題がなくはないが、この出演者のそれぞれの個性と嵌まり具合はやはりジョナサン・ラーソンと一緒にオフ・ブロードウエーからこのミュージカルを作り上げたオリジナルキャストならではという味を出していた。

 

 

*1http://www.movies.co.jp/rent/

*2:誤解がないように強調しておくが、これは違いを言ってるので、だから後者映画はだめだといっているのではもちろんない

*3:すごくいい歌なのだが、このシーンを見ていると、どうしても「ウィー・アー・ザ・ワールド」を連想してしまうのはなぜなんでしょうか(笑い)

2006-05-15 気分は名探偵 犯人当てアンソロジー このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

「気分は名探偵犯人当てアンソロジー

我孫子 武丸 (著), 有栖川 有栖 (著), 霧舎 巧 (著), 貫井 徳郎 (著), 法月 綸太郎 (著), 麻耶 雄嵩 (著)

2006-05-14 「鉄橋の上のエチュード」

simokitazawa2006-05-14

[]AI・HALLハイスクールプロデュースvol.8「鉄橋の上のエチュード

AI・HALLハイスクールプロデュースvol.8「鉄橋の上のエチュードAI・HALL)を観劇。

 そとばこまち元座長の小原延之が退団後、初の新作を公募により選ばれた現役高校生キャストで上演。つい先日、事故後1年が経過したばかりとまだ記憶に新しいJR西日本福知山線尼崎列車事故モチーフにしている。会場になった伊丹アイホールJR伊丹駅の真ん前という立地。この時期にそのホールプロデュース公演としてこういう主題を持ってくるというのはいろんな意味で、簡単なことではなかったんだろうなと思うのだが、6人の地元女子高校生たちの精いっぱいの熱演もあって、そうした危惧を感じさせないなかなかの好舞台に仕上がった。

2006-05-11 DANCE CIRCUS34(2日目)

[]DANCE CIRCUS34(2日目)

DANCE CIRCUS34アートシアターdB)を観劇。

野口知子『肖像(T)』 作・出演:野口知子  

市川まや『天井の上は、ソラ。』  作・出演:市川まや  

アッペカカ 『 だってしょうがないじゃない 』 作・出演:アッペカカ (演奏:タカシマタイコ 舞踊:三林かおる)

おかのあきこ+あいかよこ 『 癒しのための…(仮) 』  作・出演:岡野亜紀子・相歌代子

KIKIKIKIKIKI『Twin』 振付、演出:きたまり 出演:花本ゆか、舟木理恵 音楽:大村理文 衣装:浜本なみ子

 アートシアターdBの公募ダンス企画「DANCE CIRCUS」の2日目。この日の注目は野口知子のひさしぶりの新作ときたまり作品の2日連続の登場だったのだが、市川まや「天井の上は、ソラ。」にやられてしまった。冒頭部分で舞台奥の黒い壁に3本の矢印(↑↑↑)の形で白いビニールテープが貼り付けてあり、それをはがして、壁と舞台に左右に平行する2本の線とその線と直角に交差する何本かの線をテープを切っては貼り付けて、作っていく。そして、本人はそうして作った図形で空間構成された舞台の上でゆっくりとした動きで踊る。

 最初はその図形がなんだか分からないのだが、それはわざと少しゆがんだへたうま風に貼られていくなかで、線路にたいだなという形になっていく。その時に見ながら考えていたのはムーブメントは少し北村成美(しげやん)を思わせるところがあるなとか、それにしてはおとなしいな、もう少しはっちゃけて笑わせればいいのにとか。途中で壁に逆立ちして寄りかかったりして、そういうところもしげやんに似ているな。構成もすごくシンプルな作品で、その時にはあまり作品の主題とかいうことには目がいってなくて、作品の途中で流れている音楽に重なって、なにかにアナウンスのような声が聞こえてきた時にはそれはサブリミナル存在でしかなくて、聞き逃していたのだが、途中でふともう少し注意をして聞いてみると「次は尼崎」というアナウンスが聞こえてきて、「あ、これは列車の社内アナウンスだ」ということに気がつく。そうか、白いテープは線路だったんだ……その瞬間、突然不意打ちのようにそれまで見ていたこの作品がどういうことだったのかが、天啓のようにフラッシュバックし、衝撃を受けた。この作品はJR西日本尼崎事故への鎮魂歌だったのである。その不意打ちで作者がこの作品にこめた祈りのような気持ちが腑に落ちる形で一気に胸の奥まで入り込んできて、思わずコンテンポラリーダンスを見ている時にそういう気持ちになることは滅多にないのだが、思わずずしりと来てしまったのだ。

 コンテンポラリーダンスでこういうジャーナリスティックな事件のこととかを直接主題に選ぶということは最近ではあまりなくて、もしあったとしても例えば一部の現代舞踊などでは見られるように「イラク戦争反対の祈りをこめて踊ります」とかいわれたら、見る前からしらけてしまう方なのだが、この作品がよかったのはけっして、そういうメッセージ性を分かりやすいようには表現しなかったことだ。

 むしろ、遊びのようにテープを張ってみせたり、その上でごろごろと転がったり、いい意味での素朴さが目立つ作品なのだが、それが後半にどういう作品なのかが分かった時に一瞬にして主題がフォーカスされる。そんな作りになっているのだ。派手ではないが、キラリと光る小品だった。

 野口知子「肖像(T)」は少女から老人までの女性の移ろいを演じ分けた作品。最初の場面でつばの部分が大きくて顔がすっぽりと隠れてしまうような帽子をかぶって踊りはじめるのだが、見ていてあれ野口さんの順番だったよなと一瞬分からなくなったほど、繊細に少女を演じてみせ、パフォーマーとしてのこれまでにない芸域の広がりを感じさせた。これまでの作品は大人の女性の持つ狂気のようなものを体当たりで演じたようなストレートなものが多かったので、緻密に構築された今回の作品は少し作風が変わったかなと感じた。ただ、終演後に聞いたところ、この作品の原イメージやなぎみわの「無垢な老女と無慈悲な少女の信じられない物語」の連作だったらしく、そうだとするとこの少女は可憐すぎて、もう少し怖い部分が必要だったかもしれない。

 この人は主婦普通子育てをしてきたかたわら、女性管理職でもあるバリバリキャリアウーマンで、それが最初はいわばカルチャースクールの乗りで、ダンスパントマイムワークショップに通ううちに40歳を超えて初めて創作した作品が「踊りに行くぜ!!」に通ってしまったという非常に特異な経歴の持ち主。私のような中年にとってはいわば希望の星でもある。こういう人が出てくるというのもコンテンポラリーダンスというジャンルの面白いところだ。

 昨年だったか、人事異動幼稚園だか、保育園だかの園長さん(じゃなかったかもしれないが、とにかく管理側のえらい人)になって、忙しくてなかなか作品が作れないとぼやいていたのを聞いていただけに、ひさしぶりに作品が見られたのは嬉しいことであった。

 アッペカカCa Ballet、fu-pe(旧はっぴーすまいる)などでダンサーとして活躍している三林かおるとパーカッションの演奏家のタカシマタイコによる新ユニット。ダンサーとしての三林は何度も見ているが、振付作品というのは見たことがなかったので、どういう風になるのだろうと楽しみにしていたのだが、これはちょっと困った。ダンスとして考えると三林は舞台奥の暗闇のなかに当てられたスポットのなかで、最初から最後までぴょんぴょんと同じ場所で跳んでいるだけで、あまりにミニマルすぎた。演奏から見てタカシマタイコは現代音楽クラシック系のパーカッション奏者かと思われたが、演奏には即興部分も含まれていたようなので(あるいはすべて即興だったのかも)、ダンス作品で演奏はその伴奏というのではなく、演奏を主体としたパフォーマンスのようなものと考えた方がよかったのかもと終わった後思ったが、後の祭りであった。

 おかのあきこ+あいかよこも別の意味で困った。この2人、おそらくスタジオ系で経験を積んだダンサーと思われ、技術は相当高いと思われたが、正直言って今回のはコンテンポラリーダンスの作品になっていなかった。残念ながら、おそらく、稽古場ででてきた動きを構成して、ただつないでみたという印象。きつい言い方になってしまうが、コンテンポラリーダンスというジャンルジャズバレエストリートダンスなど他ジャンルダンスとどう違うのかという枠組みが分かってなくて作るといくら技術が高くてもこういう風になってしまうという典型のように見えた。

 逆に既存のダンステクニックを全然使わなくても、「自分たちならではの動き」というものを意識して作ればちゃんと作品になるというのを見事に示してみせたのがKIKIKIKIKIKI『Twin』。こちらはこういう説明をしたらみもふたも無いのだが、ダンス普通踊らないだろうと思うような太目の体形の女の子が2人登場して、これが相撲の動きをところどころサンプリングしたような動きで、意外としっかり身体を使ってちょっとコミカルに踊りまくるというもの。この2人が実に楽しそうに踊るし、愛嬌もあって可愛らしくて、キャラ立ちしているので見ていて、「おいおい後輩の女の子をだまくらかしてこんなことをやらせて、受けるためなら手段をえらばずかよ、きたまり」と思ったりはしたものの、踊っている本人たちがいかにも一生懸命で、しかも楽しそうに踊るので、見ているうちに「本人たちが楽しいなら、それでもいいか」とも思って、先程の老婆心などどうでもよくなってしまう。

 それでいて、侮れないのは身体表現サークルふんどしじゃないけれど、ダンスの動きとしてサンプリングしたのが、相撲だったりするから、これは確かに日本ならではのダンスにちゃんとなっていて、村上隆奈良美智が向こうで受けるなら、これもある意味ジャパネスクではあるし、深みがないというのは逆に言えばスーパーフラットだし、海外にもっていけば案外、「ジャパニーズ・スモウ・ガールダンス」などとして受けるんじゃないかと思われてくるのだ。

 こういうアイデアというのは考えることと、実際にやるということの間には距離があって、普通は実行に移さないが、こういうのをやってしまって、衒いがないという点ではきたまりは上海太郎*1と双璧ではとさえ思ったのである(笑い)。

 もちろん、これは私にとっては最上級のほめ言葉なのだが、それは逆に言えばこういうシャレの面白さが分からない人はアート畑にはかならずいて、うまく立ち回らないと色物と見られて、その筋からは相手にされなくなりかねないから気をつけろよという警告の言葉だったりもするわけだ(笑い)。今回はそれが分かっていての(前日の作品との)2本立てだと思うから心配はしてないけれど。

*1上海太郎にも相撲モチーフの作品「プラトニック・ラブ」があり、これは今年の夏ぐらいに垣尾優とのコンビで再演される予定

2006-05-10 DANCE CIRCUS34(1日目)

[]DANCE CIRCUS34(1日目)

DANCE CIRCUS34アートシアターdB)を観劇。

sonno 『sole di mezzanotte』 作・演出:TEN 美術山口智

Joe Small 『Upbeat, Downtime.』 作・出演:Joe Small  

坂田可織 『ヒア』 作・出演:坂田可織

林正美  『Unconscious』  振付、出演:林正美

きたまり→yum  『Sister』 振付、演出:きたまり 出演:yum 音楽:渡部綾子 衣装:園部典子

 玉石混交の感があるのが、アートシアターdBの公募ダンス企画「DANCE CIRCUS」の特徴だが、この回はなかなかに粒ぞろいだった。なかでもよかったのは「Sister」千日前青空ダンス倶楽部から卒業して、KIKIKIKIKIKIの主宰者として独立することになったきたまりがやはり千日前のダンサーとして苦楽をともにしてきたyumに初めて振りつけたソロ作品である。yum千日前では紅玉の振付で踊るほか、自らの振付によるソロ横浜ソロ×デュオにも選ばれたユニット「MANBOBO」の活動などでそれぞれにいろんな多彩な個性を見せてきたが、きたまりはこれまでとはまったく違う個性をyumから引き出した。表題の「Sister」は姉妹のことかと思うとそうではなくて、尼僧のシスターなのだが、冒頭、尼僧姿で登場したyumがしだいにあられもない姿を晒していくという少しきわどい作品。ダンスの動きのなかに性的な隠喩を明らかに匂わせるものがあったり、解釈しだいでは涜神的とも思われる要素もあるのだが、それが下世話にならずに見せられるのはyumスキンヘッドの髪型などにもかかわらず凛としていて気品を感じる端整な個性があったからこそであろう。この舞台を見てあらためてこの人のダンサーとしての資質の高さに感心するとともに、よくも悪くもこの人は作品の作り手というよりはダンサーとして輝く人なんだなというのを再認識させられた。

 きたまりの作品がある意味面白くて、ある意味大丈夫なのかと心配になるのは、いったいどこまでがシリアスでどこまでがオフザケなのかがよく分からないこと。この作品でも尼僧の衣装とか、性的な隠喩とか、見ていて記号的に意図を読み取れる要素が散見されていて、それは解釈によっては宗教による性的抑圧とその解放とか、制服につつまれた身体に対するフェティッシュな性的欲望とか、いろんな解釈が出来るし、見ていてついそうした記号論的な解釈の枠組みに捉われそうになる。だが、一方でこの作品は「これは遊びで、オフザケ。私はそんなシリアスにはそうした問題を提示しようとしているわけではありません」というコノテーション的な意思表示も感じられて、そこで見る側としては一種の解釈の宙吊り状態に置かれるようなところがあるのだ。

 Joe Small「Upbeat, Downtime.」は通常アートシアターdBで上演されるコンテンポラリーダンスとはちょっとアプローチの異なる作品でそういう点での新鮮さを感じた。Joe Smallは和太鼓勉強中のアメリカ人で、この作品はその和太鼓コンテンポラリーダンスの要素を組み合わせて融合させようと試みたもの。和太鼓の演奏は何度か見たことがあるが、それ自体、楽器演奏というだけでなく、パフォーマティブな要素を持つ。それゆえ、発想としては面白いところを狙ったと思うし、打楽器の生演奏の楽しさが見ていて味わえた。ただ、難を言えばこの公演ではまだ表現としては和太鼓パフォーマンス寄りで、太鼓を打つ動きにコンテンポラリーダンスの動きをところどころ挿入してつないだという印象が否めず、意図したような「和太鼓コンテンポラリーダンスの融合」にはなりきってない印象。

 左右に2つの太鼓を置き、その間に入って、ばちを持ちながら踊るのだが、作品中の音楽のすべてを実際にそこで打つ太鼓の音で行う演奏行為をすべて生でやっているので、そのことで動き自体が規定されてしまう制約が大きくダンスとしての自由度に欠け、ダンスというよりは太鼓の曲打ちの少し変わったバージョンに見える、のだ。

 林正美韓国から日本に舞踊学を学びに来ている留学生「Unconscious」彼女技術をはじめとしてダンサーとしての資質の高さを感じさせ、完成度も高い作品だった。ただ、それだけに逆に「なぜこういうのを作るんだろう」という疑問も感じた。いかにも、こういう風に作るとコンテンポラリーダンスになりますという典型みたいになっていて、そこからはみ出てくるようなところがないので優等生的に感じてしまうのだ。

 これは彼女だけではなく、韓国の振付家の作品を見ていてよく感じるのだが、動きひとつにしてもダンサーとしてのスキルは高いのだが、それまでの訓練によって習得された動きに頼っていて、「ジャンルとしてのコンテンポラリーダンス」からはみ出ていく試行錯誤のなかから、まったく新しい地平を模索するようなところに欠ける印象が強い。特に彼女の次に見たきたまりのがよくも悪くも、日本無手勝流コンテンポラリーダンスの典型のような作品だったから、余計にそう感じたところもある。こうなるのは韓国ダンス大学を媒介にした徒弟制度的な仕組みと関係あるという話を以前、聞いたことがあるのだが、彼女の場合など日本に滞在してからだいぶたってるから、日本コンテンポラリーダンスもかなり数多く見ているはず。だから知らないわけではないなかで、影響がほとんど感じられないのは根本的にどういうものをよしとするかの価値観が違うと思わざるをえない。

 もっとも、これは彼女韓国人だからというだけの問題ではないのかもしれない。というのはsonno「sole di mezzanotte」にも同じような不満を感じたからだ。sonnoはダンサーのTENと美術家山口智美の2人によるユニットで、これまではTENのダンス(というかパフォーマンス)と山口ライブペインティングの掛け合いのような形で構成された舞台が多かったのだが、今回のは山口舞台美術を手掛け、出演はせずにTENのソロダンス公演となっている。

 ところがそういう枠組みで見てしまうとやはりTENがダンサーとしてはいいダンサーだというのは分かるし、ダンスとしての完成度も低くはないのだが、どうも、「ジャンルとしてのコンテンポラリーダンス」の枠組みにしっかりとはまりこんでしまい、「ここしかない」という種類の強い個性が残念ながら感じられない。この作品は表題からみてアイホールTAKE a CHANCE PROJECTのPlatform公演で来月上演される作品の一部のようなので、ここの部分だけを見て判断するのは早計かもしれないのだが、この作品もはみ出しのなさを不満に思ったのである。

 ここで上演されたのは習作的なものに感じたし、作品として評価するには「まだまだこれから」が正直な印象だが、坂田可織「ヒア」はその身体性の持つ個性に好感を受けた。坂田可織はこのアートシアターdBでボランティアスタッフを務めており、スタッフとしては千日前青空ダンス倶楽部のメンバーらを除けば古手の部類に入るようだが、自分の作品を発表したのはこれが初めて。実質的なデビュー作だった。12分程度の作品とはいえ、音楽はいっさい使わず、まったくの無音で、身体ひとつで見せていくという今回の作品は実は相当の難易度で、それが成立するのは相当のベテランのダンサーでも難しいところで、作品としては実際にはもう少し工夫が必要だと思うが、とにかく大きな破綻を見せずに踊りきったのには感心させられた。しかも、興味深かったのは彼女のムーブメントを見ていて、動きと身体の舞台上でのあり方に確かに彼女だけを感じさせるところがあり、いったいこの人がどういう経歴のダンサーなのかが分からない*1独自性が感じられたことだ。実は今回、無音になったのは「それが難しいことだ」という考えは彼女にはなく、むしろ必死になって作っていて、曲をつけたりするという余裕さえなかったということらしいのだが、そういう不器用だけれども素朴で真摯にダンスと向き合っていることのよさはこの作品には出ていた。

  

*1:由良部正美のもとで舞踏を学んでいたらしいが、由良部正美の動きとは違う動きで、それゆえ、見ている時にはそれは分からなかった

2006-05-08 木ノ下歌舞伎「yotsuya kaidan」と居城純子個展

[]居城純子*1個展をちこち

居城純子個展をちこちギャラリーほそかわ)を見る。

VOCA展2005*2奨励賞の入選歴のある大阪在住のアーティスト。実はちょっとした知り合いでもあったのでこの日はとりあえず挨拶にでもと思い、後でゆっくりとと思ったのだけれど、その後、体調を崩したことなどもあり、この日しかいけずVOCA展での大作『N34.21.29 E135.52.13』をはじめ、作品はアートフェアなどでも見たことがあったのだが、個展を見るのはこれが初めて。

 マスキング手法風景などを書き込んだところに一部描かなかったり、剥落したかにも見える空白部分を作っているのがこの人の絵の特徴。もっとも、今回は画廊系のギャラリーでの展示ということもあってどちらかというと小ぶりな作品が主体。今回展示されていた作品ではギャラリーの一番奥側に展示されていた4枚の風景画が組になったような作品が面白かった。

 過去の作品を紹介したサイト*3を見つけたのだが、こういう作品を見る限り、この人は大きな作品の方が本来の持ち味がより発揮できるのじゃないだろうか。そういう意味で今度はもう少し大きな会場での展示を見てみたいと思った。

[]木ノ下歌舞伎「yotsuya-kaidan」

木ノ下歌舞伎*4「yotsuya-kaidan」京都アトリエ劇研)を見る。

 関西の若手劇団の芝居を見るぞ企画第3弾。「木ノ下歌舞伎」は劇団ホームページによれば「現行の歌舞伎という枠に囚われず、様々な角度から見つめ直すことによって広義の歌舞伎観を発掘し、歌舞伎オルタナティブ代替案]を提示することを目的に、京都造形芸術大学 映像舞台芸術学科に在籍する木ノ下裕一が中心となって06年より活動を開始するプロジェクト」という。

 今回はその最初の公演で演出・美術プランを杉原邦生が担当鶴屋南北代表である東海道四谷怪談から雑司が谷四ツ谷町浪宅の場」「同伊藤喜兵衛内の場」を上演した。

 杉原の演出は舞台後方に大きな幕が張ってあって、その場面、その場面で登場する人物が黒い台のような舞台装置に乗って、それが黒子に押されて、幕の奥から舞台前面に出てきては芝居をするというもので、この趣向はなかなか面白かった。「東海道四谷怪談」の「雑司ヶ谷四ツ谷町、 伊右衛門浪宅の場」「同伊藤喜兵衛内の場」というと本来の歌舞伎でいうと、2幕にあたる部分でここに台本*5が収録されているサイトを見つけたので、参考のために紹介しておくが、怪談としてのスペクタクルよりも、それぞれの登場人物の人間ドラマに焦点を置いた場面が今回は中心。もちろん、大南北の芝居だから、この場面でも有名な「髪梳き」などの趣向はあるが、怪談としての最大の見せ場である「蛇山庵室の場」のような外連はなく、それゆえどちらかというとそれぞれの俳優にも現代劇に近いような演技スタイルで演技させるというのが今回の演出プランだったようだ。

 ただ、この舞台では脚本自体は若干のテキストレジストを演出の杉原が行ってはいたようだが、基本的には鶴屋南北のせりふをそのまま使うということだった。これはやはりかなり無理があったのじゃないかと思う。

以前、蜷川幸雄の演出による「四谷怪談」を見た時でさえ同じように不満を感じたのだが、例えばこんなせりふなのである

お岩「私が顏つき、好いかいか知らねども、氣持はやつぱり、同じこと。一日、あけしい閑も無う、どうせ死ぬるでござんせう。死ぬる命は惜しまねど、生れたあの子が一人不便に思うて、妾は迷ふでござんせう。モシ、こちの人、お前、妾が死んだなら、よもや當分。」

 歌舞伎のような「語り」の技量のない俳優がこういうせりふを成立させるためにはやはりなんらかの様式化が必要で、それにはやはり時間がかかる。今回のように大学生か、卒業してすぐというようなキャリアの浅い俳優だけでそれを成立させるのは難しいと思われた。そのため、やはり全体としては完成度という面ではまだまだ荒削りで「学生演劇としてはまあまあのできばえ」というレベルでしかないというのが正直な感想。どういうスタイル志向するかも含め、新しい歌舞伎を本格的に志向するのであれば公演を続けながらまだまだ試行錯誤必要だと思う。ただ、これはどうやら京都造形芸術大学場合歌舞伎や能・狂言という古典の実演が必修となっているせいか、若手の演劇人がこういう古典テキストに興味を持ち、上演してみようと試みること自体が珍しいことでもあり、ここから今後どんなものが生まれてくるのかおおいに興味はそそられたのである

 

2006-05-07 ディディエ・テロンWSショーイング

[]ディディエテロWSショーイング

 ディディエテロWSショーイング京都芸術センター)を見る。

 国際ダンスワークショップフェスティバル京都暑い夏」の一環として上演されたディディエテロWSショーイングを見る。

 もちろん、この日のショーイング自体は作品という感じではないのだけれど、日本でのレジデンス製作で今後公演も予定されている作品の核となりそうな要素も入っているということで、公演*1の方が楽しみである。

2006-05-06 京大ミステリ研OB会と「ダンスの時間12」

[]京大ミステリOB会

 京都に行き、1年に1度この時期に開かれる京都大学推理小説研究会同窓会京大ミステリOB会)に出席する。

 ひさびさに会う先輩や作家になってる後輩(我孫子武丸麻耶雄嵩)の姿も見られ、いろいろ近況や話も聞けて、楽しかった。読んではいるのだけれど、このサイトにも最近はあまりミステリがらみの話題は書いていなくて、今日は無理だけど、ひさしぶりに書きたいなという意欲がわいてきた。

[]「ダンスの時間12」(2日目)

ダンスの時間12」(ロクサドタブラック)を観劇。

出演者

B(インプロヴィゼーション

安川晶子・森美香代・ヤザキタケシ・サイトウマコト赤松正行(メディア作家)・一楽まどか(演奏)・荒木淳平(メディア丁稚

[]「竹村ノブカズ展」@shin-bi

竹村ノブカズ展」shin-bi*1を見る。

竹村ノブカズ プロフィール

京都市在住の作曲家ミュージシャン映像作家

オーディオスポーツ、スピリチュアル・ヴァイブスを経てソロ活動へ。

これまで世界中音楽アートフェスティヴァルに招かれ演奏する。

活動範囲は多岐に渡り、TV番組CM映画ファッションショウからロボットのサウンドデザインまで。主な作品に「こどもと魔法」(ワーナー)、「scope」(ThrillJockey)、「Water “sSuite」(Extreme)などがある。インスタレーション「mirrors in mirrors」、「jardinage」

2006-05-05 維新派と「ダンスの時間」

simokitazawa2006-05-05

[]維新派野外ミニパフォーマンス

 梅田芸術劇場入り口前で行われた維新派の野外ミニパフォーマンス(4時半からの回)に行ってきました。

 ダンス公演(昼、夜)の間に急いで出かけて覗いてきたという感じだったので、あまりゆっくりできなかったのが残念でしたが、観客にはしばらく会ってなかった知人の顔もちらほら。ひさしぶりなので懐かしかっただけに長居できなかったのはちょっと残念。

 パフォーマンスも15分ぐらいの短いものでもう少し見たかったという気がしましたが、なかなかよかったですよ。7月の公演が楽しみ。

[]「ダンスの時間12」

ダンスの時間12」(ロクサドタブラック)を観劇。

出演者

A(コンポジション

松本芽紅見/森川弘和「ブラックライン」

安川晶子「ラビアンローズ

島知子「ライモンダ プティパ版」

サイトウマコト「UNKOWNPEOPLE」

 「ダンスの時間」は上念省三、サイトウマコト、中立公平の3人がプロデュースしてのダンス企画で今回が12回目となる。この日はAプロ(昼)とBプロ(夜)が上演されたが、Aプロがコンポジション(振付作品の上演)でBプロがインプロヴィゼーション即興)。

 Aプロでは最初に上演した松本芽紅見(アローダンコミュニケーション)と森川弘和(モノクロームサーカス)の「ブラックライン」がよかった。普段はそれぞれ異なるカンパニーメンバーとして活動している2人のよるデュオ作品であり、この2人が一緒にデュオを組んだのは初めてだと思うのだが、即席デュオを思わせない独自の世界を作っていて、この2人のデュオはもう少し継続して見てみたいと思わせるところがあった。

 舞台には左右に少しだけ離れた位置に椅子が2脚だけ無造作に見えるように置いてあって、ここに2人がそれぞれ位置どりしてはじまるのだが、この後、この椅子椅子としてよりは舞台上に置かれているモノとして使いながら、ハイスピードでアクロバティックな掛け合いが連鎖していく。

 この2人では卓越した運動能力の高さを感じさせるという意味では関西では屈指の存在である。全国的に見てもハイレベルだと思うのだが、かなり近い間合いでそれぞれが素早く動き、しかもムーブが交差するような動きも続く、しかも彼らの動き回るアクティングエリアには互いの身体だけではなく、その間に障害物としての椅子もはさんでいるので、ちょっとタイミングがずれただけでも大怪我の恐れがありそう。その間合いでこの動きができるのはこの2人の組み合わせだからこそであろう。

 もちろん、ここでも個々の動きはもそれぞれのカンパニーにおいて、得意とする動きを要素としては含んでいるのだが、デュオを組むことでそれまで見たことのない関係性や間合いのとり方が見えてくるのが面白いところであった。

 冒頭からかなり長い間、音楽なしの無音で踊られるのだが、その間、森川の息遣いが音楽の代わりみたいになっていて、その独特のリズム感が伝わってくるのも狭い空間で上演されたダンスならではの醍醐味となった。

 作品には実は「水と油」を連想させるところがあった。ムーブメントにマイム的なところが色濃いわけでもない*1のになぜかとダンスを見ながら考えていたのだが、ハイスピードとそこからの急激なストップが多用されることで生ずる独特のリズム感、そしてモノとしての椅子の扱い方に共通点があるのではないかと思われた*2

 私は水と油のほかのマイムカンパニーと比べた時の最大の武器はあの独特のスピード感にあったと考えていて、それに近い印象を感じさせるカンパニー日本だけでなく海外を含めてもあまり見た記憶がない。それだけにこの2人の間合い・リズムは貴重なものではないかと思った。

 最後の場面で舞台の上手で向かい合って身体を寄せ合うような場面を作り、ここでは初めて音楽も使い、ダンスの感触もそれまでとは変化した。今回はこのシーンは短いこともあってどちらかというとそれまではワントーンで終始する展開だったから、そこまでの雰囲気を一変させて、作品を終わらせるために挿入した場面かなとも思わせた。ただ、ここの部分に関してはここからもう少し展開して別のところに行くのも見てみたいと思わせた。

 この日の舞台を見ただけでも、上演の前にかなり根をつめて練習をしたなとは感じられるのだが、この日の上演を見ながら感じたのはこの作品はおそらく踊り込んでさらに練り上げればさらに凄い作品になるのではないかという予感がした。この日の上演ではまだ作品が本来持っているはずのポテンシャルを尽くしてない気もしたのだ。最初に「もう少し継続して見てみたい」と書いたのにはそういう意味もある。どこかのダンスコンペ(「踊りに行くぜ!!」とか横浜ソロ×デュオとか)に応募してみたらどうだろうか。

 島知子「ライモンダ プティパ版」は演目が間違ってるんじゃないかと思われる人もいるかもしれないが、まさしくクラシックバレエ「ライモンダ」のグランパドドゥからバリアシオンを踊った。島知子は初めて見るダンサーだが、関西在住のバレエダンサーで、ここで踊ったのももちろんバレエなのである。この「ダンスの時間」が通常のコンテンポラリーダンスプログラムと少し違うのはプロデューサーサイトウマコトバレエコンテンポラリー課題の指導者としても知られていて、若いバレエダンサーを指導して、ローザンヌやバルナなどのコンクールに送り込んでいることで、そのコネクションを活用してできるだけ参加ダンサーのうちの1人はバレエダンサーに踊ってもらって、踊る側からしても、見る側からしても敷居の高いバレエコンテンポラリーダンスの間に画然としてある壁を少しでも壊そうと試みている。

 その意気やよし、とは思うのだが……。パンフにある島の経歴を見てみると、2002年バルナコンクールセミファイナりストとあるので、それなりに技術は高いダンサーだとは思うのだが……正直言ってこれだけだと下手じゃないということしか私には分からなかった。詳しいことは分からないが、この場所でこの狭い空間だからフェッテとかジュテを多用するような振付の作品は無理だろうし、サポート役の男性ダンサーをこれだけで呼ぶのは無理とは思うのだが、もう少し作品の選定に工夫ができなかったんだろうか。上念氏が解説で言った貴重な機会というのは分かるのだが、これだとバレエの観客(いるとして)にとってもコンテンポラリーダンスの観客にとっても中途半端な気がしてならなかった、というか私には中途半端に思えてしまったし、せっかく出演した島にとっても残念に思えた。おそらく、出演依頼した時になにが踊りたいと聞かれて「ライモンダ」と答えたんじゃないかとにらんでるのだが、バレエダンサーとしては他流試合(アウェー)になるんだから、もう少し配慮があってもいいのではと思ってしまった。

 安川晶子、サイトウマコトの2作品は今回は私には残念ながら、作品としてはいまひとつぴんと来なかった。2人ともいいダンサーで、Bプロのインピロビゼーションでは魅力的だったのに作品*3だとそれがストレートには繋がってこないのはなぜだろうか。特にサイトウマコトの作品はパンフによると最近続けて亡くなった友人への鎮魂の思いから作った作品らしいので、やや「心あまりて言葉足らず」のようになってしまったか、と思う。安川晶子も「ラビアンローズ」は踊り続けている連作だが、アートシアターdBで以前見た長尺バージョンと比べると今回のはややあらすじみたいになってしまっていて、作品全体の流れがもうひとつ浮かび上がってこない印象があった。

 

出演者

B(インプロヴィゼーション

安川晶子・森美香代・ヤザキタケシ・サイトウマコト赤松正行(メディア作家)・一楽まどか(演奏)・荒木淳平(メディア丁稚

 関西コンテンポラリーダンスを代表するベテランダンサー4人による即興ダンス。1月に2度ほどにわたって「ダンスについて考えてみる(即興について)*4

*5」と題した文章を書いたのだが、その時に話題にでてきたノンイデオマティックな即興とは対極的な即興公演であった。この4人はいずれも関西コンテンポラリーダンス黎明期から支え、40歳を超えても現役バリバリで作品づくりを続けているのだが、実は出会いはもっと古くていわばコンテンポラリーダンスという言葉さえ関西にはほとんど存在しなかった先史時代、ジャズダンススタジオにそれぞれ出入りしていた時代から互いによく知っていたという古い仲間でもある。こんな風に書くと「私たちはシーラカンスか」と怒られるかもしれないことを承知であえて書いているのは、この公演にはそういう関係の4人だからこそ醸し出されるきわめてインティメートな関係性、お互いの信頼関係がすごくよく見えてきた舞台であったからだ。

 そこにはダンサーや音楽家が火花を散らして、そこから化学反応としてとんでもない新しいものが生まれてくるというような刺激はいっさいないけれど、ダンスという共同言語でもって4人が思いっきり楽しんで遊んでいる。そしてそれが自然と観客の方にも伝わってくる。そういう楽しさがあった。

 もちろん、それには4人が4人とも技術的にも力のあるダンサーであって、ダンスという言語で遊ぶためのボキャブラリー豊富に持っているということが前提としてある。即興の場合、ダンサーの力量に明らかな格差(技術だけでなく、存在感も含む)があると複数のダンサーが舞台上に登場していても気がつくとひとりだけを目で追うことになっているという優勝劣敗ともいえる残酷な側面があるのだが、この公演ではそういうことはなく、即興でありながら、よくできたエンターテインメントとして楽しむことができたのである。

 冒頭でノンイデオマティックでないと書いたのは即興とはいえ、途中で出てきた舞台上で4人がスクエアの位置取りをして、向きを変えながら、それぞれがその時に向いた向きの一番前方にいるダンサーが出してくる動きを模倣していくという場面とか、客席からカメラを持ち出してそれで舞台上で記念写真を撮り始めて、最後には観客に取らせたり、舞台上に引っ張りあげて、一緒に写ってしまったりとなんらかの事前の打ち合わせや仕込みがなければ無理だろう、というシーンがいくつかあるのが典型的。ただ、冒頭で「遊び」と書いたのはそういう明確な打ち合わせがないようなシーンでも、おそらくなにかのきっかけでそこに「遊び」のルールのようなものが生まれると阿吽の呼吸でその場で全員がそれを理解して一緒に遊びはじめたり、少しそれが続いてだれてきたなと思うと、そのルールを変更して違うことを始めたりということが次々と途切れることなく続いていくからだ。

 さらに「遊び」ということで言えば、もともとダンサーでありながら、俳優の経験もあり、その資質として芸人的なところも持つヤザキタケシ、サイトウマコトに引っ張られてか、普段はシリアス系のダンスの多い*6安川晶子、森美香代が嬉々としてけっこう馬鹿馬鹿しい動きとかにも楽しそうに付き合ってみせるのにはこれまで見たことのない新しい側面を発見したようで、面白かった。

 この日の公演には映像リアルタイムオペレーションで自在に踊っているダンサーの映像を加工してみせた赤松正行、パーカッション電子楽器による即興演奏音楽担当した一楽まどかと普通に考えればタイト前衛色の強いテイストになるような尖ったアーティストが参加したのだが、そういう中で笑いも含めてこういう方向性に持っていくことができるのはダンサーとしての力量だけでなく、この4人の親密な関係性があれなこそだと思う。そういう意味では以前に「東野祥子×岩下徹」の即興を元に即興についての論考を書いた時とは180度も違う公演だが、「即興はきわめて関係的である」という点ではこの日も同じことを感じたのであった。 

*1:森川はダンスのほかにマイムの素養もあるダンサーで、水と油への客演経験もあるがそのことが決定的な要因ではない

*2:もっとも、この2人はムーブメントにおいては完全に純ダンス的でマイム的な仕草性を感じさせるところはほとんどない。そこのところに水と油とは本質的な大きな違いがあり、アウトプットされてきた作品が似ているわけではない。

*3:どの作品もそうだというわけではないので、少なくともこの日の上演ではという意味である

*4http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20060125

*5http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20060127

*6:というか最近では時折はコミカルな面も見せる安川晶子はまだしも、森美香代がこんな風に踊るのは初めて見た

2006-05-04 ナイロン100℃「カラフルメリィでオハヨ」

[]ナイロン100℃カラフルメリィでオハヨ 〜 いつもの軽い致命傷の朝 〜」

ナイロン100℃カラフルメリィでオハヨ 〜 いつもの軽い致命傷の朝 〜」(MIDシアター)を観劇。

2006-05-03 イメージフォーラムフェスティバルでダンス映像作品

[] 5月のお薦め芝居(http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/10000605)をとりあえず掲載。

 えんぺの締め切りまでにできたらもう少し加筆するつもり。

[]イメージフォーラムフェスティバルダンス映像作品

 東京京都の2会場で開催される映像の祭典イメージフォーラムフェスティバル*1で海外ダンス映像作品(カナダコンテンポラリーダンスピナ・バウシュ)が上演される。詳しいプログラムはここ*2を参照してほしいが、ここでは京都ドイツ文化センターでのダンスプログラムだけを抜粋して紹介したい。

カメラによるダンス・スタディーズ1」(5月18日、21日 5時)がこちら。

パワフルでストレートな生命賛歌をダンス/ 映像/ インスタレーションで展開するマリー・シュイナールと、04年の公演が記憶に新しい超高速バレエアメリア』の映像版。ケベックコンテンポラリー・ダンスの衝撃。

賛歌No.1 

 マリー・シュイナール

 出演:キャロル・プルエ、ブノワ・ラシャンブル

 音楽:ルイ・デュフォ/ビデオ/2003/15分/カナダ

アメリア 

 エドゥアールロック/出演:ラララ・ヒューマンステップ

 音楽:デヴィッド・ラング/ 作詞ルー・リード/ビデオ/2003/60分/カナダ

そして「カメラによるダンス・スタディーズ2」(5月20日 7時半)がこちら。

ネット・ローラン率いるモントリオールの人気カンパニー、オ・ヴェルティーゴの流麗なビデオダンスと、初めて目の当たりにするピナ・バウシュ演出の舞台裏。コレオグラフィーとは何か。その秘密にせまるスリリングな体験。

消失

 ジネット・ローラン/パフォーマー:オ・ヴェルティーゴ/ビデオ/2005/47分/ カナダ

ピナ・バウシュの吐息

 フセイン・カラベイ/ 出演:ピナ・バウシュ/ビデオ/2005/40分/ トルコ

 先日、「春の祭典」「牧神の午後」を上演したばかりのマリー・シュイナールは昨年の日本公演でも上演したダンスのようなボイスパフォーマンスのような変な作品の「賛歌No.1」。ラララ・ヒューマンステップスの「アメリア」も舞台版は見たけれど、あの超絶技巧バレエ映像版ではどうなるのか。「ピナ・バウシュの吐息」も演出の舞台裏が見られるのが楽しみ。と、ここで手帳を見て、スケジュールを確認したら、全部仕事でいけないじゃないか。もう、がっくりである。

 こういうのもあったのだが……。これも5月18日2時半じゃやはり仕事だ。

2006 年1 月29 日に逝去したナムジュン・パイクの業績を偲ぶ。パイクはビデオアートの創始者としてだけでなく、テクノロジー社会のあり方について、過激でユーモラスな未来像を提示しつづけた大胆な思想家として比類ない活動を続けてきた。

ケージに捧ぐ ナムジュン・パイク/ ビデオ/30分/1973

グローバル・グルーブ ナムジュン・パイク/ ビデオ/29分/1973

グッドモーニングミスターオーウェル

ナムジュン・パイク/ ビデオ/31分/1984

クシャルヒーリング 久保田成子/ビデオ/5分/1998

 念のため東京(パークタワーホール)のスケジュールも確認するが、5月5日12時、2時半。物理的には可能だが、この日は大阪で生のダンス(「ダンスの時間」)を見る予定(2時、6時半)だから、「どこでもドア」でもなくちゃ無理。ああ、助けてよ、ドラえもん(笑い)。

 本当に見たい私にとってのメインのプログラムは見られないことが分かったが、会場ではインスタレーションの作品も展示させる予定でそのなかには私が以前から気にかけていた現代美術作家稲垣智子の作品も展示されるみたい。時間を見つけて、会場にはどこかで行きたいと思う。

Dune / Trip 稲垣智子/ビデオインスタレーション/2005 一般公募部門入選

ファンタスマゴリ伊藤隆介/ビデオインスタレーション/2006

映画の発見 伊藤隆介/ビデオインスタレーション/2006

2006-05-02 西島大介「アトモスフィア」

アトモスフィア〈1〉 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

アトモスフィア〈1〉 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

アトモスフィア (2) (ハヤカワSFシリーズJコレクション)

アトモスフィア (2) (ハヤカワSFシリーズJコレクション)

[]西島大介アトモスフィア1」「アトモスフィア2」

西島大介アトモスフィア1」「アトモスフィア2」早川書房)を読了

 「何を隠そう最新作「アトモスフィア」上下巻は、シベリア少女鉄道*1演劇に最も強い影響を受けています」とウェブ日記西島大介自らが明らかにしているのを先に読んでしまっていたので、このラストには「来たか、来たか」という感じでそれほど驚きはなかったのだけれど、前知識なしで読んだら許せるか許せないかは別にして、これはちょっとびっくりするだろうなと思った。

ただ、物語内の世界観シベリア少女鉄道の土屋亮一とは全然違っていて、ほかの作品を読んでみないとはっきりしたことはいえないけれど、これははっきりと西島大介の世界である。ある日突然、わたしの前に「分身」である「わたし」が現れて、それが増殖していくことで日常世界がどんどん不条理に崩壊していくという、ドッペルゲンガーテーマSF漫画なのだが、この最初の設定が少しづつエスカレーションしていく展開がとてもうまい。

 だから、土屋の作品などと比べると前半部分はSFファンなどにははるかに面白く読ませるところがあるのだが、実はこれがラストの衝撃性をかえって弱めているんじゃないかと思わせるところがあり、逆に惜しまれたのだ。

 というのは、実はこういうような構造だったら、SFにはなんといってもなんでもありの世界だから、前例に近いものがないわけじゃないのだ。例えば私がこの作品を読み終わって最初に思い出したのはフレデリックブラウン*2だったのである。

 以前から、シベリア少女鉄道のやっているようなアイデアというのは必ずしも、演劇というメディアじゃなくても可能なのじゃないかとは思っていたのだが、フォロワーマンガとういうジャンルに出てきたというのはちょっと意外であった。だが、このいわばマンガ版シベリア少女鉄道ともいうべき、「アトモスフィア」を読んでみたことで逆に分かったこともあった。

 ひとつはこれまでシベリア少女鉄道を見ていた時にはどちらかというとアイデアの部分に先に気をとられたり、圧倒されていたこともあって、あまり気がつかなかった、あるいは後回しに考えていたところもあったのだが、シベリア少女鉄道にとってそれが演劇であるかどうかはそれほど重要ではないにしても、それが生で展開されるライブであり、しかもそれが生身のパフォーマーによって上演されているということは決定的に重要なのだということだ。

 そこでは馬鹿馬鹿しいアイデアの面白さよりも、そのアイデアを実現するために出演者、スタッフが一丸となって汗水たらして頑張っていて、そのことはある意味、涙がでるほど感動してもいいところだが、実はその努力がとんでもなくしょーもないことのために費やされているという不条理。この無償の蕩尽のありさまが面白いのである。

 その意味ではマンガでそれをやるというのはどういうことになるのか。もちろん、西島がそれを目指す必要などないのだが、そこには「マンガならではのなにかのアイデア」が本当は必要なのではないか*3と思った。

 つまり、この「アトモスフィア」という作品はものすごくよく出来ているとは思うが、マンガというジャンルがすでにメタマンガ」的実験赤塚不二夫 の例を出すまでもなく、やりつくしているジャンルだということを考えれば、残念ながら、この「アトモスフィア」がやっていることはマンガ内の「メタ」でしかなくて、そこではやはり、「大島弓子が……」とか、「手塚治虫が……」とかいう既視感がともなうというのが否定できない気がした。

 ないものねだりにすぎないようなことを言ってることは百も承知の上でのことだが、シベリア少女鉄道に挑戦するなどという無茶なことを試みたことがすでに快挙であるからこそ、それ以上の期待をしたくなったのである。

 いっそここまで来たら、土屋と西島の本格的コラボレーション*4を読んでみたいという気にさせられたのだが、なんとか実現しないだろうか。

KINO Vol.1

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 京都精華大学の編集による漫画専門誌。なかなか読み応えがあります。「のだめカンタービレ」の二ノ宮知子インタビューがとぼけた人柄がうかがえて面白かった。

*1http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20060305

*2:「狂った星座」とか「みみず天使」とか

*3勝手なことを書いたが、演劇と比べたとき、マンガメディアとしての強固さを感じる。演劇のようには簡単にはその形式は崩壊しないのである。大きいのは紙に書かれていることだろうか。紙に書かれて絵と言葉があればという形式が守られていればなんでもマンガになりうるのか。マンガの成立する条件というのを考えてしまった

*4:つまり、原案ないし原作・土屋亮一、作画・西島大介

2006-05-01 トヨタコレオグラフィーアワードのノミネートは?

[]トヨタレオグラフィーアワードノミネートは?

 トヨタレオグラフィーアワードの最終選考会のノミネート作品、昨年が4月末ぐらい*1に発表になっているから、今年ももうそろそろだと思うのだが、どうなったのだろう。昨年は本来、演劇畑であるチェルフィッチュノミネートされて、そのことが本選の選考過程においてもいろいろな論議、波紋を呼ぶことになった*2トヨタアワードだが、今年のノミネートではなにかそういう種類のサプライズはあるだろうか。

[]五反田団「ふたりいる景色」のレビューhttp://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20060311)を執筆

 五反田団「ふたりいる景色」は5月25日−28日京都芸術センターでの関西公演がある。この舞台には一度見ただけではまだ未消化なところがあって、京都の公演をもう一度観劇した後で再び考えてみたのだが、その公演の前に東京公演の感想をなんとか書き終えることができた。女優陣が全員いいし、MONOの金替康博がこの役は彼にあてがきしたに違いないと思わせるほどはまり役でゴマ飲尿即身仏になろうとしている情けない男を好演している。関西演劇ファンは必見の芝居だと思う。